「痛い……暑い……。」
窮奇とネ級を退けて泊地に戻った私は、どうも桟橋に上がった途端倒れたようで、痛みと暑さで目を覚ましたら私達に割り当てられた部屋に敷かれた布団で寝かされていた。
ドアの上に掛けられた時計を見ると文字版の針は2時を指している、外はスコールが降ってるとは言え明るいから丸一日寝てなのかな?
「おはよう満潮、気分はどう?」
「良いように見える……?」
敷かれた布団の枕元に大潮が座っている。
右を向くと、荒潮が私と同じように布団に寝かされている、目に見えるようなケガはないから深海化でも使ったのかしら。
「朝潮は?」
「長門さんに追い回されてる。一応、神風さんに行ってもらったけど……。」
いやダメでしょそれ、絶対に笑いながら眺めてるわよ。
「ケガしてる朝潮を追い掛け回すなんて、長門さんも酷な事するわね。」
たしか右腕を骨折してたはずだけど、ヒビ程度で済んでたのかしら。
「
大潮が目を細めた、朝潮にケガをさせた事を怒ってるわね。
一人で窮奇の足止めをさせるつもりだったのも言ってないし。
「よく司令官が朝潮に
うちの司令官は艤装の修復に
体に問題が起きたって話も聞いた事ないし、他の鎮守府ではバンバン使ってるのに。
うちで艦娘に
「満潮にも使用許可が出てるし、使ってるよ。お腹……まだ痛い?」
たしかに痛いけど死ぬほどじゃないかな……。
「飲ませるのは無理だったからお腹に直接塗ったけど完全に治ってない思う。飲めそうならもってくるけど……どうする?」
アレ、苦いのよねぇ……あんまり好んで飲みたくはないけど、痛いよりはマシか。
「飲むわ……痛いのは好きじゃない……。」
「わかった、ちょっと待ってて。」
大潮が部屋を出て行くのを見送った私は荒潮の様子を見ようと体を起こす。
「ったく……情けないったらないわね……。」
身を起こすだけで泣きたくなるぐらい痛む、主戦場で起きた出来事に気を取られて被弾するなんて無様にも程があるわ。
動けないほどのケガをするなんて三年ぶりくらいかしら……。
「よく寝てるわね……。」
深海化の反動、一週間近く続く体の痛みと鬱状態。
たった一日で第八駆逐隊が壊滅状態じゃない。
泊地の防衛自体は成功したけど、私たちの本来の任務はそれじゃない、武蔵さんを横須賀まで連れ帰る事だ。
そっちはどうなったのかしら、主戦場で立ち上がった水柱を起こしたのが長門さんじゃないとすると、アレが出来そうなのは武蔵さんくらい。
武蔵さんが出撃したのかしら。
ガチャ。
「ただいまー。お湯割りでよかったでしょ?」
お盆に湯気が漂う湯呑を乗せて大潮が戻って来た。
いや、別にいいけどお酒じゃないんだからお湯割りって言い方やめない?
「甘いものも欲しいんだけど……。」
飲んだことない子は知らないだろうけど、それ滅茶苦茶苦いのよ?しかもそれを湯呑一杯分とかイジメか!
「贅沢言わないの、それにお仕置きも兼ねてるから。」
「何のお仕置きよ。お仕置きされる覚えなんてないわよ。」
どうせ朝潮にケガさせた事でしょ?アンタ過保護過ぎなのよ。
「朝潮ちゃんにケガ……させたでしょ……。」
ほら見なさい、だいたい艦娘にケガは付きものよ?
それに、戦艦棲姫に一人で挑んでケガ程度で済むなんて普通じゃあり得ないんだから。
「ケガは艦娘の一番身近なお友達でしょ?それくらいで何言ってるのよ。」
しないに越したことはないけどね。
「一歩間違えば死んじゃってたんだよ?なんで満潮はそんなに冷静でいられるの!?」
声が大きい、荒潮が起きちゃうでしょうが。
「一歩間違えれば死ぬなんて、戦場に出てるんだから当然でしょ?」
私は出来るだけ冷静に大潮に言い放つ。
かたや大潮は目を吊り上げ、唇を噛みしめて怒り心頭って感じね。
ムカつく……アンタ朝潮をバカにし過ぎなのよ。
「満潮は、朝潮ちゃんが死んでもいいって言うんだね。」
別にそうは言ってないでしょ?
