※蔵前視点
このわしの財産を全て攫うだと?馬鹿な、わしはここまで勝ちを積み上げ続けてきたんだぞ?それをこんな小娘に奪われるなどあり得ないことだ。
森田の恋人だと名乗ってこの場を訪れたのはまだ制服に身を包む白髪の少女だった。大方、森田くんのことが心配で様子を見にきたのだろうが飛んで火に入る夏の虫とはまさにこのこと。いい駒が手に入ったとほくそ笑む。
わずかな金を餌に娘を勝負の場に引きずりあげる。金を絞りあげればそれがそのまま森田くんの負債となりさらに金を巻き上げられる。
いや、そのままこの少女を手にしておくのも面白いかもしれない。恋人がこちらの手に落ちたとわかれば森田くんにプレッシャーを与えることが出来るだろう。
勿論この少女が本当は森田くんの恋人でない可能性もある。だが、それならそれで構わない。まだ若い少女を飼ったことはなかったからどのような反応をしてくれるのか実に楽しみである。10代半ばの少女につける値段として15億というのは安すぎる値段だ。
どう転んでもわしに損はない。この少女を手中に収めこれからのゲームを有利に進める。それだけのことだ。
わしの体制は盤石だった。負ける要素などどこにもない。
ただ、少し、ほんの少しだけ気にかかることがあるとすれば……、
年若い少女というには瞳があまりに強すぎるような気がした。
少女は蓮と名乗った。そうして誠京麻雀が始まる。
基本的に金を持たぬ者に勝ち目はない。逃げられないように最初は緩く締め最終的にはすべて搾り取る。
いつも通り勝ちのパターン、今回もこの手順で小娘ひとりを絡め取ろうとしたが予想外のことが起こった。
蓮が最初から局を降りたのだ。
この麻雀では降りることでツモ代を支払う必要がなくなる。だが、だからといって1巡目から降りることもあるまい。
どんなに酷い手だろうが3度良いところをツモれば纏まりはする。いくら金が惜しいからといっても1巡目はまだ100万、手持ちが15億であることを考えれば大した損失ではない。
『1度もツモらず降りてもいいのか?』
『ええ、この手は和了できません』
本人に確認しても意思は変わらないらしい。今まで色々な打ち手とこの誠京麻雀で勝負してきたがここまで思い切りの良い相手は初めてだ。
薄っすらとした違和感がある。この娘は今まで打ってきた者たちと違うのか?
その後も蓮は降り続けた。わしの親も石井の親も、そして……自身の親でさえ。
『……どういうつもりだ蓮さん。手が悪いから降りるのは確かに君の勝手だが、ここまで1度も勝負せず、しかも親番まで降りるだと?君は勝負する気はあるのか?』
『勝負するつもりはありますよ』
もしかしたら時間稼ぎをしているのかもしれない。はなから勝負する気などなく森田が来るのをひたすら待っているだけなのかと問うと勝負する気はあるという。
馬鹿な。ここまで降り続けていったいどうやって勝つというのか。
挙句、わしのこれまで築き上げた財をすべてさらうなどと抜かし始める。この娘はわしを誰だと思っているのだ。
本来ならば話すことも叶わないはるか雲の上の存在、天上人だ。そのわしを地に降ろすだと?そんなことできるわけがない。
大言を吐いた代償にこの半荘で取れなければ負けというルールを提示する。
もし本気でわしを奪りに来たというのならばこの半荘でトップを取るなど当たり前のこと、
向こうが何を言おうと認めさせるつもりだった提案はあっさりと呑まれた。蓮はこの半荘で勝てなければ負けでいいとはっきりとそういった。
なんと愚かなことだ。もうすでに蓮とわしの点数差は2万点を超えているし残る機会もあと南場しか残っていない。
莫大な資金を持っているわしは場代を吊り上げることも二度ツモすることもいくらでもできる。
それなのにこの娘は本気でわしに勝つつもりなのか?
