(マジで長いからガバ、矛盾があったらこっそり教えてネ! 作者、推敲、読み直し、疲れちゃったんだ!)
──長い、とても長い夢を見ていた。
裏切りに満ち、民衆に翻弄され、誇りを汚され、運命に殺された一人の女の話だった。
人々を救うはずだった白く美しい手を、真紅に汚さざるを得なかった神の話。
偏見と迫害、それらから身を守るために戦い続け、最期には呆気なく殺されてしまった怪物の物語。
長かった幕は降り、同時に薄っすらと浮上していく意識を感じながら俺はあぁ、これは彼女の話だったのだと遅まきながら理解した。
目が覚める。
朝の弱い俺にしては異様な程珍しい寝覚めの良さだった。
そっと身体を持ち上げたと同時、瞼の端から薄く涙が緩やかに零れ落ちた。
あくびでもしたかと思うも、何故だかそれは止まることが無くて際限なく溢れ続ける。
そのことに俺は大して動揺することはなく、またか、と一つ嘆息した。
ここ数日、ずっとこうなのだ。
何かとても大切な夢を見ていたようで、けれども何一つ思い出せない。
いや、思い出せない、と断言するのは少し語弊があった。
言葉にするのであれば本当に、何となくそれがとても大切なことである、と思うその気持ちの輪郭の名残だけを寝起きの頭が力強く握りしめている、といった程度。
要するに何か見た確信はあるけど何を見ていたかという記憶は無い、というやつだ。
故に、それだけではどうにもならない。
どうにもならなければ、どうにかする必要も感じない。
多少気になりはするがそれに係っているくらいなら少しでも己を高めた方が有意義だと思ったからだ。
一応、ダ・ヴィンチちゃんに相談はしたが身体に異常は無いと言っていたから問題は無いのだろうし。
目元をゴシゴシと擦って涙を拭い、さくっと身だしなみを整えてからふと思う。
随分とボロボロになったものだな、と。
いや身体の話ではない、制服の話である。
俺がここに来てからもう一年は優に経ってはいるが、それでもその程度だ。
仮にも魔術礼装でもあるこれがこんなにボロっちくなるとか、何だかおかしな気分である。
それだけここ半年と数ヶ月が濃かったということだろう。
いやまあ薄くても困るんだけれども。
……いややっぱり薄い方が楽だったのか?
そんな取り留めのないことをぼんやり考えていたら不意にポケットに突っ込んでいた端末が微かに震えた。
見てみればそこには『早くしたまえ!』とダ・ヴィンチちゃんからのメッセージが表示されている。
カルデア内限定チャットメッセンジャーである。
あったら便利なのにね、と呟いてたらダ・ヴィンチちゃんがさくっと用意したのだ。
本当万能だな……
お陰でスタッフさん達とのやり取りが非常に楽になった。
これをきっかけに仲良くなった人もいて、今ではお部屋にお邪魔し夜食を振る舞われている仲である。
……あれ? 餌付けされてない?
そう思ったのも束の間、今度は立香くんやマシュからもメッセージが届き始めたので流石にヤバイと部屋を出た。
事情は知らされてないが今日は召喚ルームに招集をかけられていたのだ。
思いっきり余裕かましていたがぶっちゃけ起きた時点で全然遅刻である。
あぁ、ダ・ヴィンチちゃんに口うるさく言われそうだなぁ、そう思った俺は顔を顰めて足を早めた。
謝罪を叫びながら召喚ルームへと飛び入った瞬間細い衝撃が頭を貫いた。
前のめりになっていた身体が勢いよく後ろへと反り返る、いや痛すぎない?
い、一体何が……そっと額に手を当てれば白い粉が微かに指につく。
えぇ、いや何これ……?
寝起きからホラー体験が過ぎる……そう思うと同時にダ・ヴィンチちゃんが遅刻だよ、と言ってクイッと眼鏡を光らせて片手を振った。
よく見ればそこには白い、円柱型の物体──つまるところチョークが握られていた。
は? チョーク? え、それを当たった衝撃で消し飛ぶような勢いで投げちゃったの?
道理でくそ痛いわけだ、馬鹿か?
いや俺が遅れたのが悪いから何も言えないのだけれども。
未だヒリつく額を抑えながらライダーさんの横へとついて、ふと彼女を見ればやれやれといった顔で見られた。
この人俺が寝坊するの見越して起こさなかったな……最近ちょっと手厳しすぎない?
部屋の掃除も手伝ってくれないし……むっとしようとしてからいや全面的に俺が雑魚すぎるな、と思い直す。
日が経つにつれて生活力が落ちている……今更ながら気付いてショックを受けていればそこ、話をちゃんと聞く! とダ・ヴィンチちゃんに名指しされた。
学校の先生か何かかよ……いやあながち間違ってはいないんだけれども……
ごめんなさーいと謝り続きを促せば彼女はちゃんと聞いてよね、と頬を膨らませた。
ダ・ヴィンチちゃんのした話は、簡潔に纏めてしまえば召喚にかかるコストが減った、という一点のみだった。
かかるコスト──即ち"聖晶石"
今まで四つ必要としていた召喚が、これからは三つで良くなったらしい。
もう半年以上前になる──カルデア襲撃により故障してしまっていた機器類の修理の完了、これが主な理由になってくるらしい。
これがあるかどうかで魔力の転換効率が段違いだとか何とか。
まあ何にしろこれ以上無いくらいありがたいニュースだった。
サンキューな! ところでいい加減礼装ばっかり出る辺り改善されない? と聞けばそれについてはキミ次第だから……と言葉を濁された、無念。
ところで、"聖晶石"が何か、キミたちは知っていたかい?
もう終わりだな、と思ってさっさと出ようとしたらダ・ヴィンチちゃんがそんなことを口にした。
まだ講義が続くのか、という気持ちと確かに全然知らないな、という気持ちが同時に現れ結局その場で次の言葉を待てば、彼女はニヤリと笑う。
ダ・ヴィンチちゃん曰く、聖晶石とは"あまたの未来を確定させる概念が結晶化させたもの"らしい。
……ちょっと抽象的過ぎない? 意味が分からないんですけど……
言葉にせずともそう思っていればやはり顔に出ていたのかダ・ヴィンチちゃんは仕方ないなぁ、と益々笑みを深めて説明を始めた。
一言で言ってしまうのであれば、それは"可能性"というやつらしい。
一般的な話でもあるがこの世には無限とすら言える可能性が広がっている。
あらゆるIF、あらゆる可能性、そういった取る選択肢一つで安々と行き先が変わってしまうようなあやふやなままでいる未来を"確定"させてしまえる概念の結晶体。
それが
え、そんな大仰なものだったのこれ……?
この前これでスタッフさんたちとキャッチボールしたばっかりなんだけど……
え、大丈夫? 落としまくってここちょっと欠けちゃったんだけど大丈夫?
そう言えば目ぇひん剥いてグーで殴られた、いやすまんかったって。
そんなハードだった午前も終えて午後、ちょうどお昼を済ませてカーミラと談笑していればまたもや集合がかかった。
今度はドクターで、いやに声が硬い。
もう、それだけで内容が察せられるくらいだ。
少しは隠せよな、そう少し笑い合ってからブリーフィングルームへと入れば今度は珍しく一番乗りだった。
早かったね、と笑うドクターにさっきまで食堂にいたから、と返して適当な席につく。
ドクターはご飯食べたの? と聞けば僕はまだ、と返ってくる。
そんなぎこちがなくて、当たり障りのない会話だけを重ねていく。
部屋中を満たす心地の悪い緊張感が俺たちにそうさせていた。
背に冷や汗をかく、軽い嘔吐感が胸に広がっていて、何だかじっとしていられないような情動に襲われるがそれをぐっとこらえた。
そうしてどれだけ待っただろうか、何だか妙に長く感じたがそれでも数分といったところだろう。
スタッフ達がぞろぞろと集まって来はじめて、それから一拍置いて立香君とマシュが慌てて入ってきた。
これで全員か? と思ったところでゆったりとダ・ヴィンチちゃんがやってくる。
これで全員、そう、全員集まった。
コホン、とドクターが一つ咳払いをする。
それだけで全員が静まり返り、緊張感は高まり全てを包み上げた。
第七特異点への、レイシフト準備が完了した。
ドクターは静かに、感情を排した声でそう言った。
これが、最後の特異点。
ここの聖杯を回収すれば、残すはソロモンのみ。
だがしかし──そう、焦らないでくれ。
彼は俺たち全員に──とりわけ俺と立香くんを見て、諭すように言った。
これまでカルデアが総力を上げて前進し続けてきたお陰で、我々には僅かながら猶予が
今回だって相当辛い旅になるだろう、何度も死ぬような目に合うかもしれない、絶望という壁に打ちのめされるかもしれない。
だから、落ち着いて判断してほしい。
今すぐレイシフトをする必要はない、確りと準備を重ね、気持ちの整理、覚悟が決まったら声をかけて──
そう言いかけたドクターの言葉を遮るように席から立ち上がる。
そっと横を見れば立香くんと目があって、彼もまたマシュの手を取って立ち上がった。
気持ちの整理はとうについている、あの燃え盛る都市から戻ってきた時から、覚悟だって決まっている。
だから、大丈夫だよドクター。
全部、任せてくれ。
そう言えば彼は少しだけ呆けたように口を空け、それから苦しげに笑った。
そうだったね、キミたちはそういう子達だった。
今更気遣う方が、ずっと失礼だったね、と。
さて、じゃあブリーフィングを始めようか。
切り替えたようにドクターは朗らかにそう言った。
最後の特異点、そこは人類史の、その始まりの場所。
地球全土に於ける各文明の興りたるもの、世界が未だひとつであった頃の母なる世界──紀元前2600年:古代メソポタミア。
正真正銘の最古の文明、つまり世界が未だ"神秘、神代"によっていた世界。
もっと簡単に言ってしまえば、"神や神話上の怪物が日常的に存在していた頃の地球"。
敢えて難易度という言葉を使うのであれば、これまでの特異点とは一線を画す、そういうレベルの特異点。
ただ、そこに行くだけで今までの特異点を超える難易度だ。
レオナルド、頼んでいたものは? ドクターがそう言うと同時、ダ・ヴィンチちゃんがにっこり笑って勿論できているさ、とマフラーを取り出した。
え、なに、あっちは冬なの? そう問えば彼女はチッチッチ、と指を振るって言った。
これはキミたちに作った魔術礼装の発展型さ、と。
それを聞いて、直後に察して一瞬口元がひくついた。
だって、それはつまり、今度のレイシフト先はかのエジプトよりもずっと魔力濃度が濃い、ということに他ならない。
あそこですら神代レベルと言われたのにあれより濃いとかそんなバカな、冗談が上手だなハッハッハ、と笑えば真顔でこれがなきゃ死ぬからね、と彼女が言う。
あの顔は……ガチの顔ですね、そうですか、はい、ありがとうございます……とマフラーを受け取る。
首元に巻いてみれば意外にも暑くない、どうなってんの? と聞けばこれが魔術ってやつさ、とドヤ顔で言われた、いやちゃんと説明して?
まあそんなこんなで話は戻り、ドクターは改めて口を開いた。
紀元前2600年のメソポタミアは、所謂初期王朝時代にあたる、と。
これを魔術的な視点で見れば、ちょうど人間が神と袂を分かった最初の時代である、と。
この時代の王が、何を思い何を考えそうしたのかは判明してはいないが、それでもこの事実だけは確かなもので、所謂神々の時代とも言えるものはここを起点に薄れていった。
要するに、先程も言ったがレイシフトをする、という事自体がもうとんでもなく難しく危険が伴う。
何せ紀元前だ、シバだって中々安定しない──否、するはずがない。
しかしそれでも特異点の位置は割り出せて、その上で観測も可能とした。
大体スタッフたちと、それからレオナルドのお陰だよ、と彼は笑った。
ダ・ヴィンチちゃんが存在証明は任せてくれたまえ! と大きく胸を張って言う。
レイシフトは確かに危険も多いが、同時に得難い経験でもある、現代では味わえない古代の世界を思う存分堪能してきたまえ、と。
それに呼応してドクターも不謹慎だけどもね、確かに素晴らしい発見や出会いもあるだろうと言った。
続けて、そのすべてが解決したら、旅の終わりに君等が得たものを僕にも聞かせてくれ、と。
いい話っぽい空気は禁止だ、これから戦いに行くんだぞ、ダ・ヴィンチちゃんが言って俺の背中をバンッと叩いた。
これくらいの勢いで送り出してやらないと! と。
いや普通に痛いからもうちょっとやんわり送り出してくれない? そう言えばもう一発叩かれた、何故だ。
そんな俺を見てドクターが軽く笑い、それもそうだね、と同調してから己の両頬をぱちんと叩く。
僕も皆に負けないくらい気合充分だ、コフィンの準備は直ぐにできる。
準備が終わったら、そこから先は君たちの戦いだ。
前回の特異点は正に例外続きだったが──今回の特異点は例外そのものみたいなものだ。
何があっても冷静に余裕を持って対応するように、いいね?
ドクターはそう言って、それに俺たちは無言で頷いた。
では一時間後、レイシフトルームへ。
その言葉を最後に、俺達はパラパラと部屋を出ていった。
一時間、寝るには少し半端だし身体を動かすにも半端な時間だ。
どうしたもんかなぁ、とどこか現実味のない感覚に身を委ねながら寝転んでいればふいにノックの音が部屋に広がった。
どーぞ、と言えば少しの間を置いて扉は開き、そこから鈴鹿が身を現した。
やっほー、なんていつも通りの軽い調子で、けれどもどこか、真剣味を帯びた表情で。
彼女にしては随分と珍しいことだ。
レイシフト先ならまだしもここ、カルデアでここまで緊張感を醸し出す彼女を見るのは初めてで、少しだけ緊張してしまう。
どうしたのさ、何て震えた声で言えば鈴鹿は少しだけ逡巡するように目を伏せて、それから意を決したように俺を見て、こう言った。
ねぇ、大丈夫? と。
──一瞬、言葉に詰まる。
何に対しての言葉なのか、それが分からなくて、しかしそれでも考えうる可能性のその全てに対しての言葉である、ということが直感的に理解出来てしまったからだった。
大丈夫な訳、ないだろう。
奥から吐き出されそうになったその台詞を飲み下して繕うにように笑って大丈夫だと、そう言おうとした直後ふわりと何かに抱きしめられた。
いや、何かではない、鈴鹿だ。
な、何を……!?
慌てて突き放そうとして、けれどもそれはできなかった。
鈴鹿は頻りに謝っていた、何故かはまるで想像つかないが、彼女は俺に対して酷く繰り返すように謝っているのだ。
どうしたどうした!? 何があった!? 意味不明過ぎるんだが!?
