[ゆるい神話 スタルニル教編 上]
─創世
「私はえらーい神様 マスティマだ
だけど独りぼっちは寂しいなぁ……」
「という訳で従順な精霊神を四柱 生み出したぞ。
みんなよろしくぅ」
「だが断る」
「近寄らないで」
「こっちくんな」
「腹減った」
「………」
「ニッコリ」
─聖柄
「私はえらーい神様 マスティマだ。
みんなとお近付きになりたいから 手土産を作ったぞ」
「金槌 盃 旗 剣を持ってきたから 好きなのを選んでいいぞ」
「じゃあ金槌」
「この盃なら汚くなさそうね」
「何このヒラヒラしたの?」
「腹減った」
「喜んでくれたみたいで嬉しいなぁ」
「ニッコリ」
─役割
「私はえらーい神様 マスティマだ。
プレゼント大作戦のお陰で仲良くなれたぞ」
「ちょっと様子を見に行こう。
使ってくれてると嬉しいなぁ」
「鉄を!熱して!叩く!」
「お酒が無限に湧いてくるわぁ〜」
「バッサバッサ」
「腹減った」
「あんなに夢中になってくれるとは」
「ニッコリ」
─誕生
「私はえらーい神様 マスティマだ。
なにやら事件が起こったらしい」
「いったい何があったんだ?」
「鉄を打ってたら金槌が飛んで太陽になった。
しかも打ってた鉄が金槌を追っかけに行って月になった。
あと 火花が星になってた」
「間違ってお酒をこぼしちゃったの。
でも 下界に落ちたお酒が塩辛くなっちゃって。
あと しばらくこぼした事に気づかなかったから下界の大半が酒浸しになっちゃったわ」
「一心不乱に旗を振り回してたら勝手に風が吹くようになった。
で 汗かいたら蒸発して雲になった。
それにキレそうになるとゴロゴロピカピカなるんだが」
「剣を下界に刺したら食べ物と生き物が生まれた。
剣を抜いたら砂漠になったから慌てて刺し戻した。
腹いっぱい」
「地球が出来た!」
「ニッコリ」
誰しも 得意な事 苦手な事はある。
このわっちだって魔法は得意だが 白兵戦は苦手だ。
なら なんで重い鎧を着てるのか?
それを話すにはまず 昔の事を話さなきゃならない。
わっちが産まれたのはヘルネラント領の都市 アウリッツ。
騎士の父 魔道士の母上を親に持つ次男で 長男と同様騎士として育てられてきた。
だけど 兄が日々成長する一方でわっちは一向に上達せず 日を追うごとに父からの当たりが厳しくなり 兄からは愚弟だと思われるようになる。
それでもめげずに頑張ったはいいが 才能がないのか見返すことも認められることも叶わなかった。
あの頃が辛くなかったと言えば嘘になるが だからといって同情はされたくない。
そんな理由で母上には隠していたんだが 女の勘か親の勘か わっちの隠し事に気付いていた。
「アルトゥロ その怪我は?」
「階段を上っている時に転んだだけです」
「あなた 元気が無いみたいだけど」
「いえ 気のせいです」
自分では誤魔化せていると思っていたが 今思うと普通にバレていたな と。
わっちが11だか12の時に 母上が正面切って言ってきた。
魔法を学んでみないかって。
受ける理由は無かったが断る理由もなく ただなんとなく始めてみた。
当初はどうせ上手くいかないんだろうなぁと思っていたんだが 自分でもびっくりするぐらいに魔法を扱える素質があった。
成長しているという実感を初めて感じたものだから 魔法を学ぶのが楽しくて仕方なかった。
ヘルネラントの騎士団は十二の隊から成っている。
父が所属し 兄が目指している隊は騎馬隊。
わっちもそこへと修行をさせられていたが 母上の案で魔道隊なら希望はあるとして奨められた。
が それを父が許さなかった。
「我らの家系の男は皆 騎馬隊に属し活躍してきた。
嫡男から養子まで 例外なく!」
「ですが あの子には不向きな事よりも 得意な分野を伸ばした方がより良い筈……!」
「ならん! そもそもお前が余計な事を教えたばかりに 私を怒らせている事を自覚しているのか!?」
偶然通りがかった時に聞こえた会話。
その時は頑固だなといった程度しか思わなかったが 部屋に戻ってよく考えてみたら悲しくなってきた。
深い理由もなく ただ先祖が騎馬隊にいたってだけで騎馬隊に所属させられるって事に。
魔道隊入隊を拒否されたのがきっかけで 母上とわっちは家を出た。
父は大事にしたくなかったからか それとも愚息とそれを庇う母上はいらなかったのか 止めることも追うこともしなかった。
アウリッツを離れ ヘルネラントから出て 辿り着いたのはオーヴィネポリ領内の小さな農村。
ここで新たな生活が始まった。
母一人に子一人。
そんな二人組がやって来たら 噂になるのも無理はない。
最初から避けられがちになり 周りに人がいるにも関わらず いや 人がいるからこそ孤独感が襲ってくる。
母上はめげずに交流を深めようとしたが 結局は家にあげる程の仲になった人は出来なかった。
そしてわっちは 同年代の子と馴染もうにも接し方が分からず 家で本を読むだけの生活を送っていた。
父の元を離れてから数年。
その日は偶然にもわっちの誕生日だったが 当時はそんな事はすっかり忘れていた。
まだ暑さの残る夕暮れ時に家路につくと 珍しく母上が居なかった。
居ないこと自体はたまにあったが その日は待てど暮らせど帰ってこない。
仕方なく簡素な飯を食べて床に就き 夜が明けてから家の中を見て回った。
帰ってきた時には陰に隠れていて気付かなかったが 一枚の手紙が置かれているのを見つけた。
『アルトゥロへ。
あなたと共に過ごせなくなった事を あなたに看取ってもらえなくなる事を どうか許してほしい。
私が余計な事をしたばかりに あなたに不自由な生活を強いてしまった。
あなただけはせめて 誰にも縛られる事なく自由に生きなさい。
不出来な母親を 許しておくれ』
わっちは疑問に思った。
居なくなった事よりも 母上を恨んでる事を前提として書かれている事に。
わっちは恨むどころか 女手一つで育ててくれた母上に感謝すらしている。
余計な事 というのも魔法の事だろうと思い それもまた成長する喜びを教えてくれたのだから 余計だとは考えたこともない。
置き手紙を不思議に思いつつも 自由に生きろと言われた以上 今までやってみたかった事をしようと考え始めた。
家の中の物を整理していると 見たことの無い書物が出てきた。
家中の本は手垢で汚れる程に読み尽くしたつもりだったが まだ読んでいない書物がある事に驚き 恐る恐る題の無い本の中身を確認した。
