無限ルーパー   作:泥人形

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は? 前回更新から一年以上経ってる? 気のせいじゃね?
※すまん一回投稿ミスしたから変になってるとこあるかもしれん、あったらこっそり教えてくれ。


旅の終わり/始まり@無限ループ

 カツカツと、果てがないようにも見える廊下に足音を刻む。

 真夜中──それも日付が変わってから二時間も経つ深夜の廊下にそれは酷く響いて、逆に言えばそれ以外の音は聞こえない。

 当然と言えば当然だ。

 こんな時間帯にこうして暢気に散歩しているような人間は稀だろう。

 それこそ、このカルデア内なら俺くらいのものなのではなかろうか?

 少なくともこの時間に誰かと会ったことはない。

 襲撃前ならいざ知らず、今や二十名ほどしかスタッフも残っていないし当たり前だ。

 そんなことを考えながら、綺麗に磨き上げられた廊下に音を響かせる。

 この行動自体に特に意味はない。けれど、俺はこの時間をそれなりに気に入っていた。

 カルデアは元々、二百人以上のスタッフが住み込みで作業していた大規模な施設だ。

 そこを、一時的とは言え自分が独占しているような気持ちになれて、少しだけ心地よい。

 何だかんだ昼間は誰かしらと遭遇することが多いし、気づけばメドゥーサやカーミラ、鈴鹿が俺の傍に引っ付いているからなおさらだ。

 この施設内において、俺が一人でいられる時間というのは意外と少なかったりする。

 それが嫌ということは決してないが、人間ってのは時折一人の時間が欲しくなったりするものだ。

 いや自室にいるときは大体一人なのだが、それはそれ。

 ベッドで一人だらけるのと、室内とはいえ散策するのはまた別物だ。

 それに遅い時間に出歩くのはなんだか、悪いことをしているようで気分が良い。

 ……メドゥーサあたりに知られたら、いつまで起きているつもりなのでしょうか、と静かに詰められそうだから、あながち間違いでもないか。

 そう考えればよく見つかってないものだなぁと思う。

 サーヴァントというのは俺たち人間と違って基本、眠りを必要としない存在だ。

 暇つぶしに出歩いていてもおかしくはなさそうだが……まぁ必要としないだけで眠ること自体はできる。

 人間があんまり寝てないと体調を崩すように、サーヴァントも意外と寝たりしなきゃ精神のバランスが乱れたりするのかもな。

 寝る、というよりは休む、の方が言葉選びとしては適格かもしれないが。

 結局のところ、人に限らず知性のある生命体は「必要性」を分かっていながらもそれの通りに動けるわけではないのだろうと思う。

 それは例えば感情だったり、欲だったりに頻繁に負けるものなのだ。

 その証拠という訳ではないが、今実際こうして俺は寝るべきであろう時間に出歩いている。

 ……まぁ、俺とて目的がない訳じゃあないのだが。

 自室から暫く歩いてやっとたどり着いた、一枚の扉の前に立ち止まり、胸ポケットからセキュリティカードを取り出す。

 カルデア所属の人間なら誰だって持っているものだ。

 ここはどの部屋にも鍵が付いていて、こうやってカードをかざしてやらないと開くことはない。

 ついでに言えば重要な部屋であればあるほど、上位の権限が付与されたカードでなければ開かないようになっている。

 どこででも見るようなシステムだ。ちなみに俺の権限は襲撃後、大幅に引き上げられたから早々入れない部屋というのはない。

 と言っても、今は電力の節約ってこともあって使ってないフロアには電気が回っていないから、そもそも開けられないという部屋の方が多いのだが。

 ピピッという聞き慣れたシステム音の後に、プシュゥッと扉が開く。

 一歩踏み込めば扉は直ぐに閉まり、パパパッと電気のついたそこで出迎えてくれるのは四十七つの棺。

 あの日、もうすぐ一年前の出来事になるカルデア襲撃の日。

 二百余名のスタッフは命を落とし、生と死のはざまにいた四十七人のマスター達は全員凍結保存された。

 カルデア所長──オルガマリー・アニムスフィア所長の指示だったという。

 処置としてはこれ以上ないほど適切な対応だっただろう。お陰で未だマスター候補達に限って言えば、誰も死んではいない。

 死んではないだけで、生きていると言って良いのかどうかは知らないが。それでもまだ、ここにいる。

 解放される時を待ち望んでいる……はずだ。

 少なくともその事実に心が支えられているところはあった。だからついそう思ってしまう。

 俺は、自分で言うのは何だが魔術師としては相当出来の悪い人間だ。

 その上何か身体を鍛えていた訳でもないし、性格だって聖人のそれではない。

 精神だって未熟で、精々褒められるのは諦めの悪さくらいだろう。

 それだって、窮地に追い込まれなければ発揮しなかったくらいの不出来な人間だ。

 想像力や見通しだって甘いから、正直なところ、未だに世界を救うという実感はわいていない。

 この長くて短い旅で得られたものは多すぎるくらい多かったけど、それでもやっぱり世界を救うなんて夢見がちな目標はちょっと手に余る。

 どの特異点でも、自分が生き残るのに必死すぎた。

 誰かを助けたいとは星の数ほど思ったが、最後には自分が死なないように立ち回るのに精いっぱいだった気がする。

 目で見える範囲ってのは思ってるよりもずっと狭くて、手の届く範囲はそれよりずっと短かかったから。

 それをいやなくらい思い知らされてきたから、なおのことだ。

 だけど。

 それでも見えているのなら、どうにかできないかと考えてしまう。どうにかしたいと思ってしまう。

 見えてしまうから、よりよい結末を求めてしまう。

 いっそお前ら全員、死んでしまっていれば俺もこんなに苦しまなくても済んだかもしれないな。

 明るく照らされた部屋の中、一つの棺にそっと指をあてて、ふっと笑った。

 ガラスにも似た材質できた蓋は透明で、中に入った人物を見ることができる。

 一枚の壁を隔てたその先にいるのは、一瞬目が奪われるほど美しい金の髪を長くのばした一人の男。

 一つの絵画にすら見える、瞼を閉じた彼の名はキリシュタリア・ヴォーダイム。

 襲撃前のカルデアで、数少ない話し相手になってくれた俺の……多分、友達だ。

 

 

 キリシュタリア・ヴォーダイムといえば、この魔術・科学問わず『天才のみが集まる場所』であるカルデア内でも飛びぬけて優秀な魔術師である。

 名家(らしい)であるヴォーダイム家に生まれ、持て余すほどの才能を授かっていながら研鑽を怠らない、いわゆる出来た人間。

 それなのに上下分け隔てなく接する人格者。

 そんな「おいおい何かの主人公か?」みたいな感想を抱いてしまいそうな男が、キリシュタリア・ヴォーダイムという男である。

 簡単に言えば、俺の真逆みたいなやつだ。

 周りの対応も、たたき出す成績も、何もかも。

 俺が劣っている、と言いたいわけではないが、それでもこの魔術や体術、専門の知識によって評価される環境で俺は勿論ドベで、あいつはトップだった、ということだ。

 ついでにコミュ力にもだいぶ差があった。

 そんな俺とヴォーダイムが頻繁に話す仲……とは言わないが、少なくとも赤の他人でなくなったのは偶然のようでいて、実は必然だったのかもしれない。

 と、前置きしておいてあれなのだが、特段運命的な出会いを果たしたという訳じゃない。

 むしろ、どちらかと言えばひどく情けない、鈴鹿辺りが聞けば「だ、ダサッ」とか言われてしまいそうな出会いだった。

 まぁなんだ、端的に言おう。

 俺はカルデア内部で盛大に迷子になったのだ。しかも深夜、トイレに行こうとして。

 いや違う、言い訳をさせてほしい。

 当時の俺はカルデアに来てまだ二週間程度の新参者だったのだ。

 は? 二週間もあったなら道くらい覚えられるだろ、という人もいるかもしれない。

 うん、その意見は非常に良く分かる。良く分かるのだが──どこにでも例外ってのはあるものなんだ……。

 要するに俺は方向音痴であった。ただ一つ過去の俺をフォローできるのは、カルデアの廊下がどこも違いの見られない統一されたものだったというところだろう。

 どこでもそうだろ、というのは全くその通りなのだが、道一本間違えただけで全然別ルートに入っちゃうカルデアはちょっと俺には難易度が高かった。

 今でも、知らない区域とかに入る時はダヴィンチちゃんお手製の内部マップアプリが無いと迷う自信があるほどである。

 ただこれは俺が我がままを言った結果作られた物なので、当時は当然存在しない。

 なんならダ・ヴィンチちゃんのことすら知らない時期だ。

 というか当時の俺が名前も顔も把握していた人間とか、所長とドクター、それから一部のスタッフさんくらいである。

 他のマスター候補とか同じ空間にいても話すようなことがなかったからだ。

 これは俺のコミュ力の問題もあるのだが……扱う言語が違うというのは思いのほかハードル爆上がりであった。

 ただでさえ慣れない環境だったせいでしり込みしてしまっていたというのもある。

 つまるところ限界ボッチしていたって訳である。

 まともに話してくれた相手とか、スタッフさんとドクターくらいだったからな……。

 と、そういう訳なので迷ったところで助けを求めることすらできずにいた。

 こんな時間に助けを求められるのとか、親か友達くらいである。

 そしてここには親も友達もいなかった。

 詰みである。

 腹は痛いし道に迷うし神は俺に恨みでもあるのか? とふらふら彷徨っていた、その時だ。

 特徴的な金の長髪が目に入ったのは。

 どこでもそうだろうが、夜のカルデアはどこも消灯されている。

 だから廊下はほとんど真っ暗で、仕方なくスマホのライトを使っていた。

 その光を、こっちが驚くくらい弾く金の髪。

 え、なに? 誰? お化け? とビビった俺の言葉に反応して彼──ヴォーダイムは振り返って言った。

 こんな夜更けに、どうしたのかな、と涼しげな表情で。

 ただ当時の俺からすればヴォーダイムなんて「何かよく目立ってる人だ~!」くらいの感覚だ。

 それにそろそろお腹の具合が大変なことになっていた俺に余裕も礼儀もなくて、ただ一言「お手洗いの場所を、教えてください……」とだけ絞りだしたのだった。

 この時のヴォーダイムの意外そうな顔と、それからたまりかねて笑った顔を、俺は忘れることはないだろう。

 それくらい、彼の笑みは少年的な笑顔だったから。

 

 

 幸いにして、ヴォーダイムは日本語ができるやつだった。

 というか多分、日本語に限らずほかの言語もある程度は習得していたのだと思う。

 笑みをたたえながら、逆方向だよ、とヴォーダイムは言った。

 頼む、通じてくれ……! と願いを込めて言ったのは確かだが、まさか本当に通じるとは思ってなくて一瞬呆気にとられたものだ。

 そんな俺を見て、ヴォーダイムがどう思ったのかは分からないが、恐らく全然道を分かっていないことは察したのだろう。

 案内しようか、とヴォーダイムは言い、俺はそれに申し訳ない……とうなずいたのだった。

 それから数分後、無事手洗いにたどりついた俺は腹のSOSに応えることに成功、安堵のため息をもらしながら手洗いから出れば、ヴォーダイムはまだそこにいた。

 え? なに? と思ったのも束の間。ヴォーダイムは無事帰れるか心配になってね、なんて言ったのだ。

 そして同時に俺は確信した。こいつ、超良いやつだな……と。

 そんなわけで部屋番号を伝え、案内してもらったのだが予想外に俺は彷徨っていたらしくかなり遠くまで来ていた。

 最短ルートで行っても十分はかかるという。つまり俺はそれ以上の時間ふらついていたということになる。

 そりゃお腹様も「やばいよやばいよ!」と騒ぎ出すわけだ。

 もしあの時ヴォーダイムに保護されていなければ尊厳を失っていた可能性もあったことを考えれば今でもぞっとする。

 ヴォーダイム様様だ。

 ありがとう~! と感謝し倒してからヴォーダイムの横へと並び歩く。

 俺は三角のナイトキャップまで被った完全睡眠準備状態だったが、ヴォーダイムはそうではなかったのを覚えている。

 ただいつもの真っ白なマントは外していて、いささかラフな格好ではあった。

 いつも堅苦しい恰好しか見ていなかったことによるギャップもあって、接しやすかったのだと思う。

 改めて自己紹介をしてから、だらだらと雑談をした。

 内容は特に覚えていない、そのくらいいつでもできるような話だった。

 雰囲気としてはあれだ、下校時にする友達との会話とか、そんな感じ。

 中身がそこまで重要ではないような、そういう話。

 特に俺たちは互いのことをほとんど全く知らなかったから、手探りのような会話でもあった。

 ただそれも一瞬で終わった。否、正確に時間を計れば一瞬ではないのが分かるだろうが、少なくとも俺にとっては一瞬だった。

 だがそれは俺の部屋に着いたからではない。

 カルデアの外の吹雪が、止んでいたからだった。

 今更のようではあるが、カルデアは日本ではなく南極に存在し、基本的に天候は吹雪で固定されている。

 それが止むのは一年に数回程度で、その上晴天なのは一年に一回あるかないか程度の確率だ。

 そんな低確率を俺とヴォーダイムはこの日この晩見事に引き当てた。

 ヴォーダイム曰く、一時的なものだろう、とのことだったがそれ込みでもラッキーはラッキーだ。

 それはガラス張りの壁越しですら美しいと感じるような景色で、俺は見事に視線を奪われた。

 返答をすることも忘れて見とれてしまい、そしてヴォーダイムが言ったのだ。

 せっかくだし、外に出て見てみようか、と。

 

 

 カルデアは広い、といってもその比率は横にかなり割かれている。

 要するに都会なんかでバンバン立っているような高層ビルとは違い、横長にできていて高さはそれほどでもないってことだ。

 とはいえそもそもカルデアがある場所自体が滅茶苦茶高い、分かりやすく言うなら標高……えぇと、確か6000mだ。

 そう、6000m。ぶっちゃけ数字で言われても「そ、そう……高い、ね?」となるくらいにはよく分からなくなるくらいの数字。

 そんな場所にカルデアはあって、だからこそ一般の人には中々見つけられない……ということらしい。

 他にも人避けの魔術が云々とか言っていた気もするがとにかく、ここはかなり秘匿性の高い場所とのことだ。

 まぁちょっと話は逸れたが、兎にも角にも此処はかなり高い位置に存在していて、きっとそこから見る景色は抜群に良いだろうってことだ。

 少しだけ胸躍らせながら、ヴォーダイムについていき長々と続くエスカレータに乗り込めば屋上にはあっさりと辿り着いた。

 真っ白な扉の横についたパネルにヴォーダイムがカードを翳せば扉は素直に開く。

 同時、刺すような冷気を伴う風に身体をあおられた。

 晴れているとは言ってもここの季節は基本的に冬みたいなものだから、当然だ。

 ナイトキャップが飛ばされないように手で抑えて外へと出れば、あったのは満天の星空だった。

 見たこと無いくらい空気は澄んでいていて、丁寧に塗られたような夜空の中で星々が一つ一つ自己主張するように輝いている。

 こういうのを幻想的な風景というのであろう。

 思わず呆けて食い入るように見つめた記憶が強く残っている。

 どれだけ見ていても飽きない空、というのは初めてだった。

 それはもしかしたら思い出補正とかが入っているかもしれないが、それでも、俺にとってはアレが一番の夜空だった。

 あんまりにも長いこと見惚れてしまって、次の日風邪を引いたがプラスマイナス全然プラスだった。

 それに見舞いに来た時のヴォーダイムの、ちょっと申し訳なさそうな顔が面白かったから、マイナスなんて無かったも同然だったと言えるだろう。

 色々と話が混ざってしまったが、一先ずこれが俺とヴォーダイムの出会いの話で、それからちょいちょいと付き合いができた切っ掛けだ。

 何でお前みたいなのがあのキリシュタリア・ヴォーダイムと……!? みたいな目で見られたのが懐かしい。

 ヴォーダイムに限らず、ヴォーダイムの所属していたAチームのメンバーともそれなりに話すようになったし、俺の快適なカルデアライフに彼は多大な貢献をしてくれた。

 ヴォーダイム以外のAチームの面子も、エリートだなんだと言う割にはかなりよく相手をしてくれたものだ。

 各々嬉しそうだったり、面倒くさそうにしたり、困ったようにはしていたが、その上でよく面倒を見てくれた人たち、という括りでもある。

 俺はA~Gまで振り分けられた各チームの、一番下のチームにおまけとして入れられた、というくらいダメダメだったから、よく魔術の手ほどきを受けたものだ。

 レイシフト適性以外は本当の本当に取り柄がないほど才能がない、というのは言われなくても分かったが、それでも多少は使えるようにさせてくれた辺り、彼らの人の良さとその実力がうかがえるだろう。

 お陰で随分と助かった、俺の魔術師としての土台を作り上げてくれたから、多分ここまで来れた。

 その思いは、今でも変わらない。

 世界を救うのというのは規模が大きすぎて実感はわかないけれど、この先を生きるため、というのであれば分かる。

 だけどそれだけじゃ弱気になるときがある。もう別に良くないか? と思う時がある。だからそうなった時はこうして此処に来るようにしていた。

 人理を救わなければ、彼らを目覚めさせられない。

 折角の借りを返すチャンスだし、それにもう一度くらいはちゃんと話したい。

 つまりまあ、こうやって、彼らを見て気合を入れるとかしてみたりしていたのだ。

 心を支えてくれる柱のその一つ、というわけである。

 俺は頼れるものには何でも頼る主義なんでな。

 あと少し、あと一歩だけだから。

 悪いんだけど、もうちょっとだけ頼りにさせてくれよな。

 そう呟いて、間違っても起動なんてしたりしないように、優しくコフィンから指を離す。

 あんまり長居すると段々しんみりとしてきちゃうから、次来るときは最後のレイシフトをする時だ。

 じゃあ、もう少しだけ頑張ってくるから、見えてるもんなら見ててくれ。

 そう言い残して、部屋を出た。

 

 

 それから十分近い時間をかけてゆっくりと自室に戻った俺はベッドに寝そべっていた。

 ……正確に言えば、メドゥーサに膝枕されていた。

 いやなんか戻ってきたら当たり前みたいな顔して俺のベッドに座ってたんだよな……。

 お早い戻りでしたね、なんて言ってポンポンと自分の膝を叩くのだ。

 無視……するのはちょっと難しかった。

 かれこれもう一年近い付き合いになるのだ、こういう時にする抵抗が大体無意味に終わるってことくらいは流石の俺だってもう学習している。

 それにこう……何だか口にするには恥ずかしすぎるのだが、決して嫌な訳ではない。

 鈴鹿なんかに見られた暁には写メでも撮られて一生からかわれそうな気がするが、今は二人だけだ。

 少しくらいは許されるだろう、と自分に言い聞かせながら横になっていた。

 随分と髪が伸びましたねと、肩辺りまで伸びた俺の黒の髪に手櫛をかけながらメドゥーサが言う。

 彼女の持つ滑らかなそれとは違い大した手入れもしてない俺の髪は頻繁に指に引っ掛かっていたが、メドゥーサはやけに熱心に梳いていた。

 何だか嬉しそうだな、と訊いてみれば少しの間ののちに、えぇ、お揃いのようで嬉しいのです、とメドゥーサは顔をほころばせた。

 それが気恥ずかしくて、一瞬黙り込んでから「んんっ」と咳ばらいをする。

 そして誤魔化すように、願掛けみたいなものなんだ、と言った。

 夜空を裂く流れ星に願いを込めるとか、七夕の短冊に夢を書くとか、ミサンガが切れるまで身に着けておくとか、そういうある種の気休めみたいなもの。

 ──うん、そうだな、気休めだ。

 でも誰だってそうじゃないか? 

 奇跡は勝手に起こるものなんかじゃない。

 運命はいつだって命に牙を剥いている。

 都合のいい結末は待っているだけじゃやってこない。

 縋ったところで結局最後にものを言うのは積み上げてきた自分自身だ。

 分かっている、分かっている、分かっている。

 俺に限らず誰だって、そんなことくらい言われなくても分かっている、だけど。

 否、だから、不安になる。

 自分の弱さを知っているから、自分の情けなさを知っているから。

 自分の命の軽さを知っているから、他人の命の軽さを知っているから。

 そこにどれだけ強い想いがあろうと、いとも容易く踏みにじられてしまうことを知っているから。

 俺一人の力なんて本当に本当にちっぽけなものだってことを骨の髄まで刻み込まれているから。

 自分なんて、一番信用ならないって分かっているから。

 それがどこまでも怖くて、でも逃げる訳にはいかなくて、意味もなく見えもしない何かで怯える心を誤魔化している。

 ここまで言うと何だか、この伸ばした髪も情けなさの象徴みたいに思えてきたな、と笑えばメドゥーサは別に良いのではないでしょうか、と言った。

 えぇ、どれだけ怖がろうと怯えようと、何かに縋ろうとも。

 何も悪くないと思います、と。

 ──いいえ、悪くないというよりは、それが正常なのだと、私は思います。

 この星には数多くの人間がいますよね。

 過去、現在、未来。いつ、どの時代を見てみても、必ず数えきれないほどの人がそこにいて、そして皆、誰しもが何かに怯え、恐れている。

 それはひどく矮小なものから、世界の命運にかかわるほど壮大なものまで、多岐に渡って存在するでしょう。

 そう、何度乗り越えようとも恐怖や障害というものは生あるものが終わるまで絡みついてるものです。

 どれだけ努力を重ねようとも、乗り越えることのできないものだってあるでしょう。

 そういうものに直面した時、多くの人はどう乗り越えると思いますか? なんて、聞くまでもありませんね。

 えぇ、そう。人は他人に頼るのです、縋るのです、求めるのです。

 そしてそれらの行為は決して──そう、決して、恥ずべき事ではない。

 情けない? どこがでしょうか。

 恐れ、怯え、臆し、しかしそれでも前を向いていられるのはごく少数の人だけです。

 己の弱さを知り、目の前の障害の強大さを知り、逃げ出してもよい道が提示され続けていて尚、苦難の道を進んでいける人はもっと少なくなります。

 だからマスター、私のマスター。

 そう、卑下なさらないでください。

 貴方が当然と思ってしていることは、誰もができることではないのですから。

 それは子供をあやすような、とても暖かい声音で紡がれた言葉だった。

 身体の表面から心の芯にまで溶けて浸透してくるような、そういう暖かさ。

 じんわりと、強張った感情を解きほぐすように、それはしみ込んできた。

 今こうして頭を撫でられているように、心まで優しく撫でられているようだった。

 それを明確に感じながら、脱力するように息を吐いた。

 そう言ってくれると安心できる、ありがとう、とそれだけ言った……というか、それ以上言葉にすることができなかった。

 俺はあまり言語化が得意じゃない、不安と安心感に挟まれるような今の状態を何て言っていいのか分からなくて、だけど気が楽になったことだけは分かったから、それだけは言えた。

 少しの間を置いて、もう一度口を開く──より先に、メドゥーサが微笑んだ。

 今日はもう眠りましょうか、と。

 日が経つにつれ、決戦の日が近づくにつれ、貴方が眠れなくなっているのは知っています。

 眠れなくて、真夜中にシミュレータを起動していることも、今日のように出歩いていることも、何も言うつもりはありません。

 ですが、人間は根本的に休まなければ壊れてしまうものです。

 ですから今晩くらいはもう、安心して、ゆっくりと眠りましょう。

 貴方が目覚めるまでずっと、お傍にいますから。

 慈愛とやさしさに満ちた声音で紡がれる、暖かな言葉たち。

 それに従って目を閉じればやってきたのは柔らかな暗闇で、拍子抜けするくらいストンと俺の意識は微睡みに沈んだ。

 

 

 パチリ、と予兆もなく目が覚める。

 視界に入るのは見慣れた自室の天井だが、右の鼓膜が静かな寝息に揺さぶられていた。

 そっと視線を向ければ、メドゥーサが俺の身体を抱えるようにして眠りに落ちていた。

 道理で少しばかり暑苦しかったわけだ、と苦笑し彼女の手を外してから二度寝しようとして諦める。

 どうやら今日は久方ぶりに寝覚めのいい日らしい、落ち込んでた気分もすっかりフラットに戻ったし調子がいい、なんて思って自分の端末に手を伸ばした。

 一年前まではゲームにSNS、調べものやメッセージのやり取り何かで大活躍だったそれも、今では目覚まし機能付きチャットツールでしかない。

 今の状況からしてみれば、それでも十分豪華ではあるがそれはそれ。

 ちょっと寂しくはあるよなあと思いながらも画面を点ければ飛び込んできたのは『13:25』という数列だった。

 ははーん、なるほどね?

 そりゃ寝覚めが良いわけだ、だってもうお昼ご飯の時間すら超えてんだもん……。

 まるで朝方までゲームして寝落ちた日の翌日みたいだぁ、なんて若干の虚無感を抱えながらロックを解除すると同時にカメラを起動した。

 というか勝手に起動してしまった。多分、指が触れちゃったんだろう、よくあることだ。

 意図せずとはいえ、カメラ何て起動したのはいつぶりだろうか。一年前までは結構使ってた記憶がある。

 まあカルデアは機密が多いから、自室と食堂くらいでしか使用は許されていなかったけど。

 ついでに撮った写真もチェックされるってくらい厳格だったから、自然と撮ることは無かった。

 というかそれは今もだな……人手が足りなさ過ぎてその辺はほったらかしだけど、全部上手くいって終わればきっとここも元通りになるだろう。

 ……となれば好き放題できるのは今だけなのでは?

 うーむ、でもなぁ、と唸りながら何とはなしにパシャリと一枚撮ってみる。

 そうすれば画面に残ったのは眠る一人の麗人だ。

 紫の長い髪を散らばせて、静かに目を閉じるその姿はどこか神聖さを感じさせる。

 うーん、我ながらナイスショットだな……。

 正直ちょっと引くくらい完璧な一枚が撮れてしまった。

 待ち受けにしよ、そう思ったのと連絡が来たのは同時のことだった。

 ドクターからの通信。一瞬、出ようか出まいか悩んで、悩んだという事実に顔を顰めてから出た。

 内容は簡潔なものだった、というか出るまでもなく察していた。

 その時が来た、準備はとうに万全だ、つまりはそういうことだ。

 ため息を一つ吐こうとして思い直し、ドンッと胸を叩く。

 これが最後なのだから、と自分に言い聞かせて立ち上がった。

 

 

 集まったのはいつものブリーフィングルームではなく、中央管制室だった。

 スタッフを含め全員がそこにいて、ゴホン、と咳ばらいをしたドクターが口を開いた。

 我々はついに魔術王の本拠地を突き止めた。

 それは普通の時間軸とは異なる場所に存在する、最も歪かつ特殊な特異点。

 当カルデアはこれより、この特異点との接触を試み、施設ごと特異点に乗り上げる、と。

 それが意味するところは、レイシフトは行うものの実質地続きの場所に向かう、ということだ。

 これまでのように時間を飛び越え、時代を跨ぐのではなく、ただ外へ出るためにレイシフトを使用するって感じである。

 要するに今回の作戦の概要は──電撃☆上陸作戦! ということさ! いやぁノルマンディーとは無茶をする!

 俺の思考を読んでいたかのようにダ・ヴィンチちゃんがそう言った。

 や、それにしてもドンピシャ過ぎない? こわ~……と思っていたら目が合った。

 怪しげに笑ってからウィンクをしてくる、こっち見んな。

 そんなダ・ヴィンチちゃんを見てドクターがため息を吐き、それからまぁシリアス一辺倒で行くのは無理かぁと呟いてからじゃあ説明頼めるかい? という。

 ダ・ヴィンチちゃんの返答は勿論おっけー☆である。語尾に星が見えるの、俺だけか?

 といっても別に彼女とてふざけている訳ではない、アレでも万能の天才ダ・ヴィンチなのだ。

 凝り固まった雰囲気を解すように、彼女は朗らかに作戦概要を説明しだす。

 さて、上陸作戦と言った通り今回は今までのオーダーとはちょっと違う。

 まず第一に──といっても、これが一番大きいとは思うけど、聖杯を探す必要が無い。

 なにせ今回の特異点は聖杯を起点に作られたものじゃあないからね。

 では何をすれば良いのか? と思うだろうが安心すると良い、難易度はこの際置いておくとして、やること自体は非常にシンプルだ。

 一つ、城攻め。二つ、魔術王の撃破。そして三つ、敵領域からの生還だ。

 三つ目を言った時やたら注視されるもんだから何? という顔をしたら特に君ね! 君! 命大事に! と付け足された。

 何か相打ち上等とか思ってそうですもんね、と立香くんが笑う。

 流石にそんな蛮族みたいな思考はしてないが!? という俺の反論はダ・ヴィンチちゃんの「しー」という人差し指を口に当てる仕草で封じられた。

 ちょっと扱いが雑過ぎない? と思うがここで粘っても仕方ない。続きをどうぞと手を出せば彼女はにっこりと笑む。

 まぁ生還というのはそこの命がけ上等、みたいな馬鹿に限ったことではなくてね、単純にレイシフト自体がこのカルデアと、敵領域との接触面でしか行えないんだ。

 シバによる調査でね、敵特異点の基本構造はおおよそつかめた。

 今回の特異点は──そうだな、一つの小世界、概念宇宙になっている。

 ここには地球をモデルケースとしたカルデアスがあるだろう? そのカルデアスの宇宙版みたいなものさ。

 といっても、本来の宇宙と違い天体も銀河もない、人間のスケールに例えれば単細胞のようなもので、注目すべきはそこには一つの生命しかないことなんだけど……それは置いといて。

 この特異点の中心には計測不能になるほどの魔力が渦巻いている、間違いなく魔術王の玉座だろう。

 ここがとりあえずの目的地だ、だが当然ここに至るまでの道は塞がれている。

 要するに城門が閉じている。ま、心臓部なんだから守るよね、普通。

 そこでまずは敵領域全体の破壊を行ってもらう。

 敵領域は一つの生命体であり、末端から中心に絶えずエネルギーを送出し続けている。

 だからまずはその末端を破壊しエネルギー供給を止める、そうすれば自然と城門は瓦解するという訳さ。

 後はもう、開かれた道を突っ走れば玉座にたどりつけるから、魔術王を打破しカルデアまで戻ってきてくれたまえ。

 そう、今までと違って戻ってきてもらわねばならない。

 先ほども言った通り、レイシフトはカルデアと特異点の接触面でしか行えないからね。

 当然乗り物何て便利なものはないから徒歩で、それもダッシュで戻ってきてくれ。

 何せ魔術王が倒れたら特異点の崩壊が始まってしまう。

 だから、魔術王を倒すのは飽くまで前座だ。君たちが無事戻ってくることだけが重要なのだから。

 遠足は家に帰るまで遠足です、なんて言うだろう、これも同じことだ。

 君たちが帰還し、カルデアが通常空間に転移したところようやくこの戦いはおしまいだ。

 人類の、そしてカルデアの大勝利というオチでね。

 そうだろう、ロマニ? とダ・ヴィンチちゃんがドクターを見れば、彼はいつになく険しい顔で勿論、と言った。

 ボクらはその為にここまでやってきたのだから、と。

 まずは敵特異点への侵入、そこから観測された七つの拠点を破壊し、玉座で待ち受けているであろう魔術王ソロモンを撃破。

 その後崩壊が予想される特異点から離脱し、接触面からカルデアへ帰還する。

 作戦内容は以上だ、他に何か質問はあるかい? とドクターが俺たちを見た。

 俺からは特にない……敢えて言うなら、やけに緊張してきたってことくらいだな、なんて思っていたらおずおずと立香君が手を上げた。

 さっきダヴィンチちゃんが言っていた、その、敵領域が一つの生命体ってのはどういうこと? と。

 先輩は分かる? と言ったように見てくるから、軽く首を横に振る。そうすればドクターが余分な情報だけど……まぁ良いか、と呟いた後に口を開いた。

 冬木を覚えているだろう? 一番最初、襲撃を受けた際にレイシフトした場所だ。

 あそこでは当然ながら聖杯戦争が起こった、で、その原因となった魔術炉心──要するに大聖杯のことなんだけどね。

 アレは元々一人の魔術師の身体を腑分け──まぁ解剖して作られたものなんだ。

 天才の中の天才。

 奇蹟の中の奇蹟。

 そう扱われた、たったひとりの魔術師のその魔術回路を取りだし、システムの基盤としたもの。

 人体という小宇宙を、実際に宇宙にしてしまった特例(レアケース)

 嘘のようだけど、これはれっきとした事実だ。

 そして、今回の特異点はそれと同様のものになる。

 ある魔術師の魔術回路を基盤にして作られた小宇宙。

 時間軸の外でも存在できる個体、魔力が続く限り存続し続けることを可能とする固有結界。

 それがこの特異点──魔術王ソロモンの本拠地の正体だ。

 だからボクらは今回の特異点にこう名付けた──否、名付けざるを得なかった。

 冠位時間神殿、()()()()()()()()、と。

 

 

 ドクターの言葉を最後に、少しの沈黙が訪れた。

 冠位時間神殿、固有結界ソロモン。その正体のスケールのでかさに絶句──していた、という訳では正直なかった。

 特異点の正体が何であれ、やることは変わらないしな……。

 ただ戦って、殺して、生き延びる、それだけだ。

 至ってシンプルで、分かりやすい。

 まぁシンプルであることと、容易さってのはイコールではないのだがそれはそれ。

 強固なものではないけれど、張りぼてのようなものだけど。

 それでも覚悟はとっくにできている、だから、大丈夫だ。

 何だか見慣れてしまった不安げな表情をしたドクターを目が合ったことで、逆にほっとしたような気持ちになって笑みを返した。

 そうすればドクターは、情けない、この期に及んで覚悟が出来ていないのはボクだけだったようだ、と少しだけ笑った。

 乾いていて自嘲するような笑みだった。けれども直ぐにそれは引っ込んで、次に現れたのは打って変わって強い表情だった。

 でも、それもここまでだ、とドクターが言う。

 キミの──キミたちの目に励まされたよ。

 カルデア所長代理として、キミたちにコフィンへの搭乗を命じる!

