マリン・ブルー その続き。例えばアストン・ハーレィが介入したなら。

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あの時アストンが現れたなら。


ダーク・ブルー

 暗い夜の砂浜に走る、一筋の水。

 もちろんそれは砂を濡らす程度のものではなく——凄まじい勢いで発せられ風圧で砂浜に溝を作りながら、真っ直ぐに飛んでいった。

 

 ハイドロポンプと呼ばれるポケモンの技である。鋼すら打ち砕く水圧で迫っていた。

 水の道筋の先にいたエアームドはすぐに危機を察知したが、鋭い爪で掴んでいた人質をどうするかに迷って動けないでいる。その傍らにいた人間は咄嗟に指示を飛ばすことが出来ず、僅かに後ずさるだけだ。

 あと1秒にも満たない間にエアームドは吹き飛ばされるだろう。もちろん人質として捕えられている女性諸共、だが。その水の威力に晒されれば、ポケモンならまだしも人間が無事でいられる保証はない。

 

 その時は迫る。

 

 そして——。

 

 

「バリヤード、ひかりのかべ! 受け止めろ……!」

 目にも留まらぬ速さで飛び出してきたバリヤードが、すぐさま薄い壁を作り出してエアームドの前に立ち塞がる。もちろん直撃するが、その足が僅かに砂に買い込んだだけで難なく受け止めてみせた。

 

 砂浜を走ってきたリエンは、じっと目を凝らした。人質の女性は無事、エアームドとそのトレーナーも無事。状況は好転していない。立ち塞がったバリヤードの傍らに、見たことのない男が立った。

 

「……あなたは?」

「失礼、まさかボクがこんな立ち回りをすることになるとは。流石に動揺します」

 

 暗闇の中で男が穏やかに微笑むのを見た。リエンはハイドロポンプを放ったポケモン——プルリルをすぐ側に呼び寄せて警戒を強める。悪党がひとり増えてしまった。

 目の前に現れた男を突破して、エアームドとそのトレーナーを撃破するのは現実的じゃない。なんてったってこうしている今も、彼らが忍び込もうとしていた海難救助隊本部の中で、昼間助けた旅人とゼニガメが盗みを働いているはずだからだ。

 

 助けを呼ぶ猶予はあるか?

 

 突破する手段は?

 

 

 その時、口を開いたのはエアームドのトレーナーだった。

「お前は……誰だ?」

 と、ハイドロポンプから守ってくれた男に向けて呟いたのだ。

「君がボクを知らなくても、ボクは君を知っています。君の仲間である男が、背後の建物の中に入って暴れ回っていることもね」

 ひとり落ち着いた態度を崩さない男は、静かに、しかし渦巻くような怒りを込めて宣言した。

 

「ボクの名前はアストン・ハーレィ、この件はこれよりPG〈ポケットガーディアンズ〉が取締りを行う!」

 

 す、と目線だけを動かして、アストンと名乗った男は背後を見た。自分が守ったエアームドとそのトレーナーに冷たい目を向ける。

「ボクが罪人を庇うことになるとは、しかし罪からは庇わない。君たちは裁かれるのです、逃れようもなく」

 何か喚こうと口を開いた男を遮って、アストンは鋭く終いの言葉を発した。

「全員突撃。建物内にいる犯人及びポケモンを拘束しろ」

 

 

 何人もの人が飛び出して、各々ポケモンを携えた本部を囲んだ。もう彼らは逃げられないだろう。

 リエンはPGという組織をよく知っていた。同じ治安維持を目的とする者として、彼らが頻繁に本部を訪れるからだ。ラフエルに蔓延るあらゆる犯罪を一手に引き受けて取締り、政府から平和の一切を任された守護者である。

 よく訓練されたポケモンと、マスターボール柄の盾をシンボルとして掲げる正義の執行者であると。

 

「君は良くやってくれたましたよ、些か乱暴だったけれど。……怖かったでしょう」

 アストンは、ハイパーボールにほしのかけらがひとつ描かれた階級章を付けている。確かに統率する立場の人間のようだ。

「ありがとうございます、助かりました」

「こちらこそ。一般の方とは思えないくらい素早い行動だった……いや、もしかしてマリンレスキューの方かな」

「単なる手伝いなので、一般人です。リエンっていいます」

 アストンは微笑んだ。先ほどの勢いを鞘に収めて、柔和な笑顔を浮かべている。

「素晴らしい正義でした。彼らは単なるゴロツキでも、しかし裏ではバラル団と繋がっていました。我々もマークしていたのですが、妨害があって出遅れてしまった……これは失態です」

