※森田視点
「クククッ、そうかそうか。本当に森田くんの恋人だったか。それは僥倖。そうであるからこそわしの出す15億という大金と釣り合うというものだ」
「……蔵前、これはどういうことだ。何故蓮がここにいる?」
クツクツと笑う蔵前を睨みつける。俺は蓮に居場所を伝えていない。ということはまさか蔵前が俺にプレッシャーを与える為に蓮を連れてきたのか?
「わしは何もしとらんよ。君に会いにわざわざ来てくれたそうだ。森田くんは実に良い恋人をお持ちのようだな」
「そうなのか、蓮?」
こくりと蓮が頷く。蔵前が連れて来たわけではないのか。
なら何故蓮はこの場所がわかったんだ?
とても表に出せないダーティな世界、まともに生きていてこの場所を知る術はない。
やはり蓮は裏社会に繋がる何かを持っている。俺の直感は間違っていなかった。
ならば蓮は何者なのか?この歳でアンダーグラウンドなこの世界を覗き見ている。一体今までどんな人生を送ってきたというのだろうか。
「さて、そろそろ場を再開させよう。わしのツモからだな」
蔵前がツモり牌を捨てる。落ち着け、今は蓮が何者なのかを気にかけている場合ではない。まずはこの勝負を勝ち切らないといけない。
蓮の金を投げ入れる係を代わってもらい後ろから観戦する。
まず、今は南4局。蓮はラス親か。蔵前との点差は23800。厳しい点差だが幸い親だ。連荘に連荘を重ねれば逆転ということも充分に考えられる。
おまけに蓮の流れも悪くない。初手からダブリーか。手は七対子、ツモればマンガン、裏まで乗ればハネ満だ。この局で逆転の可能性まである。
さて、それで肝心の待ちは、と思ったところで背筋が凍る。
蓮の手は七対子、待ちは北だ。その北が蓮の河の1番最初に横向けて置いてある。
なんだこれは。最初から北があったんだろ?ってことはもしかして、
……蓮は天和だったんじゃないのか?
驚きで声が漏れそうなのをなんとか留める。馬鹿な。何故役満をハナから捨てるような打ち方をするのだ?和了すれば親の役満で48000、何の問題もなくトップだ。
それを何故拾わない?おまけにフリテンリーチだから他の人からも和了できない。ツモ以外に和了する手段はない。
何故こんな理に沿わない打ち方をするのだ?勝ちを拾えばいい。自らの利を捨てることに何の意味がある?
俺の内心を知らない蓮は淡々と牌をツモっていく。そして自分の番が来る度に場代を上げていった。
200万が400万に、400万が800万に……
そしてひとツモ6400万となる。蓮はどこまで吊り上げるのだ?
蓮の残りの資金は8億くらい、正直もうやり過ぎだ。このペースだとギリギリ海底までいけるというもの。二度ツモをすることを考えるとすでに足りない。
最後の親ということで突っ込みたい気持ちはわかるがこれではその前に蓮がバーストする。ここは一旦緩めるべきところではないのか?
「場代、アップします。1.28」
「ちょっと、待て蓮!」
にも関わらず再び場代をあげる蓮に思わず静止の声をかける。1億2800万、それはいくらなんでもやり過ぎだ。
そんなことすればあと6巡しかツモることができない。蓮はツモ和了しかできないのだ。そう考えると6巡はいくらなんでも少ない。
ここで留まるのも勇気だ。蔵前たちが和了できなければ親の連チャンもできる。今は耐えて少しでも希望を繋ぐべきだ。
だがその瞬間振り返った蓮と目が合う。
蓮の瞳には何の欲も焦りも映っていなかった。ただただどこまでも透き通っている。
「森田さん、これはギャンブルだよ」
「それは勿論だが不要なリスクまで背負う必要はないだろ?アップはやり過ぎだ。ツモる牌がなくなってしまう」
「そんなことはないよ森田さん。だってギャンブルは“跳ぶ”ことなんだから」
そう静かに笑みを作る蓮に俺は身体からスッーと血の気が引くのを感じた。それは、俺の言葉だ。銀さんにギャンブルは何かと聞かれ答えた俺の考え。それを何故蓮が知っている?
