原作ファン熱望、白崎さよりシナリオ。の、導入っぽい部分(https://novel.syosetu.org/113886/)の!続編にして完結編を書きました。
ちゃんと人が救われて、幸せになるラブコメです。

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 前回までのあらすじ(https://novel.syosetu.org/113886/)

 目標、家族、友人、仮想敵。若年時のおおよそ全てを同時に失った白崎さよりは、亡霊を目指し、亡霊を敬愛し、亡霊と戦う事を生きる意味と見出していた。
 しかしその願いは言うまでもなく空虚であり、暖簾に腕押す感覚すら得られず、無自覚なまま焦りを重ねていた。
 ところがある日、彼女は知る。世界は己が何かを成さずとも回るのだから、何を為そうとせずとも己は生きていけるのだ、と。
 大空に憧れた愚かな魚が、その身を無謀へ投じる前に救われた話。
 そんなあり得た話で、無かった話。
 そしてこれはあり得た話の続き、開かれすらしなかったページ、――誰も読む気が起きなかった、ありふれたラブコメ。




白崎さより異聞伝 完結編

 

 

 

 1

 

 恋をしていた。

 顔が整っている。特に時折浮かべる、影のある表情はゾクゾクくる。背は低くはないが高過ぎず、威圧感を感じない。華奢ではないが、夏服になって惜しげもなく晒された腕は筋肉質でもない。最高の塩梅と言っていい。頭がいい、それも嫌味ではなく、ウィットに富んでいる。自らの趣味に一途。優し……くはないけど、物腰は柔らかい。

 そんな上辺だけに惚れて、私、白崎さよりは筧京太郎の事が好きになった。

 いや、もしかしたら先の理由とは一切関係なく、入部から三ヶ月弱、毎日毎日密室で二人きりだった事による錯覚かもしれないし、同じ本を読んで、似たような感想を持ったことにときめいただけかもしれない。けれど、それでもよかった。というか、何を言っても嘘になる。

 ――どうせ私は、次の依存先を探しているに過ぎないのだから。

 生きる事に理由なんていらない。そんな当たり前の理解を人に大きく遅れながらも獲得した私が、未だその感覚に慣れず、惰性で補助輪を求めているだけだ。

 しかし、慕情の働きを借りた悪癖の発露だと言えど、好きなものは好きなのだ。理由は嘘だらけでも、恋心に嘘はない。感情は因果で語れない。

 だから否定はせず、肯定もせず、期待も諦観もせず、なるようになるのを待つ。

 先日得た人生哲学、初の実践編という訳だ。

 待っていて彼の側から『何か』が起こるのを期待するほど楽観的ではないが、私が我慢しきれず、やらかしてしまう可能性は否定できない。一番高い公算は凡そ半年後、この学園を去る筧先輩を涙ながらに見送る私、だろうか。生来の臆病さを遺憾なく発揮し、煩悶に満ちた青春を楽しんで、身を切るような後悔に苛まれたりする。だなんて、実にありそうだし、ありがちだ。

 今の私はどう転んでも『なるようになった』と受け入れられる気がしているし、『いざ』の局面でこの哲学を翻して口惜しがるような私がいても、それもまた『なるようになった』に過ぎない。

 うん、完全無欠の精神武装。どんな衝撃も受け流せる、柳のような究極の構え。怖いものなんて、今でも時折思い出す、深刻そうな医者の顔と、あとは強いて言うなら――

 「そろそろ夏休みだし、引退するな。これ、引き継ぎの書類。」

 ――そう言ってクリップで留められた分厚い紙束を差し出してくる筧先輩。なんてイベントくらいのものだ。

 はあ、そうですか。等と気の抜けた返事をしつつ受け取り、ためすがめつペラペラ捲る。その間私が衝動に身を任せ、はしたなく叫び回らず済んだのは、身体が大声量を伴い暴れるような、頑丈さを備えていなかったからに過ぎない。虚弱体質もたまには役に立つ。

 こういう突発的な事態の変動に対しても当然、なるようになったな、とか。うまく自嘲できるつもりだったけど。未熟だった。付け焼き刃だった。あたまぐるぐるだった。

 どうしたものかわからない私は暫し、文書に目を通し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 2

 

 以上の受け止めきれない驚きから一夜明け、翌日。いくらなんでも急過ぎる、という必死の訴えを聞き入れてくれたのか、もとよりその予定だったのかは定かではないが、筧先輩は週末までは顔を出すと言ってくれていた。よって私には、今日から数えて三日の猶予がある。

 ――あえて『猶予』という言葉を使ったけれど、この状況がどうにかなる気はせず、どうとも動く気すら無いのだから、正しくは『概ね現状維持の三日間とその後』が眼前にあるのみだ。

 よって何らか策謀を巡らせ、昼食も採らずに奔走する理由はなく、先日より約束していた桜庭先輩との食事をキャンセルする理由もない。

 昼休みに校門で待ち合わせ、近くのお洒落なカフェ(桜庭先輩の選定したお店だ。実は私、喫茶店へ入ったのはこれが初である)に足を運んだ私達はランチセットを注文。先に運ばれてきたアイスコーヒーを飲みつつ、近況を尋ねられたので、それがですね、と。まさにタイムリーな、部活の話をすると、