 そうでしたか、とリエンは頷いた。アストンの顔を食い入るように見つめている。

「……そうだ、マリンレスキューの責任者にご報告をしなくては。案内を頼んでも宜しいですか? お疲れとは思いますが」

 リエンは一も二もなく頷いて歩き出す。その間も少女は時折アストンに目を向けて観察していた。

 

 

 

 

 

 動揺しているのだろうか、とアストンは予想する。日頃から悪と対峙することに慣れていなければ、いざその時になると心が激しく揺れ動く。リエンと名乗る少女の様子が少しおかしいのも納得がいく。

 しかしながら、とアストンは呟いた。動揺しているのはボクも同じだと。

 

 まさか、バラル団と通じるものを背に守ることになるとは。

 

「アストン警視正! 被疑者の確保及び被害者女性の保護を完了しました」

「ご苦労様です、女性の容態は?」

「怪我はありません。しばらくすれば落ち着くかと」

「そうか……」

 

 移動しながら報告を聞いていたアストンは、はたと足を止めた。何かがおかしい。

 

 そうだ。いつもの自分なら、まず真っ先に被害を受けた人に駆け寄っていたはずだ。理不尽な暴力に晒された人が誰より案じられるというのに。

 

「忙しいようでしたら、報告は私がしておきますよ」

 ちょっと目を翳らせたリエンの申し出に首を振った。何が自分の意識をこの少女に向けさせたのかは分からないが、それが本能的に取った自分の行動であるなら、恐らくは意味があるのだと。それに、彼女のポケモンについても気になることがある。

 悪と向き合い、己を律し、常に正しく道を切り拓いてきた経験と勘を信じて、アストンは歩き出した。

 

 

 

 〇 〇 〇 〇 〇

 

 

 

 

「おはようございます」

 もう昼が近い時間帯だが、扉から顔を覗かせたリエンは眠そうな顔をしていた。何故ここが分かったんですかと問う。モタナの美しい砂浜にぽつんと立つ古い小屋が少女の拠点だと、海難救助隊の者が教えてくれた。気になるようなら呼び出すとも言われたけれど、それはアストンにとって本意ではなかった。

 少女は小屋から砂浜の見守り活動をしていると聞いたが、今朝はとりわけ早い時間から篭っていたらしい。何度も欠伸を噛み殺しながら、照れたように笑うのだ。

「すみません、ちょっと寝不足で」

「昨夜のことがあったからですか? きちんと休まないと」

「ふふ、分かってはいたんですが、どうしても本を読まなくちゃならなくて」

 

 本? と首を傾げると、リエンは小屋の扉を大きく開いた。

「良かったら上がってください、ちょっと狭いしごちゃごちゃですけど。私に用があるんでしょう?」

 

 

 

 本というのはまさに、ラフエルの子なら誰でも必ず読むであろうものだった。英雄ラフエルの冒険と功績を書き綴った、少し古臭い口調の英雄譚。窓に接したテーブルに開きっぱなしのそれは置かれていて、もう擦り切れるほど読んだのだろう、ページや装丁がかなり傷んでいるのが目に取れた。

 部屋の中は仕事道具で充実している。ある程度の怪我や病気に対応できる薬が一式、簡単な医療用具も密閉容器に入れて保管されている。浮き輪や救命胴衣、何に使うのか、壊れたウキや破れた網も部屋の隅に積まれていた。

 

「どうしてまた、その本を読まなくてはならないと?」

「ああ……なんだか恥ずかしい話なんですけど、読まなきゃ落ち着かなくて。昨日はあんな事があったでしょう、これを読むと安心するんです」

「確かに素晴らしい話ではあります。ラフエルは強く偉大ですから」

 

 まったくその通りですと頷いて、リエンはベッドに座るよう促した。いつ利用者が現れてもいいように綺麗に整えられている。

 

