横須賀鎮守府の沖合2キロ地点に停泊させたワダツミの後部出撃ドック内に、後部ハッチを背にするようにして艦娘が各艦隊に別れて整列し、その後ろに奇兵隊と海兵隊の人たちが並んでいる。
その人たちの視線を一身に受けるのは、艦娘達の3メートルほど上方、スロープ状になっている後部カタパルトの最上段に立った司令官。
その三歩ほど後ろで横一列に並ぶ私と少佐さん達はオマケのようなものですね。
皆、出撃前の演説が司令官の口から発せられるのを、固唾を飲んで待っています。
「本日、我々は敵、中枢棲姫を打倒するためハワイ諸島へ向け出撃する。」
司令官が眼下に居並ぶ一同を見渡しながらゆっくりと語り出した。
緊張しているのでしょうか、後ろで組んでいる手に力が入っている気がします。
「敵は強大だ、ここに居る多くの者が命を落とすだろう、だが我々は成し遂げねばならない。国を、多くの国民の命を守るために君たちはその命を散らすのだ。国のために戦え!国のために死ね!それが君たちに与えられた使命だ!」
『はい!』
みんな返事はしたものの、場が少し騒めいていますね、ある者は動揺し、ある者は逆に闘志を燃やしています。
場を静めるべきかしら、司令官は気にしていないようですが……。
「と、ここまでが
司令官が視線で少佐さんに合図を送った。
「総員!回れ!右ぃ!」
少佐さんの号令で全員が後ろを向く。
ですが意味がわからないのか、周りをチラチラ窺ってる人が何人かいますね。
まあ現時点では、目の前には壁しか前にないのだから仕方ないですが。
ガ……コン……。
鈍い音とともに、後部ハッチが開いて横須賀鎮守府が眼前に現れた。
鎮守府だけじゃありませんね、少し沖に出たこの位置からは横須賀の海岸沿いが一望できます。
遠目にですが、見送りの艦娘や一般職員の方々が手を振ってるのも見えます。
ワダツミの周囲には、鎮守府近海を出るまで護衛する横須賀所属の艦娘達も居るはずですが、さすがにそこまでは見えませんね。
「君たちに最後のチャンスを与える、死にたくない者は今すぐワダツミを降りろ。なぁに、心配しなくていい、敵前逃亡とは見なさない。責任も一切負わさないから遠慮はするな。」
奇兵隊の方々は動揺すらしていませんが、海兵隊や艦娘達は目に見えて狼狽えていますね。
それもそうか、いくら責任を負わされないとは言っても、ワダツミから降りるという事は逃げる事。
しかも、寝食を共にした仲間を置いて……。
誰かが言う、『バカにするな』と。
また別の誰かが言う、『ここで逃げるなら死んだ方がマシ』だと。
その声は徐々に艦内に広がって行く、僅かに残っていた死への恐怖を塗りつぶすかのように。
降りようとする人は皆無ですね、みんなそれなりの覚悟を決めて乗艦してるのだから当たり前ですけど。
「誰も……降りなくていいんだな?」
『はい!』
「わかった、ならばここからは提督としてではなく、
艦娘達が一瞬司令官を振り返ろうとして、再び横須賀の方を向き直る。
これから司令官が紡ぐのは命令ではない、司令官個人の頼みであり、願い。
そして、司令官本人の決意……。
「君たち、大半の者の目的は深海棲艦への復讐だろう。
俺もそうだ、俺は9年前に妻子を殺され、それからも大勢の部下をバケモノ共に殺された。
涙は枯れ果て、血の涙を流した。
焼け落ちた家に潰された妻子を見て心の底から絶望した。
俺は憎んだ、ああ憎んださ!
憎まずにいられるわけがない、そうだろう!
奴らに復讐するためならなんでもした、泥水も啜った、木の根も食った、弾がなければ竹槍を担いで突撃し、盤上でしか戦場を語れないバカな上官共に土下座もした!
