2015年度に執筆/総合文化祭への投稿に際しボツとなった作品。


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ワタシとハカセとタカシくん/2016

 午後七時のニュースが茶の間に流れているようです。内容は……ふむふむ、ブラック企業についてですか。近ごろはよく聞くワードですね。深刻な社会問題だそうで、「カロウシ」なんていう言葉も生まれたりしているみたいです。なんでも、基準の労働時間を大幅に越えた残業を強いられるとかなんとか。対義語としてホワイト企業なんて言葉も出てきました。いやはや、新しい言葉がすぐに伝播する情報化社会になりましたね。

「ところでハカセ、どう思いますこれ? ワタシたちなんてずっと働きっぱなしじゃないですか。これはもうブラックどころではありませんよね! ダークですよダーク!」

 視覚スクリーンとして映されているニュース映像は、タカシくんが見ている景色そのものです。口を尖らせながらデスクチェアに座ってそれを眺めていたワタシは、調整とは名ばかりの機器いじりをしているハカセに問いかけます。

「助手よ。私たちもまた、人間の一部なのだぞ。タカシはどうだ? 毎日だらだらと学校へ行って帰ってゲームして寝るだけのホワイトすぎる生活を送っているだろう。故に我々も十分すぎるホワイトだ、いやホワイトどころかアクリルなみに無色透明、無味無臭だ」

「支離滅裂なことを言わないで下さい……まあ確かにそのくらい味気ない仕事ではあるんですけども」

 因みに現在は、タカシくんが視覚として現在進行で得ている情報を、脳内の記憶を司る機関へと転送しています。人はあらゆる情報を五感として認識、変換させて脳へと送るのですが、脳内にもまたそれぞれの情報の専門機関が存在するのです。ワタシたちが担っているのは「感情」のコントロールですから、専門外の情報は他のところへと回すことになります。

 ワタシたちがいる、多くの危機に囲まれた密室空間――さながら極秘機関の研究施設のようです――は、『感情コントロールセンター』と呼ばれる脳のいち機関です。名の通り、タカシくんの感情をコントロールするのがワタシたちの任務であります。

 感情というものは、人間が生活していくうえで頻繁に発生するものです。例えばスポーツの試合を観戦して盛り上がるとき、例えば気になる異性と対峙したとき。言い出せばキリがありませんね。

 感情が存在することで人間らしく、また人間として楽しく生きていくことができるわけなのです……が、感情はときに、人間に凄まじい概念を生み出させてしまう場合があり、さらに言えば社会的ルールに反する行動へと走らせてしまうこともあるのです。それを阻止するべく存在するのが、ワタシたち。感情をコントロールすることを任務としているワタシたちにかかれば、大抵の感情は抑えることができるのです。

 見上げるような巨大装置のツマミをあーだこーだ言いながら動かしているのが、ハカセ。この機関の責任者です。彼が任務を主導していきます。

 でもって、ワタシは博士の補佐役であります。ハカセの第三の腕となって、せっせか働きます。そんな立ち位置もあってか、ハカセからはもっぱら「助手」と呼ばれているこの頃です。

「助手よ。私たちがブラックだとは言うが、タカシが眠るときは我々も休息できるだろう。ここより酷い機関などザラにあるのだぞ」淡々とした口調で、ハカセが言いました。

「そうは言ってもですよ、タカシくんときたら、夢の中でも色々と感情が昂ぶったりしているじゃありませんか⁉ どんだけ多感なのですか⁉ 先日もここに協力の要請がひっきりなしに来てましたよね!」

 タカシくんはよく夢でも感情を露呈することがあります……その場合は、ワタシたち感情コントロールセンターの御役目、ということになるのです。あまりに感情を高めすぎると、眠っていても危険なのです。寝言とかですね。

「高校生とは、そういうものなのだ。そんな思春期の少年の感情コントロールを任されている以上、私たちは懸命に働かなくてはならない。タカシが生き続けている限りはな……それが私たちの宿命というものなのだよ」

 カッコつけて締めくくっていますが、ワタシだってそんなことはとうの昔から知っています。

ワタシはハカセの相手をするのをやめ、さっさと自分のデスクに向き直りました。映し出されている視覚スクリーンを再度、見やります。

「あ……タカシくんがテレビから離れましたね。これから宿題でしょうか」

「助手よ……いつになったら学習するのだ。タカシが宿題などやるわけがなかろう。いつも朝学校で焦燥感に駆られながらペンを動かすのがタカシのやり方だ」ハカセは嘆息しながらぼやきます。

