しかし、2人は再会する。
「よくぞ戻った、わが息子ウィルよ!」
この日、レイドック王国は大魔王デスタムーアを倒した救国の英雄にて王子であるウィル殿下を盛大に迎えた。王子ウィルは父に
「父上、人々の悪夢の元凶たる大魔王デスタムーア、六人の仲間たちと共に討伐してまいりました」
ウィルの六人の仲間、バトルマスターのハッサンとアモス、賢者のミレーユとチャモロ、パラデインのテリー、そして魔法戦士のバーバラである。ウィルは人々の職業を司るダーマ神殿でも初めて輩出した勇者であった。デスタムーア配下の四魔王をことごとく打ち破り、ついに巨悪であるデスタムーアを討ったのだ。
「よくやった!大魔王はお前たちの活躍により滅び去った!見よ、この済みわたる空を!感じよ、心地よい風を!それこそが真の平和のあかし!それをもたらしたのが我が息子とは父として、これほど嬉しいことはないぞ!」
母のシェーラも感涙し
「ウィル…。本当によくがんばりましたね…。あなたの使命はもう終わりました。これからはこの国の王子としての生活に戻るのですよ」
レイドックに凱旋に来た時、すでにハッサン、ミレーユ、チャモロ、テリー、アモスとは別れており、レイドックにはバーバラのみが一緒に来ていた。
いつもはあんなにやかましかった馬車の中がいやに静かで広く感じた。船酔いならぬペガサス酔いに悶えるテリー、うたた寝でもいびきが凄まじかったハッサン、壁にもたれて読書していたアモス、いつも何か勉強していたチャモロ、いつも頭を抱えてパーティーの金勘定をしていたミレーユ、馬車の中にはそれぞれの場所があった。
馬車の御者を務めていたのはウィルだった。愛馬ファルシオンが一番言うことを聞いたのはウィルだったからだ。バーバラの居場所はその御者台のすぐ後ろだった。幌越しにいつも楽しく話をしていたものだった。
しかし、ここに来るまでバーバラは一度も自分の定位置に座らなかった。一番後ろに座ったまま黙っていた。
二人だけ。時々持ちたかった、そんな時間。いざ得てみたら何と寂しいものか。
父レイドックにこうして対していてもウィルは隣にいるバーバラが気になって仕方なかった。デスタムーアを討つ前まで、まさに元気の塊のようなバーバラが沈んでいた。分かっている。バーバラはもう、自分たちがいる世界に留まっていることは出来なくなると。
デスタムーアを討って、すぐにクラウド城に行き、改めてその現実をゼニス王より言われた時、大魔王を討った充実感に湧く自分たちの余所で、一人仲間たちと離れ離れにならなくなる寂しさの中にあったのだ。
「ところで、先ほどから気になっていたのじゃが、隣にいるかわいい娘さんは誰なのだ?」
視線が自分に集まったことに気づくバーバラ。
「…え?え?私のこと?」
「よいよい、しかしウィルもこの儂に似て中々隅みに置けんな。そんなにかわいい娘さんを連れて戻って来るとはなぁ…」
「か、かわいいなんて…」
「あなた」
と、シェーラ。
「おお!そうであったな!皆のもの、宴の準備じゃ!ウィル、お前の友人たちも呼んでおるぞ!さあ宴じゃ、宴じゃ!」
一斉に花火が上がった。城のテラスに出て領民たちに手を振って微笑むウィル。
もう、昨日まで苦楽を共にした仲間ではない。私の好きなウィルは一国の王子様、いやそれ以前に私はこの世界に留まれない。どう望んでも、これから共に生きていくことは出来ない。皮肉なもの、私が彼と一緒にいられる時をくれたのはデスタムーアではないか。そのデスタムーアが倒れた今、もう私たちは離れるのが運命なのだ。
宴は続く、先にそれぞれの故郷に帰った仲間たちもやってきた。ミレーユはレイドック将官と踊り、チャモロは同年ほどの少女と楽しく踊っていた。アモスは
「ウィル、紹介するよ。私の妻だ」
新妻を連れて来ていた。
「久しぶりだねウィル」
「これは驚いたな、サリィとアモスが夫婦に!」