パニックになりながらも努めて漏らされていく言葉を聞けば、鈴鹿は「ごめんなさい」と「私のせいだ」を繰り返していた。
えぇ、何、怖いんだけど……
どうしちゃったの? 軽いホラー体験すぎて気味が悪いまであるんだけど……
背中を軽く叩いてやって、鈴鹿を落ち着かせてやる。
何か俺お前のこと慰めてばっかりじゃない? 何で人が英霊相手にこんなことしなければならないのか……
ちょっと情緒が不安定すぎると思うんですけど……
ほら、俺は大丈夫だから、泣きやめ、と言えば鈴鹿は涙で頬を濡らしながらこう言った。
もう、二度と繰り返させないから、と。
今度こそ、息が止まった。
何を言われたのかが直ぐには分からなくて、時間をかけてその意味を噛み砕いていく。
砕いて飲み込んで理解して、そこまでしてやっと声が出た。
お前、何を……?
たったそれだけの言葉が掠れて細くなって零れ落ちた。
動揺して上手く頭が回らない。
ループしているなんざ、誰かに言っても問題しか生まないことだ。
それ故に途中から誰にも悟らせないようにしていたというのに、どうして──。
そこまで考えたところで、鈴鹿が言った。
宝具を、使ったでしょ、と。
三千大千世界──太刀の中に無数の世界……つまるところ"可能性"を作り出し、見渡す事のできる力。
もっと細かく具体的に言ってしまえばそれは、己の取りうる全ての"可能性"を確認、選択することのできる、ある種千里眼にも似た力。
それで、俺を見た、ということか?
そう問えば半分正解で半分不正解、と彼女は言った。
正解は視えてしまった。
何でもかんでも無差別に見えるわけじゃない、けれども、私と親しい貴方の姿は、見ようとしようがしまいが視えてしまった。
故に、識ってしまった。
マスターのこと、私識っちゃったよ、耐えられない。
いや、違う、あんなこと耐えられちゃいけないよ。
ごめん、ごめんね、本当ならずっと黙っているつもりだったんだ、だってそれが、マスターの覚悟で、願いで、決意なのは分かりきったことだったから。
けれども、抑えきれなかった、レイシフトする前にいつも見るその顔を見ちゃったら、我慢なんて出来なかった。
ねぇ、行かなくても良いんだよ、あっちは恐くて、痛くて、苦しいよ。
先に待っていることは楽しみや喜び以上にずっと辛いことばかりだよ、だから、今ここで休んでも良いんだよ。
そう彼女は優しげに言って、しかしそれをノータイムで跳ね除けた。
大丈夫、俺は、大丈夫だと、そう言って。
それ以上、鈴鹿は何も言うことはなかった。
ただ一言、そっか、と呟き俺の身体を今一度強く抱きしめて、それからゆっくりと離れて向き合うように立った。
なら私も、私の全てを貴方に尽くしましょう、人理のために、貴方の願いのために、と。
この
そういい彼女は笑った、無理やり作ったものではなく、極自然に、華やげに笑った。
それがなぜだか無性に嬉しくて、ありがとう、と小さく言えば、鈴鹿はでも、と言葉を付け足した。
もっと周りに頼って良いんだからね、と。
いや頼るどころか依存しているレベルなんだよな、お前らいなかったら今頃ここにいないからね?
そう言えばそういうことじゃないんだけど……と顔を顰められた、解せぬ。
何はともあれもう時間だよ、と言われてハッと時計を見る。
時間は既に残り十分、つまりもう五十分経っているということである。
一時間ってやっぱり短いな、と思ってから行こうか、と声をかけてから扉を開く。
すると、ちょうどよくライダーさんとカーミラが目の前に現れた。
呼びに来てくれたのだろう、ナイスタイミング、なんて思ってからふと違和感に気づく。
即ち来るのがおそすぎない? ということだ。
ライダーさんやカーミラなんて、ダ・ヴィンチちゃんに過保護すぎると軽く説教されるくらい俺に甘いのだ。
いやそのせいで最近はちょっと厳しめなのだが……まぁそれは置いといてこの二人なら一時間もあれば確実に俺の部屋に来ていたであろうことは間違いないのだ。
どうしたんだろう、と思えば後ろから鈴鹿が顔を覗かせてありがとうね、と二人にそう言った。
何のことだ? と聞けば鈴鹿はちょっと二人にさせてほしいと二人に頼んだらしい。
なるほどな、と納得する。
お前、思いの外用意周到だよな……そう言えばそれって褒めてる? と返された。
うーん、ノーコメント!
思いっきりケツを蹴られた、いや褒め言葉、褒め言葉だから!
そんなこんなで五分ほど余裕を持って部屋に入れば当然のように全員集まっていた。
立香くんもマシュも、見た感じは気負いすぎている感じもしないし良い感じだ。
これなら安心して特異点に挑める、少しだけホッとしてればその立香君に大丈夫ですか? と心配そうに問われた。
何か今日大丈夫かって聞かれ過ぎな気がするな……そんなどうでも良いことを考えながら大丈夫だよ、と返す。
大丈夫じゃなくても大丈夫でなければならないのだ、そうでなければ次に進めない、歩を進めることができない。
だから、大丈夫、俺は問題ない、いつも通りの平常運転だ。
人の心配してる場合か? と頭をくしゃりと撫でて頑張ろうな、と軽く腹を叩く。
ゔっと漏れた声を聞き流してコフィンに入った。
当然のようにライダーさんにカーミラ、鈴鹿にがしっとしがみついてもらっていた。
何があっても離さんとばかりに力を込めるせいで若干腕が痛い、もうちょっと緩めて良いんだよ? と言えば何故か更に力を込められた、何故だカーミラ。
そんなやり取りをしていれば不意に、ドクターの声が響いた。
心の準備は出来たね、という言葉に肯定すれば彼は少しだけ、確認をしようかと口を開いた。
これまでもそうだったが──任務は"聖杯の回収"だ。
特異点となっている時代の、その原因を突き止め消去するのは確かに重要なことではあるが、それ以上に聖杯の回収は優先されるべき事項だ。
残念ながら聖杯の座標は未だ不明、だがメソポタミアの何処かには必ず存在するはず。
だから、優先順位を間違えないように。
───これが、ぼくらにとっての最後の聖杯探索になることを祈っている。
では、いってらっしゃい。
そう言い終えた彼の後を引き取るように、もう何度も聞いた無機質的な女性の声が響く。
手先は震えなかった、足は竦まなかった、これが最後なのだと、そう思って目を瞑ると同時──世界は歪んで解けて、俺の意識は過去へと飛翔した。
一度粒子となった己の全てが再構成される、身体、精神、魂、そして意識と全てが移動しきった次の瞬間、身体が跳んだ。
比喩ではない、ただ只管に、物理的にとんでもない勢いで
瞬時にヤバいと本能が叫ぶ、それに従うまでもなく伸ばしきった手はしかしライダーさんの指先を掠めただけで終わった。
いや、いや、それはまずいだろ……!
夢中で叫ぶ、ライダーさんの事を叫んで彼女の鎖が飛んで、しかしそれを掴めない。
誰かが叫ぶ、いやそれはもしかしたら自分だったかもしれない。
それすら分からなくなるくらいの強風──いや、それを通り越して最早暴風とでもいうべきほどの風が全身を、頭から爪先まで吹き飛ばしかねないくらいの力強さで叩きつけられていた。
身体のバランスは全くと言っていいほど取れない、不安定に浮いた身体が為す術なく流された。
あぁ、これはいつになくヤバいパターンだな、頭の何処か、冷静な部分がそう言って、直後に身体と意識が同時に飛んだ。
──声が聞こえた、大勢の人の安堵と不安が織り交ぜられた不安定な声だった。
──熱を感じた、何もかもを燃やし尽くす炎の熱、けれどもあの日味わった燃え盛る都市の炎とは違う、どこか優しい焔。
何なのだろう、そう思ったところで目が見えないことに気付いた。
真っ暗だ、何も見えない──いや、正確には薄っすらと光が透けて見える。
目隠しをされている……? 外そうとしてから腕が何かに縛られていることに気付いた。
…………? ……!? いや何事!?
全力で力を込めればギリリと手首が痛む、どうやら随分太い縄で縛られているようだ。
い、一体何が……そう思うと同時に後頭部に痛みが走った。
その痛みで冷静さを取り戻す、同時に意識を失う直前までの記憶を取り戻した。
沸き立つパニックを深く呼吸しながら落ち着かせて、一先ずパスの確認をする。
そっと気持ちを鎮めて彼女たちとの繋がりを探り、未だ途切れてはいないことを悟って少しほっとした。
何故だか念話は上手く出来ないが、それでも無事が確認できたのはラッキーだ。
彼女たちは未だこの時代にいる、そして俺はこの時代の現地人、もしくはこの特異点の元凶共に捕らえられた、と考えるべきだろう。
後頭部の痛みはまぁ、落下時に頭でもぶつけたとかだろう──そう思ってそれは違うな、と思い直す。
周りにライダーさん達の魔力を感じない以上、一緒の場所に落ちたという可能性は皆無なわけで、その上で俺が落ちたのであれば即死していて然るべきなのだ。
であれば俺は助けられた、そう考えるべきか? そこまで思考を巡らせたところでいやそんな推測する必要ないじゃん、とそう思う。
普通にドクターに聞こう、どうせあっちからはこっちが見えている筈なのだから。
小声でドクターに問いかける、ハローハロー返答求む、ドクターおーい、ダ・ヴィンチちゃ~ん……
暫らくの間待って返ってきたのは只管の沈黙だった、え? また?
またなの? また通信が繋がらないの? 嘘だろおい……と嘆いていたが少ししてからいつもなら耳元にある通信機も存在を感じないことに気付いた。
……あぁ、落としたか……
察すると同時、最悪だなと思ったがまぁいつものことか、と切り替える。
ここまで状況が意味不明なことなんて──それこそいくらでもあった、誰にも頼れないことだって、同じくらいあった。
だから、大丈夫。
落ち着いて自分にできることを一つ一つチェックしていく。
身体のコンディション──頭は痛むがそれ以外に問題は見当たらない、全快状態と考えて良さそう。
腕の縄──解くことは可能、魔力を込めるか礼装を使えばすぐにでも。
周囲の状況──確りとは把握できないがそれでも不特定多数の存在を感じる、戦士というよりは一般市民のような雰囲気だが俺一人で制圧出来るかと言われれば絶対に不可能。
さて、どうしたものかなと頭を悩ませる。
このまま転がっていても仕方がないし──うん、まぁこうするしかないか。
わざとらしく咳をする、同時に力づくで上半身を起こして壁にもたれかかった。
これだけすれば当然気付かれる、想定通り複数のざわめき声が聞こえ、同時に想定外の圧と共に声をかけられた。
──ようやく目を覚ましたか。
女性の声だった、けれども大人の声音ではない、どちらかといえば童女に近い声音。
しかしそこに込められた威圧はこれまで感じてきた所謂"強者"のものと同類のもので、下手には動けないなと思わせられて冷や汗が滲んだ。
ヤバそうなのいるじゃねぇか……気付けなかった……!
──おい、聞こえなかったのか、返事くらいせぬか。
高圧的な口調でそう声をかけれられて、それに慌てて応じようとすれば突然目隠しを剥ぎ取られた。
瞬間、目に写り込んできたのは二本の巨大な角を生やし、正しく炎を体現したかのような童女。
鬼──いや、サーヴァントか。
手汗が滲む、選択を一つ間違えたら死ぬと確信させられた。
これで少しは余裕が出来たであろう、と笑ったサーヴァントは次に、"何者か"とそう言った。
その一言に、どれだけの意味が籠もっているのだろうか。
俺の素性、所属、名前──いや、それ以上に問われているは恐らく敵か味方……いや、それも違うか。
もっと正確に言うのであれば害をなそうとするものかどうか、といったところだろう。
であれば回答はシンプルで良い、そう、俺は──人理を救いに来た者、それだけだ、それだけでいい。
反応はあまりにもわかりやすかった、というよりこのサーヴァントが表情を隠すのが苦手である、と言ったほうが良いか。
聞いた直後は噛み砕くように眉間に皺を寄せ、徐々に理解していくと同時にふむ、と納得してから少しだけ頬を引き攣らせた。
もうそれだけであぁ、このサーヴァントは敵じゃないな、と察せれた。
人理なんてワード、解っているやつが聞けば態度なんて直ぐに変えるものである、ただでさえ俺は身動き取れないようにされているのだから、尚更だ。
その上でこの反応、ということはどちらかと言えばこちら寄り……聖杯に呼ばれたサーヴァントか……?
いや、そうだとしたらここまで納得したような表情をする理由がわからない、聖杯は現状の人理がうんたらという話は英霊に与えていない。
それなら……いや……うぅん、少し頭がこんがらがってきたな、と思ったところで何だかぶつぶつと何かを呟いていた彼女はコホン、と咳をしてであれば汝はあれらと敵対するもの、ということか、とそう言った。
あれら……? 何それと思わず口に出してしまえば驚いたように目を見開かれた。
知らんのか!? とか言われたがいやマジで分からん、そもそも俺はここに来たばっかりなのである。
この時代に来たと思ったら何か飛ばされて意識も失って気付けば今なのだ。
正直意味不明が過ぎている状況に慣れてなきゃ今頃パニック状態で奇声でも上げてるレベルだ。
なので至って冷静を装っているけどこの時代については本気で無知だし現状どうなっているかも全くわからない、と言えばハァ、と大きくため息を吐かれた。
だからその辺の説明を出来ればしてほしい、がその前に──そこまで言って言葉を切る、同じタイミングで腕の縄を強引に引きちぎった。
それを見た彼女の炎が揺らめぎ上がる、しかしそれを無視してそっと頭を下げた。
助けてくれてありがとうございます、と顔を伏せたままそう言った。
確証はないがここまで来れば流石に助けられたことくらいは俺にだって分かる、故に色々聞き出す前に頭を下げた。
何事も礼儀は大切なのである、それも命の恩人とあれば尚更だ。
深々と地につくまで下げる、そうすれば彼女は多少動揺したが、それ以上にどこか満足そうに鼻息を吐いた。
むふー! と言った感じである、何だか張り詰めた空気が霧散した瞬間であった。
ということで説明してくれ、すっかり説明ムードだと思ってそう言えばすげなく断られた。
曰く、何故吾がそんなことを、である。
すっかり宛が外れてぽかんとすればカラカラと笑い、吾が人間相手にそこまでする必要がないわ、と言い捨てその場に寝そべった。
此処にいたければ好きにすれば良い、が、面倒は見んぞとそう言ってから遂にこちらを見ることはなくなった。
……完全に予想外である。
殺されるわけでもなければ味方になるわけでもない、ただ好きにしろと放られたのが初のこと過ぎて思わずフリーズしてしまった。
だがまあ幸運なことに情報源はこの鬼だけではない、その辺の人たちに目を向ければ俺たちの様子を見ていた人たち全員に目をそらされてしまった、何故だ。
一歩踏み込めばざりっ……若干後ずさられる。
えっ、マジで何なの? どうしてそんなに恐れられている……?
何かちょっと悲しいんだけど……そんなに俺の顔怖いか……?