酷く汚い字だが辛うじて読め 少なくとも母上の字ではないなと思いつつ読み進めていく。
『鎧の体』
副題と思われる文から始まるこの本は どうやら自身の身体を鎧に変質させる魔法が書かれているようだ。
読み解いていくと 一見便利な魔法に見えて その実リスクが多い魔法である事が分かった。
要約すると 一度変化してしまうと二度と元に戻ることが出来ず また傷付いた部位が自然治癒することもない。
治すには特殊な方法を用いると書いてはあるが詳細は記されておらず 少なくとも鍛治で直す訳ではない事が伺える。
覚える気は無いが長い呪文を黙読し ページを無意識に捲っていく。
最後の文の次に描かれていたのは 二つの魔法陣。
見開きにして1ページずつ 幅をギリギリにまで描かれた不可解なそれは パッと見ただけでは何を示しているのか分からない。
思えば 分からなかった時点で目を離せばよかった。
分からないなりに魔法陣を凝視していると 視界に違和感を覚えた。
何かが遮っているような 目の前に檻があるような。
目が疲れたんだろうかと思い 目を擦ろうと顔に触れると 金属の手触りと冷たさが手に伝わった。
一瞬 どういう事か理解出来ず 本をそっちのけに両手で顔をペタペタと触る。
明らかに皮膚の感触ではない硬さと温度。
不安が一気に襲いかかり 大慌てで鏡を取り出して覗き込もうとした。
だが いざ見るとなると怖くて 目を瞑ったまま鏡を眼前にまで持っていき 暗い洞窟から明るい外へ出る時のようにゆっくりと目を開けた。
鏡に映っていたのは 金属製の兜だった。
時間にして数秒だろうが 酷く長い時間止まっていた気がする。
ようやく動けるようになったかと思えば 鏡を落として文字に起こし難い叫びをあげていた。
さっきも言った通り 交流のある人はいなかったから叫びを聞いても様子を見に来る人もいなかった。
ただ独り 訳の分からないまま嘆いている青年が朝っぱらから騒いでいただけだ。
あれからの記憶が曖昧になってしまっているが 不幸中の幸いと言うべきか 変化していたのは頭だけだった。
あの魔法陣を見つめている時間が短かったからなのかもしれない。
もしそうだとして あのままずっと眺めていたらと思うと今でも怖気が立つ。
とにかく兜を誤魔化すため いらない本を売って得た資金と母上の遺産を合わせてプレートメイルを買った。
購入したとは言っても 鎧はオーダーメイドが基本で出来上がるまでには時間がかかる。
その間 なぜ兜だけなのかを怪しまれるのは必至な上 それをどう回避するかも苦労させられた。
鎧が出来上がれば問題は解決するかと思ったが 今度は生活面に支障が出た。
わっちが訓練を受けていたのは家を出るまでで 家を出てからは身体を動かした時間より本を読んでいた時間の方が長かった。
それに 才能がなかったのもあって剣はまともに振れず 鎧を着脱するだけでも息切れを起こした。
本当にあの頃は 思い出しただけで溜息が出る程に間抜けで非力だった。
この兜をなんとかしようと わっちは古今東西ありとあらゆる魔法を探すようになった。
ただ 一人で出来ることは限られているし 何より色んな経験が不足している。
そこに丁度団員を募集していた狩猟ギルド『ブルーウィング』に声をかけられ 修練も兼ねて入団を決意した。
その時に軽い自己紹介をする事になったんだが 何せ肉親以外の人物との関わりが浅い。
私と言うべきか僕と言うべきか 色々考えて思わず口に出た一人称が『わっち』
内心やってしまったと思い 一部の人からは笑われたけど その反応は不思議と嫌じゃなかった。
入団直後は散々なものだった。
全てを語るのは長すぎるので要約すると 初めての魔物討伐で無様な姿を晒してしまった。
仲間からは非難轟々だったが 副団長が気を利かせてくれたお陰で非常に時間はかかったものの 問題なく戦線に立てる様になった。
それでも何人かはまだ不信感を顕にしていたが 自信を付けたわっちにはむしろ乗り越えるべき壁に喩え そいつらを見返そうとした。
人生は楽な事ばかりではなく 当然ながら苦もある。
問題なく順調に進むこともあれば 立ちはだかる問題もある。
あの時 魔導書を読んでしまったせいで 望まずして兜になった頭の事で悩んでいた。
頭以外の防具は傷付いても修復できるが 未知の魔法で変異してしまった兜は通常の修理では不可能だと記されていた上 出来たとしてもそもそも外せない。
次第に汚れていくこの兜をどうにかしないとどう思われるか。
暇さえあれば図書館へと赴き 膨大な量の蔵書を読み耽っていた。
もともと本を読むのは好きだったからそこまで苦に思わなかったが 焦りというのは時間と共に増大していく。
何百何千の本を 何万何億の文字を目に通しただろうか 一縷の望みとも言える記述を発見した。
『黄金色の酒には全てを癒す力があるとされており 過去に醜悪な魔人へと変貌していく者を 元の秀麗な青年に戻したと云われている』
他人が見れば眉唾物の伝承だが わっちにとってはこれ以上ない助け舟に見えた。
そこから『黄金色の酒』へと焦点を定めて ギルドの活動の合間に書物を漁った。
異国へ行った際に朝早くから本を探したり 酒場の噂話に耳を傾けたり 時には離れた場所にある小屋を覗いて空き巣めいた事をしたりも。
努力が身を結んだのか あるいは運命か。
目当ての物が見つかった。
とある村にて 見たことの無い化け物が村を襲ったので打ち倒してほしいという依頼を受け 団長とその他何名かとで足を運んだ。
件の魔物を探し当てて襲撃するも あと少しの所で逃げられてしまい 痕跡を追っていくと小さな洞穴が見えてきた。
ここを住処にしている事は想像に難くないが非常に狭いため 誰か二人で攻め入る事になった。
いつもなら他人にその役目を譲るのだが この時は自分でも引くぐらいに率先して名乗りあげていた。
仲間の一人に冗談交じりに小突かれたが 今回の魔物は大して強くないと 団長に許可を貰った。
共に行く仲間は骨と鉄クズは拾ってやると笑いながら言い放ち 対するわっちも遺書の代筆なら請け負ってやると言い返した。
洞穴の奥でうずくまって衰弱していた魔物に止めを刺すのは 開いていた本を閉じる程に簡単だった。
魔物は右腕に酒瓶のような物を持っており 仲間がそれを引き剥がすように奪おうとしていた。
わっちはそれを尻目に洞穴の中を改めて見ると 二つの木箱と積まれた多数の石 棒切れのような炭が確認できた。
何故か生活感のある木箱に近寄ると 一冊の本を見つけた。