私だってあの子を死なせるつもりなんてない、だけどあの子がやろうとしてる事を邪魔するつもりもない。
アンタと違ってね。
今回はあの子が興奮しすぎて目的を忘れかけてたし、撤退した窮奇を追撃したら目的を果たす前に戦死する可能性が高かったからチャチャを入れたけど、それらがなければそのままやらせてたわ。
「ねえ大潮、アンタあの子をどうしたいの?」
「何その質問、
あらま、素が出ちゃってるじゃない。
本気で怒ってるのね、アンタからしたら私はとんでもない事をしたんだもんね、当然と言えば当然か。
「別に死んでもいいなんて思ってないわ。でもね、アンタみたいにケガすらしないぬるま湯に浸からせるつもりはない。」
「ケガしたっていい事ないじゃない!痛いし、苦しいし……。そんな思いを朝潮ちゃんにさせるって言うの!?」
「だったらなんで私が朝潮と窮奇の足止めに向かうって言った時反対しなかったの?」
窮奇が来るか半信半疑だったんでしょ?
まあ、あの時点じゃただの勘だったしね。
だけどそれだけじゃない、アンタが反対しなかった本当の理由は違うはずよ。
「それは……。確証なんてなかったし……それに……。」
「『満潮が身を挺して守ると思ってた』って感じ?」
「!!」
馬鹿正直に目をまん丸に見開いちゃって、わかりやすいわねアンタも。
「生憎だけど、私は最初から窮奇の足止めは朝潮一人でやらせるつもりだったの。当てがハズレて残念だったわね。」
「じゃ……じゃあ満潮のそのケガは?朝潮ちゃんを庇って負ったものじゃないの?」
「これ?単にドジっただけよ。私が相手してたのはネ級、朝潮がどういう風にケガをしたかは知らないけど、ドジったって訳じゃないと思うわよ?」
主砲の直撃を受けたんならケガどころか死んでいる、主砲の至近弾、もしくは副砲に被弾したって感じかしら。
「なら……あのケガは満潮のせいなんだね……。」
湯飲みを畳の上に置いた大潮が、拳を握りしめてプルプルさせながらゆらりと立ち上がった。
別に私のせいじゃないでしょ、一人で窮奇の相手をさせた私が悪いって言いたそうね。
「この……バカ!」
ボゴ!
激昂した大潮が右の拳を振り上げて私の左頬を殴って来た、ケガ人をグーで殴るとかどういう神経してるのよ。
「痛いわね……私一応ケガ人なんだけど?」
まだ抑えろ、冷静になれ私。
大潮には一度ガツンと言わなきゃって思ってたんだ、これはそのいい機会よ。
「だから何?朝潮ちゃんにケガさせた罰だよ!」
「アンタさ、私の質問に答えてないわよ。」
大潮が朝潮をどうしたいのかなんてわかりきってる、大潮はあの子を……。
「五月蠅い!満潮の質問に答える義理なんてない!」
「義理がないんじゃなくて答えたくないんでしょ?なんなら私が代わりに言ってあげようか?」
私は悲鳴を上げる体に鞭打って起き上がり、大潮の正面に立つ。
動揺してるわね、殴られた私が冷静なのがそんなに不思議?
「アンタ、あの子を姉さんの代わりにしたいんでしょ。」
「ち……ちが……違う!」
いいや違わない、姉さんが死んでからのアンタは明らかに無理してた。
前と変わらない笑顔の仮面を張り付けて、私や荒潮の前でも演技をし続けて来た。
最初は姉さんの代わりになろうとしたんでしょ?
慣れない由良さんの手伝いや、駆逐艦たちのまとめ役まで買って出て。
アンタは必死に姉さんの抜けた穴を埋めようとした。
「あの子を人形にすんじゃないわよ。あの子はもう一人前の駆逐艦よ、アンタのあの子に対する甘やかしはあの子に対して失礼だわ。」
アンタは姉さんの面影を持つあの子を見て、自分が代わりになるんじゃなくて、あの子を代わりにする事を思いついた。
だけど失うのが怖くなっちゃったんでしょ?
