東方幽棲抄 ~ 今日も今日とて、ツンデ霊夢に殴られる 作:風鈴.
第1話 早苗と電話
7月19日。
夏学期を無事に終え、全国の学生が翌日から訪れる夏期長期休校――いわゆる『夏休み』に浮かれているであろう。
外の景色は黒に染まり、夜天では数え切れない星々が大気の揺らぎによって瞬いている。
俺は風呂上がりで濡れた髪の毛をタオルで拭いつつ、自室に設置しているベッドに腰掛けて、耳元に携帯電話を当てていた。
携帯電話のスピーカーから、鈴を転がすような心地よい少女の声が聞こえてくる。
少女の名は東風谷早苗。小学生の時に同じクラスになった縁で、現在も親交が続いている友人の1人だ。
『そう言う訳でして、その、あの……期待を裏切るような事になってしまって、本当にごめんなさい。非常に心苦しいのですけれど……。あっ、颯君、勘違いしないで下さいね。私は今回お誘い頂いた遠出について、急に行きたくなくなったとか、そう言う自分勝手な理由のために、家の都合という建前を使ってお断りしている訳では決してありませんからね。本当ですよ?』
あまりにも馬鹿丁寧な彼女らしい口調を耳にして、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
実に普段の彼女らしい。
「分かってる分かってる。そんな事は言い立てなくても大丈夫だよ。早苗がそんな自己中心的な奴だと微塵も思ってないからさ。家の都合なんだろう? それなら仕方がないさ、家の都合にも色々とあるしな」
どんな家の事情なのか気にはなったが、それは詮索しないのが礼儀だろう。もしかしたら、誰かの御通夜や葬式が入ったのかもしれない。早苗のことだから、陰鬱な話題に触れて俺の気分を暗くさせないよう配慮していることも考えられる。
「それにさ、早苗は神社の巫女――じゃなくて、風祝かぜはふりだったか? 俺には違いがよく判らない役職だけれど、それを務めているらしいし。神事の準備なんかに忙しいと思うからさ。夏祭りの準備とか」
『お祭りの準備……ですか。そうですね……。今回は神事に関することではないのですけれど、そう言って察して頂けると、こちらとしては心が軽くなります。……でも、私が約束を破ってしまうことになるのは事実ですし、それで颯君や優君に少なからず迷惑を掛けてしまうのも本当ことですから……』
「……ははっ」
『えっ……? どうしたんですか? 私、何か可笑しな事を言いましたか……?』
「ああ、いや、気にしないでくれ。たださ、その七重の膝を八重に折る喋り口調、本当に早苗らしいなって改めて思ってさ。前々から言っていたと思うけれど、俺と早苗は同い年なんだぜ? もう少し砕けた口調でも問題ないんじゃないか?」
『え、あ……』
早苗は少し恥入ったのか、微かに呆けた声を上げた。
他者からの言葉をいちいち真面目に受けとめ、真剣に考えてしまうところも、実に早苗らしい。今時、こんな性格の持ち主がいるのは、本当に珍しいと思う。どんな風に育ってきたら、こんな実直な性格になるのだろうか。
まあ、良くも悪くも……早苗は純粋過ぎるのだろう。
『えっと、その……ごめんなさい。何度言われても、どうしても癖がついているみたいなんです……』
「まあ、癖じゃ仕方ないよな」
『はい……』
早苗の言う通り、彼女の丁寧な口調は、本当に癖なのだろう。
「まあ、そんなに重く受け止める必要なんてないと思うぞ? 夏休みは、まだまだ1か月以上あるんだし――そもそも夏休みはまだ始まってすらいないんだぜ。日帰りの軽い温泉旅行なんて行く機会、これからいくらでもあるだろうからさ。そんなに気にすることはないんじゃないか?」
『そう……ですよね。学校のお休みなら、これからいっぱいありますし。……じゃあ、今回の話は次の機会に回す方針でよろしいですか?』
『方針』や『よろしい』って言葉は……果たして日常会話で用いるものなのだろうか。
まあ、そのような少し堅苦しい口調も早苗らしいと言えば早苗らしい。
「まあ、そんな感じで良いと思うよ。このことは、俺から優の方に伝えておくよ」
『あっ、そのなのですけれど。私が旅行に行けなくなった件については、すでに優君に話しましたよ』
俺に電話を掛ける前に、先に優に電話を掛けていたのか。
……なんだろう、もやっとした感情が。
早苗から先に電話をもらえなかったことに対して、優に少し嫉妬心を覚えるなぁ。
まあ、どうでも良いや。
ちなみに、俺や早苗が口にしている『優』という人物は、計画していた日帰りの温泉旅行へ行くメンバーの1人だ。俺と早苗、それに優を加えて、3人で行くつもりだった。優という名前から性別の判断は難しいだろうが、男である。
「ああ、そうなのか……。分かった。じゃあ、中止に関する話はしなくても良さそうだな。……いや、延期した旅行の日時を決める必要があるか。次の予定日については、俺が優と話し合っておくよ。後で、その候補日を伝える」
『分かりました。では、お言葉に甘えて、候補の決定についてはお任せしますね』
「了解。どんと任せておけ」
『どんと、ですか。ふふふ、じゃあ、どんと任せちゃいます』
少しの間、2人揃って笑い声を上げる。
『そう言えば――』
「ん? どうかしたか?」
『いえ、大した事ではないのですが、この電話を掛ける前にも、何度か颯君の携帯電話に電話を掛けてみたんです。全く出る様子がなかったので、先に優君に電話を掛けておいたのですが、何か取り込み中でしたか?』
「ああ、そうだったのか」
早苗が先に自分へ電話を掛けてきてくれていたという事実に、少しばかり嬉しい気持ちが湧いた。……が、なんだろう。自分の器の小ささというか、こせこせとした人間性に残念な気持ちが湧かないわけでもない。
微妙な気分だなぁ……。
「さっきまでお風呂に入ってたからさ、たぶん、その時に早苗から電話が掛かってきたんだと思う。だから、電話に出られなかったんだよ」
『ぇ……』
「……、……?」
会話が――途絶えた。
携帯電話から早苗の声は聞こえないが、彼女の家の日常音らしきものは、かすかに聞こえてくる。回線切れではないようだ。
……何でしょうか、この奇妙な気まずい間。
え、なに、俺、何かまずいことでも言いました?