 残された時間はあと僅かしかない、このカルデアが2017年に達してしまえばその時点で人理修復の手立ては喪失してしまう。

 静かに、ドクターが息を吸う。片手をギュッと握りしめて吐き出すように言葉を放る。

 ──これは、敗北から始まった戦いだった。

 人類の誰もが、気付かないまま魔術王に……ソロモンに殺された。

 彼が没した931年から、綿密に積み上げられた人類史最大最長の殺人計画。

 どうかこの馬鹿げた企みを破り捨てて欲しい、机上の空論は誰の目にも触れることなく燃え尽きるのみなのだと!

 お願いだ、とドクターは頭を下げた。

 それが意外過ぎて思わず立香君と目を合わせて少し笑った。

 ダヴィンチちゃんを見れば、彼女はやれやれとでも言いたげに苦笑いする。

 この人、抜けてるところ結構あるよなぁ、と思ってドクターの前に歩み出た。

 顔上げてよ、と言って、もう一度言葉を紡ぐ。

 頼むとか、お願いするとかじゃないでしょ。

 これまで一緒に旅をしてきた、一緒に戦ってきた。

 それは、最後の特異点だって同じだ。

 戦う場所が違くても、目指すところは同じで、戦う相手も同じだ。

 俺達も安心してドクターたちに背中を預けるからさ、しっかり支えてよね。

 じゃないと俺達って結構簡単に倒れてしまうから。

 ドクターは意外そうに眼を見開いて、それからほころぶように笑った。

 あぁ、そうだね、そうだった。

 勝とう、一緒に。この手で未来を掴もう、と。

 そう言って、パチンと互いの手を叩き合わせた。

 では、最後のオーダーを始めよう。

 ドクターのその言葉に応じて静かにコフィンへと入れば、レイシフト・プログラム・スタートと言う声が聞こえた。

 コフィンの扉は閉じても、ドクターの声はしっかりと聞こえてくる。

 ──敵は魔術王ソロモン。

 作戦の成功条件はこれの撃破と、キミたちの生還とする!

 その言葉が終わると同時に、アンサモンプログラム・スタート、という聞き慣れた女性型の機械音が響き始めた。

 同時に無性に泣きそうになる。

 これが最後、そう、これで最後なんだ。

 いつもこのコフィンに入る時は、死を覚悟していた。

 だがそれも、ようやっと終わるんだ。

 この旅が、戦いがどういう結末に至ろうとも。

 やっと、終わるんだ。

 レイシフトの仄暗い光が視界を包み、最終グランドオーダー、実行を開始します、という音が耳朶を叩いた。

 何だかこの声にも愛着が湧いてきたなぁ、とふと抱いた感想を頭の片隅に放り投げる──前に。

 何かが、頭の中を蹂躙した。

 

 

 ──声が聞こえる。

 それは悲鳴だった、怨嗟だった、驚愕だった、堕落だった、憎悪だった、苦悶だった、絶叫だった、悲壮だった。

 過去から未来にわたって繰り返し見せつけられる、人の醜さに、どこかの誰かはため息をつく。

 それは想像を絶するほどの、落胆であり、失望であった。そして、そこから生まれる決意の声だった。

 「この醜く愚かな生命は、文化はあってはならないものだ」「最早布で汚れをふき取るように」

 「埃を払うようにしても、意味はない」「人はもう、この星に生まれ、こびりつき根を張った穢れである」

 「であれば、どうすればいい?」「あぁ、そうだ」「やり直す他ないだろう」

 「生命あるからこそ生物は間違える」「愚かにも醜く、不愉快に不適格な存在になり果てる」

 「だから、無からやり直す」「歴史からではない」「生態系からではない」「大陸からではない」「時間からではない」

 「文字通り、無から」「惑星ごと創り直す」

 「途方もない時間がかかるだろう」「果てしない労力が必要になるだろう」「膨大な力を必要とするだろう」

 「だからわたしが、わたしたちがやる」「未来から過去に渡り惑星を燃やし尽くす」

 「一秒」「一分」「一時間」「一月」「一年」

 「その瞬間瞬間に発生した莫大な熱量全て──およそ3000年分を回収し、束ね、制御した時初めて偉業は成し遂げられる」

 「神殿を築け」「光帯を重ねよ」「人理を滅ぼすために」「焼き尽くすために」「忘れるために」

 「わたしたちには、すべての時間が必要なのである」

 ──その声に、声たちにあったのはおぞましさだけじゃなかった。

 そこには慈悲と優しさ、それから覚悟があって。

 少しだけ、それが怖かった。

 ただの悪意ならどれほどよかったかと、この時初めて、心の底からそう思った。

 

 

 気味の悪い、ノイズじみたそれが脳から離れていくのを感じた。

 薄っすらと、乗り物酔いした時のような具合の悪さを無理やりほどく。

 何度か揺らぎかける意識を気合で握りしめれば途端に体に風を浴びた。

 軽い浮遊感の後に足から着地した感触が伝わってくる。

 それに応じて目を開ける、ゆっくりと、静かに。けれども全身の力を込めて、重い瞼をこじあけた。

 ──あの世だ。

 目の前に広がっていた世界を前に、直感的にそう思った。

 天国だとか、地獄だとかというのは分からない。

 だけど、少なくともここは時代が違う、とかそういったレベルの場所ではない。

 ウルクで見た、冥界ともまた別種のどこか。

 文字通り世界が違う。

 渇いた笑いすら出てこなかった、ただこの光景に目を奪われた。

 不思議と怖いとは思わなかった、でもその代わりに「あ、俺多分ここで死ぬな」という確信があった。

 今までとは違う感覚。多分、ここまで来れたのはかなり稀有な確率でのことだった。

 何度もやり直せるとは思うな、と本能が言っている気がした。

 いや、言われないでもそんな慢心したことない……はず、なんだけど。

 それでも嫌な予感がする、と思った。

 思うと同時に、大音量の通信が飛んできた。

 レイシフト時に干渉を受けたのを確認した、異常はないかい!? 大丈夫!? というドクターの声。

 まだ若干頭痛がするけど、問題は無い、と同じように頭を抑えながらも立っている立香くんたちを視界に収めながらそう返す。

 それよりも……此処は本当に……なんだっけ、冠位時間神殿? で良いの? と聞けば問題ない、と返ってくる。

 ティアマトを覚えているだろう? 七つのクラスに該当しない霊基、人類悪と謳われた災害の獣──クラス:ビースト。

 アレと同じ反応がその空間を占拠している、ゆえに間違いなく、そこは時間神殿だ、気を付けてくれ、と。

 ドクターがそう言い切った直後のことだった。

 ──その通りだ、鼻が利くようになったじゃないか、カルデア。

 その一言が、空から落ちてきた。

 見上げたそこにいたのは、モスグリーンのシルクハットを被り、同色のタキシードを纏った一人の男。

 ぼさついた髪の毛は赤みがかかっていて、常に閉じられている柔和な目は多少の懐かしさを感じさせる。

 レフ・ライノール。

 誰かが──もしくは俺だったのかもしれないが──そう言った。

 さして大きな声ではなかったと思う、それでも空中にいる彼には聞こえたようだった。

 表情を変えることなく、まずは素直に称賛させてもらおう、と。

 七つの特異点を超えてきたその()()、見事だった。

 これまでの戦いぶりは他の柱を通して知っているからね、あの未熟かつ、落ちこぼれも良いところのマスター共がよくぞ、ここまで来たものだと感心しているよ。

 あぁまったく、なんて──なんて生き汚いのかと、戦慄すらしている。

 いやぁ、本当に。特にそう、貴様だ、貴様。カルデアに集った──そこの来たばかりだった一般人を除いて、48名のマスターの中でも最も無能だった貴様。

 ピッ、と伸ばされた指が俺をさす。

 ろくな魔術も使えず、運動神経も並み程度、身体をさして鍛えていたわけでもなく、知識も乏しかった貴様がここまで辿り着いたという事実には、そうだな。吐き気すら催すよ。

 どうしてこう、行儀よく死ぬなんて赤子にでもできる簡単なことが貴様らにはできないのだ? なんて、答えは求めては無いのだがね。

 その声に起伏は無くて、また感情もない。

 顔はあるのに能面をしているようで、気味が悪いな、と少し思う。

 ていうか何? もしかして今俺ディスられた? あまりにも自然に貶されたせいで真顔で受け流しちゃったんだけど……

 ちょっとやめてよね、そういうのって後々からダメージぶり返してきたりするんだから……なんて考えながらも必死に頭の外へと放り出していればマシュが少しだけ前に出た。

 警戒を十分に張り巡らせながら静かに、立香くんを護るようにして前に出て、それから言う。

 貴方は最初からカルデアを──ひいては、人類を滅ぼすためにオルガマリー所長に近づいたのですか? と。

 どこか期待をするような目で。どこか希望を持つような目で、彼女は言った。

 それは恐らくこの先に起こるであろう戦いには一切関係のない問いかけだったと思う。

 でも、それでもマシュは聞かざるを得なかったのだ。その気持ちは多分、立香くんとダヴィンチちゃん以外のサーヴァント達を除いたカルデアの全職員であれば分かるだろう。

 というか、嫌でも分かってしまう。

 レフ・ライノール──レフ教授はカルデアにおいて古参の職員だ。

 オルガマリー所長が所長として就任したころには既にカルデアに勤務しており、その所長に一番頼られていたと断言出来てしまうほどの人物だった。

 それだけの人物だ、当然他の職員達からの信用も厚かったし、マシュの数少ない理解者でもあった。

 それは、まぁ俺も同じだ。レフ教授にはそれなりに……というか、かなりお世話になった。

 カルデア内の案内をしてくれたのも彼だし、ぼっちしている間に良く話し相手になってくれたのも彼だ。

 魔術の練習だって、見てもらったことがある。勉学についてだって、世話になった。

 だからこそ、疑問に思ってしまう。完璧に裏切っていることを目の前で証明されているにも関わらず、心のどこかで信じてしまう。

 『レフ・ライノールは魔術王に誑かされたのではないか? もしくは操られているのではないか?』と。

 

 

 ──それは、ボクも聞きたいな、レフ教授。とドクターが口を開いた。

 疑似地球環境モデル・カルデアス、1990年に完成されたこの魔術礼装は確かに偉大なる発明だったが、しかしこれだけでは人理定礎の復元は不可能だった。

 そう、貴方とオルガマリー所長が協力し合い開発した、近未来観測レンズ・シバが無ければボクらはここに辿り着くことすらできなかった。

 その貴方が最初からソロモンの手のものだったとはとても思えない。と。

 ドクターの言葉に同調するようにダ・ヴィンチちゃんが頷いた。

 それがレフ教授にとっては少しばかり愉快だったのかもしれない。否、もしくは郷愁を感じたか。

 どちらにせよレフ教授は笑みを浮かべた。

 これはこれは、懐かしい顔ぶれだ、と。

 またこうして話し合える日が来るとはね……君たちもマシュのように、私の名誉──いや、人権かな? を気遣ってくれているようだ。

 ありがたいねぇ、でも、その心遣いは不要だ。

 そういった声は、徐々に大きくなっていて、また何かを堪えるような音をしていた。

 いつから、と言ったかい?

 あー、何だか凄く不愉快な感じがするな、と下唇を噛む、それと同時に破裂したような勢いで、聞いたことも無いような笑い声が響いた。

 キ──キキ、ギャハハハハ!

 そんなもの、3000年も前からに決まっているだろう!?

 この計画が始まった、その瞬間から我々は百年後に柱になる家系、五百年後に柱になる家系、千年後に柱になる家系、といったようにあらゆる伏線を世界にばらまいた!

 綿密に、緻密に、正確に、詳細に計画は組み上げられ、それを実行するべく種は撒かれた。

 私はその中の2016年担当だった、というだけのことだ。

 魔術師の家系に伝わる原初の指令"そうあれかし"と定められた絶対遵守の教え──即ち、冠位指定:グランドオーダー。

 これは、魔術の王がこの時の為だけに作り上げたルールである。

 人から生まれた魔術師たちは各々の信念、理論を定め次代に託し続けてきたが、私達のような魔術の王から分かれた魔術師たちは正しくこの時、この瞬間の為にあらゆる時代まで生き延びてきた。

 遺伝子に魔神柱の依り代となる呪いを刻み、担当の時代まで存続し続ける。

 そして2015年、最後の担当になる私が魔神柱である自身を自覚した時点で、諸君らの歴史は終わりを告げたのだ。

 何故なら回収する資源は『そこまで』で充分だったからだ。

 必要な分まで回収し、人理は終わる──はずだった。

 だが、貴様たちカルデアは生き延びてしまった。

 何故だ? なぜ生き延びた? 私の失態だったか?

 否、そうではない。私の仕事は完璧だった。

 であれば答えはただ一つ、私の観察眼をすり抜けたものがいたからということに他ならない。

 そうだろう? カルデア医療チームトップ兼、カルデア所長代理──ロマニ・アーキマン。

 レフ教授が、俺たちを見下ろしながら、しかしここにいないドクターを見るようにして、そう言った。

 どうやら私は君を、過小評価していたようだ、とレフ教授は続けて言った。

 それとも、そうなるように私の前では道化を演じていただろうか? だとしたら、とても残念だ。

 私は──少なくとも、自覚する前までの私は確かに君に友情を感じていたというのに。

 医学と魔導、歩んだ道は違えども君の善性と、その無駄な努力というやつには私とて敬意を表していたというのに。

 あぁ、本当に残念だ、とレフ教授はオーバーに肩を落として言った。

 どこか芝居じみてはいたが、それでもその言葉がまるっきり嘘という訳ではなかったのだと思う。

 敵味方、下種かそうでないかは関係なく、レフ教授は優秀な人間……いや正確には人ではなかったのだが、一先ず優秀な人材ではあった。

 人を見る目も確かなものだっただろう。

 だからこその、純粋な疑問だったのだと思う。

 俺だってそうだ、というか、俺以外のスタッフたちだって思うのではなかろうか?

 ロマニ・アーキマンという男は、そんな他人を騙すような、他人の目を欺くようなことができるような人間か? と。

 したがってレフ教授だけでなく、俺まで気になってしまってゴクリと息を飲めばんんっ、というドクターの咳払いする声が聞こえた──のだが、その次に聞こえたのはダ・ヴィンチちゃんの声だった。

 そりゃあそうだろうとも、と彼女は喜色に満ちた声音でそう言った。

 君がロマニの人間性を見抜けたはずがない……というよりは、そうだね。

 正確に言うのであれば、何人たりともロマニの人間性を見抜けたはずがないんだよ。

 何しろこの男は、私がカルデアに召喚されるその日まで周囲全ての人間を、だれ一人信用していなかったのだから。

 そうさ、君の言う通りロマニは凡人だ、それはもう言うまでもなくね。

 だが、この男はある一点において、あらゆる天才をも凌駕する我慢強さを発揮していた。

『理由は分からない』

『誰が敵なのかもわからない』

『そもそも本当に起こるのかどうか保証すらない』

 そんな、夢に見た程度の『人類の危機』を信じて、己の人生を投げ出した。

 所詮夢であったと切り捨てることだって出来ただろう、というかそうしておけばどれほど楽だったことか。

 だがロマニはそうしなかった。きっと起きるのだと信じ、待ち続けた。

 自分が気づいていると、顔も名前も知らない敵に知られるわけにはいかない。察せられるわけにもいかないから、誰も信じない、相談しない。否、できない。

 その時が来たときに自分に何ができるのか、何をすべきなのかもわからない。

 だから、今自分が手を出せるすべての範囲のことを学びつくす。

 それが、ロマニ・アーキマンという男の十年間だ。

 一分たりとも休息などなかった、自らが許さなかった自由という名の監獄。

 そんな男が、たかだか仲が良いくらいの学友に本性を見せるとでも? という話さ。

 なにせ本人ですら、自分のことをゴミとかクズとかいう過小評価している愚か者なんだからね!

 ……何だか、最終的に微妙な感じのオチになったな、なんて思ったが、直後にえー? いや、そうかなぁ、えへへ、なんて嬉しそうなドクターの声が聞こえてくる。

 いくらボクでもそこまで卑屈じゃないと思うんだけどなぁ、とやけに嬉しそうに言った。

 そんな二人のやり取りが気に食わなかったのか……いや、元より俺たちのことは全体的に気に入らないのだろうが、レフ教授はその表情をゆがめた。

 私とて、その男の不審さに注意くらいは払っていたとも、だからこそ、管制室の爆破でしっかりと死ぬように動いたのだ。

 まぁ、それもそこの未熟なマスターによって邪魔されたのだが、と彼は立香君を見る。

 へぇ、そんなことがあったんだ、とひとり思う。

 や、当時は俺、気付いたら瓦礫の山に立ち尽くしてたからね、その辺の事情は良く知らないっていうか……。

 まぁいいや、とレフ教授に向きなおれば彼もまた、まぁ良い、と呟いた。

 今、我らの王は手を離せない、何せ後数時間で最後の計算が終わる。

 故に、貴様らなぞ放置していても構わないのだが──まぁ、ちょうどいい機会だろう。

 貴様らカルデアは、認めたくはないがこの私の不手際ゆえの産物だ。

 だからこそ、私直々に証明してくれる! 貴様らが、玉座に辿り着くことは絶対にありえない、と──!

 瞬間、魔力が膨れ上がった。そうして肌に感じる感覚を、俺は知っていた。

 それはかつてアメリカで、狂王が聖杯を用いて姿を変えた時と同じ感覚。

 それはかつての果てなき砂漠で、太陽王が聖杯を用いて姿を変えた時と同じ感覚。

 ──即ち、魔神柱化。それは、酷く厄介だ。

 だから、それが起こるより早く礼装を抜き放った。

 既に構えを取った両手に顕れるのは、使い慣れた一丁の狙撃銃。

 今更この距離で外すことは無い。スコープを覗いたのは一瞬だけだった、そして一瞬の後に引き金を引いた。

 火薬が炸裂して、一発の弾丸が宙を駆ける。

 レフ教授はまだ何かを言っている最中だったが、銃声はそれをかき消すように飛び、その眉間を撃ち抜いた。

 鮮血が跳ねて、レフ教授の身体が銃の威力に撒けるように反り返った。

 思いの外、上手くいったな、と思いながら警戒を解くことは無かった。まだ何にも終わってない、どころか始まってすらいない、ということが本能的に分かっていた。

 落ちてくるレフ教授の身体を刻み倒すくらいのことはするべきか? と思う。

 その、瞬間のことだった。

 爆発が起こるようにレフ教授の身体が跳ねた、跳ねると同時に、姿を変えた。

 人の姿から、醜い魔神の柱へと。過程をすっ飛ばすように、一瞬で。

 ほぼ真っ黒の体躯に、血よりも深く紅い目を幾つも付けた化け物が、顕現した。

 ──は? 何だそれ。今の、回復でもなけりゃ、再生でもない、よな? 

 これはひょっとしたら……いや、間違いなくかなりヤバイと頭のどこかが叫ぶ。

 今までの特異点と比べても、比にならないくらいには序盤からヤバすぎる、と全身が総毛立ち、直後に声が響く。

 ハ──ハハ、ハハハハハハハハ! 見事、見事な反応だった、素晴らしい対応だった!

 あぁ、見てはいたが、そうか、ここまで、ここまでのものになったか、無能のマスター!

 だが、足りない、私を、私たちを殺すにはあまりにも無力に過ぎる。

 聞くがよい、我が名は魔神フラウロス!

 七十二柱の魔神が一柱、情報を司るもの!

 ク、ククク、精々楽しませてくれ、カルデアよ!

 

 

 レフ教授──否、フラウロスの声を塗りつぶすように、光が走る、刀が駆ける、打撃が、斬撃が宙を舞う。

 今更、魔神柱一柱くらいであれば敵ではない──とは言わないが、少なくともほぼ完封くらいのことはできる。

 伊達に場数は踏んできていないし、そもそも魔神柱なんて何度も戦ってきた相手だ。

 間違いなく強敵ではある、だが恐れるほどではない──その、はずだった。

 そう、そのはずだったのだ。本当に、慢心を抜きで倒せるような相手だったと、今でも思う。

 というか、倒せてはいるのだ。だが、しかし、()()()()()()()()()

 何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も殺しても、倒しても、()()()()()()()()()()()()

 ハハハ、ハハ、ハハハハハハハハ! 無駄だ、あぁ、そう、何もかも! その決死の抵抗も、なけなしの抵抗も、全てが無駄だ!

 という、どこから発せられているのかと思うほどの大音量の笑い声が空間に響いてこだまする。

 これ、どうなってんの? いや本当に、さっきも思ったけど再生とか復元とか、そういった次元では最早無い。

 敢えて言葉にするなら、再誕生、か? 消したそばから、新しいフラウロスが顕現している、と言うのが個人的に一番しっくりくる。

 これの何が厄介なのかと言えば、相手の底が見えないことだ。

 限界が見えない、削っても削っても減っている気がしない。

 ちょっと参ったな、と思う。今回の戦いは基本的に短期決戦を連続で行う形を想定しているだけに、こんなところで時間を喰っている訳にもいかない、という思考が焦りを生んでいた。

 それを自覚して、何とか落ち着かせるように深く息を吸って吐く。

 不幸中の幸いと言うべきか、それとも今までが不幸過ぎたというべきか、少なくとも今の俺はカルデアとの通信手段がある。

 下手に俺が頭を回すよりは、ダ・ヴィンチ辺りに頼った方が早いだろ。

 これどうしたら良い!? まだ優勢ではあるけど長くは保たないが!? と通信機に向かって叫んだ、その直後のことだった。

 轟音が七回、いや八回鳴り響いた。

 まるで大地を抉り、湧き出るような爆音が遥か後方で鳴り響く。

 ──後方? 俺たちの足元ではなく? 何故だ? と思う。

 それくらい、直近で鳴った音ではなかった。

 後ろに何かあっただろうか、そこまで考えたところでやっと気づいた。

 今回、カルデアは敵特異点との接触を行った──それは、つまり。

 鈴鹿の名を叫ぶ、叫びながら後ろへと振り向いた。

 カルデアの外観、その全貌を目にすることができたのは、俺がカルデアに連れてこられたその日の一回だけだ。

 だが、それでもこの目にはしっかりと焼き付いている。

 常に降り注ぐ雪に擬態化するような白をで染められた、ドーム状の巨大な施設。

 それが今、俺たちの真後ろに出現していて──そして。

 八本の魔神柱が、粉微塵にせんとばかりに巻き付いていた。声をかけようとした瞬間、通信が途絶する。

 当然と言えば当然なのだが、カルデア自体に迎撃システムのようなものは用意されていない。

 敢えて言うのであれば、俺たちが迎撃システムだ。

 このままでは数分足らずでカルデアは破壊されるだろう、そうなってしまえば事実上の終わりだ。

 あっさりと、情緒もクソもなく、すべてが終わる。

 そんなことは、認められない。認められるわけがない。

 幾百の刀が空を埋め尽くす、鈴鹿の号令に合わせて切っ先を向ける刀たちは、しかし放たれることはなかった。

 代わりに耳を劈くような爆音が響いた。響いたと思った時には既に身体が宙を舞っていた。

 ──!?

 声にならない声が飛び出して、背中が焼けるような激痛が駆け抜けた。

 あぁ、しまった、とそう思う。

 完全にカルデアに気を取られて、他への注意を怠った。

 何とか受け身を取りながらも落ちて地面を滑る、ふと横を見れば立香くんまで同じように転がっていた。

 致命傷ではない、俺も含めてまだ戦えるだろう。だが、それも恐らく時間の問題だ。

 言ってしまえば、数の暴力である。魔神柱はこうしている間にも俺たちを嘲笑うように増え続けていた。

 空間を埋め尽くさんとばかりの勢いで増殖を繰り返す、最早俺たちだけでは手が回らないのが目に見えていた。

 あれ? こんなもん? という思考が脳裏をよぎる。

 何度も死地を潜って、幾度も窮地に陥って、それでも這うように進んできた、その結末が、これ?

 こんなにも呆気なく、あっさり負けるもんなのか?

 諦めてはならない、ということは分かっている。事実、別に俺は未だ諦めてはない。

 それだけを頼りに進んできたようなものだ、今更捨てるような真似はできないだろう。

 だが、それでもどうにもならないというものはある、ということもまた、俺は知っていた。

 というかこれはもう、諦める、諦めないの領域の話ではすでにない。

 これまでの特異点を駆け抜けてきた、俺の理性が言っている。

 これは無理だ、と。どうあがいて、どう頭を回しても単純に戦力差をひっくり返せない、と。

 そんな思いを肯定するようにフラウロスの声が、嬉しそうな、愉悦に満ちた声が空を震わせた。

 無意味、あぁ、あまりにも無意味だ、カルデア諸君。

 言うまでもなく、分かるだろう?

 私は──我々は不死身だ、無尽蔵だ、なぜならこの空間全てが我々──七十二柱の魔神なのだ。

 どれだけ私を殺そうと、どれだけ同胞を殺そうとも、そこに意味は無い。

 我々は常に七十二柱の魔神だ。この大地が、この領域が、玉座がある限り決して減ることはないのだから!

 それでも、どうしても殺したいというのであれば、そうだな。

 我ら七十二の同胞、その全てを殺し尽くせばあるいは、といったところか。だが、そんな火力が、軍勢が、戦力がどこにある?

 凡百のマスターが二人に、サーヴァントが数騎程度。これでは話にすらならん。

 勘違いをしているようだから、教えてやろう。

 貴様らは我々を追い詰めたのではない、愚かにも生き永らえ、無駄な努力を重ねてきた挙句──死地に、自ら飛び込んできたのだよ。

 諦めが悪いのは重々承知だ、だがそれももう、ここでは通用しない。

 わかるだろう? という言葉と共に爆風が吹き抜ける。

 ライダーさんに抱えられるようにその場を離脱した、続く爆発から守るように幾つものアイアンメイデンが展開されて、そのたびにゴミクズとなる。

 同時に刀が飛来する、目玉を幾つも貫き撃破するが、しかし魔神柱が減ることはない。

 最早どれだけ撃破しても気にすることはなく、フラウロスの声は響いた。

 人類最後の希望、人類最後のマスター。

 私は、私たちはね、心の底から君たちに感謝をしているのだよ。何しろ最高に面白かった!

 あぁ、そうだ。

 第一特異点での反抗を笑い飛ばそう。

 爆風が、吹きすさぶ。

 第二特異点での情熱を笑い飛ばそう。

 マシュが立香くんを守るように盾を振り上げて、マルタの一撃が魔神柱をひるませる。

 第三特異点での冒険を笑い飛ばそう。

 ライダーさんの鎖が魔神柱を縛り付け、カーミラの連撃が一柱を葬って、その直後にそれは生まれる。

 第四特異点での探求を笑い飛ばそう!

 カルデアから一際軋んだ音がした、真白の外殻が砕かれつつあって、息を呑む。

 第五特異点での進軍を笑い飛ばそう!

 鈴鹿の名を叫ぶより早く、彼女の宝具が展開された。一瞬だけ互いの目が合って、刀の嵐は飛翔した。

 第六特異点での生存を笑い飛ばそう!