 「ふうん、そうか。へえ。」

 などと、実にらしくない。含みのある言い方を、露骨に憮然とした様子でされてしまった。

 なんで気分を損ねてしまったのか。もしや、無意識に愚痴っぽくなってしまったのかと気づき、そんな事で。とは思ったけど、私はできた後輩だから謝っておくのだ。決して恐れた訳じゃない。

 「ああ、いや、そうじゃない。ちょっと思う所があっただけで、だからさよりちゃん、萎縮しないでくれ。傷つく。」

 別に怖かった訳じゃないけど、失礼があった訳じゃないと知り、安堵の息を漏らす。水滴の付いたグラスから飲むアイスコーヒーが、乾ききった喉に染み渡る。

 「正直、さよりちゃんの怯える表情だったり、伺うような様子だったりは、かなりそそるのだけどな。自分に向けられると興奮より罪悪感が勝つから、他人を当て馬にしないと……悪い、冗談だ。悪い冗談だった。謝罪する。だから鞄を置いて、座ってくれ。」

 そこまで言われて我を通し退席を敢行できるほど豪胆ではないが、冗談じゃない冗談だったのもまた確かだ。せめてもの意思表示として、渋々、という体裁は崩さず、浮かせた腰を下ろす。

 こういう事ばかり言っている(のか?私は私以外に対する桜庭先輩をよく知らないが、少なくとも私に対しては嗜虐性をチラつかせて遊ぶのが日常だ)から、口さがない噂を立てられるのだ。

 ――曰く、桜庭玉藻は同性愛者ではないかと。

 私は単なる噂だと思っているが、本人に確かめられる訳もなし。もし万が一、仮にそうだとしても、それで付き合い方を変えるほど狭量でも、恩知らずでもない……あれ?しかし、私にそんな気はなくても、私に気を向けられたらどうするんだろう。どうしよう。日頃向けられる劣情紛いの冗句だったり、先程の不自然な不機嫌だったり、それこそ冗談にならない伏線が散りばめられている。

 ……大丈夫。そう、ありがちな誤謬だ。あるジャンルが好きだと公言した人間が、その枠内全てを好んでいるという勘違い。例えば絵画の収集家は、収集家だからこそ良し悪しを判別する術に長け、闇雲な買い漁りはしないものだろう。風説に仮説を重ねて思い悩むなど、杞憂の用例として辞書に載りかねない。ああ、自意識過剰で大恥をかくところだった。才色兼備、文武両道の桜庭玉藻が、私のようなちんちくりんの青もやしに懸想など向けるものか。下世話な思考は止めよう。そうしよう。

 「まあ、あながち冗談でもないんだけどな。真面目な話、私がさよりちゃんを気に入っているのは、そういう所なんだ。臆病な弱さを隠さず、それを口にし、態度に出し、他者へ晒しながら、自己に対してだけは徹底して強がる。自己完結の内弁慶で、臥薪嘗胆の見本だ。勝てない事象に心折れず、かといって心中で相手を貶す真似はせず、今は退くぞと道を譲り、負けてはいないと奮起を想う。人はかくあるべきだ。 全人類がそうあったら、あらゆる勝敗に爽やかさが伴うと、私は思うよ。」

 本当だ。と、ニッと笑って締めくくる桜庭先輩に、話の前半で感じた悪寒も忘れ、褒め殺された事に心地良い居心地の悪さを感じたりしたのだけど。簡単な私は『なんだ!桜庭先輩が私を好きなのは本当だけど、それは人間として尊敬する部分がある、という事か!』とか、口が裂けても口に出せない思い上がりをほんの少ししたけれど。だが待って欲しい、しかし、『その私』は――

 「そう、だからこそ、だ。私は腑に落ちないんだよ。筧――だったか?そいつに恋をしたと語るさよりちゃんが、控えた失恋にいともたやすく白旗を上げて『いるだけ』な事が。諦めただけで終わり、意地汚く可能性を妄想……模索せず、傍観の姿勢に入っている事が。さっき可愛らしくも語ってくれた人生哲学そのものが。」

 既に捨てた筈だった。残すは染み付いた残滓のみの筈である『悪癖』を褒められ、新調した行動原理、思考様式に異を唱えられる。

 「なあ、さよりちゃん。本当にそれは、さよりちゃんにとって正しいのか?」

 難しい顔をしてそう言った直後に頭を振り、いや違うな、と、訂正し

 「本当にそれは、さよりちゃんの物なのか?」

 そう問いかけてくる桜庭先輩に、何も答えられなかった。

 暫し訪れる沈黙はサンドイッチトーストを運ぶ店員により破られ、話題が蒸し返されることはなかったけど。

 胸中に投じられた一石は波紋を呼び、いつまでも残り続ける。そんな状態でする食事は無味乾燥で、どこか味気ない――

 「すごい美味しいですよこれ!パンさくふわ!ハムはスモーキーで存在感を放ち、野菜は瑞々しいのに水っぽくなく、これまた絶妙なスパイスソースを微塵も薄めておらず絡み合い!最高のサンドイッチ、サンドイッチ革命です!汐美で暮らしてたのにこのお店に来てなかったとか、半年損をし続けたようなものですよ!もっと早く教えてくれればよかったのに!うわ~、最高!」