いや本当に頼むから話だけでも聞かせてくれない? 若干泣きそうになっていたら兵士風の男がこちらに歩み出てきてくれた、助かった……。
男曰く、ここはエビフ山というところで、ここにいる人たちは一応"盗賊団"を名乗っているらしい。
頭領は当然あの鬼──茨木童子である、とそう言った。
茨木童子……茨木童子!? いや待て待て待て、何で?
茨木童子といえば日本の昔話とでも言うべきものに出てくる鬼の名称である。
かの大江山を本拠地に据え、京都にて悪行を繰り返した末に源頼光に討たれた……あぁ、いや、討たれたのは酒呑童子だったか。
討たれそうになり、逃げおおせたんだっけな。
まぁ兎に角そういう言ってしまえばしぶとく、また強大な力を持った鬼。
それが、あれ……?
チラッと姿を視界に収めまた男に視線を戻す。
まあ今更イメージと違うくらいでは驚きはしないがシンプルにここにいる、という事自体に驚きを隠せない。
メソポタミアと日本って何か繋がりあるか……? そこまで考えたがいや、考えるだけ無駄かと思う。
経緯は何にせよ、此処に居るということ自体が重要なのだ、いや出来れば経緯も知りたいところではあるのだが。
何となく知っていないのかな、と思って男に聞いてみればあぁ、それなら、と当然のように語り始めた。
えっ、知ってんの……? そう問えば勿論、というかウルクの民であれば誰でも知っている、と当たり前のようにそう言った。
彼曰く、茨木童子はウルクの王──賢王ギルガメッシュによって
ついでに言えば彼女の他にも六人召喚したとか何とか。
その事実に頬を引き攣らせる、英霊召喚をたった一人で、しかも七人同時召喚!?
化け物かよ──いや、実際化け物レベルなのか……ギルガメッシュと言えば相当ネームバリューのある英雄だし何よりこの時代はあまりにも古い。
神秘が近ければ近いほど魔術の類ってのは難易度が落ちるらしいし、まぁそういうことなのだろう。
いやそれでも規格外過ぎるくらいなのであるが。
そこまで考えてふと思う。
彼はウルクの民であれば、とそういった。
じゃあ他の都市の人たちはこのことを知らないのか?
英霊召喚なんざするくらいだ、確実にこの時代は未知の脅威に晒されていて、それに対抗しているはず。
それなのにウルクの民しか知らないってのはどういう……?
そう聞けば彼は顔を曇らせて、それから絞り出すようにこう言った。
数多くあった都市はここ数ヶ月
でその数を大きく減らした、と。
大都市バビロンは廃都になり、都市ニップルは魔獣によって囲まれ都市ウル、都市エリドゥは突如現れた密林に覆われ連絡が取れない。
今ではウルクとその周りの都市しか機能していない、と彼はそう言ったのだ。
うーん、情報量が多すぎるな?
一体何がどうしてそうなった?
そこまで踏み込んで聞いても良いか? とそう聞けば彼は少しの逡巡の後に、小さく、しかし確りと頷いた。
この時代、この世界──メソポタミアは現在三柱の女神による同盟……三女神同盟によって滅ぼされかけている。
北に巣食う魔獣の女神、南に腰を据える密林の女神、そして本拠地を持たず天を翔ける女神。
これらによってまたたく間に各都市は滅んでいったとか何とか。
特に北の魔獣の女神がヤバいらしい、都市ニップルより北はもう人の子一人おらず、現状ウルクより少し先に建設された北壁──通称:魔獣戦線によって食い止めているのが現状だとか。
そして此処は、その抵抗することから逃げ出した人々が集まっている場所であるとも。
それを統率しているのが茨木童子、彼女によって元よりこの地に住んでいた獣達も保護されていると。
えぇ……何それ茨木童子めっちゃ良いやつじゃん……そう思えば実は彼女も元々前線にいたんですよ、と彼は言葉を漏らした。
北壁で戦っていたが、何かの理由によって前線から身を退いたらしい、それについてきた形で此処に来たと、男はそう言った。
身を退いた──? この状況で、彼女ほどの英霊が?
傍から見ても相当な実力者だ、その上で撤退せざるを得ないと彼女が思うほどに敵は強大なのか……、なんて考えていたら原因は内輪もめだったらしい。
いや、え、えぇ……?
そんなことある? あまりにも理由が残念すぎるんだけど……
そんなことを言えば男に笑われた、あの人は意外と見た目相応ですからね、と。
ところで俺は数日前に茨木童子に拾われてきたらしい、何か茨木童子に向かって一直線に落ちてきたんだとか何とか。
もし彼女がいなければ俺は今頃粉微塵になっていたということだ、マジでありがとう茨木童子……
そんなことがあってから数日、俺は未だに此処を出ずにいた。
なぜかと言われれば答えは至極シンプルで、今一人で降りていっても死ぬ未来しか見えないからである。
流石に俺も無駄死に何て御免である、故にここから出ずにいた、というよりかは出られずにいた、と言ったほうが正しかった。
なにせ現状、茨木童子に頼り切りなのである。
ご飯一つ、身の安全一つとってもほぼ茨木童子に依存している形に近い。
せめてライダーさん達に見つけでもしてもらえなければ何か能動的な行動を起こすのは不可能であった。
まぁ、茨木童子の協力を得られればその内では無いのだが、それもまた難しい話であった。
何せ茨木童子、ウルクの話をしようとすればそっぽを向くのである。
多少罪悪感的なものを表情に出してからプイッとするのだ。
子供か!? と思うがそれはそれ。
機嫌を損ねても仕方がないので下手に触れられない、という訳である。
仲良くなろうにも割と取っ掛かりが見つからない、俺は立香くんと違ってコミュ力オバケじゃないのである。
考え事をすると甘いものが欲しくなっちゃうな、とちゃっかり持参した板チョコをパキパキ割って食べていればもうすっかりマブダチと化した男に羨ましげに見られたので一欠片渡してやる。
滅茶苦茶嬉しそうな顔をするのでむしろ得した気分である。
……! もしやこのチョコを配っていけば他の人とも仲良くなれるのでは!?
ふふふ……自分の天才的過ぎる発想に震えが止まらないぜ……と徐に立ち上がったと同時、妙な視線を感じ取った。
特段警戒すること無く振り向けば茨木童子と目が合った、いや、目が合ったというよりかは熱烈な視線が俺の手の中にあるもの……即ちチョコレートに注がれている。
ゆっくりと右から左へ、左から右へと動かせば頭ごと動かし追いかけてきて妙に面白い。
猫か何かかよ、と思ったがこのまま遊んでたら気付かれて怒られそうだしチョコを差し出し食べてみるか? と声をかける。
なっ、わ、吾は別に……とか言い出したがめんどくせぇと一欠片強引に手渡せば彼女は恐る恐る口にそれを放り込んだ。
直後起こった事柄は正直動画に撮っておきたいと思ったほどである。
警戒しているのが見るだけで分かるほどの渋面が、チョコを口に入れた瞬間氷解していき自然と口角が持ち上がっていくのだ。
所謂満面の笑みというやつである。
不覚にも愛らしいとか思っちゃうレベル、何だこの鬼完全に童女じゃないか……
そんなチョコ事件があった日から、茨木童子と関わることが増えるようになったと思う、ついでに言えばその他の人たちともだ。
というか茨木童子に関しては事あるごとにチョコを要求してくるもんだから会話することが必然的に増えた、と言った方が正しいか。
クックック、早くちょこれいとを寄越すのだ、とか言ってくるの控えめに言って面白すぎる。
そんな日々がどれだけ続いただろうか、ここに来てからもう一週間は経過しているだろう。
流石にここまで日数が経てば焦りもするが、しかしあまりにも平穏過ぎるこの環境が少しの安心を俺に齎していた。
今日も今日とて茨木童子と狩りと見回りに出て、炊事組とご飯を作り、それを美味しくいただき適当に喋っていればもうおやすみなさいの時間である。
うーん、この堕落っぷり……
目を逸らしていたがそろそろ行動起こさないとだよな、と自分に言い聞かせて立ち上がる。
向かう場所は当然茨木童子の元だった。
この盗賊団は基本、巨大な洞窟に屯してるが彼女だけは更に奥の小さな部屋にいるのである。
なぁ、今良いか? と言えば吾はもう眠い、と言われたのでチョコレートをチラつかせておく。
それだけでうぅむ、仕方ない、何用だ! と彼女はその身を起こしてその場にちょこんと座った。
あまりにもチョロすぎる……
まさか俺のおやつが交渉道具になろうとは誰が想像できただろうか……
過去の俺最高かよ……超ナイス……
内心グッと親指を立てながら茨木童子にちょっと前線──魔獣戦線について聞きたいだけれども。
そう言えば彼女は酷く嫌そうに顔を顰めたが、一つため息を吐いた後にそうさな、と話し始めた。
彼女はどうやら魔獣戦線にて巴御前と名乗るサーヴァントと共に戦っていたらしい。
巴御前──平安時代の女武者、かの源義仲の妻である。
また日本出身のサーヴァントか、と思えばギルガメッシュが呼んだサーヴァントは一人を抜いて全員日本出身らしい。
いやどうして? と思ったが流石にそこまで知らん、と切り捨てられた。
まあ兎にも角にも茨木童子は巴御前と共に戦っていたが何とも反りが合わなかったという。
なぜかと言えば巴御前は、所謂鬼嫌い、らしいのだ。
そんな状況であれば協力も何も上手くはいかず、結果的にこうなった、と茨木童子は少し淋しげにそう言った。
なるほど、ね。
なんか──すっげぇだっせぇな。
そう言った瞬間、空気が揺らめいだ。
ゴォッと熱気が走り、俺の周りに火が立ち上り茨木童子がゆらりとこちらを見据えた。
今、なんと言ったか。
その言葉だけは認めんと言わんばかりに彼女は圧を高めてそう言った。
呼吸がしづらくなっていく、汗がダラダラと流れ始めて鼓動が早くなっていく。
そしてそれら一切を無視して口を開いた。
だって、そうだろ。
召喚されて主従関係を結び命令に従うことになったけど仲間と反りが合わないから勝手に逃げ出しまーす、茨木童子がやったのはそういうことじゃないか。
そこにはもっと複雑な何かがあったかもしれない、けれども結果的にはそう見えるしそうなっている。
であれば尻尾巻いて逃げ出したって言われても仕方のないことじゃないか?
そう言えば彼女は顔を酷く眉間に皺を寄せたが、しかし次にこう言った。
話し合いなど、和解など、人間のすることである、と。
吾は鬼だ、であればそのようなことは不要である、と
熱気が高まっていく、炎はジリジリと皮膚を焼き焦がして燻った匂いが鼻孔を擽っている。
何でこんなことしてんだ、と思うと同時にしかし言わなければならないと、強くそう思った。
逃げ出したというのに、それでも誰かを護るために動けるような英霊なのに、何て──何て、情けないんだ、とそう思ったのだ。
鬼であったとしても、それでも貴女は人理を救うのを手伝ってほしいという呼びかけに答えてくれた強大で、頼もしくて、心強い英霊なのだろう。
であればその意思を半端に捨てないでくれ、たかだか反りが合わない程度で諦めないでくれ。
確かにまどろっこしいことは嫌いかもしれない、もしかしたら気を遣って離れてくれたのかもしれない、だけどそれは悪手だ。
それでは巴御前は貴方の存在を認めないままだ、結局貴方は大したことのないちっぽけな、逃げ出したモブ以下の鬼であると記憶されて終わりだ。
そんなのは、あんまりじゃないか?
認めさせてやろうじゃないか、見せつけてやろうじゃないか。
茨木童子はこんなにも強くてかっこよくて頼り甲斐があるのだと、巴御前に、メソポタミアに刻みつけてやろうじゃないか!
炎は急速に強まった、煩いと叫ぶ茨木童子に負けないくらいの叫び声を上げた。
少しだけでも悔しいって気持ちくらい、持ち合わせてるはずだろ! それなら、逃げるなよ、立ち向かえよ、認めさせてみろよ!!
言葉と同時、焔は想像を絶するほどに燃え上がって空気を焦がし尽くした。
あぁ、これ死んだな。
言葉の選択をミスったか、頭の冷静な部分がそう言って、素直にそれに納得した瞬間、焔はふわりと火の粉を散らして姿を消した。
……?
現状に理解が追いつかない、困惑に頭を支配されて思わず動きを止めてしまう。
一体何が……?
そう思うと同時、揺らめく空気のその奥で、こちらを見据える茨木童子と目が合った。
一言、吾に出来ると思うか? と不安定に揺れた声音でそう言った。
茨木童子──彼女も、どこか思うところはあったのだろう。
というか、こんなことをしている時点で未練たらたらではあるのは明白だった。
思えばたかだかチョコ如きでさらっと話をしたのもおかしなものだ。
恐らく彼女は戻る理由を求めていた、後押ししてくれる何かを探していた……そう捉えるのが自然だろうか。
まぁ大体そんなところだろう、そうあたりを付けてから無言で頷けば、彼女はそうか、と薄く笑った。
翌朝、彼女は山を降りると宣言した。
そして人々はそれに対して一切反抗するような言葉を吐くことはなかった。
何だかんだウルクが気になって仕方なかったのよね、何て笑顔でそう言い準備を始めたのである。
いやメンタル強すぎない? 多少の動揺すらしないとか強者が過ぎる……
意図せずポロッとそう言ってしまえば、何となくこうなるような気もしていたから、と言われた。
皆、察していたということなのだろう、自分たちの気持ちも、茨木童子の気持ちも。
そんなこんなで告げられたその日の内に下山である。
行動力が高すぎる……そう思ったらウルクの民は皆こんなもんだ、と言われた。
いやウルク民怖すぎるだろ。
下山に一日、そこから更に都市ウルクまで三日。
少数であればもう少し短縮できる距離ではあったがしかしこの盗賊団、意外にも数が多い。
百人近くいるとなればどれだけ早く動いても遅れは出てしまうし──それに何より、道中チラホラと遭遇する敵が強いのだ、それこそ今まで相手にしてきた魔獣と比べても、一線を画するほどに。
かの特異点──エルサレムでも馬鹿げた戦闘力を誇っていた粛清騎士達と比べても負けないほどの実力を持っているこの時代の戦士達と同等のちからをもっている、といえばわかりやすいか。
つまり俺が一人でまともにやり合おうと思えば数匹殺しただけで呆気なく殺されてしまう程度、ということだ。
正直茨木童子がいなければ今頃全員死んでいただろうことは想像に難くない。
それほどまでに、この時代が晒されている脅威が大きすぎる。
久方ぶりの不安が肌を撫でる、思わず片腕を抑えてあぁ、早く合流したいな、とそう思った。
山からウルクまでの道のりは、それでも被害は全くのゼロでスムーズに進むことが出来た。
というのも魔獣と遭遇すること自体があまりなかったのである。
見かけたとしても二~三匹程度の群れで、盗賊団の男衆と共に時間を稼ぎ、後は茨木童子が一掃してくれる、というワンパターンな戦法だけで案外どうにかすることが出来た。
何だかんだ、魔獣戦線とやらで多くの魔獣を塞き止めているのだろう、そんなことを考えながら歩き日が沈んだ頃、ウルクへと到着した。
茨木童子が何だか気まずそうにスピードを落とすのでその背中を押すようにウルクへと近づけば門番と思しき男が現れた。
茨木童子を視界に収め、遅れて後ろの民衆へと目を向け愕然と口を空け開く。
帰ってこられたのですか!? という声が響き茨木童子が無言で、しかし照れくさそうに頷いた。
それに良かった、本当に良かった、直ぐにでも王にお会いください、と声を漏らしながら後ろの人々は全員避難していた民たちですね──と言いかけたところで言葉を止めた。
正確に言うのであれば、俺に目を向けて言葉を止めたのだ。
次いで、その服装、その手の甲の印……それに聞いていた風貌にもピッタリ合う──貴方は、カルデアの方、ですよね? とそう言った。
思わず目を見開く、何故それを──そう尋ねる前に頭が答えをはじき出す。
此処には恐らく立香君達が既に来ているのだ、そして俺のことを捜索していくれていた……いやまぁ一週間も連絡取れて無かったのに探されて無かったらショックってレベルでは無いのだが。
この時間であれば恐らく……カルデア大使館にいらっしゃると思います、心底心配なさっていらしたので、どうかお早めにお会いください、と言われて門を通された。
いやカルデア大使館って何?