 連続して炸裂した爆炎に刀を薙ぎ払われる、直後に立香くんへいつまでも寝てんな、起きろ! と叫ぶ。

 そして、第七特異点──あぁ、いや、これはあまり、愉快ではなかったな。

 と、そう言うのに合わせて攻撃が止まる。ライダーさんたちと共に立香くんの横へと降り立てば、フラウロスはあからさまに不機嫌そうに言った。

 アレは笑えもしない三流の見世物だった、第七のことは忘れてしまおうか、と。

 それを切っ掛けに、あぁそういえば第七だけはこいつらが直々に作り出した特異点なんだっけか、と思い出す。

 よっぽど自信満々だったということだ、で、それを打ち破られて大層ご立腹って訳だ。

 そんななりして、結構人間味あるんだな。

 なんて言えば耳障りだな、とフラウロスは言う。

 そもそもだ、貴様はなぜここにいる? 七つの特異点を駆け抜けてきた、そのことを指しているのではない。

 貴様はあの時管制室にいたはずだ。コフィンには入らずとも召集はオルガがかけていたのだから、従っていたものだと思っていたのだがな。

 それともそれすら回避してみせたのか? 等と、問いかけても答えなぞ返ってこないのは分かっているのだが。

 何しろ貴様自身が分かっていないのだろうから、話にならない、と。

 まぁお察しの通りである。俺だって俺に何が起こって、ここまで来れたのかは正直な話良く分かっていない。

 だから、黙って前を見据えた。そりゃあ理由なんて知れるものなら知りたいが、誰かが教えてくれるようなものでもないだろうから。

 ぐっと拳を握れば、それを解すように鈴鹿の手が伸びてきた。力みすぎた身体が若干リラックスする。

 そんな俺たちを見て、彼は鼻で笑うようにしてから再度口を開いた。

 まぁいい、どうせもう終わりだ。この先に可能性はない。

 さらばだカルデア、貴様らの徒労は、無意味さは、最高に愉快だったよ。

 言葉と共に迫ってきたのは先ほどとは比べ物にならないような爆風だ。

 逃れようはないだろう、それでも抵抗くらいは──と。

 そう思った直後のことだった。

 ──いえ、無意味だなんて、それこそ笑い話です。

 聞き覚えのある声がどこからか響いて、同時に全員の身体が、魔力に包まれた。

 爆炎が通り抜けても、痛みの一つすら感じない。

 それは見覚えのある魔力だった、虹色に輝く、癒しの光。

 即ちそれは──聖女の護り。

 は? という間の抜けた一音しか出せなかった俺の前に、誰かが降り立った。

 その手には巨大な白の旗、腰には剣がぶら下げられていて、長く伸ばされた美しい金の髪が戦場の風にたなびいている。

 それが誰か、分からないはずがなかった。

 ただ、あまりの意味不明さに、思考が止まる。

 だって、いるはずがないのだ、この場に彼女が、現れるはずがない。

 そんな俺たちの混乱をよそに彼女はそっと俺たちに振り向いた。

 隣の立香くんまで呆けていて、マシュが口に手を当てる。

 貴方方にしてはずいぶんと弱気ですね、戦いはこれから、そうでしょう? と、そう言った彼女は。

 神の声を聴き、村人でありながら戦場に立ったオルレアンの乙女(ラ・ピュセル・ドルレアン)と名高き救国の聖女──真名:ジャンヌ・ダルク。

 第一特異点、フランスにて最も力を貸してくれた大英雄が、そこにいた。

 

 

 トン、とジャンヌは軽く旗を突き立てるように地を叩く。

 常に慈愛が湛えられていたその瞳は今、確かな熱をもって俺達を見据えていた。

 ──諦めも、悲観も、絶望も、一度くらいは抱いたことでしょう。

 鈴のような美しく、繊細な声が響く。

 もしかしたら、これまでの長い旅路で、何度も抱えてきたのかもしれません。

 ですが、貴方方は止まることなく歩み続けてきた。無数の出会いを糧に、折れることなく這い上がってきた。

 それは恐れに満ちた一歩だったかもしれない、震えながら進めた一歩だったかもしれない、傷つきながらも踏み込んだ一歩だったかもしれない。 

 ありとあらゆる場所が聖杯戦争という、異常な戦場と化した中でさえも。

 この世界のすべてが、とうに失われた廃墟になったとしても。

 行く末に無数の強敵が立ちはだかっても。

 "結末はまだ誰の手にも渡っていない"と、空を睨んだ。

 慣れない拳を握り、震える足に喝を入れ、立ち上がった。

 どれだけ涙を零そうとも、戦場を駆け抜けてきた!

 今もそれは、変わらないでしょう?

 だから──さぁ、戦いを始めましょう、マスター。

 これは最早貴方方だけの戦いではないのです。

 だってこれは──貴方方と、私()()による、未来を取り戻す物語なのですから。

 ふわりと笑みを浮かべたジャンヌはまた前を見据える。

 立ち並ぶ巨大な魔神柱を前に、臆することなく声を上げた。

 霊長の世が定まり、栄えて数千年。

 彼女の声に呼応するように、空が震えた。

 神代は終わり、西暦を経て人類は地上でもっとも栄えた種となった。

 魔神柱たちの魔力で埋め尽くされていた空間に、異物がポツリポツリと、されども恐ろしい勢いで増え始める。

 我らは星の行く末を定め、星に碑文を刻むもの。

 それは温かな魔力だった、懐かしさを覚えるものから最近感じたものまで幅広く無数に増えていく。

 そのために多くの知識を育て、多くの資源を作り、多くの生命を流転させた。

 誰かの雄叫びが高らかに響いた、それに続くように、大勢の声がした。 

 人類をより永く、より確かに、より強く繁栄させる理──()()()()()()

 特異点内のあちこちで、星が、光が駆け抜けた。

 これを、魔術世界では人理と呼び。

 星々の群れが広がっていく、それこそ無数とすら呼べるほどの数の光が、俺達を護るように広がった。

 彼らカルデアは、これを尊命として護り続けた。

 ジャンヌがそう言った、その直後。

 ()()()()()()()

 いや、違う。光に見えるアレは、魔力の塊だ。

 超高濃度、高圧縮された魔力──つまり、宝具。もしくはそれに近い、少なくとも超強力な()()

 それが的確に、カルデアへと巻き付いた魔神柱を狙い撃ちして消し飛ばした。

 衝撃が走り、風が吹き荒れる。

 フラウロスの──否、多くの魔神柱の悲鳴が響き渡った。

 ──なんだ!? 今のは、いったい何だというのだ! 何故、貴様らがまだ生きている、なぜカルデアは残っている!?

 なぜ、なぜ、なぜ──何故、我々の身体が崩れているのだ!?

 おかしい、狂っている! なぜ、相互理解をついぞすることができなかった貴様らが、今更協力し合っているのか──!?

 その攻撃は、当然……と言い切ってしまうのは悪い気もするが、取り敢えずダ・ヴィンチちゃんの奥の手とか、そういうのではない。

 では誰なのか、とは問うまでもなかった。

 立香君が笑みを浮かべて、ジャンヌの旗がゆらりとひらめいた。

 彼女は凛然と、まだ分かりませんか? とそう言った。

 その姿に、心動かされた者たちがいたのです。

 その心を、信じた者たちがいたのです。

 我ら英霊、人には非ず、されどかつては人であったものたち。

 後世の記録に残されたほど立派な人物ではありませんでした、手を取り合い協力し合えて来なかったものも大勢いた。我欲に囚われた者も当然いた。

 ですが、そんな私たちを"英雄"であると信じた者がいたのです。

 多くの英霊、多くの争いをその目に焼き付け、幾度も殺されそうになり、また命の奪う羽目になってなお、私たちを"英雄"であると信じた者が!

 すぅ、とジャンヌは息を吸う。魔神柱の内の一本が狼狽えたような声を漏らした。

 聞け! この領域に集いし一騎当千、万夫不倒の英霊たちよ!

 本来相容れぬ敵同士、本来交わらぬ時代の者であっても、今は互いに背中を預けよ!

 人理焼却を防ぐためでなく、我らが契約者達の道を開くため!

 我が真名はジャンヌ・ダルク! 主の御名のもとに、貴公らの盾となろう!

 

 

 歓声が、幾重にもなって空を満たす。

 星々は──英霊たちは今この瞬間も新たに召喚され続けていた。

 チラリと空を見上げれば、誰もかれもが一度は目にしたことのあるようなやつらばかり。

 召喚陣も無ければ、誰かが詠唱しているという訳でもない。

 カルデアからの魔力供給が行われている訳でもなければ、当然俺達からも魔力の供給してはいない。

 それなのに、かつて特異点で何度も助けてくれた英霊から、道を阻んだ恐ろしい英霊までもがこの戦場に顕れていた。

 各々の武器を振り上げて、一気呵成にその力を振るっている。

 なんだよ、それ、と素直にそう思う。

 目の前で起きているこの事象は間違いなく()()()と呼ばれる類のものだった。

 いつだってどこにだって転がっていて、どれだけ気を付けていても必ず襲い掛かってくるある種の"運命"。

 この一年で嫌になるほど味わってきたそれは、しかし今回だけは珍しく、俺達の味方らしい。

 ラッキー、ってやつ? と呟けばジャンヌが少しだけポカンとしたように俺を見て、それから笑みを浮かべた。

 何を言われるのです、これは幸運や偶然といった、在るかどうかも分からない不確かなものでは決してありません。

 これは、貴方方の旅路の結晶、紡いできた絆の証。

 そもそも理不尽、運命なんてものは貴方方がその手で、打ち破ってきたものでしょう?

 それと同じことです。私たちもまた、貴方方と戦いたくてここに来た、ただそれだけなのですから。

 さぁ、下を向いている暇はありませんよ? マスター。

 ジャンヌはそう言って前を向く、一瞬立香君と目が合って、彼は不敵に微笑んだ。

 その姿に何だか少しだけ励まされて、ふぅ、と息を吐く。

 途絶していたカルデアとの通信が戻り、ドクターたちの声が聞こえてくる。

 それを聞き流しながらパチン! と両頬を手でたたいた。

 何だか怒涛の勢いで色んな事が起こり、戦況が二転三転したがやることは変わらない。

 ただ進む、倒す、勝つ。そう、それだけだ、目標はシンプルであればあるほどやりやすくはあるのだから。

 あまりの情報量に混乱していた頭を叩いて戻し、クリアになった視界で前を見据えた。

 いくら英霊たちの助っ人が出来たとは言え魔神柱の脅威がなくなった訳では無いのだ、気を引き締めていこう。

 そう言えば、現実に置いてかれていたのはマスターだけなんだけど……という鈴鹿の声が入ってきたが無視である。

 ちょっ、無視すんなし! とケツを蹴られた。いやごめんて。

 

 

『起動せよ、起動せよ。溶鉱炉を司る九柱。

 即ち、ナベリウス、ゼパル、ボディス、バティン、サレオス、プルソン、モラクス、イポス、アイム。

 我ら九柱、音を知るもの。我ら九柱、歌を編むもの。

 七十二柱の魔神の名にかけて、我らこの灯を消すこと能わず』

 

 九つに重なった声が宙に響くと同時、それは姿を現した。

 今まで見たことのある柱から、見たことの無い柱まで一から数えて九柱。

 まるで無から急に現れたようにして降臨したそれを前に銃を構えた。

 ライダーさんが先行し、鈴鹿が刀を握り、カーミラが杖を携える。

 俺達がここでするべきことは当初の予定通り破壊、もしくは制圧──ではない。

 正解は一点突破して駆け抜ける、である。

 何せ英霊たちが来てくれたのだ、頼らない理由なんてものはない。

 ていうかこの量、この質の敵とまともに相手し続けていたら玉座に辿り着くころにはヘロッヘロである。

 そんな状態で魔術王に挑もうとするほど俺も、立香君も愚かではない──愚かでは、なくなった。

 もっと言えば時間が少しでも惜しい、先ほどフラウロスは「あと数時間」と言っていたのだ。

 あと、たったの数時間しかない。今は一秒でも時間が惜しい。

 立香君と一度だけ手をタッチしてから二手に分かれるように飛び出した。

 飛び出した瞬間に、随分懐かしい声が、耳朶を打った。

 ひっさしぶりじゃない! 来てあげたわよ! という、やたらやかましい、竜の少女──いや、アイドルの声が。

 

 

 っていうか今アイツ、歌って言った!? 言ったわよね、つまり歌勝負ってことよね!? 良い度胸じゃない、受けて立つわ!

 サーヴァント界最大のヒットナンバーを聞かせてあげる!

 という、あまりにも不穏な言葉が続く。

 ちょっ、まっ、ストップストップ! ちょっと待て! と叫んだ俺の声はしかし、ギリギリで間に合わない。

 というか多分無視された。代わりに後ろに下がってなさい! という声が響いてから彼女は大きく口を開ける。

 鋭く吸い込まれた多量の酸素は、彼女の魔力と混じり合い、()()()()()()()に生まれ変わる。

 それに応じて、彼女──エリザベート・バートリーの立つ大地は無機質な土から華やかに彩られた城へと変生した。

 ここまで来たらもう誰にも止められないだろう、素早く下がったライダーさんと鈴鹿に続くように地を蹴ろうとして──その前にカーミラの首根っこを引っ掴んだ。

 何ていうか……ご愁傷様、と言ったらカッ! と目を見開いて憐れむのもやめてくれるかしら!? と叫ばれた。情緒不安定か?

 いや俺も過去の俺とかが出てきて好き放題し始めたらショックで立ち直れない気はするが……今は取り敢えずほら、極力視界に収めないとか努力してくれ、と言えばカーミラは苦渋の表情でうなずいた。

 まぁ、目を塞いでも声は入ってくるのだが、と思った瞬間()()は始まった。

 彼女の声を、ランス兼マイクであるそれが拡大させる。

 飛ばしていくわっ、ブゥブゥ無様に鳴きなさい!

 ──鮮血魔嬢(バートリー・エルジェーベト)ォォォオオオオ!

 直後、聞くに堪えない破壊の歌声が魔神柱をぶち抜いた。

 

 

 それを文字で表すのであれば正しく「ヴォェェエエエエエエエエ!」であった。

 歌詞とかリズムとか、未だそんな領域に達することに成功していない、言うなれば()()()

 爆音のノイズが指向性と攻撃性を持たされ、持続的に放たれた。

 俺達に直接的なダメージは無くとも、それは耳に入ってくるだけで顔を顰めさせるような声だ。

 特にカーミラなんて顔面蒼白である、これはこれで面白いな、と思っていたら無言で頭をはたかれた。

 だが、エリザベートのこれはれっきとした宝具だ、それも攻撃範囲は広く、またその威力も折り紙付きの攻撃手段。

 耐え切れずに魔神柱の一つが決壊する、それに続くように一つの影が俺たちの前に躍り出た。

 銀の長髪に、緑の瞳。

 その手に握られた長剣は蒼白く輝いていて、彼の纏った白銀の鎧を煌びやかに輝かせていた。

 その後ろ姿を、俺は知っている。その輝きを、俺は知っている。その男の強さを、俺は知っている。

 かつてフランスの地で、邪竜を撃ち落として見せた竜殺しの大英雄──ジークフリート。

 相変わらずの生真面目そうな表情のまま、彼は俺を見た。

 すまない、君たちであればこの程度の敵を相手に手助けは不要だとは思うが、それでも余計な手を出させてほしい、と。

 余計な手とか、そんなものはないよ。こっちこそ何度も助けてもらってばっかりだ、ありがとう、頼む。

 そう返せばジークフリートは少しだけ笑って、あぁ、と剣の柄を両手で握りしめた。

 纏われていた光が激しさを増し、空を貫かんほどに肥大化する。

 この一撃は、かつて邪竜を撃ち落とした一撃である。今、それを以て我が友の道を開こう!

 邪悪なる竜は失墜し、世界は今、落陽に至る。

 撃ち落とす!

 ──幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)

 世界を埋め尽くさんばかりの極光が、莫大な衝撃を伴って放たれた。

 

 

 爆風と轟音、それから閃光と魔力が弾けて吹きすさぶ。

 一瞬だけ呆気に取られて、次の瞬間手を引かれた。

 パッと前を見上げれば、そこにいたのはゲオルギウス──つまり聖ジョージ。

 かつてのフランスで共に背を預けて戦った、ジークフリートと同じ偉大なる"ドラゴンスレイヤー"。

 赤銅色の鎧に身を包んだ彼は不敵に微笑んで、さぁ、参りましょう、と言って光を追うように地を駆けた。

 それに静かに頷いて、周りの三人を見てから地を蹴り飛ばす。

 道が開くのは一瞬──とは言わないが、しかし相当に短い時間であろう。

 いくら英霊たちの攻撃が苛烈とは言えあちらも無抵抗なままであるはずがない。

 恐らく、もう少しでも長くここで戦えばこちらの勢いのままここを制圧なりできるだろうが、先ほども言った通り今必要なのは速さなのである。

 少しでも開けた道を無理矢理こじ開けて、ねじりこむように通り抜ける。

 玉座まで向かうにはドクター曰く、七つの拠点を乗り越えなければならない。

 そしてそこに行くまでのルートは全て、門のようなもので閉ざされている、とのことだった。

 とはいえ、その原型もほとんど残っていない。自分たちの再生にリソースを分けすぎてここまで手が回っていないのだ。

 少しだけパッと後ろを振り返る、立香君たちも続くように柱の間を抜けこちらへと走ってきていた。

 良いタイミングだ、そう思うのと同時、一本の魔神柱が道を阻むように俺たちの前に顕れた。

 ように、というか正しくその通りなのだとは思うのだけれども。

 ライダーさんと目を合わす、それから指示を出すように息を吸い込めば聖ジョージが手を振り上げた。

 何の為に私がここまで来たと思っているのですか、お下がりなさい、と。

 その剣を抜き放ち、静かに構えを取った。魔力が丁寧に、しかし迅速に、強烈に練り上げられていく。

 聖ジョージが、地を優しく蹴りつけた。同時に謡うように叫びをあげる。

 ──これこそがアスカロンの真実

 それはともすればゆっくりと歩み寄るような一歩でもあり、同時に、目で捉えることすら困難ほどの一歩であった。

 瞬き一回の間に、聖ジョージは魔神柱へと肉薄する。

 汝は竜! 罪ありき!

 剣が、光を弾く。剣が、光を纏う。

 ──力屠る祝福の剣(アスカロン)

 一撃にすら見える十字の二撃が、魔神柱ごと門をたたき破り──そして。

 とどめの一撃が引き絞られて、撃ち放たれた。

 原形をとどめてすらいなかった門が魔神柱ごと完全に打ち砕かれる。

 それを視界に収めながら聖ジョージがさぁ、お行きなさい、と剣で先を指し示した。

 ここは必ず我々が押し留め、制圧いたします。

 今はただ、前へ、と。

 それに一言頼む、と言ってから地を蹴ろうとしてヒョイッと鈴鹿に担がれた。

 こっちの方が早いし! という言葉と共に風を切った。

 

 

『起動せよ、起動せよ。情報室を司る九柱。

 即ち、フラウロス、オリアス、ウァプラ、ザガン、ウァラク、アンドラス、アンドレアルフス、キマリス、アムドゥシアス。

 我ら九柱、文字を得る者。我ら九柱、事象を詠むもの。

 七十二柱の魔神の名に懸けて、我ら、この研鑽を消すこと能わず』

 

 どうやら一拠点につき発生する魔神柱ってのは九柱までらしい。

 先程と同じように、九つの声を重ねて現れたそれらを見てそう思う。

 あれ? 把握済みの拠点って七つだったよな……九×七は六十三だと思うんですけど……残りの九柱、どこいった?

 玉座で魔術王と一緒にいるのだろうか、そう思いながら概念礼装を引き抜こうとして──雷が空を駆け抜けた。

 悪寒にも近い寒気が肌を撫でつける、俺はその雷を、身に染みるほど知っていた。

 短く切り揃えられた美しい紅い髪、握られた短剣はいつの日か何度もメドゥーサと火花を散らせていたものだ。

 ──アレキサンダー大王、またの名を"征服王"。かつてローマの地にて、何度もこの身を砕きつぶされた末に殺した英霊。

 そんな彼が俺たちを護るように目の前に現れた。その傍らにはあの時も彼の傍にいた英霊が一人いる。

 黒の長髪に黒のスーツ、ついでに縁の黒い眼鏡。咥えられた煙草からは緩やかに煙が伸びていて、その目つきは見ようによっては悪く見えるだろう。

 アレキサンダーと同じく、俺達の道を阻んだ軍師。

 そういや名前聞いてなかったよなぁ、と思って聞けば「サーヴァント、諸葛孔明だ」という一言が飛んできた。

 ……? …………!!? 孔明!? 諸葛孔明っつったのか今!?

 え、えぇ~……? ちょっとそれは意外過ぎるというか何というかちょっと言葉にすることができないレベルのショックだな……。

 マジ? 嘘じゃない? なんて言えば彼は大袈裟にため息を吐いた。

 といっても、諸葛孔明そのものではない、疑似サーヴァントというやつだ。疑似サーヴァントが何かは知っているな? と。

 答えはイエスである、直近ならばウルクで出会ったイシュタルとエレシュキガルがそうであったはずだ。

 霊基数値が云々、霊基の作成が困難云々等と細々した説明をすることもできるが、端的に、一言で言うのであればそれは『人間を触媒にした"強引"な英霊召喚により召喚された英霊』である。

 要するに人の肉体に英霊をぶち込んでいる、という訳だ。

 普通の英霊と違い、現存する肉体をベースにしている為食事や睡眠が必要になるし、ダメージによる消滅は当然そのまま肉体の死に繋がる。

 そういう、言ってしまえばかなりデメリットが多いのが疑似サーヴァントという存在だ。

 因みに人格は残念ながら孔明の方ではない、分かりやすく言うならば孔明の力を借りている一般魔術師とでも思っておけ、という言葉に素直に頷いておく。

 本当ならその辺詳しくお願いできますかね……となるところだが残念ながらどちらも時間に追われる身だ。

 聞いている暇は無いだろう、だからただ一言。

 信じていいんだな、とだけ聞く。そうすれば愚問だな、と孔明は吐き捨て、アレキサンダーは雷を纏い、笑った。

 ただ、見ていたまえ、と言い残した彼は次の瞬間掻き消えた。

 直後、上空から馬の嘶きと、大地を鳴らす音が響き渡る。

 素早く見上げれば、そこにいたのは一頭の黒馬にまたがるアレキサンダー。

 剣を掲げ、彼は叫びをあげる。

 いずれ彼方へ至るため───今こそ此処に、一歩を刻まん!

 掲げられた剣が、落ちてきた雷をそのまま宿す。

 雷光が幾度も輝いて、彼の全身を鎧のように覆い尽くした。

 ──始まりの蹂躙踏破(ブケファラス)

 

 

 雷を迸らせながら、アレキサンダーが魔神柱を文字通り蹂躙して叩きのめしていく。

 その絵面は凄惨なものだというのに、どこか輝かしい。

 そんな感想を抱いていれば、見惚れている場合ではないぞ、早く先に進め、という孔明の言葉が飛んできた。

 ハッとしたように前に向きなおして、助かった、と伝える。

 でもローマでの戦いのことについては絶対に謝らない、これで貸し借りゼロだ。

 そう言えば孔明は目を丸くしてから声を上げて笑い、それで良い、とだけ言ってくれた。

 その言葉に背中を押されるように走り出す、パッと戦場へと目を走らせれば立香君たちもいて、彼らはローマ皇帝'sとでも言うべき集団と共闘をしていた。

 左から順にネロ、カリギュラ、カエサル、そして()()()()()():ロムルス。

 当時、ローマで俺達がアレキサンダーと戦っている間に立香君たちが倒した英霊と言うのがあのロムルスらしいのだ。

 データも見せてもらったがよく倒せたものだ、と今でも思う。

 何せロムルスと言えば大帝国ローマを築いた建国王にして神祖と呼ばれる存在だ。

 ネロもカリギュラもカエサルも、当時の俺は良く知らなかった今では"超凄い人達"であることが分かっているが、その上でロムルスの前ではその名も霞む。

 というか生きていながら神の席に祀られた人とかもう比較対象にするべきではないくらいだ。

 心の中でならまだしも口に出して呼び捨てするとかちょっと恐れ多すぎてできないレベル。

 ある意味会うこと無くて良かったなと、胸を撫で下ろしていればその安心を吹っ飛ばすような『圧政!!!』という声がやたら近くで響いた。

 う、うわー、あんまり見たくねー……と思いつつ視線を向ければそこにいたのはやはりというか何というか、まぁスパルタクスであった。

 ローマで見た時と変わり映えのない彼は俺の姿を見るなり満面の笑みで走ってくる。

 一度だけ抱きしめ殺されたことのある俺は反射的に構えを取ったが、しかし意味は無かった。

 というか普通に肩をポンッてされた。

 俺の腕の二倍以上はありそうな筋骨隆々な腕は見た目以上にがっしりしている。

 どけようとしても微動だにしなさそうだけど……と、取り敢えず何? と目を合わせれば彼はフッと目を細くして笑った。

 そして、彼にしては静かに言う。

 苦境である、と。

 これこそが絶体絶命の具現である。 

 さあ戦おう、無限、連綿、戦闘の地平の彼方に光を!

 諦めることを知らぬ反逆者よ、傷つこうとも心折れようとも前に進む開拓者よ、今こそ共に並び立とう! 

 さあ、無限に等しき強者を打倒せし日だ! と。

 徐々に雄叫びのように声を大きくしていった彼は、最後の言葉を放った後に物凄い勢いで駆け抜けていった。

 嵐みたいな人だな……でも、言いたいことはまぁ、何となく分かった──ような気がする。

 多分一緒に戦おう! いくぜ! みたいな感じだろう。

 あぁ見えて悪い人じゃないのは知ってるし、と脳内で解釈しながら突撃を繰り返すスパルタクスを見ながら最短ルートを模索していたら「あはは!」という快活な笑い声と共に背中をバシッと叩かれた。

 振り返ってみればそこにいたのは見知った赤髪の女性。

 だがその出で立ちは前見た時とは少し違い、頭には金の冠が乗り、その肩には真っ白なマントがかけられている。

 感じられる魔力も前とは桁違いで、思わず出てきた驚きを何とか押し込めながらブーディカ……? と呼べば彼女は少しだけ恥ずかしそうに顔を赤らめながら、ちょっと気合入れちゃった、と笑った。

 

 

 ここはアタシ達に任せて、早く行きな、というブーディカの言葉に甘えて走り出す。

 魔神柱はあちこちにいたが何度も消えては復活をしているようで既に俺達のことすら見失っているようだった。

 良い傾向だ、と思う。同時に長くは続かない、という実感が心を締め付ける。

 俺は大丈夫だから、もう少し急ごうか。

 そう口にしようとした言葉をかき消すように「戦うのね」という言葉が鼓膜を打った。

 激しい戦闘音の間を縫うように届いたそれは、小さく可憐な声だった。

 あまり良い印象の無い声で、思わず顔を顰めながら周りを見渡せばメドゥーサに抱かれる形で彼女はいつの間にかそこにいた。

 かつてローマの地にて、俺達を手の平の上で踊らさせた意地の悪い女神。メドゥーサの姉、神霊:ステンノ。

 あの時のように食えない笑顔を浮かべながら、しかし目を細めてステンノは俺を見据えた。

 外側の庇護を受けし者、運命を砕かんとする者、勇者にはなりえず、英雄の資質はあれど、一歩を踏み出すには躊躇いを持ってしまう者。

 勇ましく、この惨たらしさに慣れてしまった者、魂だけは強く保ち続ける者。

 折れても立ち直ることができてしまう者。

 あの日見た時から、随分と逞しくなってしまったものね。

 ヒトは成長するものだけれども、ここまで変わり果ててしまうなんて、あぁ、いっそ哀れだわ。

 どこかで折れてしまえばまだマシだったのに、あなたの身体と心はもう、取り返しのつかないところまで来てしまったのね。

 それなのに進む──いえ、だからこそ進むのかしら。

 止まった方が賢明だとは忠告してあげる、まぁ聞かないでしょうけれども。

 精々この、終わりのない物語を終わらせられるように頑張りなさい。

 言うだけ言ってステンノはピョンッとメドゥーサから飛び降りた。

 姉さま!? というメドゥーサの声が響くが、それを無視するステンノと目が合った。

 その瞳が、何を映しているのかは分からない。

 俺に何を見出しているのか──はたまた、何も見出していないのかも分からない。

 でも、それでも。

 目が合ったままなのは何か言葉を待っているからだろうと、そう思った。

 だから目を逸らさずに言う。

 貴方が何を言っているのかは正直、半分も理解できてない。

 俺はそこまで強い人間じゃない──でも、それでも、うん。

 前には進むよ、道が無いなら、俺が道を作るってそう決めたから。

 ステンノは、不思議そうに薄く笑った。

 

 

『起動せよ、起動せよ。観測所を司る九柱。

 即ち、フォルネウス、グラシャ=ラボラス、ブネ、ロノウェ、ベリト、アスタロス、フォラス、アスモダイ、ガープ。

 我ら九柱、時間を嗅ぐもの。我ら九柱、事象を追うもの。

 七十二柱の魔神の名に懸けて、我らこの集成を止むこと認めず』 

 

『撃てぇぇぇえええええ!』

 

 いい加減聞き慣れてきすらした九重の声はしかし、直後の絶叫と銃声によって消し飛ばされた。

 銃声──いや、正確に言うのであるならば、それは砲声。

 巨大な大砲から放たれる、強烈無比な一撃の音。

 それは──かつて果てなき海で幾度も聞いた音。

 それに混じって耳朶を打つのは、これもまた、酷く聞き慣れたやかましい騒ぎ声。

 空を見上げた。

 当然、そこに海は無い。あの時記憶に焼き付けるほど見た果てなき青は無い。

 あるのはただの宙、あるいは宇宙──星の大海。

 星の海を、二つの帆船が泳ぐように光の軌跡を描いていた。

 その内の一つに拾い上げられれば、そのど真ん中にいた人物──黒髭がニカリと笑った。

 お久しぶりでござるなぁ! 元気にしていたでござるか!? "あの時"言っていた"次"が今でござるよぉ! なんて言いながら彼は的確に船員たちに指示を投げていく。

 遠くを見れば、もう一つの帆船はドレイク船長の黄金の鹿号(ゴールデンハインド)

 こちらの砲撃に合わせるように連続して大砲の弾が飛ぶ。

 もう飛んで飛んで飛びまくって魔神柱を消し飛ばしていく、正直目を疑うような光景ですらあった。

 す、すご……と思いながらも思い出す。

 黒髭の宝具であるこの船──女王アンの復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)は乗船している英霊が多ければ多い程その力を増す船だ。

 俺達が乗る前から相当な火力を誇っていた船だ、となれば他にもいるのだろう──と見回そうとしたらクイッと手を引かれた。

 メアリー・リード。小さな身体に似つかわしくない二丁のカトラスを携えた、銀髪の美少女が笑みを浮かべていた。

 久しぶりだね、マスター。

 そう言った彼女と改めて握手しなおせばドーン! と横から柔らかい衝撃がやってくる。

 衝撃に対して柔らかいと表現するのは些か不適切な気もするがしかし、そうとしか言いようがない。

 お久しぶりですわね! マスター! という明るく快活な声。

 メアリー・リードのパートナー。

 彼女とはある意味対極とも言える、高身長で出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいる言わばグラマーな美女──アン・ボニー。

 どちらも黒髭と同じようにオケアノスで戦ってくれた英霊だ。

 ていうか別に俺、どっちのマスターでも無いんだけど……。

 まぁそれらしきものと言えばそうとも言えるから、決して間違いとも言えないのだけれども。

 来てくれたんだなぁと思えばワシッと頭を誰かに掴まれた。

 いや、掴まれたというよりは撫でられたという方が近いだろうか。

 かなりでかい手だ、と視線を上げればそこにいたのはエイリーク。

 あの時と同じ物騒な斧を持ち、しかしフッと笑った。

 あれから随分と鍛えたのだな、と。

 ……!?

 しゃ、喋れんのぉ!?

 思わず叫べばエイリークは苦笑して、誰も喋れないとは言っていないだろう、と言う。

 いや、そうだけど、そうじゃないじゃん……!

 俺、今その言葉聞くまでアンタの声「うぉらあああ!」と「ダダダダダダッ!」とかしか聞いたこと無いからね?

