2015年度に執筆/県総合文化祭へ投稿し、入賞(五席)。

1 / 1
秋津川の幽霊/2015

「毎晩、聞こえてくるんですよ。娘が怖がるから、早く秋津川から退くように言って下さらない? 勿論貴方が」

 村のすぐ傍らを流れる、秋津川という河川がある。土手沿いにはいくつかの民家がぽつんぽつんと間隔を空けて建っているのだが、そのうちの全てから僕の元へと苦情が入った。

 僕は除霊師でも何でもないんですよ、と反論する前に受話器は下ろされ、ピーという電子音だけが僕の耳に重く響いた。

 秋津川で幽霊が出るとうわさされ始めたのは、数年前のことだ。

 裸足で川辺を、ぱちゃ、ぱちゃと音を立てながら歩く音が、数十メートル離れた民家まで聞こえてくるらしい。――不気味な笑い声と共に。

 そんな馬鹿な話があるかと思ったが、近年特に酷くなっているらしく、その度に僕の実家の電話が鳴るようになった。

 僕もそんな所へは行きたくないし、こっちにも意地があった、だから今まで断り続けていたのだが……しかしいよいよその影響が多大なものになってきているというので、僕は意を決し、ある夜に秋津川を訪れることにしたのである。

 目撃情報によると、その霊は小柄な女の子で、いつも麦わら帽子とサンダルを身に着けて、夜な夜な川辺を歩き回っているらしい。

 僕が行ったから解決するとも思えない問題だが、訪ねてみないことには何も分からない。もしかしたら受話器の向こう側の人たちが口をそろえて言うように、「貴方が行ってあげれば、満足する」のかもしれないのだ。

 

      *

 

 初夏、晴天の夜。月明かりがすすきの穂を照らして、穂先がゆらゆらと揺らめいている。僕はその陰に身を潜めながら、例の音が聞こえてくるのを待っていた。

 田舎の夜というものは意外に五月蠅くて、あちこちから虫たちの声が溢れてくる。でも煩わしいかと問われれば案外そうでもなく、むしろこれが夜の素顔なんだと思いながら、僕はどこかで深夜の外出を楽しんでいるのかもしれない。

 空気のにおいも、昼間とはまるで違う。どこか落ち着かせるような、清らかなにおいだ。

 こんなに綺麗な夜はいつぶりだろう。できるなら、このまま夜明けまで独り占めしていたい……そんなことを思っていた僕を弄ぶように――

 ぱちゃ、ぱちゃ。

 僕は陰から、電光石火の速度で河原へと飛び出していく。

 しかし、それを目に入れた瞬間、僕の足は蝋人形のように止まってしまった。

「……嘘、そんな……」

 幼馴染の絵美が、にこやかな笑みで僕を見つめている。

「ヤーくん、久しぶりだね。いつぶりだっけ」

 僕の網膜は、ひたすらその超常的なものを捉え続けていた。

 麦わら帽子にTシャツ、短パン、サンダル。

 まるで成長しているようだ。絵美の目線は僕とほぼ変わらない位置にあった。

「やっと、機嫌直してくれたんだね。嬉しいなあ――」

 逃げようとしても、金縛りにあったように微動だにしない身体。いくら警鐘を鳴らしても、手足はピクリとも動かなかった。

「待ちくたびれてたよ。あの日からずっと」

 ぱちゃ、ぱちゃ。

 

「来るな――――っ‼」

 

