"第6"に深い意味はありません。適当に取って付けただけで、第六駆逐隊は関係ないです。また、自己設定を根幹としている為、受け付けられない展開等があるかもしれません。ご了承くださいませませ。
艦これ引退につき打ち切り。
熱がある内に書き進めておけばよかった。
些細なものから、劇的なものまで。
その大きさに関わらず、もたらされる結果は遥かに不釣り合いであったりもする。
彼女に訪れたその切っ掛けは、そして結果は、果たして釣り合っているのだろうか。
正規空母・赤城。
『一航戦の赤城』として他鎮守府はおろか、未だ戦場も知らぬ訓練生すらその名を知る、現行最高の航空戦力と称された艦娘である。その艦載機制御能力は卓越しており、戦闘において一切の無駄がなく、常に最適を選択、実行。求められた結果を確実に叩き出す。命令に忠実で、戦力として十全であり、規律に反する事もない。上層部をして"艦娘の理想像"とすらも称されている。
そんな彼女だが、平時は打って変わって穏やかな人柄をしており、親しみやすく、他方への気配りも欠かさない。感情の制御を高いレベルで実現した、極めて安定した人格すらも有している。
彼女は理想の艦娘でありながら、人としても理想的なのだ。
だが、彼女は元よりそうであった訳ではない。紆余曲折と呼べる程ではないにしても、そこに至る切っ掛けは確かにあった。
かつて他の艦娘から"戦闘機械"と忌避された彼女に、僅かばかりの変化が訪れた日の出来事をここに記す。
赤城は戦闘を終えて母校に帰投し、入渠も手早く済ませ、鎮守府の片隅にある弓道場へと足を運んでいた。
先の戦闘において、赤城は被弾・損害なし。深海棲艦の撃沈数は10隻を超えた。誰もが称える戦果であったと言える。
だが赤城は、その結果に浮かれる事はない。かと言って戒める事もしなかった。
何も感じてなどいなかったからだ。
己に課された役割を現状発揮し得る全てで以て遂行した。一切の緩みなく全力であったと自負している。であるならば、艦娘である自分が結果についてどうこう考える必要はない。納得も、満足も、後悔も、それは提督のする事だ。私の役割じゃない。
兵器たる艦娘の役割じゃない。
省みる事もないし、艤装の整備も入渠も済んでいる。やる事がないから、仕方がないから弓道場へと向かっているのだ。どこかに座って何をするでもなくただ時間を浪費するよりかは、多少なりとも戦闘能力の向上に繋げられる事柄に取り組むべき。赤城はそう考えていた。
多くの空母艦娘は、カタパルトに着想を得た特異な発艦方式を多数採用している。弓やクロスボウ、果ては符術など実に多様であり、赤城の場合は和弓を使用した弓道に近い方式が採用されている。だからか、鍛錬の場として鎮守府の敷地内に弓道場が設けられていた。
赤城が弓道場に近付くにつれ、的を射る独特の音が聞こえ始めた。中では、『二航戦』の片割れとして知られる正規空母・蒼龍がいた。
「あれっ、赤城さん? お帰りになられたんですか」
「ええ。戦闘は無事に終了しました」
「なのに、どうしてここに? 入渠とかもう済んだんですか?」
「はい。被弾しませんでしたから」
はぁ~、と蒼龍は感嘆の声を漏らす。
空母は砲撃戦を行う事などまずない為、敵と距離を保ちつつ、艦載機を放つ事で戦闘を行う。そうなれば自ずと被弾率も低いのだが、艦載機制御に集中するあまり、うっかり孤立してしまったり、敵の接近を許してしまったりと、いつも安全圏に留まり続けている事も出来ないものだ。
かく言う蒼龍もそういった失態をして、手痛い反撃を貰った事があった。彼女の場合は敵との位置取りを重視するのだが、そこに余力を割くあまり艦載機制御が疎かになりがちで、結果として敵の接近を阻止出来なくなる事態が多々見受けられる。
「他にする事もなかったので、一応ここで訓練でも、と思って」
「いやいや、休んだりしないんですか? 戦闘後ですから疲れてるでしょ」
「いえ? 別に」
蒼龍は「そうですか」としか返せない。
被弾しなかったからと言って、戦闘それ自体の運動量は相当なものだ。潮風と、岸とは比べ物にならない程に高く強い波、敵から放たれる攻撃。その中で妖精を通して砲塔や艦載機を制御し、敵へと攻撃を加える。
攻防の両立は艤装それ自体の制御よりも遥かに困難で、故に実戦に出られるようになってからでも、思考が追いつかず一時的な機能停止に陥る者すらもいる。
急速な回避行動を行えば身体的に、精密射撃や艦載機の高精度制御をすれば精神的に、それぞれ疲労感を覚える筈なのだが。
だが、赤城にはそれがない。手を抜いている訳ではない事は、共に戦場へ赴いた事のある誰もが知っている。仮に手を抜いていたと言ったとしても、誰もが認めたがらないだろう。あれ程の戦闘能力を手抜きでされてたまるものか、と。
だから蒼龍は、皮肉を込めた言葉を堪えられなかった。戦闘後は「普通は疲れでそれどころじゃないんですよ」と。その多くの者にとっての事実を棘に包んで、赤城へと突きつけた。