粗雑に扱うとバラバラになりそうな程に古びており 古書の表紙に目をやると時間が止まる感覚に陥った。
『金の酒』
確かにそう書かれている。
思わず声が出そうになるのを必死に堪えて 中の確認もせず 物を盗むようにこっそりと古い本を鞄の中へとしまった。
しまい終えたのと同時に仲間からは何かないのかと言われ わっちは悟られないように黙って首を降った。
仲間は旨味がないなとぼやきながら魔物の両足を持ち 早くしろと言いたげにこちらを睨みつけた。
催促に応じて怪物の両手を持ち上げたこの時の自分は 兜が無ければ気味の悪い笑みが見えていただろう。
あの依頼から数週間後 兜を治すために書物を読んでこっそりと準備を進めていた。
秘術の名は記されてないが 当時のわっちはそんな事すら気にせず 何かに取り憑かれたように酒屋や教会へと足を運んだ。
粗方の準備を整え 親に顔を見せに帰ると嘘をついて暇を貰い ある場所へと向かった。
母上と共に過ごし わっちの人生を変えた 忌まわしくも懐かしい実家へ。
ここを出てから一年も経っていないが まともに整備されていない家を見た時はひどく懐かしく感じた。
地下にある収納スペースならばとボロボロの床板を外し かび臭い地下室もどきへと足を踏み入れる。
不思議と蜘蛛や鼠がいたような形跡は見当たらず これならすぐに始められると思い 蝋燭に火を付けて床板を閉じた。
それぞれの文字が刻まれた手の平大の石を十二個 文字のない小さな石を三十六個 これらを六芒星になるように並べる。
出来上がった図の真ん中に座り 蜂蜜酒を一口飲んで呪歌の第一節を読み上げる。
読み終えたらまた一口含み 次は第二節を読む。
これを第十七節まで繰り返す。
全て読み上げる前に蝋燭が燃え尽きてしまったが 秘術とは元々関係ないものなのでそのまま続行した。
第十七節を読み終え 仕上げに文字入りの石に蜂蜜酒を垂らす。
順番を間違えないように慎重に 置いた石の位置を震える手で確認しながら浴びせていく。
不眠不休で暗唱していたのと極度の緊張から 心臓が張り裂けそうな程に鼓動する。
最後の石に酒を垂らすと 暗闇でようやく分かるほどにぼんやりと輝き出し それを見たわっちは湧き上がる期待と興奮を抑えながら六芒星の真ん中に座る。
どのくらいの時間が経ったかは分からない。
数秒にも思えるし 一時間も経った気がする。
光っていた石が明かりを失い これで術は終了の筈となる。
恐る恐る膝立ちをして鏡を取り出し 覗き込む前に予備の蝋燭に火を付けた。
あの時と同じ 不安の余りに鏡を前にして目を固く瞑っているが 唯一違う点は希望がある事。
意を決して 目を見開いて映った鏡像を確認した。
あの時と変わらない 金属製の兜。
同じことを繰り返すように 冷たい頭をペタペタと触って確認するが やはり兜であることには変わりない。
が 何も変化が無いわけではなく 以前の戦いで凹んでいた部分等が綺麗さっぱり治っていた。
この秘術は本物だった。
そして その術ですら変化した頭は治らなかった。
鏡に映っているのは 過去に見た新品同然の兜だった。
頭は完全に治らなかったが 黄金の酒の術を唱えた後は蜂蜜酒を飲むだけで傷が治るらしい。
便利に見えて 単に酒を飲むか治癒の魔法を使うかの違いだけであり 魔力はきっちり消費する。
ただ 腕や足が吹き飛んでも完全に治るというのは 少し恐ろしいが。
いや それはどうでもいい。
問題は この秘術の在り処だ。
見つけた場所は小さな洞穴。
より正確に言うと 人型の怪物がいた洞穴。
その魔物は瀕死の状態で酒瓶を手にしていた。
そして 洞穴にあった大小入り交じった石にこの魔導書。
あの時殺したのは 化け物だったのだろうか。
その答えを出したくなかった。
─────
「………」
とある店にて 空を眺めるアルトゥロ。
灰色に染まった曇り空を見て何が面白いのか それとも商品に興味が無く 仕方なしに空を見ているだけなのか。
「……最悪また一泊かな」
雨が降った時の予定を考えつつ呟く。
そして 人がまばらに見える通りに目を向けた。
ここはヘルネラント領にある首都 アウリッツ。
城塞都市として名が知れ渡っており またここより治安の良い場所は存在しない。
「──ねぇ どれがイイと思う?」
「うん どっちでもいいんじゃないか?」
「テキトーに返事してるでしょ?」
「うん」
店内にてワインを見定めているドロテア。
一つはヘルネラント南部で造られたヴィンテージワイン。
もう一つはオーヴィネポリ東部で醸造された人気のある
うんうんと唸りながら首を傾げ 自問自答を脳内で繰り返す。
その様子を傍目に外から中へと視線を移すと 一人の女性が積み上げられた木箱を前にして屈んでいるのが見えた。
何をしているのかと思った時には既に足が動いており 流れるかのように自然と女性に声をかける。
「うん どうした?」
「あら どうもオパールが隙間に入り込んでしまいまして……」
こちらに気付いた女性は困った表情で木箱を見ており 左耳の粗末なピアスに触れる。
いや 粗末に見えるのは先程言ったオパールが取れてしまったからであり 対する右耳のピアスは普通に高価に見える代物である。
「うん どれどれ」
女性に倣って木箱の隙間を見つめるアルトゥロ。
確かに暗がりに隠れるようにして 丸い宝石が微かに輝いている。
しかし 指先が入るのがやっとの狭さで 腕一本分はあろう距離にあるオパールを普通に取れるとは思えない。
だが 迷うことなく彼はドロテアを呼ぶ。
「うん ドロテア。
ちょっと来てくれ」
「なに?」
小綺麗な木箱の前でしゃがんでいるアルトゥロの元へと歩み寄り なんのこっちゃと言わんばかりの表情で二人を見る。
粗方の説明を聞かされたドロテアは納得し 具現魔法で形成した火かき棒のような物を駆使して 見事オパールを取り戻した。
綺麗なピンクオパールは光の元に晒されると一層輝きを増し まるで主の元へ戻れた事を嬉しく思っているようにも見えた。
「ホイッと。
これだよね?」
「ええ どうもありがとうございます」
深々と頭を下げ 感謝の意を表す女性。
改めて身なりを観察すると 豪華な衣装に艶のある髪 整った顔立ちを際立たせる化粧 更にはあちこちに見られるアクセサリーと 身分の高い地位に属する人物である事が伺える。
柔らかな物腰に丁寧な言動と育ちの良さも見られ 高名な貴族である可能性も否定出来ない。
「もしよろしければ お礼をさせて頂きたいのですが……」
