ハロー。
これは、私から送る最期のメッセージよ。読み間違いや、読み飛ばしの無いように気を付けなさい。
艦娘になって、二つ目の名前をもらう前から、私は色々な名前で呼ばれたわ。そうしないと生きていけなかったから。でも、あなたに呼ばれた『叢雲』って名前が、一番しっくり来てるわ。何故か私の本名よりもね。その事については感謝しないこともないわよ。こんな時になってしまって、遅すぎるかもしれないけど、それでも言わせて。ありがとう。
私は今、太平洋のどこかで間抜けな面をして浮かんでるわ。もう何時間もこうしているから、体の感覚なんてとうになくなってるけどね。
そうね、伝えたいことはたくさんあるけど、何から言おうかしら。もう感謝の言葉は伝えちゃったしね。
……そういえば、私の過去のこと、あなたに話したことなかったわね。いいわ。折角の機会だし、私の生い立ちについて教えてあげる。一度しか言わないから、見逃さないようにしなさい。
深海棲艦が人類の約六割を殺したときくらいに私は生まれたわ。勿論、生まれたその瞬間のことなんて全く覚えてなんかないけどね。それでも幼いときの記憶はあるわ。何処にでもある生活の苦しい家族のなかで、私はたくさんの愛情を受けてきた。それだけは覚えているわ。
でも、私が五歳になる年、私の町を深海棲艦が襲ったの。
不思議なことなんだけど、幼いときの記憶のはずなのに、妙にはっきりと覚えているわ。床下の収納に流れ込んできた両親の暖かい血の温度や、町中を埋め尽くした悲鳴と深海棲艦の耳障りな金切り声まで全部ね。この日のことは、未だに夢に見るくらい私の心に深い傷を作ったわ。
それからの人生は酷いものだったわ。とても思い出したくないくらい。無理に思い出そうとすると、吐き気がして嫌になるから、あまりあなたに話すことは出来なかったけど、あなたには私のことを少しでも知ってほしい。だから頑張って話すわ。あなたも絶対に聴いていなさい。良いわね?
あの頃は――――というか戦局が安定した今もだけど――――とにかく両親を失った子供がたくさんいたわ。理由はそれぞれだけどね。だから政府も管理しきれずに、街の中心部の路地裏には、私みたいなのがうじゃうじゃいたわ。
一番多かったのは、私みたいな深海棲艦に襲われて両親を失った子。後は――――色々いたわね。薬でおかしくなった運転手が暴走させた車に、親が餌食になった子とか、性欲の捌け口にされて、耐えられずに父親の頭を包丁で滅多刺しにした子とかね。今の日本は、あなたたちの言う戦前の安全で快適な生活とはかけ離れているわ。いつか、そんな平和な世界を見たかったものね。
もう、無理そうだけど。
そう、私はそんな薄汚れた路地裏で、なんだってしてやったわ。とにかく生きるために必死だったの。誰かをどん底に叩き落とす薬を売ったり、テロ組織から雇われて武器を密輸したり、盗みも、時には殺しだってしたわ。吹雪なんかが目を丸くしていたわね。私が初陣で戦艦ル級を殺したときに。あの時は一度だけ、幼い頃の経験に感謝したわ。それから先はたったの一回も無かったけど。
そういえば、体を売ったことは一度もないわね。おかげで最後の最後まで経験が無いままだったわ。それもこれも、あなたの意気地が無いからよ!
