かくして幻想へと至る 作:虎山
腕に乗り移ったモリヤ神を消す。
人の思いが届かない虚無の空間において、唯一の人間は俺だ。モリヤ神の存在を意識から浮かせば、こいつは消える。夢想天生を行った段階で勝負は決まっていた。
そのはずだった。
(なんだこれ、どうなっている!)
意識を浮かせることが出来ない。何かに縛られているように感じる。動かない体が震え、寒気を感じる。思考が割り込んでくる。
(・・・・・・ね。)
自身の脳に直接語りかけるようなノイズ。体の芯から冷えるような憎悪を感じる。
(死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね・・・・・・)
怨嗟の声は徐々に大きくなって響いている。
(な、んで、こんなに苦しい。考えることが、出来ない。術が、解ける。力が入らない。)
多量の汗、涙が流れる。膝をつきそうになるほどの絶望を感じる。理解できない反応が起こる。
怨嗟の嵐の中でくっきりした声が聞こえる。
(くっく、阿呆が。痛覚を浮かしていると聞いていたが、ここまで慣れていないとは思わなかったぞ。)
小馬鹿にするような声が響く。モリヤ神の声だ。チラッと腕を見ると浸食されている場所が広がっている。肘までは完全に呪われているが精々腕だけだ。
(人間は痛み、恐怖を避けることが出来ない。妖怪との戦いに身を置く人間というのは痛みや恐怖の耐え方を徐々に覚えて強くなっていくんだ。だからこそ能力に頼ってきたお前には耐性がないんだよ。どうだ?初めて本当に感じる死の恐怖は?動けないのは私が体を操作しているからじゃない。お前が恐怖で動けないだけだ!)
死の恐怖。何度か死にそうになったことはあれど、恐怖は感じなかった。いや、感じないわけじゃないのか。本来の痛み、苦しみを避けてきただけ。あるはずのものを浮かしているだけでそいつらは確かにあった。
(死の呪い。浸食が心臓に届くまで一分程度。たかだか一分だが一生分の苦痛、苦しみを味わえるぞ。しっかり堪能しろよな。)
術を維持するだけで精一杯。それ以上はもう考えることが出来ない。術を維持するのはモリヤ神をもとの世界に戻さないようにするためじゃない。ただ、自分が死にたくないからだ。
(死に、たくない!)
死ねば楽になれる。その思考がよぎる。すべてを放り投げてこいつと共に消えるのも悪くはない。そう思い始めた。
『必ず、帰ってきて。』
どこかで待っている人の声が怨嗟の中から響く。
(まだ、死ねない!死ぬわけにはいかない!)
体は恐怖で縛り付けられ、力が入らない状態だが、何とか奮い立つ。光明は見えない。どうにかする算段はない。考え終わるころには死んでいるだろう。だけど、最後まで抗う。
ふと、顔に何かが触れる。無の世界において、存在するのは自分しかいないはずだった。目線を上げる前に口に柔らかい感触が来た。血の味が口に広がっているが、不快な感じはしなかった。
意識が無くなったように思えた。ただ一つの思考以外が消えた。
(・・・生きたい。)
何も感じない、何も届かないような、ただ、真っ白の世界で生きたいと願う。たった一瞬、それ以外の考えが頭から抜けていた。
(やだやだやだやだ!消えたくない!さなえぇぇぇ!助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!)
先程聞こえていたはずの全てが何も聞こえなかった。
すぐに意識が戻る。その時には恐怖による縛りは解けていた。
能力で体を元の世界に戻し、術を解いた。
(モリヤ神は、、、消えたか。)
呪いの跡は腕にあっても、浸食は止まっている。僅かながら怨嗟の声は響くが、もう大きくなることは無いだろう。
腕には貫いたこいしの死体が垂れ下がっている。もう動かないはずだった。
(お前に助けられたな。)
異変の終わりだ。
「・・・つかれた。」
失ったものが大きい。解決しても喜べない。なぜ殺さなければならなかったのか。ずっと考えるだけで憂鬱になる。終わった後に押し寄せるのは純粋な疲労だけだった。
こいしの死体を抱きかかえ、歩き出す。このタイミングなら丁度いいかもしれない。
・・・
妖怪の山の中腹。大穴が開いており、どこまで続いているか分からないほどの闇が見える。塞がれていたはずだったが、何者かが結界を壊した跡がある。おそらく伊吹であろう。
近くにこいしを横たえる。今にして思えば、こいつを放置するべきではなかった。滅多に人前に姿を見せないと聞いていたが、少なくとも二回は俺の前に姿を現した。能力のおかげで姿を見れると思っていたが、あれはこいつが意識して見せていたのだろう。
おそらくは友達を作りたかったのだろう。一瞬だけ見えた記憶の中、一番強い感情は孤独への拒絶であった。ずっとサインは出していた。俺が気付いていれば、ちゃんと向き合っていれば、違った結末だったかもしれない。
もう遅いと思っても考えてしまう。
遠くの方でガヤガヤと話声が聞こえた。感知する力もないが、地底の妖怪達だろうという事は分かる。少し待つと先頭の方が見える。両腕を抱えられ、自力で歩けない鬼がいた。星の模様がついた一本角の鬼、星熊勇儀だろう。
こちらと目が合うと、にやりとした。抱えている妖怪たちは怪訝な目でこちらを見ているが、星熊勇儀は何かしらの確信を持っていた。
「お前だろ、萃香を討った人間っての。」
他の妖怪たちがどよめく。ただ鬼と思しき妖怪たちは一際驚愕しているように見て取れる。
「なかなかいい男じゃないか。で、どうだった?萃香の最後は?」
「・・・鬼っていうやからでも嘘をつくってのを教えてくれたよ。」
「あっはっは!天晴だ人間!私らは嘘を絶対に付かない。まあだが、もし仮にだ、嘘をつくときがあるとするならば、、、」
少し溜める。どことなく穏やかな顔になっている。
「そいつは惚れたやつの気を引くくらいだ。それもどうしようもなく気に入ってるやつのな。特にあいつは不器用だからな。」
首筋に触れる。治る様子のない噛み跡がそこにはある。だが、不思議と痛みはない。
「お前とは一度拳を交えてみたいもんだな。」
「・・・もう勘弁してくれ。鬼はしばらく見たくない。」
星熊勇儀も分かっていると思うが、もう会うことは無いだろう。
「最後の頼みがある。」
「何だ?言ってみろ。萃香を倒した人間だ、私らが出来ることなら一つだけ何でもしてやるよ。」
他の妖怪達を見てみると、異論はないように見える。それだけ伊吹萃香という鬼の存在は大きかったのだろう。
「こいつを地霊殿に送ってやって欲しい。」
こいしを抱きかかえ、差し出す。
「そいつは古明地の妹の方か。で、そんなことでいいのか?」
「俺にとっては重要な事だ。本来なら俺が行くべきかもしれないが、こいつの姉に合わせる顔がない。だから頼む。」
「・・・分かったよ。誰か、受け取ってやれ。」
近くの妖怪が近寄ってきた。そいつにこいしを渡し、背を向けた。もうここには用はない。
「じゃあな、人間。」
律儀に返す必要もない。振り返ることはせず、歩き出す。