救世ノラヴドール~俺とセクサロイドの気ままな旅~ 作:こもれび
プロローグ 娼婦
周囲は闇夜に包まれているというのに、その『街』はたくさんの行灯に照らされまるで真昼の様に明るくそして華やかであった。
居並ぶたくさんの『店』からは薄い衣装をまとった大勢の妖艶な女性達が道行く男へと甘い言葉を囁き掛け自分の元へと誘う。そんな彼女達を舐めるように見ている男たちは一様にだらしない顔をし、今晩のお相手は……と、値踏みしながら酒を飲みながら笑っている。
男たちの陽気な声と女たちの妖しい声音が吟遊詩人の楽器の音に混ざり合いながらが夜の空に漂っていた。
そんな賑やかな路地を見下ろす建物の二階……カーテンによって外の明かりの殆どを遮った暗いその部屋の内で、二つの影が蠢いていた。
一つの影がもう一つの影を組み伏してでもいるのか、影は一体と化していた。
辺りにはその二人の荒い息遣いと軋むベッドの音が響く。
「……ん……んん……」
「ヴィエッタ……愛しいヴィエッタ。僕のだ……君は僕だけのものだ……」
方々の影が荒くなる息遣いをそのままにもう一つの影へと囁きながらその欲望のあらん限りを注ぎ続ける。
そしても一つの影はされるがまま、すべてを受け容れ様としているかの如く、その華奢な肢体をくねらせて相手を悦びの境地へと導いた。
長い時……
男からすれば一瞬であったのかもしれない。
自らの情欲をぶつけ続けた彼は服を着ながら満足げに女へと顔を向け、そしてその唇を奪った。
女はされるがままで彼へと微笑みを向ける。
瞑らな瞳に見返され男は次なる衝動に駆られるも、もう残された時間はないのだということを彼女より告げられる。彼女は裸身に浴衣を纏うと、着替えの終わった彼の腕へと抱き着きそのまま出口へと連れたって歩み始める。
そして別れの時……、彼女はもう一度背伸びをして彼の唇へと口づけをした。
男は得も言われぬ感情に支配され、思わず彼女を抱きしめた。
「ヴィエッタ! 絶対……絶対に君を僕の物にして見せる!」
若い男にそう強く言われ、彼女は困惑しながら再び微笑んで一言、『ありがとう』とだけ答えた。
男はその彼女の言葉に満足を示すと、快闊に微笑みながら店を後にした。
それを笑顔で見送った彼女。
彼女は今の今まで自分が『行為』に及んでいた部屋へと戻るとそのベッドからシーツを剥がし、少し湿ってしまったマットも取り換えて新しい敷布を敷いた。
この作業だけはきちんとこなさなければならない。次にこの部屋を使う者の為であることは当然なのだが、かつてそれを忘れた時、彼女は全身がぼろ雑巾のようになるまで暴行を受けた経験があったから。
『しつけ』であったのだと今は理解している。
なぜなら、自分よりも後にここに連れて来られた少女達も、必ず一度は同様の暴力を浴びていたから。
大柄な男たちに組み伏せられ、こん棒で骨が砕けるまで殴りつけられる。辞めて欲しいと何度も何度も懇願しても彼らは決してその力を緩めず、そのまま死に行くのだろうと感じ初めたその時、全身に回復薬を浴びて身体は蘇生した。
何が起きたか分からないながらも、冷たい視線のままに彼女を見下ろしていた女主人の『もう二度と歯向かうんじゃないよ』という言葉と、卑しい男たちの笑う声が耳に刻まれ、以来彼女がこの仕事をきっちりこなすようになったことは言うまでもない。
全てを片づけ、扉の外の狭く薄暗い廊下へと歩み出ると、その廊下の端の扉へと歩を進める。廊下に並ぶたくさんの戸から聞こえてくる、情事を貪る男女の嬌声を耳に受けつつ彼女は突き当りの戸をくぐる。そこには厭らしい目をした禿頭の中年の男が待ち構えていた。彼女はその男の前で浴衣をはらりと脱ぐと、全身をくまなくその男に調べられる。
男は無遠慮に彼女の身体を舐め廻すように見ながら弄り、その深奥までをも指で確認した。
「ん……」
小さく呻く彼女に、ひひっと男は小さく愉悦の声を漏らす。そして全てを確認し終えると同時に彼女へと『癒し』の魔法を唱えた。
男はこの『奴隷娼館』が雇う治癒術師であった。毎回このように『仕事』を終えてきた『商品』達を確認した後に身体の回復を行うのだ。
別段このような男がいること自体は不思議な事ではない。娼婦が客から酷い暴行を受けることは日常茶飯事であるし、また、娼館に恨みを持った者が、娼婦を垂らしこんで毒薬や爆薬をその身体に仕込んで復讐を遂げようとするケースも後を絶たなかった。そのため、最低限このように情事を終えた娼婦を確認し癒す存在を置いておくことは寧ろ常識とされていたほどなのである。
確認を終えた男はもはや興味を失したとばかり、足元の水桶で手を洗い出した。
彼女はそれを見、すぐに床に落としていた浴衣を着ると、そのまま奥の『待機室』へと向かった。