とにかく、ずっとそんな感じだった。足をつけないために色んな所を転々として、名前だってたくさん変えたわ。もう覚えていないくらいたくさん。でも本名を忘れてしまうことはなかったわ。私の仲間にはそんな子もいたけど、私は絶対に忘れなかった。両親から貰った物で、最後に残ったのがそれだったから。
そのうち、辛い仕事に耐えられなくなって、薬に手を出す子まで現れたわ。その子は薬でハイになりすぎて、どこの馬の骨とも分からない男に抱かれてそのまま死んでしまったわ。すごく辛かった。だって私が一番仲良くしていた子だったから。
その子の両親も麻薬に溺れていたらしいの。何時も夜中になったら二人の怒鳴る声が響いて、全然眠れなかったらしいわ。そして、ある時父親が母親の首の骨をへし折った。それもその子の目の前でね。それから、その子は毎日のように父親に犯され、ついに包丁でその身体中を滅多刺しにしたそうよ。
「薬なんて大嫌い」ってその子はよく言っていたわ。「私のお父さんとお母さんを、私の人生を狂わせた薬なんて大嫌い」ってね。それなのにその子も薬に溺れて死んでしまった。すごくショックだったわ。
私はとにかく生きるために必死だった。周りの子達と一緒に、生きるために努力したわ。あの時は、裕福なやつらをみんな恨んでた。お前たちが富を独り占めしているから、私たちが苦しい生活をしてるんだって、凄く思ってたの。今思えば滑稽な話よね。あの人たちだって、生きるために一生懸命だったんだから。まあ仕方ないわ。あの時はそんなことがわかるくらい賢くなんてなかったもの。
でも私が十五になった年の夏、また深海棲艦に襲われたの。
寝る場所を求めて郊外のスラムにいたときよ。そこは、政府が疲弊しているのをいいことに革命を画策するようなテロ組織や、大陸で住む場所を失って日本に流れ着いた違法難民たちの巣窟だったわ。私たちはそんなやつらに襲われないように、ひとかたまりになって眠っていたの。
その日は何故か寝付けなかったわ。いくら目を閉じて数字を延々と数えても眠れる気配が全くしなかったの。仕方がないから建物の外に出て、夜空を眺めることにしたわ。その日の星空は、とても綺麗だったの。あなたにも見せてあげたいくらいね。で、少し満足して帰ろうとしたときだったわ。あいつらが私たちの寝ていた粗悪な建物を爆撃したの。
懸命に生きて来た友達が、粉々にされて空中にばら蒔かれるのが夜の癖にはっきりと見えたわ。あまりの出来事に、私は動くことができなかった。ほんとは一目散に逃げるべきだったんでしょうけど、体が言うことを聞かなかったわ。私は間抜けに膝をついて、ただ町を蹂躙していく深海棲艦たちをぼーっと眺めていたの。いったいどうしてなのかしらね。まあ、あの時走っていたところで、どちらにせよ死んでいたんでしょうけど。
銃を持っていたテロ組織の構成員が、豆鉄砲を必死に深海棲艦に撃っているのを見て、思わず笑っていたわね。深海棲艦相手に人間の攻撃が通じるはずがないのに、バカみたいって思ってたわ。よく考えてみれば私って冷静だったわね。諦めとも言えるけど。まあ、煩わしかったのか、その駆逐艦はそいつを砲撃で木っ端微塵にさせてたわ。そして、その衝撃で吹き飛んできた金属片が私の頭に突き刺さったわ。痛い、なんてものじゃなかったわね。あの時の感覚を思い出す度に鳥肌が立つわよ。
もうだめかもしれないな。何て思ってた。
走馬灯が訪れることを期待したけど、全然見えなかったわ。よく考えたらあんなくそったれの人生、追憶したところでなんの価値もないわね。――――今はそう思わないわ。だってあなたに出会えたから。みんなに出会えたから。その記憶は宝物よ。今思い出しても、心が暖かくなるわ。……ちょっと臭かったかしら。
話を戻すわね。
その時に私を助けてくれたのが、あなたの艦隊だったわ。誰も戦うことができずに、ただ逃げるだけだった存在をたった数人で殺していく様は、なんとも言えないくらい清々しかったわね。頭に大きな飾りがついていなかったら、思わず口笛を吹いて笑ってしまいそうなくらい。ブラボー、よくやってくれたわね。おかげでゴミカス野郎共の死に様を見ることができた。ざまあみろ! って大声で叫びたかったわ。無理だったけど。
あの時、死にかけの私に手をさしのべてくれたのは長門だったわ。あなたの第一艦隊旗艦様よ。とてつもない安心感があったわ。初対面の人間を信用することなんて一度もなかったけど、あの時は一発で長門の事を信用した。それくらい彼女の放つオーラは偉大だったの。
それから鎮守府につれていかれて、頭の治療をして、私にも艦娘になることができる事が分かったわ。その時は飛び上がるくらい嬉しかった。はじめて神様に感謝したわ。神様ありがとう、これでやつらを殺す力を手に入れられましたってね。とにかく私は、長門と同じ戦場に立つことができるってだけで、馬鹿みたいにはしゃいでいたのを覚えているわ。――――結局、長門と死線を共にしたのはそれから大分後だったけど。
提督に挨拶するって事で、執務室に向かったときのことは、実はあまり覚えていないの。それくらい浮き足立っていたのかしらね。
扉を開けて最初に見えたあなたの姿は、その、凄く恥ずかしいことなんだけど、とてもかっこよかったわ。こんなことが言えるのも、こんなときだからかしら。……そうよ、悪かったわね、がっつり一目惚れってやつよ! 何? 悪い?