「自分が基づく正義があると安心します。昨日のことは……今になって迷いました。私は正しかったのかと」

「勿論、ボクは正しい人だと思って見ていましたよ。彼らは悪だったし、それに気付いたリエンさんは立ち向かった」

「でも、やっぱり少し迷っていたかも。ダメですね」

 

 硬い椅子に座ったリエンは、そっと肩を落として俯いた。あの時の彼女は、むしろ迷いなど無い勢いがあったように思えたが。

 

「正しいこと、正しくないことを分かっていないと迷ってしまってダメです。正しい判断が下せない。そういう所は本当に反省してるんです」

 アストンも仕事柄、常に己の歩む道について考えを巡らせるが、同じ組織に所属していても職務のために思い悩む人がそう多くはないことを知っている。非常に厳しい、負荷がかかる行為だからだ。

 それを積極的に行う人間は選ばれ、或いは勝ち取ってPGを統率する人間になってゆく。少なくともアストンが知る幹部の多くはそうであることが多いのだ。

 

 

 もしかしたらこの少女は、PGにいるべき人間なのではないか? その素質を察知したから、自分はリエンが気になったのではないか?

 

 

「ああ、私ったら自分のことばかり。そう言えば用があったんでしょう?」

「いえ……昨夜はやはり思い詰めているようでしたから、心配になって。本当は様子を見て、話をしようと思っただけなんです」

 窓の外には海が見える。アストンは眩しそうに目を細めて笑った。

「海難救助隊本部では部下が現場をあらためている最中ですから、暇なんです。ボクが顔を出しても緊張させてしまうだけだ」

「偉い人なんですよね、警視正」

「名前ばかりですよ。それに、気付いたらここにいただけです」

 傷ついた人を守ろうとする度、許せない悪に正面から立ち向かう度に前へ進んだ。ふとある時自分のある場所を見たら立っていた地位だ。周りの者はもっと上へ行けるのにとよく言う。ボクがボクのやり方さえ変えれば、とも。

 

 リエンがヤカンをカセットコンロに乗せる。なみなみと水が入れられているのか、くぐもった音がした。

 

「じゃあ、良かったらお話しましょう。PGのことについて、お仕事について聞かせてください。私、色んなことが知りたいんです」

 

 澄んだ瞳に思わず背筋を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 PGとは名前の通り守る者のことを指す。バラル団をはじめとするならず者から守り、ルールを守る。それがどれだけ難しいことかいつだって対峙しながら仕事をしてきた。

 しかしながら、とアストンは言う。

「ボクはやっぱり、バラル団と向かい合う時が特別だと思います」

「他の犯罪組織とは違いますか?」

「ええ……彼らは確かに強くて、どんな組織よりもその悪逆を平気で行う」

 

 それは彼らを統率する幹部が優秀だからだろうか、それともその全ての上に立つリーダーがカリスマ性を有しているからか?

 例えネイヴュの凍てつく監獄に捕えられていようと翳らぬ力があるからか。

 

 彼らは強い。どれだけ真正面から打ち破ろうと立ち上がり、また立ち塞がるのだ。

 

「ボクはバラル団を許せないんです。断じてその行いを見逃すことなど。何度も彼らと向き合い、その度に戦ってきましたが……その度に思いは増すばかりだ」

 噛み締めるように言葉を紡いだアストンは、我に返って微笑んだ。この話になるといつも冷静さが怒りに負けてしまう。

 

「でも、ボクの思いはPGの一員としては正しいことだと自負しています。誰より強く憎むからこそ真っ直ぐに、正しさを持って彼らを打ち破る。正すことこそが正義です」

「正しさを持って、ですか」

「はい、定められたルールに従い、鍛え上げた力で正面から打ち破るのです。これがボクの信じる強さだから」

 バラル団がどれだけ禁じ手を使おうと、アストンは決して膝を折らなかった。その強さで戦場に立ち続けた。

 

 

「アストンさんは……強いですよね。流石だなって思いました。ミズのハイドロポンプがまるで効かないんだもの」

 警視正さんはすごいな、とリエンが笑う。

 アストンはあの砂浜での一瞬を思い出した。ハイドロポンプの先にポケモンだけでなく女性がいることを知った瞬間、咄嗟にバリヤードを向かわせていた。それが最も人を傷つけない判断だったし、結果として正しかった。

