東方幽棲抄 ~ 今日も今日とて、ツンデ霊夢に殴られる 作:風鈴.
のどかな昼下がり。
社務所の休憩室で、3人は思い出話に花を咲かせた。
守矢神社で遊んだ時の話、互いの家に遊びに行った時の話、野山を探検した時の話、神社の蔵の中に忍び込んだ話、近所で催された祭りの話、小学校で行った密かな悪戯や失敗談、過去の級友の近況、初めての宿泊学習の話――
一通りの思い出話を語り終え、今度は互いの近況を報告し合う。今後の夏休みの予定、近場に新しく開店した服飾屋や喫茶店など。
どんな話題でも構わず、気の置けない旧友との語らいを心ゆくまで楽しみ続けた。
気が付けば、神社は夕日影に照らされ、神秘的な静寂を匂わせていた。
俺と優は早苗に別れを告げ、神社を後にした。
それから時間は流れ――
俺は自室のベッドに寝転がり、保冷剤を包んだ三角布で右手首を冷やしていた。
どうして右手首をアイシングしているか――それは優の同人誌制作の手伝いが関係している。
早苗と再会した後から現在に至るまでの3日間、優の自宅であるアパートにこもり、優と一緒に夏コミの同人誌制作に尽力していた。
狭くて小奇麗とは言えない部屋の中、窓を全開にして、さらに扇風機フル稼働(エアコンと呼ばれる文明の利器が設置されていない)で、黙々と原稿用紙と闘っていたのだ。
成人向けの同人誌であることはともかくとして、同人誌制作そのものは楽しかった。もともと物作りは好きだし、めったに体験できない作業だから、新鮮味があるのだ。
そんなこんなで、同人誌制作に意欲的に取り組んでいたのだけれど……。
「手首が……いてぇ……」
酷使された右手首が痛みに悲鳴を上げている。
いや、悲鳴を上げるという表現は、いささか誇張的か。
呻き声を上げる、という表現に抑えておこう。
まあ、表現の程度問題など、どうでも良い。
ふと、部屋の夜窓から、空の様子を窺う。夜空には雲がまばらに浮かんでいるだけで、星空が綺麗に見えた。
この調子なら、明日の天気は雨にならないだろう。
夜空の星明かりを見上げていると、不意に携帯電話の着信メロディが鳴った。メールを受信したようだ。
携帯電話を手に取り、受信BOXを呼び出す。
メールの差出人は早苗だ。
件名:明日の旅行
本文:こんばんは、颯君。この前の神社で行ったお喋りは楽しかったですね。思い出話をしていたら、何だか不思議な気持ちになっちゃいました。懐かしいような、温かいような……でも何故か切なくて悲しいような。アンビバレンスです。
それはともかく、明日の旅行は楽しみですね。小学校の時の遠足前夜みたいで、心が浮き立っちゃいます。未だに子供っぽいのでしょうか。颯君は、どんな気持ちですか? 私みたいに、心がうきうきしてして落ち着きませんか?
今日はあまり夜更かしせずに、ゆっくり休んで下さいね。3人で無事に旅行を終える事が出来たら、とても嬉しいです。
少し早いかもしれませんが、お休みなさい。明日、また会いましょうね。
メールの内容はそのようなものであった。
メールを読了すると、すぐに返信メールを書いて、早苗に送った。
メール送信完了の画面を確認すると、再び受信BOXを開いて、今度は優から一昨日送られてきたメールを展開した。
そのメールには、温泉旅行に関する事項が書かれている。当日の集合場所と待ち合わせ時刻、電車移動における運賃と移動時間、旅行に際しての必要品、大まかな行動予定などだ。
そのメールの内容を再三に渡って確認すると、携帯電話を閉じた。
目を閉じ、手のひらを胸に当ててみる。
常よりも少しだけ、心臓が鳴っている。
無論、わくわくしているのだ。
早苗が子供っぽいのなら、俺も子供っぽいということか。
早苗がメールに書いていた通り、今夜は早めに休み、万全な体調で明日を迎えたい。早めに就寝した方が良いだろう。
俺は部屋の電灯を消した。
見慣れた自室の光景。
今に限っては、その光景が少しだけ……いつもと変わっているように感じられた。
『世界が退屈に感じられる? それは、あなたが世界に飽きたからではありません。あなたがあなた自身に飽きているだけですわ。観測者が変われば、観測結果も変わりますもの』
ふと、そんなことを誰かが言っていたような気がする。
誰の言葉だったか。口調からして大人の女性だと思うのだけれど。
学校の女性教諭であったか。それとも、近所の女性であったか。
「まあ……誰だっていいや」
独り呟き、ベッドに横になった。
そう言えば……。
その言葉に続きがあったと思うのだけれど、何だったか。
思い出そうとするものの、いつにもまして、あっさりと意識が眠りに沈み始めてしまう。
旅行前の緊張や期待など、全く関係なく。
誘われるように、
引き込まれるように、
飲み込まれるように、
水に溶けるように、
毒薬に侵されるように。
甘美な眠りは――意識を闇へと落として行った。