確かにあなたには厳しい態度をとったり、きつい言葉を浴びせたりして、気持ちに気づきにくかったかもしれないけど、しょうがないじゃない! 誰かを好きになったことなんてはじめてだから、どうしたらいいか全然分からなかったのよ。
とにかくそこから、私の艦娘としての第二の人生が始まったわ。
初めて海の上に二本足で立って、空を見上げたとき、なんとも言えない充足感が私を襲ったわ。人間とは違う、特別な存在になれた実感がそこにはあったの。私はこれから、またリスタートするんだって気持ちで一杯になった。ちょっとした感動ものだったわ。名作の映画を一本丸々見たときみたいな満足感が存在していた。――――そんな経験、その時はしたことなかったけど。
初めての作戦で深海棲艦を撃破したとき、身体中を駆け巡る何かを感じたわ。見たか、これが私のお父さんとお母さんを殺した報いだ! 友達を殺した報いだ! 私の人生を狂わせた報いだ! って思いが私を支配したの。やっぱり心のどこかで、やつらに対する怨み辛みは少なからずあったみたいね。
作戦を成功させて帰ると、決まってあなたは私を誉めてくれたわね。恥ずかしくて素直に受けとることなんてできなかったけど、凄く嬉しかったのよ? あなたに撫でられると、胸のなかがほわって暖かくなるの。一緒に心拍数も一気に上がるわ。それを悟られたくなくて、あなたに誉められる度に突き放すような態度をとったの。それについては……その……ごめんなさい。
それからは色々な作戦に参加したわね。ほら、私って他の駆逐艦と比べて戦闘能力が高かったから、鎮守府の第一線にはあっという間に上り詰めることができたじゃない? 長門の隣に立てたことが、私にとって凄く嬉しかったわ。
作戦では色々なことをしたわね。全部深海棲艦を倒すことだったけど、地上での作戦もあった。私みたいな境遇の子を救うために奮闘して、護ったり、護れなかったり。感謝されたり、恨まれたり。全部の顔を覚えてるわ。私を見上げる眩しいくらいの笑顔も、私に向けられた怨唆の声も。
怨まれるのはしょうがないと思うわ。私だって艦娘じゃなかったら、護ってくれなかった艦娘の事を怨んでいたでしょうからね。あんたたちには力があるのに、どうして護ることができなかったのかって、絶対に言っていたはずよ。それでもやっぱり辛かったわね。今思うと、とてつもなく情けないことなんだけど、あの時あなたが慰めてくれたことが、とても嬉しかったの。口に出して直接なんて、絶対に言ってあげないけどね。
ふう、こうして思い出すと色々あったわね、私たち。
ああ……そうね。
そういえば、あなたが指輪をくれたときの事を思い出したわ。
……私だってこっぱずかしいけど、これについてはお互い様よね。いい? 私も頑張ってあの時の事を思い出すから、あなたも恥ずかしくなって逃げたりするようなことは絶対にやめてよね!