サリィは伝説の武具の一つ『ラミアスの剣』を鍛えなおした女である。
「いやね、ロンデガセオで初めて会った時から言い寄られていたのよ私」
「へえ、そんなにアモスが女性に積極的なんて知らなかったなぁ」
アモスのアプローチを思い出したか、サリィは吹き出して
「ご本人は口説いているつもりだったらしいのだけどね。『何の用だ、ハッキリ言えよ』と私が言っても『よい天気ですね』とか何とか」
「あっははは」
思わず笑ってしまったウィル。
「私も馬鹿じゃないから、この人が物好きにも私みたいな筋肉女に惚れてくれていることは分かったよ。だから大魔王をぶっ倒したら嫁になってやると約束したのよ」
「それで大願成就ってわけだね」
「今後は亭主とモンストルで落ち着くつもりさ。ウィル、お前もバーバラに早く気持ちを伝えなよ」
「え?」
「それがいいウィル、たとえほんの一瞬でも」
サリィは良人アモスの『ほんの一瞬でも』と云う意味は分からなかったが、ウィルと良人の顔を見て質問も出来なかった。
「ありがとう、アモス」
「玉座の間の方にさっきバーバラは上がっていった。いま一人だ、行け。ここは私がごまかすから」
実はウィル、さっきから家臣や領民に囲まれて動けなかった。
「せーの!」
アモスが一瞬モンスターに変身。
「「わああああッ!!」」
ウィルを囲んでいた者が一斉に散った。だがアモスはすぐにヒトの姿に戻り
「あっははは!少し酔ったかな、皆さん、これが私の一発芸です」
人々が安堵したころ、ウィルはバーバラを追って走っていった。
◆ ◆ ◆
玉座の間に一人立っていたバーバラ、ウィルはバーバラの姿を見た瞬間に絶句した。半分透明になっていたのだ。
「バーバラ…」
「あっ、ウィル…」
「な、何か手はないのか。俺は君と離れたくない…」
「私もよ、ずっとずっと一緒にいたいよ…。でも」
笑顔を見せるバーバラ、でもその愛らしい瞳からは涙が流れ落ちて止まらなかった。
「馬鹿…。別れが悲しくなるから一人で消えて行こうと思ったのに…」
「バーバラ!」
抱きしめるが、もはや風を抱いているようだった。感触がほとんどない。
「寂しいけれど…そろそろお別れの時が来たみたいね…。ほら、私はみんなと違って自分の実体が無かったから…」
バーバラの姿が白く光り、姿が薄くなってきた。
「バ、バーバラ!」
「さようならウィル…」
「い、行かないでくれ!俺は、俺は!」
「みんなにもよろしくね…。私はみんなのこと絶対に忘れないよって…」
「バーバラァァァァッ!!」
失って初めて分かる大切な人、ウィルにとってはバーバラであったのだろう。
初めて会って以来、毎日死線をくぐり抜ける戦いを共にしてきた。戦闘中では目を見れば互いが何を考えているか分かった。彼女が傍らにいることはウィルに自然であった。でもバーバラはウィルに微笑みながら、その姿を夜空に消した。夢なら覚めてくれと思った。
もう二度と会えない、大魔王デスタムーアを倒した喜びも飛んでしまった。
思い切り泣いた。そして思った。バーバラだってみんなと別れるのはつらかったはず。それなのに、最後は笑って消えていった。
いつまでも泣いていられない。バーバラのことは忘れない。ただもう二度と会えないのだということを認めよう。そう何度も自分に言い聞かせるが気持ちの整理はつかない。会いたい…。そればかり募る。
だが、時はウィルに関係なく流れていく。
ウィル当人も彼の父母も、その『時』が、徐々に解決していくのを待つしかなかった。そして、少しの歳月がバーバラを失った悲しみを乗り越えさせた。
王子としての暮らしに戻り、帝王学を学び、政治に関するあらゆる知識を父母や重臣たちから学んでいくウィル。世界のVIPと強力な繋がりがあるのも利点だ。アークボルト、ホルストック、ガンディーノ、フォーンとはすぐに友好の約も交わされた。
◆ ◆ ◆