「うん うーん……。
いや すぐ帰りたいし」
「お礼? 貰えるものは貰っておくけど」
アルトゥロの言葉を遮る形でドロテアが半ば図々しく『お礼』に興味を示す。
何やら高価な物をくれると踏んでいるのか。
「それですが 今手持ちがありませんので 私の家に招く形になるのですが それでもよろしいですか?」
「そうだねぇ まあそれでいっか。
アンタもそうでしょ?」
「……うん」
少し考えてから結論を出してはほぽ強制的に同意を求められ 諦めるように肯定する。
彼としてはもう少し遠慮というものを知って欲しいと思っているのだろうが 無情にもその思いは届かない。
しかし 自身もお礼に全く興味が無い訳ではなく それどころか密かに期待していたりもする。
そういった意味では アルトゥロとドロテアは似た者同士である。
「お礼あげるって言ってたケド その宝石 よほど思い入れがあったりするの?」
「はい 私が嫁ぐ際にお守りとして購入した物でして。
これのお陰で素晴らしい方と結ばれたと 私は信じています」
「ほぉー ナルホド」
ビンクオパールは女性にとっての幸せを呼び込むとされている宝石であり 自身の魅力を引き立てて愛されるようになるとか。
故に このアクセサリーの効果のお陰だと思う事自体は不思議ではない。
女性の後を付いて外へ出ると 少し離れた場所にある馬車へと向かって歩き出した。
小さな個室に車輪を付けたような形状の 一般にクーペと呼ばれる馬車であり 所々に施された装飾からやはり上流階級であることが推察できる。
「少し狭いですが どうぞお乗りに」
女性はそう告げると御者と一言二言会話をしてから馬車に乗り それに倣う形でドロテアも恐る恐る車内へと入る。
一方アルトゥロは 重さで壊れてしまわないかと考え こっそり重力魔法で負担を軽減しつつ遠慮がちに乗った。
「こ こういうの 初めて乗るから なんか新鮮……!」
目を輝かせながら窓の外の景色を見るドロテア。
ただの街並みと行き交う人間しか見えない筈だが 彼女の目には違った世界が映っているのか。
その姿を見た女性は 微笑ましく笑みを浮かべていた。
「………」
ただ一人 アルトゥロだけは曇天の空模様のように気分が晴れないままだった。
兜の奥では 悪い予感しかしないと言いたげな表情を浮かべていた。
───
鉄柵の門の外からでも分かる程の広い庭。
それに対してやや控えめな大きさの屋敷だが 民家と比べれば十分な規模である。
門を見張る兵の視線が刺さるものの 館の関係者と一緒であるためか特に行動を見せることはない。
自慢とも言えるであろう庭には 目立たない位置に稽古で使う案山子や的が設置されており 屋敷の周りの花壇には色とりどりの花が咲き乱れている。
屋外でのティータイムを楽しむためにか 真っ白な椅子とミニテーブルもいくつか置かれており そこからの見栄えを重視した植林も施されている。
「あわわわわ こ ここコレ ホントに入っていいの?
は 入っていいの デスカ?」
余りの狼狽っぷりに片言の敬語になってしまうドロテア。
ちょっとしたお金持ち程度だと思っていたら 予想を遥かに超えた人物であると知った彼女の心境や如何に。
一方でアルトゥロも 声や態度には出ていないものの 珍しいものを見るかのように庭や館を眺めていた。
「うん 広い」
「我が家の自慢ですから。
どうぞ ご遠慮なさらずに」
普段通りに歩くアルトゥロとは対照的に 雲の上を踏むような慎重さで足を動かすドロテア。
屋敷の中へと通され 女性が使用人に言伝ると そう経たない内に主人と思われる壮年の男性が先程の使用人と共に姿を現した。
男性はこちらを一瞥するも反応が薄く むしろ見飽きたような態度で女性に問い質した。
「またか。
今度は何だ?」
「また とは失礼ですね。
恩人に恩を返すのは当然でしょう?」
「それはそうだが そう何度も招かれては困る」
一見すると夫婦喧嘩に見えるが 諦め気味な口調の男性と穏やかな口調の女性とで繰り広げられる舌戦は なんとも間の抜けた光景にしか見えない。
深いため息をついた男は こちらに向き直ると軽く会釈をしてやや形式的な挨拶を交わした。
「私の妻が世話になったようで申し訳ない。
大したもてなしは出来ないが 今日の晩餐を馳走になる程度で良ければ くつろいでくれたまえ」
こちらが何かを言い出す前に 背を向けて何処かへと足早に去っていく。
二人の会話から察するに 妻にあたる女性が頻繁に恩人を招いては恩を返しているのだろう。
「無愛想な方ですみませんね。
いつもは真面目なんですけど……」
「あー…… アタシ達 ジャマなんじゃないかな〜……?」
「いえいえ お邪魔だなんてとんでもない。
ブラウン様も了承してくださいましたし」
「イヤ アレって殆ど諦めてるよね……」
小声で呟きながら男性の苦悩に多少同情心を抱き しかしこのまま帰るのも忍びないと考えるドロテア。
実際は飯に釣られているのではあるが……。
女性もまた 頭を下げてから静かに去っていき 二人と使用人だけが玄関近くで取り残される形に。
「客室へご案内致しますが よろしいでしょうか?」
「イイよ。
アルトゥロは?」
「………」
「……アルトゥロ?」
話しかけても反応が無いアルトゥロの兜を軽くコンコンと小突く。
そこでようやく反応が見られたが いつもとは少し様子が違うように感じられた。
「うん 何だ?」
「イヤ どうするって?」
「うん そうだな。
うん そうしよう」
「………?」
落ち着きが無いような 余裕が無いような そんな風に見えなくもない。
ドロテアは 流石のアルトゥロも緊張しているのだろうと結論づけ 深くは考えない事にした。
───
夕飯までにはまだ時間があり 暇を潰すために部屋を出た二人だが 特にあてもなく徘徊していた。
窓から見える曇り空を眺め 今にも降り出しそうだと思っていると 廊下の奥から若い男性が歩いてくるのが見えた。
明かりの強くない場所でも輝くプラチナブロンドの髪に整った顔立ち 肩幅はがっしりとしているにも関わらず細く見える体型。
顔をよく見るとこの館の主に似ている事から その男性の息子である事は判断出来る。
こちらに優しげな笑みを浮かべると これまた優しそうな声で話しかけてきた。
「おや あなた達は母上の恩人ですか?」
「そうだよ」
「やはりそうでしたか。
話は既に聞いております」