 

 プルリルの攻撃を受け止めるのは苦労しなかった。力は強くない。だが、もしこちらから攻撃をしかけたら難しいものがあったかもしれないとも思う。バリヤードでは追いつけない。

 

 それに。

 

 

「そんなことはありません。君のプルリルも強かった、信頼関係も見えました——やせいのポケモンとは思えないくらいに」

 

 リエンの瞳は揺らがなかった。ただアストンを見つめている。

「どういうことですか」

「ボクは色んな経験をしてきました。年齢的には若輩者ですが、人一倍多くの人やポケモンと向き合ってきたつもりです。だから、分かる。プルリルは君の手持ちではない」

 

 その手がウエストポーチへ伸びた。

 あの時プルリルが気になった。彼を使役しているリエンが気になった。

 

「うーん……困ったなあ。今まで見抜かれたこと、無かったんですけど」

 へへ、と笑ってポーチからモンスターボールを取り出した。もちろん中は空っぽだ。

「ボールは人とポケモンを繋ぐ絆です。彼らとボク達が共存し始めた時、ボールがこの関係を確かな形にしたのだから」

「分かってます。でも、ミズはそれを必要としていないかも知れない」

 

 

 

 〇 〇 〇 〇 〇

 

 

 

 まだリエンが小さかった頃、ひとりで街の外にある洞窟へ出かけて行った。父親からは禁じられていたけど、その頃から彼女は人の言うことをあまり聞かない。

 

 暗い洞窟で、彼女は足を滑らせて。

 

 暗い海へ落っこちた。

 

 

 陽の光が届かない海は冷たかった。上手く手足が動かないのは温度のせいか、それとも少女の身体を包もうとする透明な手のせいか。

 

 モタナタウン周辺の海にプルリルは生息していない。現に、洞窟にいたのはその一匹だけだった。偶然流れ着いたプルリルが、思ったよりもすぐに深さを増す洞窟周辺の海が気に入って棲みついたのか、人目につかない場所だからと誰かが逃がしてしまったのか。

 リエンは抵抗するのをやめてプルリルに向き合った。恐怖より好奇心が勝った瞬間だった。

 

 透き通るような身体に、表情のない瞳。力なく伸びた手が、しかし確かにリエンを捕らえている。深いところへ沈んでいく。

 それは不思議な感覚だった。驚くほど明確な親近感がリエンを満たした。この虚ろな目と、向こうの景色を透かし見る事ができるような身体。緩やかに沈む速度に意思がない。

 まるで空の器のよう。

 

 そうっと手を伸ばして、プルリルを引き上げようとした。逆に身体の力を抜くと、浮力でぐんぐん浮いていく。

 二人で今度は明るい方へ。

 

 誰も知らない、水の話。

 

 

 

 〇 〇 〇 〇 〇

 

 

 

「当時はまだ小さくて、ポケモンも持っていなくて欲しいなとは思ってたんです。でも、ミズに会ったときの感覚は特別でした。そう……この子なら自分の一部になるくらいの関係になるんじゃないかって」

 アストンはじっと話を聞いていた。

「昔から何だか空っぽでした、私。ラフエルの本を繰り返し読んで、パパの手伝いも頑張って。でも、いつだって何もしてないみたいに空っぽだった。憧れるものも日常もあるのに」

「そんな時、プルリルに出会った?」

「そう、とても空っぽで、水みたいに透明でした。びしょ濡れになりながら二人で街に帰ったんです。その時はモンスターボールを持ってなかったけど、ミズは付いてきてくれた」

 

 あの時からもう随分経ったけれど、まだボールの中には入れられないという。

 

「モンスターボールは絆だと、先ほど言いました。同時にいざと言う時はポケモンを守る大切な道具でもあるんですよ」

「分かってはいるんですけど……ダメです。私は、ポケモンと人っていう区切りを付けたくないのかも」

 肝心なところで心が弱いですよね、と力なく笑う。

「捕まえてしまえば関係が定められてしまう。今まで二人でひとつだったのに、私の一部、私の力のようだったのに——立場を分けてしまうことが怖くて」

 

 

 笑ってしまうでしょなんて言って、誰よりも笑うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 幾つもの瓶を並べて、中に入れられたとりどりのハーブを掬っては混ぜる。湯を注いで出来たお茶は、見たこともない色だった。

 

「はい、どうぞ。マリンティーです、変わった色でしょう」

 

 まるで深海の色を写し取ったかのような深い、深い青色だった。何を混ぜればこんな色になるのだろう?

