二月半ばとは信じられないほど気持ちのいい柔らかな空気が流れている、日差しが反射して、鎮守府から見える海がきらきらと美しい光を放っている午後、提督さんに一本の電話がかかってきた。
「はい、迎えはこちらから送ります。いえいえ、私の我がままのようなものなので、はい、はい、ではそのように。」
迎え?最初に対応したのが私だから艦娘養成所からかかってきたのはわかってるけど、鎮守府側から迎えを送るなんてどんなVIPなのかしら。
私は、提督さんの執務机の横に設けられた秘書艦用の机で書類に目を通すふりをしながら提督さんの会話を盗み聞きする、誰かを迎えに行くのはわかるんだけど……ダメだ肝心なところが会話に出ない。
「ふう……」
電話での会話を終えた提督さんが酷く疲れたように椅子に深くもたれかかった。
「電話だけでえらくお疲れですね。」
「ああ、別に疲れた訳じゃないんだ、ただ……なんと言っていいのかな……」
そう言ってうつむく提督さんの顔は、なんだか悲しそうと言うか嬉しそうと言うか、相反した感情をうまく制御できていないような。
「〖朝潮〗の……適合者が現れた……」
ああそれで……
「3年……か……長かったような短かったような……」
そこまで言って、喉まででかかった次の言葉を胸の奥に収めるように、提督さんは窓の外を見上げた。
「八駆の子達、喜びますかね?」
「どうだろうな、嫌うことはないだろうが、複雑だろう。」
かつての姉の艤装を使う別の子が来る、3年経ったとは言えまだあの子達の心の傷が癒えたとは思えない。
大潮ちゃんなどは大潮型と揶揄される度に「いやだなぁ大潮は朝潮型ですよ~」と、その場では笑っているけど、その目はなんともいえない悲しさを浮かべている。
「嚮導は誰になさるつもりですか?由良がやりましょうか?」
「いや、満潮にやらせようと思っている。」
提督さんの意外な人選に思わず驚いて目を白黒さてしまった、満潮ちゃん?大丈夫なの?
「提督さん、それ本気?」
満潮ちゃんは横須賀鎮守府で近づきたくない艦娘No,1の座をこの3年間ほしいままにしている、訓練では無駄口一つ叩かずひたすらストイックにこなし、自由な時間ですら姉妹艦、特に八駆の子意外とはまともに口も利かないし過ごそうともしない。
「もちろん本気だ、どのみち八駆として行動していくことになるんだ、八駆の子達とは早めに打ち解けた方がいい。」
それはそうだけど、それにしたっていきなり満潮ちゃんはハードルが高すぎる。
「せめて大潮ちゃんじゃダメなんですか?それか荒潮ちゃんでも。」
「大潮は駆逐艦のまとめ役や秘書艦である君の補佐等でやることが多い、これ以上負担はかけれんさ。荒潮は……そもそも嚮導に向いていない、あの子は感覚だけで戦うタイプだからな。」
「でもそれでは……」
朝潮ちゃんが潰されかねない、そう言いかけた自分に歯止めをかけるように私は言葉を飲み込んだ。
「君の気持ちもわかるが、心配する必要はない。」
「でも!」
満潮ちゃんを貶める気はないけど、普段の満潮ちゃんの態度を見ていると反対せずにはいられない。
「私はな、八駆の子の中で一番苦しんだのは満潮だと思っているんだ、あの子はあの時、入渠していて出撃できなかったことをいまだに悔やんでいる。」
「それは知っています、ですが……」
だからといって他人と……一緒に戦う仲間と壁を作っていいとは思えない。
「あの日から今日までの満潮の入渠の回数を知っているか?」
「入渠……ですか?いえ、入渠の手続き自体は由良がやっていますがさすがに回数までは……あれ?」
最後に満潮ちゃんの入渠の手続きをしたのっていつだっけ……
「12回だ、この3年でな。」
「3年で12回!?」
そんなことあり得ない、戦闘にでればどこかしら負傷するし、訓練で事故を起こすこともある。
艤装の修理は整備員さんと妖精さんが行ってるとはいえ、艦娘本体、人間の部分は治療を受けなければならない入渠とはこの修理と治療を併せて入渠と言うのだ。
それが3年でたったの12回、常に鎮守府にいて訓練ぐらいしかしないと言うなら話は別だけど、八駆は横須賀の駆逐艦で最高練度を誇り、大潮ちゃんと荒潮ちゃんは改二改装も受けてる。
「八駆の出撃頻度ってかなり高かったですよね?」
「当り前だ、私の直属だぞ?大事な作戦には必ずあの子たちを使う。」
ですよね……でも、それでその入渠回数はちょっと辻褄があわないような……
「満潮はこの3年間、回避技術を徹底的に磨き上げた、だが逃げ回るわけではないぞ?それだと駆逐隊として連携が取れないからな。」
駆逐隊としての連携を乱さずに敵の攻撃に当たらないようにする?どうやって?
