僕のヒーローアカデミアβ   作:へあぴん

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 ハアハアと、火照った身体を鎮めるように、海馬は肩を小さく上下させていた。

 やがて息が落ち着いてきたところで、睨むように殴った相手を見据えて言った。

「……、なんで避けないのよ」

「あんたのパンチくらいでひるむ俺じゃない。まあスキンシップみたいなもんだ。これも愛の形さ」

 殴られたのに微動だにせず、ハッハッハと、海馬のイライラを逆なでするように標は高笑いする。鼻の頭を若干朱色に染めてはいるが、大して効いていない様子だった。

「……、」

 そのあまりに余裕そうな態度にムカッときた海馬は、スキンシップと言い張るならば遠慮しないと、再び左ストレートを放つべく無言で腕を引き絞った。

 しかし、既に機先を制されていた。放つ前に腕を掴まれて攻撃を封じられる。

 海馬もそれなりに戦闘の心得はあるつもりだが、日頃から馬鹿みたいに鍛えている標と力比べしたところで叶うはずはない。こうなってしまうともう手が出せない。

「痛くはないが、二発目は止めさせてもらう。正規の職員じゃないとはいえ、学校で教師が生徒に殴りかかるのは、体裁的によろしくないだろ」

 と柄にもなく至極真っ当なことを標に言われ、海馬はふと我に返った。

「それもそうね」

 そうだ。すっかり頭から抜けていたが、今二人はいつもの家ではなく、学校の理科準備室にいるのだった。人目がないとはいえ流石にまずい。

 場所を考えていなかったと反省をしつつ、ふっと左腕の力を抜くと、そのまま掴まれていた手を解放される。そこで、ピリッっと手の甲に静電気のような痛みが走り、一瞬眉を寄せた。

「……、むしろ殴った私の方がダメージくらってるんだけど、この場合って体罰になるの?」

「んーどうかな。今回は俺がわざと受けたわけだから、ならないってことにしておくのが無難なんじゃないか。まあ訴えるつもりはさらさらないけど」

 この数十秒ですっかり鼻の赤みが引いていつもと変わらない笑顔を浮かべる標に、痛む左手をさすりながら、やっぱとんでもなく頑丈ね、と海馬は頬を引き攣らせた。

 さきほど攻撃が当たったのは、海馬に格闘のセンスがあるからでも、まぐれによるものでもない。

 本人が言うように、彼はわざと避けなかっただけなのだ。

 本来、暴力に頼る性格ではない海馬が、なんの躊躇いなく標に手を出しているのは、大概は避けられてしまうし、当たったところで全く効かないことを分かっているからだ。

 決して彼女がひ弱なのではない。

 少年が頑強すぎるだけの話だ。

「まったくもって、ありがたい話ね。私が損してばっかりで」

 はあ、と今日何度目か分からない心労によるため息を吐きながら、海馬は恨めしそうに標を睨んだ。

「そう言うな。俺という結婚相手が見つかったんだからいいじゃないか」

「その話まだ続いてたの!?」

「当然だ。さっきも言ったが本気だからな」

「あっそ。でもお断りよ。これ以上この話引っ張ったら、家から追い出すから」

「卑怯だ! もうなんも言えなくなったッ!!」

 バッサリとプロポーズを一刀両断されてしまった標は、ソファの上でがっくりと肩を落とした。そう。いつだって本気も本気。単に彼は腰が軽いだけで、ちゃんと本物の愛を込めて、告白しているつもりなのだ。

 ただ海馬の方も、これまで幾度となく少年の求婚を袖にし続けているので、もはや断る側もお手の物だった。

 あっさりスルーした彼女は、傍らでしょぼくれる少年から、デスク側の壁に備え付けられた窓の方へと視線を移した。ガラスの向こう側は、まだ地平線に陽の灯りが微かに残る夕闇の世界であった。そしてビロードの幕がゆっくりと降りるように、暗い夜が訪れようとしている。時刻は間もなく十八時を回ろうとしている。海馬が標を呼び出してから、約二時間近く経ってしまっていた。

 鏡のようになったガラスの反射越しに、顔を上げた標と目があった彼女は、そろそろ解散を促そうと、ゆっくり振り返って言った。

「もう外もすっかり暗くなっているし、そろそろ帰りなさい。私はもう少しこっちの仕事を片づけたら、そのまま大学の方へ行くから」

「なんだよ、遅くなるのか?」

「それが、今晩からちょっと缶詰になりそうなのよ。研究の進捗状況が芳しくなくってね。あと学会も近いからその準備もしなきゃならないし。やること一杯よ」

 口を動かしながら、海馬はデスクに積まれていたドッジファイルの一つを手に取ると、中に綴じ込まれた書類に目を通し始める。

 今学期の特別講義修了に伴って作成した、受講していた各生徒の評価報告書である。今日中に、内容に不備がないか最後の校正を行わなければ、スケジュールの兼ね合い上、期限内の提出が危うくなってしまう。