 ……事もなかった。美味しいご飯に罪はない。いつ食べても美味しいものは美味しい。哀愁や情緒に浸れない。思索や演出に嵌まれない。そんな安っぽい私だ。格好つけて決めたポーズをあっけなく覆す事だって、恥ですら無いのかもしれない。そんな視点を僅かな問答で見つけ、与えてくれるのだから、やはりこの人、只者では無い。

 些か饒舌に、ほんのちょっと声が大きくなってしまった私を諌める桜庭先輩は、今までで一番慌てていて。それを見て、多少は意趣返しが出来たのかもしれない。等と考えてしまったのは、墓まで持っていく秘密である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 3

 

 筧先輩との部活動もあと二日。

 桜庭先輩に食事を奢られ(いやそんな自分で出します。と、言おうとしたが、伝票に書かれた額面は一人前ですら私の手持ちを超えていたので翻し、最敬礼と共に感謝の意を伝えた。学生街にそんな店を構えないで欲しい)、軽く混ぜっ返されたくらいで行動指針を切り替えるほど付和雷同には生きていないけど、それでも少し違う観点を持って関係性に臨めるのかもしれないな。とか期待しつつ部室に赴いたのが、昨日の午後。浮かれ気分を打ち砕かれたのもほぼ同刻である。

 

 ――――

「来たか。早速だけど、立つ鳥跡を濁さない為の手伝いをしてくれ。『これ』を片付ける。」

 そう言いつつ指し示したのは、本が七分に床壁が三分の部室(多少誇張した、実は三割も無い)であり、どれを、どう片付けるのか。ちょっと理解をしづらかったのだけれど。筧先輩は優しくないから、わかるまで説明してくれる。

 「ここにある本って本棚に収まっている物以外、現住所は図書館の開架なんだよ。慣例的に見逃されていた、いや、『図書館内部の移動』に過ぎないから、規則には触れていないのか。」

 法の抜け穴もいい所だ。

 「とにかく、大体の書籍は『貸出処理のされていない貸借資料』で、返却手続きは必要ないけど、だからこそ返却に図書館運営の手を借りるのも難しい。つまり、頼みたい手伝いっていうのは――」

 「私、図書部やめます。」

 軽口に見せかけた真剣な拒否は、じゃあ尚更片付けなきゃね。という形で潰された。きれいな二手詰めである。チクショウ。――――

 

 そんな流れで早速作業に取り掛かり、『書架へ収める為には本を運び出す必要があり、持ち出す時はジャンル別が適当で、分ける為の作業スペースを確保するべく、非効率は承知の上で最低限の書籍を無作為に運び出し、図書館中の書架を右往左往しながら返却して回る』というタスクを提示された時にはどうなるかと思ったが、どうにか昨日の時点で作業スペースの確保までは終わっていた。今は部室で筧先輩により分けられた本を、私がカートに乗せ、あちらこちらへ配っている最中である。どちらがより過酷な作業かは判断しかねるが、私には何がどれだけ埋まっているかを判断できない以上、配置転換をした場合二度手間、三度手間が容易に生じるのは間違いなく、これは妥当な役割分担なのだろうと思えた。

 幸い書架には余裕を持っての陳列がされており、最長で二年半程度出張していた本たちは、粗方問題なく元の住処へ帰順できている。

 ちなみにだが、利用生徒により所在を問い合わされた資料が図書部室に存在する、なんて事は、私の入部以降だけでも多々あったのだ。しかし内線一本で速やかに返却され、要点をまとめたメモが付随し、理解や発展に必要となる別文書まで教えてもらえる。というサービスを(勝手に)展開しており、むしろ『当たり』扱いまでされていたのだから、苦情なんて出るわけもなく、出たとしても運営側の形骸的なものに過ぎない。なんとも規格外だ。

 以上のような手腕を持って分類、整列された本は、本棚へ戻す事にさしたる苦労を要しなかった。とは言え、量が量である。体力の無さにかけては学園一を標榜する私と、広すぎる汐美の大図書館は最悪の相性で。いい加減疲れを覚えた私はエレベータの近くにある自販機コーナーのベンチに座り、勝手に休憩を取っていた。

 私は横暴に振り回された哀れな弱者である。多少の息抜きは許されて然るべきで、バチも当たるまい――と、誰に宛てた訳でもない言い訳をしていつつ、お茶の缶を傾けていたら、いつの間にか近くに人が来ていた。多少驚いたが、見知った顔だったので面には出さずに済んだ。

 彼女は役職こそ持たないものの、図書委員内で実質のまとめ役を担う三年生。人呼んで『裏番』。

 小太刀、凪さんだった。

 背中まで伸ばしたレディッシュの頭髪と色素の薄い肌を持ち、小柄な私とそうは変わらない身長でありながら、その攻撃的なキャラクターと謎めいた言動で、周囲に一目置かれる存在なのだ!