青年は笑顔を崩さないまま話し続け 今回の事故について質問し ドロテアも特に隠すことなく1から10まで話した。
彼の話によると あの女性はことある事に些細な厄介事に巻き込まれては助けてもらい その都度恩返しと称して招待しているそうだ。
「──あなた方で何人目の恩人になる事やら。
私がいない間にも招いているそうなので とても把握しきれませんよ」
「へぇー そんなにも」
「おっと まだ名を申していませんでした。
僕はノア・ダレン=ノーランと言います」
「おやご丁寧にドーモ。
アタシは凄腕の占い師ッ ドロテア・ヘガティ!」
軽く頭を下げながら名乗るノアに 自身溢れる態度で名乗るドロテア。
対称的な応対にも関わらず ノアは変わらず柔和な笑顔を崩さないまま話を続ける。
「占い師 ですか。
具体的には どういった事を?」
「ンー いつもは近い未来のコトばかりだねー。
数秒から1時間先までならよく当たるよ」
「なるほど 非常に興味深い。
占いはどのような手法を?」
「アタシのはタロットカードを使って……。
──と コレばかりは実際に見てもらった方がはやいかな」
占い用のカードを取り出したドロテアは いつものように自身の回りに浮かせて占いを始めた。
それを見たノアは驚きと賞賛を声を上げ 彼女の占術をまじまじと見ていた。
ドロテアは靄のように浮かぶカードを慣れた手つきで一枚手に取ると 自信有りげに占いの結果を出した。
「『声を出しては奴に見つかる。
戦車で死神に挑むことなかれ』」
「ほほう いったいどういう内容で?」
「余計なコトを言うと 痛い目見るってトコロかな」
「これはこれは 確かに言葉が招く災いは避けたいものです。
肝に銘じておきましょう」
ふよふよと漂うタロットが 吸い込まれるように左手に集まると 満足と言わんばかりの顔を浮かべてホルダーに収めた。
ノアが軽く拍手をして賞賛の意を表した事に気を良くしたのか 更なる見せ場と意気込んで彼の体を凝視する。
熱烈な視線に気付いたノアが不思議そうにドロテアを見ていると 何かを聞く前に彼女から口を開いた。
「さっきから思ってたんだケド……」
「どうされました? 僕の体に何か?」
「いやぁ 結構ガッシリしてるなぁって。
なんというか コドモの頃から鍛えてたようなカンジだね」
「おや 鋭い観察眼をお持ちで。
仰った通り 僕は幼少から鍛錬を積んでいたものでして」
彼が言うには 騎士になるべく厳しい稽古をしてきたらしく それを文句の一つも言わずにこなしてきたという。
重い荷物を背負ってのランニング 父親との容赦ない剣技の修練 軍馬の躾や世話に乗馬訓練 あらゆる学問の勉強……。
それらを耐え抜いてやり遂げ 今の自分がいると誇らしげに語った。
「不肖ながら 今度の祭典では部隊長に志願しようと思いまして。
今は休養も兼ねて この家に戻ってきたばかりなんです」
「部隊長!? そんな若いのに!?」
ノアの年齢は容姿から20代後半といったところであり ドロテアが驚くのも無理はない。
若くして人の上に立つというのは どこの界隈でもあたりが強く 責任によるプレッシャーにも耐えなければならない。
なにより 彼の所属している隊は単純に頭数が多く 相対的に競争率が高くなる事も珍しくない。
ノアと話し込んでいたドロテアは 彼と会ってから一言も喋っていないアルトゥロの存在をようやく思い出した。
当の本人は窓の外を無言で眺めており こちらに気を向ける様子は感じられない。
いくら客人と言えども 挨拶もしない無礼な態度は如何なものかと思ったドロテアは 置物の如く不動を貫いている鎧に話しかけた。
「……アンタ さっきからずっと黙ってるけど どうしたの?」
「……黙ってちゃあ 駄目なのか?」
「良くないってワケじゃないけど つまんなくない?」
存在を消すように口を閉じていたアルトゥロは 首を僅かにこちらに向けるだけでやはり動こうとはしない。
いつもの彼とは違い まるで関わらないでくれと言わんばかりに外を眺めている。
「アンタも何か反応してあげたら?」
「………」
「何も無理強いする事はないかと。
緊張しているのなら 尚のことそっとしておく方が……」
「……うん まあ 凄いんじゃないか?
騎馬隊はただでさえ人が多いし」
これでいいだろう と言いたげに溜息をついて また外の曇り空を眺めるアルトゥロ。
奇妙な様子に首を傾げるドロテアだが ノアの言う通り緊張しているだけだろうと思う事にした。
「おや 僕が騎馬隊に所属している事 話しましたっけ?」
「ん? アレ?
言ってなかった気が……」
彼の口からは 一言もどこの隊に所属しているかは告げられていない。
にも関わらず ノアが騎馬隊に属している事を知っている体で感想を述べた。
アルトゥロは 兜のせいで見えないものの目が泳ぎ じわりじわりと冷や汗をかいていた。
「失礼ですが どこかでお会いしましたでしょうか?」
「知り合いなの アルトゥロ?」
ドロテアが名を出したその瞬間 アルトゥロは袋小路に追い詰められたかのような苦悶の表情を浮かべる。
それと同時にノアも名を聞くと 少しの間考えた後に合点がいったように笑みを浮かべた。
「……なるほど。
一応聴きますが 彼の姓はトールマンで?」
「ん? たぶんトールマンで合ってるハズ。
やっぱり知り合い?」
「フフフ……」
「?」
ドロテアの質問には答えず 不敵な笑いを漏らす。
一方でアルトゥロは 半ば項垂れてこちらへ向き直っていた。
状況をいまいち把握出来ていないドロテアは 二人の顔を交互に見るだけ。
「僕を覚えているか?
いや 忘れたとは言わせんぞ アルトゥロ・トールマン」
今までの紳士的な態度から一変して 高圧的な口調になる男。
さっきまでの優しい笑顔が嘘のような変わりように 流石のドロテアも異変を察する。
しかし 二人の関係性が見出せていないこの状況で どう動くべきか考えあぐねていた。
「それとも 旧い名で呼んだ方が良いか?
アルトゥロ・ウル=ノーランよ」
「……はぁ」
「……エぇぇーーー!?
ま まさか 兄弟ぃ!!?」
ノアの言葉が嘘でなければ 同じ姓を持つ者 少なくとも家系に繋がりがある事は間違いない。
アルトゥロは否定するどころか むしろ観念したかのようにこれまた溜息をついた。
「……運命ってのは恨まずにはいられん。
うん 正直そういうのは信じてないんだがな」
「ホントに兄弟なの!?
てか 何で隠してたの!?」
「うん 聞かれなかったからな」
「マスターみたいな事言ってぇ!