 声って言うか最早奇声オンリーなんだよな……。

 そういうものなんだと思ってた……。

 そう言えば彼は、手に持つ斧を一瞥し、我が妻──グンヒルドは嫉妬深い妻でな。

 話した相手をたまに呪うんだ、と言った。

 ……こ、こわっ。

 

 

 船に乗っているからか、比較的安全で和やかな再会をしていたが、そこでようやくと言わんばかりに黒髭の声が飛ぶ。

 よぅし野郎ども! 気合入れていくぞぉ! と叫び、それに呼応しながら前を見据えればそこにはやはり、多くの魔神柱がいた。

 アレを乗り越えなければならないのだ、ゴクリと喉を鳴らしたが、しかしそこであるものを見た。

 黄金の鹿号、女王アンの復讐号の二つにも劣らないほどの帆船が何よりも速く宙を駆け──そして。

 ()()()()()()()()

 見ようによっては射出されたかのようなそれは──いや違う、アレは人──英霊! 英霊:ヘラクレス!

 てことはあの船は、アルゴー号!──つまり、イアソンと、彼が率いるヘクトール、メディアリリィ!

 基本的には彼らは、当然と言えば当然ではあるが、良い記憶の存在ではない。

 特にヘラクレスなんてトラウマものだ。

 だけど、それでも。

 否、だからこそ。

 その強さを、怖さを、恐ろしさを知っているからこそ。

 頼もしさが良く分かる。

 神代の魔術師、メディアリリィのバフを一身に受けたヘラクレスの一撃は正しく天を墜とし地を砕かんばかりであった。

 その両手に握られた両刃の斧が振るわれる度に魔神柱が斬り散らかされていく。

 そして、そんな彼が縦横無尽に動けるように、アルゴー号は宙を走り、メディアの魔法とヘクトールの槍は飛んでいた。

 壮観ともいえるかもしれない。

 果ての海での戦いでは苦戦を強いられたがしかし、やはりイアソンは──あの時のイアソンが愚かであったのは間違いではなく。

 指揮するものとしては劣っているように見えた(だからこそ勝てたのだろうが)が、しかし今の彼はそうではないというのが分かる。

 劣勢であればあるほど強さ──あるいは本質を発揮するタイプの人だったんだ……と何となく親近感を覚えれば女王アンの復讐号は急激に速さを上昇させた。

 魔力を爆発的に吐き出して、大砲を撃ち出す感覚が短くなっていく。

 ──と、突撃でもするつもりか!? と叫べばニヤリと黒髭は笑う。

 拙者たちはマスター殿をお送りせねばならぬでござるからなぁ……! なぁに安心するでござるよ! 魔神だが悪魔だか知らねぇが──関係ねぇ。

 この超海賊黒髭様が、全部まとめて地獄で後悔させてやらぁ!

 オラオラオラオラァ! と黒髭の魔力がそのまま砲弾へと変換され撃ち放たれていく。

 ただでさえこの船そのものが黒髭の宝具そのものだ。

 一撃一撃が魔神柱すらも怯ませる怒涛の破壊力。

 す、すげー……と思わずポカンとすれば「こら、マスター」と背中を叩かれた。

 そろそろなんだから、気合入れてよね、とメアリーが言う。

 それに応じるように、アンが道は開きますからご安心くださいませ、と。

 と言っても、長い間開けるという訳でもなければ、何度でも出来ることではないのでなるべく一度に、そして迅速に向かってくれると助かりますわ、と。

 無様なところだけは見せないでよね、と。

 彼女らは加速を続ける船の、船首へと向かう。

 同時にメドゥーサが俺の身体を掴んだ……というよりは最早抱きしめているとかそういった表現の方が近い気はするが。

 取り敢えず抱えられた俺の目の前で、二人の女海賊は軽やかに宙を舞う。

 ──ここから先の未来も、ここまで経てきた過去も。

 ──残念ながら、ぜーんぶ、僕たちのものなんだ。

 ──本当、我がままでごめんなさいね?

 ──でも、これが海賊ってやつだからさ!

 ──さぁ、海賊のお通りです!

 ──比翼にして連理(カリビアン・フリーバード)

 

 

 二丁のカトラスが無尽に舞い、マスケット銃から放たれた幾つもの弾丸は不可解なほどの軌跡を作り出して三次元的に魔神に穴をあける。

 だが足りない、まだ足りない。

 無限に近い有限を保持する魔神柱は今だ壁のように立ちはだかっていて、けれどもそれを突き破るかの如く、彼は跳んだ。

 その手にあるのは斧──血を啜る斧、血に濡れた戦斧。

 エイリーク・ブラッドアクス、俺の知る限りではバーサーカーのクラスに相応しく、その理性を捨てたかのような大男。

 実のところは理性的に振る舞うことのできるノルウェーを支配したバイキングの気高き王。

 王として君臨したのはほんの三年ほどでしかなった彼は、しかしあまりにも凄絶な異名を持つ。

 ──血斧王。

 血に塗れ、血を啜り、血を求め、血を巻き散らかして、血と共にある、非情の王。

 ある意味アン・ボニー&メアリー・リードと同じような二人組のサーヴァント──妻であるグンヒルドと共に顕現した彼が、()()()()()()()

 ──血塗れの戴冠式。

 兄弟姉妹を殺戮した彼に相応しい、血に濡れた王冠が──狂気がエイリークの全てを引き出させる。

 理性は消え失せ、絶叫を轟かせた彼が振るう一撃一撃は文字通り一撃必殺。

 血を啜れば啜るほど強力に進化するその斧は、魔神柱の血を啜りパフォーマンスを上昇させ続ける。

 強力な魔術師──呪術師といっても良いグンヒルドのバックアップがついた今の彼は、ギリシャにおける大英雄ヘラクレスにさえ手が届く。

 黒赤の一撃が、幾重にも重なって道をぶち空けて──そして。

 後押しするように女王アンの復讐号から飛び出した砲撃が穴を道にして、女王アンの復讐号は怖ろしい勢いで通り抜ける。

 同時に飛び出そうとしたメドゥーサを少しだけ抑え、黒髭とハイタッチする。

 ここは任せた。

 そう言えば彼は、やはり悪そうに笑っておう、さっさと奪い返してこい、とそう言った。

 

 

『起動せよ、起動せよ。管制塔を司る九柱。

 即ち、バルバトス、パイモン、ブエル、グシオン、シトリー、ベレト、レラジェ、エリゴス、カイム。

 我ら九柱、統括を補佐するもの。我ら九柱、末端を維持するもの。

 七十二柱の魔神の名に懸けて、我らこの統合を止むことを認めず』

 

 

 九重の声はしかし、霧散する。

 高らかな、ともすればこの場にはあまりにも似つかわしくない幼女の声の元、言葉通り、霧に散る。文字通り、霧に霞む。

 ぼやけ、移ろい、曖昧に、ぼやけ、輪郭を喪い、覆われる。

 薄く、広く。

 濃く、纏うような霧が。

 己がどこにいるのか、なぜここにいるのか。

 己が誰なのか、仲間は誰なのか。

 全てが前後不覚に陥る霧の中で、それは走った。

 超高速、振るわれたその軌跡を追うことしか許されない神速の多重連斬。

 血のように紅く、美しいそれは霧ごと魔神柱をバラバラに切り裂いた。

 ジャック・ザ・リッパー──かつて、魔の霧に落ちたロンドンにて死闘を繰り広げた幻のシリアルキラー。

 まぁ、本当に存在したのかどうかすら曖昧である彼──もしくは彼女であったそれは、されども伝承に基づいて生まれた、産み落とされた反英雄。

 影のような黒の衣を纏い、光を弾く白銀の髪を靡かせるジャック・ザ・リッパーは、幼女である。

 そう、幼女。

 しかももっと言えば戦いはしたけど全然会話とかしたことないんだよな。

 だから……その、ぶっちゃけ怖いというか、怖ろしいというか、震えちゃうというか、まぁそういった感情を持っていたんだけど……。

 え? マジ? あんな無邪気そうな笑い声を響かせながら斬りまくってるのがあのジャック・ザ・リッパーなのん?

 その実力が変だと言ってるのではなくて、ましてや幼女であることに驚いたとかいうのはもう半年近く前に通り抜けていて、では何なんだと言えば、その……初対面の時とのギャップが激しすぎて思わずアホ面を晒してしまっていた。

 や、だって俺の中だとあの幼女ガチ殺人鬼だからね?

 無表情かつ無言──というかよく聞こえないボリュームで何か呟きながら殺しに来たという印象しかない、言ってしまえばトラウマものの英霊だ。

 それが、えぇ……?

 どういう心変わりなのかしら……それとも何、あの時は反抗期だったとか?

 親と口をきかないとかしちゃうお年頃だったってこと? な、なんか嫌だ……。

 まぁそんな訳はないだろうから──まぁ、なんだろうな、もしかしたらあの姿が彼女の素なのかもしれない。

 見た目相応に幼女をしていながらも、確実に英霊であるジャック・ザ・リッパーの本質があれという可能性はまぁ、大いにある。

 ま、兎にも角にも味方であるなら頼もしいの一言でしかないだろう。

 はわわ……とか言ってる場合じゃないな、と思えば肩を割としっかりめに叩かれた。

 否、叩かれたというよりは掴まれたというべきか、置かれたというべきか。

 何はともあれ左へと目を向ければそこにいたのは一人の巨漢。

 スマートに筋肉をつけたその男を、更に見上げてようやく誰かを察す。

 星の開拓者、神のみが持つとされていた権能、雷を地上に引きずりおろし、人の手に落とした大天才、大英雄──ニコラ・テスラ。

 かつてあまりにも巨大な敵として立ちはだかり、そしてアメリカでは加勢してくれた英霊が、そこにいた。

 

 

 安心したまえ、とテスラは言った。

 彼女もまた君の手助けとなるためにここに現れたのだ、と。

 パチリパチリと嫌な記憶を想起させる雷電をその身から引き起こしながら、そして! と叫ぶ。

 この天才もまた、君たちの助けになるために馳せ参じた! 無理は禁物だ、私の後に続くとよい!

 ふ、ふふ、ふははははは! 見よ、神鳴る雷霆は此処に在り! 三相交流電流が冴え渡るわ!

 ──と、そう言い切った直後に彼は音を超えた。

 いや、正確に言うのであれば、俺たちを連れて彼は雷を纏い、音を突き破ったのだ。

 一瞬にして、空中へと移動したテスラはかつてのロンドンで、空へと昇る階段を作り上げた時のように、ご丁寧に雷の足場を作り。

 そしてその手を掲げ──叫びをあげる。

 叫ぶように、魔神柱へと問いを投げかける。

 神は、神とは何か知っているかね──そう、雷電だ。

 遥か古代より多くの人々がそう信じ、そして実際のところそうだったのだろう。

 ギリシャ神話における主神ゼウスしかり、仏教における守護神帝釈天しかり! 雷は天上より来る神なる力──ゆえに!

 見るがよい、慄くがよい、私が地上へと降ろし、導いたこの輝きこそが、大いなる力そのものだ!

 旧き時代、古き神話に別れを告げよ! 文明は人によって築き上げられた! 

 其は、人類にもたらされた我が光──人類神話・雷電降臨(システム・ケラウノス)

 

 

 ──それは、その宝具は。

 人類における大天才、ニコラ・テスラが成し遂げた「雷電を人類にもたらした」という生前の大偉業であり、

 雷電そのものが生み出してたきた無数の伝説的神秘そのもの。

 神とすら崇められ続けた超膨大な雷が、魔神柱へと一斉に降りかかる。

 赤色のようであり、青色のようであり、紫色のようでもある莫大な雷電は正しく神域の一撃。

 その手から放たれたそれは、一瞬にして"魔神"を薙ぎ払い、同時に俺の背中へと手を触れる。

 さぁ行きたまえ、とテスラは言った。

 ここはこの天才が引き受けよう、しからば君たちは先へと進むべきだ。

 長い道のりだ、しかし、これまでの道に比べればゴールは目前と言っても過言ではあるまい。

 それに──先ほども言った通り安心したまえ。

 魔術王のもとまで君たちのことは少しも消耗させはしない、と。

 言葉を切ると同時に背中を押された。反射でメドゥーサたちを掴めば瞬き一回の内に更に先の空中へと押し出された。

 もう瞬間移動みたいなもんだ──ってそんなこと考えている場合じゃないが!?

 メドゥーサ! 天馬天馬! と言うより早く身体はがっしりと誰かに捕まえられた。

 というか、順序的には空中にあるまじき足場のようなものに降り立った感覚を味わい、それに動揺する前にぐわっと捕まえ寄せられて、しかも跳んだのだ。

 ──よっしゃあ! ついにオレっちの出番が来たようじゃあねーか! と。

 異常に筋肉質なその腕に、俺は覚えがある。

 あまりにも英雄然とした、その威勢のいい声に俺は覚えがある。

 ──天を断ち、地を割り、魔神どもごと宙を裂く! おおよ、これが電火の宝刀! 今、必殺のぉぉぉ!

 空気すらも歪ませる、黄金色の雷電を俺は知っている。

 振り上げられたその戦斧を俺は知っている──って、そうじゃねぇ! ちょっと待って俺抱えたままやっちゃうの!?

 そう叫ぼうとした声は、しかし超高速で急降下しているせいで言葉にならない。

 彼の口上は、終わりを告げる。

 ──天下無双、Gooooooooldeeeeenn! Spaaaaaaaaaaaaaaaaaaark!!

 

 

 光り、弾け、灼き、渦巻き、壊れ、爆発し、叩き潰す。

 黄金の雷電による一閃。何よりも強力な神鳴る一撃。

 あらゆるものを粉砕し、道を明るく切り拓く英雄のそれは、正しく魔神を蒸発せしめた。

 特徴的な彼のサングラスが、ギラリと光って叫ぶ。

 おうおうおうおう! 久しぶりだなぁ、大将!

 なりふり構わず来たぜ、呼ぶ声が聞こえたからなぁ!

 アンタの助けを求める声が聞こえた! 藤丸の力を貸してほしいって声が聞こえた! そして──もっとか細くて、弱い声が聞こえた!

 お前らが世界を灼いた瞬間に叫ばれた、悔しくてやりきれないっていう、無数の声が聞こえた!

 やりたいことがどんだけあっただろうな、飯をこさえる母がいた、明日も遊びたいガキがいた。

 ひたすら夢見て努力を重ねてたやつだっていた、思いを新たにやり直そうと思ったやつがいた!

 オレにはてんで分からねぇ、そういうものがよ、どれだけ大切なものか分からねぇやつのことがまったく分からねぇ!

 だから大将、オレはよ、人理の為だなんて大袈裟なことを言う前に、こいつらの性根を叩きなおす!

 人理を、未来を取り戻すのはアンタの役目だ。こいつらが焼き尽くしちまった未来の為に、オレはあいつらをぶん殴る! それでもその手に未来を掴むのはその手だ!

 任せるぜ、と彼は笑って拳を出す。

 本当、この人は──坂田金時という男は、英雄すぎるくらい、英雄だ。

 聞いてて泣きそうにすらなってくる、これが本物の英雄なのだと、憧れすら覚えた。

 もちろん、と答えた拳をぶつけ合わせる。

 そうすれば金時はやはり笑ってから、戦斧で魔神柱をなぎ倒し、よぅしいくぜぇ! と雄たけびを上げた。

 己を魔神どもに知らしめるように。

 英雄は此処にいるのだと宣言するように。

 お前らの相手はこのオレだと謳うように。

 彼は言葉を紡ぐ。

 ──オレは金時! 坂田金時、音に聞こえた頼光四天王!

 悪鬼を制し、羅刹を殴り!

 時にはゴールデンなマシンを駆ってひた走る──!

 雷電一閃! ゴージャス・ゴールデン・ライダー──変・身!!!

 …………。

 …………変身!!?

 

 

 ドギャン、と高濃度の魔力が爆発のように展開された。

 それはまるで閃光でも弾けたのかと言わんばかりの白光で思わず目をつむり、ややしてから目を開ければそこにはライダースーツに身を包み、やたらイカすバイクに跨る金時がいた。

 ドルルン! とエンジン音が吹き鳴らされる。

 ……か、かかっ、かっけぇぇーー!

 霊基ごと変化してねぇか? とかいたるところに突っ込みどころはあるが、しかしやはりこの格好良さの前ではそれもどうでもよくなるというものだ。

 え? マジ? やっばぁ……。

 ふぇぇ乗りてぇ……と口を抑えてたら金時が乗りな! と親指で後ろを指す。

 やったぜ! と飛び乗れば律儀に俺の頭にヘルメットをかぶせてから、金時は言う。

 さあて、お立合い──!

 電力全開! クールかつデンジャーにぶっこみ決めるぜ! 泣いても笑っても後戻りなんてノーセンキュー!

 ロックン・ロールの準備はOKかい!? それなら行くぜ──黄金疾走(ゴールデンドライブ)

 

 

 黄金の雷電が地を駆け抜ける。

 あらゆる障害を弾き、潰し、焼いて押し通る。

 正しく英雄の宝具──ではあるが、いくら何でも現代的すぎる、と笑ってしまう。

 これでも俺だって──無免許ではあるが──バイクを運転したことくらいはある。

 それだけにこれがただのバイクではなく、バイクを模した何かだとは分かるが、しかし良くやるものだ。

 まさかこんな局面で爆笑することになるとは思わなかった、と二人して笑っていれば、ふらりとそれは視界の端に現れた。

 それ、というよりはそれら、というべきか。

 玉藻の前が、メドゥーサたちを連れて宙を飛ぶように現れたのである。

 まったく、一人で突っ走られては困ります。

 わたくしたち、全員でチームのようなもんなんですし、一人だけ突出したのに付き合って前のめりに共倒れなんて勘弁ですよ? と。

 悪い悪い、と悪びれることなく謝る金時に張り付きながら、あぁ、さっきの足場はやっぱり玉藻の前のだったんだと、思う。

 ありがと、と短く言えば玉藻の前は目を細める。

 本当であればありがとうございます、と平身低頭で言ってもらいたいところではありますが、いえ、仕方ないので勘弁してさしあげましょう。

 それにもう随分と、場慣れしてしまったようですし、と俺の額に手を当てる。

 手、というか指、というか。

 人差し指と中指を添えて、憐れむように笑んだ。

 ボロボロですねぇ、と玉藻の前は言う。

 外も内も、もう酷いくらい。

 ですが、そうなるとも思っておりましたとも、えぇ。

 ですから、私から伝えるのはただ一言のみにしておきます。

 ──勝ちなさい。

 何が何でも勝ちなさい、負けることだけは許されません。

 人理の為でもなく、人類の為でもなく、誇りの為でもなく、ただ貴方の為だけに。

 そのための道くらいは、私たちが切り開きましょう。

 そのためであれば、魔神くらいは制圧してみせましょう。

 さぁもう少し、頑張ってくださいまし、と。

 指が離れると同時に身体の疲労が抜け落ちる。

 ありがとう、と言った俺にえぇ、はい、とだけ返した玉藻の前はでは金時さん、と言う。

 後はお願いしますわね、とメドゥーサたちをドシッと押し付けて彼女はフワッとどこに行ってしまった。

 別に戦線を離脱したという訳ではないのだろうけれど。

 まぁ玉藻の前は基本的には支援系の英霊だ、こんなところにいるよりかは全体を見通せる場所の方が動きやすいのだろう。

 流石に五人乗りはクレイジーだぜ!? と金時は言うが、それでもバイクのスピードは落ちずに上がり続ける。

 仕方ねぇ、しっかり捕まってろよ! と叫ぶや否や、宵闇を裂くような黄金が魔神柱時には弾き、時には間を縫うようにして嘶き駆けた。

 

 

 オレに出来るのはここまでだ、後は大将、アンタ次第だぜ、と胸をドンと叩かれる。

 そっちも頼んだ、と叩き返せば彼はニヤリと笑ってまたバイクを駆って消えていく。

 そうすれば訪れるのは一瞬の静寂だった。

 否、正確に言えばあちらこちらから爆音や戦闘音は響いている。ただ、ここだけはその狭間にいるようで、何だか不思議な感覚ですらあった。

 不思議というか、変というか、おかしいというか。

 まぁいっか、と歩を進めようとすれば「まだこんなところにいたか」というやたら渋い声が通り抜けた。

 赤茶の表紙の本をパタンと閉じて、ニヒルに彼は──アンデルセンは笑う。

 一つだけ、助言をくれてやる。

 もちろん、これは余計な世話となるだろう。無駄な話にすらなるだろう。

 だがまぁ、聞いておけ。

 頭のどこか片隅に留めておくだけで良い、心のどこか端にでも追いやっている程度で良い。

 目を向けたら視界に入るか入らないかくらいの場所に置いておいてくれれば良いだろう。

 いいか、俺は物書きだ。

 物書きにとって自分の作り上げた、書き上げた本というのは切り離した魂とも言えるだろう。

 だがな、それにも種類がある。

 何かと言えばそれは当然「書きたい話」と「書くべき話」だ。

 この二つは別物だ、分かるだろう? いいや、分かれ。

 作者が妄想を自由に羽ばたかせ、なにより作者本人が楽しいものが「書きたいもの」。

 作者を思想で磔にし、なにより作者本人が苦しいものが「書くべきもの」。

 お前がこれから紡ぐ物語は言われるまでもなく──書くべきもの、作り上げるべきもの、成すべきことなのだろう。

 だがな、これだけは憶えておけ。

 お前は別に、使命として、義務として、責任として「書くべきもの」を紡がなくても良い。

 お前は──書きたいものを書いても良い。紡ぎたい物語を紡げば良い。為したいことを、為せば良い。

 ……フン、少々長くなりすぎたな、これではもう締め切りまであと僅かだ。

 もう今までも多くの英霊どもに言われてきただろうが敢えて──そう、敢えて言わせてもらおうか。

 さあ──此処は俺達に任せて先へと進め、とな。

 

 

『起動せよ、起動せよ。兵装舎を司る九柱。

 即ち、ハルファス、フルフル、マルコシアス、ストラス、フェニクス、マルファス、フォカロル、ウェパル。

 我ら九柱、戦火を悲しむもの。我ら九柱、損害を尊ぶもの。

 七十二柱の魔神の名に懸けて、我らこの真実を瞑ること許さず』

 

 

 

 ──では答えましょうか。

 ザリ、と土を踏み、女は言った。

 戦場にありながら、しかし切り裂くように、水面に落とした雫のように透き通る声。

 朱と灰を混ぜたかのような、それでいてどこまでも美しい髪を長く伸ばした女。

 紅の軍服に、純黒のコートを羽織り、血よりも紅い眼をした女。

 どこまでも純粋に、突き詰めた狂気に好んで身を浸らせる女。

 奉仕と献身を信条とする、クリミアの天使──ナイチンゲール。

 彼女は一人、魔神柱の群れの前に立ち、黒の銃口を真っすぐと突き付けて。

 静かに、静謐に、言葉を返した。

 戦火を悲しみ、損害を尊ぶのは人として当然の常道──ですが、人はその先へと進まねばなりません。

 えぇ、そう。

 ただ茫然と立ち尽くしているのではなく、諦観の下見ているだけなのでもなく。

 悔しさに奥歯を噛むのでもなく、怒りに打ち震えるのでもなく。

 燻る戦火をその手で消すように、這い上がる硝煙をその手で払うように。

 親を、きょうだいを、友を、恋人を、愛する者たちを失った者たちが、これ以上何も失わないように、失われないように、失わされないように。

 私が──私たちが、此処に立ち、あなたがたと対峙するのです。

 そう言い切ったナイチンゲールは、しかし「あぁ、それより先に」とグルリと振り返って俺を見た。

 瞬間、やべっ! と思う。

 絶対「治療! 不衛生!」とか何とか言って顔面アイアンクローだ! と短くはあるが、アメリカでの彼女との付き合いを思い出して顔を守るように隠す。

 ──が、覚悟したような衝撃は来なかった。

 あ、あれ? と拍子抜けしたように手を下ろせばスゥッと腕の間を縫うように、ナイチンゲールに襟を掴まれた。

 掴まれて、引き寄せられる。

 いっそ口同士がぶつかるんじゃないの!? ってくらい顔を近づけてきたナイチンゲールはまじまじと俺を見る。

 見る、というよりは観る、もしくは診る、あるいは看るだったのかもしれない。

 白衣の天使:フローレンス・ナイチンゲール。

 狂気に全てを委ねるほど治療を追い求めた彼女は、かつてのように俺を治療対象だと宣うのだと思ったが、しかしその予想は大きく外れた。

 ナイチンゲールは一つ小さくため息を吐き、相変わらず──いえ、悪化していると言っても良いのでしょうね、と言った。

 私の嫌いなものは「治せない病気」と「治ろうとしない患者」です。

 いかな病であろうとも、治ろうとしてくれなければ、手の出しようがないのですから。

 その病はあなたの内に巣食って静かに、大きく、緩やかに広がっていた。

 それは治さなければならないものだと、治らなければならないものだと、思っておりました。

 ですが、あなたに限ってはどうやら見方を変えなければならなかったようですね。

 それもまた、あなた自身であったのだと、そう診るべきだったのやもしれません。

 ──いいえ、違いますね、言い訳です。

 私は何としてもあの時、アメリカの地で出会った時にあなたを治すべきだった。

 あなたは治る意思を持つべきだった……患者であることを、自覚するべきだった。

 しかし、あなたはそのまま、ここまでひた走ってきた。

 そんなあなただからこそ、ここまで来れた。

 ですから今は、今だけは、あなたの行く道を阻む障害を打ち払いましょう。

 あなたがこれ以上、傷つくことがないように。

 

 

 一発の銃弾を皮切りに、戦闘は激化する。

 ナイチンゲールは確かに英霊だ、狂化のスキルを与えられたバーサーカー。

 ヘラクレス等と比べれば戦力としては一歩劣りはしても、しかし一流の英雄──だが、決して彼女の本分は戦闘ではない。

 というか、彼女にとって戦闘とは殺し合いではないのである。

 飽くまで治療、病原を取り除き、病みを払うのが、彼女の本質──ゆえに、ナイチンゲールの放った銃弾に呼応したのは、魔神柱だけではない。

 いつだって前線で戦うのは鍛えられた戦士たちだ。

 かつて見た、不滅の刃が闇を祓い翔ける。

 それは星のように美しく、それでいて凄絶な、極みの一撃。

 輪のように超高速回転しながら引き裂き続けたそれは鋭く彼の王の手元へと戻った。

 再度魔力を装填しながら、彼は歩を進める。

 夕日を宿したような瞳が前を見る、太陽を融かしたような橙の髪を揺らめかせて、吠えるように言う。

 我が名はラーマ、コサラの王ラーマ!

 我が戦友(とも)の助けとなるために、我が戦友が守りたいものを守るために、ここに馳せ参じた!

 これより全霊を以て、戦友の盾となろう!

 ──羅刹を穿つ不滅(ブラフマーストラ)ァァアアアア!

 

 

 投擲された刀剣は円環のように回転し、あらゆるものを引き裂くように天を穿ち翔ける。

 先ほども見た通りその一撃はほぼ必殺。

 そもそも、ラーマ自身が別格とでも言うべき程の大英雄だ。

 そんなラーマは、しかし気安く俺の肩を叩いた。

 案ずるな、しかし恐れよ。

 喪うことを恐れるからこそ、誰かを大切に思うことができる。

 喪うことを恐れるからこそ、自分を大切に思うことができる。

 余がラーヴァナと戦った時、心中にあったのは恐れであった。

 あぁ、そうだ、余は恐れた。シータを喪うことを、心の底から恐れたのだ。

 だからこそ余は戦い続ける道を選ぶことができ、そして今、ここにいる。

 いいか、友よ。

 魔神の言葉に絆されるなよ、あれは諦観の末に辿り着いた飾り物にすぎん。

 飾り物であるから、まばゆく見える。

 取り繕われているから、整って見える。

 だが、そうではないだろう、友よ。

 おぬしが進む道とは、諦めとは対極の道。

 幾度もの苦境を、それでもと前を見据えて上を見上げ進んできた、おぬし自身が作る道だ。

 さぁ進め、最高のマスター、誇らしき我が戦友よ。

 

 

 盾というよりは、剣の方が合っていたかもしれぬな、とラーマは笑い、地を蹴った。

 その一閃一閃が魔神を薙ぎ倒し行く様を見て、まぁ確かにそうかもなぁと思った。

 盾にしてはいささか凶悪すぎるし、そもそも彼はセイバーだ、と笑みをこぼし──急激に姿勢を落とした。

 崩れ落ちるように膝を折りたたむ、瞬間頭の上を何かが通り抜けた。

 音もない、神速の突きが押しのけた風が舞う。

 身体を裏返すように反転、そのまま落ちてきたそれを片腕で防ぎ、流しながら身体を跳ね上げた。

 礼装を展開しているような隙は無く、振りかぶっている暇もない。

 だから──こうだっ! と思いっきり頭突きをかまそうとしたら足を横から蹴られてすっころんだ。

 そのまま槍がガッ! と顔の真横に突き刺さる。

 そこから視線を上げていけばそこにいたのはスカサハだった。

 いやまぁ、そのやたら光る朱槍と、メドゥーサたちが手出ししない時点で察してたけど……。

 本気で振り下ろすのは良くなくない? めっちゃ痛いが……。

 そんなことを考えながら大の字になる俺を見て、スカサハは笑った。

 ふぅむ、及第点だな、と言って。

 

 

 多少はまともになったとは言ってやろう──いや、この短期間で伸ばしたにしては随分伸びたと言ってもよい、か。

 たまには飴もやらんとな、鞭一方では人というのは壊れるらしい。

 それに──と、そこで言葉を区切り、やはりスカサハはあの時のように俺の目を覗き込んだ。

 あの時と違うのは、髪ひっつかまれて引き寄せられてんじゃなくて、押し倒されてるみたいになってることくらいだ。

 さっきのナイチンゲールと言い顔が近すぎんだわ……等と言える心境ではない。

 だが、それでも、間違った道だけは進んでこなかったと思っているから、そらすことなく見つめ返した。

 とても赤い──朱色の瞳。血のような赤さではなく、どこか神秘さを感じるような不思議な、美しい瞳が俺の眼を通して俺を探っているようだった。

 不意に、スカサハは吐息を漏らす。

 おぬしは勇者という柄ではないな、と嬉しそうに。

 相も変わらずボロボロで、見ようによってはどこまで弱々しそうで、だが、軟弱さが消えた。

 蛮勇と勇気を履き違えなくなった。そうだ、おぬしは死兵ではない。

 それが分かったようなら、安心したよわしは。

 ただ──そうだな、重荷は分かち合え、抱え込むな。

 おぬしにそんな器などない、ましてや、その過大な自己犠牲精神は見ていて酷く不快だ。

 くく、課題は多いな? とスカサハはコンコン俺の額を叩いてから起き上がった。

 ついでに力づくでグンッと起こされて、痛めた腕を癒される。

 せいぜい、全力を尽くしてこい、不肖の弟子よ。

 力くらいなら、あぁ、貸してやろうとも。

 そう言って、スカサハは槍を構える。

 トラウマになるほど見た朱色の槍、それは赤白く、神々しい光を放ち──

 貫き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク・オルタナティブ)

 一筋の閃光と化した。

 

 

 そら、さっさと行け! と蹴りだされるままに走り出す。

 つーか地味に蹴られた背中がいてぇ! そこくらいは加減してくれても良くない? と思ったがここで加減されたらされたで気持ち悪いな……と思いなおす。

 優しいけど優しくない、そういう人──英雄なのだ、スカサハという女は。

 あるいは甘やかしてはくれない、と言っても良いかもしれない──少なくとも俺に限っては、という話ではあるが。

 いや、もしかしたらあれはあれで激アマだったりするのかもしれない、比較対象がいないと分かんねぇな……とまで至った思考をフルフルと追い払う。

 後で考えてもいいことは後回しだ、と前を見る。

 前を見れば──そこには、一人の男がいた。

 いや、正確に言うのであれば、視覚だけで得られた情報だけであれば、それを男性と断言するには少々難しかったかもしれない。

 巨体ではある、だが類を見ない程という訳ではない。2mにも達していない程だろう。

 それに彼はフードを被っていたし、もっと言えば俺たちに背を向けている形だった。

 だが、それだけで充分だった。

 充分すぎるくらいだ、なにせ忘れようと思っても忘れられないような人なのだから。

 一瞬だけ悩んでから、その横を駆け抜ければ低い声が耳朶を打つ。

 ──形はどうあれ、一度結んだ縁だ。義理は果たす。

 あまりにも端的、だがそれ以上は不要だった。

 どす黒く染まった朱の槍が、出来上がった道を閉ざさせないように振り乱れる。

 魔神柱を貫き固定するように、禍々しくその命を喰らい尽くした。

 【狂王】クー・フーリン・オルタの"支援"とは言い難いような乱撃はしかし、確実に俺たちを()()()

 す、すげー……と語彙を投げ捨ててたら「遅い遅い! ほぅら早くいくわよー!」という声と共にUFOに吸われた。

 は? UFOに吸われたってなに?