 …………まあ、半ば嘘紛いの紹介である。

 しかし実際、『裏番』という愛称も本当に浸透しているもので、図書館のカウンターで尋ねれば所在を知ることができるし、軽んじられていないかはともかく、慕われているのも本当だ。なんせ彼女、誰に対しても冷笑的な態度で接し、露悪的な言動を繰り返すのにも関わらず、とんでもなく親切なのである。

 西に忙殺される同僚あれば、悪態を吐きつつ作業に加わり、東に迷う利用者あれば、小馬鹿にしつつ案内を始める。

 それを見た者から、素直になればいいのに、と言われたら

 『飼いならしてるの。どんな動物も、餌を貰ってる内は懐くものでしょ。』

 なんて嘯く始末。

 照れ屋な出たがり。偏屈な貧乏くじ気質。

 有り体に言ってしまえば、ツンデレだった。

 そんな可愛らしい(言ってしまった)お人好しが嫌われる訳もなく、頼れる先輩として名を馳せるのは当然の帰結だろう。

 だからいま私のところに来たのも、期待ではなく、信頼として予想するに、その要件はきっと――

 「うーわ、よくもまあ溜め込んだわ。下手すりゃ紛失、いや盗難届ものじゃない、これ。」

 文句を付けに来ることで――

 「さっさと返しなさいよ、ホラ、かたしといてあげるから。」

 お節介を焼きに来たに違いないのだ。

 すみませんすみません、と平身低頭の姿勢を見せつつも、私は飲み終わった缶を捨て、カートを持ち、共に作業をして頂くべく書架に向かった。

 

 ――――……

 

 「いえ手伝って頂くなんて申し訳ない。身から出た錆なんですから自分でやりますよ。凪先輩のお手を煩わせる程の事では。」

 「あんたそれ片付け始めてから言うの、本当に性格悪いわ。」

 人数が増えて再開した返却作業は、目に見えて効率化の一途を辿っていた。

 二人でやれば速度も倍、どころの話ではなく、凪先輩は私の数倍の速度で分類コードを読み取り、並んだ本の隙間にカートの中身を滑り込ませていく。流石は専門職と言った所か。

 「それにあんたのじゃなくて、筧の身から出た錆でしょ。自業自得の人間に手を差し伸べるほど、わたしも暇じゃないの。」

 多分この人はなんやかんや、助けちゃうんだろうなあ。と苦笑するが、口には出さない。それよりも気になることがあった。

 「凪先輩いま、知っているような口ぶりでしたけど、もしかして筧先輩とお知り合いなんですか?」

 「そりゃー、ね。図書委員やってて、筧を知らないやつなんて居ないでしょ。」

 「ああ、すみません。確かにそうですね。馬鹿なこと聞きました。」

 なるほど。私が入部してからは、専ら私が対外(と言っても相手は図書委員位の事だが)対応を任されていたので失念していたが、聞く話によると筧先輩の去年、一昨年は、たった一人で図書部室に通っていたらしいのだから、多少なりとも図書委員とのコミュニケーションはあったのだろう。

 そう納得していたが、しかし。手は止めないまま、凪先輩は続けた。

 「ま、あたしはそれだけじゃないんだけどね。個人的に色々あってさ。……聞きたい?」

 珍しく相手の意見を尊重し、そう聞く凪先輩に、私は首肯した。没交渉の権化たる筧京太郎に、他人とあった色々。気にならない訳がない。

 「じゃあ、話すけど。勿体ぶるほど大したことじゃないのよね。去年の事。あたしが就職しようと研修に勤しんでたら、あいつが推薦付きの鳴り物入りで割り込んできて。それに恥じない抜群の適性と働きぶりを見せて。しかも採用枠は一つだけ。そうなれば当たり前にあたしが席を奪われた、とか。そんな所。」

 全然知らなかった。というか正直、想像すらできなかった。仏と評されるあの筧先輩が、欲しいものに執着心を持つこととか。更に他人を蹴落としてでも、という闘争心をむき出しにする姿とか。

 「負け惜しみみたいになっちゃうけど、その頃にあたしは……えっと、組織?の、内状を知るにつれ、『ちょっとどうなのー?』みたいな事も増えて来てて。この件に未練とか、筧への恨みつらみとか、そういうのは無いの。マジで。」

 一息ついて、でもね、と凪先輩は続ける。

 「それ以外の事で。あいつには恩が一つあるし、その事で逆恨みもしてるから。一緒くたに返してやろうと企てて、あんた、白崎さよりを利用してやろうと近づいた訳よ。」

 カートに乗っていた本を丁度全て仕舞い終わった凪先輩は、私の方に向き直り、改まった顔でそう言った。

 企んでいるならそう言わず、さり気なく利用して欲しいものだ。悪事に意思を持って加担させないで欲しい……と、普通なら思う所だが。彼女なら大丈夫だろう、そう思わせる積み重ねが、有る。だから私は安心して

 「何をさせるつもりですか、私怨に巻き込むのはやめてくださいよ。」

 と、続きを促せる。善人が持つ、当たり前の人徳だ。

 「大丈夫、多分あんたにも利があるし。あんたが奴らに一泡吹かせられるってのも、因果っちゃあ因果よね。」

 「ちょ、ちょっと待って下さい。タイム、質問タイムをお願いします。」

 「ハイどうぞ、そこのちっちゃいツインテール。」

 この人のこういうノリの良さは好きだけど、凪先輩も前年度まではちっちゃいツインテールだったのを、図書委員の皆さんから聞いているからな……ではなくて。

 「まず筧先輩も凪先輩も、去年の、普通科生二年時の段階で就職先に目処を付けていて、しかもインターンに出ていたっていう時点で珍しいのに。さっきから『組織』とか、『奴ら』とか。まるで漫画じゃないですか。からかっているんじゃなければ、ちゃんとした説明を求めたいんですけど。」