と とりあえずイロイロ聞きたい事があるんだけど……!」
驚きを隠せず動揺するドロテアに 面倒くさいと思いつつ素直に答えるアルトゥロ。
そんな様子など微塵も気にせず ノアは言葉を続ける。
「その口振りから 僕のことは忘れていないようだな。
いや 忘れる方が難しいか?」
「……うん どうだろうな」
「まったく 昔と比べて随分生意気になったものだ。
大方 俗世に毒されたのだろうが……」
「わっちはいつだってわっちのままだ。
うん 変わったつもりはない」
「そうか? 僕の記憶では人の顔色ばかり気にする 小さな小さな存在であったぞ?
袂を分かった生みの母と共に 父上の期待一つ応えられない不孝者でもあったな」
生みの親であり育ての親でもある母を悪く言われた瞬間 アルトゥロが一歩足を踏み出した。
強く踏み込むようなものではなく 少し距離を詰める程度のものだったが その言葉に不快感を示しているのと同時に敵と見なしている事への証左である事は明白。
「母上は一人でわっちを育ててくれた。
悪く言うようなら いくら実の兄でも許さん」
「やれやれ 幼き頃は小さく震える可愛らしい仔犬のようだったというのに 今ではまるで主に吠えて噛み付く猛犬だ……。
少し 躾が必要というもの……!」
「………」
「覚えてるか? 騎士としての決闘 そのルールを。
お前は騎士ではないが 特別に相手してやろう」
自信を体現したような笑みで 挑発するように闘いに誘い込むノア。
その手に乗るか 勝機はあるか アルトゥロは口を閉じて考えるが 横からドロテアが静止するように割って入ってきた。
「アンタ達の間に何があったのか知らないけどサァ。
あんな安っぽい挑発 乗らない方がイイよ」
「………」
「フフ 怖いか? 幾度も打ち負かされた過去を思い出したか?
一度としてお前の振るった剣は 僕に掠りもしなかったなぁ?」
「……うん 受けてやるさ。
これで満足だろう?」
「アルトゥロっ!!」
ドロテアの忠告を振り切り ノアの挑戦を受けるアルトゥロ。
その言葉を聞いたと同時にニヤリと口角を上げたノアは 付いて来いと一言言うと背を向けて歩き出し アルトゥロはその背中を無言でついて行く。
疑問に疑問が重なったもやもやが晴れないまま後を追うドロテアは 道中でアルトゥロに差し障りの無い程度にノアとの関係を聞いた。
「答えられる範囲でいいんだけど あのノアって人と何があったの?」
「……うん 話せば長くなるが まあ わっちと母上が家を出たってだけだ」
「そのお母さんは 今はどうしてるの?」
「……どうしてるんだろうな」
「……助けたあの人って やっぱり再婚相手?」
「そうかもな。
うん 初めて見た」
ノアは二人の会話が聞こえていないのか それとも聞こえない振りをしているだけなのか こちらを振り向くことなく歩き続ける。
三人は 今にも雨が降り出しそうな曇天の下の庭へと足を踏み入れた。
───
「一つ 決闘者はお互い同意の元で剣を取る。
二つ 他者のいかなる介入を認めない。
三つ 降参は敗北よりも恥ずべき行為である」
ノアが高々と決闘の掟を暗唱し 形だけの見届け人であるドロテアを確認の意を込めて睨みつける。
当の彼女は不満気な顔をしつつも木の案山子に背を預け 介入の意思は無いことを曖昧に伝えた。
ドロテアが気に食わない態度を取っているのは 挑発に乗ったアルトゥロに対してでもあるのだが 一番の理由は視線の先にあるもの。
「なーんで木剣なのさ……」
ノアが手にしている稽古で使うための木で出来た剣 というよりは剣の形をした樫の棒。
通常 決闘は先の丸い細剣や鎧を着用しての小剣等 実戦に近い形式を用いるのだが 競技用ですらない木の剣を手にしているという事は 明らかに相手を格下と見下している他はない。
「アルトゥロー!
こんなヤツ コテンパンにやっちゃいなー!」
拳を突き上げて一応は声援を送るドロテア。
それをよそにノアは 今度は勝敗の条件を提案した。
「お前の勝利条件は 僕に一太刀でも当てる事。
敗北は そうだな……」
ただ簡単に勝ちにいくのはつまらないと考えたのか 今までにない条件を指定しようと脳を動かす。
曇り空を見上げると いい案を思い浮かんだのか口元だけが笑った状態で 兜の奥を見つめつつ言い放った。
「雨が降る──。
これがお前の敗北としよう」
極めて曖昧な条件を出したノア。
これを有利とみるか不利とみるかは判断が難しい。
ずっと雨が振らずに太陽が沈む可能性もあれば 試合開始と同時に雨が降る恐れもある。
そんな敗北条件でもアルトゥロは文句一つなく提案を受け入れる。
一方でドロテアは理不尽な物言いに口出ししそうになるが 介入しまいとぐっと堪えていた。
「ところで お前が勝った場合は特別に望みを一つ 聞いてやろう。
まあ 無理だとは思うがね……!」
「うん 言ってろ。
わっちが勝ったら 母上を悪く言った事を謝ってもらう」
「……たったそれだけの事でいいのか?」
「うん それだけだ。
で お前が勝った場合は?」
「フフフ 僕が勝つのは当たり前だ。
故に 何かしてもらう気はない」
「そりゃどうも」
アルトゥロが剣を抜いて臨戦態勢に入るのを確認すると ノアは木剣を握りしめ 懐から銀貨を取り出して空高く弾き飛ばした。
この銀貨が地に着くのが 開始の合図──。
鈍く光る銀貨は回転しながら草地へと近付き 落ちていく。
トン と聞こえない程に小さく軽い音が鳴ったのと同時に アルトゥロは刀身に風を纏わせて振り上げる。
強く吹き荒れる突風はノアを容赦なく襲うが 彼は涼しい顔で向かい風に耐えていた。
風の勢いが弱まる前にアルトゥロは更に連撃を仕掛けようと呪文を唱えるが ノアが詠唱を許さまいと瞬時に間合いを詰める。
「この程度で足止め出来るとでも?」
右手目掛けて剣を素早く振るうノア。
流石に金属の小手にダメージはあまり通らないが 的確に狙えている事に変わりなく 触媒である剣を叩き落とされようものなら勝つことは困難に。
仕方なく詠唱を中断してから一旦距離を置こうにも 金属の鎧を装備した者と身軽に動ける手練とでは そう簡単に離してはくれない。
「やはり昔のままだ。
剣技が苦手なのは変わらないな!」
「………」
手の次は膝 膝の次は肩と いたぶるような剣捌きで攻撃されるアルトゥロ。
猛襲を防ごうと大振りの横薙ぎを繰り出すが 最小限の動きでかわされた上に柄を握る手を掴まれてしまった。
体格差は小さいが 対人訓練を積んでいるノアにとっては差など元々有って無いようなものであり 抵抗する間もなくひっくり返された。
ガシャン と金属がぶつかり合う音と共にアルトゥロは地面に転がされ 顔を上げるよりも前に眼前に木剣を突き付けられた。
「これが戦争だったなら お前はもう死んでいる。
平和な時代に生まれた事を 太陽神ウァラース 地神マザラウムに感謝せねばな」
「……平和 かぁ。
うん お前にとっては平和かもな」
無詠唱で触媒に炎を纏い 仰向けの姿勢のまま切り払う。
惜しくも木剣に触れる寸前に退かれてしまうが 起き上がるのに十分な時間は稼げた。
重力魔法を使用して即座に体勢を立て直すのを見たノアは 少し驚きつつも依然として余裕の態度を崩さない。
「自然魔法を使うのは覚えていたが まさか重力をも駆使するとはな……。
だが どんな魔法を使えたとしても 僕に勝てるとは限らない」
「負けるとも限らんがな」
アルトゥロは相手の持っている剣を燃やして戦力を奪う事を考えていたが 芝の燃え具合からかなり湿気ていると見て策を改める。
少なくとも武器さえどうにかすれば 手数が減る分勝率は高くなるが 相手は熟練の騎士であり 容易に武装解除はさせてはくれないだろう。
(炎を飛ばして かわした所を叩くか……?