都市ウルクは想像を絶するほどに賑やかな街だった。
あれだけの脅威に襲われていながら、民衆からはまるで笑顔というものが失われていない。
どこか緊張し、急かされているような雰囲気はあるがしかし何処までも楽しそうにしている。
今までの特異点とは全然違うと言って良いだろう、それほどまでに皆が皆、明るく振る舞っていた。
盗賊団の皆は出てく前の職場や家に各々走っていき、他の都市から来た人だけが数人残る。
先に寄ってっても良いか? と聞けば許す、と茨木童子が言って、残った人たちも一様に頷いてくれた。
特に茨木童子は若干助かったみたいな顔をしている辺り相当王──恐らくギルガメッシュ王に会いたくないんだろうなぁ、というのが分かる。
まあ何はともあれ取り敢えず道行く人にカルデア大使館は何処かと聞きながら辿り着いたそこは、少々古ぼけた大きな宿舎だった。
大使館……? と思いながらももしもーし、誰かいますかー何て言えばはーい、ともうすっかりと聞き慣れた声が響いて扉が開く。
よっ、久し振り、マシュ。
そう言えば彼女は呆けたように口を開き、次いで先輩!?!?と驚きの声を上げた。
同時、ドタドタと音が聞こえてくる、随分と複数の足音だな──そう思った瞬間重い衝撃と共に視界がブレた。
何かいっつも人を不安にさせてるな、倒れ込みながらそう思う。
……心配かけたな、ごめん。
飛び込んできた鈴鹿や立香君、その彼の通信機から溢れるダ・ヴィンチちゃんたちの声を聞きながらそう呟いた。
しばらくもみくちゃにされて、ようやく解放されたと思ったら何か知らない人たちがいた。
……いや本当に誰? と言えば彼らは苦笑いした後に自己紹介を始めた。
立香君が右から牛若丸、弁慶だよ、と笑って言う。
……ふーん、なるほど、なるほどね?
事前に七騎、サーヴァントが召喚されていると聞かされていなければ思わず吹き出していた所だがなんとか堪え、よろしくな、と手を差し出す。
二人とも歓迎するように、えぇ、宜しくおねがいします、と手をとった後に黒髪の剣士──牛若丸がところで、と口を開いた。
後ろのそいつは一体? と。
そいつ──勿論、茨木童子である。
前線から逃げ出した臆病者が今更どの面下げて来たのか、少々気になるところでありまして、と真顔で言う。
うーん、この当たりの強さ……幾ら何でも歓迎されなさすぎだろ……
何て返したものかな、と思っていればズイッ、と茨木童子が前に踏み出た。
何、吾の力がどうしても必要だと言われたのでな、気まぐれに応じただけよ、と。
カカカと笑いそう言ったものの牛若丸にギラリと睨めつけられてしょぼんと俺の後ろに隠れた。
いや何をやっているんだこいつは……?
そう思ったが口に出す前に飲み込みまぁ、そういうことだ、とだけ言っておく。
状況は大体把握してる、戦力は少しでも多いほうが良い、それが英霊であるならば尚更だろう。
そう言えば彼女はじっと俺を見据えた後に、まぁ良いでしょうと視線を外した。
ということで王ってのに挨拶をしたいんだけど、彼処に居るってことで良いのか? と街の中央、最も高い建物を指差して言えば肯定の言葉と共に頷かれる。
立香君にもらった予備の通信機を付け、ちゃんと繋がることを確認してからじゃあ行ってくるわ、と言えば当然のようにライダーさんとカーミラ、鈴鹿が立ち上がる。
疲れてるだろうし良いよと言ったら無言で足首を蹴られた、何故だ。
そんな経緯があり、四人のサーヴァントと数人の市民と共に王の居場所──ジグラットと言うらしい──へと向かう。
道中、この一週間何をしていたのかと尋ねれば三人は当たり前のように俺の捜索だ、と言った。
ウルクを拠点に情報をあちこちで集めながら捜索していた、と。
申し訳ねぇ……そう思いながら立香君は? と聞けば彼らは町中の仕事を手伝っていたとか何とか。
……え? 何その格差は……一体何があったの? そう尋ねれば立香君達は王──ギルガメッシュ王のお眼鏡にかなわなかったらしい。
何でも弱すぎると一蹴されたとかなんとか。
えぇ……立香君達でそれなら俺とかもうどうしようもなくない? というかそれなら何でお前らはそんな自由にしてたの? と聞けば彼女らはこう言ったという。
サーヴァントはマスターがいてこそ本来の力を発揮する──我らがマスターが現れれば今の何百倍もの力をお見せ出来るでしょう、と。
いや何言ってるの?
待て待て待て待て、いや俺を過信し過ぎだろ馬鹿か?
期待が重すぎて身動きが取れないまであるんだけど……そう言えばにっこり笑って無視された、いや話を聞いて?
空には月が上がる頃、未だジグラットには誰か──恐らくギルガメッシュ王の声が響いていた。
ひっきりなしに命令が飛んでいる、忙しいってレベルじゃないぞ……これ俺とかが普通に話しかけにいって良いものなの? そう言えば気にしないで、早くしてくださいと急かされた。
彼女たちに背中を押されて前に出る、ついでに茨木童子も押されて隣に来たと同時に声をかけようとしてかけられた。
遅かったな、と。
ただ一言、たったその一言だけで重圧がのしかかってきた、思わず頭を垂れてしまいそうな──そう、かつてのオジマンディアスにも近い重圧。
気合でそれを捻じ伏せる、静かに全身へと力を漲らせグッと顔を上げて目を合わせた。
ほう、と何故だか驚いたように納得した彼はしかし、俺から直ぐに目を逸して茨木童子に目を向けた。
何用か、と静かに彼はそう言い、茨木童子は身を震わせた。
その肩に、そっと手を乗せる。
視線を合わせた後に、彼女はゆっくりと頷き声を張り上げた。
もう一度チャンスをくれと、次こそは巴御前とも上手くやってみせると、この鬼の誇りにかけて、と。
そう、鬼の誇りとまで彼女は言ったのだ。
その言葉に少しだけ目を細めた彼は、よかろう、と口にした。
であれば明日からまた持ち場に戻れ、とあっさりとそう言った。
意外だな、なんて思ってればもう貴様に用は無いと言わんばかりに茨木童子から目を離し、次に俺を見る。
またカルデアのか、ふん、少しは骨がありそうか。
そう呟き、それから何をしにきたとそう言った。
無論──人理を救いに来た。
異常なほどの緊張感の中、目を合わせてそう言えば彼は少しだけ目を細めてから、またそれかと言った。
貴様ごときに出来るとは思えんが──まぁよかろう。
そう言い彼は玉座から立ち上がり杖を構えた。
……え、何? 何をする気なの?
その疑問は問う前に解消された。
構えろ、深く言葉を交わすよりこちらの方が早い、我が貴様らにかけられる時間はそう無いのでな、とそう言ったのだ。
彼の背後の空間がまるでしずくを落とされた水面のように円状に、そして黄金色に歪んだ。
何だか嫌な予感がする、回避に徹しろと叫んだ瞬間、その歪んだ空間からいくつもの杖が顔を覗かせた。
直後、杖の先が輝いて、そしてそこから
──!? 一撃目を身体を逸して躱し、次いで勢いよく手を伸ばす。
同時、ライダーさんが俺の手を引き一気に引き寄せた。
耳元を光が掠めて通り抜ける、助かったと思った瞬間、光は頭を貫いた。
彼の背後の空間がまるでしずくを落とされた水面のように円状に、そして黄金色に歪んだ。
殺す気満々かよクソッタレが……!
正直手を抜くくらいはするだろう何て油断していた、甘すぎたし、見透かされていた。
全身の緩みきった空気を入れ替えるように空気を吸い込み吐き出す。
礼装にそっと手をかけて、相手を殺すのだと思い込む。
黄金色の杖が顔を出す、瞬間地を鋭く蹴りつけた。
姿勢を低くする、自動なのか手動なのかは分からなかったが執拗に俺だけ狙う光の束を二つ、三つと躱して軽く跳躍、腹の下を通り抜けた光を見ながらライダーさんと叫んだ。
直後、身体に鎖が巻き付き鋭く引っ張られる、それについてくるように走る光が鈴鹿とカーミラによって弾かれた。
──近づけない、というか的確に雑魚の俺が狙われて、それをフォローするのに手間がかかりすぎている。
厄介だな、そう思うと同時に宝具を展開させた。
鈴鹿───!
瞬間、幾百の刀が顕れた。
これ以上は躱しきれない──ならば全て叩き落として穿ち抜く。
先手必勝、何か新しいことをされる前に殺してみせる。
金属音が激しく、連続で高鳴っていく。
光と刀の欠片が舞って、それらを縫うように駆け抜けた。
ギルガメッシュ王が俺を見る、同時に振りかぶられた斧をカーミラのアイアンメイデンが受け止め、しかし断ち落とされる。
だがそれで良い、勝負はいつだって刹那で決まる。
ライダーさんが一歩踏み込んだ、二本の釘剣がギルガメッシュ王の足下に突き立ちライダーさんが跳ね上がる。
鎖が伸び切り同時、その鎖が彼の身体を縛りあげた。
カーミラの杖がひらめく、激突音は更に苛烈さを増して鈴鹿が苦悶の声を上げた。
時間は無い、直ぐに決めないと生存は無い。
走り込む、カーミラの魔力光が爆発的に閃いて、そしてそれが極光に撃ち落とされる。
衝撃で目が眩む、それでも構うこと無く踏み込んだ。
足音はしない、つまり動いていない、であれば見えなくても仕留められる──!
鎖がちぎれる音がした、同時カーミラが吹き飛びライダーさんが動揺したような声を漏らした。
つまりもう、今しかないということだ。
概念礼装展開──拳舞は鮮やかに──焔を纏う少女の姿を幻視して、直後にそれと身体が重なった。
燃え尽きろ──!
叫び声を上げながら拳を撃ち放つ、瞬間視界が反転、宙へと浮いた。
巨大な斧の、刃のついていない部分が身体へと吸い込まれるように近づき、そしてそれを
緊急回避……やっぱりカルデアの魔術は最高だな!
身体が無理な方向に動いて嫌な音を立てて軋む、それでも通り過ぎる斧を蹴って前へと躍り出た。
──収斂こそ理想の証──
全身に炎のような熱さが、剣のような冷たさが広がっていく。
異常なまでに向上した身体能力を以て、一歩強く踏み込むと同時、腹へと衝撃が走った。
あまりにも重い一撃、ゴボリと息が吐き出されて霞む視界の中、反射的に令呪を切った。
爆発的に魔力が上がり、光よりも早く俺を捕まえたライダーさんの眼光が弾けるように輝いた。
刹那の停止──それを狙ってカーミラの杖が閃きアイアンメイデンが口を開いた。
しかしギルガメッシュ王の姿は飲み込まれること無く切り捨てられる、だがこれで数瞬分の時間が稼げた。
光の雨は既に止みかけていた、それは即ち彼女に余裕が出来るということに他ならない。
傷ついてはいるが依然その瞳の光は失われていない、鈴鹿の名を叫ぶと同時に彼女は刀を以て突っ込んだ。
銀の刀が閃き数度かち合い光が注ぐ、ライダーさんの鎖が彼女の腹を縛って引き寄せそれと入れ代わるように飛び込んだ。
盾になるかのように光が降り注ぐ、それごとぶち抜こうと礼装を展開して───「ここまでだ戯け!!」
光は霧散しカウンターで殴られた、え、何?
此処を壊す気か阿呆め、と彼は玉座にどかっと座りそう言った。
次いでまぁいい、貴様のことはよく分かった──さしずめ、天命を変えるものといったところか、と。
天命を変える──かつてキングハサンにも言われた呼び名。
一体俺に何を視ているんだ、そう思うと同時気が抜けたのかその場に座り込んでしまった。
概念礼装をしまったせいで足がガックガクである、リミテッドゼロオーバーを使っても疲労困憊でぶっ倒れることはなくなったがそれでもこの有様だ。
はぁ、はぁ、と息を荒くしながらギルガメッシュ王と目を合わせれば彼は少しの逡巡の後に認めよう、と言った。
この時代においてその力を振るうことを許す、カルデアの、そこな三騎のサーヴァントと魔獣戦線にて活路を拓け、とそう言った。
思わず呆けてしまう、何とかなったのか、と実感が湧かずにそうしていれば返事はまだか、と言われて反射的に立ち上がり応える。
そうすれば追って他のものから指示を出す、カルデア大使館にて待機せよ、と言われてそれに従い背を向けると、思い出したかのようにあぁ、少し待て、と言われて振り返る。
貴様のその心意気は認めよう──だが、怪物と戦うものは常にそれにならぬように気をつけねばならない、努々そのことを忘れるなよ、と彼はそう言った。
鼓動が一際強く跳ねる、何を言われているのかが一瞬すら必要なく解ってしまい、それでも肝に命じておきます、とそう答えた。
翌日、カルデア大使館で朝を迎えた俺の元をシドゥリと名乗る女性が訪ねてきていた。
何でも昨日命じられた命令の詳しい内容だとか。
といってもまあざっくり言ってしまえば昨日言われたことと大して変わることはなかった。
立香君達にじゃあまたね、何て別れを告げてからシドゥリさんの連れてきた兵士の案内で茨木童子と共に魔獣戦線へと向かった。
北壁自体はそう遠くない場所──歩いて数時間程度の場所にあった。
右から左まで延々と続く壁、果てが見えないほどで現代風に言うのであれば正に万里の長城、といったところだ。
壁の後ろには巨大な……それこそウルクにも負けないほど巨大な都市があり、一歩踏み込めばやはりここも酷く盛んだな、と思う。
まぁ、楽しいだけではなさそうだけれども。
ギの24を超えられた! 付近の市民は退避、牛班は至急討伐へ!