 「更に言うなら『組織』は世界の動向をも左右し得る秘密結社で、『奴ら』は超能力を扱う不死の群体だったりするんだけど、信じる?」

 「信じません。」

 だよねー。と、ヘラヘラする凪先輩だったが、しかし、訂正は入らなかった。

 「例え話とでも思っておいて。ちゃんと信じちゃうと、魔法で忘れさせられちゃうし。」

 「はあ……もうこの際、悪の秘密結社でも、フリーメイソンでも、なんでもいいです。わかりました。」

 「待った、修正。『悪の』じゃない。ここ大事。」

 全編に渡って荒唐無稽な与太話なんですけど、そこは拘るんですね。とは言ったりしない。大人だから。

 「じゃあ、正義の味方なんですか。Xメンみたいな。」

 でも、『不死』とか『軍隊』とか、どうにも正義っぽくないよな、という直感は、外れていなかったようで。

 「それも違って。掲げるお題目としては『ただ人に寄り添う存在』『善も悪も為さず人類繁栄の一助となる』とか、そんな感じだったわ。」

 なんとも要領を得ないスローガンだが、しかし

 「善も悪もないと言いつつも、つまるところは社会福祉が目的なんですよね。じゃあやっぱり組織としては、善性を帯びているように聞こえます。」

 「客観的な否定はできない、かな。でも少なくともあたしは、アレを善行だと認めたくない。組織の一員となることで得られる特典に目が眩んではいたけれど、それを見定められないほど盲でもいなかった。」

 普段から口は悪いが、本気で何かを嫌うように話す凪先輩は珍しい。私は聞き入っていた。

 「確かに悪行は一切為していないし、本気で人類の最大幸福を目指していたけれど。」

 でも、と勢いづいた口調は後悔のようで。

 懺悔じみていすらして。

 「なんだって思い通りに出来る力を持ちながら、人間に全ての取捨選択を任せる傍観者気取りは趣味が悪い。容易く拾える損失すら、人類史に影響無しと判断すれば平気で看過する、その冷徹さが気持ち悪い。それを見せつけられたあたしは後味が悪い――あ、なんだ。やっぱあいつらワルじゃん。悪者よ、悪者。ごめん、悪の秘密結社で間違ってなかったわ。」

 がっくしきた。思わず本棚にもたれかかってしまう。

 シリアスな雰囲気を維持できない事に関してはもの凄く共感できるが。しかし置いてきぼりにして、勝手に納得されても困るのだ。

 「もう、話の腰を折った私が悪かったです。そのいけ好かないボランティア団体の事は置いておいて、結局、凪先輩は私に、何をさせたいんですか。」

 「その組織に本採用が決まって、汐美を去ろうとしている筧を引き留める。」

 「――――え?」

 去る?筧先輩が?図書部を、ではなく、汐美学園を?

 「そ。崇高な目的を前にしちゃ、学生生活なんて腰掛け以下の仮身分に過ぎないし、学歴が機能するような業界でもない。いつでも捨てられるもんなのよ。」

 実感の篭った目で語る凪先輩の目には、冗談の雰囲気なんて欠片もなかった。

 「でも、そんなこと、一言も」

 「言うわけ無いでしょ。別に口外を禁止されてはいないけど、職務上、大マジに従来の人間関係も、生活も、捨て去ることになるの。酷い事を言うけれど、捨てるそれらが『どうでもいい』と思えるくらいじゃないと、到底務まらない。だったらすべてを打ち明け、納得ずくで別れるよりも、フッと消えて、時間経過と魔法で記憶から薄れていくほうが、楽で、効率的に決まっているじゃない。」

 全てを丸ごと信じたわけじゃない。でも、こんな人を傷つけるような嘘を、無意味に吐くような先輩でもない。

 「それに、もしかしたらだけどあんた、今日……この作業を始めたのは昨日か。何か、例えば『恥のかき捨てで告ってみよう!』だとか『退部しても縁が切れないよう新たな関係を構築しよう!』みたいな事を思って無かった?」

 そこまでアグレッシブでも無いが、たしかに、思っていた気がする。

 「見透かされるのよ、そういうの。あいつらが使う特技の一種。で、らしくもなく女の子に力仕事を任せて、時間を潰し忙殺しようとした。『何か』をさせないほどに、ね。」

 それにも覚えがあった。まるで心の中――どころではない。まるで未来すら予測したような一手を、私は一度、体験しているじゃないか。

 「……確かに、今まで力仕事はおろか、頼まれごとすらされたことはなかったです。でも」

 「うん。証拠なんて一個もない。あたしが喋った世迷い言みたいな設定が仮に全て本当だとしても、それ以上は推測に過ぎない与太話。だから、あんたが自分で問い詰めて、吐かせて、確認して。どっか行こうとしてたら汐美に引き留めるの。手元に繋ぎ止めるの。それなりに難題だし、言い訳のしようも無く、他人の夢と覚悟を踏みにじる独善よ。やる?」