 絵美は怖気づいて、わっ、と身体を引いた。

「……僕は家に戻る。川に行きたいなら、一人で行って来れば」

 僕は確か、そうやって絵美を撥ね退けた。

 時は小学校低学年。僕はいじめられっ子で、少ないクラスメイト達の中でも浮いた存在だった。

 そんな僕にも一人だけ味方がいた。村の中でも家が近かった、幼馴染の絵美だった。

 いつもいじめっ子に泣かされては、絵美が母親のように慰めた。ある種絵美は、学校での母親役といったような位置づけが、無意識に僕の中でできていたのかもしれない。

 ある日。いつものように絵美の元へ向かうと、いじめっ子たちが自分たちの周囲を囲んだ。

「やい、泣き虫ヤーは絵美ちゃんにだっこしてもらうぞー」

「絵美ちゃんに甘えてばっかり」

「絵美ちゃん弱虫に甘えられてかわいそー」

 絵美は激昂した。普段絵美は怒るような子ではなかったから、いじめっ子たちは大変驚いたようだ。

 三人が行ってしまうと、絵美は僕に優しく微笑んだ。それから、一緒に川へ遊びに行こうと言った。

 それは絵美らしい、単純な優しさだったのかもしれない。だけど僕は、絵美に対して、そして僕自身に対して無性に腹が立った。

 絵美は僕を甘やかせているんだ、と思った。それはつまり、僕が甘やかされるくらい弱虫で、子供であることの裏付けでもあった。

 

 絵美が死んだのは、僕の言葉通りに一人で川へと遊びに行った日だった。

 

「僕のせいじゃ、ないもん」

 絵美の葬儀の時、僕は大勢の前でこんな言葉を口にしてしまった。

 それがやってはならないことであるのは、そんな歳でも分かっていたのだと思う。だけど僕は、どうしても自分の意見を皆に伝えようとして、失敗した。

 かねてより、絵美が死んだのは、僕が突っぱねたからだとかいううわさが広まっていた。絵美は頭の回るできる子供であり、無垢で純粋な心の持ち主だったから、僕の言動に傷ついて、もしかすれば自分で死を選んだのはないかなどという妄言が飛び出した。そんな中で行われた葬儀での出来事だったから、その後の僕及び僕の家族への風当たりが強くなったのは、言うまでもない。

 それから五年ほど月日が経った頃に、「秋津川に絵美ちゃんの霊がいる」といううわさが広まった。

 僕としては、これほど頭に来たことはなかった。ようやく落ち着いてきたところで、また僕を非難する流れに持って行こうとしている輩がいたのだ。

 どうせいじめっ子が策略して流した嘘なのだろう。こちらとしてはもう、思い出させてほしくはなかった。しかしそれを許さずといった具合に、責任とって秋津川まで確認しに行け、などという内容の電話が、毎晩かかってきた。

 対抗のつもりで、その指示に一切従ったことはなかった。そもそも事件以来、秋津川には意地でも入ろうとしなかった。

 あの場所に行けば、自然と思い返されてしまうような気がしていたのだ。あの時、自分の発言で大騒ぎになった会場を、半ばトラウマのように記憶していた。

 ふと気が付くと、誰かが後ろ指を指している。

「あいつが、絵美ちゃんを死なせたんだ」誰しもがそう口にしているように聞こえた。

 

「貴方が会いに行けば、もう電話はかかってこないかもしれないわよ。絵美ちゃんはきっと貴方に会いたがっているんでしょう。満足させてあげなさい」

 まるで、僕が秋津川に行けば、絵美は成仏するのだといった言い草だ。

 電話の内容は、最終的にこのように変化していた。何としても嫌がらせのように、僕に川へ行け、行けという催促の電話がかかってきた。

 

 うわさ話は嘘ではなく、ソースは秋津川でよく釣りをするという民家のおじいさんだったことが分かった。おじいさんが夜釣りをしている途中に絵美の霊を目撃してからというもの、立て続けに目撃情報が僕の元に寄せられた。何故情報が僕に集まってくるのか、甚だ疑問ではあったけれど、僕は黙って耳を貸すことしかできなかった。

 特に川沿いの民家からは、夜に川を歩いている音がするから来てくれと煩かった。そんなに嫌なら除霊師を呼んだ方が手早いだろうに、何故か文句が来るのは僕の家だった。

 

 高校生となった僕は、秋津川へ赴くことを決意した。

 

      *

 

