そっか、私振られたのか。そっか、そっか、
……ショックだ。
誠京麻雀の帰り道ひとりトボトボと夜道を歩く。当初の目的通り莫大な資産を持つ蔵前さん相手に勝ち切ることはできたんだけどその結果森田さんに振られてしまったのだ。そりゃ自分の和了を全力で邪魔してくる恋人とか嫌だよね。普通に考えれば仕方ないと思えることなのだけれどもそれでも気分が落ち込んでしまう。
森田さんは私にとって日常をくれた人だ。学校でも外でも私の扱いは何とも言えないものなのだ。
もはや不良のレッテルが張られているのか学校では誰も近寄ってこないし外を歩けばいかにもヤクザ風の人達にざわざわした感じで見られる。
ヤクザにも避けられるってどういうことなんだよ。私が何をしたというのだ。ただのセーラー服を着た、たまにギャンブルするだけの女子高生ですよ?世間の扱いが酷すぎる。
そんな中で森田さんだけが私に普通に接してくれた。動物園に行ったり水族館に行ったりクレープ屋さんに並んでベンチで食べたり、私とそういったことをしてくれたのは森田さんだけなのだ。
森田さんは私が望む日常そのものなのだ。一緒にいてこんなに安心する人は他にいない。でも私は森田さんに振られてしまったのだ。
やっぱり森田さんの大三元を邪魔したのはよくなかったかな?だけども例え何度繰り返そうがあの場になれば私は中を切る。
勝負の最中に後ろは振り返れない。躊躇いがあっては跳ぶことなどできない。全てを賭して駆けていく。そうでなければあちら側には辿り着けないのだから。
ということはどうやっても私は森田さんに振られてしまうということか。はぁ、つらい。めっちゃつらい。
こんなにつらいのは無一文で赤木さんに高レートのマンション麻雀に置いていかれて以来かも。手持ち0円なのにラス食うと500万くらい失う麻雀をさせられた時は血の気が引いたなぁ。
赤木さんは赤木さんで、『じゃあ俺は先に帰るから後は頑張れよ』とか言ってさっさといなくなるし、周り全員知らない人で心細いし、対面の『御無礼』とか言ってツモ和了するお兄さんはなんか異様に強いしで本当につらかった。
髭面のオールバックの品のいいおっちゃんに『御無礼言った後の傀と真っ向からやりあってプラスで帰れる奴は初めて見たぞ!』って褒められたけど必死過ぎてそれどころではなかった。黒ずくめの御無礼お兄さんに帰り際『……また卓上でお会いしましょう』とか言われたけど絶対に会いたくないわ。マジ強かった。
帰って赤木さんに文句言ってムカついたから晩ご飯は湯豆腐のみにした。赤木さんはブーたれてた。知らん。
あの時もつらかったけど今はそれ以上につらい。胸の奥にぽっかりと穴が空いている感覚だ。
森田さんがいなくなったことで私の一部も失ってしまったような気がする。
お腹がクゥと小さく鳴る。こんな気分なのにそれでもお腹は空くらしい。確か家に作り置きのカレーがあるから帰って食べよう。
夜道をひとり帰る。帰る。帰る。
ふと、そこで周りがやけに明るいことに気付いた。もうとっくに日が暮れているというのになんで明るいんだ?と不思議に思っているとその疑問はすぐに解消される。
轟々と立ち昇る炎が辺りを照らす。まだ春先だというのにやけに熱い。
見慣れた建物が炎に包まれていた。それ。見た瞬間唖然とする。うん、あのですね、
な ん で 我 が 家 が 燃 え て る の
そう、住み慣れた我が家が大炎上していた。ちょ、なんでこうなったし?タバコの不始末?赤木さーん!
せめてもの救いは我が家は街はずれにあるから焼けている家はうちの分だけということだ。そんなの救いでもなんでもないけど。え、ちょ、赤木さん大丈夫?うちのジジイは無事ですか?
焦る気持ちで我が家に向かうと家の前に人影がいるのが見えた。向こうもこちらに気付いたようでひらひらと手を振る。
「よう、戻ったか」
そういって赤木さんは手元のタバコをふかす。いやいや、火事なのに落ち着き過ぎじゃない?自分の家が燃えているんだから何か言うことがあるでしょ!