姉さんみたいに死んじゃうと思ったら怖くてケガする事さえ許せなくなっちゃったんでしょ?
「あの子だけじゃない、姉さんに対しても失礼よ!冒涜よ!ケガをさせたくない?最近流行りのモンスターペアレントか!あの子はアンタの人形じゃない!」
「に、人形だなんて思ってない!私はただ……。」
「ただ、何よ。アンタやる事が中途半端なのよ、ケガもさせたくないなら最初から出撃させないようにすればいいのにそれもしない。」
「出来る訳ないでしょ!?出撃は司令官の命令なんだから!」
離れるのも嫌だったんじゃない?
砂場にお気に入りの人形を持って行って、汚れたと文句を言ってる子供と同じよ。
「そう?少なくとも一回は出撃させずに済む機会があったはずよ?」
司令官が私達を集めて窮奇と戦えるかどうかを質問した時、アンタはやれると言った。
アンタが無理だと言えば司令官は別の手を考えたかもしれないのに。
「窮奇が常識外れの戦艦棲姫だったって言い訳は効かないわよ。そもそも姫級の戦艦に駆逐隊のみで挑む時点で無謀なんだから。」
あの戦闘が決定的だったんでしょうね。
窮奇に追い詰められる朝潮を見て、アンタは朝潮を失うかもしれない恐怖に憑りつかれた。
だけど自分には出撃を拒否させる権限はない、司令官にもその気はない。
ならどうする?
どうする事もできやしない。
ただ朝潮が無傷で戦闘を終えるのを祈るだけ。
「アンタは中途半端に加えて他力本願、自分は祈る事くらいしかしない癖に私には朝潮の身代わりになる事を望んじゃって。」
「違う!そんなこと望んでない!違うんだよぉ……。」
泣いたってやめないわよ、頭に来てるんだから。
アンタは朝潮の覚悟を踏みにじってる、あの子が全てを賭けて成し遂げようとしてる事を邪魔してる。
それが私には許せない。
「私はあの子の盾になると司令官に誓った、だけど守るのはあの子の前じゃない、後ろよ。あの子の目的を邪魔するなら例えアンタだって殴り飛ばすし、あの子がへこたれそうになったらあの子の尻を蹴り飛ばす。」
朝潮が目的を果たすためにはケガどころか命の危険もつきまとう。
だけど出撃しないなんて論外、ただ隣に居ればいいだけの
あの子は司令官の恨みを晴らし、傷つけようとする者を片っ端から斬り捨てる剣なんだ。
「盾だって言うなら朝潮ちゃんの身を守ってよ!なんでわざわざ危険な目に会わせようとするの!」
「それじゃあの子の邪魔をしてるのと一緒でしょうが!あの子はね、窮奇を倒すこと自体は目的でもなんでもないの、ただの手段よ!司令官の心を守るって言う目的のためのね!」
「心を……守る……?」
「そうよ、自意識過剰って思ってくれてもいいけど、私があの子の身代わりになって死んだら、あの子の邪魔をした事になる。私が死ねば少なからず司令官は悲しんでくれるからね。もちろんアンタや荒潮、他の艦娘が死んでも同じだし、あの子自身が死んでも同じ。朝潮は自分の事を過小評価してるくせに掲げてる目標のハードルはやたら高いのよ。」
仲間を死なせずに敵を倒し、自分も生きて司令官の元に戻る。
言うだけなら簡単だけど、実際は不可能だ。
目の届かない所で戦死していく艦娘だっているのに、その全てを守りきるなんて戦艦や空母にだって出来やしない。
「そんなの……無理じゃない……。」
「ええ無理よ、でもあの子はやろうとしてるわ。少なくとも目の届く所に居る艦娘は気絶させてでも司令官の元に連れ帰るでしょうね。」
実際、あの子は護衛対象の漁船を見捨ててでも曙を連れ帰ろうとした。
あの子は司令官を悲しみから守るためなら、きっと手段を選ばない。
「あの子は姉さんが諦めた事を成そうとしてるの。姉さんは命は守っても、心までは守ろうとしなかったからね……。」
「じゃあ、満潮はこれからも朝潮ちゃんを危険な目に遭わせ続けるんだね……。」