そんな怒声と戦闘音が響く、手伝った方が良さそうか? と聞けばいいえ、あの程度で助けを請うほど我らは弱くはありません、それよりも早く最前線へ、と促された。
城壁のように連なる高い北壁の上、そこには銀の長髪靡かせた麗人がいた。
それを視界に収めると同時、茨木童子がヒェッと声をあげる。
その反応で、あぁあの人が噂の巴御前かと察した。
ほら、行こう、と茨木童子の手を取り兵士に続けば彼女はゆるりとこちらに振り返り、何かを言おうとして口を開き、しかしそのまま固まった。
そう、戻ってきたのですね、茨木。
それは──えぇ、それは頼もしい限りです。
何かを飲み込むように、激情を抑えるように彼女はそう言って、俺へと直ぐに目を向けた。
そちらの方は? と聞かれてカルデアのものです、と答える。
ギルガメッシュ王の命により魔獣戦線に配属されました、宜しくおねがいしますと手を差し出せば優しく握られる。
時間が空いた時にでも話せたら良いですね、とふわりと笑って彼女は言った。
……随分と態度が違う、いや、これでも彼女は相当平等に接しようとしている方なのだろう。
そう思いながらあぁ、よろしく、と強く握り返した。
和やかな挨拶もそこそこに、どうすればいいのか聞こうとしてふと止める。
なぜかと言えば、巴御前が何も言わずにじっと見つめているからである。
いや、俺のことを見ているのではない、俺の後ろ……つまり茨木童子。
そんな巴御前と意地でも目も合わせようとしない辺り二人の溝は深そうだ。
まぁ、そんなことは分かりきっていたことではあるのだが。
ゆっくりと振り返って茨木童子を見る、揺れに揺れていた瞳と目を合わせて、一言、呟くように言葉を紡ぐ。
覚悟は、決まってるんだろ──。
直後、彼女はパンッ、と乾いた音を両頬を叩いて響かせた。
睨むように目を細める巴御前に、一歩踏み出て茨木童子は頭を下げる。
無断で離脱したことは、悪いと思っている、と。
だが吾は吾の在り方を、絶対に汝に認めさせてやる、何を言い、何を言われようがこれが吾であり、鬼である、見ておるがいい!
巴御前を指差して、叫ぶようにそう言い茨木童子はザッ! と駆けて行った。
元よりこの場は彼女が戦っていた場所だ、勝手はわかっているだろうから心配はないが──何というか、想定外である。
少しだけポカンとしていれば、彼女もまた呆けていて、どちらともなく咳払いをして場を取り直す。
改めてと言っては何だが、結局どうすれば良いのか聞けば巴御前は迷う素振りすら見せずにこう言った。
貴方方には私と共に魔獣達の総指揮官:ギルタブリルを討ってもらいます、と。
さらりと、何か重みを言葉にのせることもなく、さも当たり前のように言った。
いや誰? そう思ってアホ面を晒していれば聞いていないのですか? と首を傾けられる。
聞いていればこんな顔しないんだよな、そう思って頷けばなるほど、と少し考えるように唇に指を添えて、それから少し説明だけしましょうか、と小さく笑った。
城壁から中に降りていき、少し広めの部屋──彼女曰く、休憩場で彼女は口を開いた。
ではさらっとだけ説明いたしますね、と彼女はそう言い魔獣が写った二枚の写真を貼り出した。
此処、魔獣戦線では二種類の魔獣との交戦が主なものとなっています。
各名称を右からウリディンムとムシュフシュ、どちらも強力ですがこの時代の戦士たちは勇敢かつ、強靭。
お陰で未だにこの防衛ラインを守ることが出来ていますが、それでもやはり数が多すぎる上に、異様なほどに統率が取れているせいで押されております。
ギルガメッシュ王が召喚した、私以外の英霊達の尽力が無ければ今頃この壁は原型をなくしていたと思えるほどには。
とは言っても現状が続くようではその未来も遠いものではありません、そこでまずはこの統率を崩すべきだと私達は考えました。
数の差はもうどうしようもありませんが、この統率さえ無くしてしまえば向こう半年は保つ見込みだからです。
ではこれをどのように崩すか、色々考えましたがやはり統率している者──つまり総指揮官:ギルタブリルを討伐するしか無いでしょう。
しかし現状の戦力では攻勢にまで踏み出せなかった、更に言えば大きな戦力が一つ欠けてしまっていた、故に防戦一方でした……が、しかし。
貴方達が来た。
あまりにも大きな使命と、強大な力を持った貴方達が。
カルデアのマスター、偉大なる使命と責任を背負った勇敢なる人、その意思に共感し従う三人の英霊達よ。
どうか、お力添えをお願いいたします。
言葉の終わりに彼女は頭を下げた、そっと静かに深々と。
顔を上げてくれ、そう言ってから立ち上がる。
俺に……俺達に出来ることであれば何でもしよう、いや、何でもさせてくれ。
この時代を、未来を救うための努力は、ほんの少したりとも惜しみたくはないから。
そう言えば彼女は少しだけ、見ようによっては悲しそうにすら見えるような瞳でありがとうございます、とそう言った。
ギルタブリルとは幾度か戦っております、故に戦場に出れば直ぐに、とは言いませんが必然的に戦闘にはなるでしょう、と彼女は言った。
しかしこちらも直ぐにはうって出ません、とも。
曰く、何事も準備は必要なものです、相手が強敵となれば尚更、とのことだ。
その言葉に少しの安心感を覚える、怯えるように震えていた心が少しずつ落ち着きを取り戻してゆっくりと息を吐いた。
それを自覚すると共に軽い嫌悪感を覚える、ここまで来て何をビビっているんだ俺は、と唇を噛んで、それから少しずつ飲み下す。
そんな様子を不思議そうに見ていた彼女は何を思ったか、今日はまだ戦場にも出てもらうことはないのでご安心を、と言った。
内心を悟られたか……? そう思った俺は大丈夫だからと、そう言おうと思ったら口に指を当てられた。
どちらにせよ兵士の皆さんと顔合わせをしなければ戦場に出たところで上手く立ち回れませんよ、と。
そんなこんなで巴御前に北壁内を案内して貰ったり、戦況を聞いている内に日は沈みかけていた。
今日は何処で休めば良いんだろう、なんて聞けば巴御前の代わりに鈴鹿が答えた。
勿論宿舎っしょ、と。
これから一緒に戦う人たちとも交流できるし丁度いいんじゃない? と言われてなるほど、と思う。
確かに効率的だ、一応巴御前に聞けばえぇ、そのようにしてください、とお墨付きを貰う。
やったぜ、と思うと同時に宿舎と言ってもどの部屋で休めば良いのか、そう聞けば私達と同じ部屋で良いでしょう、とライダーさんが言った。
彼女らはここに寝泊まりしていたらしい。
何か気恥ずかしい気もするが今更だし、まぁ良いかと思えば不意に、一際大きな、複数の人の声が微かに鼓膜を打った。
妙に暑苦しい声だ、何の声かと聞けばあぁ、そういえば挨拶がまだでしたね、と巴御前が言う。
兵士たちが訓練しているのですよ、指導を任されているのは私達と同じギルガメッシュ王の英霊です、挨拶に参りましょう、と彼女はそう言った。
北壁の上、黄金に彩られた砲台──巴御前曰く
兜も被り、その頭からは炎のようなものが揺らめいている。
えぇ……何あれ? 何かちょっと怖いんだけど……
そう思うも構うこと無く巴御前やライダーさん達が行くため追いかけるように足を早めて近づけば、その戦士もこちらに気付きその手を止めた。
すみませんが、少しの間反復練習! と叫ぶように言いこちらに近づいてきた。
巴殿、何用ですかな? と男──声音が男性のそれだった──は言い、巴御前はえぇ、少し人を紹介したくて、と俺を見る。
自己紹介は自分でしろ、ということだろう。
まぁ当然だ。
若干ビビりながらも一歩踏み出てカルデアから来ました、と言えばあぁ、貴方が例の、と口にした。
例の……? 何それ俺のいない所で俺の噂でも流れてたのか……!? 驚きと恐怖に身を震わせれば彼はハッハッハ、と快活に笑いそのように心配なさるようなことではありません、と言った。
ライダーさん達を見て、彼女らがしきりに自慢するものですから、少し気になっておりましてね、とも。
そんな恥ずかしいことしてたの? そう思ってみれば顔を赤くしたライダーさんがこちらから目をそらす。
何それ可愛い……じゃなくて俺も恥ずかしいんだけど……まぁ良いか。
少しだけ熱くなった頬に片手を当ててれば、彼は徐に兜を取った。
現れたのは赤髪の短髪で、勇ましさと、どこか尊大なイメージを与える風貌の男。
街中で睨みつけられたら一瞬で震え上がるだろうな、なんて思っていれば彼はニコリと笑ってこう言った。
自己紹介が遅れましたね──レオニダス1世と申します、気軽にレオニダスとでもお呼びください、と。
ふぅん、レオニダス1世か…………えっ、レオニダス? ……レオニダス王!?
かの有名なテルモピュライの戦い、たった100人で10万以上いるとされたペルシア軍と互角以上の戦いを見せつけた、スパルタの大英雄!!!
思わず早口でそう捲し立ててしまう、カルデアに来てからすっかり歴史や神話を読み漁るようになり、ファンになってしまった人物が多すぎるが故の弊害だった。
カーミラにちょっと落ち着きなさい、と肩を叩かれ冷静さを取り戻す、直後にやっべぇやらかした、と思ったが彼は表情を崩すこと無く、笑みを浮かべたままご存知でしたか、と言った。
当たり前である、そも俺はカルデアに来てから歴史等を深く勉強するようになったが、そうする前から知っていたレベル──つまり教科書にだって載っている人物なのだから。
そう言えば彼は恥ずかしそうに頬をかき、そこまで言われると何だか照れてしまいますね、とそう言った。
魔獣戦線では主に、巴御前が指揮をとりレオニダス王が兵士たちの育成を行っているらしい。
つまり魔獣戦線は英霊達の指揮や育成があるからこそ成り立っている。
逆に言ってしまえば、たったそれだけの手助けで彼らはこの時代を、世界を守り抜けているということだ。
幾ら何でも逞しすぎるだろう、と思っていれば他の英霊達にも時折戦場に出てもらっていますがね、とレオニダス王は言った。
ただし早々あることではないですが、とも。
それに同意しながらも巴御前がしかし、と口を開いた。
今回の作戦では勿論出てもらいますがね、と。
ギルタブリル討伐にあたり、彼女は出陣するからその間の指揮をお願いするとのことだ。
当たり前と言えば当たり前のことである、英雄が七人もいればそりゃ彼女やレオニダス王以外にも指揮を取れる人間がくらいいるだろう。
それに、ギルタブリルに近づくためにも魔獣を少しでも寄せ付けたくない、というのも含まれている。
ギルタブリルと接敵するまでは主にレオニダス王とその精鋭たちに護衛していただきますので、取り敢えずの顔合わせです、と彼女は言った。
まぁそれでなくとも近い内に話す機会は訪れていただろうが、こういうことは早い方が良いということである。
何はともあれよろしく、と手を差し出せばガッチリと握られる。
えぇ、宜しくお願いしますと笑った後に彼はほう……と俺の腕から肩、それから身体へと視線を走らせた。
え、何? 何でそんな舐るような視線で見るの? ちょっと怖いんですけど……
そう思っていれば彼は不意に笑った。
良い筋肉です、良く鍛えてらっしゃる、と。
は? 筋肉? いや確かにそれなりに鍛えてはいる──というか、鍛えなければならなかったから多少はついているだろうが、言うほどだろうか。
まだまだですよ、と言えばレオニダス王はそれは確かにそうでしょうと言ったが、しかし、と言葉を付け足した。
見たところ貴方はこの戦い──人理修復、でしたか。その旅が始まるまではあまり鍛えていなかったでしょう。
筋肉の付き方、そしてそれらに刻み込まれた傷を見れば分かります。
まだ一年も経っていないでしょう、だというのに荒削りですが立派な筋肉がついている、これは小さくはありますが、貴方が世界を、時代を渡り歩き救ってきた数少ない証拠とも言える。
人を救うために全力を尽くしてきたという、分かる人には分かる証拠。
胸を張りなさい、自信を持ちなさい、貴方は強い、強い人間だ。
物理的な実力のことではありません、これは精神の、そして魂の話です。
大きな責任と義務、そして使命を背負うことになり、また強大な悪と戦うことになり、あまりにも果てしない目標を目指すことになったにも関わらず、そうして努力をし続けていられる、前を向いていられる。
それが出来る人間というのはあまりにも尊く、また希少なものです。
故に世界を救う者よ、苦しいことを言いますが──出来ればその在り方を、捨てずにずっと持ち続けなさい。
この時代でも、そしてこの時代を乗り越えた先でも恐らく、想像を絶する巨悪が立ちはだかるでしょう。
そして貴方のこの旅が終わったとしても──その身には果てしないほどの困難が降りかかるでしょう。
しかし、貴方が努力し続けてきた、前を見続けてきた、折れずに立ち向かってきたという事実はきっと貴方の背中を支え、足の震えを、心の怯えを振り払ってくれるから。
レオニダス王は笑顔でそう言った、慈しむように、慰めるように、また応援するように。
あまりにも優しい声音で、そう言った。
目端から、熱い何かが溢れ落ちた、そんな気がした。
そんな出会いから一週間と少しが経過した。
立香君達の方は今日も絶好調なようで、通信を繋ぐ度に今日はこういうことがあった、ああいうことがあったとあまりにも嬉しそうに話す。
しかもその内容が毎度毎度想像の斜め上を行くような、まるで小説みたいな話ばかりで思わず笑みが溢れてしまう。
何だかんだ一日の楽しみになりつつあるな、なんて思いながら壁の上を目指す。
向かう先はレオニダス王直伝マッスル講座である。
いやこれ以上無いくらい巫山戯た名称だがこれがまた中々為になるのだ。
何故かと言えば彼が一角の英雄であるから、というのもあるがそれ以上に彼のスタンスに理由があった。
スタンス──つまり戦い方、戦場での立ち居振る舞い。
レオニダス王の伝授してくれるそれは、戦場でどれだけ多くの敵を倒すか、ではない。
戦場で如何に何かを、誰かを、そして何より自分を守り抜くか、どれだけ己を、味方を生かせるか。
そういうことに特化したものだ。
俺としてはもう少し攻勢に特化したものを教えてほしいところだったが、それでもこれは役に立つ。
何より死にづらくなる、というのは俺にとっては値千金であった。
時間を確認してから少し足を早める、彼は時間厳守なのだ。
最終的には駆け足で鍛錬場にたどり着けば、そこには既に数十人の兵士たちがいた。
今では全員顔見知りである。
これまで多くの特異点を旅してきたお陰で俺のコミュ力も、立香くんのそれには勿論程遠いがそれでもそれなりに上昇しているのだ。
それに加えて兵士たちもかなりフランクに接してくれたお陰で、今では大分仲は良好になっていた。
具体的に言えば夜にこっそり集まり俺お手製の花火ではしゃいで遊んだレベル。
ダ・ヴィンチちゃんの英才教育を受け続けている俺だからこそ出来ることである。
まぁ勝手に火薬を拝借していたことがバレて巴御前にみっちり叱られたがそれはそれ、これはこれ、である。
遅かったなぁ、もう始まるぞ? なんて盗賊団からの付き合いの男から声をかけられ、それにちょっと寝坊しちゃって、と笑う。
何だか友達みたいだな、と思うと同時かつていたはずの友人達を幻視して視界が歪み、それを力づくで振り払う。
気にするな、幻覚だ、気にするなと己に言い聞かせてふらついた態勢を立て直す。
大丈夫か? とかけられた言葉に問題ない、と笑顔で返した。
レオニダス王の講座、と言っても基本的には彼の話を聞き、それを元に実戦形式で試合をするというのが主である。
ここ数日の付き合いで分かったが、レオニダス王は計算タイプに見せかけた脳筋なところがある。
理論は一応展開してくれるがやはり最終的に頼るのは筋肉、ということだ。
まぁ特段間違いでもなんでもないし、実際とても役に立つと思いながらもふと、壁の外へと視線を走らせた。
複数の兵士たちや魔獣の中で、一際目立つ炎が目に入る。
茨木童子だ。
此処に戻ってきてから彼女の活躍というのは目覚ましいものだった。
何せ戦場から戻ってくる兵士たちの話題には必ずと言っていいほど彼女の名前が出るのだ。
最初は戻ってきたことによる話題性かとも思ったが話を聞けばそうでもない。
何故断言できるかと言えば理由はその話の中身にあった。
大体の確率で「茨木童子に助けられた」と誰しもが言うのだ。