それとも光で目眩ましを……)
「休む暇はないぞ!」
策を練っている最中に ノアが思考を遮断させるかの如く斬りかかってきた。
身体能力の高さもさる事ながら 身軽であるというアドバンテージを持つ彼は 右へ左へ動き回って相手を翻弄する。
アルトゥロは全方位から集中砲火を浴びているような錯覚に陥りながらも 必死に剣を振り回して反撃の機と案を探っていた。
───
「どうした 雨はまだ降っていないぞ?
それとも 雨乞いしてほしいのか?」
「……乞う気は微塵もない」
疲弊しながらなんとか立ち上がるアルトゥロと 疲れを見せずに立ち続けているノア。
思いつく限りの戦法を試したが 彼の前ではことごとく看破され その度に手痛い反撃を受けた。
しかしそれでも 諦める様子は見せない。
「ハハハッ 強がっても無駄だ!
今のお前には どれ程の魔力が残っている?」
「………」
「立て続けに放った魔法に加え 重力魔法で鎧の重さを誤魔化している。
常人であればとっくに尽きている筈だが……?」
「そこまで気付くか……」
事実 アルトゥロの魔力は決定打に欠ける程ではないが 残量が心許ない。
更に 今も重力魔法で魔力を消費しており 時間が過ぎるだけで勝機が薄れていく状況。
滲み出る汗と鎧の隙間を縫うように触れる風で体温も奪われ 体力が底を突くのも時間の問題である。
(言い訳のつもりじゃないが…… 読みが甘かったな……)
アルトゥロは やれる事はやったと自分自身に言い聞かせ 剣を強く握りしめる。
そして魔法も何も使わず 半ば自暴自棄になりながらノアに飛びかかった。
刹那 視界を覆う眩い光。
その直後に耳を劈く雷鳴。
「っ!?」
「か 雷っ……!?」
「ウワッはハぁアア!?」
大量の火薬が爆発したような轟音に驚く三人。
庭にあったモミの木に稲妻が落ちたらしく 無残にも燃えてしまっているのを見て ようやく落雷だと認識した。
「……フッ 何事かと思えば ただの雷か」
「……うん」
先程の稲妻で アルトゥロは使えないと考えていた戦法を思い出し そこから更に連想していくとある魔法に行き着いた。
実用性がないと思っていた魔法を。
(雷光刃だと もともと当てられないから意味がないと思っていたが 雷そのものは使える。
……うん やってみる価値はあるか)
「どうした さっきの雷鳴で戦意が喪失したか?」
「うん むしろ逆だ」
刀剣に雷を纏わせて 近寄るノアに振り払う。
ノアはすぐに足を止めるも 剣を覆う電気を見るとおもしろ可笑しく嘲笑う。
「フフフッ もしや落雷の真似事か?」
「うん」
真似事である事を肯定し 白銀に輝く剣を空高く掲げて 相手にあえて聞かせるように呪文を唱え始める。
ノアはニヤリと笑いながら どんなものを見せてくれるのかと期待混じりに見下していた。
詠唱が終わると同時に 切っ先から細い雷光が空に向かって走る。
その数秒後 またも白い閃光と轟音が空間を支配したが 今度の落雷は違った。
その様は目を疑うであろう光景が見えた。
生き物の如く暴れ狂うかのような雷光が アルトゥロの剣から離れる事も消える事もなく留まっている。
彼は雷という名の形の定まらない猛獣を 剣一つだけで従えていた。
「なっ……!?」
「な ナニアレぇぇ!?」
ノアもドロテアも 魔法で作られた物ではなく自然に落ちてきた雷を操っている姿に ただ驚嘆するだけ。
しかし アルトゥロもただ剣を挙げているだけではなく 膝がカタカタと微かに震えている。
これだけの膨大なエネルギーをコントロールするだけでもかなりの神経を使うのだろう。
「フゥー…… ハァ……」
バチバチともチリチリとも聞こえる音に紛れて 息を深く吐くアルトゥロ。
相手を見据え 握り手により力を込めて 一歩強く踏み出すと同時に 剣を振り下ろした。
ノアは その様子をただただ見ているだけ 否 見ている事しか出来ず ドロテアは恐れと希望が入り交じった感情で アルトゥロの勝利を確信した。
「……ン?」
ドロテアは ふと声を漏らす。
彼女から見た光景は アルトゥロが剣を地面に突き刺して膝を付き ノアは相変わらず棒立ちしているというもの。
ついさっきまで存在感を放っていた稲妻は まるで最初から無かったかのように姿が見えない。
何が何やらと思っている矢先に アルトゥロが一言だけ喋った。
「──わっちの負けだ」
そう言うと 柄から手を離して地面に大の字になって寝転がった。
力尽きたのか そう考えるよりも前に 彼女の頬に冷たい物が伝う。
「……雨」
敗北の条件である降雨。
今 それを満たしてしまった以上 負けを認めざるを得なかった。
地を叩く雨粒が増えていき 幾千もの小さな水音が重なる程に降りしきる様は 敗北に涙している事を表しているのか。
ドロテアは詩的な情景が微かに思い浮かぶもすぐに振り払い アルトゥロの肩を担いで屋内へと運んだ。
「………」
一人 ノアは雨に打たれながら樫の剣を元あった場所へ戻しに行った。
雷光に照らされたその顔は 勝者の顔つきとは程遠いものだった。
───
「いやさぁ スゴイ惜しいところまでいったじゃん。
負けたケド」
「うん もっと早く気付いたら 勝ってたかもな」
ずぶ濡れになった身体をなんとかする為に 客室へと向かう二人。
途中 館の使用人に見つかるが 理由も聞かずにすぐに拭くものを持ってこさせるよう手配してくれた。
「で どっちが先に着替える?」
「うん そっちからでいい。
わっちは脱ぐのも着るのも長い」
「じゃ お言葉に甘えて」
同室である事が災いして 仕方なく一人ずつ着替える事に。
気心の知れた仲間とはいえ 異性という壁はどうしても意識せざるを得ない。