 

 

 ──我が手にはドジアンの書。

 光よ此処に、天にハイアラキ、海にレムリア、そして地にはこの私──ってね。

 久し振りと言うべきかしら? 随分と逞しくなったのね、見違えたわ。

 と、このUFOの主──エレナ・ブラヴァツキーはそう言った。

 いやそう言った、じゃないが。

 え? これマジUFOなの? うわすげぇ! と興奮してたら落ち着きなさいな、とデコを弾かれた。

 ていうかあんまり暴れないでくれたら嬉しいわ、流石に定員オーバーギリギリだし、と笑う。

 まぁさっきからフラフラフラフラしてるしな……と外を覗いたら、でも安心なさい! とエレナは言った。

 トップスピードでぶち抜いてあげるから、と。

 それはそれで大丈夫なのん……? と不安をこぼす前にUFOはギュオン! と速度を上げる。

 思わずぐぇっと尻餅をつけば彼女はポン、と俺の頭に手を置いた。

 ここまで来るのに色んな英霊から、たくさんのことを言われて、もう頭いっぱいかもしれないけれど、それでも私からも少しだけ伝えさせてもらうわね。

 といってもそこまで難しいことじゃないのよ。

 私達英霊──英雄とされた人、偉人とされた人達ってのはね、当然同じような人は誰一人としていない。

 英霊、反英霊だなんて分けられるくらいじゃ全然足りないくらい、千差万別よ。

 でも、一つだけ共通点があるとすれば、それは意志の強さだわ。

 これだけは守り通す、これだけは貫き通す、これだけは譲れない。

 そういった強さ──あるいは、我の強さと言っても良いかもしれない。

 ここまで出会ってきた英霊たちから言われた言葉、そしてこの先でも言われるであろう言葉も全ては、私も含めて、彼ら彼女らの我の強さから生み出されてる。

 だからね、正解なんてないのよ。

 全員の声に答えるのは不可能だわ、でも、貴方は貴方自身の声になら答えることができる。

 誰かの声に、耳を貸しても良い。

 誰かの言葉に、胸を打たれても良い。

 誰かの意志に、共感しても良い。 

 けれども、誰かの意志に、思考に、ただ従うのだけはやめなさい。

 それは時として、貴方の目を見えなくさせてしまうものだから。

 誰かの言葉じゃなくて、貴方の言葉で。

 誰かの心ではなく、貴方の心で。

 貴方はその目で前を見るべきだわ──なんて、言葉遊びみたいだったかしら?

 まぁ、そうね、一言でまとめるのなら──大いに悩みなさい、若人よ、ってとこかしら。

 エレナはニッコリと笑って、俺の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。

 

 

『起動せよ、起動せよ。覗覚星を司る九柱。

 即ち、アモン、バアル、アガレス、ウァサゴ、ガミジン、マルバス、マレファル、アロケル、オロバス。

 我ら九柱、論理を組むもの。我ら九柱、人理を食むもの。

 七十二柱の魔神の名に懸けて、我らこの憤怒を却すこと、断じて許さず!』

 

 

 エレナに送られて、軽く地を蹴った俺達に、降り注ぐように声が降る。

 魔神柱にしては珍しい、覇気のような、怒気のようなものが籠った九重の声が響く。

 何度聞いても、どこか不安げにさせられるような音であるそれはしかし、突如やってきた轟音によって弾き飛ばされた。

 いや、轟音というか、なんというか──それは、正しく物理であった。

 たった一撃、されども慈悲の一撃。

 俺より背が低く、しかし神々しい光を纏う女は音もなく地へと降り立って。

 迷いの欠片も見せず振り抜いた拳──いや、掌底であるそれは、地面から引き剥がすように魔神柱をぶっ飛ばした。

 シャンッと涼やかな、錫杖の音が宙を渡る。

 長く伸ばされた、黒の髪が艶やかに光を弾く。

 法衣を身に纏ったその女性は、しかし人とは言い難く──いや、英霊なのだから、当然なのだけれど、それでも。

 女神のようだった、という表現が似合うと思った。

 似合う、あるいは適切と言うべきだったかもしれない。

 それくらい、美しくて、麗しくて──そしてどこまでも、見慣れた人だった。

 暫く暫く~! 間に合ったわよね!? これ私、完全に間に合ったわよね──ってあぁ! お弟子! お弟子じゃない! 良かったぁ、キン斗雲まで持ち出した甲斐があったわ! やっほー! おっ弟子~!

 ──口を開くと途端に近所に住んでる幾つか上のお姉さんみたいになるのは長所か短所か、議論する必要がありそうだな……。

 

 

 悟りを開いた大偉人、仏教の伝道者──玄奘三蔵、あるいは三蔵法師。

 正直なことを言えば彼女は、まぁ来てくれるだろうなという半ば確信じみたものがあった。

 俺に自分のことをお師匠と呼ばせる彼女は、しかし本当に、どこまでも善性に満ちた人、あるいは英雄、英霊だ。

 いや、善性に満ちた、というか。

 善性でできている、と言った方が適切かもしれない。

 彼女の振るう手に宿るのはいつだって慈悲そのものだけだ。

 慈悲を以て拳を振るい、愛を以て言葉を紡ぐ。

 それは例え、世界を滅ぼそうとしている──もしくは、既に滅ぼしたと言っても過言ではない魔術王が相手だとしても変わりはしない。

 どちらに着くにせよ、そこには恨みや敵意、殺意なんてものはなどこにもない。

 それが「律儀」「経蔵」「論蔵」を修めた、名高き高僧──三蔵法師だ。

 まぁ、だとしても。

 もう一度会えたのは素直に嬉しい、と思えばお師匠は、約束したものね、と言った。

 次出会った時は、お弟子のことをもっと助けてあげるって。

 そうでなくとも、私はお弟子のお師匠様だから、ピンチには助けてあげないとなんだけれどもね。

 よしよし──と、お師匠は俺の頭を撫でた。

 それは俺からすれば、少しばかり意外だと思った。

 お師匠は、確かに善なる人だ。

 弱きを見捨てないどころか、脊髄反射で救いの手を差し伸べるような人。

 慈悲と慈愛を持ち、常に優しくあるような人──だけれども、決して人を甘やかすような人ではない。

 せいぜい発破をかけられるくらいだろうと思っていただけに、拍子抜けといった感じであった──等という思考は、しかしやはり無駄だったということに気付いたのは、その数秒後のことだった。

 ──一つ、弱者に優しく。一つ、困っている人を見捨てず。いつでも心がけていたのは分かっているわ。

 良い子ね、流石あたしの自慢の弟子……だけど、その過程でまた、随分と強くなってしまった。

 身体、というよりもその心、あるいは魂。

 あの日あの時出会った時からまた一段と大きく強くなった。

 諦めず、立ち止まらず、下を見ず。

 頑張って頑張って頑張って、いっぱいいっぱいになっている。

 知ってる? 強さと孤独さは実は結構近くにあるの。

 だからね、お弟子。

 自分を見失わないで、周りをちゃんと見て、時には弱音をこぼしてみるのも良いのよ。

 その歳でお弟子は重過ぎるくらいのものを背負ってしまった、けれど、それから逃げてもいいとはあたしは言わない。

 だけど、それを支えるくらいのことはするんだから。

 だって、ひとりぼっちは寂しいし、怖いものね──と、お師匠はゆっくりと、頭から頬へと流れるように俺を撫でた。

 その眼に秘められているのは慈愛か、あるいは慈悲か。

 その手をゆっくりと掴んで離した。

 大丈夫、分かってるから。俺だって、一人は嫌いだからさ。

 短くそう返す、というよりは長々と語るようなことでもなかったというのが事実だ。

 たくさん言葉を並べて、装飾するようなことではない。

 宝石のように透き通る目を見つめ返せばお師匠は笑う。

 ごめんね、ついついお弟子のことは心配しすぎちゃうの、と言って前を向いた。

 そろそろ行きましょうか、と錫杖で地を叩く。

 悪は叩く! 善は急ぐ! そーらいっくわよー!

 

 

 ドンッと地を蹴り勇猛に、かつ果敢にお師匠は魔神柱の群れへと飛び込んだ。

 それを追おうとすれば「待て待て」と肩を掴まれる。

 視線を向ければそこにいたのは緑髪の男──俵藤太であった。

 忘れるはずもない、キャメロットにて力を貸してくれた、日本における大英雄。

 一つあの時と違うとすれば、米俵を持ち歩いていないというところだろうか。

 熱に充てられるのは良いが、主の出番はここではないだろう。

 なぁに、三蔵のことなら拙者に任せておけ。

 吾とてあやつの弟子だ、つまり拙者は主と兄弟弟子ということになる。

 うむ、弟弟子の出番はもうちっとだけ先だ、だからここは兄弟子のかっこいいところを目に焼き付けていくと良い。

 吾と三蔵で、魔神共に穴を穿いてみせよう。

 その片手に担がれるのは、その巨躯よりも大きい五人張りの弓。

 それに矢をつがえ、迷いなく彼は弓をしならせ口を開く。

 ──南無八幡大菩薩、願わくばこの矢を届けたまえ。

 それは祈り、あるいは願い──もしくは祝詞。

 宝具というのは英雄の伝説や伝承であることがほとんどだ。

 であればこの一撃は、つがえられた矢は、神すら喰らった大百足を仕留めた神話の一矢。

 美しい流水が、どこからともなく顕れ俺たちごと包み込む。

 それはきっと、大百足退治を彼に依頼した、龍神による加護そのもの。

 俵藤太はふぅ、と少しだけ息を吐き、それから俺を見る。

 さぁ刮目せよ、と笑い鋭く息を吸いなおした。

 ──八幡祈願・大妖射貫(なむはちまんだいぼさつ・このやにかごを)

 

 

 瞬間、空間は悲鳴を上げた。

 空間を貫くほどの鋭さで、矢は撃ち放たれる。

 俺たちを包み込むほどの莫大な水流が矢を纏い、さながら流星の如く天を翔け抜け──そしてやがて矢は、龍と化し。

 魔神柱の群れを、その一撃のみで射貫いた。

 行け、敵はまだまだ無限に出てくる。隙をついてでも進め! と言われるがままに走り出す。

 いや、ていうか強すぎないか?

 生前の伝説伝承を考えれば納得できなくもないが、それでも規格外がすぎる。

 そんなことを言ってしまえば英霊なんてものは規格外の代名詞みたいなものではあるのだが。

 まぁなんとも頼りになる兄弟子だよな、とそんなことを思えば俺たちを援護するようにまた矢が飛んだ。

 といっても、それは俵藤太のものではないだろう。

 彼は今宝具を撃ったばかりだ、どれだけ高名な英雄だろうとあれだけの一矢を撃てば多少のクールタイムが必要になる。

 ならば誰なのか──という疑問は、しかし湧いてこなかった。

 なぜなら俺はその矢を知っている、見たことがある、随分と助けてもらった記憶がある。

 アーラシュ・カマンガー、俺の知る限り"最強"のアーチャーである彼の一撃一撃は、ただの一矢でありながら宝具級。

 思わず振り返ろうとした瞬間、ライダーさんにグッと引っ張られた。

 な、なに? と言う間もなく、スレスレの位置を極光が駆け抜けた。

 同時、笑い声が聞こえる。それはもう、クスクス笑いでもなければ、談笑時に出るようなものではなく。

 敢えて言うのであれば──王の笑い声。

 まぁ何だ、要するに──

 『フフフフ──フハハハハハハハハ! 勇者と共に、余、登場である! さぁ我が威光に灼かれて消え去るが良い!』

 ──超ご機嫌なファラオ:オジマンディアスの、笑い声である。

 

 

 めちゃくちゃご機嫌なオジマンディアス、何か見覚えあるな……と少しだけ考えて気づく。

 あぁあれめちゃ有名な英霊に遭った時の俺だわ。

 言うなればファンみたいなもんである、まさかオジマンディアスがそうなるとは完全に予想外ではあるが、しかし相手があのアーラシュなのだから納得というものだ。

 元より、オジマンディアスは勇者を好む人だった──と言うよりは、勇者でもないと肩を並べることを許さない人だった。

 そう考えれば、アーラシュは完璧にその条件を満たしているといえるだろう。

 それこそこの長い人類史を鑑みても、彼ほどの勇者はそうそういない。

 た、助かった~……という感想が素直に漏れ出した。

 いや多分アーラシュクラスの英雄がこの場にいなかったらオジマンディアス帰ってるまであるからね。

 予想というか半ば確信である。

 最早ここに来てくれたというだけで驚きといったところなのに、戦いまでしてくれるのは本当に幸運としか言いようがないだろう。

 本当、アーラシュ様々だな……と思いながら思いっきり手を振っておく。

 そうすればアーラシュもまた大きく手を振り返してくれて、そのまま一矢、引き絞って撃ち放った。

 爆発じみた音と共に魔神柱が吹っ飛んでいき、その横を極光が駆け抜ける。

 オジマンディアスが「躱せなかったのならばそこまで」みたいな思考をしているような気がするのが苦笑いポイントではあるが、それを加味した上でもその頼もしさは異常だ。

 まぁ最悪当たりそうになったらアーラシュが助けてくれるだろう、と打算を立てていれば不意に彼は──彼らは現れた。

 黒の装束に、真っ白な髑髏の仮面。正しく"暗殺者"と言うべき姿の彼らを、見間違えるはずがない。

 イスラム教の伝承に残る、「暗殺教団」の教主:ハサン・サッバーハ。

 その中でも取り分け良く知り合った、呪腕のハサンがお待たせしましたな、と喜色の混じった声でそう言った。

 

 

 我らハサン、一人一人の力は他の英霊の方々にはいくらか劣りますが、それでも多少の役には立ちましょう。

 相手が人ではなくとも、我らは命を奪うことを極めんとしたものゆえに。

 それに貴方がたを送り届けるのに、我らほどの適任はおりますまい。

 山の翁は総じて暗殺者、闇に身を浸し、闇に紛れ、他の目を、耳を、鼻を誤魔化し晦ますのは得意分野ですからな。

 さぁ、こちらへ。未熟者の身ではありますが何とかお役には立ちましょう。

 そう言って伸ばされた彼の手を掴む。ライダーさんたちも同様に、他のハサンとそうすれば、途端に進行速度が上昇した。

 え? マジ? こんなスムーズに行けるんだ……すご……。

 無意識的にそう呟けば、呪腕は笑うように言う。

 目に留まらなければ邪魔されることもありますまい。良いですかな、こういうことが敵の隙を突くということなのです。

 一見では分かりづらい一瞬の気の弛み、物理的に見えている範囲、聞こえる足音、警戒具合。

 そういったものを同時に把握しておくのです──と、言葉にするのは何だって容易いものですな。

 しかもこれも長くは続きませぬ、何分敵が多すぎるゆえに、隙そのものが小さく、また少ない。

 ですが、若干癪ではありますが、しかし、うぅむ、まぁご安心はなされよ。

 ここに来たのは我々だけではないのはご存知でしょうから、端的に言いますと──彼奴らも来ているのです。

 そう、聖地にて好き放題やってくれたあの──と、言いたく無さそうに呪腕が言葉を濁した直後に、それは響いた。

 ポロロンという弦楽器特有の音色。

 散々トラウマを刻み込まれた、不可視の矢。

 弓兵と名乗るにはいささかおかしすぎるだろ、と文句を言いたくなるような彼はしかし、悠然と音を鳴らす。

 音と共に、魔神を切り飛ばす。

 見間違いようが無いだろう、当然、忘れるはずもない。

 彼の名は──円卓の騎士:サー・トリスタン。

 紅い髪を緩やかに風に揺らし、目をつむった彼は、いくらか肩身が狭そうに音を鳴らしていた。

 あぁそりゃ言葉を濁すだろうな、と思った。

 何せハサンたちは三人がかりで挑み、そして圧倒されたのだ。

 それだけでなくとも、元よりハサンたちと円卓は敵対関係にあった。

 今すぐ相容れろという方が難しいというものだ。

 かくいう俺も若干ビビって手先が震えてる──けれども、助けに来てくれたということは、つまりはそういうことなのだ。

 俺たちの為になのかどうかは分からないが、それでも少なくとも『人理を守るため』に彼は此処に来た。

 居づらさを感じようが、何だろうが。

 戦うために、守るために此処に来た。そんな彼にこっちが一方的に怯えるというのは少々失礼というものだろう。

 立ち止まり、呪腕に掴まれている手を軽く引く。

 彼は苦々しげに──仮面をつけているから、本当のところは分からないがそんな感じがした──俺を見たのちに、仕方ないですな、と笑った。

 

 

 

 そういえば結局、トリスタンとは会話という会話をしたことが無かったように思う。

 当時は敵だったのだからそれも仕方のないことではあるのだが、しかしそうなるとイマイチどう声をかけたものかな、と一瞬だけ悩む。

 一瞬だけだ、それ以上は必要ない。

 まぁテキトーに一言二言で良いだろう、と思えば不意に肩を小突かれた。

 ガシャンという鎧特有の硬質な音が一緒に響く──って、ケイ!

 その鋭い目つきに、開けば毒しか出てこないけどその実滅茶苦茶頼りになる円卓の騎士、ケイ! とまで言ったところで頭をはたかれた。

 何だその説明口調は、折角来てやったんだから下らないことしてんじゃねぇ。

 そう言ってからケイは、お前らも言いたいことはあるだろうが──ま、今は前へと進め、と言った。

 あいつにはあいつなりの事情があった、当然ながら他の騎士たちもそうだ。

 忠義と世界は我らにとっては天秤にかけられるものだ。

 それを分かった上で話し合う場としては、ここは些か不適切と言えるだろう。

 だから、まぁその内、な。

 機会があれば呼んでやってくれ、その時に初めて改めて自己紹介し合ってくれ。

 今はまだ、お前のピンチに慌てて馳せ参じてきてくれたことを覚えておいてやってくれれば、それだけで充分だ。

 そして同時に、それが限界だ。

 お前が許せる、許せないの問題でもないのさ、これはな。

 ギフトとかいうものを賜ったやつらなりのケジメでもある。

 だからそら、行くぞ。障害は俺と──あいつが、消し飛ばす。

 そう言ってケイが指さしたのは空だった。

 ただひたすらに虚空が広がる、ともすれば宇宙にすら見える天空に、彼女はいた。

 否、彼女と一括りにしてしまって良いのかは正直なところ分からない。

 それは人かもしれないし、英霊かもしれない、あるいは、神霊か。

 もしくはただの、亡霊か。

 アルトリア・ペンドラゴンのIFの姿、槍と共に、人理を守るためにすれ違い戦った、一人の王──獅子王。

 その手に携えられたのは、世界を、星を貫く最果ての塔。

 世界が崩れないよう、星が壊れないように、現実が離れないように繋ぎとめる一本の槍──聖槍:ロンゴミニアド。

 その奇跡を封じ込めたような緑の瞳が、俺達を見る。

 縁は光芒に散り、因果は立ち消えた。

 されど我が槍は、貴殿らとの戦いを忘却することは無い。

 ゆえにこそ、その背中を押すために参った。

 行くべき道を、拓くために参った。

 長々とした口上は不要であろう、なればこそ、ただ槍を振るうのみ。

 さぁ進め、カルデアの者。

 我が名は嵐の王、ロンゴミニアドを預かる者。

 最果てより宙の外に星の錨を打ちに来た。

 ──地に増え、都市を作り、海を渡り、空を割いた。何の為に。聖槍よ、果てを語れ!

 最果てに輝ける槍(ロンゴミニアド)

 

 

 

 それは──それは、正しく光の柱。

 現実を星に貼りつけ、剥がされぬように縫い留める、星の一撃。

 およそあらゆるものを呑み込み、砕き、破壊し、滅ぼし、融かし尽くす究極の一撃。

 魔神と言えども、耐えられるようなものではない。

 最果てより届く、星の秘奥。それだけで全ては一斉に消し飛んだ。

 呆けている場合か、とまたしても頭を小突かれる。

 際限なく撃てるようなものじゃあない、さっさと行け。

 よもや、臆した訳でもないだろう──まぁ、臆したのならば、行かなければ良いだけなのだがな。

 嫌味っぽく、ケイはそう鼻で笑う。

 それを本気で言っているわけでは無いことは直ぐに分かった。

 というか、分からない方がおかしいだろうと思えるくらいだ。

 彼は俺を信じている、だからこそ、俺はそれに応えようと思うのだから。

 それじゃあ無事安全に次の拠点まで送り届けてくれよ、騎士様。

 なんて言えば何様だ、とまた頭を叩かれた。

 頭を叩きすぎると馬鹿になるって聞いたこと無いのか!? と叫んだがもう馬鹿だろと言われてしまった。

 うぅむ、言い返せない──いや俺はそこまで馬鹿ではないが!?

 

 

『起動せよ、起動せよ。生命院を司る九柱。

 即ち、サブナック、シャックス、ヴィネ、ビフロンス、ウヴァル、ハーゲンティ、クロケル、フルカス、バラム。

 我ら九柱、誕生を祝うもの。我ら九柱、接合を讃えるもの。

 七十二柱の魔神の名に懸けて、我ら、この賛美を蔑むこと能わず──グァァァァアアアアア!?』

 

 

 九重の口上を待たずして、極光が雨のように降り注ぐ。

 それが誰の放った者なのかはしかし、直ぐに判明した。

 夜空のような宙を、煌びやかに翔け抜けるその姿は、今でも目に焼き付いている。

 目を焼くほどの黄金、極光、目立ちたがりの、金好き英霊! その名は──。

 アーッハッハッハッハッハッハ! 今『美』って言ったのかしら? 魔神もどきが賛美って!

 身の程知らずにもほどがある、黙っておけばよかったものの──ざーんねん、見逃すほど私は甘くないのよ!

 賛美と聞いたら、美しさと聞いたら黙ってはいられないわ!

 我こそは美と戦い、豊穣と金星の化身! 天翔ける女神イシュタル! 魔術王とやらに、借りを返しに降臨したわー!

 ってちょっと待ちなさい何よ金好き英霊って!? 紹介の仕方に悪意が満ち溢れてるじゃないの──!

 ギューンっと空を回って来たイシュタルにワシャワシャワシャーっと髪をごちゃ混ぜにされる。

 ちょっ、おまっ、やめろやめろ! と言うが彼女はオーホッホッホッホ! と笑いながら暫く手を止めなかった。

 離されたころにはすっかりフラフラである、こいつ、頭ガンガン揺らしやがって……。

 若干目が回ってる……と軽く睨めばイシュタルはどや顔で俺を見た。

 来てあげたわよ、と柔らかく微笑む。

 ま、あの時約束しちゃったしね。

 約束は即ち契約となる──それを破るのは女神の沽券に関わるし。

 女神イシュタル、次があれば力を貸してあげるという契約、今果たしに来たわ。

 感謝なさい、と。

 イシュタルは笑顔で言った。相も変わらず顔だけは本当に良い女神だ。

 そういうことされるとドキッとしちゃうからやめてほしいんだよな、という気持ちを隠す。

 どっちかっていうと次を無理やり作りに来たみたいな形だと思うんですけど……と呟けば顔真っ赤にしてだまらっしゃい! と叩かれた。

 そもそもアンタが死んだらその魂、アタシが貰い受けるって話なんだから来ないなんて選択肢あるわけないでしょ!?

 これも契約よ契約! と真横で喚かれる。

 その話まだ続いてたんだ……ていうか何でもかんでも契約って言っておけば良いと思ってない?

 ズル過ぎんだろ……と思ってたら槍が落ちてきた。

 いや、俺にではない、真横のイシュタルにである。

 なになになになに!? とイシュタルを引き寄せると同時にそれは地に突き立って、同時に「あれ?」という聞き慣れない声が聞こえた。

 そうして現れたのは、汚れ一つない純白の布に身を包んだ、薄緑色の髪を長く伸ばした──男性? いや、女性? だった。

 や、布がぶかぶかで顔以外に性別判断できるところがないんだって、声も中性的だし、滅茶苦茶誰!? って感じ。

 だが、イシュタルにとってはそうではなかったらしい。

 反射的に彼女の身体を引っ掴んでしまったことを怒られるかもとすら思っていたのだが、しかし彼女はそんなことを露にも思わずピキピキと額に皺を寄せて、叫んだ。

 あっぶないじゃないのエルキドゥ──! と。

 ……エルキドゥ!?

 

 

 やあ初めましてだね、カルデアのマスター。

 二人いるって聞いていたけれど、君はその片割れと見た。

 僕の名はエルキドゥ。

 単なる兵器に過ぎない僕だけど、この人理の窮地では多少の役には立つだろう。

 その為だけに、僕は今この瞬間ここに来た──どうか、存分に遣い潰してくれ。

 エルキドゥはそう言って俺を見た。握手とか何にもなく、ただ真摯に俺を見つめて言った──のは別に良いんだけどイシュタルのこと無視するのやめない?

 いやあの、兵器とかなんだとか、そもそもどういった性格なのかとか話したいことは尽きないくらいなんだけどその前に、ね。

 イシュタルの殺気がね、とばっちりのように俺にも刺さってるんだわ。

 そう言えばエルキドゥは思い出したように「あぁ」と軽く笑ってからイシュタルを見た。

 何だ、まだいたんだ女神イシュタル。珍しいね、昔の君ならすぐにでも矢なりなんなり放ってきただろうに──どうやら大人しくなったというのは本当だったらしい。

 大人しいという言葉ほど君に似つかわしくない言葉はないね、君はもっと我儘で低俗、それでいて珍妙であるべきだよ。

 ほら、ちょうどそこにある魔神柱の欠片を拾うが良い、君の髪飾りにするにはお似合いだ。

 フ、フフフ──なにせどちらも人の世に仇なす邪神なのだから。このあたりで本性出してみたらどうかな?

 ニッコリと、それこそ見惚れてしまうくらいの笑顔でエルキドゥは言った。

 言い放った、猛烈な毒を言葉に変えて、イシュタルをぶち抜いたのだ。

 光が──迸る。

 うふふ、やっぱり根っこから壊れちゃってるようね。

 本音が駄々洩れすぎだぞ、このポ・ン・コ・ツ♡

 こいつの前なんだから、あんまり怒らせないでくれるかしら?

 毒には毒を、言葉には言葉を。

 完全に俺を挟んで口喧嘩が勃発してしまった。

 いや、あの、その……お前ら──仲悪(なかわっっっる)ッ!!! 助けて立香くん!!!

 こいつらの仲裁無理!!!

 

 

 好きにさせておきましょう、相手するだけ時間の無駄です──と後ろからスルリと伸びてきた手に引かれて走り出す。

 白く、小さな手。けれども俺なんかよりもずっと強い、一人のサーヴァント。

 俺はそれを──彼女を知っている、覚えている。

 横にいるメドゥーサと見比べて、また会えた、と思った。

 ──アナ。

 そう呼んだが、しかし彼女は少しだけ首を傾けた。

 その、申し訳ありませんが、アナという名前に心当たりはありません。

 もしかしたら、前に出逢った私がそう呼ばれていたのかもしれませんが、しかし、私は──私たちは貴方の知る英霊ではないのです。

 そう言うと同時に彼女は現れた。かつて強大な敵として立ちはだかった、もう一柱のメドゥーサともいえる英霊、あるいは神霊──ゴルゴーン。

 彼女は不機嫌そうに俺たちを見ながらフン、と息を吐いた。

 恐らくは、ゴルゴーンもまた何も知らないのだろう。

 英霊は座から呼び出されるものだ、覚えている方が例外だということを、忘れそうになってしまう。

 そんな俺にアナ──メドゥーサ……いやもうアナでいいや──は「ですが」と言葉を付け加えた。

 私たちの核は、魂は、霊基は、貴方を覚えています。

 貴方からもらった言葉を、貴方が教えてくれた情を、貴方への感謝を。

 忘れようにも忘れられない程に、刻み込まれている──だから。

 これは恩返しではありません、ただひたすらに、貴方の為にそうしたいと思って此処に来ました。

 我々のような怪物に覚えられていても、迷惑だろうがな──と付け加えようとしたゴルゴーンの言葉を上塗りすように遮る。

 迷惑なんかじゃない、失礼なんかじゃない、そんなことは欠片も思わない。

 覚えてくれてたら嬉しいに決まってる、怖ろしかった敵が味方になってくれたら頼もしいと思うに決まってる。

 それにやっぱり、俺はメドゥーサには惚れ込んでるんだよね。

 だからゴルゴーン達のこともつい贔屓目で見ちゃうんだわ、悪いな。

 心底からありがとうって気持ちしか今は無い。

 本当に助かるよ、ありがとう──と言えばメドゥーサに担がれた。

 いや、担がれたっていうかお姫様抱っこっていうか……。

 恥ずかしいから嫌だってだいぶ前に言ったよね!? という言葉当たり前のようにスルーされたしゴルゴーンは先行してしまった。

 や、やべー……怒らせちゃった?

 だとしたら本当に申し訳ないんだけど……という俺の不安はアナが否定してくれた。

 彼女もまた照れているのです、あぁなった私は、そういった言葉に少々弱いので……

 まぁそれは、私も例外ではありませんが──任せました、私。

 と、そう言ってアナもゴルゴーンの後を追うように空を翔け──そして、入れ替わるように炎は揺らめいた。

 

 

 

 炎──夕日のような色合いの、全てを焼き嘗め尽くす鬼の業火。

 カカ、カカカ、カカカカカ! 吾の出番が来てしまったようだなぁ!

 特徴的な笑い声と共に、業火を纏った大骨刀が魔神柱を叩き斬り、彼女は静かに地へと降り立った。

 黄色の着物に額から生えた二本の紅い角、ギラリと鋭く光る金の瞳を持ち、美しく伸ばした金の髪を散らかす彼女の名は──茨木童子。

 うむ、うむ、久しいな、人間。

 吾は誇り高き鬼──大江山の首魁たる茨木童子である。

 ゆえに、同じ鬼ならまだしも人を助ける道理などはどこにもない、落ちてすらいない。

 ましてや吾は人間が嫌いだ──だが、使い道のある生命だとも思っている。

 人間がいるからこそ、鬼は鬼たれるということを知っておる──それに。

 貴様には借りがある。

 ゆえに、あぁこの一時ばかりは吾が力を貸してくれよう。

 吾が業火にて、魔神なんてものは焼き尽くしてくれる!

