「おお、森田。どうだった蓮は?」
戻ってきた俺に安田さんが駆け寄る。その際視線が俺に集まるのを感じた。
この場にあまりにも強烈な爪痕を残した蓮、まるで奇跡のような闘牌に誰もが心を奪われた。
その圧倒的な才能を持つ少女が俺の恋人であることはこの場の誰もが知っている。蓮は俺の恋人だと言ってこの誠京麻雀に参加したのだから。
でも蓮は俺を手助けしにきたのではなかった。全てが終わり開かれた手牌を見て俺は愕然とした。
蔵前の最後のツモは中、そして石井の手の中には發がひとつ。
蓮は言っていた。中をツモ切っていなかったら森田さんが和了していた、と。
俺が中を鳴かなければツモは發と中だったのではないだろうか?
それを理解した瞬間ゾクリと肌が粟立った。俺のツモる牌を知っていた?そんなことはあり得ない、勘が冴えているとかそういうレベルではない。
理外の領域、神がかっている。場の流れを人の意識を全てを支配した。
そしてそれを信じ切った。疑うことなく自分の考えを信じ切っていた。揺れたから俺は負けた。そういう勝負だった。
蓮はけして揺れなかったのだ。
ふと顔を上げると蓮が銀さんと話をしているのが見えた。それと同時に周りの観客の会話が耳に入る。
『あれが、蓮か。とんでもない博徒もいたものだ』
『あの歳で恐ろしいものだ。蔵前氏の財産を根こそぎさらっていったぞ』
『平井もとんでもない手駒を持っていたものだ。あれはまだまだ稼ぐぞ』
『だがヒモ付きならばどうとでもなるだろう。あの森田というのが恋人だろ?ならばいくらでもやりようがある』
カッと胸の奥が熱くなる。こいつらよりにもよって蓮を利用しようとしてやがる。
この蓮の闘牌を見てそんなチンケな発想しか出てこなかったのか?そんなんじゃなかっただろ。いくら稼いだとかそんなんじゃねえ。
蓮はカッコ良かった。たった1人で巨額の資金を持つ蔵前に挑み勝ち切った。自分をけして曲げず信じ切った。蓮の凄さはそこにある。
これは生き方の話だ。あの魂に訴えかけてくるような闘牌を見て出てくるのが金の話だなんて腐ってやがる。蓮の生き様を見て感じるのがその程度のことなのかよ。
これではダメだ。俺は蓮の重荷になる。向こう側にいる蓮をこちらに引き戻す楔になる。
蓮の足を引っ張る真似はしたくねえ。
銀さんの横をすり抜け出ていこうとする蓮の後を追う。
呼び止めるといつものようにガラス玉のような目で笑いかけてきた。勝負の熱はもうない。日常で出会ういつもの蓮だ。
ふたり無言で外に向けて歩く。無言でいることは別に珍しいことではない。お互い口数が多い方でもないしただ隣にいるだけで蓮に寄り添えている気がしていた。
だけれどもう蓮の隣にいられることもなくなる。
『蓮、君は凄かったよ。只者じゃないと思っていたけどここまでとは思っていなかった。奇跡を見たよ』
『……どうも』
外に出て誠京麻雀で感じたことを伝えると蓮はぶっきらぼうにそう返す。別に怒っているわけではない。蓮はいつもこんな感じだ。
もう最後かもしれない。だから知りたかったことを蓮に聞く。
『俺と君では見ている世界が違った。俺はリアルを見ていた。だけれども蓮は全く違う世界を身を置いていた。君の見ている世界を知りたい。蓮は何を目指しているんだ?』
蓮に何か追い求めているものがあるのは感じていた。だけれどもそれが何かわからない。あの全てを支配するような闘牌をする蓮が何を求めているのか俺は知りたい。
『……ひとり、どうしても倒したい人がいる。その領域に私は辿り着きたい』
『蓮でも敵わないのか?』
驚いた。蓮でも敵わない人がいるのか?