デスタムーアを倒して2年が過ぎた。王太子ウィルが花嫁を迎えた。ライフコッドのターニアと云う娘。
かつてウィルが妹と呼んだ娘である。多くの拍手を受けてウエディングロードを歩くウィルとターニア。ハッサン、ミレーユ、チャモロ、テリー、アモスも祝いに駆けつけて、教会を出た二人に薔薇の雨を降らせた。ターニアに恋していたランドは未練がましいと思われるのが嫌なので、悔し涙を流しながらも薔薇の雨を降らせていた。
この一年後にウィルは戴冠、レイドックの王となり、同年に王妃ターニアが待望の男子を生んだ。名前はマルスと名づけられた。
そして、さらに七年の歳月が流れて行った。
この間、ハッサンの陣頭指揮によりレイドック城が大幅に改修工事されて、その様式美を誇り、そのハッサンの妻にはミレーユがなった。夢占い師として独り立ちして間もなく、彼女はハッサンの求婚に応えた。世界一の醜男が世界一の美女を嫁にしたと評判になった。アモスはモンストルの町長となり、妻のサリィとの間には四人も子がいるらしい。
チャモロとテリーは相変わらず独り者だが、チャモロはゲント族の族長となり、レイドックの医療顧問も務めている。テリーは気ままな旅を続けて、方々で女を作っているらしい。
ターニアもこの間に二人の女の子を生んでいる。さすが元は農村の娘、体は丈夫で安産型のようだ。ウィルの治世はレイドックをより発展させた。ウィル自身に政治手腕があったからではないだろうが、優れた者たちが多く王室に仕えていたのだ。モンスターに荒らされた土地も開墾し、治水も行い、徐々にだが一国の王として風格もつけていった。
そしてウィルとターニアの長男マルスは七歳となった。
「立てマルス!」
「もう立てないよ父上…」
「ええい!男子が簡単に泣くな!悔しかったら父に一本入れてみろ!」
マルスは七歳になると剣の修行を父に課せられた。ウィル自身も七歳から父のレイドックと兵士長トムより厳しい修行を受けた。魔王ムドーの恐怖が席巻していた時代であるから、父とトムの課す修行は生易しいものではなかった。彼はこの幼い時からの修行が後にデスタムーアを倒すに至った地力と思っている。
師は父のウィル自らだ。今日も城内の錬兵場で息子を鍛えていた。
今の世は平和であるが、ムドーやデスタムーアがいなかろうと世界にはまだモンスターは存在する。まず父親として息子に与えなくてはならないのは自分を守る力。動乱を生きたウィルにとっては確信とも言える理念である。
しかし当の息子マルスはウィルの幼年期とはほど遠い泣き虫だった。父の模擬刀に打たれ、すっかり怯えてしまっている。焦れたウィルは無理やり立たせようとするが…。
「あなた、もう止めて下さい!マルスはまだ七歳じゃないですか!剣の稽古はまだ無理です!」
たまらず母親のターニアがマルスを庇った。怯える息子を抱きしめて良人を睨んだ。
「ターニア…。母親のお前がそんなに甘やかすからマルスは弱いのだ!」
忌々しそうに模擬刀を錬兵場の床に放るウィル。ますます怯えて母のターニアにしがみつくマルス。
「こんな脆弱で一国の王となれるか!レイドックは代々武を尊ぶ王家だ。家臣や領民に対して強さを示さねばならないのだ!」
「ですが…何も七歳の子供に」
「俺が七歳の頃には父とトムに毎日木刀で打たれていた!母のシェーラも今のお前みたいにいらぬ庇い立てもしなかったぞ!さあそこを退け、今日の修行はまだ終わっていない!」
「僕、いやだ」
「なに?」
「喧嘩に強くなければなれない王様なんて嫌だ!」
自分を抱きしめるターニアを振り払い、マルスは錬兵場から出て行った。
「マルス!」
ターニアはウィルをキッと睨み、そして息子を追いかけた。錬兵場にはウィルが一人ポツンと立っていた。
「コホン」
「フランコ、見ていたのか」
錬兵場の入り口で兵士長のフランコが立っていた。ちなみに先代の兵士長トムは王太子マルスの守役で、マルスには『じい』と呼ばれている。