 クハハ──なに、言葉は要らぬ。斯様な暇があるのなら、ただ先へと進むがよい。

 その為の道を、吾は作りに来たのだから!

 ──あ、でもちょこれいとがあると吾、超喜ぶぞ、どうだ? と茨木童子は振り返るようにして俺を見た。

 その振る舞いに思わず吹き出すように笑ってしまった。

 かっこつけるのかつけないのかどっちかにしろよ、とポッケに手を突っ込む。

 流石にチョコレートは無いけれど、ほら、飴ちゃんやるからこれで手を打ってくれ。

 イチゴ味の飴玉をひょいッと投げれば茨木童子は「むぅ、仕方ないのう」と言いながらいそいそと口に含んだ。

 言葉とは裏腹にお目目キラキラー! って感じ。

 本当、こういう姿を見てしまうと抱いてた鬼のイメージ、思いっきり崩れるよなぁと思う。

 まぁ元より原型ないほど崩れてんだけど、甘味で篭絡する鬼とか聞いたことないわ。

 ちょろさでいけば黒髭並である、あいつも画像フォルダで一撃だったからな……。

 なつかしっ、と思う間もなく茨木童子は「ではやるか」と炎を操った。

 ゴォッという熱風と共に炎熱は彼女を取り囲む。

 渦のように、竜巻のように、それは回り廻ってやがて形を成す。

 それは、彼女の手であった。

 かつて、渡辺綱に斬られたという茨木童子の凶悪な鬼の腕。

 それが今、鬼火によって再現されていて、煌々と火花は舞い踊り──そして。

 ──姦計に断たれ、戻りし身の右腕は怪異と成った! 走れ──叢原火! 羅生門大怨起(らしょうもんだいえんぎ)

 号令と共に、それは放たれた。

 

 

 

『不沈なり、不毛なり。

我ら生命を司る九柱、玉座ある限り尽きること能わず。

神霊の暴威、恐るるに足らず。

旧き人理に屈した者など、我らの敵に非ず!』

 

 

 鬼の業火に焼き払われて尚、九重の声は響く。

 これだけやられていようとも、未だ屈することは無く、全ては無駄であるのだと、宙に響かせた。

 己は健在であると、何一つ意味を為していないと証明するように。

 ──だけど、それは多分悪手なんだよな、と思った。

 俺だって別にそう長い付き合いという訳じゃない、ましてや神様なんてのは扱いに困るわ付き合い方に悩むわで大変だ。

 ただでさえ人間付き合いも下手くそうだろうが、と言われたら否定はできないがそれは取り敢えず置いといて、だ。

 大変だからこそ、苦労したからこそ、それだけは言っちゃダメなやつだろう、と思わず笑んだ。

 神霊は総じてプライドが高い、それを傷つけられればそりゃキレるだろう。

 それこそ──多分、()()()()()()()()()()()()()

 直後、光は落ちた──否、光だけではない。

 光と数多の武具が、さながら雨の如く落ちまくり、そして声が轟いた。

 ハッアァァアアアアアア──!? 屈してなんかいないわよ! そっちの方が未来(さき)があるって認めただけだっつーの!

 あぁもうあったまきた! 徹底的に排除してやるんだから! と続けて更に輝きを地に落とす。

 その隣でエルキドゥが、至極嫌そうに──いやもう本当に心底嫌そうな顔をして、けれども「不本意だけど、同意するよ」とそう言った。

 ──あぁ、今の発言は僕の友への侮辱に等しい。

 虎の尾を踏んでしまったね、君たちの生まれに思うところはあったが──結論は違ったようだ。

 徹底的に、消し飛ばしてやる。

 そう言って、エルキドゥはその手を振りかざす。

 そうすれば槍に剣、矢に斧と数多の武具が顔を覗かせて──その全てを際限なく撃ち出した。

 まるでギルガメッシュ王のようだ──と思ったところで、あぁそういえば二人は親友なんだったっけ、と気付いた。

 だから似通った、あるいは片方が片方を真似したのだろう。

 そう考えると何だか可愛いな……と呟けば、あら? あらららら? という困惑したような声が小さく鳴った。

 その声に聞き覚えはあった……というよりは、まんまイシュタルの声そのものだった。

 だがそのイシュタルは今、上空で高笑いしながら光をぶち込みまくっている。

 となれば、その声の主は一人しかいないだろう。

 女神イシュタル、その()()()()()

 全く同じ神性であり、イシュタルの依り代となったとされる少女の持つ性質の片側を引き継いだ同一存在といっても良い女神。

 は、はわわわわ、呼び声に応じて華麗に参上したと思ったらいきなりディスられたのだわ!? ど、どうして!? と狼狽える彼女の姿はどこか愛おしくすらあった。

 美しい金の髪に、真っ赤に透き通るルビーの瞳を持った彼女は、 冥界の女主人──エレシュキガル。

 俺は彼女のことをよく知っている──等と口にできるほど何かを知っているという訳ではない。

 実際のところ、俺がエレシュキガルと話したのはメソポタミアにいた短い期間の中のたった一晩に過ぎず、むしろほとんど知らないと言った方が良いだろう。

 見張り番をしていた間の極短い時間だけが、俺と彼女だけが知る、俺たち二人を特別に繋ぐ縁になるのだから。

 弱く、か細く、拙い縁だ。

 けれど、言葉で言い表せない程大切な縁でもある。

 ただ、まぁ……なんなんだろうな。

 ぶっちゃけエレシュキガルとの距離感が俺は掴めないでいた。

 それは多分、エレシュキガルもそうなのだろう。

 互いの目が合って数秒の沈黙が流れたのがその証拠である。

 いや嫌いとかそういうんじゃなくて本当に……こう、言葉が出てこないんだってば。

 コミュ障同士が仲良くするのは結構難しいんだよ! と内心叫んだらエレシュキガルは「ほんの少しだけなら、手を貸すのも吝かではないわ」といった。

 けれど、女神の制約に『無償で人を助けるべからず』というものがあります。

 善意だけで、情だけで女神は人に救いの手を差し伸べてはならない。

 救いを、助力をするのであれば、必ず等価交換という形を取らなければならないの。

 なぜなら、無償の救いは人を堕落させるから。

 だ、だから、ね、その、あ、アナタは私に何をくれるのかしら──と、エレシュキガルは不安そうに瞳を揺らして、そう言った。

 それが形式上のものでしかないということは、言われなくても分かるだろう。

 というかこの場にいるということそのものが、そういうことだ。

 でも、等価交換なぁ……。

 俺そんな大それたものに差し出せるようなもん持ってきてないし、そもそも持ってないんだよな。

 これは無理では? と考え込む俺を見て、エレシュキガルが何を思ったのかは分からない。

 けれども彼女はコホン! とわざとらしく咳払いをしてからもう一度声を揺らした。

 わ、私は──あの日、あの晩、貴方のお陰で"外"を知ったのだわ。

 貴方を切っ掛けにして、初めて触れられたのだわ。

 もっと知りたいと思えたのだわ、だから──また、話の続きを、私は知りたい。

 貴方の見てきた世界を、歩んできた道のりを、その物語を、わ、わわわ私は、聞きたいのだわ!

 で、できればあなたたちの元に召喚も──い、いいえいいいえ! それは流石に高望み過ぎ──等と、口早に、しりすぼみするようにエレシュキガルはまくしたてた。

 本当に、イシュタルと同一の女神とは思えないくらい、可愛らしい女神(ひと)だな、と思う。

 こんなこと思ってるだなんてイシュタルに知られたら、それこそ殴られそうな気もするが。

 それでも、あぁ本当に。

 そんなことで良いのであれば、いくらでも続きを語ろう。

 俺の見てきた世界を、俺の見てきた英雄たちを、立ちはだかった強敵達を、嬉しかったことを、悲しかったことを、楽しかったことを、許せなかったことを、胸を打たれたことを。

 どれだけ話しても尽きない記憶を、物語を、語ると約束しよう。

 必要になる時が来たならば、必ず貴方を召還すると約束しよう。

 これで等価交換になるか? と聞けばエレシュキガルは「ほ、ホント!? 本当に!?」と思わずといったように言ったがコホンと気を取り直す。

 えぇ、その約束を、契約をもとにこの一時、この一瞬だけ力を貸し与えましょう──冥界の女主人、エレシュキガル名において命ず! 

 世界を救う英傑よ、あの悪しき魔神に制裁を!

 此処まで歩みぬいてきた、他の誰でもない貴方たちの手で、遥か彼方まで続くはずだった未来を取り戻すのです!

 穿て! 冥界の赤雷よ! 我が朋友の道を切り拓くのだわ──って、私達友達なのよね、そうなのよね!?

 急に自分の槍を抱きしめるようにしてエレシュキガルが俺を見る。

 友達……うん、まぁ、多分?

 英霊や神霊相手に友達って言い方もどうかとは思うが、しかしただの知人(神?)とするには少々関係が深いようにも思う。

 その上で敢えてカテゴライズするのであれば、俺としては恩人だとかその辺が出てくるのだが、しかしエレシュキガルがそう思ってくれるのならば、そう思うことを許してくれるのならば、俺もそう思おう。

 そう言えば、エレシュキガルは「そ、それなら良かったのだわ!」と顔を赤らめながらもう一度槍を振りかざす。

 ──冥界を此処に、我こそはエレシュキガル、死の国を統べる山守りの女神なり。

 この声が聞こえるのならば応え、従いなさい──冥界の赤雷よ!

 天に絶海、地に監獄、我が昂とこそ冥府の怒り! さっさとそこを、どきなさーい! 霊峰踏抱く冥府の鞴(クル・キガル・イルカラルラ)ァァアアアア!

 

 

 その光景は、一度見たことのある光景だった──というよりも、あの光景の再現だった、というべきなのだろう。

 紀元前2600年メソポタミア、都市ウルクの直下に広がる冥界にて繰り広げられた、人類悪:ティアマトへと降り注いだ冥界の制裁。

 ある種の災害とも呼べるほどの強力な、激烈な、過剰な紅の雷が魔神柱を滅ぼし尽くす。

 それを受けて上空のイシュタルが「はぁぁぁああ!?」と叫んだ。

 エレシュキガル、アンタなんでこんなとこにいんの!? しかも、前の姿で──とまで言いかけたイシュタルをわたわたとエレシュキガルが遮る。

 い、色々あったのだわ! その、なに? レイシフトがどうこうとかでこう──なんか締まりの良い感じに!

 はい、この話はここでおしまい! 私もこれが終わったら退去するから貴方も今のうちに行きなさい! そして必ず助けに来なさい! 待ってるから! 立香にもちゃんと伝えてね!

 ほらほらほらっと背中を押されて走り出す。

 一体何の話してんだよ、と聞きたいところでもあったが、ゆっくり立ち話できるような場所でもなければ状況でもない。

 絶対召喚して聞き出してやるからな……! と思いながら走り出せば、降下してきたイシュタルが呆れたようにため息を吐いた。

 あの子私の陰気全部持って行ったからかなぁ、わがことながら、めんどくさい性質なのよね……

 ま、でも今は良いか、驚きはしたけれど、悪い傾向ではないもの。

 さて、と、それじゃあ行きましょうか。

 冥界の雷降りしきるような中じゃあ大変でしょうから、特別にこの私が先導してあげる。

 何よその眼は、安心なさいな、気紛れみたいなものよ……って、誤魔化すのはあまり良くないかもね。

 ──私は、天の女主人イシュタル。

 誰よりも自由に空を翔け、何ものにも縛られずに振る舞う、完成された美の女神。

 だからこそかしら、貴方のような未完成なもの、見てて放っておけないのよね。

 それに、貴方が全力で足掻いて、全霊で藻掻いて、決して諦めずに前を見据える姿は、あまりにも美しく見える。

 美しいものは好きよ、未完成なものも、見ていて飽きないわ──でも見てるだけじゃドキドキしちゃうじゃない。

 見守るのが女神の本分、だけどこっそり手を貸しちゃうのもまた女神の本質よ。

 契約している以上、遠慮する必要はないしね。

 だから──だからね、今は、貴方の戦場に立つ今この瞬間だけは、私は貴方の勝利の女神となりましょう。

 さぁ刮目しなさい、片時たりとも忘れないよう、その記憶に焼き付けなさい! そして疾く進みなさい!

 ゲート・オープン! これが私の全力全霊──撃ち砕け! 山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)

 

 

 

 大いなる天から大いなる地へ、という意味を冠すその宝具の別名はジュベル・ハムリン・ブレイカー(エビフ山絶対破壊光線)

 かつて本当にエビフ山をぶち壊した際の逸話が昇華された、対山宝具であるそれは、比喩でも何でもない星のそのもの。

 金星という惑星の概念そのものを矢として放つ、何ものをも恐れぬ規格外の所業──金星の一撃(ヴィナスブラスター)

 傲慢に、我儘に、奔放に。しかして凄絶に、圧倒的に闇を砕き、魔を撃ち払う神の一射。

 それは冥界の嵐が吹き荒れている戦場に現れたもう一つの災害。

 避けようはなく、防ぎようはない、唯一無二の星の極光。

 それに呆けている場合じゃないと言わんばかりにライダーさんに担がれて進んだ。

 ここが七番目の拠点だった──つまり、制圧しなければならないとされていた最後の拠点であった。

 イシュタルの一射が、これまで積み重ねてきた被害も合わせて魔神柱を押し込んだのは間違いないだろう。

 だから、次へ──玉座へ。

 魔術王が待ち受けているはずの玉座へと早く早くと駆けあがった。

 そうして待ち受けていたのは、しかし魔術王でもなければ玉座でもなく。

 ()()()()()()()()()()()()()──そして()()()()()()()だった。

 少しだけ遅れて追いついてきた立香くんが、嘘でしょ、と言葉を零した。

 

 

『起動せよ、起動せよ。廃棄孔をつかさどる九柱。

即ち、アンドロマリウス、ムルムル、グレモリー、オセ、アミー、ベリアル、デカラビア、セーレ、ダンダリオン。

我ら九柱、欠落を埋めるもの、我ら九柱、不和を起こすもの。

無念なりや、無常なりや。

我ら七十二柱の魔神を以てして、この構造を閉じることは叶わず』

 

 

 八つ目の拠点!? なんてことだ、此処の存在は完全に予測外だ!

 名乗りを上げた魔神柱を前に、ドクターの悲鳴にも似た声が耳朶を打つ。

 だが、そうなるのも仕方がないだろう。

 これまで加勢に来てくれた英霊たちというのは全て、これまで乗り越えてきた七つの特異点によって結んできた縁を辿ってきてくれたものなのだから。

 だから、そう、つまるところこの完全に予想外であった八つ目の拠点に関して、加勢は望めない。

 そんな俺たちを見て、満足したように九重の声は、嬉し気に言葉を連ねて響かせた。

 

『そうだ、ここで朽ち滅ぶがよい、最期のマスター。人類最後の希望。

貴様らが玉座に辿り着く可能性はここにて潰えた──否、最初からそんなものは無かったのだ。

何故なら此処には何もない、我等には何もない。

未来も過去も、因果も希望も、人が神と名付けた奇蹟すらも。

あらゆるものが無価値と成り果て、あらゆるものが不要だと廃棄された。

それがこの、忘れられた領域、八番目に位置する虚無の拠点。

誰一人として人間(お前たち)を助けない死の孤島。

膝を折り、顔を伏せ、その心さえも屈するが良い。安心せよ、絶望すらする必要はない。

ここはあらゆるものが諦観し、投げ捨てる"意思の終わり"。

誰一人としてお前らの名を呼ぶものはいなければ、現れもしないのだから』

 

 

 笑い声が響く、鼓膜にこびりつくような、下衆な笑い声が空を震わせる。

 そうだ、助けは来ない、救いは無い、頼れるような誰かはいない。

 俺たちだけで乗り越えなければならない──だけどそれって、そんなにおかしなことか?

 確かに俺たちはいつだって誰かに頼って進んできた、誰かに支えてもらって、ここまで進んでこれた。

 だけど、それでも俺たちは、自分の足で歩んできたんだ。

 たくさん傷ついて、たくさん苦しんで、でもその上で前へと進んできた、踏み出してきた。

 だから、確かに絶望する必要はないと言えた。

 諦めの悪さは、勝利の女神さまのお墨付きなんでな──と、紫の鞘から赤い短刀を抜いた。

 否、抜こうとした。その柄に手をかけて、今まさに引き抜こうとして、しかし止められた。

 魔神柱に止められたという訳ではない、ドクターの制止の声が入ったという訳でもなく、また立香くんの手によるものでもない。

 メドゥーサにカーミラ、鈴鹿なんかは既に臨戦態勢だった。

 であれば誰に止められたのか、と言われればそれはこの短刀をくれた張本人だった。

 白銀の髪を靡かせて、紅玉の瞳に慈しみを閉じ込めた、一人の武将──巴御前。

 お久しゅうございますね。

 この状況でも未だ戦おうとするその意気や良しっ、ですがそれはもう少し後にしてくださいませ。

 貴方が戦うべき場所はここではなく、この先なのですから──と言いますと、まるで巴一人に任せてくださいと言っているように聞こえてしまいますね。

 ご安心ください、そのようなことは言いませぬ……いえ、そのような状況があるとすれば、よろこんで務めさせていただきますが、此度は違うのです。

 あの魔神も、自らの口で言っていたでしょう。此処には何も存在しない、と。

 えぇ、そうです、此処には何もございません、在るとされているものが無く、また無いということだけが在る。

 そういった虚ろの領域、もしくは埒外、あるいは例外の領域。

 常識はなく、道理もまたございませぬ──しかし、いいえ、()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 知らなかったかもしれませんが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 直後、声が聞こえた。

 誰かの声、というよりは大勢の声がどこか遠くから木霊するように耳朶を打つ。

 それが誰のものなのか、はっきりと判別することはできないほどに沢山の、数えきれない数多の声が重なり響いていた。

 だけど、それらが何なのか、彼らが何なのかを、俺は知っていた。

 ──それは、英霊()()()()

 決して、歴史に名を刻み込めるような偉大かつ強大な個の存在ではない。

 それでも無数に姿を顕現させ、盾のように俺たちの前へと並び始めた彼らを敢えて呼ぶのなら、()()と呼ぶべきだろう。

 されどもただの亡霊ではない、彼らは──。

 ──我らウルクを守護せし誇り高き魔獣戦線! 

 だが今この時だけは、我らが王に未来(さき)を託されし朋友の道を押し空けるためここに集った! 

 魔獣から王を、民を、国を守るのではなく、友の為に、今ここに我々は()()()()を展開す!

 

 

 雄叫びが何重にもなって響き渡る。

 鎧をまとい、それぞれの武器を掲げた彼らが口々に叫んだ。

 ──ほんの数か月しか一緒にいなかった。

 戦場でしか話さなかったやつだっている、その逆で、休憩中にし二言三言しか話さなかったやつだっている。

 正直に言えば、人となりを把握しているって訳でもねぇ。

 だけど、だけどそれでも、我らは知っている!

 見知らぬやつの為にだって必死になれるやつだということを!

 本当は戦いなんてしたくないって怯えてるようなやつだということを!

 そんな気持ちをねじ伏せて、堂々と立てるようなやつだということを!

 我らは知っている、そして共感できる。

 何故なら我らがそうだから。

 だからこれは、我らなりの恩返しだ。

 あの日あの時、我らの為に、我らの時代の為に、歯ぁ食いしばって、意地を張って、命を懸けてくれたお前へ借りを返しに来た!

 我らの魂を燃やし尽くしてでも、道は作ってみせる! さぁ行くぞぉぉおおおお!

 声と声が混ざり合う。

 音と音が干渉し合って、叫びが何重にもなって、そうして彼らは一斉に前へと突き進んだ。

 それを見て、巴御前はそれでは私も参りましょうか、と言った。

 なにせ私はむしろ、彼らのおまけのようなものなのです──ですが、全霊を尽くさせてもらいます、では!

 と、そう言って巴御前が鋭く指示を飛ばしながら前線へと向かった。

 その後ろ姿を見ながら、ほぅ、と息を吐いた。

 俺、夢でも見てんのか? と疑う訳ではないがそれでも目の前に広がる現実は、割と信じがたいものだったのだ。

 滅茶苦茶すぎるだろ、と笑みがこぼれ出る──が、しかしそれでも。

 まだ足りない、ということが俺には分かっていた。

 これまでの拠点ですら、多数の英霊のお陰で何とか制圧できている状態なのだ。

 ウルクの兵士たちが弱いと言っているのではない、巴御前の指揮が下手だと言っているのではない、単純に魔神柱が多すぎる。

 要するに、戦力が足りていない、制圧するには足りなさすぎる──と、思った。

 思うと同時に、そいつは現れた。

 否、そいつ()は現れた、と言うべきだろう。

 黄金に靡く髪に、僅かな光も弾く、()()()()()を持った()()()()()()

 ──ギルタブリル。

 ちょうど今、眼前で戦ってくれている魔獣戦線とぶつかり合っていた魔獣たちを率いていた司令塔。

 男の方のギルタブリルが振り返るように俺を見て笑った。

 おやおや、少しばかりの手助けに来たのですが、随分と愉快なことになっておりますね。

 この宙域の特性を上手く利用して、無理を押し通してる。

 さて、カルデアのマスター。かつて私どもを殺した、星見の台のマスター。

 あれからまた強くなられたようですね、素晴らしいことです、しかし同時に悲しいことでもあります。

 ですが、それもこれで一旦の終わりは訪れるでしょう、そして私共は──その為に、此処に来た。

 裏があるという訳ではありません、ただ、敗者は勝者に従うべきというルールに則っただけ。

 今は、それで良いでしょう。

 ですから──今はただ、ご指示を、ご命令を。

 その通りに動き、殲滅いたしましょう──あぁ、勿論彼女も一緒に。

 ただちょっと拗ねてるだけなので放っておいてください。

 何テキトー言ってるんですかっ! と女の方のギルタブリルに男の方が蹴られて苦笑いをする。

 ……な、なに? めっちゃ仲良しじゃん……いきなり目の前で夫婦漫才始めるのはやめろ。

 情報量が多すぎんだよ! 頭がバグる! と叫んでからんんっ、と咳ばらいをすれば二人は同時に俺を見た。

 ほんの少しだけ硬直してから、息を吸い直して、見つめ直した。

 ──俺達の行く道を、作ってくれ。

 たった一言、それだけ言えば、二人のギルタブリルは承知いたしました、と言って戦場へと飛び込んだ。

 神代の化け物の力が、縦横無尽に振るわれる。

 仲間になると頼もしいって一言で済ませたくないくらい、頼もしいな……と思わず独り言ちれば、不意に立香くんが笑った。

 どうした? と問いかけようとして──そして。

 突然マジで聞き覚えの無い笑い声が、上空から高らかに響いた。

 ──ハ、ハハハ! クハハハハハハハハ!

 この世の果てとも言うべき末世、祈るべき神さえいない事象の地平!

 確かに此処は何人も希望を求めぬ流刑の地と言えるだろう。

 人々より忘れ去られた人理の外だ。だが──だが! 俺を呼んだな、立香!

 ならば俺は虎の如く時空を駆けるのみ! 我が名は復讐者、巌窟王エドモン・ダンテス!

 恩讐の彼方より、わが共犯者を笑いに来たぞ!

 

 

 

 立香くんが空を見上げて破顔する。

 真似るように俺も見上げれば、そこにいたのは一人の男であった。

 ポークパイハットを被り、黄金の瞳をギラギラと光らせ、病的なまでに白い肌をした男。

 その身を隠すように纏う暗色の布の内側からは、バチバチと蒼白い電流が走っていた。

 巌窟王──俺は、その名を知っている。

 いや、本で読んだとかそう言った意味での知っているではない。

 立香くんの口から直接、聞いたことがあるのだ。

 あれはちょうど第五特異点であるアメリカにいた時のことだったか。

 巌窟王と名乗る英霊と共に、魔術王から仕掛けられた罠を乗り越えたと聞いていた。

 まぁそれだけだ、それ以上も以下もない。

 挨拶の一つくらいはしておきたいが、今は良いだろう。

 彼がどれほど強いのかは知らないが、それでもあの立香くんが彼の顔を見た瞬間ほっとしたことから、信用できるほどであるというのは分かる。

 ならば心配する必要は無いのだろう……と思っていたら巌窟王の隣にまた一人誰かが現れた。

 くすんだ白銀の長髪を風に揺らす女性だった。

 黒の鎧を纏い、鋭く目を細める邪悪な女性だった。

 確かに見たことのある美女だった。

 ──ジャンヌ・ダルク・オルタ。

 通称:竜の魔女と名乗り、第一特異点で俺達の前に立ちはだかった女が、音もなく現れた。

 彼女は興味なさげに俺達を一瞥してから「退屈しのぎに暴れに来たわ」とだけ言った。

 ……これがツンデレってやつだったりする? と立香くんに耳打ちしたら「何よそれ!? 違うわよ!」と石ころ投げられた。

 シンプルにあぶねぇ! 英霊の膂力で全力投石はやめろ!

 ほらもう地面めっちゃ抉れてるし投げた石、木っ端微塵になってんじゃん……

 人を何だと思ってやがるんだ、とため息を吐くとポンッと肩に手をのせられた。

 それから「はい、そして引率役のルーラーです」という聞き覚えのある声が聞こえる。

 問題児二人は放っておけませんからね、とそう言ったのは、やはり天草四郎時貞であった。

 この度ルーラーとして現界しました、と笑った天草さんはお久しぶりです、と言った。

 私は少々、あの二人とは面識がありますので、指揮はお任せください、と地を蹴り二人の元へ行く。

 あの人がいるなら安心だなぁとホッとして、それからいきなり加勢が増えてきた、ということに気付いた。

 繋いだ縁は途切れることなく、また違う縁と結びつき、新しく呼び寄せる。

 時には伝るにはあまりにも細すぎて、頼りない縁を伝ってでも来てくれる人がいる。

 滅茶苦茶強引な方法を使ってでも来てくれる人がいる。

 俺も、立香くんも、恵まれてるなぁと思った。

 あまりにもたくさんの縁に恵まれている、支えられている。

 嬉しい、と素直に感じていいだろう──なんて、感傷のようなものに浸っている場合でもないかなと頭を振り思考を落とす。

 折角来てくれて、戦ってくれている人達の努力を無為にはできないな、と走り出せばシュッとその人はやってきた。

 赤い髪に、灰色の装束──忍び装束に身を包んだ英霊。

 相変わらず髪で目元を隠している彼は、それでも笑顔で「ただいま馳せ参じました」と言った。

 これより先は、この僕──風魔忍軍第五代目頭目:風魔小太郎がお導きいたします、と。

 そう言って俺を担いで走り出す。

 あっ、担ぐの!? と思ったが想像していた揺れは来なかった。

 何だかんだと俺を担ぐのが一番と言えるほど上手くなった鈴鹿よりも上手いレベル。

 これ口に出したらめっちゃ不機嫌になられそうだな……と思い言いはしないが事実である。

 ていうか真横で走ってるから呟くのも許されない、というか最早小太郎に担がれてるってだけで「むっ」としたような視線を浴びせられてるんだよな。

 良いじゃん別にこんくらい……という思考を遮るように小太郎は短く言った。

 ここ一帯は最速で駆け抜けさせていただきます、どうか舌は噛まぬよう。

 そこから先は、主殿に全てを託します。

 それだけ言って、小太郎は速度を上げた。

 答えを返そうにも、あまり長々と言うのは無理そうだな、と同じように短く言葉を返した。

 あぁ、分かってる。

 勝つよ、と。

 

 

 

 

 八つ目の拠点を潜り抜ける。

 数多の英霊に助けられ、数多の亡霊に背中を押され、あらゆる縁に道を作ってもらい。

 そうしてようやく、やっとの思いで駆け抜けた。

 小太郎が「では、御武運を」とだけ言い残して音もなく消え去り戦場に戻っていく。

 それに感謝の念だけ伝え、前を見据えた。

 その先にあるのは一つの古びた門だった──いや、正確に言うのであればそれはただの残骸にしかすぎず、重要なのはその先にあるものだった。

 言い表すのならそれは空間そのものに入れられた亀裂。

 その中からは青の光が吹き出すように漏れ出ていて、何処かにつながっているということを示していた。

 ──何処かではない、か。アレは間違いなく玉座に繋がっている。

 勘ではあったが、間違いないだろうという確信があった。

 ドクターは、それを「空間断層だ」と呼んだ。

 俺の勘を裏付けるように、その先が玉座であろうということも。

 あの中に飛び込めば、すぐに玉座だ──躊躇う必要はない。

 これで最後なのだから、やっと終わるのだから、すべてが元に戻る戦い。

 心臓がおかしいくらいに跳ねている、吐き気がうっすらとする。

 要するにベストコンディションって訳だ、さ、行こう──と踏み出そうすれば「ではその前に敢えて、確認するとしようか」とダ・ヴィンチちゃんが言った。

 最後の戦いの前だが、だからこそ、聞こう、ロマニ。

 この人理焼却を完遂させ、この神殿に座するソロモンは──一体、何者なのか。

 本物なのか、偽物なのか、英霊なのか、神霊なのか、あるいは、そのどれにも属さない"何か"であるのか。

 それが正解であれ、不正解であれ、カルデア現トップであり、司令官である君はその結論を得ているはずだよ。

 情報として、彼らに伝えなくても良いのかい?

 通信機越しでも笑みを浮かべてるんだろうなぁというのが分かる口調で、ダ・ヴィンチちゃんはドクターにそう問いかけた。

 その言葉はドクターに問いかけているようで、俺たちに──少なくとも俺に、敵はソロモン王を名乗る偽物である可能性がある、ということを暗に教えてくれていた。

 恐らく、ダ・ヴィンチちゃんにはダ・ヴィンチちゃんなりの解答があるのだろう。

 だから、その上でカルデアのトップであるドクターロマンに尋ねた。

 ドクターは少しだけ逡巡したが、やがて「憶測にすぎないけれど、それでもいいのなら」と諦めたように口を開いた。

 

 

 まず最初に言っておくけれど、あのソロモンは間違いなく偽物ではない。

 突入する前にも説明した通り、この時間神殿という空間そのものが彼の魔術回路だからね。

 ソロモン以外に、ソロモンの魔術回路を扱うのは不可能だ──よって、第三者がソロモンを騙っているという可能性は絶対にない。

 だけど、だからといってあのソロモンが本物であると決めつけるのは、少しばかり早計だと僕は思うんだ。

 だって他の可能性自体はまだあるだろう?

