初めての彼氏に浮かれていたらなんとお相手は福本作品のひとつ『銀と金』の主人公、森田 鉄雄さんだということが発覚しました。
福本先生の作品はどれも波乱万丈の物語、その主人公の恋人なんてどう頑張ったって平凡なわけがないよね。ははっ。なんで私は一般人として生きて行くことができないんでしょうね。
父親は赤木しげるだけど私は凡人なんですよ。破天荒な世界観に巻き込まないでください。
それにしてもこの世界は『天』及び『アカギ』の世界だと思ったけど森田さんもいるんだね。作者が同じだと世界も繋がったりするんですかね。
ということはカイジさんとかもいるんだろうか。待って、私の名字『伊藤』だけどカイジさんとは関係ないよね?『伊藤』なんて全国に1万人くらいいそうだし赤の他人ですよね?
平穏に生きたくて『赤木』を名乗らないことにしたのにカイジさんと同じだとなんの意味もないですよヤダー。頼みますから福本作品の代表作、ギャンブル王者カイジさんと私は全く無関係であってください!
そんなわけで始まった森田さんとの恋人生活だけれども意外と順調だった。平日の昼間は学校だけど放課後や土日は良く会った。
そして動物園や水族館へ行ったり街を一緒に歩いたりちょっと洒落た喫茶店に入っておしゃべりをしたりした。
デートだ。ものっすごく普通にデートしている。
しかもどれもこれも楽しかった。森田さんは色々な話のネタを持っていて口下手な私から何か言わなくても話題を振ってくれる。一緒にいてとても楽だ。
殺人鬼と追いかけっこする展開になったらどうしようと思っていたけれどそんな気配はまったくない。森田さんは大人の男性で私をリードし引っ張ってくれる。
なんかちゃんと青春を過ごしている気がするよ。普通に生きることができて実に楽しいです。
だけれども気になるのは常に森田さんが大きなボストンバッグを持っていることだ。どこに行くにも必ずしも持っていて、それでいてカバンを開けることはない。中に何が入っているのかな?
「森田さん、その鞄には何が入っているの?」
「ん?ああ、これか」
喫茶店でひと休みしながらなんとなく尋ねる。ちなみに森田さんはブラックで私もブラックにしようと思っていたんだけど気付いたら暖かいミルクにすり替わっていた。
『子どものうちからブラックばかり飲んでいると背が伸びないぞ』と森田さんがいう。そしてぽんっと頭の上に手を乗せられた。
子ども扱いされているのかもしれないけど嫌じゃない。なんだろう、この身体になってから甘やかしてもらったことがないからかな?胸がほっこりします。
うん、うちには自重という言葉を忘れたおっきなお子様がいらっしゃるもんね。ここで私が年相応に振る舞うと赤木家が崩壊してしまいます。
「そうだな。じゃあここに入っているのが全部現金だといったら蓮は信じるか?」
森田さんがからかうような口調でそういった。ちょっと試すような、悪戯心があるといったそんな顔をしている。
うん、現金?あ、ひょっとしてセザンヌの勝負で得たお金が入っているのだろうか?
「じゃあ2億くらいですね」
「信じるのか?」
森田さんが驚いた顔をする。うん?え、だって信じるもなにも、
「事実でしょ?」
「……蓮の感性はずば抜けているな」
森田さんは静かに笑みを浮かべながらコーヒーを口にした。それからしばらくして森田さんはボストンバックを持ってこなくなった。
そんな風に日常を過ごしているとある日森田さんから呼び出される。森田さんはいつものスーツをきっちり着こなし決意を固めた顔でそこに立っていた。
まるで戦場に行く兵士のような雰囲気だ。
「蓮、これから暫くの間会えないかもしれない」
「ふーん、何処かに行くの?」
「ああ、ちょっとな。大事な勝負をしに行くんだ」
森田さんが静かに笑みを浮かべる。だけれども全身からは張り詰めた空気が漏れていてピリピリとしている。どうやらかなり真剣な勝負らしい。
どこの展開のことだろう。セザンヌの次の勝負だからポーカーかな?