「ならアクセルは緩めるべきではない。限度いっぱい、最後まで踏み切る。その方が高く跳べるから」
そういって蓮は牌をツモ切った。
俺は金を投げ入れながら蓮の言葉を心の中で反覆する。
アクセルを緩めない方が高く跳べる。そう、ギャンブルは崖に足を踏み入れ跳ぶことだ。それならば走り切っていた方がいい。
走幅跳の選手のように助走をつけ全速力で走る。そして最後の一歩を踏みしめ虚空に身を踊らす。それがギャンブル。戻り道など考えてはいけないのだ。
まだ17歳の少女が何故この心境に至れる。チキンランでアクセルを緩めないような闘牌、
蓮は覚悟が出来た人間だった。
「クククッ、これくらいの年頃の人間には良くあることだ。勇気と無謀を取り違える。まあ良い。わしはじっくり君の破滅を見守ろう」
蔵前が牌を切る。蓮の現物、蔵前は降りた。どうせ蔵前から和了することができないのだから降りてくれるのは有難いが、正直そんなことは些細なことだ。
問題はただ一つ、蓮がこの局に和了できるかどうか。
「そうだ、森田くん。そろそろ恋人にお別れを言った方がいいのではないか?蓮さんはこの半荘でトップを取れなければわしの物になるという約束なのだよ」
蔵前がにやりと笑いながらそういう。……なんだと?この半荘が取れなくとも蓮の資金が完全に0となることはない。それなのにトップを取れなければダメだとはどういうことだ。
「何のことだ蔵前。例えこの半荘が勝てなくとも資金がある限り負けではないはずだ。それで何故蓮の敗北となる?」
「実は蓮さんに条件をつけさせてもらっていてな、残り資金の有無に関わらずこの半荘でトップを取れなければ敗北となっているんだよ」
クツクツと蔵前が笑う。なんだその条件は。3対1という状況で元々不利なのにさらにトップを取らなければ敗北だと? 何故こちらが一方的にそんな不利を押し付けられなければならない。
「ふざけんな。てめえばかり勝手なこと言うんじゃねえよ。そんなこっちばかりが損する条件を何故呑まなければならない。馬鹿も休み休み言え!」
「君の意見は聞いていないよ森田くん。これはもう決定事項なのだ。それに蓮さんは構わないと言ってくれたぞ?」
蔵前が実に楽しそうにそういう。蓮が認めているだと?馬鹿な、何故そんな条件を呑んだのだ。
「本当か、蓮が」
「そうだね、この半荘取れなければ私の負けだよ」
「どうしてだ、蓮。そんなもの吞む必要はなかっただろう?何故自分を追い込むような真似をするんだ?」
そういうと蓮がこちらを振り向く。その顔には笑みが浮かんでいた。
「そんなに悪いことばかりじゃないよ。この半荘で決着がつくからこそ蔵前さんは緩んだ。何もせずとも私がパンクするのを期待して降りたんだ。我武者羅に来られれば結果はわからなかった。結局、首が絞まったのは蔵前さんの方、」
『場代、アップします』と蓮がいう。遂に来た。ひとツモ2億5600万、アップできるのもここまで。蓮の資金も残りわずかになった。
もう、ツモれなければ負けだ。蓮は自分を追い込みすぎた。場代を上げ続けたこともこの半荘でトップを取れなければ負けというルールを呑んだのも逃げ場をなくしている。
だけれどもギャンブルとはそういうものなのではないだろうか。安全を買わない。振り返らずただ前だけを見て突き進む。
崖からただ飛び降りる、その行為がギャンブルなのだ。
ポンっと肩に手を置かれた。振り返るとそこには銀さんが立っていた。
銀さんは笑っていた。だけれども額に汗が浮かんでいた。
「森田、俺は今お前の強運に心底震えている」
銀さんがそう言う。強運?俺の何が運がいいのだ?
意味を理解できない俺に向かって銀さんはゆっくりと話し始める。それは、俺の想像を超えた内容だった。
「4年程前、東と西が莫大な利権を賭けて麻雀勝負をした。日本全国から名のある打ち手が集まりしのぎを削ったが、勝ったのは当時13歳の少女だった」
……え?
ドクンドクンと心臓が強く脈打つのを感じた。裏社会の麻雀勝負、それに勝ったのが13歳の少女?
常識的に考えれば有り得ない話だ。裏プロといえば負ければ手足や命を支払わされるというとんでもない代償の中で勝ち上がって来た強者ばかり、その中で幼い少女が勝てるはずがない。
だけれども俺には心当たりがあった。当時13歳というならば今は17歳、死線を越えた匂いを放つ白髪の少女を俺は知っていた。
「そいつの名前は蓮。かつて裏社会トップと謳われた伝説の博徒赤木しげるの娘、そして現裏社会最強の博徒だ」
頭が真っ白になる。蓮が裏社会最強の博徒?ただ者ではないと思っていた。だけれどもそんな遠い地点の人間だとも思っていなかった。
その時後ろからツモ、という声が聞こえた。振り向くとそこには牌を倒す蓮の姿が見えた。