東方幽棲抄 ~ 今日も今日とて、ツンデ霊夢に殴られる 作:風鈴.
「得心を得られましたわ」
「はあ……得心ですか。それで、その得心って……?」
「さて、どう言い表しましょうか。とある童話を読んで心を弾ませ、野原を歩きながら兎の穴を探す愛らしい少女のような心境と言ったところですかね」
「………」
迂曲な言い回しをせずに、素直に教えてくれればいいものを……。
野原と兎の穴と少女――そして童話。恐らく、ルイス・キャロルが書いた不思議の国のアリスか。
「……次の質問に移ってもいいですか?」
「あら、言葉の意味探りを諦めてしまったのですか?」
「ええ、ちょっと……まあ、別に大したことではありませんし」
「あらら。会話の楽しみが1つ奪われてしまった感がありますわ」
「なんとなく申し訳ないような気もしなくないですが、婉曲な言い回しを言われる側のことも考えてくださいよ。いちいち会話に頭を悩ませていたら、疲れてしまうじゃないですか」
「確かに。あなたの意見にも一理ありますね」
「……それで、次の質問に移ってもいいですか? まだ訊きたいことがいくつかあるので」
「ええ、構いませんよ。なんなりとお尋ね下さいな。ただ、その質問はハーブティーをカップに注がせて頂きながら聞きますわ。茶葉の葉が開きましたから。――どうぞ、私にお構いなく、お尋ねになって下さい」
女性はスキマ開いてマドラースプーンを取り出し、それでティーサーバ内のハーブティーを静かに撹拌した。今度は茶漉しを手に取り、茶葉を濾しながら、それぞれのティーカップに少しずつハーブティーを注いでいく。
「では、遠慮なく……。あなたは俺が電車に轢かれる直前、スキマとやらに落として助けた時、優という同じ年頃の少年もいたはずです。……そいつは無事ですか?」
「ああ、あの少年ですか。大丈夫、無事ですよ。彼もあなた同様、スキマの中に落とし入れ――いえ、正確には突き飛ばし入れましたわ。少々荒っぽい手段でしたが、まあ、仕方がありませんでしたから」
突き飛ばして入れた、という表現が気になった。しかし、あえて言及せずに話を進める。
「そうですか……優は無事ですか。あれ、優もスキマの中に落とし――じゃなくて突き飛ばして入れたんですよね? じゃあ、優もこの空間のどこかにいるんですか?」
「いえ、彼はここにはいません。一時的にいましたが、こちらの都合で、彼には別の場所にいてもらっています。その場所で、私の式神に色々と話させていますわ。彼もあなた同様、色々と知らせておく必要がありますから」
「式神? 式神ってあの……お札とか紙製の形代を使う奴ですか?」
「……それは有り触れた創作物に見られる式神のイメージですね。私が使役している式神は、それとは異なります。的を射た例えはコンピュータと呼ばれる代物なのですけれど……なにぶんあのような物には疎いので、解りやすい説明は難しいですね。まあ、私の指示に従う従者と解しておいて下さい」
「……そうですか。それにしても……優には何か複雑な事情がありそうですね」
「ええ、彼にもあなたにも、普通の人とは違う事情があるのですよ。彼には……特に。何か思い当たるような節でもありますか?」
「……いえ、特には」
優には霊的な存在が感じ取れるという特異な能力がある……らしい。自己申告だから真偽は不明だ。
しかし、俺は非常識な存在と無縁である。霊的能力など無いのだから。
「とにかく、優が無事ならそれでいいですよ。それにしても……どうして優だけはスキマに落とさず、突き飛ばし入れたんですか?」
「それは、彼が立っている状態だったからですよ」
「立っている状態?」
「ええ、立っている状態でスキマに落とすとなると、頭までスキマに落ちるまで、ほんの少し時間が掛かります。あの状況は一分一秒を争う危険な状態でした。もし仮に……彼の頭がスキマに消える前に電車が通過したら、どうなると思います? 下手をすれば、彼の頭はザクロのように、その中身を散らせていたでしょう」
