彼は会社でバイキングにも行くくらいの甘党だと知られている。だからだろうか、女子社員の一人が限定スイーツを持ってきた。なんでも一緒に食べようと思っていた友達がダイエット中で今はいらないと突っ返してきたらしい。笑いながら「よかったら、どうぞ」なんて渡された。
ありがたく受け取り、自分で食べようかなんて思いながらも彼女への手土産とすることを決める。
彼は今日の仕事も無事に終わり、手土産もあるし彼女の元にでも行こうと、浮足立ちながら歩を進めた。先日発売したばかりのお気に入りのアーティストの新曲を聞きながら。
彼女のアパートに着き部屋に行く。インターホンを押そうかと思ってドアのほうを見ると、少し開いているのが気にかかった。「すわ、強盗か泥棒かもしれん」と少しだけある正義感のようなものに火がついてか、そっとドアを開いていく。傍から見ればまるっきり不審者のそれであったが、幸い見ているものは誰もいなかった。
ドアの先には見慣れた廊下があった。彼女の靴と、見知らぬ靴があった。靴を脱ぎそっと足を忍ばせながらリビングを目指す。つと思い出し、慌てて耳からイヤホンを外す。すると彼女の声が聞こえてきた。声の聞こえてきた方向――彼女の部屋へと向かう。
またも半開きになっていた、彼女の部屋の扉を開き扉を開く。
急に声を掛けたらびっくりしちゃうかな、なんてイタズラ心もあったし、でも電話の最中だったら声を掛けるのはやめておこう、なんて常識的な気持ちもあった。
扉を開いた先では彼女の声はより明瞭に聞こえてきた。それは聞きなれた声であり、今聞こえている声を認めたくない声でもあった。
彼女はこちらに気づくといつものように「あれ、どうしたの」なんて何でもないことのように言ってきて、でもそのシチュエーションはいつもとは程遠くて……。
彼女は彼の知らない男と楽しそうに気持ちよさそうにまぐわっていた。
「な、なにをしているんだ」
「なにって、セックスだよぅ」
認めたくなくて、思わず声を掛けてしまったが、声を掛けないほうがよかったとすら思える。何でもない事のように彼女は答えた。
「う、う、うわぁぁぁあぁぁぁあああああ」
現実を直視できなくて、あらぬ叫び声を上げながら、――手提げ袋が落ち、中のスイーツが潰れるような音に気づくこともなく――彼は部屋を飛び出していった。きちんと脱いだ靴を履くこともせず、靴下のまま階段を危なっかしく降りていく。目の前が溢れ出る涙で滲んで見えなくなっていた。
どこを目指すでもなく、柵に引っかかって転がるようにアパートを出て走っていく。
彼の失敗は事前に連絡をしなかったことか、あるいは彼女の人間性を見誤っていたことか、あるいは彼の男としての魅力が不足していたのか。定かではないが彼は運に見放された。
彼女に悪意はなかった。
いつものように恋人の一人と情事に耽っていただけである。だから突然彼が入ってきても気にしなかったし、気軽に挨拶をした。彼女はそこらへんの考えが緩かった。
彼が出て行った後も「どうしたんだろうねー」なんて言いながら情事を続けていた。
トラック運転手に非はなかった。いや、法律的には非があるのだが、情状酌量の余地は十分にあった。だが現実は非情ではあった。
河川敷の橋を安全運転で車を走らせていた。橋が終わるころ、突然飛び出してきた彼に車体がぶつかり、彼はよろめいたように河川敷を転がっていった。
トラックトラック運転手は周りも見ずに、急いで車を止め、車から飛び出して彼の後を追っていった。
彼は運悪く転がっている最中に石にでもぶつけたのか、頭から血が出ていた。それはゆっくりとコンクリートを赤黒く染めていく。日の落ちた時間にあって、街灯でほんのりと照らされたそこは、汚れかシミのように広がっていく。
トラック運転手は慌てたように男に声を掛けながら体を揺する。こういう場合には体を揺するのは悪手ではあるのだが、トラック運転手の頭にそのようなことは浮かびもしなかった。
声を掛けても揺すっても返事がないことからトラック運転手は慌ててポケットをまさぐり、携帯を探す。見つけたそれをお手玉のように手の中でわたわたさせながら取り落とす。画面に一筋のひびが入るが起動には問題なかった。「ええっと、ええっと」言葉にならない言葉を発しながら110番に電話を掛ける。トラック運転手はもう神に祈るしかなかった。
タクシードライバーは信号が青になったのを確認し、周囲を確認してから車を発進した。
少し前方、橋に差し掛かるあたりの対向車線にトラックがあるのが見えた。動いている様子がないことから駐停車しているのか、「あんなところに停めるとは、常識のない奴だなぁ」と思いながらも少し気にしつつも運転を続ける。
トラック運転手が放っておいたトラックは橋の終わりごろに左寄せもハザードランプもなく置いてあった。橋の終わりごろなのもあり先が見通しにくかった。
だから、この結果も十分起こりうることではあった。
トラックの車線から自家用車がトラックを避けようと反対車線に飛び出したのだ。前方があまり見えない中、その自家用車は減速をせずそのままのスピードで走っていった。
タクシードライバーが気付いた時には遅く、ブレーキは踏んだが間に合わなかった。ぶつかる瞬間
のタクシー車は時速20kmを切ってはいたが、相手があってのことだ。結局意味はなかった。避けられる幅があればよかったが右にはトラックがあって左には歩道があった。どちらかにぶつかっていれば、あるいはということもあったかもしれない――まぁそんなことを考える時間もなかったが。エアバッグと相手の車に押し込まれ、断末魔の悲鳴を上げる間もなくタクシードライバーは息を引き取った。痛みも恐怖も感じる間もなく逝けたことは、ある意味幸運だったのだろう。
自家用車に乗っていた男は右手にタバコを持っていた。運転をしながら吸っていたのだ。それが幸か不幸か、ぶつかった衝撃で体が前方に投げ出された際、右手が車体フレームにぶつかり体が回転しながら飛び出していったのだ。勢いを殺されながら吹っ飛んでいった。タクシーのボンネットに乗り、転がりながら落ちていく。息が詰まりながらも呼吸をし、頭から垂れてきた血に視界が見えなくなる。
助かったと思ったその運命も、当然のように終わる。後続車が男にぶつかり、乗り上げタクシーにぶつかる。すでに満身創痍で体も丈夫でなかった男は、体の痛みと痺れを感じながら気を失った。遠からず出血した血か、あるいは強打された内臓か、彼の命も尽きるだろう。
彼女が貞淑で、たった一人に尽くしていればこんな悲劇はなかったかもしれない。
彼が彼女に一報していれば、彼女は今日は予定があるからと断ってくれたかもしれない。
トラック運転手があんなところに車を置かずに、もっと邪魔にならないところにおいていれば、いやせめて、左寄せとハザード程度していればその後の事故は防げたかもしれない。
タクシー運転手はトラックの陰から飛び出してくる可能性をもっと考えていれば死なずに済んだかもしれない。
自家用車の男はもっと思慮深く、前方が見づらいということを気にすべきだったかもしれない。
物事は、因果はめぐる、車輪のように。誰かは誰かに影響され、誰かは誰かを傷つける。幸せも絶望も、喜びも悲しみも、いつが誰が原因かも始まりかもわからない。
結局己が命運は自分でつかむしかないのである。
ピタゴラスイッチ分が足りないのでそのうち書き直すかもしれない。
小説を書くのって難しいね