あれは大きな作戦を成功させたときだったわ。誰も沈まずに成功させて、あなたはなんだかんだ言っても優秀な提督よね。妻としても、艦娘としても誇りに思うわ。あなたの下で戦えたことを。そう、あなたにその作戦の報告するときだった。長門が珍しくそわそわしているのが、妙に目に焼き付いていたわ。どうしたのかしら、なんて思ってたら不自然な感じで長門が出ていって、私の頭のなかはクエスチョンマークだらけになっていたの。しかもそんなタイミングであなたが指輪をくれるものだから、反応なんてできるわけないじゃない。
反応しない私を見て、あなた、凄くうろたえてたわね。嫌だったか? すまない、忘れてくれ。なんて言ってね。反応できるわけないじゃない。だって絶対に叶わない恋だとばかり思ってたから。
あの時私は、柄にもなく大泣きしてあなたに飛び付いてしまったわ。それでも喜びを表現するには、全然足りなかったけど、そんなことより私は感激したわ。あなたが私の事を好きでいてくれたなんて、思ってもみなかったもの。あの日は、私にとって一生のうちで一番幸せな日だったわ。不幸続きの人生の中で、なによりも輝いた瞬間だった。
皆、私たちを祝福してくれたわね。長門なんていっつもきりっとしてたはずなのに、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたわね。自分の事でもないのにバカじゃないのって思ったけど、長門のそんな気持ちも、私にとっては嬉しかったわ。私の人生の幸福の九割が、あの数日に詰め込まれているわ。私はあの時思ったの。ああ、私が生まれてきた理由はこれなんだ、って。今日の日のために、私は今まで生きてきたんだ、ってね。
そして、私たちの鎮守府はどんどん大きくなっていったわね。私が来たときからそれなりに大きな基地だったけど、そんなの比べ物にならないくらいに、私たちは成長したものね。あなたもそう。軍の中の上層部に上り詰めて、それでも腐ることなく次々と戦果を上げて、私は誇らしかったわ。いえ、私だけじゃない。あなたの艦娘は皆、あなたの事を、鎮守府の事を誇りに思っていたわ。……私は、あまりその事を口にできなかったけどね。でもあなたには筒抜けだったかしら? たまにニヤニヤ笑っていたのはそういうことでしょう?
まあ、犠牲を誰一人も出さずっていうのは無理だったけど。
でも、私たちは確実に勝利に近づいているわ。もう、勝利は目前よ。あともう少しで勝てるの。だから諦めたらだめよ。私はあなたの隣にいることは無理みたいだけど、悲しんだりせずに――――まあそうしてくれたら嬉しいのも事実だけど――――と、とにかく! ここまで来たんだから絶対に勝ちなさいってこと! これはあなたの使命よ。あなたに課された、あなたにしかできないこと。だからやりとげなさい。……この叢雲のエールを受け取ったんだから、失敗なんかしたら送り返してやるわよ。
心残りがないかって言われたら、正直あるわ。いっぱいね。
なにより戦後の平和な世界を、一緒に暮らすっていう夢が叶わないのが辛いわね。あなたとはずっと一緒に暮らしたかったわ。一緒に年を取って、一緒に息を引き取るのが夢だったけど、叶いそうにないわね。仕方ないと言えば仕方ないのかしら。艦娘なんて、命を懸けた仕事だから。
でも、あなたには警告しておきたいことと、報告しておきたいことがあるわ。
まず、報告しておきたいことから行くわね。
一応、作戦は成功よ。全然無事じゃないけど。というか私含めて、みんな沈んでしまったからね。今残っているのはぷかぷか浮かぶ私だけ。それでも、あいつに勝つことはできたわ。
深海棲艦、戦艦レ級。しかもその変異種。
真っ白なレインコートを着たそいつを、ついに私は倒すことができたわ。相討ちって形だけどね。
長門の胸に風穴を開けて、五月雨の頭を噛み砕いて、吹雪の上半身を消し飛ばして、西日本の大都市を壊滅させたあいつは、もういなくなったわ。これで作戦中の闖入者が消えたからはあとは淡々と包囲して、殲滅するだけの簡単なお仕事よ。あなたの力を借りずとも、人類の勝利は約束されたようなものよ。もちろん、油断はよくないことだけどね。それでも嬉しいわ。あなたの思い描いた未来がやって来るもの。それは、まあ、出来ることならあなたと一緒にその時を迎えたかったっていう、思いはあるけど。