「……だから、ひとまず突き飛ばしたと」
「そうです。横へ突き飛ばして電車の直撃を回避し、そしてスキマの中へ避難させた。……ちなみに、共に線路に落ちていた中年の男がいましたが、彼も助けておきました。彼のことも気掛かりになっているなら、安心を。……それにしても、あの男、酒に酔っていたようでしたね。それで察しましたよ。あなたと友人が線路に落ちていた理由を」
女性は内心の呆れを示すように頭を左右に振った。その口調は、呆れというより怒りに近いだろう。
「……まあ、何はともあれ、無事であったのだから、よしとしましょう。さあ、ミントティーが入りました。召し上がって下さい」
俺の前にミントティーが入ったティーカップが差し出される。カップから立ち上る湯気は、チューイングガムで嗅ぎ慣れたそれと一線を画する、柔らかみのある爽やかな香りだ。
「好みで砂糖か蜂蜜を入れるのもよいでしょう。まずは、何も加えずに飲んでみることをお勧めします。素材本来の味や香りがよく分かりますから」
女性はスキマを開き、白磁の容器と硝子瓶を取り出してテーブルに置いた。硝子瓶の中身は、その色合いと
「分かりました。じゃあ……頂きます」
俺はティーカップを手に取り、ミントティーに口を付けた。途端、鮮烈で清々しい香草の香りが鼻腔に広がった。その芳潤な香りは、匂い零れる花畑のようだ。
「……いかがでしょうか?」
女性は俺の胸中の感想を確信しているのか、得意気な笑みを浮かべる。
「なんと言うか……自分が知っているミントと別次元のものですね」
「そうでしょう? ふふふっ、それが一級品の味わいですよ。あなたに本物がなんたるか伝えられて良かったですわ」
女性は満足そうに頷き、カップを手に取ってミントティーを口に含んだ。
「もう少しだけ質問してもいいですか? そうですね……あと2つほど」
「ええ、どうぞ。お好きなように。私の方の用件は、ほぼ済んでしまいましたから」
「そうですか。分かりました」
女性の用件が何か気になったが、わざわざ質問してまで知りたいようなことでもない。次の質問に移る。
「ここからだと外の様子などが分からないのですけれど……外はどうなっているのですか? 俺と優がいた駅のホームの様子です」
「ああ、それですか。心配要りません。止めてありますから」
……は?
「……止める? 止めるって……何か例えですか?」
「いえ、文字通りです。あの場にいた者たちの時間を止めてあります。騒動にはなっていませんよ。今は、という注釈は付きますけれど。……まあ、あまり止め過ぎると少々問題も出てくるでしょう。たとえば――電車の運行時刻が少々乱れるなど」
「いや、電車のダイヤが乱れるのは、かなり問題だと思いますが……じゃなくて、時間を止めるって冗談ですよね?」
「大規模または長期的なものでなければ。あと、少し集中する時間が必要です。その条件が満たせるなら、私の異能で時間は止められます」
正気かどうか疑ってしまうような発言であった。
いや、しかし、この人なら……時間停止という現象を引き起こせるのかもしれない。
「……ふふ、信じられないといった面持ちですね。では、証拠を見せましょうか」
女性は、手にしていたカップを高く上げた。俺が訝しげに眺める中、彼女は手にしたカップを傾ける。
当然ながら、カップの中に満たされていたミントティーは、放物線を描きながら流れ落ちた。
「な、何を――!?」
「大丈夫ですよ」
俺が瞠目して声を上げると、女性はただ一言そう言った。
次の瞬間に起きた現象には――本当に言葉を失ってしまった。
ミントティーが……。
流れ出たミントティーが空中で静止している……!?