大潮がうつむいて右手に力を込め始めた、また殴る気ね。
顔ならまだいいけど、お腹は止めて欲しいなぁ……。
今も気を失いそうなほど痛んでるし。
「また殴るの?いいわよ。好きなだけ殴りなさい、抵抗なんて出来ないから。」
「私はもう嫌なの……もう大潮型って呼ばれたくないんだよぉ……。」
大潮がポロポロと涙を流して本格的に泣き出した。
そういえば、朝潮が着任するまでそんな風に呼ばれてたわね。
そう呼ばれるたびに、アンタが泣きそうになるのを我慢してたのを私は知ってる。
だけど……私はアンタを助けなかった、アンタも助けを求めなかった……。
「満潮にはわかんないでしょ?大潮型って呼ばれるたびに私がどんな思いをしてたか……。満潮は他人を遠ざけてたもんね、私の気持ちなんてアンタにわかるわけない!」
わかるわよ……わかるから私は他人を遠ざけた、逃げたのよ私は……大潮型なんて呼ばれたら姉さんを見殺しにした事を嫌でも思い出しちゃうもの……。
今思えば……誰かの大切な人になりたくないなんて、そのため言い訳だったのかもね……。
だけどアンタは我慢し続ける事を選んだ、折れそうになっても我慢し続けた。
そこに姉さんそっくりの朝潮の登場だ。
朝潮と一緒に過ごす内にアンタの心は折れちゃったんでしょ?
我慢する事をやめて、朝潮に寄りかかる事にしたんでしょ?
朝潮の全てを否定してでも、朝潮を生かし続ける事にしたんでしょアンタは。
「だから何?自分が傷つかないように朝潮を籠の鳥にでもしたいの?馬鹿にすんな!だったらアンタが守ってやればいいじゃない!それすら人任せのくせに偉そうに言ってんじゃないわよ!」
「守ってるよ!守ってるつもりなんだよ……。」
自分が傷つかないために守りたい、危険から遠ざけたい。
だけど朝潮の気持ちを蔑ろにもしたくない……。
結局どっち付かずのまま、アンタは人に任せた。
満潮なら命を懸けて朝潮を守ってくれる。
荒潮なら危険が及ぶ前に敵を倒してくれる。
自分に、そう言い聞かせて。
荒潮を突撃させて私を朝潮に付ける八駆の基本戦術も、その気持ちの表れなんじゃないの?
アンタは一度、あの子の強さを思い知る必要があるわ。
「大潮、横須賀に帰ったら朝潮とタイマン張りなさい。司令官には私が話通してあげるから。」
ごめんね大潮……私じゃアンタを救ってあげれない、散々人任せだなんだと言っておきながら情けないけど……。
でも、あの子ならきっとアンタを救ってくれる。
我慢しすぎて凝り固まったアンタの心をほぐしてくれるわ。
叩き割らないかだけ心配だけど……。
「な、なんでそういう話になるの?なんで私が朝潮ちゃんと……。」
霞と一緒よ、アンタは朝潮にお仕置きされなさい。
そして、今の朝潮の強さと覚悟をその身で体験するの。
「でも朝潮にメリットがないわね……。そうだ、第八駆逐隊の旗艦の座を賭けてなんてどう?アンタが勝ったら、朝潮を二度と戦場に出さないよう司令官に進言してあげる。」
「そ、そんなの無理だよ……。いくら司令官が駆逐艦に甘いからってそんな進言通るわけが……。」
ええ、通らないわ。
そもそも進言する気なんてない。
だってアンタは朝潮に勝てないもの、実力だけなら朝潮とタメを張るかもしれないけど、アンタじゃあの子の覚悟を揺るがす事なんてできない。
問題は二人がこの話に乗るかだ。
朝潮をその気にさせるのは簡単ね、司令官の協力はいるけど。
後は大潮をその気にさせるだけ。
大潮も本気にさせないと意味がない。
「アンタが勝てば朝潮は晴れて危険とおさらばよ。後は着せ替え人形にするなり、抱き枕にするなり好きにしなさい。」
私は崩れそうになる足腰に鞭打ち、途切れそうになる意識を繋ぎとめ、大潮を睨んで言い放った。
「アンタにとって最初で最後のチャンスよ。アゲアゲで行きなさい。」