 「やります。」

 迷いはなかった。元よりそのつもりだった。とまでは言えないけれど、桜庭先輩に未練を掻き立てられ、凪先輩に背中を押されようとしている今、ここで動かないのはただの意固地だ。

 柔軟に生き、適当に流されるという個性、遺憾なく発揮しよう。

 「うわすっご、即決。格好いいじゃない。それじゃあ早速作戦を」

 「その前に一つ、訪ねたいんですけど。いいですか。」

 なんなりと。凪先輩はそう態度で示した。

 「さっき言っていたじゃないですか、筧先輩への恩と仇、その内約です。差し支えがあるようでしたら、凪先輩が具体的に何を狙って、どう溜飲を下げるつもりなのか、だけでもいいんですけど。」

 信用はしている。肩を並べて戦う事はおろか、傀儡として良いように使われる事だってやぶさかではない。

 しかし、それによって彼へ一方的に害を及ぼそうとしているつもりなら、今からでも止めに入り、寝返るくらいの分別はある。

 乗りかかった船を平気で降りられるくらい、分別がついていない、とも言えるが。

 「……てっきり、『結局、私にとってどんなメリットがあるんですか?』とかやると思ったんだけど。」

 「馬鹿にする気満々で明言しなかった人に付き合うほど『お約束』が好きじゃないですし、そもそもそんなに初心じゃないですよ。私は筧先輩に惚れてて、一緒にいられるようになれば万々歳です。これでいいですか?で、今度は凪先輩の番ですよ。答えていただけますか。」

 凪先輩はわざとらしく両手を上げ、降参のジェスチャーを取った。

 「負けた。いいわ、教えたげる。でも時間がないし、言いたくもないし、詳細は割愛ね。」

 私が頷くと、凪先輩は気合を入れ直し、語り始める。

 「実はあいつの事、昔から知っててね……とは言っても幼い頃に別れて、再会したのは汐美でなんだけど。そんでその、ちっちゃい頃の話。あたしが色々あってヘコんでたら、当時似たような境遇だったあいつに言われたのよ。

 『お前を傷つける奴らはみんなケダモノだ。暴力に屈しても、暴言に打ちのめされても、人間のお前が一番気高い。』

 って、さ。流石に十年以上前の事だからニュアンスでの再構成だけど、筧は当時から聡い奴だったから、大筋は間違ってないわ。」

 指し示されたのよ、生き方を。そう言う凪先輩の目は、私ではなく、遠くを見つめていた。

 「当時それにビビッ!と来ちゃって、実に最近まで。ぶっちゃけ去年まで……とにかく、ずっと、それに従って生きてきたのよ。人間社会が動物の檻にしか見えなかった。近づく人間全てが血肉を狙う獣にしか見えなかった。そして半ば人ならざる存在となり、人の営みから外れた存在になれる、だなんて要素に目を引かれ、『組織』の座を狙っていたら、よりにもよって!筧本人が邪魔してきたの!どういう神経してるのって感じじゃない!?」

 思い出して腹を立てている凪先輩に

 「……つまり、目的は仕返しで嫌がらせ、って事ですか?」

 多少の落胆をもってそう尋ねたが、また的を外してしまったらしい。

 「正直それも無くはない、けど、全部じゃない。こうは言っても、感謝してる所だって勿論あるの。不幸自慢みたいでかっこ悪いけど、その指針が、支えがなかったら、とっくに潰れていたような環境で最近まで生きてきたし。全部が間違いだとも思っていない。むしろ恩のが全然大きい。だから、メインはやっぱり恩返し。だから今度はあたしが、筧に教えてやりたい事があるの。」

 照れつつも、彼女が紡ぐ言葉はまっすぐで。

 「あいつによって、二度。人として生きさせられて、ようやくわかった事。猛獣を相手取っても、人間は戦える。世界には獣だらけだけど、人間だって沢山居る。」

 間違いはないと、確信へ至るのに十分で。

 「ここ、案外、居心地が悪くないぞ、ってさ。言ってやるわ。」

 私は、共同戦線を張ることに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 4

 

 凪先輩と密談し、筧先輩をどうにかしてやろうと結託した直後、私は一人、図書部室前まで戻って来ていた。

 彼女が話の途中で言いかけていた『作戦』に従い、素直に別行動を取ったのだけれど。本当にこれでよかったのか、少し疑問が残る。それと言うのも、肝心の作戦が

 『あたしはあいつの上司とナシつける、あんたはあいつを説得しといて。あ、チャンスは一度きりだから。あたしが色々あった後遺症でちょっと”薄い”から今は把握されずに居られてるけど、バレて目を離したら即座に雲隠れに決まってるわ。逃さないで。』