 僕と絵美の間を通り抜けていた夜風は凪いで、辺りは水のせせらぎと、絵美が立てる水しぶきの音だけが、僕の耳朶を叩いた。

 不思議と落ち着きを取り戻していた僕は、彼女が近づいてきても、逃げる意思を持たなかった。

「大変だったよね。……ただの、不慮の事故だったのにね。貴方は何も悪くないわ」

 少し大人びた声をしていた。まるで、僕たちと同じ時間を過ごして、成長したかのように感じられた。

「どうしてまた君に慰められなければいけないのかな」

「あら? ヤーくんはいつも、私に慰めて貰っていたはずだけれど」

 この人には時の流れという感覚がまるでないのだろうか。僕だっていつまでも子供ではない。

「君がここでうろうろしているから、僕は未だに辛い思いをしている」

 絵美は、垂れた前髪を左手でぐりぐりと弄りながら、「そっかあ」と呟いた。その瞳は夜だというのに、自ら光っているかの如くきらりとしていた。少し口角を上げて、

「私がここからいなくなれば、貴方は幸せになるの? ここに来れば、いつでも私に会えるのに」

 からかっているのが明白だった。絵美としても、僕に何か気に入らないところがあるらしい。

「僕はうわさ話を聞いて、微塵も信じようとはしなかったよ。……本当に君がいるとは思わなかった」

 川の流れは変わらない。けれど、水が岩に打ち付ける音は、僕の感情の高ぶりと共に大きくなっていく気がした。

「僕は今現在、きみを必要としていないし、そもそも君は存在していないはずのものだ。君を悼む気持ちなんて、この数年間で流されてしまったよ、君が今浸かっている、そのせせらぎみたいに」

 絵美は河原には上がらず、足首ほどの水深の所で立ち止まっている。たびたび吹く風は、彼女の背中まで伸びた艶やかな髪を靡かせている。言わずもがな、水面に映る陰に、彼女のものはない。

「……それなら、貴方は今、私を恨んでいるの? こんな身で言えることではないのかもしれないけれど、貴方が私を恨むのは、些か見当違いではないかしら。それとも、私が貴方と出会ったという根本的原因をもたらした運命を恨んでいるのかしら?」

 恨んでいるのか、と言われれば、どちらとも言えなかった。彼女の言うように、僕が誰かを恨むとするなら、それはいじめっ子か、葬儀に出席した人々か、僕にしつこく電話をかけてきた人々か、その辺りが妥当なのかもしれない。

 しかし、僕の今現在――秋津川へ行け、と毎日電話がかかってくる直接の原因は、目の前の霊に他ならなかった。ここに行き着いた経緯はどうであれ、この霊が満足して幽界へと旅立てば、それでお終いなのだ。電話もかかることはなくなり、僕はあの出来事を思い出さなくて済むようになる。

 きっと誰もが、僕の感情に共感することはない。いや、共感などできるはずがない。僕じゃない誰かに僕のことが分かるなんて、そんなこと、幽霊よりも有り得ない。

「僕は悪くなかったって、今でも思っている。でも、村の人々はあたかも僕が君を殺したかのように仕立て上げた――それは過去のことだ。正直なところ、そんな過去は全て捨て去りたい。だけど……それなのに、君が邪魔をするんだ。僕はそんな君を恨んでいる」

 人間としての絵美は、完全無欠の女の子だった。何でもできたし、何より他人のことを深く思いやれる心を持っていた。……僕だって、最初の二、三日は涙が枯れるくらいに悔し涙を流した。

 だけど、時間と環境は僕を変えていったのだ。そしてそれらが変えたのは、僕だけじゃない。

「……ねえ、絵美。絵美はそんな人間じゃなかったよ。死んでからなお、変わってしまった。生きている僕と同じように」

 不意に、絵美は僕たちを照らす十六夜を見上げ、そこはかとなく満足したような声音で、言葉を口にする。

「なーんだ……。うんと、強くなっていたのね……」

 絵美は不意に、僕に背を向ける。そして背を向けたまま、反対側へと歩み始める。

 ぽちゃん、ぽちゃんと上がる水しぶきの音は、悲しげに僕の耳元へと届く。それは彼女の心の中の表情を、僕のために体現化しているようだった。

「私は、ヤーくんが不安だった。あれからずっと、ヤーくんは弱虫だったけれど――強くなったね。そしたら私は安心、かな」

 ぼちゃん。

 絵美の身体が崩れ落ち、水音を立てた。

虫たちの合唱と風の音、そしてせせらぎが、全てが終わった余韻として、いつまでも残っていた。

 

僕は突然、未練のようなものを心から溢れるほどに感じていた。

 

 

 

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。