 手元の書類に集中を傾けて、時折ボールペンで赤く修正を書き込んでいく。そんな様子を見つめながら、標は心配そうに尋ねた。

「最近忙しそうだけど、身体の方は大丈夫か?」

「んーちょっと疲れたまってるけど、まだ平気かな。来週末からはしばらく休みとれそうだしね」

「そうか。ならその時は精一杯甘えてくれていい」

「ありがとう。……じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらうわ」

 手は休めずに彼の優しさに笑みを浮かべる。

 海馬捏覗は、私立谷便(やびん)大学理学部の助教授である。もとは国立大学の医学部出身で医師免許も取得しているが、自らの個性の特性から、大脳生理学を専攻して研究職につきたいと考えていたため、在学中のツテを利用して、最終的に現在の職に就くことになった。

 たださまざまな経緯があり、今年度から本業に加えて、学園グループ内の中学校で講師として、週一回だけヒーロー科の受験を目指す三年生に向けた特別講義を行っている。

 私大の助教授と、付属中学の特別講師という二足の草鞋。

 一年間を通してようやく履き慣れてきたような気もするが、やはり苦労が多い。

 休みもなかなか取れず、去年の有給休暇はほぼ使わずに残ってしまった。

 しかしそれも、少年の学校に行きたいという願いのため。海馬が講師を引き受けたことで、この谷便第一中学校に無理やり籍をねじ込んで貰ったのだ。ありがたがりこそすれ、迷惑などとは決して考えていない。むしろ家族の少年がまだ見せていない新たな一面を、教師という立場を利用して間近に観察できるというのは良いことだとさえ思っているところだ。

 苦労は確かに多いが、こうして標結間から優しい言葉をかけてもらえるだけで、十分彼女は労われていた。

「あ、そうだ」

 とそこで大事なことを思い出し、一度作業の手を止めた。

「こっちの都合でホントに申し訳ないんだけど、ご飯はこれで用意してくれる? たぶん、早くても明日の夕方くらいまでは帰れないし。確か冷蔵庫の中にいろいろ残ってたはずだから、それだけあれば余裕で足りると思うけど」

 ショルダーバックからブランド物の革財布を取り出した海馬は、中から五千円札を抜いて標に差し出した。

 彼女が多忙な時には良くあることなので、少年の方もいつも通り受け取っておく。

「分かった。残った分は後で返すよ」

「買い物に行くときは、警察に補導されないようにね」と一応、未成年の少年に向けて、外出時の注意事項を述べた海馬は、「いくら見た目大人びていても、制服着ている間は流石に誤魔化せないだろうし」

 同年代の男子と比べて、かなり高い位置にある赤い癖毛頭を見やって言った。

「気を付ける」

「あと最後に一つだけ」

「まだあるのか」

「明日、学期末テストの結果が返されるらしいから、あとで私にも見せてね。初めての試験でどれだけ点数取れてるのか、ちゃんと確認しておきたいし」

 学期末テスト。そういえばちょっと前にやったなーと標は思い出す。

 転校してきたのが三学期からだったので、生まれて初めてほかの生徒と一緒になって受けた試験だった。

「そんなに難しくなかったから、心配することないと思うけどな」

「あなた頭だけは良いものねー、性格はかぎりなくアレだけど」

「アレとか言うなよ、失礼だな!」

「まあそっちはあんまり心配してないけど……」と海馬は少し言いよどんで、「問題は学校での評価よね。授業態度が悪いって職員室でも噂になっているわよ。あんまり顔を出さない私の耳にも入ってくるくらいなんだから」

「そうなのか? 知らなかった」

 んー、ちゃんと授業は聞いているはずなんだが……、一体なにが先生の印象を悪くしているんだろう。

 腕を組んで、んー、さっぱりわからんなーと標がうんうん唸っていると、

「とにかく! もう今更かもしれないけど、明日以降はちゃんと真面目に授業も聞くこと!」

 通知表見るのがもうすでに怖いのよねと、こめかみに手をやって、海馬がさらに苦言を呈してくる。

 色々と心配してくれるのは良いんだが、さすがにしつこい。

 ウザいから帰り際に置き土産だーと、足元に置かれた学生鞄を手に取り、

 演算開始。

 

「ハイハイ。金言痛み入るよ………………。 パツキン小言ババア」

 

 よっしゃ、逃げよ。

 

「なんですって!? ちょっとコラ結間ッ!!!」

 聞き捨てならないと、海馬が叫んだその瞬間には、

 ――既に標結間の姿は、目の前から“消えていた”。




4の投稿時点で、ヒロイン名のタグを増やします。
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