 例えば、ソロモンが何者かに操られている可能性。

 あるいは、生前とは違う人格になったソロモンとか──と言っても、ジャンヌ・ダルク・オルタやクー・フーリン・オルタのような所謂オルタ化した、という可能性は低い……いや、無いと考えて良いだろう。

 だって、さしたる変化は無いだろうからね。

 オルタ化というのはつまるところ性質の反転だ。

 善の反対は悪,その逆もまた然り──だとすれば、やはりソロモンには意味をなさない。

 ソロモンは善でもなければ悪でもない、ましてや中立でもない、言うなれば無だ。

 何故ならソロモン王は生まれた時から王であることを定められた生き物だったから。

 羊飼いから王へと成りあがった、父であるダビデとは別物だ。

 優れた王であったダビデが、より優れた王として神にささげた子供がソロモンだ。

 ゆえにソロモンは何かを望む、望まない以前に自我を持つこと自体が許されなかった。一人の人間としての生活も思考もあり得なかった。

 そんな自由は──人権は無かった。

 まぁ、代わりとでも言うように、神権、王権は腐るほどあったんだけどね。

 要するに、ソロモン王には人間としての感性がほとんど存在しなかったんだ。

 善人にもなれないが、しかし同様に悪人にもなれない、それがソロモン──だが、どう見たってあの魔術王は悪人だ。

 だから、僕も"そうは言ってもソロモンにだって実は人間らしい善悪が多少なりともあって、それが別クラスとして現れたことで悪意を獲得したのでは?"と考えていた。

 というよりは、つい先ほどまではこれが一番有力だと思っていた。

 けれど、いやあアレは違うね。ここまで来て、進んでくれて、やっと分かった、確信できた。

 アレはソロモン王だけどソロモン王じゃないんだ。

 第七特異点でのキングゥと同じ仕組みなのさ──つまり、アレはソロモン王の死体なんだ。

 文字通り、肉体のみが蘇ったと言って良いだろう。

 そうした後に、人理焼却の為、伏線として己の手足となる魔神柱の種を蒔き、この特異点を作り上げ、そして2016年まで生き続けたんだ。

 ここでは時間の概念何てあってないようなものだけどね。

 では、その中身は、正体はと言えば──僕たちはもう、嫌になるほど味わってきたよね。

 だから、今わからないのは理由であり、動機だ。

 どうして彼──彼らはそんな目的を思いついたのか、考えたのか、成し遂げようとしたのか。

 それがボクには、どうしても分からなかった、だから黙ってたんだけど、もう悩む必要はないね。

 その答えは、本人に直接聞けばいい──さ、もうじき時空断層だ。

 飛び込む覚悟はできたかい……と聞くのは野暮だし失礼かな。

 そこを抜ければ、この神殿の中心──至高の王と言われた男の玉座があるだろう。

 カルデアからの通信、会話も、これが最後になる。

 ──だから、今まで口にできなかった質問をするよ。

 マシュ、きみに悔いはなかったかい? 本当に、この結末で良かった?

 不安気な、ドクターの声が響く。

 時空断層を前に、少しだけの沈黙が下りて、そして。

 はい、私は最後の一秒まで自らの選択を良しとします、とマシュはそう言った。

 言い切った、力強く、前を見据えて。

 その答えが、やはりドクターは嬉しかったのだろう。

 そうか、と一言だけ漏らして、一瞬の間が開いてから言葉を紡ぐ。

 では、その強さをソロモンに見せてやりたまえ──健闘を祈る。

 君たちに、人理の行く末は委ねられた──敵は魔術王ソロモン! これまで培ってきたすべての力で、この特異点を撃破してくれ!

 

 

 自分のした選択を後悔しない──それは、言葉にするだけなら簡単で、でもとても難しいことだと思った。

 選択すること自体はいつだって、誰にだって容易なことだ。

 何かを選択する上で一番困難なのは、その選択により発生する責任を負うことなのだから。

 だから、純粋に凄いな、と思った。

 アレはきっと、マシュへの問いかけだったけど同時に俺と立香くんに対する問いかけだったのだとも思う。

 そして、マシュの答えと立香くんの答えは同じなのだろう。

 この苦難の道を、二人でそろって進んできたのだから。あらゆるものを分かち合って、寄り添い合って進んできたのだから。

 ──では、俺はどうだ?

 俺は、これまでの選択を後悔したことはまったく無いと、本当に言えるだろうか?

 言い切れるだろうか、宣言できるだろうか。

 心にもないことを、果たして口にできるだろうか。

 ……無理だ。

 後悔しないなんてことは、俺には無理だ、不可能だ。

 悔いを重ねてきたような人生だった、後悔ばかりをしてきた旅路だった。

 俺は、悔いを積み重ねることでここまで進んできたのだから。

 悔いたからこそ、繰り返し。悔いたからこそ、取り返した。

 その末に選んできた道を歩んできた。

 俺の足元は、後悔で作られている。

 俺は多分、この結末で良かったのだと今言い切ることはできない。

 だから、俺は。

 この結末で良かったと言うために、ここまで悔いを積み重ねてきたのだと言おう。

 悔いを抱いて、悔いを踏み砕いて、悔いを背負って、悔いを踏みしめてきたことに、ちゃんと意味はあったんだと。

 それであれば、俺は言えるだろう。

 ──あぁ、でも、そうだなぁ。

 メドゥーサに、カーミラに、鈴鹿に似合うようなちゃんとした、かっこいいマスターには結局なれなかったなぁ。

 いつまでたっても、情けないままだった、という悔いはずっと残りそうだ。

 青白い、幻想的な時空断層内を漂いながら、そう思った。

 

 

 

 

 足が、地に着く感触がした。

 暫く揺蕩っていたように思えたから、それが何だかとても新鮮なような気がして、それから閉じていた目を開く。

 どこか神々しさすら感じる純白の玉座がそこにはあって、()()()()()

 それはどこまでも美しい青空だった、およそこの場に相応しくないほどの青空で、その中央には巨大な穴があった。

 穴──というよりは、これも空間に入った亀裂のようなものと考えても良いのかもしれない。

 どちらにせよその穴の先には、宇宙のようななにかがあって、それを背負うように彼はいた。

 白に染まった長い髪に、真っ赤な瞳。

 白と赤の装束に身を包み、その右手の指すべてに金の指輪を、左手の指には四つの金の指輪を付けた、一人の男。

 ──魔術王ソロモン……いや、お前は、誰だ。

 彼は俺を一瞥し、それから忌々し気に口を開く。

 またお前か、と。

 世界の異物、例外、イレギュラー。

 東部観測所──兵装舎、生命院の沈黙。

 西部情報室──管制塔、覗覚星の沈黙。

 それに合わせて時空断層による世界間移動、それが行われる際に発動するよう仕掛けた妨害すらすり抜けてくるとは、予想外だ。

 片方は引っかかったようだが、もう片方が来てしまっては意味がない。

 まったく、不気味なやつだ、貴様は。

 ──そこまで聞いて、ようやく俺は気づいた。

 本来ならすぐにでも気づくべきだったことに今更ながら気付いたのだ、指摘されて、初めて気づいたのだ。

 立香くんたちがいない、否、それどころではない。()()()()()()

 自分の間抜けさに眩暈すらして、脂汗が流れ落ちた。

 メドゥーサ達なら、直ぐに来るだろうという確信はあった。

 だからそれに頼って、深呼吸をした。

 大丈夫、大丈夫だと言い聞かせて礼装へと手をかける。

 ソロモンはそんな俺を見て、やはり冷ややかに言った。

 無意味かつ無駄なことが好きだな。

 なぁ、世界の異物、哀れな愚か者。

 何故お前は戦ってきた? 何故こんな彼方まで来た? 何故あとたった数分間を自重できなかったのだ?

 我らが創り上げた、仮想第一宝具『光帯収束環(アルス・ノヴァ)』はもうすぐで起動したというのに、何故待てなかった?

 ──いや、だからそれを止めに来たんだろうが、待てなかったじゃなくて、待たなかったんだ、間に合わせたんだよ。

 第二も第三も第四も、あるならあるだけ全部止めに来た。

 思わず、反射的にそう言えば、ソロモンの紅い眼が俺を睨んで、浅く笑った。

 ロンドンで出会った時のような圧は不思議と感じなかったが、それが逆に不気味だった。

 御明察だな、確かに私には三つの宝具がある──が、第二宝具は既に展開している、とソロモンは目を細めて言った。

 『戴冠の時きたれり、其は全てを始めるもの(アルス・パウリナ)』はこの空間、この領域、あるいはこの世界そのものだ。

 そして第三は──、と言葉を区切り、ソロモンは空を指さした。

 そこにあるのは、どの特異点でも必ず見ることになった光の帯。

 一本一本がエクスカリバー以上の熱量を持つと観測された、異常なまでのエネルギーの塊。

 ドクター曰く、アレを上回る熱量は地球上には存在しないとのことだった。

 それがソロモンの宝具だとするならば、やはりアレが人類史を焼いたのだろう。

 そのくらいは分かっている、と言えばしかし、彼は顔をゆがめた。

 呆れのような、哀れみのような表情をして、それから言った。

 節穴が過ぎるな、と。

 確かに、これだけの熱量があればこの星の地表くらいは焼き払えるだろう──だが、そんなことをして何の意味がある? 何の得がある?

 何故、私が貴様らを燃やしたのか考えてもみなかったのか?

 愚か者が、アレは()()だ。

 人理定礎を破壊し、人類史の強度を無に帰し、我らの凝視で火を放った。

 火はやがて炎となり、地表を覆い尽くし、そしてあらゆる生命を、文明を燃やし尽くし──その果てで残留霊子としてそれらを摘出した。

 何しろ地球は一つしかない、されどたった一回燃やしただけで得られるエネルギーというのはちっぽけだ。

 ──だが、そこに住まう生命体は別だ。人間は、どれだけ殺してもやがてまた繁栄する。

 だから我等は、そこを利用したのだ。

 七つの特異点を生成し、歴史の流れを分断し、前後の繋がりを排斥し!

 そうして過去から未来へと、ほぼ無尽蔵に焼き払い、絞り、束ね上げた!

 アレを上回る熱量は無い? 当然だ、何せアレは地球という惑星の情熱そのものだ。

 貴様らが守らんとした、人類史そのものなのだから。

 良いか、一つ勘違いをしているようだから教えてやろう。

 我々にとって人理焼却とは通過点でしかない、我々にとってこれは、大いなる目標に達するための手段でしかない。

 我々は──至高の座へと辿り着く。誰もが成しえないがゆえに、私が死を克服する。

 死が存在する以上、幸福がおとずれることはありえないのだから。

 あらゆる恐怖は死から生まれる、あらゆる偏見は死から生まれる、あらゆる差別は死から生まれる。

 定められた命から解放され、死の恐怖から解放されなければ、あらゆる不安は取り除けない。

 命に限りはなく、世界に果てはなく、明日は衰えず、約束された今日が続く──そういった永遠に、辿り着かねばならぬのだ。

 それを貴様は、否定できるのか?

 死にたくない死にたくないと赤子のように喚いた成れの果てである貴様が! 我々を否定できるのか!?

 死にたくないがためにここまで来たような愚者が、我々を否定できるのか!?

 いいや、いいや! 貴様には無理だ、不可能だ。

 死から逃げ続ける貴様には、我々に賛同するほかない!

 ──怒号のような声が、鉛のように心に沈み込んでくる。

 心のあちこちに引っ掛かって、それでも底まで落ち込んでくる。

 死からの解放──それは、ある意味では人類の夢。

 誰しもが求めた、けれども絶対に届かない甘美な妄想。

 だけど、だけどやっぱり──それは肯定できないし、賛同もできないな。

 口にした言葉は、少しだけ震えていた。

 それでも構わなかった、ただ返答だけは真摯に返さなくてはならないとだけ思った。

 確かに、死ぬのは痛いし、苦しいし、めっちゃ怖い。

 誰だって、好きなやつはいないと思う。

 毎日毎日、こわくって、情けないことに震えてるくらいだ。

 だから、言ってることは分かる、言いたいことも分かる。

 でもやっぱり、俺はそれは認められないって言うしかない。

 お前は人の死を嘆き、変わらない、終わらない毎日を尊び、永遠は理想だと語った。

 多分、お前は色んな悲しみを見てきたんだろう。

 名前は知らない、けれどソロモンと共にあったであろう、誰か。

 でもさ、お前の説く、幸せってのは。お前が思う、幸せってのは、何から学んだ幸せなんだ?

 何を見て、何を聞いて、何に触れて、知りえた幸せなんだ?

 目をそらすなよ、耳を塞ぐなよ、背を向けて逃げるなよ。

 お前らの持つ幸せってのもまた、生きたいって思う人たちが教えてくれたものなんじゃねぇのかよ。

 たくさんの苦難をそれでもと笑顔で乗り越えて、未知である明日が待ち遠しくて駆け抜けた人たちが、与えてくれたもんじゃねぇのかよ。

 その幸せは、永遠の中で生まれるのか? 

 俺は、生まれないと思う。

 だから、悪いけど俺は永遠なんかいらない、だって俺は、本当の幸せが欲しいから。

 

 

 

 それに──、とまで言いかけて、口を噤んだ。

 こいつとはもう、完全に意見が食い違った。それで終わりなのだ。

 ソロモンは──ソロモンの肉体に潜む誰かは、静かに言った。

 それがお前の答えか、と。

 見解の相違──いいや、所詮貴様は何も知らないだけだ。

 多くの悲しみがあった。

 多くの裏切りがあった。

 多くの略奪があった。

 多くの結末があった。

 貴様の想像を絶するほどに。

 ──もう十分だ、もう沢山だ、もう見るべきものは無い、もうこの惑星に救いは無い。

 未来も希望も、全てが無為だ。

 興味は失せた、貴様とは分かり合えないことも理解した。

 愚かな異物よ、ここでその骸を晒していくがいい。

 言葉と同時に、彼の姿がまるで、ホログラムみたいにブレて、しかしその声は明瞭に聞こえる。

 ──我々が誰かと問うたな。

 その蛮勇に免じ、それだけは答えてやろう。

 我々はかつて、魔術王ソロモンと共にあったもの。

 魔術王の分身であり、魔術王の手によって最初に創り出された機構であり、魔術師そのものの基盤とされた原初の使い魔。

 ソロモンの死を以て置いていかれたはじまりの呪い。

 ソロモンの遺体を巣とし、その内部にて受肉を果たした『召喚式』

 災害の獣、人類悪が一つ。

 我々は、真の叡智に至る者、その為に望まれたもの。

 貴様らを糧に極点に旅立ち、新たな星を作るもの。

 七十二の呪いを束ね、一切の歴史を燃やす者。

 即ち、人理焼却式──魔神王、ゲーティアである。

 

 

 

 ──魔神王ゲーティア。

 そう名乗った彼の姿は、既にあの時見たソロモンのものではなくなっていた。

 その身は白と黄金の鱗のようなもので覆われて、胸の中央には眼球のような紫紺の珠が埋められていて、頭部からは複数に枝分かれした角が生えている。

 化け物だ、と素直にそう思った。

 だけど依然として威圧感は感じなかった、不気味過ぎるくらいに、何も感じない。

 ゲーティアの、紅の瞳が怪しく光った。

 ──この惑星は間違えた。終わりある命を前提としたのは狂気以外のなにものでも無かった。

 故に、我々(わたし)は極点に至る。

 四十六億年の過去まで遡り、天体が生まれる瞬間に立ち会い、その膨大なエネルギーを喰らい尽くし──そして。

 この我々(わたし)自らを天体とし、全てを、惑星を創り直す。

 あらゆるものを零から始め、『死』という概念が存在しない、生まれない世界を創造する。

 それが、我々(わたし)の成し遂げる大偉業。

 人理焼却とは、憎しみより行われたものではない。

 過去を遡り、天体の誕生を制御し、調節するための前準備にすぎない。

 貴様らの3000年分の繁栄を、積み重ねてきた智慧を、歴史を、文明を以て我々(わたし)は新たな天体を、創りあげるのだ──と、流石にもう、時間切れか。

 ゲーティアがそう言葉を切ると同時に、やはり彼の姿はブレた。

 否、違う、世界が丸ごとブレている。

 何かがおかしい、と思った、思っていた。

 でも気付けなかった、分からなかった、だがゲーティアの時間切れという言葉を聞いて、やっと理解した。

 ──時空断層による世界間移動、それが行われる際に発動するよう仕掛けた妨害すらすり抜けてくるとは、予想外だ。

 そう言った、ゲーティアの言葉を俺は鵜呑みにした。

 疑いもしなかった、敵の言葉なんて信じるべきではないというにも関わらず、それが前提だと思い込んでしまっていた。

 つまり、逆なのだ。

 玉座までの道を妨害されていたのは、邪魔されていたのは、俺だったのだ。

 ──いや、妨害だとか、言うべきではないかもしれない、か。

 彼は、ゲーティアは恐らく、俺と話したかったのだ。

 俺の出す答えを聞きたかった、それゆえのこの場所だった。

 ゲーティアの身体が透けて、ブレて、消えていく。

 世界が歪み、元の形に戻っていく。

 その中で、ゲーティアは言った。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()() と。

 

 

 

 世界は急速に元の姿を取り戻す。

 何重にもなった視界は一つに戻り、足裏にあった地の感触は消え、代わりに全身に浮遊感が付与された。

 それを理解すると同時に、身体は地面へと落ちた。

 派手な音を立てて落下する、しかしそのことに異常を覚えた。

 派手と言っても俺だって受け身くらいは取る、だというのにその音がやけに響くほど、ここは静寂に包まれていた。

 しかしそんなこと、本来ならありえないはずなのだ。

 何故ならば、此処こそが戦場で、正真正銘、本物のゲーティアと立香くんたちは戦っていたはずなのだから。

 そして、そのゲーティアが俺の見据える先にいるのだから、激しい戦闘が行われていて然るべきなのだ。

 おかしい、と思った。思ってから、足元に落ちているそれに気付いた。

 見覚えのあるものだった、一人の少女が常に携えていたものだった。

 最初の頃は不慣れで、それに振り回されていた。

 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、と特異点を乗り越える度に、それが彼女の象徴のようになっていった。

 ──マシュ・キリエライト。

 立香くんと共に、俺を先輩と呼んでくれる親しい後輩。

 共に特異点を駆け抜けてきた戦友。

 シールダーという特殊なクラスの彼女の持っていた、彼女をデミ・サーヴァントであると証明する唯一の装備──盾が。

 雪花の盾が、転がり落ちていた。

 ゲーティアが不快そうに、しかし愉快そうに笑う。

 あぁ、もう一度聞こうか? と。

 

 

 

 あぁ、それがマシュの答えなんだ、と思った。

 ゲーティアに対する返答、死の無い永遠に対する答え。

 彼女は、マシュ・キリエライトという少女は、死の地点を駆け抜けたのだ。

 立香くんを、みんなを護りきったのだ。

 ただ、ひたすらに、未だ見ぬ明日の為に。

 過去から現在へと紡がれてきたものを、繋がれてきたものを、彼女もまた繋いだのだ。

 次に──カルデアそのものに、あるいは立香くんに、託したのだ。

 託されたからには、託さなくてはならないだろう。

 未来を取り戻さなくてはならないだろう、繋いでいかなければならないだろう。

 立ち上がって、ゲーティアを見据えた。

 もう一度聞くってんなら、もう一度答えるよ。

 まぁ、間に合ったんじゃねぇの──ていうか、マシュが間に合わせてくれた。

 見ろよ、マシュの持っていた盾を。

 光帯の直撃を受けてなお、傷一つない。

 彼女の護りは、精神の護り。誰にも侵すことのできない、雪花の盾。

 お前の狂った甘言は、ついぞマシュには届かなかった。

 マシュの答えは、お前の星すら貫く光を跳ねのけた。

 それは決して、無駄なんかじゃなかった。

 そのお陰で、俺は未来を取り戻す為の戦いに間に合ったんだから。

 繋がれたのなら、更に繋ぐのが人ってやつだ。

 人は、生命は、歴史は、文明は。

 喜びは、楽しみは、幸せは。

 そうやって過去から現在へと渡されてきたものなのだから。

 ゲーティアはその表情を変えることも無く、また何かを言うまでもなく俺を見据える。

 少しの間視線をぶつけ合わせて、それから俺は後ろへと振り向いた。

 それにまぁ、なんだ──立香くん。

 そうやっていつまでも呆けてると、マシュに笑われる……いや、心配されると思わない?

 マシュと主従関係だった、相棒だった、君はもう、立ち上がれない?

 彼女に託されたものを次に託そうとは、もう思えない?

 そう言えば、彼は暫しの間俺を見た。

 いや、正確に言うのならそれはほんの数秒だったのだと思う。

 その数秒の間、彼は俺を見て、それからマシュの盾を見た。

 その瞳に、闘志が灯りなおす。

 そうですね、と彼は言って笑った。

 俺、これでもマシュの先輩なので、情けないところは見せられないや、と立ち上がった。

 それに呼応するようにアルトリアが聖剣を携える。 

 ライダーさんが「遅いですよ」と俺の背中を叩く。

 カーミラが呆れたように笑って「何カッコつけてんのよ」と言った。

 そうして最後に鈴鹿がドッと背中に負ぶさってくる。

 いやお前だけ俺の扱いが雑過ぎる……と文句を言おうとして、けれどそれより先に耳元で鈴鹿は口を開いた。

 私のマスター、私の守りたい、たった一人のマスター。

 分かってるだろうけど、気を付けて。

 貴方の思う『次』はもうどこにもない──いいえ、本当ならば、一つたりともあるべきじゃなかった。

 もう隣はない、次は無い、取り返しはつかない、だから。

 どうか、貴方も前に進んでね。

 そう言って、少しだけ頬を寄せてから彼女は離れた。

 スッ、と心に冷たい何かが差し込まれたような気分になって、頭が少しだけ冷える。

 分かってる、とだけ返して前を見る。

 ゲーティアは、つまらなそうに俺達を見ていた。

 ──下らない。

 無駄で、無意味で、無価値。

 我々(わたし)は不滅である、この時間神殿ある限り、およそ我々(わたし)を滅ぼせるものはどこにもいない。

 貴様らがどれだけ奮い立とうがそこに意味は無い、幾ら闘志を燃やそうが全くの無為である。

 マシュ・キリエライトが作り出したその生存は所詮この一時に過ぎん。

 各地で起こっている英霊の抗戦も、時間と共に消え失せる。

 

『第三宝具装填』

 

 精々、貴様らなりの答えとやらを抱え、諸共に死ぬがよい。

 

 

 ──いいや、そうするにはまだ早い。

 ゲーティアの言葉に、声を返したのはしかし、俺達の中の誰かではなかった。

 いつの間にか、彼はそこにいた。

 俺達を守るように、どこからか現れて、立ちはだかるように前に立っていた。

 その後ろ姿は、酷く見覚えのあるものだった。

 その特徴的な橙色の髪をしているのは、たった一人しか心当たりが無かった。

 その声は、ずっと俺達を支え、サポートし続けてくれた人の声だった。

 ──ドクター?

 ほとんど反射的に、そう呼んだ。

 そうすれば彼はゆっくりと振り向いて、見慣れた笑顔を浮かべた。

 やぁ、美味しいところを奪うようでごめんね。でも、ここからは少しだけ、ボクの出番とさせてほしい、と。

 ボクの名は、ロマニ・アーキマン……いいや、ロマニ・アーキマンであったもの。

 聖杯に向けた願いはとうに捨て去った、故に、ここからは元の私としての言動とさせてもらおう。

 ──おっと、その前に手袋を外しておこうか。

 その方が色々と分かりやすいだろう?

 そう言って、彼は見覚えのある真っ白な手袋を両手とも外した。

 その右手に金の指輪はなく、しかしその左手の薬指──唯一、ゲーティアには嵌められてなかった指に、金の指輪は嵌められていた。

 ゲーティアがそれを見て息を呑む。

 ありえない、と一言、呆然としたように言う。

 それを意に介さず、彼は口を開いた。

 少し、昔話をしようか、と。

 

 

 

 今から約、十一年前のことだ。

 とある場所、とある時期に聖杯戦争が開催され、そこに一人の男が参加した。

 名を、マリスビリー・アニムスフィア。カルデア前所長であり、現所長であったオルガマリー・アニムスフィアの父。

 当時、カルデア所長であった彼は、その際に最高の聖遺物を用意した。

 それがこの指輪だ、私が亡くなる際に、私自身の手で遥かな未来へと送ったもの。

 正直なことを言えばあの時、私自身ですらそんなことをしたのかは分かっていなかった。

 いつも通り、神さまの気まぐれだろうと思って、さして気にしてもいなかったものさ。

 だがマリスビリーはそれを見事発掘し、そして聖杯戦争にて勝利するための英霊を召喚した。

 それが魔術王ソロモン、カルデアの召喚英霊第一号。

 マリスビリーと共に聖杯を手に入れ、その願いを叶えた英霊の名だ。

 ──人間になりたい。

 口にしたのは、そんなどこにでもある、平々凡々な良くある願いだったけどね。

 ありえないと思うかい? と聞けば、お前はやはりありえないと言うんだろうな。

 豊富な語彙を以て、私を罵倒するのだろう。

 だけどまあ、それは良いさ、どうでも。

 兎にも角にも、ソロモンは願いを口にして、そしてそれは叶えられた。

 だが、そこで問題は起こってしまった。

 私は──ソロモンは、全知全能と言っても良い、未来も過去も見通す千里眼の持ち主だった。

 そしてそれは当然、人間になるという願いがゆえに失われるはずだった。

 それで良いはずだった、何事もなくそうなるはずだった。

 けれど、その"無くなる"寸前に、視てしまった──人類の終焉を。

 どういうことだ、と慌てたよ。けれどどうにかしようにも、それは本当に刹那のことで、私はとっくに人間になっていた。

 誰が、どうやって、何の目的で。

 そして、どうすればこれを防ぐことができるのか。

 それらを知る術はもう失ってしまっていた、何せ私は普通の人間になってしまっていたからね。

 けれど、無視することもまたできなかった。

 だってこれは、この事件は、どうにも私絡みらしいということくらいは気付けたからね。

 だから、私の旅路はここから始まった。

 文字通り一から、人間としてあらゆるものを学び直す行程だよ。

 誰が敵なのか、何がトリガーになるのか、全くわからない。

 分からないから、耐えるしかなかった、備えるしかなかった、そうするので精いっぱいだった。

 だけど、その中でもたくさんの偶然と幸運があって、それに助けられてきたよ。

 その最たるものが、私の後ろにいる二人の青年だ。

 君たちと出逢えたのは奇跡のようなものだった。

 この果てしないグランドオーダーの中、君たちには助けられなかったことは無かった。

 その事実(こと)に、心からの感謝を贈る。

 マシュと、カルデアのみんなと、そして君たちのお陰で、ボクはこの瞬間に立ち会えた。

 だから今度は、ボクに君たちを助けさせてくれ。

 ──ゲーティア。

 改めて名乗らせてもらおう。

 そう言うと同時に、ドクターの身体は光に包まれた。

 いや、包まれたというよりは、ドクターの身体そのものが光と化しているようだった。

 光の粒子となって、そしてその身は再構成されていく。

 白に染まった長い髪に、優しく光る、黄金の瞳。

 純白と紅の衣装を纏った彼は、ゲーティアを見据えて口を開く。

 

「我が名は魔術王ソロモン。ゲーティア、お前に引導を渡す者だ」

 

 ──命とは終わるもの。

 終わりがあることを定められたもの。

 生命とは、苦しみを、辛さを積み上げる巡礼だ。

 だがそれは、決して死と断絶の物語ではない。

 ゲーティア、我が積年の慚愧。

 我が亡骸から生まれた獣よ──今こそ、ボクのこの手で、お前の悪を裁く時だ。

 

 

 ハ、ハ、ハハハ、ハハハハハハハハハ!

 笑い声が、この場にはあまりにも似つかわしくない嘲笑う声が、高らかに響く。

 ゲーティアは本当に愉快そうに、面白そうに、されどもホッとしたように、心底から安心したように笑った。

 あまりのことに愕然としたが、いやしかし、なるほどそれは確かに貴様らしい! 

 何もかもが手遅れになってようやく! 今更のように現れた人類最高の愚者、無能の王!

 ヒーロー気取りのつもりならなおさら笑えてくる! それは恥の上塗りというのだ、ソロモン!

 は、ははは! 分かってないようだから教えてやろう!

 英霊としての貴様なぞ我々の敵ではないと! もしも止められるものがいるとするならば、それは生前の貴様以外にはありえないのだから!

 ソロモン王の偉業のみが、我々を止められる! 

 故に、死後の貴様に出来ることなどは、此処には一つもない!

 その甘く腐った脳みそごと、無に帰すがいい!

 そう、叫んだゲーティアを、しかしドクターは手を翳すことで牽制した。

 話はまだおわってない、と口に指を当て、静かに言葉を紡ぐ。

 ──伝承に曰く、ソロモン王は万能の指輪を持ちながら、しかしそれを使ったことはただ一度しかなく。

 また、ついにはそれも自らの意思で天に還したとされている。

 ここからは、全能の神に委ねるのではなく、人が、人自身の意思で生きる時代であるのだと告げるように。

 だから、ゲーティア。

 お前の手を借りる必要はないんだ。

 ボクは、自らの宝具で消滅する──なぜなら、それがソロモン王の結末だからだ。

 言葉と同時に、金の魔力が渦巻き始めた。

 ドクターを中心にして、神々しい程の黄金の魔力が吹き荒れる。

 

「ゲーティア、おまえに最後の魔術を教えよう」

 

 "ソロモン王にはもう一つの宝具がある。"そのことは知ってはいたものの、終ぞその真名を知りえなかった──知ることのできなかったお前に。

 お前の持つ九つの指輪、そして私の持つ、最後の指輪。

 今ここに、全ての指輪が揃った。

 ならば必然、あの時の再現ができる。

 ──ソロモン王の()()()第一宝具。

 私唯一の"人間"の英雄らしい、逸話の再現が。

 

 

 うっすらと笑ったドクターに対して、ゲーティアは唖然としたように口を広げた。

 まさか、馬鹿な、ありえない、と言葉を漏らす。

 できるはずがない、貴様のような臆病者に、そのような決断が下せるはずもない!

 否、やめろ、やめろ、やめろ、やめるのだ!

 この指輪は、その指輪は、全能の座は、貴様だけのものでは──!

 ゲーティアが必死に手を伸ばす、されどもそれは届かず。

 ただドクターを纏う光の奔流が、あらゆるものの接近を赦さない。

 

 第三宝具『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)

 

 第二宝具『戴冠の時きたれり、其は全てを始めるもの(アルス・パウリナ)

 

 そして──神よ、あなたからの天恵をお返しします。

 

 ……全能は人には遠すぎる。

 

 私の仕事は、人の範囲で十分だ。

 

 第一宝具、再演。

 

訣別の時きたれり、其は、世界を手放すもの(アルス・ノヴァ)

 

 

 

 煌々と輝く光は、ドクターを中心に、爆発するように巻き起こった。

 それは決して、攻撃用の宝具でも無ければ、防御用の宝具でないのは確かであった。

 なぜなら、その光の直撃を浴びてなお俺達には何の異変も起こらなかったから。

 支援用という訳でもないそのただひたすらに美しい、濁流のような光はこの領域を丸ごと包み込んだ。

 その中で、ただ一人、ゲーティアの声だけが響いた。

 だがそれは決して、嘲笑うような声ではなく、されど冷静な声音でもなく、しかして焦りを帯びたものではない。

 愕然と絶望、それから苦悶が入り混じった絶叫が、響き渡る。

 何故そんな選択が、どうしてそのような真似が貴様に、貴様如きに!