 ハカセの言葉通り、タカシくんは自室へ着くやスマートフォンを取り出して、ベッドへダイブしました。スマートフォンの画面上に表示されているのは……今や知る人はいないほど、有名な巨大掲示板のようです。タカシくんが生まれた頃にはまだ存在していませんでしたが、こういうところでも情報化社会を感じさせます。

野球が好きなタカシくんは、画面上をなぞって野球専門板へとスクロールしています。

「今日もくだらんレスバトルでもするつもりだろうな。助手、用意しておけ」

「はい……了解です」

 掲示板ではしばしばレスポンスを通してバトル(通称レスバトル)という名の罵りあいが発生します。タカシくんが推すメジャーリーガーのアンチスレッドなど見つけようものなら、タカシくんは怒り心頭でそのスレッドへ乗り込んでいくのです。

 あーあ、今日も見つけてしまいました。スレッドタイトルから煽り言葉が満載です。こちらからはタカシくんの表情を窺うことはできませんが、さぞ瞳孔が開かれていることでしょう……途方もない怒りで。

「う~、まずいですね……」

 機器類を覗くと、怒りの感情メーターがずんずん上昇しています。それと同時に、ハカセとワタシの操作もやや乱雑になっていきます。

 そうです、やっかいなのはタカシくんが怒ると、ワタシたちも段々とイライラしてきてしまうのです! いわゆる共鳴です。ワタシたちもタカシくんの一部なのですから、当たり前なのかもしれませんが……実に面倒です。イライラしすぎて、本来の任務を果たせなくなることもあるのです。

 視界スクリーンに目をやると、ああもう! あんな汚い言葉をムキになって打ちこんでいますよ。本当にレベルの低い争いですが、本人たちは本気です。情報化社会の弊害とでも言いましょうか、こんなことでワタシたちまで大わらわにならざるを得ないことがよくあります。

 なんとか怒りを抑え込もうと必死に調整しますが、いかんせんタカシくんの立腹は落ち着きません。

「参ったな……助手よ、救援依頼を出せ。タカシの気を別方面に向かせるぞ」

「しかしハカセ、どこに依頼を出せば……!」

「あれだ、今日は特に宿題が多かったはずだ! 海馬あたりに伝えとけ!」普段は冷静なハカセも、このときばかりは苛立ちまぎれです。

 記憶を司る海馬――通称『記憶センター』――に救援を求めて連絡します。

「こちら『感情コントロールセンター』です! タカシくんに今日の宿題のことを思い出させて下さい! このままでは非常に危険です!」

 何を隠そう、タカシくんのスマートフォンは二代目なのでありました。過去にレスバトルで惨敗し、自暴自棄になってスマートフォンを壁へと投げつけ破壊させてしまったことがあります。

『了解しました。こちらでも尽力します』

 ワタシたちも必死になってコントロールを試みます。ああ、アドレナリンがあんなに副腎から分泌されています。ワタシもイライラで目の前の機械に拳をくれてやりたくなりますが、ぐっと抑えます。

 ふと、レスポンス中の言葉に英語を見つけたタカシくん。はっと我に返ったようです。気付きました、今日は英語の宿題がたくさんあったことを。朝にやっても終わらないと瞬時に判断したタカシくんは、思い立ったが吉日、スマートフォンの電源を落とし、急いで勉強机へと向かいます。

「ふぅ……どうにか、収まりましたね……」

 熱が冷めるのは早いものです。今まであんなに激しかった感情の昂ぶりが、既に八割近く下降していました。何と言いましょうか、人間って単純です。

「助手よ、お疲れさん。まあ飲め」ハカセから手渡されたのは、お待ちかねの栄養ドリンクでした。ブドウ糖がたんまりと配合されています。とても甘くて、疲れが一瞬にして吹き飛ぶ優れもの。

「今日のは久しぶりに大変でしたね」

 だらりとデスクチェアの背もたれに寄りかかりながら、ワタシは手渡された栄養ドリンクをちょびちょびと飲みます。タカシくんは英語の課題に夢中。ワタシたちの出番はしばらくなさそうです。

「タカシにも、そろそろ大人になってもらいたいものだがな。顔の見えない相手というのは互いに手加減をしないことが多い――ネット上に悪口雑言が絶えないのにも、利用者の幼児性の高さが窺えるな」