魔獣に囲まれた時、巨大な魔獣が立ちはだかった時、味方が負傷しそれを庇いながら戦っていた時。
どこからともなく現れ、周りを焼き尽くし退路を作り出してくれるのだという。
まぁそれを褒めるように彼女に言えば照れているのかフン、とそっぽを向くのだが。
なにはともあれ茨木童子は茨木童子で、今までを取り返すように努力している、ということだ。
であれば、焚き付けた俺も少しくらいフォローを入れるのが筋だろう。
今日にでも巴御前の元へ向かうか、と思っていればレオニダス王から集中力が散っていますよ! と指を指された。
ご、ごめんなさーい……。
夜、満月が雲の隙間から顔を見せる頃に俺はそっと部屋を出た。
ライダーさんが着いていきましょうか、と言ったが流石にここで襲われるようなことはないだろう。
大丈夫、と断わり巴御前の元へと向かった。
簡素な扉をノックすればはい、と声が聞こえる。
名前を告げれば直ぐにどうぞ、と言われそっと扉を押し開けた。
何かありましたか? 少なくとも火薬に手は出させませんよ、と言われて不覚にも笑ってしまう。
流石にもうあんなことはしない──じゃなくて、ちょっと話があってさ、今大丈夫? そう聞けば彼女は大丈夫ですよ、こちらにどうぞ、と椅子を一つこちらに寄せた。
お礼を言いながら椅子に座り、少しだけ深呼吸するように息を吸って吐いてから茨木童子のことなんだけど、と切り出した。
瞬間、場の雰囲気が少しだけ剣呑になる、眉をひそめて彼女は続きをどうぞ、と促した。
コホンと咳払いをする、抑え込んできたはずの緊張感が姿を現してくる。
それを表情に出さないように押し込み口を開いた。
以前、貴方と対立して彼女が此処を出ていったってことは、既に聞いている。
というかむしろそれを焚き付けてここまで彼女を連れてきたのは俺なまであるくらいだ。
その上で一つ聞きたい。
貴方が茨木童子に取る態度の、その理由は何だ? 少なくとも茨木童子は──そりゃ前はわからないけどそれでも、こちらにとって不利になるようなことはしなかったはずだ。
戻ってきてからのことを言えばむしろ、分かりやすく助けになってくれている、と俺は思う。
だというのに貴方の態度は変わらないし、仲直り……って言って良いのかわからないけど、貴方達が仲を改善したって話も聞かない。
俺は、その、何ていうのかな。
巴御前──貴女を、とても理知的な人だと、英雄だと、そう思っている。
だからこそ、理由がわからない。
何故そこまでして茨木童子と反目するのか。
彼女の目を見ながら、静かにそう問いただす。
緊張から若干早口になってしまったがそれでも聞き取れなかったなんてことはないだろう。
俺が話している間巴御前は益々眉の顰を深めるばかりで、終わった後も暫くそうしていた。
それでも、言葉を待つ。
そうしていれば彼女はやがて、深く息を吐いた。
長く、深く、大きなため息とでも言えるような吐息。
そうやって吐ききってからまた少し吸い込み、それからやった彼女はそうですね、と口を開いた。
私はきっと──いえ、間違いなく、茨木童子を、茨木童子という"鬼"を認められない、否──認めたく、ないのです。
"鬼"というのは総てを蹂躙し、嬲り、殺し尽くすものです。
非道、という言葉がこれ以上似合う生物もいないでしょう、民衆が抱く恐怖の象徴そのものです。
そのようなものが、英霊として呼び出されている? ましてや人々を、世界を守ると? えぇ、それはあまりにも、あまりにも信じ難い。
故に私は、認められない、認めたくない。
人々を守る鬼など、想像することすら出来ないのだから。
彼女は表情を変えること無くそう言い切った。
それを見て、それでも俺はけれども、と言葉をつなげる。
茨木童子は人を守っている、この世界の為に魔獣と戦っている。
純然たる事実そのものとして、茨木童子はそうしているだろう。
認めざるを得ないだろ、事実から目を逸らすのはよせよ。
そう言えば、彼女はえぇ、今はそうですね、と言った。
そう、今は。今だけは。
そのようにしていますがこの後裏切るという可能性は大いにあります。
なぜなら彼女は鬼なのだから──。
頭に血が上りそうになる、あまりの融通の利かなさに思わず口を開き、しかしぐっと抑えた。
それから少しだけ咳払いしてから、何故、どうしてそこまで、貴女に何が分かるって言うんだ──。
そう言えば彼女はそっと立ち上がった。
それから自分の胸へと片手を当てて、分かりますとも、と言いそれからこう言った。
この身には、鬼の血が流れているのですから、と。
驚愕に思考が止まる、ポカンと呆けてしまえば彼女は言葉を続けた。
故に、鬼の残虐性を、非道さを、その恐ろしさを、何よりもわかっているつもりです。
この身の半分しか流れていないのも関わらずこれほどまでの情動に襲われる。
えぇ、そうです。
この血は人を狂わせる、理性を穿つ、狂気に身を浸らせる。
理由も何もなく、ただ何となくで親しいものを殺そうと思えてしまう。
そういうものなのです、あの鬼もいつそうなるかはわからない。
であればやはり、信じるなんてこと出来ようはずもないでしょう。
認めるなんて、愚の極みです。
ご理解、いただけましたか? と彼女は言った。
まるでこの話はこれで終わりだと言うように。
頭の中で色々な情報が錯綜する、俺はどうすれば、何を信じれば、という思いがぐるぐる回って混乱しそうになって、しかしその中で茨木童子の顔を見た。
泣きそうな顔をしながら、それでも吾に出来るかと、酷く不安気に聞いてきた茨木童子を。
空から降ってきた謎の男(俺)を救ってくれたということを思い出す。
逃げだした民衆を盗賊団という名称でまとめあげ、守っていたということを思い出す。
何だかんだチョコなんかで懐柔できたことを思い出す、いやまあこれは彼女の精神状態が万全であったならここまで上手くはいかなかっただろうが。
そうなるくらい、彼女は思いつめていた、そのはずなのだ。
俺は、そうしてきた過去をただ鬼だから、と切り捨てたくない。
それに救われた人がいる、ただ何となくで出来るようなことでもないことを、茨木童子はしてきたんだ。
だから、こう言えば茨木童子は怒るかもしれないけど、それでも、それでも!
鬼であるという前に、"茨木童子"という個人として見てほしい!
貴方と手を組み協力したいと思った彼女を信じてほしい、その為に今も戦場を駆けている彼女のことを、見てやってほしい!
気付けば叫ぶように声を張り上げていた、お願いします、と頭を下げていた。
巴御前の動揺したような声が聞こえる、しかし、と口にした彼女に被せるように頼む、と言葉を漏らした。
俺にはこれしか出来なかった、茨木童子が裏切らない、だなんて物理的証拠は持ち合わせている訳が無かったし、巴御前の抱える不安を消すなんてことは出来なかったから。
だから俺の安い頭を下げる、それしか出来ない。
何時までそうしていただろうか、巴御前は顔を上げてください、と震えた声で言った。
貴方がそうしようと思うまでのことを茨木はしてきたのでしょう。
私とて、えぇ、私とて分かっております、茨木が普通の鬼に純粋に当てはめて良いような鬼では無いということは。
しかし、しかしそれでも、私は──怖いのです。
何故ならそもそも私は──私という、存在を認められないのですから。
鬼とも人ともとれない曖昧な化生、そんな私には、とても、とても──。
その言葉が、何故か俺の心に靄を作り出す。
俺はまだ大して生きていない若造だから、偉そうなことは言えないけれども。
何故だかそれは安易に肯定して受け止めてはいけないと、そう思った。
巴御前、とその名を呼ぶ。
こちらを見た彼女に、俺は言葉を続けた。
巴御前、平安時代末期の女武者。
平家物語によれば、源義仲に付き従った人物。
その怪力で敵の首すらもいだという逸話をもつ英傑。
一騎当千の強者と謳われその最後は討ち取られたとも落ち延び尼となったとも言われる謎多き女性。
これが現代まで伝わっている、貴方と出会う前から知っていた貴方のことだ。
俺はこれに加えて、ここ数日で関わった程度のことしか貴方のことを知らない。
だけど、きっと、鬼であるとか人である、なんてことは大して関係ないんだ。
在り来りな言葉だけれども──貴方は、貴方でしか無い。
巴御前は巴御前以外には成りえない。
人でもない、鬼でもないそんな曖昧な化生、じゃなくて、きっとその全てを併せ持った存在が巴御前という一つの個なんだと俺は思う。
人である巴御前、鬼である巴御前、高名な女武者としての巴御前、源義仲と共にあると決めた巴御前、そして──こうして英霊として、ここに在る巴御前。
世界を救うために力を貸してほしいと、そう願ったはずのギルガメッシュ王の呼び声に応じ、馳せ参じた高潔な英霊。
それ以上でも、それ以下でも無いはずなんだ。
それでも──その上でも、不安になるのであれば。
この時代の人々が、戦士が、そしてギルガメッシュ王が信じる貴女を、信じてほしい。
少なくとも、今だけは。
英霊として、召喚に応じたものとして、判断してほしい──色々と、な。
二度目は、叫ぶようなことはしなかった。
水面に雫が落ちれば、その音が反響するのではと思うほどの静寂の中で、やはり静かに俺はそう言った。
巴御前はその真っ赤に輝く瞳をこじ開けるように見開き、それからそっと目を閉じ自分の胸へと手を当てた。
まるで今の俺の言葉を咀嚼し、飲み下すように。
ゆっくりと慎重に、その意味を理解していくように。
それから、どれだけ経っただろうか。
恐らくそれほど経ってはいないだろうが、それでも恐ろしいほど経ったようにも感じるし、刹那のような一瞬にも感じられた。
巴御前が口を開く。
恐る恐ると、されでも確りとした口調で。
あぁ、そうですね、えぇ、そうでした、と。
自分はただの自分に過ぎない──そう、でしたね、と。
けれども少しだけ……今宵だけは、少し心の整理をさせてください。
明日朝、私の答えをお見せいたします。
彼女はそう言って、俺はそれに小さく頷いた。
翌朝、食堂に降りてきた俺の視界に飛び込んできたのは、それこそ驚愕の瞬間であった。
あの巴御前が、深々と頭を下げているのだ。
数々の非礼、許されるものではないと思いますがそれでも──それでも、申し訳有りませんでした、と。
謝罪の言葉とともに、茨木童子へと。
二人の関係性を知っている者たちであれば誰しもが目を疑う光景である。
かくいう俺も当然のように驚いていて、そこでようやく昨夜の巴御前の台詞を思い出した。
明日朝、答えをお見せしましょう──。
つまりはこれが彼女の答え、という訳だ。
それに茨木童子がどう応えるのか、というのはまた別の話ではあるが──まぁ、問題はないだろう。
目的を達成できたことで滅茶苦茶嬉しそうなのを噛み殺し、無駄に変になっているあの顔を見れば一目瞭然である。
ここまで上手く行けば少しだけとは言え関わった俺も多少なりとも嬉しいものだ。
思わずほくそ笑みそうになるのを堪え、そっと部屋に戻ろうとした所で一瞬、茨木童子と視線が合う。
ニヤリと、それこそ鬼らしく笑った彼女に、軽くサムズアップを返した。
以来、巴御前と茨木童子は仲睦まじい……とは言わないが、それでも距離は近くなったように思える。
というか、巴御前が前より他人に頼るようになった、という方が正しいだろうか。
レオニダス王も、随分と丸くなったものですな、と笑っていたほどである。
俺の方も俺の方で、ウルクの人たちがフレンドリーだったのもあり大分馴染んできた。
それは魔獣戦線内の不和要素が限りなく0になっていっている、ということで、同時にそうなるだけの時間が経過した、ということも指し示していた。
まぁ、なんだ。
つまるところ準備はもう最終段階を終えた、ということだ。
巴御前曰く、ありえないくらい早く済んだ、と称賛していたのが記憶に強く残っている。
決行は明日。
いつもよりたくさんの複雑な命令や作戦が立てられたが基本的にやることと言えば至極シンプルであった。
魔獣達を除けてもらい、その間にギルタブリルの首を獲る、ただそれだけのこと。
魔獣達の相手はレオニダス王や茨木童子、魔獣戦線の皆にしてもらい、直接戦うのは俺達と巴御前。
士気は上々、連携もバッチリ、情報伝達にミスもない。
後は俺たちに全てがかかっている。
割り当てられた自室の寝床に寝そべったまま、そんなことを考えながらごろりと寝返りを打つ。
上手くいくだろうか、という不安。
役目を果たせるだろうか、という緊張感。
そして何より、どれだけの敵が待ち構えているのか、という恐怖がこの身を苛んでいく。
これまで何度も戦ってきた、幾度も死んできた、けれども大切な戦いの前というのはきっとこれからどれだけ経験しても慣れないだろう、という確信があった。
もうすっかり付き合うことが多くなった吐き気を感じ、しかしそれを握りつぶす。
覚悟はもう決めてきた、であれば今更怯えても時間と体力の無駄だ。
大丈夫かい? と通信機から聞こえてきたダ・ヴィンチちゃんの声に、勿論、と答えた。
魔獣戦線は眠らない。
誰かが言った言葉で、それは魔獣戦線を的確に表していた。
そう、魔獣戦線では戦闘が止むことはない、勢いの強弱はあれどここでは常に戦闘が続いている。
自分が寝ている間も、訓練している間も、談笑している間も誰かがその命を削り、その平穏を守っている。
そして今日この日、俺はそこに
そう、初めてである、ここに来てもう暫く経つというにも関わらず初なのだ。
といっても別に俺が出たくないとワガママを言ったとか、そういう訳ではない。
巴御前の命令である。
貴方は我々の──そうですね、所謂秘密兵器、というやつですので、決行日までは魔獣戦線には出てもらいません、と彼女は言ったのだ。
つまるところ今日の今日まで引きこもりをキメていた訳だ。
しかしそんな日々ももう終わりである。
今日、この日で確実に仕留めきる。
北壁の真上、そこで眺めるようにして戦闘の行く末を見守っていく。
俺たちの役目はギルタブリルが姿を現してからだからだ。
嫌になるくらいの緊張感が身を包み込んでいる、じわりと滲んでくる手汗を拭っていればそっと誰かが隣に座った。
といってもまぁ、大体見当はついている。
こんな時に何も言わず察してくるのは彼女くらいだからだ。
ある種の確信を抱きながら横を見ればそこにいたのはやはりライダーさんだった。
何も言わずに肩を預け合う、それだけで幾分か緊張が解れていく気がする。
有難うな、と言えば何のことでしょうか、と返されて、それが少しだけおかしくて笑ってしまう。
本当、俺には勿体ないくらいのサーヴァントだな、と思うと同時に笛のような音が響き渡った。
──合図だ。
巴御前が掛け声と共に北壁から飛び出した、それに続くように地を蹴りつける。
一拍遅れて身体に衝撃が走る、彼女に抱えられて俺達は魔獣戦線へと飛び込んだ。
降り立ったそこは正しく地獄と言って差し支えは無かった。
溢れかえるように魔獣が視界を埋め尽くす、吐き気すら催す濃い血の匂いと異様な魔力が充満していて吐き気すら覚える。
少しの不安が頭を過ぎり──
──その全てが、絶叫とともに薙ぎ払われた。
彼の王の呼び声に応じ、三百の伝説の兵士たちが爆発じみた光と共に姿を現していく、その全員がレオニダス王と同じ盾を担ぎ、もう片方の手には各々の武器が握られていた。
号令とともに彼らは動き出す、今の今まで溢れかえっていた悲鳴、剣閃、全てを塗り替え炎の守護者達が魔獣達を押し退けた。
一本の道が拓かれていく、今です! と叫んだレオニダス王の横を通り過ぎる瞬間、彼は笑った。
そちらは任せました、と確かにそう言って、彼は兜を付けたのだ。
重苦しい空気が、不思議にも霧散した気がした。
どうしてか自分の口は弧を描き、あぁ、任せろ、と言葉を漏らした。
拓かれた道の先にやつはいた、金に靡く長髪、裸に晒した上半身には赤黒い紋様が描かれていて、布に隠された下半身の、その腰辺りからはさながら蠍のような尾が生えていた。
言うなれば蠍人間である、鈍く輝く巨大な尾がゆらりと揺れて、片手に握られた弓がピクリと動いた。
瞬間、グンッ、と強引に頭を押し下げられる。
体勢を崩して倒れ込むと同時、酷く耳障りな高音が頭上を流れていった。
今の一瞬で矢を放ったのか──!?