それでも俺は復讐をまだ成し遂げていない、どれだけ奴らを殺せば気が済むのか自分でもわからない!
何が提督だ、何が周防の狂人だ!
俺はただの復讐鬼だ!
国の命運など知った事か、俺は復讐がしたいだけだ!
俺から大切な者たちを奪っていった、あのバケモノ共に復讐が出来るなら俺の命などいくらでもくれてやる!
そう思って、戦い続けてきた……。」
由良さんがが止めようかどうか迷っていますね、それを少佐さんが目で制しています。
辰見さんの方も似たようなものですが……、あちらは司令官の怒号に怯え始めた叢雲さんを辰見さんが慰めています。
私も、ここまで感情的になってる司令官を見るのは初めてです。
下に居る艦娘達も、表情は見えませんが司令官の嘘偽りない狂気を背中に感じて身をすくめている人が居ますね。
でも私には、まるで司令官が泣き叫んでるように見えます……。
今まで我慢していた悲しみを解き放つかのように。
「ふぅ……。」
司令官が言葉を区切り、自分を落ち着かせるために深く息を吐きだした。
ある者は司令官に共感して己を鼓舞し、またある者は復讐心に身を任せるとはどういう事かを実感する。
死を望む者と、生きて帰る事を望む者、そのどちらもが司令官の次の言葉を待っている。
「この中にも俺と同じような考えの者もいるだろう、逆に何がなんでも生きて帰りたいと思う者もいるだろう。
復讐のために、その命を散らす事を俺は止めない、守りたい者のためにその命を燃やし尽くす事を止めはしない、どんなに惨めな事をしても生き残ろうとする事を俺は蔑まない。
だから、これから俺が言う事をけして忘れるな!
今、君たちの目の前に広がる光景は俺たちが守るべき国である前に、俺たちの戻るべき場所であり故郷だ!家だ!そして俺たちが骨を埋める場所だ!
死んでもいい、だが
ここが俺たちが終わる場所だ!
ここが俺たちが生きていく場所だ!
生きていようが死んでいようが、ここが俺たちの帰るべき場所なんだ!
それを忘れるな!」
『はい!』
司令官が再び少佐さんに目配せをすると、後部ハッチがゆっくりと上がり出した。
横須賀鎮守府が徐々に見えなくなっていく、私たちの帰る場所とはこれでお別れ……。
次にあの光景を見るのはここに帰って来てからだ。
「総員!回れ!右ぃ!」
少佐さんの号令で、ザッ!ザッ!ザッ!という音と共に再び全員が司令官に向き直る。
ここから見えるみんなの目に、もう迷いは感じられない。
それぞれがそれぞれの覚悟を決めて司令官を見上げ、司令官も一人一人の覚悟を確認するかのように見渡す。
死ぬ覚悟を決めた者、必ず生きて帰ると決意をした者、三者三様十人十色、だけど皆は同じ思いを胸に抱く。
必ずここに、戻ってくると。
「全員、覚悟は決まったな?」
『はい!』
「よろしい!ならば合戦用意だ!己が磨いて来た牙を解き放て、敵はハワイ島に巣食う中枢棲姫!これより我らは、この戦争最大規模の殴り込みをかけるべく出撃する!」
『はい!』
「大本営の定めた勝利条件は中枢棲姫の撃破のみ!
だが、俺はそんな簡単な条件じゃ満足しない、俺はここに居る全員を連れ帰る!生きていようが死んでいようがだ!
だから君たちも仲間は意地でも連れ帰れ!
動けない者は引きずって、動ける者は這ってでも戻って来い!