 とか、どうしようもなく杜撰、無いに等しいとすら形容できる代物で。しかもこの期に及んで新設定をチラつかせてくるし。挙句の果てには

 『じゃ、クソオヤジ殴ってくるから。あとよろしく~』

 そう言って手をヒラヒラさせつつ去っていく凪先輩が、スマートフォンのメッセージアプリを立ち上げていたのも、どことなく不安を煽る。

 超能力者だか、魔法使いだかが集まり、世界を手中に収める悪の秘密結社の管理職が、L○NEって。

 ……今更か。尻込みする理由を探したって、言い訳する相手も今はいない。この際、当たって砕けろだ。

 思い切って、いつもより気持ち勢い良くドアを開く。ただいま戻りましたー、と声をかけるが、返事はない。

 入口近くに作った作業スペースには、几帳面に分類され、積まれた本だけがあり。

 筧先輩の姿は、無かった。

 遅きに失した。談笑している時間を惜しむべきだった。全てが手遅れ――――とか、そんな事はなかった。こんなの、既視感まみれの日常に過ぎない。

 新たに建設された書籍タワーを回り込むと、床に座り、壁にもたれかかって本を読む筧先輩がそこにいる。

 また無視をされてしまった。あるいは気づかれなかっただけだ。と、普段なら飲み込むだろう。しかし今日は事情が違う。

 いつだって軽んじられてきた私だが、それは彼が読書に何より重きを置くからだと、前向きに解釈してきた。

 しかし、それがもし凪先輩の言う通り、私に、身辺全てに、一切の価値を感じていないだけだとしたら。

 どうでもいいものと、どうでもよくないものの比較だったとしたら。

 ふざけるな、だ。

 腹が立ってきた。凪先輩の怒りに触発されてしまったか、まずは話を聞こう、という考えは既に消し飛び、問い詰めてやろう。という些か強硬なものに転換していて。覚悟を持ってしゃがみ込み、もう一度、今度は至近距離から声をかける。その直前。流石にこちらへ気がついた筧先輩が顔を上げ、目が、合った。くそう、やっぱ格好いい、うっかりすべてを許しそうになる。

 そんな戦わずして敗北を喫しかけていた所で、筧先輩は口を開く。

 「ああ、おかえり。お疲れ、こっちの仕事は――あれ、なんで……なるほど、小太刀か。そうだな、俺に関しては概ね正しいよ。でも、ずっと欲しかった物が目の前にあるんだ。だから諦められない。ごめん。」

 怖気が走った。

 私の行動をどういうトリックかで知り、会話の内容まで把握し、機先を制すように回答を述べたことに、ではない。そういう技能……異能があるらしい事は聞いていた。

 今の生活に未練がないこと、それを覆す気も無いこと、にでもない。共に過ごし、彼の秘めた厭世観を感じ取れないほど愚鈍ではないし、私みたく他人の言葉に容易く流されるような人間だと、侮ってもいない。

 ただ、筧先輩は一朝一夕でこの能力を身に着けたのではないのなら、今までも似たようなことは出来たはずなのだ。それを今、ただ『会話が面倒だから』で使った――否、会話をする気がない、という意思表示の為にひけらかしたのだ。

 説得を聞き入れる気のない相手だったら、説得以外の方法で納得させればいいだけだ。しかしそもそも交渉をする気のない相手には、干渉すら出来ない。

 万策を根から否定する完璧な一撃、狙い澄ました一手。これが筧京太郎の本領か――。

 出鼻を挫かれたどころの話じゃない。初手で綺麗にピッタリ終わらせる。全能という二文字が脳裏をよぎった。

 だから後は、悪あがきに過ぎない。『そういう事を平然とやってのける』という話を聞いていなかったら、既に足掻く気力すら失っていただろう。凪先輩に感謝だ。

 「うわ、やっぱ本当だったんですか。言ってくださいよ水臭い。でも別に今すぐじゃなくても、中退してまで就職ってそんな、三年生ですよ、勿体無い。」

 筧先輩はただ、微笑んでいた。

 「お友達も寂しがりますし……って、交友関係とか全然知りませんけど、図書委員の皆さんの間じゃ評判良いんですよ。知ってました?生き字引、ならぬ生きOPACって。いち図書部員としてそのノウハウ、是非伝授して頂きたいんですが。」

 苦笑していた。

 「欲しいものってなんですか。お金で買えるものなら夏休み、ばしばしバイト入れちゃいましょうよ、私も付き合いますから。二人分ならなんとかなりますって。でも貸しですよ、当然じゃないですか。後輩から巻き上げるなんて言語道断、ちゃんと卒業してから返してくださいね。」

 頭を振った。

 「そうだ、ごはん食べいきましょうよ。そう言えば一緒に行ったことありませんでしたよね。昨日すごい美味しいお店教えてもらって。あれを食べたら、汐美を離れる気なんて無くなりますって。」

 軽く掌を向けられた。

 「……私が寂しいから、行かないでください。筧先輩の事が好きなんですよ。お願いします。」

 再び、ごめん、と呟くだけだった。

 早々に語るべき言葉を失い、自分が情けなくなる。この程度の屁理屈ならいくらでも出任せに並べ立てられる腹積もりだったけれど、どうやら勘違いだったらしい。

 残弾尽きた私は口舌の回転が止まるのと同時に、体の奥の熱が引いていくのを自覚した。これすら筧先輩の狙いだったのかも、と気づく理性はあったが、諦めの侵食に歯止めがかからない。