 大人になれない大人ばかり――まさにインターネットの悪弊というところでしょう。直接利用しないワタシたちだからこそ、その短所がはっきりと見えてくるのかもしれません。実際に使ってみたら、恐らく長所ばかりが頭に浮かぶのでしょう。何せ、見ているだけでも便利そうですから。

「ハカセだったら、使ってみたいですか? インターネット」

 唐突ですが、ふと気になったことをハカセに質問してみました。

「……さて、どうだろうな。使ってみたい気持ちもあるが、こうも客観視せざるを得ない状況に置かれていると、使わない方が正しいように思えてくる」

「ワタシは使ってみたいですけどね、インターネット。だって楽しそうじゃないですか、罵りあいを含めて」

 ハカセは一瞬驚いたような表情を見せましたが、すぐにいつもの冷徹な顔に戻り「助手とは一生気が合わなそうだ」と呟きます。それはこっちのセリフですよ……。

 インターネットに起因する悪い影響が多々存在することは否めませんが、だからといって利用を避けるのもどうか? というのが、ワタシの考えです。正しく適度に利用する分には、何も悪いことなどないはず。ただ……自分に歯止めが効かないような人は、手を出さない方がよろしいかもしれません。例えて言うなら、ハカセみたいな人は。

 悪意のあるニヤケ面をハカセに送ると、むっとした様子で睨まれました。どうやら自覚がおありなようです……ワタシは知らないふりをして、再び自分のデスクへと視線を移しました。

 

      *

 

 いけません、また感情メーターの値がぐんぐんと上昇傾向にあります。視覚スクリーンに映るのは……女の子です。ワタシの目から見ても、かなりの美人さんです。すべすべした肌に、ややくせのある髪がかかっていて、大きな瞳がその隙間から覗いています。ああ、どうしましょう。彼女こそが、タカシくんが恋慕してやまないミナミちゃんです!

「助手よ! 落ち着くのだ。お前が紅潮してどうする!」

「し、しかしハカセ! こんなに胸がドキドキするのは久々で……」

 凄いです。顔を見るだけでドキドキ。ミナミちゃん、と口にするだけでドキドキ。やってられません。

「全く……タカシも助手もくだらんな。あのミナミとかいう女と結婚できるわけでもないだろうに。一切合切理解できんな」

 ハカセは非常に非情です。青春くらいドキドキしたっていいはずなのです。恋することで、学べることもたくさんあるのですから。

「結婚できるとかできないとか、どうでもいいんですよ! それよりほら、ハカセ! 仕事ですよ仕事! 今からタカシくん、ミナミちゃんに告白するんですから! せめて噛まない程度には落ち着かせてあげましょうよ!」

 そうです、今こそはタカシくんの心に一生刻まれるであろう重大なイベント、告白が始まろうとしているのです。もう前日からタカシくんドキドキでした。ワタシもドキドキです。

 ハカセ自身も、多少はドキドキのタカシくんと共鳴しているはずなのですが、何しろあの性格です。まるでやる気が感じられません。

「噛ませておけばいい。こんな女、タカシには勿体ないだろう」

「十分です、というか十分すぎます! これは優良物件間違いなしです」これこそが女のカンと言ったところでしょうか。ワタシとしては、何としてでもタカシくんとミナミちゃんをくっつけさせてあげたいものです。

 ぶつぶつ言っているハカセをそっちのけに、ワタシは感情のコントロールを始めました。この局面、いかに落ち着いていられるかが重要なのです。冷静に求愛の言葉を紡ぐこと、それが勝負強さのアピールにもなるのですから。

「ちょっとハカセ⁉ 働いて下さいよ! この間『私たちは懸命に働かねばならない。キリッ』って自分で言ってたじゃないですか⁉」

 ハカセはフン、と鼻を鳴らし、

「『キリッ』は余計だ。私はそんな格好つけた言い方はしない」

 嘘つきです。というか忘れんぼです。そしてその言い草も十分カッコつけてます!

 ああ、遂にタカシくんが愛の言葉を紡ぎ始めました。流石は文系の生徒と言いましょうか、言葉そのものは優れています。絶妙な単語のチョイス、これは相当の語彙がなければ成せない業でしょう。

 あ、あ、でも段々と詰まり始めました。呂律が上手く回っていません。ワタシの腕では、これ以上興奮を抑えるのは厳しいです。

「ハカシェ!」

「お前も呂律が回っていないぞ、助手よ」

 ハカセは嫌々ながらに機器に手を付けました。なるほど、今更ですが手際がいい。これこそが、ハカセが永遠にハカセであり、ワタシが永遠に助手であることの理由でしょう。変わることのない技量の差がそこにはあります。