「この12回だって最初の数か月と大規模作戦時に味方をかばってのものだ、それ以外であの子が被弾した回数は0、回避技術だけなら全艦娘一かもしれんな。」
「そんなすごいことをしてたなんて……全然知りませんでした……」
「それにな、あの子は優しすぎるんだよ。」
「優しすぎる?満潮ちゃんがですか?」
信じられない、提督さんは普段の満潮ちゃんを見てないからそういうことが言えるんじゃ?
「ああ、あの子は自分が死んだときに誰かが悲しまないようにワザと壁を作っているんだ、大切な人が死んだときにどれだけ悲しいか、あの子は身をもって知っているからな。」
「だから、誰かの大切な人にならないようにしてるって事ですか?」
「まあ、さすがに大潮や荒潮、それに私の前では素が出てしまうがな。」
「大潮ちゃんや荒潮ちゃんはわかりますが、提督さんの前で素直な満潮ちゃんって想像できないんですけど。」
むしろ満潮ちゃんの提督さんへの態度を見てると嫌われてるとしか思えない。
「人の前だと取り付く島もない感じだがな、たまに二人で飲むことがあるんだが、その時は本音で話をしてくれるんだ。」
へぇ、満潮ちゃんって提督さんと飲んだりするのね、意外すぎる……ん?
「あ、あの、ちょっといいですか?」
「なんだ?」
「満潮ちゃんにお酒飲ませてるんですか!?長い事艦娘をやってるのは知ってるけどまだ10代ですよね!?」
それに二人っきりで飲酒だなんて……間違いとか起こしてないかしら。
「飲ませるわけないだろう、それに二人で飲むとは言っても鳳翔のところだ、君が心配するような事は起きんよ。」
ならよかった、憲兵さんに相談すべきか本気で悩んだわ。
「話がそれてしまったな、先ほど言ったように満潮から回避技術を習うのは朝潮にとって有意義だ、それに打ち解ける難易度が一番高いのも満潮だ、満潮と打ち解けれるなら他の誰とでも打ち解けられるだろう。」
「理屈はわかりますが……」
それでも不安を拭うことができない、朝潮ちゃんが気に食わず、訓練に見せかけて沈めてしまうんじゃないかという妄想に近い恐れを抱いてしまう。
「まあ、なるようになるさ、さすがに訓練中の事故死を装うこともないだろう。」
顔に出てたかしら?もしかして提督さんも同じこと考えてたんじゃない?
「配属日は決まってるんですか?」
提督さんの顔が苦い憂愁を感じてるように歪む。
「ああ、皮肉なことに3月3日だ。」
先代の朝潮が戦死した日だ、同じ日に2代目の朝潮が着任予定、運命を感じずにいられないわね。
「由良、すまないが少佐に伝言を頼んでいいか?」
「はい、なんとお伝えすればよろしいでしょう。」
「『ハイエースの準備は万全か?』これだけでいい。」
ハイエース?車の?なんだろうすごく不吉な響きに聞こえる。
「わかりました、お伝えしておきます。」
嫌な予感はするが伝言を頼まれれば伝えないわけにはいかない、ああそうだ、ついでに事務に渡す書類も持っていこう。
私は一階の事務室に出す書類をもって執務室を後にした、さて、まずは書類を事務に押し付けて、それから少佐さんを探さなければ。
この時間なら訓練の視察かな?
少佐さんもいい加減、携帯電話を持ち歩いてくれないかしら、携帯しない携帯電話なんて意味がないじゃない。
『自分はハイテクと言うものが苦手でして……』とは言うけれど、スマホがある今では携帯電話はローテクですよ?
そのせいでいつも私が探し回る羽目になるんだから。
ああそうだ、一応伝言を復唱しておこう、イライラしすぎて忘れちゃったら困るもんね。
私は一階に降りる階段の最上段に立ち正面玄関を見下ろしながら声に出した。
「ハイエースの準備は万全か?」
駆逐艦を迎えに行くと言ったらハイエースしかないよね。
今回出てきた設定
携帯電話:いわゆるガラケー、作中の技術水準はリアルと同じです。携帯がローテクかどうかはまあ、とらえ方次第ということで。