『向こうは神様みたいなものだから、とんでもなく強い。それでも捕まえたい。
……うちのクソジジイには手を焼いている』
ドクンと大きく胸が脈打った。蓮は笑った。それはいつもみたいに口角が吊り上がっただけの笑みではなく、まるで自分の宝物を自慢するようなそんな顔だった。
蓮のこんな笑みを俺は見たことがない。先程の熱量なんかどこにもない。ただ普通の少女であると錯覚してしまいそうなそんな笑みだった。
今、俺は蓮の心に触れた気がする。
確か蓮には強い博徒の父親がいるって銀さんが言っていたな。そうか、蓮が超えたいのは父親なのか。
『俺も、だ。俺も超えたい人がいる。いつか俺は金と呼ばれる人間になりたい。銀さんを超えてそう呼ばれる人間になりたい』
天涯孤独な俺にとって銀さんはチンピラだった俺を救い上げてくれた恩人で学ぶことが多い師匠で共に仕事をする相棒で、
そして俺がいつか越えるべきハードルだ。蓮も同じなのだろう。家族でありながらいつか父親を超えたいのだろう。
俺達は同じ方向を見て歩いている。ならば隣にいなくともまた交じり合うこともあるだろう。
『蓮、俺達はここで1度別れよう。俺はまだ君の隣に立つのに相応しい男ではない。いつか俺が金と呼ばれたら君の隣に立たせてくれ』
1度蓮の頭に手を置く。見上げる蓮の瞳はやはりガラス玉のように綺麗だ。あの全てを狂わすような熱量は息を潜めている。
未練になるから振り向かずにその場を去った。今はダメだ。今の俺では蓮の足を引っ張るだけだ。いつか隣に立てるようになったらその時にまた会いにいこう。
だから今注目を集めたこの場で俺ははっきりと自分の意思を示す必要がある。会場の皆が蓮の行方を気にするこの場で俺は口を開いた。
「蓮とは別れてきました」
「はぁっ!?おまっ、なんでっ!!?」
安田さんが心底信じられないと言った顔でこちらを見るが俺は蓮を利用するつもりはないのだ。蓮の勝利を自分のものにしてしまうつもりなど毛頭ない。
今の会話はこの場にいる全員に聞こえただろう。これでもう俺は蓮と赤の他人、俺を通して蓮に楔を打つなんて真似はもうできないのだ。
「今の俺には相応しくないと思ったので」
「だからと言ってこのタイミングで別れてくるかよ! お前が蓮の恋人じゃなかったらこの麻雀の勝ち分だって」
「良いじゃねえか、森田らしくて」
尚も食い下がってくる安田さんを制したのは銀さんだった。銀さんは俺を見てフッと笑う。
「銀さん!だけどよ、このままじゃ俺達の儲けがパァだぜ?向こうも森田が蓮の恋人じゃないってことになったら勝ち分の清算に納得しないぜ?」
「身体張ったのは森田なんだから好きにさせてやれ。その領分については俺達の腕の見せどころだろ?」
銀さんは蔵前側の人間と交渉を始めた。蓮と別れたという俺の言葉をしっかり聞いていた蔵前側の奴らは勝ったのは蓮であるからもはや蓮とは関係のない俺達に支払いをする必要はないのだと主張する。
それに対して銀さんは森田の立ち位置とは関係なく蓮は俺に処理を任せたのだから口を出す権利があるという。
結局、元々俺達の報酬である500億、つまり8人の代議士の借用書を得て残りについては蓮の意向を聞いて請求するということになった。蓮は蔵前の資産に興味がない。つまりこれは4兆の勝ち分を事実上放棄することになる。
だけれどもこれに対して蔵前は喜びの声を上げない。それどころか一言も話さず『ぁ、ぁ……』と意味のない音を繰り返し発するだけだ。あの圧倒的な敗北に蔵前の心は耐えられず朽ちたのだろう。
蔵前は再起不能となったのだ。
結局この夜に動いたのは500億分の代議士の借用書だけだ。4兆の勝ち分は消えて無くなり誠京グループはこれまで通り存続する。
だけども今日のことは人々の記憶に残っている。例え本当に得ることはなくとも蓮が蔵前相手に起こした奇跡をここにいる全員はきっと忘れないだろう。
蓮は伝説になったのだ。
「ったく、森田も強情なもんだな。あのまま蓮と恋人でいてくれたら誠京グループをまるまる乗っ取ることもできただろうによ」
「ああ、全くもってもったいない話だな」
帰りの車の中で安田さんと巽さんがぶつくさと言っている。だが何度思い返しても後悔はない。あれは蓮の勝ちなのだ。俺が貰い受ける理由など何処にもない。
「良いじゃねえか。無欲だからこそ森田もあの蓮と付き合えたんだろうよ。当人のことは当人に処理させてやれ。そういう意地を張るのも悪くはないさ」
ひとり、銀さんだけは俺の考えを尊重してくれる。4兆をふいにしたというのに未練も口にしない。
やはり銀さんは他の人達とは何処かしらかが違う。見ている視点が立っている世界が俺達とは違うのだ。
いつかこの人を俺は超えたい。カネだけじゃない、それだけでは勝ち得ない世界にこの人も身を置いている。いつかこの人を超えて俺は金になる。
そうしたら蓮、君に会いに行こう。後ろから手を伸ばしているだけじゃない。同じ視線で同じ世界で物事を見ていきたい。
君の隣に並び立ちたいんだ。
次でラスト