アルトゥロは部屋の外で待機している間 自然魔法を利用して身体を冷やさないようにしていた。
「……やっぱり 強いな」
先程の決闘での 自身の立ち回りの反省点を自己採点しつつ ノアの動きを思い返す。
自分で考えて動いたつもりが 相手の思う壷という言葉がぴったりな程に動かされていた。
評価を総合するとまさにこれだな と自嘲気味に溜め息をつく。
落雷が無ければ 逆転の切っ掛けもチャンスも無いまま惨敗していた もっと早く気付けば 勝てていたかもしれない。
そう考えるが 負けた事実は変わらない。
過去に囚われるより 未来に活かすべきだ。
自身にそう言い聞かせ これ以上は考えないようにするが そう簡単に割り切れたらどれほど楽な事か。
双方 無事に着替え終えてから間もなく 夕食の準備が出来た事を告げられた。
アルトゥロは適当な理由をつけて辞退しようと思ったものの 反射的に承諾してしまい 仕方なく食事を摂ることにした。
食事をするのにうってつけな小綺麗な広間 大の字で寝てもなおスペースのある食卓の上には ご馳走や晩餐以外の言葉は不適切としか思えない料理がずらりと並んでいた。
席には既に館の主であるブラウンと夫人が座っており 腰を掛けるよう優しく促してくれた。
やや強張りながらも静かに座ると 二人が話しかけてきた。
「息子が少し遅れるとの報告があってな。
申し訳ないが 揃うまで少し待ってほしい」
「実は息子は騎士として出ずっぱりでして。
こうして家族揃って食卓を囲むという機会は滅多に無いのです」
「………」
家族揃って という言葉が頭の中でこだまするアルトゥロ。
夫人の話から 過去に息子がもう一人いた事を知らされていないようではあるが推測に過ぎない。
しかしながら 図らずもその本人がこの場にいるとは 偶然か運命か。
「ねえ アルトゥロ……。
アタシ達 やっぱりジャマなんじゃ……?」
「ここで名を呼ぶのは止めてくれ……」
「ご ゴメン……!」
小声で話しかけたドロテアは うっかりアルトゥロの名を出してしまったが 幸い誰の耳にも入ることはなかった。
使用人が五人分のワイングラスを並べ ボトルを手に待機しており 後はノアさえ来れば食事は始まる。
(……こんな豪華な飯 家で出たのは兄の祝い事ばかりだったな)
アルトゥロは過去を掘り起こし ただの一度も自分のために御馳走が作られた覚えが無いことを思い出した。
何かにつけては優秀な兄と比べられていた事も。
出来たてのビーフシチューから出る湯気を朧気な記憶に喩えて 揺らめき昇っては虚空へ消えていく。
(もし今の場で独りだったら 皿の中に頭を突っ込んでいそうだな……)
勿体ないとは分かっていても抑えきれない衝動が 人の目という監視があってようやく抑制出来ている。
理性とは名ばかりの自尊心が 過去に囚われた本能に打ち勝つとはなんという皮肉か。
(食後に酒を貰うか……。
──いいよな 今日ばかりは……)
自棄酒をするとドロテアに何か言われそうな気はするものの それすらも無視して酒に溺れて 今夜だけは気分を誤魔化したかった。
窓の向こうの雨はカーテンに遮られて見えないが 視界を悪くしているのは明白。
今のアルトゥロの心境も もやがかかったような景色に布を覆われたような歯痒い心持ちである。
とにかくそれを 酒で洗い流したかった。
(やっぱりわっちは 兄が憎いのか?
それとも 羨ましいのか?)
その問いに 答えは出せなかった。
[ゆるい神話 スタルニル教編 下]
─表裏
「私はえらーい神様 マスティマだ。
人間とやらに知恵を与えたら光と闇の概念ができた」
「そんな訳で光と闇の精霊神が生まれたぞ。
よろしくぅ」
「世に光の導きがあらんことを」
「あ?」
「四柱から六柱 大家族だなぁ」
「ニッコリ」
─前兆
「私はえらーい神様 マスティマだ。
新しく生まれた精霊神に プレゼントを上げちゃうぞぉ」
「でも 予算が無くて杖しか用意できなかった……。
よく話し合って決めてね」
「いいえ 私は遠慮しておきます」
「いらん」
「謙虚だなー 憧れちゃうなー」
「ニッコリ」
─反逆
「私はえらーい神様 マステ……待って待って!
闇の精霊神君! 一旦落ち着いて話し合おう!?」
「寄らば斬る。
寄らなくとも斬る」
「どうしてこうなっちゃったんだ〜……?
あぁ 下界に降りちゃった……」
「心が痛むけど 人間に協力を仰ぐしかない。
じゃあ君 今から勇者ね」
「エェーッ!?」
「大丈夫です 私がサポートします。
我が主マスティマ様 この杖をお借りします」
「さすが光の精霊神だ 頼りになるなぁ」
「ニッコリ」
─自壊
「俺は闇の精霊神だ。
人間は総じて闇だ クズだ 生きる価値もない」
「俺の持つこの剣は 闇を消し去る力を持ち これを刺して消えなかった奴はいない。
従って 人間は闇だ」
「それは偏見だ! いや 見方が間違っている!」
「あのクソ主の差し金か。
邪魔をするな」
「人間は誰しも光を持っている!
そして 光があるこそ闇も存在するんだ!」
「……!」
「お前の言う闇を持つ人間は 同時に光を持っている人間でもある!
闇を持たないのは 光を持たないのと同じだ!」
「……なぜ俺は そんな簡単な事に気付かなかったのだ。
真の闇は…… 俺だった」
「な!? 自ら剣を突き立てて……!?
……盾だけが残った?」
「この盾は 闇に染まっていなかった為に消えなかったのでしょう。
選ばれし勇者よ よくぞ闇の精霊神を打ち倒してくれました」
「え いや 向こうが自害しただけで……」
「さすが勇者 私が選んだだけのことはあるぅ〜」
「ニッコリ」