 ハカセの援護もあり、何とかタカシくんは噛まずに済んだようです。あとは返答を待つばかり。ここが最も緊張する瞬間です! タカシくんの胸の動悸がこの地点まで聞こえてきます。……幾秒の時間が、永久に感じられます。息がつまるような苦しさも覚えます。

『せっかくですが、お断りします。私、まだ恋愛とか分からないって言うか……そういうのは、大人になってからの方がいいかなって。ごめんなさい』

 ガーン! 頭を金属バットで殴られたような衝撃が、タカシくんを襲いました。それに伴い、ワタシにも衝撃が降り注ぎます。

 御通夜ムードの中、一人勝ち誇ったような顔をしているのはハカセでした。

「そうら見ろ、あの女はよく分かっている。前言撤回だな、ミナミにタカシは勿体ない」

 ワタシはショックでヘロヘロになって、力が抜けたようにへたり込みました。タカシくんも、失恋というおもりに膝を折られ、四つん這いになって床の一点を茫然と見つめています。

「うぅ、悔しいです。私の技量が足らないばかりに……」

 タカシくんに申し訳ない気持ちが溢れてきます。どうして自分はこうも情けないのだと、自問自答を繰り返します。

「案ずるな、助手よ。あれで正解なのだ、タカシに恋愛などまだ早い」

「しかし……青春ですよ⁉ 恋したい時期じゃないですか!」

 ハカセは恒例のブドウ糖の栄養ドリンクで喉を潤しながら、淡々と反論します。

「それこそが間違っている。そもそも高校は恋愛をするところではない。勉強が完璧で、息抜き程度に恋愛ごっこに手を出すならまだ分からんでもないが、タカシは第一勉強ができないだろう。だから奴にはまだ早い」

 考え方が一昔古いようです。郷に入れば郷に従え……ではありませんが、今どきの高校生事情を踏まえたうえでの発言だとは到底考えられません。

「ハカセは考え方が偏りすぎです! この時期は例外なく恋に芽生えたりするものなんです! ……それに、今どきの恋愛なんてハカセが想像しているそれとは大違いですよ。付き合い始めて一年経っても、まだ手を繋いだことのないカップルだっているらしいんですから」

「それもまた、一部の極端な例だろう。精神的に未熟なタカシに恋愛などさせれば、いつ理性というリードが千切られるか分かったものではないからな」

 こうまで言われてしまうと、ワタシには言い返す言葉がありません。要はタカシくんへの信頼の問題なのです。確かにタカシくんには、まだ幼い部分がありますが……それにしても、ハカセのタカシくんに対する信頼は薄いようです。

「……タカシが未熟、ということは我々もまた未熟だということだ。その点を踏まえて、我々は慎重にタカシの様子を見守らなくてはならない。違うか? 助手よ」

「う……ごもっとも、です」

 そうでした。タカシくんとは言いますが、その正体はワタシたち自身でもあるのでしたね。ワタシたちがタカシくんを幼いと言うのなら、その言葉はそっくりそのまま、ブーメランのごとく帰ってくるわけです。

「つまりはタカシくんが未熟である限り、ワタシたちも未熟であり続ける、と」

「その通りだ。少しは勉強になったかね、助手よ」

 傲岸不遜に言っていますが、ハカセもまた、自分自身に対する信頼、または自信というものがあまりないのでしょう。無論それは、ワタシも同じです。

「いつかタカシが自分へ明瞭な自信を持ったとき、そのときこそ我々も精一杯胸を張れるのだ。それまでは、まだまだ我慢の連続だろうが……覚悟はいいかね、助手よ」

我慢とはそれすなわち、ハカセの方針に従うこと。例え納得がいかずとも、ハカセを信頼すること。それこそが、ワタシが成長するために必要なことなのかもしれません。

「はい! 勿論ですとも!」

 ワタシは元気よく、返事をしました。

 

      *

 

――こちら、感情コントロールセンター。ワタシとハカセはこれからも、タカシくんと共に歩み、共に成長していきます。

 いつの間にか、気分は清々しいものになっていました。ふと視界スクリーンに視線を移すと、タカシくんは目に涙を溜めながらも、きちんと前へ邁進しているようです。

「この瞬間にもまた、成長したようだな」

 ワタシは嬉しくなって、ハカセに微笑みます。ハカセもまた、滅多に見せない笑顔を零しました。

 タカシくんが成長したということ――それは、ワタシたちもまた一歩、成長したということなのですから。



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