取り敢えず、まずひとつ、和了を決める。
えっと、リー即ツモ、平和一盃口ドラ1だからハネ満?
あ、裏載っているや。ドラ3だから倍満か。8000オールですね。これで蔵前さんとの差は23800。
点棒を支払う蔵前さんは苦虫を噛み殺したような顔をしている。55800点あった優位が23800点になったらそれはそんな顔にもなっちゃうよね。でも負けると私の人生が終了するので手は緩めません。飼い殺しの人生は嫌です。
ここまでの7局を犠牲にしたせいで遥か彼方だった蔵前さんの背中が、やっと見えた。直撃ならマンガン、ツモならハネ満で逆転、射程圏内だ。
だけども気持ちを切ってはいけない。そのせいで神様を取り逃がしたことがある。最後の最後の決着がつくまでわからないのが勝負なのだと身を以って知っている。
それに変わらず追い詰められているのは私なのだ。今は南4局でラス親、終わればそれで敗北。トップを取れなければ敗北というルールなのだから和了できなければそれで終わりだ。
では、ただ和了すればいいかというとそれも違う。蔵前さんから五十億以上の金を毟り取ろうというのだ。そんな緩い気持ちでやり切れるわけがない。
立ち止まることは許されない。アクセルは踏み続ける。限度いっぱい行く。そうして初めて蔵前さんを追い詰めることができるのだ。
小さな和了を繰り返して親番を維持しようとは考えない。この局で勝ちに行く。23800という点差をひっくり返し五十億を奪い取る。卓は3対1だ。場は私に不利でそれは途方もなく大変なことだろう。
次の局が正念場だ。総資産3兆円という巨大な城を築き上げた老人、蔵前 仁を倒せるかどうかは次の局に掛かっている。
たぶん、素直な手はこない。不要牌を整理するうちに聴牌し和了を得ると言った手は来てくれない。今はそういう局面ではない。
だけれども手が入らないということもないだろう。前局和了したのは私だ。だから流れは私にあるだろう。
南4局、1本場。私が親だから最初に牌を取って行く。
全員がツモり終わり手を開けた。私も自分の手元に視線を向けた。そして、思わず笑みが零れた。
なるほど、この手は劇薬だ。扱いを間違えたら殺されるのは私だろう。
今、私は試されている。本当に蔵前に勝つ気があるのかと聞かれているのだ。
私の中にある1番の想いは何だろう。学校に行きたい。恋したい。青春を送りたい。全部本心だ。私は平穏な日常を望んでいる。
だけれどもたったひとつの願いがそのすべてを凌駕する。全てを賭けることができるのは、私が本当に心から思うことはただひとつしかない。
神様を捕まえたいのだ。ただひとつを選ぶのならそれでいい。
リー棒を手にする。だから迷うことはないのだ。あの高みに届くための選択をする。
そして北を掴みリー棒とともに河に横向けて置いた。
「リーチ」
河に置かれた牌を見て驚く蔵前をしっかりと見つめる。さあ、賽は投げられた。
私の残りの資金は9億8900万、緩めるつもりはないからツモることができるのは9巡目までだ。
私がバーストするか、9巡目までに蔵前さんたちに先に和了されたらゲームオーバー。
これで私が神様に追いつけるか決まるのだ。
その時ぽんっと肩に手を置かれる。振り返ってその手の先を見れば……、
肩で息をする私の恋人の姿があった。
※森田視点
俺達の命を担保にして始まった誠京麻雀で俺は惨敗を喫していた。
手持ちの500億の約半分を失い、俺自身も勝負の感覚を失いかけている。
銀さんが機転を利かせてくれて時間の猶予を得ることが出来たが俺にはまだ見つけることができていない。
この誠京麻雀を制するために必要な心のあり方を。
やってみたからわかる。この誠京麻雀では利を追ってはいけないのだ。