 この世全ての倦怠と妥協が凝固したような貴様が、どうしてこのような決断を下せるというのだァァァアア!

 ゲーティアが手を伸ばそうとする、足を踏み出そうとする。

 だがそれはほとんど動きにならず、目に見えるように力が抜け落ちていく。

 膝をつき、手で身体を支え、震えながら顔だけ上げて、ドクターを睨む。

 それだけで精一杯なのが分かった、それが今のゲーティアにとって最大限の努力をした結果であるのが分かった。

 もう、叫ぶことすら出来なさそうにしているゲーティアにドクターもまた「あぁ、不思議な話だ」と言った。

 ソロモン王の姿であったドクターの姿が、解けるように元のドクターの姿に戻っていく。

 光の濁流そのものが、ドクターそのものであるように。

 あるいは、ソロモンという存在そのものが、光であるように。

 ドクターは橙色の髪を緩やかに揺らして言った。

 お前とソロモンは、かつて同じ視点を持ち、同じ玉座に座り、同じ時を過ごした。

 なのに、ソロモンとおまえは正反対の結論に達したんだ。

 だから、もしボクらにとって違うところがあったとするのなら、そうだな。

 単純に、ボクには怒る自由が無かったんだよ。

 もしかしたら、それが我々を分けた要因だったかもだ。

 そうして、ドクターは俺達へと振り返った。

 ふにゃりといつも通りの情けなさそうな笑顔を浮かべ、それからちょっと説明をしようか、と言う。

 ボクは、ボクの持つすべてを今、放り投げた。天へと還した。

 この領域そのものがソロモン王の遺体であるというのなら、当然ここももうすぐ崩れ落ちるだろう。

 全能の指輪を天へと還すという逸話の、宝具的再現というやつさ。

 ──だから、この身も、命も、精神(こころ)も、存在も、ありとあらゆるボクはもういなくなる。

 それ、現在から未来へと渡るものだけに限らず、またボクという人間の始まりからというだけには限らず。

 本来のボク、即ちソロモン王の存在そのものも消えてなくなるだろう。

 ソロモン王が創り上げた、積み上げた、重ねてきたありとあらゆるものは無価値となり、その功績は二度とこの世には現れないだろう。

 ゆえに、この時間神殿すらもその存在を喪い、ゲーティアは、七十二柱の魔神達は群体ではなくなり、個々の存在として解けていく。

 あまり、格好つけるという訳でもないし、自己犠牲のようで、キミにももう偉そうに説教できなくなってしまうんだけどね。

 そう言ってドクターは俺を見る。自己犠牲で俺を連想するのやめませんか……? とは言えるような空気でも無ければ気持ちでもない。

 ドクターは今、いなくなる、と言った。

 それは、多分、死ぬという意味ではないのが何となく分かって、ただ、ドクターの言葉を待った。

 ドクターは、少しだけ咳払いをしてから再度言った。

 存在の放棄、功績の放棄、それはつまり、完全消滅を意味する。

 死ではない、座からの消滅だけには留まらない──存在の消滅。

 魔術王ソロモンという存在は、そもそも無かったことになる、人類史から、跡形もなく消え去る。

 そうすることで、ようやく本当の意味で、神代は終わるんだ。

 ──正直なことを言えば、怖いし、悲しいさ。けれどもこれは、ボクにできることだったから。

 できるのなら、やらないといけない……とはいえ、後悔はしていないよ。

 これで良いんだ、この選択は、キミたちが教えてくれのだから。

 

 

 

 そう言ったドクターに、しかし俺は何かを言うことはできなかった。

 立香くんも同様に、ただドクターを見ることしかできない。

 何を言えば良いのかさえも、分からなかった。

 ただ、もしその行いを止められたのならば、止めたのかと問われれば、やはりそれは不可能だろうということだけが分かった。

 物理的に不可能だったとか、そういうことではなく。

 俺はドクターが下したドクター自身の決断を、ドクターの選んだ結末を、否定はできないと思ったから。

 光の奔流は徐々に落ち着いていき、そして消える。

 ごめんね、と小さく俺に言ったドクターはもう一度、ゲーティアへと向き直った。

 さぁ、これで全ての前提は崩れ去った。

 ゲーティア、お前の不死身性もまた、同じことだ。

 人々を見守るために編纂されながら、しかし人々の未来を奪う選択をした魔術式よ。

 お前は、自らの責務から目を背け、放棄し、あまつさえ消し去ろうとした。

 その罪を、今ここで払う時だ。

 ──確かに、お前の言う通りあらゆるものは永遠ではなく、最後には苦しみが待っているものだ。

 だが、それは断じて、絶望なのではないと言わせてもらおう。

 限られた生を以て、死と断絶に立ち向かうもの。

 終わりを知りながら、別れと出会いを繰り返すもの。

 ……輝かしい、星の瞬きのような刹那の旅路。

 これを、愛と希望の物語と云う。

 ドクターとゲーティアの視線が絡み合うようにぶつかり合った。

 ゲーティアは、その紅い瞳を憎々し気に灯らせた。

 愛と、希望の物語──ハッ、笑わせる。

 ゲーティアが、ドクターの言葉を反芻するように繰り返してから、馬鹿にしたように笑った。

 立ち上がり、前を見据え、ゲーティアはその身体から光が抜けていきながらも、再度魔力を纏わせた。

 死ね、ここで死ね、人間ども。

 我々の偉業はまだ成し遂げられる、未だ何も終わってはいない。

 貴様を殺し、カルデアを殺し、英霊どもを殺す。

 確かに、貴様のせいで我々の結合は解けていっている──だが、まだ時間は十分にある。

 最期の一柱になるまで、我が仮想第一宝具を回し続ければ問題は無い!

 命に限りなどはいらない、終わりは必要ない、恐怖も苦しみも! そんなものを前提とした物語など、我々には不要だ!

 失せるがいい、消え去るがいい、塵と化すが良い!

 七十二柱の魔神全てを以て、今、貴様らを宇宙の塵にしてくれる!

 

 

 ──いよいよだね。

 ドクターは、静かに俺達を見た。

 その身体は既にほとんどが光に解けていて、存在そのものが希薄になっているようで、今すぐにでも、消えてしまいそうだった。

 それでもドクターは気にせずに、口を開く。

 キミたちの見せ場はここからだ、そして、ボクたちが最後に見るものは、キミたちの勝利だ。

 カルデアの司令官として、最後の指示を出すよ。

 ──完膚なきまでの勝利を、キミたちは人間として、あの魔神王を名乗る獣を、ここで討伐しなくてはならない。

 さぁ、行ってきなさい。

 これがマシュとキミたちの辿り着いた、ただ一つの旅の終わりだ。

 光に解けながら、薄れながらドクターが手を出した。

 迷うことは無かった、躊躇うことはなかった。

 その代わり、悲しみがあって、苦しさがあった。

 だけどそれも飲み込んで、ハイタッチのように叩いた。

 行ってきます、後は、任せてください。

 声は震えていたと思う、表情も多分見られたもんじゃなかったと思う。

 だけどドクターは、やっぱり笑って、あぁ、頼んだよ、と言った。

 

 

 

 光が奔る、天は裂け、地が砕け、空間が軋む。

 ドクターの宝具のお陰でゲーティアは著しく弱体化を起こしていたが、しかしその上でなお格上であることに変わりはない。

 時間が経てば経つほど弱くはなるだろうが、いまだ彼の一撃は、サーヴァントが相手だとしても必殺であると断言していいだろう。

 短期決着ではなく、およそ初めてと言ってもいい持久戦だ。

 一発でも喰らえばその時点で終わる、最後の戦闘だった。

 一瞬だった、ほんの瞬き一回分の刹那でゲーティアの蹴撃は走り、アルトリアの聖剣とぶつかり合う。

 爆発じみた金属音が響き渡って、アルトリアの体勢がよろめいた。

 それをゲーティアは見逃さない、異常なまでの速さで身体を捻り拳は放たれる。

 だがそれを黙って見ている訳もなく、カーミラのアイアンメイデンが両者の間に現れた。

 ゴシャリ、とアイアンメイデンはひしゃげ、突き破られる。

 だがアルトリアとて一級のサーヴァントだ、作り出された数瞬の隙だけで身体を傾ける。

 激しい風圧を発生させながら拳を空を切り、直後に鎖がその全身へと絡み付いた。

 メドゥーサの鎖、それがゲーティアの動きを止められるとは限らない──が、問題は無かった。

 それの目的は動きを止めることではなく、一瞬だとしても視線を逸らす為であり、意識を拡散させるためだ。

 鈴鹿の刀剣が静かに空を切り、ゲーティアの首を浅く断った。

 そこから舞ったのは血ではなく黄金の光。

 それは魔力というよりは、血液と同じ生命そのもの。

 彼を構成する、七十二柱の魔神そのもの。

 ゲーティアが薄く呻いて鎖を、瞬間、踏み込んで鈴鹿の襟首を掴んだ。

 力づくで抱き寄せて、同時にカーミラの名を叫んで令呪を切った。

 何をしてほしいのかまでは言わなくても良い、彼女であれば分かる。

 直後、ゲーティアの両腕からは紫の光が弾け、彼女の宝具が──幻想の鉄処女(ファントム・メイデン)が姿を現した。

 閉じ込めるように、噛み砕くようにそれは閉じ、光は内側で爆発を起こした。

 ガラガラと宝具は崩れ去る、その中から現れたゲーティアは、やはり健在。

 彼の両腕にある、多量の目のような器官がパッと輝いた。

 紫の光──光線が空を駆ける。

 や、ば──!

 避けられない、一瞬そう思えばグッと鈴鹿が俺を掴んで地を踏みしめた。

 上手く着地してよね! という言葉と共に上空へと放り投げられる。

 ……放り投げちゃうのか!?

 いや高い高い高い! 投げすぎ! と文句を言いながら礼装を起動した。

 現れるのは必中の呪いがかかった一つの弓矢、ゲーティアの直上で矢を引き絞る。

 リミテッド・ゼロオーバーは既に展開している、魔術による身体強化も充分──射抜け!

 わざわざ大声で叫びながら幾度も矢を撃ち放つ。

 刺さることなくそれは弾かれる、だがゲーティアは俺を見た。

 ゲーティアにとってマスターは何よりも優先すべき相手だ。

 何せマスターが死ねば連動してサーヴァントも消える、だからこそやつは些細なチャンスでも見逃さない。

 煩わし気に魔力が渦巻き、俺へと向かって撃ち放たれる。

 当たれば一瞬で塵と化すだろう、文字通りの即死攻撃──しかしそれが届くより先に鎖は俺へと絡み付いた。

 ギュンッ! とメドゥーサに引き寄せられてからポイッと後ろに捨てられる。

 アルトリアの聖剣がゲーティアの身体を斜めに斬り裂いた。

 左腰から右肩へと駆け抜けるように鋭く閃いて、しかしよろけることもなく足が振り抜かれた。

 守るように、カーミラが間へと入る。

 彼女は自分の持つ杖と、己の体そのものを盾にして、そして衝撃音が響いた。

 杖が砕け、爪先がカーミラの身体へと突き刺さり──そして光が奔る。

 彼女の身体に幾つもの穴を空け、しかし、それでもカーミラはアルトリアを突き飛ばした。

 紫の光線はアルトリアの半身をズタズタに引き裂いたが、しかしまだ死んではいない。

 カーミラが鞠のように蹴り飛ばされて光となっていく、それと入れ替わるようにライダーが踏み込んだ。

 釘剣が鈍く光ってゲーティアの背中に深く刺さり、同時にメドゥーサは跳んだ。

 追うように頭を上げたゲーティアの目と、メドゥーサの目が合って、魔眼は黄金に光る。

 石化の魔眼、それは刹那にすら劣る瞬間だけゲーティアの動きを止めた。

 言葉にするべきではないほどほんの少しだけの停止、だがそうであったとしても止まるということは流れを遮られるということに他ならない。 

 隙が、作りあげられる。

 血に塗れたアルトリアが魔力を爆発的に練り上げられて、それを防ごうとすることを阻害するように鈴鹿の刀が閃いた。

 同時に概念礼装と礼装魔術を起動する、立香くんと目を合わせて同時にガンドを撃った。

 がら空きの胴へと当たり、ゲーティアの動きが再度止まり、立香くんが最後の一画になっていた令呪を切った。

 聖剣の極光が、撃ち放たれる。

 

 

 

 オ、オ──オオオオオオオオオオ!

 まだ、まだ、まだだ!

 叫びと同時に突き出された両腕から紫の光は放出された。

 聖剣の輝きと、魔神の光はぶつかり合って弾き合い、そして聖剣の輝きが打ち勝った。

 黄金の光がゲーティアを巻き込んで、激しい衝撃が走った。

 それだけで身体は煽られて自由が利かない、だがその中でアルトリアが崩れ落ちていくのが見えた。

 あの一撃が、アルトリアに出来る全てであり、その身体は光に解けていく。

 ──この数回のやりとりだけでカーミラとアルトリアが落ちた。

 残るは鈴鹿とメドゥーサ、それから俺と立香くんだけ。

 だが、それがイコールで劣勢だとは限らない。

 時間が経てば経つほどゲーティアからは威圧感が減っていた。

 身体は光に解け、比例するように力も速さも魔力も、全てが衰えていく。

 負けるわけにはいかない、と思った。

 同時に死んだら次は無い、という焦りが脳裏を過り、それを無理矢理払い落とした。

 死んだら終わりなのが、普通なんだよ。

 自分に言い聞かせて令呪を切れば、上空に数百の刀は顕れた。

 雨のように、それらは降り注ぐ。

 その幾つかは光に撃ち消されたが、それでもなお数重の刀はその黄金の身体を刺し貫いた。

 ゲーティアがガクン、と膝をついた。その身から漏れ出る光は明らかに増えていっていた。

 ──ここだ。

 この一年で培ってきた経験が、そう囁いた。

 ここが決め時である、と。

 思った時には既にラスト一画の令呪を切っていた。

 メドゥーサの魔力が急激に上昇し、天馬は空を駆ける。

 その嘶きが空へと走り、流星は天から地へと流れ落ちた。

 

 

 

 衝撃と轟音が響いた。

 大地は砕け、石と土煙が巻き起こり、そしてメドゥーサの身体が宙を舞った。

 ──っ、鈴鹿ぁ!

 叫ぶと同時に概念礼装を起動して、先導するように走り出す鈴鹿の後を追う。

 メドゥーサの身体が地に落ちて、同時に煙はゲーティアの手によって払われた。

 光が全身から零れ落ちている、今にもその身体は崩れ落ちてもおかしくないとすら思えるのに、それでも腕を向けた。

 そこから放たれたるは、紫紺の極光。

 幾十にも分かれて空を翔けたそれを、鈴鹿が弾く。

 携えられた幾つもの刀が、完璧な角度で光を受け流し、肉薄した。

 そっと鈴鹿が足を踏み込みその腕を斬り落とす、ゲーティアが叫ぶと同時に腕を振るった。

 フラガラック──!

 雄叫びと同時に、蒼光の剣はゲーティアの胸へと叩きこまれた。

 その身体は予想外に柔く脆弱になっていて、しかしゲーティアは未だ紅に光る眼差しで俺を見た。

 身体を解かしながら、それでも縋るように「まだだ」と言った。

 瞬間、身体が引っ張られて後ろへ飛んだ。直後に吹き飛んだ鈴鹿が俺へとぶつかった。

 勢いよく肺から空気が抜ける、ゲーティアが手を振るう。

 まずい、死ぬ。

 ほとんど反射的にそう思う、駄目だと叫び、無理矢理身体を動かした。

 紫紺の光が鈴鹿と俺を焼き払い──当たる直前に鈴鹿が俺を押す。

 彼女の身体が巻き込まれ、俺の半身が勢い良く焼けた。

 でも、それでもまだ生きている、まだ戦える。

 呼吸がしづらいのも、片目が良く見えないのも、身体が上手く動かないのも、関係ない。

 立ち上がれ──と己を鼓舞すれば、立香くんが前に出た。

 ──は? 何やってんだよ、逃げろ。

 そう言うより早く彼は地を蹴った。

 ゲーティアの振るった拳を緊急回避で躱し、そして。

 瞬間強化、本当に一瞬のみ力を飛躍的に上昇させる、礼装に備えられた魔術が起動した。

 立香くんの拳がゲーティアの顔面を捉え、またゲーティアの拳は彼に突き刺さった。

 立香くんはゴボリと血を吐き出したが、それでも拳にグッと力を入れた。

 バキリ、と音を立てて彼の顔は崩れ、ゲーティアは力なく仰向けに倒れ込む。

 ──何故だ。

 何故、貴様らは戦うのだ、屈しないのだ、立ち上がるのだ。

 何故、ここまで戦ってこれたのだ、折れずに駆けてこられたのだ!

 ゲーティアが掠れた声でそう叫ぶ。

 その前に立つ立香くんが腕を抑えながら答えた。

 そんなの、決まってるだろ。

 これから先を『生きる為』だ、と。

 少しの間だけ、沈黙が下りる。

 

 

 

 ……ただ、自分が、生きる為?

 そう、か。人理を守ってさえ、いなかったとは。

 生存を願いながら、死を恐れ、

 死を恐れながら、永遠を目指した我々を打倒した。

 なんという──救いようのない愚かさか。

 いや、救う必要のない頑なさと言うべきか。

 手に負えぬ、とはまさにこのことを言うのだろう。

 ゲーティアは一瞬だけ地を握ったが、しかし起き上がることは無く。

 あっさりとその身体は解け消えた。

 お、終わった……? 

 自分でも信じられないくらい呆けた声が飛び出せば、それに応じるように通信機から声が鳴った。

 ──よぅし! 通信が繋がった。

 たった今此方でも玉座の崩壊、魔神王ゲーティアの消滅を確認できた! そしてその二つの要素が示すところはつまり、その領域の崩壊だ。

 だが、それ以上に光帯の状態が不安定なんだ。

 ゲーティアが束ねていたものだからね、それが無くなったことによる影響だろう。

 このままでは形は崩壊し、本来の状態──大気に満ちるマナとして拡散することになる。

 そうなったら、崩壊よりも早くその領域は跡形もなくなるだろう。

 なにせ超新星の如き大爆発になるだろうからね! 

 あぁ安心してくれ、カルデアは無事さ、だって私がいるんだぜ?

 時空断層の前にあった古い門があっただろう? あそこまで来てくれれば直ぐにでもレイシフトは可能になっている。

 分かったらほら、早く立つ! 走る! さっさと帰還してくれたまえ!

 そうして通信はブツッと切れた。

 少しだけ立香くんと目が合って、二人して少しだけ薄く笑った。

 何かいっつも時間に追われてる気がするな、と思ってからフラフラと走り出した。

 

 

 

 走る、走る、走る。

 時空断層すらも超えて、門へと駆ける。

 俺も立香くんももうギリギリで、怪しい足取りで走っていた。

 ただ、それでも何だかんだ間に合いそうだな、とは思っていた。

 なにせもうすぐで門だ、何事も無ければこのまま突っ込める──なんて、思ったのがいけなかったのかもしれない。

 フラグ、とでも言うべきだろうか、と思って反吐がでた。

 でも、まぁそうなるだろうな、とも思った。

 誰よりも多くの悲しみを見て、誰よりも耐え難い感情を受け続け、そして世界を創り直そうとまで思ったようなやつが。

 実現する一歩手前まで持って行った執念の塊のようなやつが、アレだけで終わる訳がない。

 そうだよな、ゲーティア。

 そう、目の前に立つ男へと呼びかけた。

 その髪は星のような金になり、身体はあらゆる箇所に傷が入り、右肩から先が消滅している。

 傷から煙のように真っ黒な光がこぼれ出ていて、人のような姿になったひとりの男へ。

 彼はうっすらと目を開けて、あぁ、そうだな、と言った。

 私の夢は潰えた、この神殿に座し、行った莫大な時間は、労力はすべて無為となった。

 ──そうだ、私は、敗北した。

 他でもないお前たちに、私は惨敗した。

 光帯は消え去り、玉座に意味はなくなり、人理焼却は無効となった。

 ソロモン王が消滅した時点で、私の偉業も立ち消えたのだ。

 この私も、最早七十二柱の魔神ではなく、その残り滓のようなものにしか過ぎない。

 これが、私の結末だ。

 これ以上何をしようが、私にとっては何一つ覆ることは無いだろう。

 終わったものには何も成し得ない、変えられない。

 意味を与えられるのは、常に過程にある者だけであるがゆえに。

 だが、それでも──ああ、以前の私ではありえないだろうが、それでも、意地がある。

 限りある命を手に入れて、ようやく手に入れた、理解できた意地だ。

 決して譲れない、私だけのものだ。

 私は──お前たちの生還を一瞬だけだとしても遅くする。

 言葉にする敬意は、これで以上だ。

 人理焼却をめぐるグランドオーダー。七つの特異点、七つの世界を超えてきたマスターよ。

 我が名はゲーティア。人理を以て人理を滅ぼし、その先を目指したもの。

 誰もいない極点、誰も望みはしなかった、虚空の希望を目指し続けたもの。

 私はいまこの瞬間にようやく生まれ、そしていま滅びる。

 何の成果も、何の報酬もありはしない、だが、そうだとしても。

 この全霊をかけて、おまえを打ち砕く。

 ──我が怨敵。我が憎悪。我が運命よ。

 どうか見届けて欲しい。この僅かな時間が、私に与えられたたった一つの物語。

 この僅かな、されど、あまりにも愛おしい時間が、ゲーティアと名乗ったものに与えられた、本当の人生であるがゆえに。

 

 

 その身体は押せば砕けるような身体だった。

 先ほどまで戦ったゲーティアとはまるで正反対で、俺や立香くんよりもずっと脆い身体。

 魔力だって全然感じることはできず、威圧感も全くない。

 正しく残滓と言うべきだろう。

 成し遂げることはできず、夢をかなえることはできず、破れ落ちたものの行く末。

 ゲーティアの、結末。

 だが、その上で彼は、最後の勝ちだけは譲れないと、そう言った。

 であるならば、逃げる訳にはいかないだろう。

 これがこの旅の、最後の戦いだ。

 拳を握り、全身に気合を入れて、立香くんの横に並ぶ。

 互いに目を合わせ、そして地を蹴った。

 もう全員ボロボロで、傍から見れば笑われるような始まりだったかもしれない。

 英霊どころか、その辺の特に鍛えてもいない普通の人たちの喧嘩の方がまだマシだったかもしれない。

 だから、決着は一瞬だった。

 俺達二人の拳がゲーティアを殴り飛ばす。

 代わりにゲーティアの拳が立香くんの頬を殴った。

 鈍い音が響いて、しかしそれだけでゲーティアは倒れた。

 否、倒れるまでもなくその身体は光へと変える。

 残滓は残滓として、宙へと消える。

 ──見事であった。

 これが、限りのある生命。

 あぁ、実に──素晴らしい、生命(いのち)であった。

 いやはや、まったく。

 不自然なほどに短く、不思議なほどに面白く、また幸せであるのだな。

 人の、人生というやつは。

 こちらが驚くほど、安らかな笑顔を浮かべ、ゲーティアはその姿を消した。

 そうなるのが正解であるように、何一つ残すことなく完璧に、完膚なきまでに消滅した。

 これで、やっと全部終わったんだ、と思えば途切れていた通信機から音が響いた。

 あぁ、良かったやっと繋がった!

 突然繋がらなくなって焦ってたんだ──とか言うのは今はいい!

 早く、早くするんだ! カルデアももう、この時間神殿からの離脱を始めた! 

 レイシフト地点までもうすぐだろう、走れ! 我々もギリギリまでは君たちを待つ!

 ダ・ヴィンチちゃんがそう叫ぶ、立香くんが行きましょう! と足を踏み出した直後、彼は崩れ落ちた。

 最後に放ったゲーティアの一撃。

 最期にして最初の戦い、勝ちだけは譲れないと叫び、意地だけで戦った彼のそれは、限界の地点にいた彼の力を余すところなく食い尽くしていた。

 ──!

 一瞬だけ、躊躇った。

 ほんの少しの間だけ迷って、そして俺は立香くんを掴んだ。

 全身の気力を、体力を振り絞って地を駆ける。

 何をしているんですか! 行ってください! と泣くように叫んだ彼を引きずるように走って、そして──足場が崩れた。

 足から地の感触が無くなり不安になるような浮遊感がやってくる。

 一人であったのならば、間に合っていた距離だった。

 二人であったとしても、協力し合えば互いに間に合う距離だった。

 だが、この状況では間に合わなかった。

 分かっていたことだった、だけど、諦めたという訳でもまた無かった。

 立香くんを抱える腕にだけ全てを集中する。

 なけなしの全てを振り絞って、届け、届けと叫んで俺は、立香くんを放り投げた。

 残念ながら、投げたというにはあまりにもしょぼすぎたと言えるだろう。

 彼の身体はほんの少ししか浮かず、けれども彼はその先の、まだ足場として機能している部分を掴むことに成功した。

 慟哭のような悲鳴をあげながら立香くんはそれを這い上った。

 すげぇ、と思った。

 限界だっただろうに、それでも登り切った、前に進んだ。

 ──あぁ、悪くないな。

 そう思った、良かったと言い切れないのが、やっぱり少しだけ未練があるように思えて笑えたけれども、うん、それでも悪くなかった。

 立香くんが手を伸ばす、だけどそれは届くはずもなかった。

 ごめんなぁ、と思ったけれど、最後の言葉がそれになるのは気に入らなくて。

 少しだけ考えてから必死に声を張り上げた。

 もう全然力の入らない身体に喝を入れて、立香くんを見る。

 

「ありがとう、頑張れ」

 

 それが無事届いたのかどうかは分からない。

 何だか両目ももう霞んできてるし、身体はどんどん落ちていくしで彼の表情も良く見えない。

 だけどまぁ、届いただろう。

 そう思えば自然と身体からは力が抜けた。

 まるでずっと張りつめていた糸を切ったかのようにだらしなく、弛んでダレた。

 それはある意味では、比喩ではないかもしれないが。

 終わったんだなぁと思って落ちてきた瞼をそのままにした。

 ──人は、人に繋がれたものを、次の誰かに繋ぐものだ。

 マシュが皆を守ったように、ドクターが皆を守ったように、俺もまた、誰かを守る役目があったのだ。

 もう、やり直せることも無い、という鈴鹿の言葉を思い出す。

 正直なことを言えば、俺はそれで良かった。

 いいや、それが良かった。

 ちょっとだけ、安心してた。

 ようやっと終われるんだって、思った。

 一回しかないから、一つしかないから、大切にするものだと、できるものだと思うから。

 次がありすぎると、大切にできなくなってしまうから。

 だから、あの時言えなかったけど、ゲーティア。

 俺は終わりが欲しいから、永遠はいらなかったんだよ。

 声にすらならない想いを口にして、落ちていた瞼をもう一回開いたが、しかしほとんど何も見えなかった。

 そうしてやがて、色んなものが砕け、崩れるような音も聞こえなくなって。

 自分が浮いているのか、落ちているのかも分からない感覚に包まれて。

 そして、落ちてきた真っ白な光が俺を──俺の何もかもを、綺麗に解かし尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──気が付いたら人気のない上、燃え盛る街に一人佇んでいた。

 

「は……?」

 

 かつて見た光景だった、見覚えのあり過ぎる光景だった、乗り越えたはずの場所だった。

 夢だと思うにはあまりに現実的過ぎた、手に触れる瓦礫は確かにそこにあり、猛る炎のせいで酷く暑かった。

 呼吸すら上手くできない中で、不意に自分の身体を見た。

 全然鍛えられていないヒョロヒョロな身体だった。

 概念礼装はどこにもなくて、魔力だって回し慣れていなかった。

 吐き気が、する。

 何かに心が締め付けられているようだった。

 視界がグルグルと回り出した中で、いつか見た骨が現れた。

 その手にある古びた剣が、雑な軌道を描いて俺の首筋を断った。

 

 

 

 

 ──気が付いたら人気のない上、燃え盛る街に一人佇んでいた。

 あぁ、あぁ、あぁ……。

 

「全部、無駄だったんですか?」

 

 返答は、どこからもなかった。

 ただ、悠然と燃ゆる炎と、砕かれた瓦礫だけが、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて一人の青年がいた。

 特に取り柄は無く、特筆すべき才能はない凡才の青年だった。

 けれども、その肉体に持った「レイシフト適性」という類まれなる特徴を持っていたが故に、青年は選ばれた。

 世界の救済という大きな使命を背負う人間として、選ばれた。

 青年は、それを確りと理解しないまま、少なくはあるが仲間を作り、出来るだけの努力をして、その日を迎えた。

 世界を救う、その第一歩を踏み出す日であった。

 不安ではあったが、優秀な仲間がいるから大丈夫だろうと、どこか楽観もしていた青年は笑顔で装置の中に入り、そして。

 襲撃は起こった、強力な爆発が一瞬にして広がった。

 青年の視界の中で四十八人の仲間たちが次々と巻き込まれ、終ぞ青年の身も爆炎に呑みこまれることとなった。

 呑まれると同時に、装置は作動した。

 半ば誤作動であったとさえ言ってもいい。

 正しく事故であったそれは、四十八人を跳躍させるだけの膨大なエネルギーを、一人の青年に余すところなく注ぎ込んだ。

 青年の肉体は既に死んでいたが、しかしその魂と精神はそれによる時間・並行跳躍を行わざるを得なかった。

 跳躍の行き先を設定されなかったそれは、ただ虚空へと向かう果てなき旅路。

 レイシフトとは、要するに時間移動と並行移動のミックスである。

 縦軸の移動も横軸の移動もデタラメとなったその旅は最終的には、青年を"世界の隙間"へと叩きこむ形となった。

 世界の隙間、もしくは時の海──あるいは虚数空間。

 あてどなく迷い込んだ青年は、偶然にも"それ"と出会った──地球にアクセスする為のアプローチ先を探していた"それ"と出遭った。

 青年にそれが何かを理解する知恵も、目も無かったが、しかし自分以外の何かであることだけは分かった。

 青年はひたすらに願う、肉体が死ぬ直前からずっと、無限に繰り返し続けていた願いを想う。

 ──死にたくない。

 既に死した身でありながら、ひたすらにそう願った青年に、"それ"は手を差し伸べた。

 外に在る神とでも呼ぶべきそれの手を、青年は掴んだ、掴んでしまった。

 願いと共に、繋がりを作ってしまった。

 "それ"は青年を保護し、加工して、元の世界へと送り出す。

 可能性のある内は死ななくなるようになり、青年はある意味で、その命を吹き返した。

 

 

 

 

 ──人の命に、もう一度はありえない。

 人の人生に、もう一度はあり得ない。

 時間は有限で、進むべき道は一本だけで、後戻りはできない。

 ──だが、もしそうすることができるものがいるのなら。

 それはきっと、人の道を外れた"何か"でしかないだろう。

 "何か"に成り果ててしまったものでしかないだろう。

 外れてしまえば、元に戻ることは許されないだろう。

 後戻りはできても、前には進めない。

 有限から外れた無限の存在。

 無限に繰り返すもの、ゆえに無限ルーパー。

 彼に終わりは、訪れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




もーちょい続きます、すまんな中々終わらんくて。
読み返しざっくりとしかしてないから変なところあったらこっそり教えてくれな。
取り敢えず疲れたからしばらく沢山褒めてくれ。

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