瞼を持ち上げ、焦点を定めないままの景色を見る。
ぼやけた世界は、それでも私には眩しすぎた。
頬を撫でる風がくすぐったい。その風に乗ってくる潮の香りは、どこか懐かしい。日の光はじんわりと、それでいて、はっきりとした輪郭を持って私を温めてくる。全てが心地良い。しかし、確かな違和感と共に、それらは襲って来ていた。
「んんっ……?」
そこでようやく、はっきりとした意識を掴んだ。
惜しみつつも、微睡みを振り払い、自分の状態を確認する。
五体満足、外傷無し。バリアジャケットである殲滅服も着ていた。唯一記憶が曖昧な位だが……状態は今までで一番いいと思えた。記憶が曖昧とはいえ、自分自身が「シュテル」だということは思い出せる。それ以外が微妙なところだが。
不思議に思うは思うが、文句があるわけではないので、私は周囲の確認に移った。
辺りを見回すと、私の視線よりも高い背丈の草に囲まれていた。力の入りにくい膝に無理やり力を込めて立ち上がると、それらは私の腰よりも少し上にくる程成長している。なんと青々として生きているのだろうか。
しかし、植物以外の生物の気配がない。
優しいそよ風だけが、通り過ぎていく。
(ここは、消滅後の世界? ……ではなさそうですね)
自分のことを思うと、一度消滅したかマテリアル体に戻ったかして、再び出現したのだとあたりをつける。
消滅が死と同義というのならば、ここは天国だろうか。穏やかすぎるので、地獄ではないだろう。もっとも、どちらも行ったことがあるわけではない。
「海鳴市とも違うようですが」
お尻についた埃をササッと払ってから、より多くの情報を得ようと、感覚を研ぎ澄ます。
「磯の香りがするので、海はあるのでしょうけれど……」
遠くの草原には、風紋が浮かんでいる。そこだけを見れば、心地良さそうで、もう何も考えなくて良いのではと思ってしまう。穏やかだし、ここがどこかなんて考えなくてもいいのではと思える。
が、やはりこのままは少し気持ち悪い。なんというか、心地いいが気味悪さが少しばかりある。
風景と自分の、色々な意味での『色』が、かけ離れ過ぎている気がする。
「……まずは、状況を整理しましょうか」
自分は誰か。
自分は、星光の殲滅者。略称として「シュテル」と呼ばれていた。
ここに来る前は、何をしていたか。
鳴海の海の上で……誰かと戦い、敗れた。誰かが全く思い出せないが、その時に消滅した気がする。
でも、私はここにいる。
それでは、ここはどこか。
見渡す限りの草原と青い空。少しばかりの潮の気配。
自然に囲まれているのだから、どこかの惑星ではあるはずだ。地球の可能性もあるかもしれないが、直感的に、それはないたろうなと思った。空気中の魔力の波長が、記憶していたものと違う。生物の気配の無さから、無人惑星か、或いは、とてつもなく巨大な惑星だろうとは思えるが、確信があるわけではない。
……今はここまで分かっていればいいか。これから少しずつ分かっていくだろう。
ここの場所よりも疑問なのは、自分が消滅していないということだ。
流石に、これほどリアルな世界が、消滅後の「夢」だとは思えない。
「……そういえば、あの書物は『夢』に拘っているマジックアイテムでしたね……考え過ぎでしょうか」
そもそも、マジックアイテムが断片的に再生した「理のマテリアル」である自分に、どこまで望めるのだろう。
夢は見るのか。
たまたま生まれたこの自我は、消滅後のことを認識できる程、出来たものなのだろうか。
「まぁ、ナノハたちのような通常の人間にある自我が、消滅後を認識できるかと聞かれても分かりませんが」
思考して、導き出されるのは、考えても答えは出ない、という結論ばかり。
「はぁ……仕方ありません。分かることから片付けていきましょうか」
分かること、それは。
何の悪戯か、自分はまだ自我を持ったまま、ここにいる。
雷刃や王は、今はいない。いたとしても、とても遠くもいるのだろう。念話で呼び掛けても届かない程遠く、だ。となると、いないものとして扱ってもいいかもしれない。
最後に。
「――すみませんでした、ルシフェリオン。無視していた訳ではありませんので、そんなに怒らないで下さい」
『聴力に問題が生じたかと思って、生体スキャンをかけるところでした』
首にぶら下がる、深藍の丸い宝石のついたペンダントは、先ほどからピコピコと、しつこく点滅を繰り返していた。
私の理解者、ルシフェリオン。
「大丈夫です。聞こえていますから。少し、混乱していました」
『混乱しているのは、マスターだけではないのですよ』
「分かっています。状況整理をしていただけです。ちなみに、ルシフェリオン。そちらは何か、分かったことはありますか?」
『私個人で出来る範囲では、何も』
予想した通り、彼女個人ですでに、エリアサーチをかけていたのだろう。答えは芳しく無かったが。
「ふむ……」
彼女個人で結果がよろしくないのであれば。
「魔法は使えるようですね」
『マスターのリンカーコアは、いたって正常です』
「本来なら無くなっていないといけないのですが……まぁ、いいでしょう。ルシフェリオン、ヒートヘッドに切り替えてください」
瞬間、深藍の丸い宝石は、機械的な魔道師の杖へと形状を変えた。高町ナノハの持つレイジングハートと、とてもよく似た形へと。
「では……ワイドエリアサーチ」
『Wide Area Search』
足下に朱色のミッドチルダ式の魔法陣が展開される。
ルシフェリオンだけのサーチで届かないのならば、私の魔法でより遠くへ。
リンカーコアから魔力を杖へ送り、その先の命令式に“あてる”。
複数の空中モニターが、目の前に現れた。
「とりあえず、何かが見つかればいいので……簡易的にいきましょう」
『かしこまりました、マスター』
流石に、半径300kmを広域検索すれば、何かはヒットするだろう。
軽い気持ちでいた私が、虚しい汗を流すのは、三十分後の光景である。