いやでもボストンバック持ち歩かなくなったしポーカー勝負は終わったのかもしれない。
ということはアレかな。『銀と金』の中でも最も莫大な金額が賭けられた麻雀勝負、
巨万な富を持つ老人、蔵前 仁との『誠京麻雀』だ。
「だからその前に蓮に会っておきたかった」
そう言って森田さんがゆっくりと私の背に手をやる。抱きしめられた。気付いたら私は森田さんの腕の中にいた。
「蓮、俺は必ず勝つ。勝って戻ってくるから」
ギュッと腕に力が込められる。それと同時に上から降ってくる言葉にふと焦燥感を抱く。待って、森田さん。なんかこれって、
……死亡フラグっぽくないですか?
人生を賭けた勝負を前に恋人に会いに行き戻ってくると誓う。うん、フラグっぽい。なんかやばい感じのフラグのオーラがムンムンします。
これが物語だったら『それが私が森田さんを見た最後の姿だった』とナレーションがつきそうなレベルで死亡フラグが立ってますよ。え、森田さん本当に大丈夫?
森田さんが行くのはおそらく誠京麻雀だ。誠京麻雀で賭けられるのは多額の賭け金と人生、負ければ『飼われる』だけの人生が待っている。
『飼われる』とは何かの比喩ではない。本当にその言葉通り人の尊厳を全て奪われ檻に入れられる。福本作品の中でも最も狂気染みた敗北の代償だろう。この勝敗には人生がかかっているのだ。
原作では森田さんが勝っていた。賢明であることを辞めただ蔵前を殺すためだけに前進を続けた森田さんの直向きさと心の隙をついた銀王さんの話術で見事勝利をもぎ取った。
だからこの世界でも大丈夫だよね?森田さんは勝つよね?
不安になって思わず顔を上げて森田さんを見上げる。すると目が合った森田さんがふっと表情を緩め笑いかけてくる。
「蓮、戻ってきたら話があるんだ。大事な話が。帰ってきたら聞いてくれ」
抱きしめていた腕の力が抜かれて感じていたぬくもりが消える。森田さんは向かい合うとポンと私の頭の上に一度手を置き、そしてそのまま後ろを向いて去っていった。
そんな森田さんの後ろ姿を見て私は思う。……うん、森田さん。あのですね、これはやっぱりどう見ても、
死亡フラグの役満聴牌じゃないですかヤダー。
『戻ってきたら大事な話がある』って言った人が戻ってくる気がしないんですけど、大丈夫?本当に大丈夫?
いやいや、でも森田さんだし。銀と金の『主人公』である森田さんだし、きっと 蔵前さんにも勝ってくれますよね?
原作では森田さんの執念と銀さんの知略により誠京麻雀に勝っていた。原作というのはそう変わるものではない。それは身を以って知っている。
東西戦で私が参戦してもひろさんは予選を抜け出しガン牌を伝えても銀さんは討ち取られた。多少の変化では大筋は変わらない。そうであると理解している。
だけれども全く変わらないものかといえばそうでもない。結局東西戦は原田さんと天さんの一騎打ちがなされず終わったしひろさんは会社勤めを辞めすでにHEROとしての道を歩いている。
原作は変えられるのだ。必ずしもその通り世界が進んで行くとは限らないのだ。
うん、そして私は森田さんと恋人という関係にある。恋人になってしまっている。
原作では森田さんに恋人という存在はなかった。つまりこれは物語の流れと違う展開なのだ。
今まで原作が変わったことを思い出す。何もなければこの世界は物語の通り進んで行く。
そんな世界で展開が変わる。それは、
……異分子(私)がいるからじゃないかな?
なんだかんだ言って私は本来この世界にあるはずのない存在だ。だから物語は私を組み込むために多少歪んでしまう。
そうやって歪めることによって私は赤木さんの生を勝ち取ろうとして来た。原作が絶対でないことは私に取って有り難かった。それによって赤木さんの生きている未来を得られるかもしれないのだから。
だけれどもそれがここに来て裏目にでた。原作は絶対ではない。
ならば森田さんが負けることもあるのかもしれない。
もう森田さんの姿は見えない。もうすでに遠くに行ってしまったのだ。
胸に抱いてしまった不安は消えない。“運命”は絶対ではないのだから。