 人並みの経験すら持たない私が、他人に何かを響かせるなんて、土台無理だったのだ。

 言うだけ言った。やるだけやった。無理だった。――なるように、なった。

 重すぎず軽すぎず、いい感じに失恋だ。愉快な思い出話になる。凪先輩には、謝ろう。

 立ち上がり、踵を返して、帰る。そのつもりで膝を伸ばしたら、ずっとしゃがんでいたせいか、立ち眩みを起こして。

 明度調整を誤った視界、一瞬の浮遊感。大丈夫、いつものだから、転んだりするようなヘマはしない。

 

 ――そんな時、耳にした音。だから多分、耳鳴りだろう。

 ――『言っても聞かないわからず屋は、やっちゃえ。わたしが許す!』だなんて

 ――無責任で無鉄砲な、懐かしい懐かしい、耳鳴りだった。

 

 「……あははっ」

 都合のいいの幻聴を聞かせてくれた脳を自嘲し、思わず漏れてしまった笑い声に、筧先輩がこちらを見る。

 いい具合に火が入った。私は流されやすいんだ。諦めを促されたら諦めてしまうよう、無鉄砲を唆されたら捨て鉢にもなる。

 私の心がやれと言ったんだ。やっちゃうに決まってるだろ。

 もう一度屈み込み、今度は膝をつき、筧先輩と目の高さを合わせた。

 覚悟は既に決まっていた。手を伸ばし、胸倉を掴み上げる。

 こんな暴虐、予想だにしていなかったのだろう。目を白黒させる彼。なんだ、全知なんて程遠いじゃないか。

 掴んだ手で引き寄せるつもりだったけど、体重差で動いたのはほぼ私だけだった。しかしまあ、問題ない。近づければどっちでも同じだ。

 私は私の唇を、筧先輩の唇に叩きつけた。

 少々勢いがつきすぎたのか、ガツン!と歯がぶつかり、口の中に血の味が広がるけど、怯まない。

 血の味なんて、慣れっこなんだ。

 確実に状況を理解できていない、呆然とする彼に、言い放つ。

 「筧先輩、乙女のファーストキスを奪ったんですよ。責任取ってください。」

 「え、あ、いや、奪った、って。」

 「今逃げたら、地の果て、地獄の底まで追いかけますよ。とは言え私も鬼ではありませんから、キスくらいで生涯を誓わせたりはしませんとも。今年度いっぱい、卒業まで部活動を続けたら許してあげます。」

 「だから」

 「もう一度聞きます。いいですか。」

 「…………はい。」

 「ありがとうございます。今年いっぱいで死ぬほど未練を作りまくって、逆に行きたくないって泣かせてあげますから。覚悟してくださいよ。――ところで、さっきのだと痛みしか記憶に残らないんで、やり直しても……いえ、やりなおします。」

 今度は反省を活かして、ゆっくりと。しかし再び強引に、唇を重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 エピローグ

 

 「あっはっはっはっは!あんたもよくやるわ、しょーじき見直した。ただの根暗チビ助じゃなかったのね。」

 らしくもなく大声を上げて笑う凪先輩に、どさくさ紛れで酷いことを言われた気もしたが、突っ込む気力すらなかった。

 私が筧先輩から強引に言質を取った翌日。お互いの結果は昨晩報告しあっていたけれど、やっぱり一度会って話そうと言うことで、1限目の時間、食堂で待ち合わせたのだ。

 「もう、勘弁して下さいよ。なんかもう、今度は私が消えちゃいたいくらいなんですから。」

 やらかした自覚は、勿論、ある。大アリだ。夢だったらいいと思う度に、唇の裏にできた裂傷が、それを否定してくる。

 「駄目に決まってるじゃない。あんたは最早、筧の保護者みたいなものなの。まあ役得でしょ、精々つきまとってあげなさいな。」

 「役得も何も、ああは言いましたけど、恋人とかそういうのはもう、無理でしょう。」

 あんな酷いことをして、報いはあっても、報われることなんて無い。それもわかっている。機を見て身を引くつもりだ。

 「いや、案外そうでも無いかもしれないわよ。強引なくらいでいいの、あいつには。」

 適当なこと言うなあ。と思ったが、筧先輩の幼馴染にして、元ライバルのお言葉だ。ありがたく受けて取っておこう。

 時計を見ると、直に講義が終わる時間だった。次の時限は出ておきたいので、私は席を立つ。

 「じゃあ私はそろそろ、失礼します。今回は色々、お世話になりました。」

 「ん、こちらこそ。またねー。」

 手を振る凪先輩にお辞儀をして、歩き出した。

 

 ――「生きとし生ける人間全ての、全てを識るのが羊飼いよ。そんな奴の不意をつけたんだから、即ち、あんたは『応援されてる』って事じゃないの。頑張りなさい。」

 

 何か言われた気がして振り向くと、凪先輩はいつも通りのつまらなそうな顔で携帯をいじり、行儀悪くストローを咥えていた。気のせいだったのだろう。

 なんとなく、彼女がそこに居たことに安心を覚え、ひっそりもう一度会釈をし、今度こそ私は教室へ向かう。

 終わりではなく、始まりの一日をはじめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 お付き合い頂きありがとうございました。
 サブヒロインルートの導入っぽく書いた前拙作を読んでいたら、本編も欲しくなったので書きました。
 半分嘘です。大好きな小太刀凪ちゃんを救いたかったので書きました。許してください。

 次回作がありましたら、その時もまたよろしくお願いします。
 失礼します。


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