皆で勝利の雄叫びを上げながら、中枢棲姫の首を引っ下げて鎮守府に凱旋だ!」
『はい!』
「敵中枢殴り込み艦隊、総旗艦ワダツミ抜錨!暁の水平線に、勝利を刻みに行くぞ!」
『オオオオオオオオオオオオオォォォ!!』
艦内にみんなの歓声が響き渡る、本来なら耳を塞ぎたくなるほどの音量なのに、不思議と耳を塞ぎたくなりません。
司令官の檄と共に機関が始動してるはずなのに、機関音すらかき消していますね。
「お疲れ様です、司令官。」
司令官がみんなに背を向けて戻って来る、これから艦橋に行かれるのでしょうね。
「やはりこういうのは慣れないな、変じゃなかったか?」
「いえ、とてもカッコ良かったです。」
正直惚れなおしました、抱き着きたい衝動を抑えるのに必死でしたよ。
「朝潮にそう言われると自信がつくな。最後の方は勢いだけで喋っていたんだが……。そのせいで艦隊名を間違ってしまった。」
「それでいいと思いますよ?殴り込み艦隊の方が私は好みです。」
いっそ、そっちに変えちゃえばいいんじゃないかと思うほどです。
ただ、勢いとはいえ奥さんと娘さんの事を口にしたのが意外でした。
司令官が元妻帯者だった事が皆に知れてしまったのが少し残念ですね。
私と司令官の秘め事が一つ減ってしまったじゃないですか。
「少佐、私と朝潮はブリッジに行く。後は任せるぞ。」
「はっ!了解であります。」
少佐さんと由良さんが敬礼で見送ってくれる。
あ、お二人の左手の薬指に指輪が……いつの間にそのような仲に?
「辰見、鎮守府近海を抜けるまでの護衛を指揮しろ、近海を抜けたら鎮守府に戻していい。」
「了解、なんなら私も護衛に出ましょうか?提督の演説聞いてたら滾っちゃって。」
「お前が出ると叢雲が寂しがる、大人しく指揮だけしていろ。」
「りょ~かい。じゃあ行こっか叢雲。」
叢雲さんが、『別に寂しくなんかないから!』とか言いながら辰見さんの手を握ってついて行きますね。
艦娘じゃない辰見さんがどうやってワダツミを護衛するのかわかりませんが、一緒に護衛に出ればいいのでは?
「では私たちも行こうか、朝潮。」
「はい、何処までもお供致します。」
司令官が差し出す右手を取り、後部ドックを後にする。
艦橋で発進の命令を出せばもう戻れない、艦橋への直通エレベーターまでの廊下が、まるで十三階段のように感じます。
「震えて……いますね。」
「ああ、情けないことにな。恐ろしくて仕方ないんだ……。」
自分が死ぬ事が恐ろしいんじゃない、自分の命令で部下を死なせてしまう事が恐ろしいんですね……。
貴方はきっと、自分が死ぬ事は恐れたりしない。
だって、重荷を背負って生き続けるより、本懐を遂げて死ぬ方がはるかに楽なんだから。
「安心してください司令官、少なくとも私は死にません。私が死ぬ時は、貴方が死んだその後です。」
それまで傍に居続けます。
それまで貴方を支え続けます。
貴方が満足して死ねるその時まで私が守り続けます。
「こんな情けない男でいいのか?」
「司令官が情けない?だとしたら、日本には誇らしい男性が居ない事になってしまうではないですか。」
「はははは、随分と買い被られたものだ。だが……ありがとう、朝潮。」
買い被ってなどいません、貴方は私の自慢のご主人様です。
私は貴方以外に仕えない。
私を使えるのは貴方だけ。
私は、貴方のために『朝潮』になったのですから。
「礼には及びません、私は貴方だけの朝潮なんですから。」
「ああ、これからもよろしく頼むよ。私の朝潮。」
前言を撤回しなければなりませんね、この道は十三階段なんかじゃない。
私と司令官が初めて一緒に歩く道。
ここが私と司令官のヴァージンロードだ。
正化29年12月26日。
私たちは決戦の地へ向け、船を漕ぎ出した。
敗北の可能性など、微塵も考えず、ただ