変異種の戦艦レ級。あいつはとにかく厄介だったわね。気ままに戦闘に乱入しては敵味方関係なく攻撃しまくって、満足したらどこかにいってしまう。そんな存在に私たちはこの上なく苦しめられたわ。あいつに沈められた艦娘なんてとんでもない数になってたものね。あいつに、長門は沈められた。それも直前の戦闘で疲弊しきってた所を、狙ったように襲いかかって来たわ。
一瞬だったわ。
瞬きする間に、長門のからだから向こう側の景色が見えてしまうようになっていた。そのまま興味をなくしたのか、どこかにいってしまったけど、数日間あいつの耳障りな笑い声が、脳の奥にべっとりこびりついて取れなかったわ。憧れで目標であって、一番の戦友だった長門を失って、私は自暴自棄になっていたわ。苦しいのは私だけじゃないのに、あの時はあなたに酷いことを言った。それでもあなたは私の悲しみを受け止めてくれたわね。ありがとう、そんなところも感謝してるわ。
長門の死からしばらくして、今度は遠征艦隊があいつに襲われたわね。吹雪と五月雨がやられたのもその時。そして、あなたの心が突き動かされたのもその時ね。実を言うと私もよ。あの頭の中にへばりついて離れない原因そのものを、私は殺してやりたかったわ。その目標は、さっき果たせたわね。思ってた形とは全然違うけど、私的には結構満足よ。あいつを倒すことができたっていう充足感が、今は私の中にあるわ。体がもう少し
主な戦果はこんなところ。なかなかいい感じの結果を残せて、私はラッキーね。後世に名前を残すことは出来るかしら? 戦況をたった一人でひっくり返した戦姫、なんてかっこいいわね。教科書とかに名前が載る事があったら、それこそ満足よ。
そして警告ね。
さっきの私の話にも出てきたけど、ひとつのテロ組織が水面下で蠢いているわ。
孤児を使って薬を売りさばいて、それで得た資金で武器を少しずつ蓄えて、何か変えたいことがあるみたい。
スラム街暮らしの時に、話を聞いたことがあるわ。向こうは無邪気で無力な子供だと思っていたみたいだけど、残念ながら私は覚えていたわ。そいつが言うには、彼らに崇高な考えなんて一切ない。ただ溜まりにたまった鬱憤の捌け口が、政府だったって話よ。国は、そんな連中の相手をするはずなんてなかったし、その時は深海棲艦の方が恐かったからなんとも思っていなかったけど、今はとても怖いわ。あなたや艦娘たちがあいつの攻撃で殺されるなんて、私は絶対に嫌よ。だからお願い、敵は深海棲艦だけじゃないってことを常に頭に入れておいて。
あいつらはどこにでも潜んでる。駅のホームにも、大型スーパーの中にも、ビルが林立する都市の路地裏にも。そしてどんな姿にもなるわ。時にはいかつい男の姿で、時にはか弱い子連れの女の姿で、時には小さい少女の姿で、時には痩せ細った老人の姿で。だから見た目で判断したらだめよ。あいつらには目的がない。ただ、手段があるだけよ。武器を取り、それを振り回すという手段が。
あと、特に小さい駆逐艦たちは要注意だけど、もし戦争が終わって深海棲艦がいなくなったとしても、そこが平和になるにはしばらくの時間が必要よ。だから艦娘のことはあなたが責任をもって見てあげて。麻薬のディーラーなんかに捕まったら洒落にならないわ。粗悪な麻薬を高価で売って、あとは人生、はいさようなら。――――未来のために、必死でやって来た報いがそれなんてあまりにも救いが無さすぎるじゃない? だからお願い、“戦後”も油断することなく、むしろいっそうの警戒をしてて。深海棲艦なんかより、人間の方がずっと狡猾なんだから。
ああ、これだけのことを記録に残してたら、なんだか疲れてきたわ。真っ暗な海の上で、私一人だけがぽつんって浮かんでるけど、案外悪くないものよ。なぜかすごく落ち着いた気分になれるの。まあ、私の大きな目的のひとつが果たせたから、かもしれないけどね。
そろそろ時間ね。今、すごく眠いの。
意識を飛ばすことなんて簡単よ。そうすれば一発で眠れるくらい、私は疲れているわ。もっとも、ここで寝てしまえば二度と目覚めることなんてないでしょうけどね。それでもいいわ。あなたが取り戻したかった海を、取り戻すことが出来るんだから。あと少しで、ね。
私がいなくなって、どうしても辛くなったら、別に再婚するのも全然良いわよ。それが信用できる人ならね。あなたにはないと思うけど、悪い女なんかに引っ掛かったりしたら、死んでも死にきれないわよ? 嫉妬しないなんて言ったら嘘になるけど、あなたがどうしてもと言うなら仕方なく許可してあげるわ。感謝しなさい?