間違いなく今まで見た中でも最速──いや、アメリカのキッドといい勝負か? そんなことを考えながら体勢を立て直すと同時、今度は炎が散った。
爆音と共に巴御前の矢が放たれる、ゆらりと空気を融かしながら燃ゆる数本の矢は、しかし尾の一振りで薙ぎ払われた。
だがそれで良い、彼女の弓矢は確かに強力だが普通に撃ったところで決定打になりえないのは分かりきっていたことだ。
巴御前はギルタブリルとは数回手合わせしたが、しかし本気でやり合えることは今まで無かったと言っていた。
それはつまり、こちらの全力を知られていないということであり、反面あちらの全力も分かっていないということだ。
だからこそ、焦ってはならない。
ほんの少しの、刹那の焦りが致命を生むのはもう何度も身にしみて分かってきていることだ。
故に慎重に、しかし迅速に、そして確実に叩き殺す。
そのために俺は、俺達は──時間をかけてきたのだから。
神々しくもおぞましい死の光が閃き走る、虚空を引き裂き飛来したそれはしかし届き切る前に撃ち落とされた。
火の粉と光の欠片が混じり合ってキラキラと宙を彩る、それを見ながらじわりと汗をかく。
今のが一つでも撃ち漏らされていたら間違いなく躱せなかった、それが分かる、分かってしまう。
ふとギルガメッシュ王の光を思い出す、あれも確かに似たようなものだったがこれはアレよりもっと早い。
まだ想定外、という訳ではないがそれでもその強さに頬をひくつかせた。
そんな俺を見て巴御前がご安心を、と言う。
全て私が撃ち落としますから、と。
その言葉に頼むぞ、と呟くように答えればやつ──ギルタブリルは口を開いた。
星見の台のマスターですね、と。
刹那の間、思考が止まる。
いやにドクンと跳ねた心臓を無理やり宥めすかして内側に押し留める。
何故知っているのか、という問答する気は無かった。
ただ睨みつけるように見据えてよく知ってるな、と言えば彼は観察するように俺を見てからえぇ、勿論、とニコリと笑った。
それこそ今まで出会って来た敵にぶつけられてきた、およそ敵意と呼べるようなものが一切混じらない表情で。
味方から向けられるならまだしも敵に向けられるような表情ではない、普通に気味が悪いな、と思えば彼は言葉を続けた。
貴方方のことなら──えぇ、ある程度は存じております。
この時代を除いた全ての特異点の修復を完了し、そして今、この時代すらも修復しようとそこに立っているということくらいは。
随分と物知りだな、と吐き捨てながら礼装を起動する。
それを見て、しかし余裕を崩すこと無く彼は言葉を続けた。
この程度は常識とも言えるでしょう、何せ貴方方は私達にとって最も恐ろしい脅威なのですから、と。
そう言う割には脅威を感じているようには見えないな、思ってたより弱そうだったか?
礼装を握りしめながらそう言えば、ギルタブリルはまさか、と言った。
むしろその逆──思っていたより強そう……いえ、
こうして私と会話をしながらも私の魔力量、実力を量り、どこから攻撃が来ても良いように警戒を張り巡らせ、尚且つ他の者達の動きの邪魔にならないよう立ち位置を調整している、なんて並の人間が一年足らずで習得できるようなものではありません。
ましてや怯むこともなく、恐れを呑み込み歩みを止めること無くここまで来たその在り方には美しさすら感じます。
故に──残念です。
想定よりずっと弱ければ、歯牙にもかける必要は無かったというのに──貴方は見るからに強くなりすぎた。
これまでの特異点を修復してきたという実績、その良く回る思考、戦闘に慣れきっている魂、体中に刻まれた傷、戦う為に無理やり仕立て上げた身体、瞳に灯らせる光、決して折れないその心──そのどれもが私……否、私達が脅威であると認めてしまうほどには。
えぇ、本当に、実に残念、残念ですが──仕方ありません。
せめて痛みはなく、一瞬で楽になりなさい。
そう言葉を区切ると同時、何かが飛んだ。
──違う、何かではない、あれは矢だ。
回避しようとしても間に合わない、俺を守るように前に出ていた三人の間を縫うようにそれは空を駆け、しかし届くことはなかった。
高速で飛来した矢をキャッチした巴御前がそっと前に出る。
その程度では仕留めさせませんよ、と握った矢をへし折る彼女のを見て、ギルタブリルは流石ですね、と返し。
次の瞬間、真下からきた馬鹿げた衝撃と共に意識が飛んだ。
流石ですね、とギルタブリルが口にした瞬間、鋭く地を蹴った。
瞬間、爆砕音。
大地を貫き俺の全身ほどもある巨大な尾が地中から飛び出て虚空を貫いた。
そんなのありかよ……?
頭を吹っ飛ばす程の威力とかおかしすぎるだろ……そう思わざるを得ないが無理やり飲み込むように納得する。
そういうものなのだと思うしか無いのだ。
なにせギルタブリルに関して分かることはあまりにも少ない。
というか、分かっていたことと言えば蠍の尾を生やした弓矢使い、という程度だ。
直接戦ったという巴御前でさえ、数度、ほんの少しやり取りしただけ。
その上彼は現在まで残る文献等にほぼ記載が
ティアマトから生まれた十一の怪物であり、知恵者である。
読み取れるのはそのくらい──いや、正確に言えばもう少しくらいは逸話等あるがどれがデマでどれが真実かもわからない、そのレベル。
故に基準となる強さが全くわからない、実質どれだけの逸話がありこの程度なら出来るだろう、という憶測すら出来なければ弱点もわからない、というわけだ。
つまるところ彼は──
魔獣の司令塔を務めるほどだ、元より並の英霊を凌駕するほど強いかもしれない、もしかしたら敵の親玉に考えられないほど強化をされてるかもしれない、もしくはギルタブリルの名を騙った別の"何か"かもしれない。
数えられないほどのIFが彼には当てはまってしまう、文字通り有り得ないなんてことは有り得ない、とかいう馬鹿げた化け物だと思っていい。
まぁ、その逆で拍子抜けなほど弱いという可能性もあったが──まず無いだろう。
更に距離を取りながら構えればギルタブリルは
今のを躱された以上、出し惜しみは出来ません、と。
そう言い捨て地を蹴り、それに合わせるように三人が地を蹴った。
鼓膜を劈くほどの地響きが空間を揺らがして、直後に全身へと衝撃が走った。
いつの間にか眼前へといたそいつの拳が無防備な腹へとねじ込まれる、身体がくの字に折れて、嗚咽すらままならず掠れた声を端から零した。
いや、はや、すぎだ、ろ──
内心言葉を漏らし、それでも半ば貫通しつつあるその腕を掴んだ。
驚いたように見開く目を見ながら力を込める。
焼けるような痛みが腹から全身へと広がっていく、それを奥歯で噛み殺してこちらを見据えるその目を睨みつけて魔術礼装を起動した。
いくら早かろうが強かろうが、この距離なら外さない──ガンド!
ゼロ距離で撃ち放つと同時に令呪を切った、刹那、ギルタブリルはその目を見開きほんの少し、瞬き一回分だけ動きを止めた。
それだけあれば充分過ぎる、振りかぶられた鉄の釘剣がこめかみへとぶち込まれ、よろけた彼の身体を蹴り飛ばす。
拳がズロリと抜けて同時にゴボリと血を吐き出した、吹き飛んでいくギルタブリルが鉄処女へと飲み込まれるのを見ながらまだだ、と叫ぶ。
言うまでもなく飛来した炎の矢が雨のように降りしきる、止まらない血を抑えながら引きずるように足を動かすと同時、視界がグラリと揺れた。
全身が痺れて動かない、急速に力が抜けていく感覚が身体に広がって視界が歪んで掠れていく。
血を流しすぎたとはまた違う、これ、毒か、つまり毒手、ね、なる、ほど。
ライダーさんの声が酷く遠い、既に見えなくなりつつある視界の中には炎に包まれながらも傷の一つも見せない男がいた。
鼓膜を劈くほどの地響きが空間を揺らがして──緊急回避!
誰かに引っ張られたように不自然に身体が動く、骨肉が悲鳴を上げて、直後に拳が鼻を掠めた。
ピッと線が入って血が流れる、刹那の間視線が交錯して鋭く地を蹴り、同時に
──は?
理解が追いつかない、一体何がと思うと同時に
キメラかよ……ありえねぇ……
にこりと笑ったギルタブリルを見ながらクソッタレがと吐き捨てて、同時にそれの牙が首元へと突き刺さる。
直後、それと彼の右腕の真上に鉄処女が現れた。
しかし潰せない、下手すればかのキャメロットで出会ったガウェインと同等かそれ以上の硬度を誇る身体には傷一つつかない。
グジュリと不快な音と感覚が脳髄に響き渡る、叫ぶことすらできずに空気を吐いて、直後に絶叫が響いた。
瞬間、轟音。
流星が輝き落ちて、しかしそれは地へと辿り着くことはなかった。
鋭く放たれた蠍の尾が彼女の身体を穿っている、それを見届けながら拳を握ることも出来ず、意識は落ちた。
鼓膜を劈くほどの地響きが空間を揺らがして──ライダーさん!