しかしその後も蓮は降り続けた。南場になって局が進むがすべて最初の牌をツモる前に降りる。
蓮に金銭的損失はないが点棒の差は4万以上あった。そして蓮が降りた南3局もわしは好調で僅か5巡目でリーチ。しかも二度ツモにより一発でツモ和了る。
3900の手が裏も乗り満貫まで跳ね上がる。蓮との差を最終的に55800点に広げることができた。
そしてついに南4局となった。この局ですべてが終わり。ラス親は……蓮だ。
「クククッ。さて、蓮さん。この半荘もこれで終わりとなる。わかっておるだろうな?もし負ければ15億全て没収、そして蓮さんには飼い殺しの人生が待っておる。まさかこの局まで降りるなんてことは言わないだろうな?」
「勿論。この局は勝負しますよ」
手牌を開いた蓮が1枚の牌に手をかける。どうやら本当にやる気はあるらしい。
だがここからどうやって勝つつもりだ?蓮が親だとはいえ、そんなものは軽く流してしまえばそれでしまいだ。袋井も石井もこちら側の人間、和了するだけならば難しくない。
3対1という圧倒的に不利な状況で負ければ人間としての暮らしを失う。普通の人間に乗り切れる局面ではない。
そう、普通ではダメだ。ただの人間にこの状況をなんとかできるわけがない。
この場を乗り切る為に必要なもの、それは圧倒的な才だ。他を凌駕し寄せ付けない天賦の才、そして牌を引き寄せ捩じ伏せる唸るような剛運、そういったものがなければならない。
いや、それだけでは足りない。才能と運があるのは当たり前、その上で狂っていなければならない。人間的にどこか壊れている、そうでなければこの誠京麻雀を制することなどできないだろう。
それを蓮、貴様が出来るというのか?こんな小娘にそんな力があるのいうのか?
「場代、アップします」
牌を切るとともに蓮がそう宣言した。場代を上げるということは手は良いのだろうか。いや、どうせこの局で終わりだからとヤケになっているだけかもしれん。
どちらにしろ場代をあげられて困ることなどこちらにはない。好きなだけあげていけばいい。
蓮はその後も場代を上げ続けた。200万を400万に、400万を800万に……、
蓮はかなり手が速そうだ。3巡目で既に中張牌を捨てている。
だがわしの手も悪くない。中を袋井に切らせ早上がりの特急券を手にした。既にイーシャンテン、二度ツモもできるし2巡以内には聴牌するだろう。
場が進む。そして、場代が1億2800万になった時、先に動いたのは蓮だった。
「リーチ」
蓮がリー棒を放る。カランとそれが卓の上に乗せられたのを見て心の中で舌打ちをする。
くっ、わしの方が遅かったか。最終局、手が入らず無意味に死ぬということはなかったらしい。
まあ構わない。ここから和了するのが大変なのが麻雀だ。
特に誠京麻雀では資産力が物をいう。こちらがいくらでも二度ツモできるのに対して向こうは13億7300万しかない。二度ツモするにしても3度が限度、そうそう和了まい。
この麻雀で二度ツモができないとはかなり不利なことだ。ツモる機会が多ければそれだけ和了できる可能性が高くなる。
そう、蓮はやり過ぎたのだ。何が何でも勝ちたいというならば場代をここまであげるべきではなかった。そのせいで二度ツモを失い自分の手に制限をかけた。
クククッ、そう思うと楽しいものだな。当たり牌を掴めず苦しみもがく蓮の姿が目に浮かぶようだ。
まさかたかが聴牌した程度でわしを出し抜いたとは思っていまい。こっちはわしの二度ツモは勿論、袋井や石井に必要牌を切らせることも振り込ませることもできる。わしの優位は変わらない。
そしてわしの手番となる。1度目引いたのは不要牌。当然二度ツモだ。場代が1億を越えようと何の問題もない。その程度の端金でわしの足を止めることはできん。
引いたのは三筒、欲しかったカンチャン牌だ。これでわしも聴牌となる。
なんだ、結局わしも引いてしまうのか。まあそれも当然だな。ここまで財を積み上げてきたわしに運がないなどそのようなことあるはずがないのだ。
石井と袋井にわしのロン牌を持っているか確認すると石井は持っていないが袋井は三・六萬を抱えているらしい。
さて、これで支度は整った。ここで和了しトドメを刺すのも、刻々と敗北が近づき苦しむ蓮の姿を観戦するのも自由となった。
クククッ、あれだけわしに大見え切ったのだ。すぐ殺してしまうのは少々勿体ないな。ジワジワとツモることが出来ず苦しむ蓮を見るのも一興だ。
いや、だがそれは奴に勝つチャンスを与えることでもある。蓮はただの小娘にしては纏うオーラが落ち着き過ぎていて不気味だ。
優勢と勝利はあまりに違う。嬲るならば後でいくらでもできるのだ。ここは勝ちを確定しておくべきか?