「……あのー、早苗さん、早苗先生。ご存命ですか?」
『……! は、はい! 大丈夫です、きちんと心臓は動いています!』
早苗の真面目な反応の面白さに、思わず吹き出しそうになった。
「そ、そうですか……。大事ないようでして何よりだけど。……しかしながら、早苗嬢。つかぬことをお聞きしたいと思うのですけれど」
『え、な、何でしょうか?』
「何で――急に黙ったんですか?」
『えっ』
「えっ」
『あ、いや、その……』
「え、あ、は、はい……」
『えっと……えっとですね……』
「え、ええ……」
『……』
「……」
『……』
「……」
『そ、それは――』
「あ、やぱい、もうすぐ携帯の充電切れそう! 参ったな―。いやー、悪い、早苗。もう電話切るぞ。待たずに切るぞ。ああ、そうそう。温泉延期の話、きちんと優に伝えておくからな。安心して良いからな。じゃ、またな!」
『えっ、ちょ、ちょっと待って下さ――』
俺は口早に別れの言葉を告げ、即座に通話を切った。
電話が切れる間際、早苗が何かを慌てて言おうとしたようであったが……うん、気にしなくても大丈夫だろう。
俺は通話終了を示す液晶画面を眺め、早苗が何を考えて沈黙してのか気になった。
いや、考えるまでもなく、なんとなく早苗が何を考えていたのか察しているのだけれど。
あの場面で、会話を途切れさせて何かを考えるとしたら……な。
なんと言うか『早苗はそんな事を考えないだろう』と現実逃避的な意味で、他の可能性を探したくなっただけだ。
つーか、軽く聞き流せよ、風呂の話くらい。普通だったら『ああ、そうだったんだ。じゃあ、仕方ないね』的な会話の流れになるだろうに。
予想外過ぎて、俺の方が驚いたわ。
早苗は、どうも俗世間とは間隔がずれている節がある。
早苗と同じ年代の女子に同じような話をしても、自分の経験上、相手は意に介さずに会話を続けるものなのだけれど……。
そんなことを悶々と考えていると、携帯電話から電子メロディ――メールの着信音が鳴った。
「ん? メール……?」
携帯電話の液晶画面を覗くと、新着メールが1件届いているという表示。
受信ボックスを開くと、新着メールの送り主の名前に『東風谷早苗』と表示されている。
件名は『ごめんなさい』の一言。
……。
……。
先ほどの会話と件名の文のせいで、メールの開封に抵抗感を覚える。
逡巡した後、携帯電話を操作してメールを開いてみた。
件名:ごめんなさい
本文:先程の事についてなのですが、気になさらないで下さあ。あの時、丁度私の家族の者が手を滑らせてお皿を割ってしまいまして、大きな音が鳴ったんです。そるでそちらの方に気を取られてしまいまして……。ですから、颯君が推測しているかもしれない、不埒な事ではありませんからね。それは単なる勘違いなねですよ?
追伸
今回の非礼については、いずれ埋め合わせをさせて頂きますね。延期させてしまった温泉旅行の予定日の話、楽しみに待っていますね。
ところどころに誤字が散見あたり、急いで打鍵してメールを送信されたことが窺える。
皿が割れた、ねぇ。
皿が割れた音なんて、全く聞こえなかったのだけれど。
わざわざ嘘をつく辺りに、何か後ろめたいことを考えていたのではないか……そんな邪推をしたくなる。
つーか、不埒なことじゃないって、あえて訂正しているし。
早苗……やはりアホの子だったか。
ピロロピッロローピロピロッピッピー、ピロロピッロローピロピロピッピ――
突然、携帯電話から調子っぱずれな着信メロディが鳴った。。
割り込む形で表示された着信画面――そこに表示されている着信名は『神坂優』。
早苗との会話に出てきた人物の『優』だ。
早苗の件を話す必要があるし、この着信は丁度いい。
俺は通話ボタンを押した。
「もしもし、優か――」
そう言おうとした矢先、
『オレオレ、オレなんだけどさ――』
まるで振り込め詐欺の口上のような言葉が聞こえてきた。
その声音は、普段の優のものとは全く違う、鐘割れた野太い男の声。
「……」
俺は携帯電話を耳から離し、じっと着信画面を見つめる。
着信名は、どう見ても、どう見間違えようとしても『神坂優』。
電話口からは『あれ? 通じてる? もしもーし、オレオレ、オレだけど』という声が聞こえてくる。
「……面倒くせーなぁ」
俺は天井を見上げ、深い溜息をついた。
……ああ、ちなみに注意しておく。
優の安否を確認すべきかや警察に通報すべきか――そんなことは考えていない。
この電話の主は、神坂優で間違いない。
口調も声音も違うが、これは優が遊び半分でやっていることだ。
神坂優とは……そういうアホなのだ。