「……心底驚いたといった表情ですね。ふふふ、他人を驚愕させるのは愉快なものです」
女性は空になったティーカップを受け皿の上に戻し、長テーブルに置いた。
今もなお、ミントティーは空中で停止している。
「……原理は!? どうやってミントティーを空中に静止させているんですか!?」
「原理、と言われましても。端的に説明すれば、時間の連続を切断し、境を広げたのですよ」
「――――!」
俺は声にならない声を上げると、体の力が抜けたように、深々と安楽椅子に身体を預けた。未知と不思議を目の当たりにして、胸が高鳴り続ける。
「……理解出来なくてもいいです。どういう理屈か説明して貰えませんか」
「構いませんよ。観念的な話になってしまいますが、それで宜しければ説明しましょう。時間という概念は、無数の時が連なって出来ています。パラパラ漫画の一枚一枚の絵が時、動いて見える絵が時間というわけです」
「……つまり、時間は、時と時が次々に移り変わって出来ているってことですか? だから、1つ1つの時の連続性を断ち切れば、次の時に移れない。ハーブティーは、次の時に移れず、動きが止まってしまった……と」
「ほう……聡いではないですか。理解が早いなら、話は早いですわ。私の固有能力は、物の境界を操るという性質を持っています。空中に浮いたミントティーは、次の時――すなわち状態に移行することが出来ません。だから、こうして宙に浮遊しているのです。その証拠に、このミントティーに触れてみて下さい」
「触れるって……それにですか?」
「大丈夫、火傷などしませんよ。私が口にしたものに触れたくなければ、無理に触れずとも構いませんけれど」
「え、あ、いや……そういうわけでは……」
言われてみれば、空中に浮いているミントティーは、女性が口にしたものだ。特に不潔に思わなかったが、そのことを本人から指摘されると、妙に触りにくい。
「……失礼します」
俺は安楽椅子から身体を起こし、腕を伸ばした。宙に浮かぶミントティーに指先をなぞらせる。
熱くも冷たくもない。それどころか、指先で押してみても、形状が全く変化しない。まるで金属のように硬いのだ。
「……熱くない、ですね」
「そうでしょう? 時間が停止していますから、熱移動しないのです。対象の動きを封じられますし、外界からの影響も受けつけません。絶対無比の守護術ですわ。一時的な現象ですが、利便性に優れているでしょう?」
「なんと言うか……言葉もありません。こんな現象が現実に起こるなんて……。あれ、この時間停止を使えば、俺たちをスキマに落とさずとも助かったのでは?」
「ええ、助かったでしょうね。けれど、そうした場合、あなたに衝突した電車の方が粉々になります。時間停止した物体は外界からの影響を受け付けませんから、影響を及ぼそうとした力は、全て作用者に跳ね返ってくる道理です」
「……大惨事ですね」
死傷者が百人単位で出てしまうだろう。
「ええ。だから、その手段は使えませんでした。……さて、これであなたの疑問は解消したかしら?」
「ふと思ったのですが、駅のホームの外にいる人からは、異常な事態が発生していると気付かれてしまうのでは……? だって、駅のホームにいる人は、誰も動かないのですから」
「ああ、それについても心配は要りません。簡単な人払いの結界を張ってあります。向けられた意識をあらぬ方向に跳ね返す結界です。意識を向けられませんから、見ることも考えることも出来ません。存在が消えたようなものですね」
「……なんでもありなんですね。自分が現実の世界にいるのか、また疑問に思えてきましたよ」
「紛れもなく、あなたは現実にいますよ。ただ、常識と異なる存在を知っただけですわ」
「……そういうものですか」
「そういうものです」
女性は軽い調子で答えると、長テーブルの上に置かれているティーサーバを手に取ってその蓋を開けた。ティーサーバの開いた口を空中で静止しているミントティーの下方に合わせる。次の瞬間、停止していたミントティーが動きだし、綺麗にティーサーバの中に吸い込まれていく。
「最後の質問をしなくとも良いのですか? あと、チョコレートケーキを口にした方が良いですよ。あと5分もしたら、茶の席を片付けるつもりですから」
「あと5分……分かりました。じゃあ、最後の質問です」
俺が目の前の女性と出逢ってからずっと抱いていた、最も核心的な質問を。
「あなたは――誰ですか?」
一時の静寂が訪れる。
眼前の女性は瞑目すると、演出としては十分な間を開けてから、回答を口にした。
「私は……八雲 紫と申します」
人を惑わし、欺き、翻弄し、諧謔を弄し、虚言を吐き、言葉を彩って真実を有耶無耶にしたがり、無駄で不毛な世間話を好む――人ならざる胡乱な者。
それ以上でもそれ以下でもありませんわ。