……ねえ。
今までありがとう。
私の人生の九割が、あなたと、艦娘のみんなとでできているわ。
灰色だった人生に色を塗ってくれたのは、間違いなくあなたよ。
私はもう、いなくなってしまうけど、あなたなら大丈夫なはずよ。
バイバイ。
あなたのこれからの人生も、きれいな色になりますように。
私は柄にもなく、神様に祈ってみることにするわ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
彼女は暗い海の上を浮かんでいた。
目を瞑っていたため、外の景色を見ることは叶わなかったが、目を開けたところで、むかつくくらいに綺麗な星空が視界一杯に広がることは想像がついていた。だから目を開けることはなかった。開けてしまったら、また生にすがり付いてしまうような気がして。
心の中にあるのは、満足感と、少しの恐怖だけだった。敵を倒せたことには、十分満足していた。ただ、愛する者を一人にしてしまう恐怖がそこにはあった。彼女にとって、それは死ぬことよりも恐ろしいことだった。ただ願っていた。愛する者の幸福を。
神様なんか信じちゃいない――――
彼女は心の中で呟いていた。だが、祈らずにはいられなかった。これから先の世界のことを。もう、彼女は知ることができないのだから。それはとてつもない歯がゆさを彼女に与えていた。しかし、もうどうしようもなかった。指の一本すら動かすのが億劫になっていた。
何時間、こうして浮かんでいるのか分からなかった。もしかしたら救助の要請を出してくれているのかもしれないが、彼女にとってそれはもうどうでもいいことだった。自分の身体のことは自分が一番よく知っている。もう、助かる見込みは零に近かったし、生き残れる気もしなかった。
冷たい風が彼女の体を撫でていった。身震いのひとつでもしたかったが、生憎体は動かずに、ただ体温が下がっていくだけだった。不思議と、苦しさはなかった。
瞼の裏に、光を感じた。夜明けだ、と思った。彼女はうっすらと目を開いた。
いまだ、命乞いをするように残っている星空が、太陽の光にかき消されようとしていた。橙色の空に薄く浮かび上がった星空は、今まで見てきた空の中で一番輝いて見えた。日の光が彼女の体を暖めた。寂しさが消えていった。彼女の心の中から、恐怖は消え去っていた。ただ安心だけがあった。彼ならきっと大丈夫だという、根拠のない安心が。
彼女は、それで十分だった。頭上の、消え行く星空に左手を伸ばした。もう少し腕を伸ばせば、その星たちを掴めるような気がした。
銀色に輝く指輪が、自信の存在を主張するようにして、太陽の光を反射した。宝石なんかが付いているわけでもなかったが、それはきらきらと輝いて見えた。彼女は微笑み、その光をじっと見つめた。
「綺麗……」
かすれた声で彼女は呟いた。何が綺麗か、呟いてから考えたが、それが何かは分からなかった。綺麗なものはたくさんあったが、それが朝焼けに照らされた橙色の星空なのか、暁の光を反射して、宝石のように輝く指輪なのか、優しく吹く風に、ゆらゆらと揺らされて煌めく海なのか、何を指して綺麗だと言ったのか、彼女には理解できなかった。ただ、全てが綺麗だった。
彼女は満足したように微笑んだ。普段はなかなか見せない笑顔だった。
ゆっくりと瞳を閉じて、瞼の裏で朝の光を楽しむことにした。彼女の左腕が力を失い、音をたてて水面に落ちた。その時の水飛沫が彼女の頬を濡らしたが、その事について何かを言うことはなかった。もう、身体のどこも動く気がしなかった。
ただこのまま眠ってしまうだけだった。もう、十分だった。
「……ありがとう」
彼女はゆっくりとした口調で言った。消え入るような声だったが、彼には届いた気がした。それが彼女の最期の声だった。
彼女の顔を濡らした水滴が、頬を伝って海面に落ちた。