「貴方に迷う選択肢はありませんよ」
次の袋井の手番に振り込ませるかどうか悩んでいると凛とした声が辺りに響く。
顔を上げると蓮が真っ直ぐとわしを見つめていた。
「何のことかね、蓮さん。わしが何を迷っているというのだ?」
「袋井さんに振り込ませるかどうか迷っていたんですよね。無駄ですよ。もう貴方がたの手番は回ってきませんから」
視線に射抜かれる。蓮ははっきりとした眼差しでこちらを見ていた。
わしが聴牌したことも袋井に振り込ませようとしていることも全て見透かされているらしい。馬鹿な、何故バレたというのだ。
そういって蓮が山に手を伸ばす。だけれども掴んだ牌がおかしかった。
本来の牌の隣を蓮は掴んでいた。
「二度ツモします」
「……二度ツモは構わないが何故まず普通にツモらない?そこでロン牌をツモれれば不必要な金を払う必要がなくなるぞ?」
そう、蓮は二度ツモをしようとしていたのだ。一度目の牌をツモらずいきなり二度ツモを仕掛けた。
そんなことをするメリットは全くない。二度ツモは場代の3倍、高騰しているこの場でできればそれは払いたくないだろう。
自分の手番でツモれるならばそれに越したことはない。それなのに何故当然の権利を手放す?
「だってそうしなければ意味がないじゃないですか」
「意味がない?何の意味がないというのだ?」
「リーチしてから最初に引いたからこそ価値があるのです。だから“一発”っていうんですよね?一回で引けなければ意味がない。それが二度ツモだろうとも、」
蓮が引いた牌を表にする。そしてそのままツモ、と言って自分の手を倒した。
開かれた手牌を見て唖然とする。蓮は和了っていた。二度ツモした牌で確かに和了していた。
蓮にはこれがわかっていたというのか?次にツモる牌が、二度ツモすれば1度目で和了できるとわかっていたのか?
馬鹿な、そんなことが何故わかる。これはわしが用意した牌で印をつけたような形跡もない。
まさか牌が透けて見えたとでもいうのか?馬鹿馬鹿しい、そんな非科学的なことがあるわけがない。
だが、何かが噛み合わない。これはただ一方的に金を持たない弱者を嬲るだけのゲームのはずだ。
そうであるはずなのに何故蓮は今までの獲物と同じように動かない?無闇に金を浪費し怯え逃げ惑い、最後に無謀を勇気だと勘違いし死地に飛び込むのがこの誠京麻雀に挑んだ者の末路だ。
だが、蓮はそうでない。流れが悪いと思えばスッパリと諦める。未練を残さない。そしてこのゲームを続けるにあたり最も大切な金を守り切る。
蓮は緩まない。機が来れば場代を上げわしから金を絞り出す。そしてその上、牌を透かしたかのような闘牌で和了を攫われる。
なんなんだこいつは。今までわしが殺してきた人間とはあまりにも違いすぎる。
改めて蓮を見つめる。その顔からは何の感情も読み取れず無表情だった。
だが、瞳には計り知れない熱が宿っていた。
常軌を逸していた。俗人とは異なる理をこの娘は持っている。
背筋に嫌な汗をかいていた。そう、異常者。この娘は何処かが狂っている。
感じたことのない悪寒に背筋が凍る。ヒタヒタと、耳元で何者かの足音を聞いた気がした。