「ええまあ、覗くつもりはなかったのですが」
「フランコ…」
「はい?」
「自分が出来たのだから子にも出来る…。やはり間違っているのかな、これは」
「おやおや、もう弱音ですか?」
「茶化すなよ」
「まあ、かつて陛下とお仲間たちをさんざん悩ませたホルストックのホルス殿下も今では評判の名君、焦ることはないと存じますが」
「そうだな。ところでどうだ?久しぶりに立ち合ってみるか」
「これはありがたい。お相手しましょう」
◆ ◆ ◆
その夜、就寝していたウィルにある事件が伝えられた。マルスが城を飛び出したと云うのだ。横で寝ていたターニアはすぐに探しに行った。置手紙には
『父上なんか大嫌いだ。僕は城出します』
寝室でそれを読んだウィル。
「あの馬鹿が!」
母のシェーラも知らせを聞きウィルの寝室に来た。
「そういえばあなたも剣の修行に耐えかねて家出したことあったわねぇ…」
「そ、そうでしたっけ?」
「ほら、置手紙の文面も同じ」
孫が家出したと云うのに気楽なものだ。
「ウィルはもっと字が汚かったけれど」
「参ったな…。で、ターニアとトムはすぐに探しに出たのか」
家臣に訊ねたウィル。
「はい、妃殿下とトム殿だけでなく、兵士も捜索に出ております」
「世話の焼けることだ。私も探しに行こう」
マルスは泣きべそをかきながら歩いていた。
修行に耐えかねて城を出たのは良いが、夜に一人で歩くに心細くなり戻ろうとしたが帰り道が分からなくなってしまった。そんなマルスを見つめている視線があった。
(かわいい、この子がウィルとターニアの子かぁ…。家出とは中々やるじゃん)
しまいには泣きだしたマルス
「うえーん、母上~」
(あらあら、泣いちゃった。でも私にこの子を城に戻してあげることは出来ないし、どうしたものかなぁ…)
泣きだしたことが幸いした。ターニアが声を聞いてマルスを見つけたのだ。
「マルス!」
「は、母上!」
マルスを強く抱きしめたターニア。
「馬鹿、お城を出て行くなんて」
「だって…」
「母さんと父さんに心配かけないで」
「…父上は心配なんかしていないよ。僕みたいな弱虫、どうでもいいんだ」
「それは違う、父さんはマルスのことを愛しているから厳しいの」
「……」
「とにかく、お城に帰りましょう」
(へえ、ターニアいいお母さんしているなぁ…。ん?)
ターニアも気付いた。大きな羽の音がして、そしてその音を発している何かがターニアとマルス向かってきた。
(やば!ヘルホーネットじゃん!)
スズメバチが巨大化したようなモンスターである。ターニアとマルスは知らないうちにこのモンスターのテリトリーに入ってしまったようだ。一体のみだけと云うのがせめてもの救いか。
「母上!怖いよ!」
「だ、大丈夫よ」
ウィルなら一蹴できるモンスターだが、ターニアとマルスではそうはいかない。ターニアも体が震えた。ヘルホーネットの剥き出しの針、針と云うより鋭い槍ともいえる。敵意が籠った目で睨まれ、動くことが出来ない。
(待て、この!ベギラマ!)
しかし呪文は発動されない。
(くっそー!私ではどうすることも出来ないよ!)
ヘルホーネットが襲いかかってきた。ターニアはマルスを抱きかかえてかろうじてよけた。あの針の先端から紫色の液体がたれている。おそらくは毒、刺されたら終わりだ。ターニアはマルスの手を引いて、何とか走り出した。しかし羽を持つモンスターから逃げ切れるものではない。猛烈な体当たりをくい、そして倒れかけたターニアの背に
「あぐっ!」
ヘルホーネットの針が突き刺さった。
「は、母上!」
「マ、マルス、逃げなさい」
「やだ!母上を置いて逃げるなんて!」
石を拾ってヘルホーネットに投げるマルス
「あ、あっちにいけ!」
(タ、ターニア!くそっ、どうしたらいいんだろう…。このままじゃターニアと坊やも死んじゃうよ…。よし、やれるだけやってみよう!)