そこは少し広めの部屋。そこかしこに疲れ切った体の娼婦たちが寝転んでいる。中には服も碌に身につけずに寝ながら食事をとっている者もいた。むせ返るような独特な女の匂いが立ち込めるこの空間は、健全な男子であればすぐにでも気を狂わせても可笑しくない様相であろう。だが、当の疲れ切った彼女達にとってはここは貴重な安息の場であった。
お呼びがかかればすぐに出なければならず、忙しい時は身を清める時間も取れない程に立て続けに男の相手をしなくてはならない。こんな日が毎日毎日繰り返されているのだ。
だが、彼女達にそれを拒むことなどできはしない。どんなに酷い目に遭ってもどんなに苦しくても彼女達は笑顔で男の前へと出なければならない。
なぜならば……
『彼女達は奴隷であったから』
そう、彼女達はこの娼館の主に買われたのだ。
既に彼女達に人としての権利はない。ただの商品……男たちを悦ばせ金を稼ぐためだけの存在なのだ。
ここから出る方法はたったの二つ……良い客に見初められ買われていくか……死んで骸となって運び出されるか……
だからこそ、彼女達は男へと尽くす。自分を必要以上に良く見られようと努力する。そうすればするほどに客は悦ぶのだから……
この部屋へ戻ってきた彼女……ヴィエッタは部屋の隅に置かれた少し濁った水桶の水で自分の身体を洗い清めた。そして拭った後に次の仕事の為の薄い下着を身に着けると、置かれていた硬くなったパンと飲み水を手にとり、壁沿いにちょこんと座ってそれを貪り始めた。
ヴィエッタには分かっていた。
どんなに頑張ろうと、どんなに男に媚びようと、自分たちは決してここから出ることは出来ないのだと。
彼女は美しかった。
亜麻色の髪を結わえた彼女の面立ちはまるで絵画のように美しく、透き通るような白い肌の弾力のあるその身体は、男にとってまさに至高の一品であった。
この娼館のどの娘よりも美しく、そしてもっとも金を稼ぐ商品でもあった。
彼女は様々な客にあてがわれた。
年端も行かぬ子供も、年老いた老人も。全身に金の装飾を纏ったでっぷりとした中年の男もいた。彼女はこの店で重要と思えるような上客に対しあてがわれ続けたのだ。
何度もそのような話はあったのだ。
必ず君を買うと。必ず君を自分の物にしてみせると。
男たちは必ず彼女に優しく囁いた。きっと君を助けると……でも。
そんなことが何度も続き、そして、彼女は理解する。
自分を本当に助けてくれる者など現れはしないのだと。
男達はただ彼女の気を引きたいがためにそんな甘い言葉を囁くのだと……
そんな絶望にも似た達観に、彼女自身もう何も感じなくなっているということを自覚しつつ、近くで寝そべり、いつか救われたいという夢のようなことを語る他の娘の話を、どこか遠くの世界の出来事のようにただ、ジッと聞いて居た。
――夢……
――私にだって夢はあった……
――誰に話してもは分かってくれなかったけれど、私には本当に小さな夢が……
――それはもう決して叶うことのない幻想……
――決して手に入らないそれ……
――だって私にはそんな資格はもうないのだから……
――泣いて泣いて……何度も泣いて……
――全てを失って……でも
――それでも……
――私は……
――欲しかった……
――私の……
――大事な……あの憧れの……
「ヴィエッタ! 次の客だよ!」
「は、はい!」
彼女は唐突に現実へと引き戻された。
部屋の反対側、大きな出窓のようになっているその戸が開き、そこからこの館の女主人が顔を覗かせていた。
彼女は慌てて立ち上がると、いそいそとコップと食べかけのパンを片づけて、手に手ぬぐいと浴衣を持って元来た道を戻る。
治癒術師の横を通って通路へと出ると、そこにはこの館の案内人でもある優男風の従業員が立っていた。彼もまた舐めるような目つきでヴィエッタの身体に視線を向けているが、彼女はもはやそれを無視した。どうせ逆らうことなど出来はしないのだ。
優男に連れていかれたのは先ほどの個室とは違う部屋だった。
そこはこの娼館でももっとも広く、豪勢で豪奢な造りの部屋。主に貴賓が使用すると思われるこの部屋で、彼女は何度も男たちの相手をさせられていた。つまり、この後の客はそのような存在であるのだということ。
彼女は扉の前に立ち一度大きく深呼吸をする。
別に客に必要以上に媚びを売ろうなどとは思ってはいない。ただ、ここで失礼なことをすればそこで自分の人生が終わってしまうだけのこと。
それを知っているからこそ、彼女は自分の顔に笑顔を貼りつかせた。
そして……
ゆっくりと扉を開けた……
「失礼します。今夜のお相手をさせて頂きますヴィエッタで……」
「うるせいっ‼ 出ていけよこのくそビッチが‼」
「え?」
この日……
彼女は未だかつてない最悪の人間と最悪の出会いをする。
そしてそれが、彼女の人生を激変させることになることを、まだ彼女は何も理解していなかった。