理性的ではいけない。損得勘定なんてしないでひたすら懸命でなければならない。
ギャンブルとは先の見えない崖から飛び降りることだと銀さん達に言ったが、まさにそれそのものだった。
跳ぶ時に穴の下を覗いて深さを測ってはいけない。生きたいと思ってはいけない。
助かりたいと思ってはいけないのだ。ただ跳ぶ。一線を踏み越え暗闇に身を躍らせなければならない。
だがそうするにはどうしても切れない未練を持っていた。もう一度、もう一度会いたい人がいた。
蓮、偶発的な運命によって引き合うことのできた俺の恋人。彼女に会いたかった。
蓮は不思議な人間だった。人以外のなにか、それこそ妖の類と言われても納得できそうなオーラを纏っているのに中身はごくごく普通の女の子なのだ。
蓮は平凡なことを好んだ。動物園へ行くと嬉しそうにアルパカの首に抱きつくし水族館に行ってイルカのショーを観るとずぶ濡れになりながら拍手をする。
そして、喫茶店に入って頼んだケーキセットの最後の苺をわけてあげると、目を輝かせて喜んだ。そんな普通の女の子なのだ。
だけれども蓮はやはり普通の人間ではない。中条や西条と破滅を賭けたギャンブルを超えてきた俺の嗅覚がそう叫ぶ。蓮は俺と同じ一線を超えた人間なのだと。
蓮のことが知りたい。何を思い何を抱き何を考えて生きていたのか、伊藤 蓮という人間のことを理解したかった。
戻れば聞こうと思っていた。そして聞いてほしいと思っている。俺の生きてきた軌跡を、そしてこれからの夢を。
俺は『金』と呼ばれる人間になりたい。そのために金を集める。そしてその先にある遙か高みに辿り着きたい。欲を突っ切った世界、そこに何がいるのか。
鬼がいるのか、仏がいるのか。……その答えは案外近くにある気がした。
俺ははっきり蓮のことを未練だと思っている。だけどもそれでは蔵前に勝つことはできない。
蔵前を倒す、その為には死を決意しなければならないのだ。
「銀さん、何か妙なことになっているぜ」
夕食の為皆で部屋に集まっていると安田さんがそんなことを言いながら入ってきた。
「何かあったのか?」
「今、蔵前が別の奴と麻雀勝負しているんだよ」
「別の奴?俺達以外に誰かきたのか?」
その瞬間、ドクンと俺の胸が高鳴った。別の誰かが誠京麻雀をしている。何故だろう、その言葉を聞いた瞬間、白髪が頭にちらつく。
この場所のことを俺は話していない。それどころか何をするかも俺は言わずにやってきた。だから彼女がここにくるはずなんてない。ないはずなんだが、
何故か最初に浮かんだビジョンが頭から消えない。蔵前の対面に座るのは白銀の髪を揺らすあの子なんじゃないかって。
「どんな奴だ?」
「若い女だよ。ひょっとしたら高校生くらいかもしれねぇ。確か名前は……、」
レン、という言葉を聞いた瞬間俺は走り出していた。後ろで『おい、森田ッ!?』と呼び止める安田さんの声が聞こえたが足は止まらなかった。
まさか、まさかまさかっ!本当に彼女がいるのか?!
何処か浮世離れした子だった。でも平穏を愛する子だった。
そんな彼女がこの狂気が乱舞する蔵前の賭場に足を踏み入れたというのか?
走る。走って走って扉を開ける。
そこには、いつも見慣れた小柄な後ろ姿があった。
信じられない気持ちだった。ふらふらとした足取りで駆け寄り肩に手を置いた。
そして振り返ったガラス玉のような瞳と目が合う。
「蓮、何故ここに……」
気付けば言葉が漏れていた。ああ、そうだ。やっぱりそうだった。
そこに座っていたのは俺の恋人の蓮だった。
振り返った蓮は俺の姿を見ると少しだけ目を見開く。そして、静かに口元を緩めた。
「やあ、森田さん。思ったより早く会えたね」
そう言って蓮は笑った。
この狂気の渦巻く地下娯楽施設で不釣り合いなほど蓮の笑みは綺麗だった。