声の主はマルスの耳元に寄り
(恐れるな…)
「……?」
(お前には勇者の血が流れている)
「だ、誰なの?」
何とか言葉を伝えられたようだと安堵した。
(私は山の精霊…。父母から聞いていよう、かつてお前の母ターニアに乗り移り、そしてウィルに旅立ちを告げた者なり)
いつも寝物語に聞かされたことだった。その精霊様が僕に言葉を。
「た、助けて下さい山の精霊様!」
(良いか、私と同じ言葉を唱え、そして念じよ)
「は、はい!」
(聖なる炎よ)
「せ、聖なる炎よ」
(我が槍となり邪悪の者を焼きはらえ)
「我が槍となり邪悪の者を焼きはらえ」
突如、マルスの手に火の弾が発した。
「な、何これ!」
(それが火炎呪文メラだ)
「それが火炎呪文メラだ」
(もう復唱せんでいい!それをモンスターにぶつけるのだ。ボールを叩きつけるように放て!)
「はい!」
(メラ!)
「メラ!」
「ギャアアアッ!!」
メラの直撃を食い、ヘルホーネットは焼け落ちた。
「は、母上!僕出来たよ!」
しかし、ターニアの意識はもうなかった。
「は、母上!母上!」
ヘルホーネットが巣から次々と出てくる。その時、風を切り裂く一閃、ブーメランである。ヘルホーネットの群れは残らず蹴散らされた。
(ウィル…)
愛馬ファルシオンから降りたウィル。
「父上…」
マルスを一瞥したウィル、倒れるターニアに歩み触れた。
「キアリー」
ターニアの体内にあった毒素が消えた。そして回復呪文を唱えると目が覚めた。
「あなた…」
「もう大丈夫だ」
その横で怯えているマルス、家出したうえ母上をあやうく死なせてしまうところだった。どんなに怒られるだろうか。父の顔を見られないマルス。
(駄目、駄目だよ叱っちゃウィル!坊や頑張ったんだよ!お母さんを守ろうと!)
マルスとウィルの間に入るが、その姿を見ることが二人には出来ない。手をゆっくりとマルスに出すウィル。叩かれる、そう思った。しかし
「お母さんを守って戦ったか、えらいぞ」
頭を撫でた。
「え…?」
「愛する人を守るために戦う、剣はそのために使うもの。その気持ち、忘れるな」
「は、はい!」
「さあ帰ろう」
ターニアとマルスをファルシオンに乗せたウィル。
「でも父上、どうして僕がここにいると分かったの?」
「父もな、お爺ちゃんとトムの修行に耐えきれず城を飛び出したことがあった」
「本当に?」
「そして、このあたりで心細くなって泣きだして帰ってしまった。お前は私の息子、同じところで泣きだすのではと思ったのだ」
「ね、だから言ったでしょう。お父さんはマルスを愛しているって」
「うん!」
「私はルーラで帰る。先に帰れ」
フォルシオンの腹をポンと叩くと、ファルシオンはターニアとマルスを乗せて城に向かって走り出した。
(…ウィルもいいお父さんやっているね)
さて、帰るか、そう思いウィルに背を向けたその時だった。
(……!)
「バーバラ」
背中からウィルが抱きしめてきた。無論双方に感触はない。気持ちだけだ。
(ウィル…)
分かってくれたの?ここにいるって。
「姿は見えなくても分かる」
(ウィル…!)