「その日によってブレンドが変わるので、同じ色になることはもう無いかも。不味かったら遠慮なく残してくださいね」

「まさか。頂きます」

 一口飲むと微かな甘さを感じた。舌の上ですぐに消えて、苦味を呼び寄せる。それもまた波のように寄せては引いていくのだ。

 

 深い海の味が不思議と癖になって、何度も口に含んだ。酷く脆く消えていって、飲み込めばもう味を忘れてしまうから。

 

 

 

 

 

 〇 〇 〇 〇 〇

 

 

 

 

「外が騒がしいですね」

 少し日が傾く頃だった、真っ先に異変に気付いたのはアストンだ。素早く窓から浜辺に目を走らせると立ち上がる。

「見てきます。君はここに」

 そう鋭く言い残して外に出た。突き刺すような日差しが白い砂に反射して目を眩ませる。女性の悲鳴が聞こえた。

 

 見れば男が走り去る所だった。悲鳴をあげた女性は尻餅をついていて、周囲の砂がひどく乱れている。これは——。

 

 

「ミズ、れいとうビーム!」

 

 

 アストンから考える暇を奪ったのは他でもない、リエンだった。

 止める隙もなく伸びた氷の一線は、真っ直ぐに逃げる男の足を捉えた。瞬時に凍りついた右脚を砂に引っ掛ける形で倒れると、一拍置いて絶叫が響いた。

「ああああああああああ!!」

「リエンさん、何を……待ちなさい」

 男が抱えていたモンスターボールが数個ほど、砂浜に転がる。私のポケモンよ、と女性が叫んだ。

「その男が私の大切なポケモンを盗もうと……! 助けて」

「もちろん、私が助けるよ」

 

  もう判断を遅らせるわけにはいかなかった。アストンは素早く男とリエンの間に割って入ると、モンスターボールを手に構える。

「待って下さい、ポケモンで人を攻撃するのは幾ら何でもやりすぎでしょう。ルールに反する」

「そうですけど……あの人、盗人ですよ」

「ここはボクに任せて。PGとして正しく解決してみせます」

 

 でも、とリエンが呟く。その周囲をゆっくりとプルリルが回る。相変わらず何も浮かばない表情で。

 

「ボールに入れていても、モノを盗むように盗まれるんですね。確かな形ある絆のはずなのに、形あるからこそ——そういうの、許せないじゃないですか」

「ええ、そうですが、」

「私はこういうの、正したくなります」

 

 リエンの瞳が曇ったのと、アストンがボールを投げるのは同時だった。

「ハイドロポンプ!」

「受け止めろロズレイド!」

 一瞬の間もなく、しかし悠々と攻撃を受け止めて散らしたアストンのロズレイドは、プルリルと向かい合う。

「ボクはどうしてか、君と向かい合って罪人を守ることが多い……こんなの本意ではないのですが」

「そこを退くべきじゃ?」

「出来ません」

 

 ならば、とリエンがプルリルに指示を飛ばす。元々素早い動きだが、鍛え上げたロズレイドにとっては大した障害ではない。相性のこともあって、的確に放ったロズレイドの攻撃が相手の体力をみるみる削り取る。

 形勢は明らかで、あっという間にプルリルは傷だらけになった。

 

 その時アストンは知った。どうして自分が、昨夜は被害者の女性よりリエンを気にかけたのか。プルリルがやせいのポケモンだと見抜いたからではない。彼女の正義に対する愚直さを感じ取ったからでもない。

 

 

 リエンが危険だからだ。

 

 

 PGとして染み付いた勘がそうさせたのだ。被害者よりも、危険人物が近くにいるならその監視を優先させるのは当然だ。あの時の自分は知らぬ間に知っていた。

 こうならなければ気付かなかったかも知れない、あの直感の結果を。

 