あと火元で平然とタバコ吸うのはどうよ?いや原因は知らないんだけどそれでもどうよ?なんとなくダメじゃない?
「何で家が燃えてるの?」
「ああ、ちっと積み上げ過ぎたから崩しておこうと思ってよ」
ふーっと赤木さんが息を吐く。え、積み上げた?何のことです?
「どういうこと?」
「勝ちを積み過ぎたってことだ。この辺りじゃ何処へ行っても顔を知られている。そうだろ?蓮。そいつはちっとよくねえ。俺の経験上勝ちは積み上げ過ぎると身動きが取れなくなっちまう。そうなる前に崩しておこうと思ったのさ」
赤木さんは淡々とそういう。勝ちを積み上げ過ぎている、赤木さんの言っているその意味はわかるような気がした。
道端を歩いていればヤクザに頭を下げられる。学校に組の抗争の話をしにやってくる。どこかに顔を出すと『蓮だ、あの蓮が来たぞ?』と名を知られている。この3年で積み上げてしまったものが確かにあった。
そういうのは生きにくいと言っているのだ。この身ひとつじゃない、周りにベタベタと付加価値を勝手に付けられているのがやりにくいのだ。自分の思うように生きるのに楔はいらない、赤木さんの言っていることはそういうことなのだろう。
だから帰る場所を消したのだ。この火事はきっと赤木さんの仕業なのだ。今まで積み上げてきたものを無かったものにする為に全て灰にした。
言っている意味はわかるんだけど燃やす必要あった?普通に家出たらよかったよね?鞄とか教科書とか全部燃えたんだけど明日からどうやって学校行けばいいんだろう。絶対やりすぎだわ。
「燃やすのはどうなの」
「ヤー公に連絡入れといたから後処理はしてくれるはずだぜ」
そういう問題ではない。
「で、この後はどうするつもり?」
「特に決めてねえよ。気の向くままに適当に行くさ」
「ふーん」
「よし、じゃあ行くぞ蓮」
赤木さんは吸っていたタバコの火を石垣に押し付けて消すと燃える我が家に放り込んだ。この人、相変わらずモラルないなと思ったがそれよりも言われた言葉に衝撃を受ける。
え、じゃあ行くぞ?それって、
「ついていっていいの?」
「ん?当たり前だろ?」
平然とした顔で赤木さんがそういう。私が赤木さんに付いていくことを何の憂いもなく当然だと思っているのだ。
全身に衝動が迸った。赤木さんが私といることをあたり前に思う、それはとんでもない奇跡に思えた。
赤木さんは何も持ち得ない。地位も名誉も富も財産もそんなものに興味を持たない。何も持たない。その身ひとつでこの世を渡り歩いている。
だというのにそのひとつ残った命すらあっさりと捨ててしまえる。何かを保持することに興味がなく、むしろ邪魔だとすらに思っている。赤木さんをこの世に繋ぎ止めることの出来るものなどありはしないのだ。
なのについて行ってもいい?今、全てを捨てようとしている赤木さんの逃避行に私が付いて行ってもいい?
赤木さんはこの3年間で積み上げたものを全て更地にして姿を消そうとしている。自分らしく生きる為にこれまでの勝ちを捨てその身ひとつにしようとしているのだ。積み上げた物を崩そうとしている赤木さん、だけれども傍にいてもいいと言う。
赤木さんにとって私は日常なのだ。
「おーい、蓮何してるんだ?行くぞ」
赤木さんがひらひらと手を振り歩き出す。周りもガヤガヤとしてきたから人が集まってきたのだろう。
わかっている。赤木さんについていくということは平穏な世界を捨てることだ。高校行って大学行って就職して、というあたり前の未来は来ないだろう。思い描いていた穏やかな人生を望むことは出来なくなる。
それでも赤木さんと共にいられることはそれらを凌駕する。
「勿論。ジジイの世話する人がいないと困るからね」
赤木さんを追う。神様を追う。いずれ来るかもしれない決断の日にこの人を失わないように走り続ける。だけれども、もし叶うのならば
私は赤木しげるをこの世に繋ぎ止める何かになりたい。
◎銀と金編の蓮の最終収支
•恋人に振られる
•家全焼
•無一文
\(^o^)/