涙が溢れる。気づいてくれた。姿が見えない私を。
かつて好きになった少年は大人になった今も、自分を愛してくれていた。だから気づいてくれたのだ。
バーバラはゼニスに頼んだ。一度でいいからあちらの世界に行ってみたいと。無論透明人間であろうが、バーバラはどうしてもウィルが今どうしているか見たかったのだ。気づいてはくれないだろう。でも顔を見られれば良かった。かわいい奥さんと子がいるウィル、幸せそうなのを見て満足だった。
そして帰ろうとした時、何とウィルは透明人間の自分に気づいてくれた。マルスにやったように耳元でささやく。
(幸せそうだねウィル)
「ああ、あの冒険が今では夢だったかのように思えるよ」
(私ね、クラウド城での修行も終えたので、そろそろカルベローナの長老となるの)
「そうか」
(その前にゼニスにわがまま言って、一度だけこっちに来たの。会えてよかった)
「俺もだよ」
(…でも、もう時間だわ)
「今度こそ、今生の別れか」
(また会えるよ…。きっと…)
風が吹いた。バーバラの気配が消えた。
「バーバラ…」
◆ ◆ ◆
時は流れた。ウィルたち英雄たちの活躍も伝説となり、彼らも老い、そして天に召されていった。ハッサン、アモス、テリー、チャモロ、ミレーユもすでに没し、いま生きているのはウィルだけである。
「あなた、薬湯です」
「ありがとう、ターニア」
ベッドのうえで薬湯を飲むウィル。
「ふう」
「さあ、あなた、横になって」
布団を良人にかけるターニア。
「ターニア…」
「何です?あなた」
「面白い人生だったよ。ありがとうな…」
「何をこれで最後みたいなことを…。マルスはまだまだ父上に教わりたいと言っていましたよ」
「いや…。もう教えることは何もない。マルスは父や俺よりも素晴らしい王になった。あの泣き虫が立派になって…」
「あなた…」
「しかし…。一度でいいから浮気ってのしてみたかったなぁ。はっははは」
「あ、あなたったら…」
ターニアは泣きだした。ウィルは大国の元首でありながら妾は持たなかった。かつて妹と呼び、妻としたターニアを生涯大切にした。
「ならば、これからすればいい」
「え?」
「いつか話してくれましたね。はやてのイリアと、しっぷうのジーナ夫婦のことを」
「ああ…」
「二人は同日に死に、そして夢の世界で子供に生まれ変わっていたと」
「……」
「だからあなたは…夢の世界でバーバラさんの恋人として生まれればいい」
「ターニア…」
「私はもう十分すぎるほどあなたから愛をいただきました。今度はバーバラさんに…。私も女だから分かります。大好きなのに、愛しているのにあきらめなくちゃならない悔しさや哀しさが」
「ありがとう…ターニア…」
「大好きよ…ウィルにいちゃん……」
ウィルは翌朝、天に召された。笑顔に満ちた安らかな顔だったと言われている。墓は質素なもので良い、生前のウィルの言葉通り、彼の墓は質素だった。花を添えたターニア。
「あなた…。バーバラさんとは会えた?」
空を見上げて微笑むターニア。
「私はまたあなたの妻として生まれたい…」
◆ ◆ ◆
魔法都市カルベローナ、その長老の元に知らせが届いた。
「バーバラ様~!」
「何です?」
「バーバレラ様の像に新しい子が!」
「え!?」
魔法都市カルベローナは大魔女バーバレラが作った都市。肉体は朽ちても魂は像に宿ると言われ、千年に一度くらいの周期で新しい長を生み落とす。正直妙だと思ったバーバラ、自分が生み落とされてから千年どころか百年も経っていない。走って像の前に行ってみると報告しに来た男の頭を軽く小突いた。
「よく見なさいよ、男の子じゃない!」
「あ、そうですね」
長老は代々女が継ぐものである。当然生み落とされる子は女の子であるが、像の下にいた子は男の子であった。オギャアオギャアと泣いている。
「かわいそうに、捨てられたのかな」
赤子を拾って抱いたバーバラ。泣きやんだ。
「だとしたら不届きですな。すぐに父母を探して罰しましょう」
「いえ…」
「は?」
「こ、この子は自分の意思でここに……」
赤子をギュウと抱きしめるバーバラ。目には涙が浮かんでいる。
「ああ、分かる。抱きしめたら分かったわ、あなた…ウィルね…」
「だあだあ」
バーバラに微笑む赤子。
「また会えた…。そしてもう離さない…。大好きよ、ウィル…」
完