「私はやっぱり未熟です。昨日の夜、あれだけ事態は切迫していたのに、私はエアームドを攻撃することを選んだ」

「君は、」

「今なら分かります。あの時攻撃すべきはエアームドのトレーナーだった。躊躇してしまっていたんです。反省してるんです」

 

 プルリルの攻撃は止まない。傷ついていく。

 

「アストンさんは本当に強いですね。私じゃ全然歯が立たないこと、二回も向き合えば痛いほど分かります。きっと外の世界には、私じゃ手も足も出ないことが沢山あるんだろうな」

 ロズレイドの一撃が深くプルリルに突き刺さった。

「向き合って分かったことを生かします。私は、私が出来ることを成し遂げたい。逃げないこと、的確に悪の根源を倒すこと、そして決して折れないこと」

 

 これだけの深手を負えば動きが鈍るだろうが、プルリルは平然と起き上がった。もちろんあと一度でも攻撃を受ければ動けなくなるだろうが。

 プルリルはリエンの心を映す水鏡。

 

「私は成すまで、倒れない」

 

 

 思わずぞっとした一瞬のうちに、プルリルがハイドロポンプを放った。それは大きくロズレイドを逸れ、アストンを掠めるようにして——背後に立っていた男を吹き飛ばした。

 アストンの足元にナイフが転がる。

 

「油断しちゃう所でした。怪我はないですか?」

「……ええ、しかし」

 

 振り向くと、かなり離れたところに男が倒れていた。直撃したらしい。生きているかは分からない。

「私はミズの手当をしてあげないと。ちょっと失礼しますね」

 

 あっさりと小屋に姿を消したリエンを見送って、アストンは拳を握りしめた。男に駆け寄って容態を確かめると、すぐに部下を呼ばなくてはならない。

 なぜ自分は盗人を案じるのか、と考える。考えてすぐに振り払う。これは決して、正しい結果ではなかった。

 

 

 

 

 〇 〇 〇 〇 〇

 

 

 

 

 穏やかな日差しが降り注ぐ道を、アストンは歩いていく。急いで北へ向かわなくてはならなかった。ここの所バラル団の活動が活発化していることは顕著で、こうして各所を見回りながら、本格的な招集がかかるまで徒歩で先へ進む。

「比較的治安の良いモタナタウンですらあの状況とは、案じられますね、警視正」

「ええ……気を引き締めなければなりません。何事もなければ良いですが、有事の際は適切な対処を」

 部下にそう告げる声は、一層力が込められていた。

 

 やがて先に分かれ道が見えてきた。右か左か、丁度真ん中で佇む少女がいる。傍らには青いポケモンを連れているではないか。

 

「リエンさん……?」

「わあ、アストンさん! 偶然ですね、もう出立ですか」

「ええ、君は何故ここに?」

 

 ふふ、と少女は笑う。

「私、一人旅に出ることにしたんです。今まできっかけが無くて行動に移せなかったけれど……いつまでも燻っていられないなって」

 ありがとうございましたと頭を下げられた。自分がなにかしただろうかと考える。勿論、何も思いつかないのだが、強いて言うなら二度も立ち塞がったことくらいだろうか。

 

「アストンさんはかっこいいですね。憧れちゃいます。まるで英雄みたいに強くて正しい。だから私なりに、追いつけるよう精進します」

 

 そう言ってリエンは分かれ道に向き直った。

「右の道、左の道、迷ってしまいますね。どっちを選ぶも私の自由」

 

 共に来ないか、と言いたかった。PGにするのは危険だが、ひとりで旅をさせるより近くで見ておきたいという気持ちが強い。そうしなければならないと、アストンの勘が告げている。

 でも、何故か言えなかった。

 

「うーん、左かな。ミズもそれでいいでしょ? そうしよう」

 それじゃあ行きますね、とリエンが微笑んだ。どうか元気でと手を振る。彼女がゆっくりと歩き去るのを、出来る限り見送った。

 

「警視正、そろそろ」

「……ええ、行きましょう。急がなくては」

 部下にいつもの穏やかな笑みを向けると、アストンは右の道をゆく。北の遠い空は暗い雲が覆っていた。今はまだ暖かな日差しも、やがて翳ってしまうのだろうか?

 

 それでも彼は確かな足取りで先へ進む。

 

 

 どちらも正しい道であることを、ただ願いながら。




これは一つの結果。


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