手の甲が燃えるように熱くなる、二人がすれ違う寸前彼女の蹴りがギルタブリルの腹へと食い込んだ。
一瞬の硬直、勢いが衝突しあって互いが止まり、そして弾けるように離れ合う。
それを逃さんとばかりに巴御前が全身よりも長い薙刀を構えて踏み込んだ。
穂先を火炎を纏う、振るわれた薙刀は火の粉を虚空に残しながら連撃を打ち込み、裸に晒した両の腕で受け流された。
そう、何かを纏っているわけでもないただの腕でギルタブリルは傷一つ無く巴御前のそれを受け流したのだ。
熱さを感じる様子すら見せないとか反則だろ……
しかし巴御前は俺とは違い止まることもなければ動揺を顕にすることもなく、ただ薙刀を手から離した。
瞬間、拳が飛んだ。
目にも留まらぬ速さで回転、流れるように裏拳を放ち受け止められると同時に掌底、その手を掴んだギルタブリルの身体を強引に
グンッ! と鋭く彼の身体が横に回る、直後彼の鼻っ面に爪先をぶち込んだ。
ギルタブリルの身体が虚空に舞う、刹那、その身体は鎖で雁字搦めとなった。
一瞬、カーミラと目が合う、互いに言わんとしたことは一緒で、遅れること無く令呪を切った。
手の甲を焼けるような熱さが駆け抜ける、魔力が爆発的に高まりそしてそれは姿を現した。
幻想の鉄処女──怪しげな魔力を漂わせたカーミラの宝具は確実にギルタブリルを呑み込み、しかし
内側から、異様なまでに肥大化した蠍の尾が天を貫くかの如くその全てを突き破ったのだ。
嘘だろ、と思わず声を零す、勢いよく宙へと舞ったギルタブリルは弓を引いた。
直感的に躱せないと察する、それでもどうにかしようと身体をひねると同時、光の雨──いや、滝が降り注いだ。
───ギルタブリルへと。
彼の王が保有する多くの力ある武具、それを宝石に秘められた魔力を利用し撃ち出す大型の投石機。
壁上にずらりと並べられたそれらは一撃一撃が
巴御前になぜかと聞けば、狙いを上手く定めることが出来ないということだった。
どれだけ調節してもその苛烈すぎる一撃は狙い通りの場所に着弾させられない、大体の弾道は決められるが一個人を狙い撃つ程までの機能はつけられていなかったし、多くの兵士が利用するそれの癖を把握することは出来なかった。
更に付け加えるとすればこのような兵器はそもそもこの時代にあってはならない、そう断言してもいいほどのものだ。
故に、誰もが使い慣れていない、そこまで訓練している時間もなければ武具だって有限である以上無駄にはできない。
結果的に数撃ちゃ当たる戦法を起用するしかなかった、というわけだ。
であれば。
その弾道を完璧に予測し調節できる程の叡智を持ち、尚且多少ずれたとしても何らかの方法で狙い通りの弾道に修正することの出来る術があれば、そのような問題は消え失せる。
あまりにも馬鹿げた条件だ、普通はそんな都合の良い存在はいやしない。
そう、普通はいない、当然だ。
けれどもこの時代は普通ではなかったし、そも人理が焼却されそうな現状は普通とは程遠いものだった。
ならば、そんな存在はいてもおかしくなかったし、事実
第五特異点よりその力を貸してくれている大英霊──鈴鹿御前。
常軌を逸した叡智を誇り、幾百を超える刀を自由自在に操れる彼女は正しく適任だった。
準備期間のほぼ全ては、彼女が用意された神権印章、その全ての癖を把握しどれくらいの重さでどんな形をした武器をどの角度からどれだけの魔力量で放てばどういう弾道を描くか、その予測精度を限界まで合わせ調整することに費やした。
後は令呪込みの魔力で彼女の宝具を展開し、ギルガメッシュ王の武具にでも括り付けて一緒に撃ち飛ばせば多少の修正は叶う。
と、簡単には言うが正直言ってもその負担は計り知れないほど大きい。
一度使えばしばらくは動けないだろう。
彼女は何としても共に戦場に出たがったがそれはそれ、切り札であることに加えそういう事情もあり壁にいてもらっていたということだ。
光り輝く数十の砲撃がギルタブリルを包み込む、第一波から休むこと無く連続で撃ち出されるそれは容赦なく彼の男の鋼とでも言うべき身体を呑み込み穿ち抜いた。
絶望するほどの硬度を誇った肌をぶち破り様々な武具が突き立ち抉り、貫き飛ばす。
未だそれが降り続ける中で終わったな、とそう思う。
何度でも言うようだが神権印章はその全てが宝具並の破壊力を持つ、それをこれでもかと浴びせかけられれば死なないわけがない。
慢心でもなければ油断でもない、正しくそれは事実で光の滝が止む頃には彼の身体は頭から胸にかけてくらいしか残っていなかった。
それでも浅い呼吸をしながら虚ろな眼差しで、それでも命の灯火を燃やし続ける彼にゾッとする。
しぶといってレベルじゃねぇぞ、それこそあのガウェインですら真っ二つになったら潔く消えたってのに。
あぁ、もう、さっさと死んでくれ、礼装を展開しながら近づいて、刀を鞘から抜き放つ。
仰向けに倒れているせいで目が合った、ただ虚空を見つめているようでしかし、どこか力を感じさせる眼差し。
それを見ながら、一歩踏み込めば、ふとその口が開いた。
───お見事です、やはり貴方は強い……まるで、未来を見ているようだ。
力なく、しかし確りとそう口にした彼に、あぁ、俺には未来が見えるんだ、とそう言い迷うこと無く刀を振り下ろした。
神権印章に散々嬲られたのであろう、恐ろしく硬かった表皮はボロボロで、抵抗はなくするりと刀は突き立った。
ほんの一瞬だけ両手に不快な感触が駆け抜ける、同時にギルタブリルの身体はグズリ、と解けるように消え去った。
ようやっと死んだか、そう息を吐いた直後、背中をドンと押された、不意の一撃だった。
何が、と思った直後、あまりにも短い断末魔と共に、カーミラの全身から幾つもの蠍の尾が飛び出した。
真横まで来ていた彼女の身体が恐ろしい数の尾に持ち上げられて夥しいほどの血を流す。
──────。
止まりそうになる思考を無理やり回す、まだ生きていたのか、浮かんだその言葉をありえない、とかき消した。
ギルタブリルは今、俺が殺したのだ。
この手で、完膚無きまで消し去った、であればこれは別の敵──。
理解不能の光景に頭の中がグチャリとかき混ぜられる、それでも足は動いた。
思考はぎこちなく回る程度だった、けれども敵はいるということだけは分かりすぐさま飛び退こうとして、そして衝撃が胸を貫いた。
急速に感覚が失せていく、口からゴボリと血が溢れたのに苦しいとも痛いとも感じることはなく、意識は落ちた。
何が、と思った直後、あまりにも短い断末魔と共に、カーミラの全身から幾つもの蠍の尾が飛び出した。
瞬間、後退るように飛び退きけばその足先を掠めるように複数の尾が地中を押し退け顔を出す。
うようよとまるで意思を持つかのように蠢くそれを見ながら更に距離をとる、そんな俺を庇うようにライダーさんと巴御前が前に出た。
ここに来て新手とかありえねぇだろ、そう思いながら神経を研ぎ澄ます、
腹から湧き出る怒りを鎮めながら拳を握ればカーミラの姿はかき消えると同時にそれは姿を現した。
金に靡く短髪に、腰から生えた幾本もの蠍の尾。
ギルタブリルと違い上下に衣を羽織ったそれはパッと見で分かるくらい女性で、しかしどこかギルタブリルと同じものを感じた。
というか、尾が生えてる時点で近しいものではあるのだろうが。
何なんだよ、と呟き少しだけ後退る、そんな俺を見て彼女は無機質な表情のまま口を開いた。
まさか、彼が殺されるとは思いませんでした。
けれども──えぇ、カルデアのマスター、貴方が来たというのであればそれも納得出来ましょう。
六つの特異点の修復者、この短い間に偉業を積み重ねてきた英雄、えぇ、理解も出来ました。
私達は時代を破壊するもの、本来倒されなければならない敵なのですから。
しかし──それでも私は、貴方を
彼女の瞳から血の涙が流れ出し、次の瞬間、地を踏み抜いた。
一瞬だけ湧き上がってきた動揺を消し飛ばす。
考えるのは後だ、と魔術礼装を立ち上げ二人の裾を掴んだ。
突風が身体をなでつける、眼前まで迫った拳をしかし紙一重で避けきり派手に吹っ飛んだ。
あ、あっぶねぇ……緊急回避が無けりゃ死んでた……!
不格好なまま地を滑り、それでも手を離すと同時に彼女らは地を蹴りつけた。
迫る数本の尾を前にして距離を詰めるライダーさんを援護するように巴御前の火矢が飛ぶ。
高速で動く尾の軌道をほんの少しだけズラせばそれだけでライダーさんには掠りもしない。
一瞬足らずで間合いを縮め、振りかぶった釘剣はしかし振り切る前にその手首を絡め取られた。
眼に映らないほどの速さで動いていたライダーさんの身体がグンッ、と止まる、瞬間彼女ら二人の姿が
それを見ると同時に理解した、アレは魔眼、石化の魔眼だ──。
理解してから一寸遅れて巴御前の名を叫ぶ、それに応じて彼女は地を踏みつけた。
腰から抜かれた刃が火を纏って宙を融かす、豪速で振るわれたそれはしかし寸でのところで重ねられた尾とぶつかりあった。
一本二本と切り飛ばし、三本目で刀が止まる。
同時にライダーさんが締め上げられて巴御前の足首を一本の尾がえぐり飛ばした。
直後、矢を放つ。
展開された礼装であるそれは必中の呪いつきだ、わざわざ見当違いのところに放ち、異常なまでの曲線を描いて飛来したそれを、しかし彼女は見向きもせずに受け止めた。
刹那、焔が舞う。
常に己の武具に纏わせていた火とは格が、次元が違う。
番えられた矢は赤々と、何もかもを飲み込むように燃え上がり、極至近距離で放たれた。
──否。
放たれたと、そう思った。
しかしそれは彼女の手を離れることはなく、ただその焔を徐々に散らせて消えた。
巴御前は不自然なまでに微動だにしない、それを見ながら彼女は危ないところでした、と口にした。
貴方ほどの英霊でも後数秒は動けないでしょう、と彼女はそう言い、巴御前の首を、まるで花を手折るようにあらぬ方へと折り曲げた。
ガクリと彼女の身体から力が抜けて、同時に締め上げられていたライダーさんが爆散するように血しぶきを上げる。
不味い──そう思うと同時、連続した衝撃が胸を全身を貫いた。
瞬間、彼女と謎の女、二人の姿が同時に止まった。
刹那、ほんのコンマ一秒も空けない内に巴御前の名を叫び、礼装を展開する。
スコープを覗き込むと同時に引き金を引く、そしてそれより早く巴御前が地を踏みつけた。
先程よりもギリギリのタイミングで
真っ赤な血が舞い、少し遅れて飛んだ銃弾が巴御前の足へと向かう尾の軌道を少しだけずらして弾くのを見ながら令呪を切った。
前回の焼き増しのように、しかし遅れて締め上げられたライダーさんの魔力が爆発的に膨れ上がって尾を千切り飛ばす。
見せびらかすように空まで持ち上げられていた彼女は即座に己の首を掻き切った、直後その血から天馬が姿を現し高く高く、空を舞う。
腕の断面を抑えながらそれでも吼え猛る彼女をその場に縫い止めるように巴御前が刀を振るった。
残った数本の尾を弾き、その内の一本を突き刺し地へと固定し即座にそれを捨ててバク転するように飛び退いた。
それを見ながら女は口に指を当てた。
何をするつもりだ、と思うより早く音がなる、あまりにも甲高い指笛に顔を顰めると同時、魔獣が地から姿を現した。
は?
一瞬思考が止まる、けれども身体は反射的に飛び退いて、それを認識すると同時に頭が回りだす。
魔獣を呼び出すとかクソチートかよ、ふざけんな、そう悪態をつきながら距離をとり、同時に流星が空気を貫き落ちた。
しかしそれは届かない、飛び出た魔獣が壁となるようにその身を寄せ合い女を守る。
くそったれが、と罵倒しながらどうすればと頭を回す、同時に大丈夫です、と巴御前が言った。
矢を番える、あの時見た矢と同じだけの輝きを持つそれが、今度こそ放たれた。
太陽と見紛う程の熱量、輝きを内包したそれが音の速さで宙を翔ける、
それすらも防御しようと間に入る魔獣を問答無用で融かし、焦がし尽くしてそれは総てを貫いた。
無限とも思えた魔獣の噴出が嘘のようにやんでいく、勢いを失ったライダーさんは、しかし魔獣の全てを薙ぎ払って俺の横へと降り立った。
殺せたのだ、とそう思う。
でなければ魔獣が消えるものか、少しだけの安心感と、それでも失わない警戒を以て見据えれば、女はその身をまだ残していた。
胴体に巨大な穴が空いている、幾ら化け物、英霊と言えどあれ程の傷を負えば後は死ぬだけだろう。
そう思える程の負傷具合で、それでもやつはこちらを強く見据え、そして動いた。
最初ほどの速さはない、されど尋常ではない速さでその胴を、まるで蛇のように伸ばしてこちらへと迫ってきた。
本ッ当に化け物だな、そう思うと同時にライダーさんが地を蹴りつけ巴御前が薙刀へと火を灯らせた。
ジャラリと伸びた身体へと鎖が幾重にも巻き付き動きを止める、瞬間、振るわれた薙刀が彼女の首から上を撥ね飛ばした。
飛んだ頭が足下へごろりと落ちる、見開かれたその目を見ながらやっと死んだかと思うと同時、ゴボリと血を吐いた。
かなり遅れて痛みが全身を駆け抜ける、既に感覚が無くなりつつある手で触ればそこには何かが俺の腹を貫いていた。
毒のせいなのだろう、既に眼が見えない、けれどもこれは蠍の尾だということは分かった。
最後の最後まで粘んじゃねぇよ、そう吐き捨てようとして空気が喉を通り過ぎる。
くそったれが、そう思うと同時、意識は落ちた。
最初ほどの速さはない、されど尋常ではない速さでその胴を、まるで蛇のように伸ばしてこちらへと迫ってきた。
先ほどと同じようにライダーさんが動きを止めて、その首を巴御前が切り落とす。
勢いよく空を舞った頭を、落ちると同時に刀を振り切った。
口から吐き出されるように射出された蠍の尾とぶつかり合って、数瞬の拮抗を経て切り捨てる。
あり得ないものを見たように、彼女の目が見開かれて、そっと口を開いた。
──恐ろしい、ですね。まるで、未来を見ているようです、と。
それ、ギルタブリルにも言われたよ。
そう言えば彼女は薄っすらと笑って、当然でしょう、と言った。
私も『ギルタブリル』なのですから、と。
は? と思う俺に彼女はそのまま言葉を続けた。
私達は二対で一つの存在、どちらもギルタブリルなのです。
片方が死んでもこの戦線を機能させられるように、私達は二対で一つの存在として、産み落とされた。
その言葉に、ふと疑問が浮かぶ。
何故なら彼女は、最初のギルタブリルが死んだ直後に姿を現したのだから。
そう思ったことを察したのだろう、彼女は表情を変えずに口を開いた。
えぇ、ですから、私は本来あの場で姿を現すべきではなかった。
本拠地に戻り態勢を立て直し対策を練るのがベターだったでしょう、それくらいは私も理解しておりました。
しかし、感情はそれを良しとしなかった。
今すぐにでも貴方方を殺さなければならないと本能は叫び、迷うこと無く私はそれに応じた。
その結果がこれです、あまりにも情けない──ですが、後悔はありません。
いえ、貴方方を殺せなかったという悔いはありますが、しかしあの場で姿を現したことに、私は悔いなど持たない。
あぁしなければ私は私を許せなかった、ただそれだけですから。
きっとあの人は、死ぬ間際に貴方にお見事と、称賛の言葉を贈ったでしょう。
しかし私は贈りません、私は貴方を赦さない、あの人を殺したことも、これから私を殺すことも、絶対に赦さない。
どちらが悪でどちらが善であるかどうかなどは関係ありません、私はただこの二点において、死んだその先でも貴方を怨み続けましょう。
そう言って彼女は目を見開いた。
まるで俺の姿を瞳に焼き付けるかのように限界まで見開き俺を見て、逃げること無くそれを見つめた。
瞬間、カーミラの顔が頭を過る。
──は、散々人を殺しておいていっちょ前に人を恨んでじゃねぇよ、バケモンが。
そう言い刀を振り下ろす。
グチャリと嫌な感触が腕を駆け抜けて、それから少し遅れて彼女の頭はサラリと砂のように宙へと溶けた。
七章がたった47000文字で終わる訳ないんだよなぁ……
次話は何時になるかなぁ……
こっそり文章整形等しといたから変な風になってるとこあったらこっそり教えてくれ。
頑張って直す。