「他にやる事ないんですか?」
「他に。そうですね……」
どうという訳もなく、赤城は顎に手を当てて考えるような仕草をした。誰がどう聞いたって嫌味としか受け取れない筈の言葉を、意に介する事なく平然と聞き流す。
その時の蒼龍の顔は、どうしようもない物を見る時の諦めの表情を浮かべていた。
「ありませんね。特に」
赤城の返答を聞くよりも先に、蒼龍は身支度と片付けを始めていた。その背中に向けられた赤城の言葉に対して極めて淡白に「そうですか」とだけ答えた。
「じゃあ、私はこれで」
「はい。お疲れ様でした」
赤城の方を向きもせず、蒼龍はすたすたと歩き去っていく。赤城はその後姿をにこやかな顔で見送る。蒼龍が小声で「こっちの台詞ですよねー、それ」と言ったが、赤城も既に鍛錬の準備を始めていたから、その声が届く事はなかった。
雑念はない。
不安定な海面でもなく、まして敵弾も降り注がないのならば、的を外す事などありえない。赤城は己の技量を、そしてコンディションも熟知していたから、その通りにひとつとして外す事なく、繰り返し的に矢を突き立てていく。
「赤城さん」
黙々と鍛錬に打ち込む赤城に声をかける者が現れた。低めの落ち着いた、ともすれば抑揚に乏しい声色。赤城と同じ『一航戦』の肩書きを持つもう一人の艦娘、正規空母・加賀だ。訓練生時代から親しく、また関連性の極めて高い記憶を移植されている為、互いの距離感は近い。
とは言え、実のところ、赤城に進んで声をかける者は、この鎮守府には加賀くらいしかいない。誰もが先の蒼龍と同じように、距離を置く事を選ぶ。「話していても面白くない」とか、「戦闘の事以外何も考えてなさそう」とか、「心が死んでるんじゃないか」とか。各々が好き勝手な理由で敬遠し、話しかけては来ない。
加賀を除いて。
赤城に近しい者として、思うところがあるのだろう。顔を合わせては話しかける姿を多くの者が目撃している。
だが。
「あ、加賀さん。どうかしたんですか」
「どうもこうも……あなた戦闘後だというのに、きちんと休息はとったの?」
「いえ、疲れていないので、その必要はありません」
「そんな筈……」
そんな筈はない。疲れている筈だ。そう思いこそしたものの、一度として仕損じられる事のなかった的と矢が、その考えを思い込みだと示している。
加賀は未だに赤城を理解しきれていない。恐らく最も深く関わった他人である筈なのに。
正しくは違う。変化する赤城に対して、加賀が追従しきれていないのだ。だが加賀はその事を完全に理解出来ていない。食い違い続ける会話と認識の中で、違和感ばかりが募っていく。
「あ、そろそろ時間ですか。加賀さん、ありがとうございます」
「え、えぇ……」
無心で矢を放ち続けている内に時は過ぎ、夕食の頃合に近付いていた。今から片付けして向かえば、丁度定刻通りに食堂に付けるだろう。それを見越して自分を呼びに来たのだと考えた赤城は、他意なく加賀への感謝を述べる。
だが加賀にはそんなつもりなどなかった。そんなつもりじゃなくて、他に言うべき事があるというのに、口からは曖昧な応答だけが漏れ出るばかり。
加賀は口下手だったのだ。
てきぱきと片付けを済ませ、一直線に食堂へと向かう赤城を追うように、加賀も歩みを進めていく。
「今日の献立は何だったかしら」
「いつも通り、主食・主菜・副菜・汁物の組み合わせですよ」
「そうじゃなくて、料理が何かです」
「料理……あぁ、組み合わせではなくてですね」
赤城にとって重要なのは、栄養バランスと満腹感。何が出るとか、どんな味だとか、そういったものに興味を示さない。
そうとは知らずに加賀は、話を膨らませそうな話題を見つけ、赤城へと振ってみる。
「赤城さん、何か好き嫌いとかってありますか?」
「いえ、ありません」
「じゃあ、好きなものとかは」
「え? 今ないっていいましたよね?」
あぁ、そうか。
赤城に好き嫌いはない。
"好き"も"嫌い"もありはしないのだ。
そう理解した時の加賀の顔は、弓道場から去る時の蒼龍の表情によく似ていた。
数日後の、何事もない昼下がり。
出撃にアサインされていなかった赤城は、昼食を済ませた後、ひとり弓道場にいた。相も変わらず黙々と、矢を番えては的へと放つ。誰に言われた訳でもなく、他にやる事もなかったから、自主的に。
精神統一など必要ない。考えるべき事柄がないから。身体に覚えこませた一連の動作を半ば条件反射的に繰り返し、時には思い出すように意識的に。矢を番え、放ち、的を射る。
そんな無心の鍛錬を繰り返していると、赤城の所有する情報端末が振るえ、電子メールの受信を通知した。
鍛錬の最中だと予想した上でこれを送る。
本日の鍛錬は、平時より量・質共に増した内容にて実施する事。ただし、明日に疲労を残す程に過酷である必要はない。
そして間食を取る事なく、夕食配給時刻には執務室に出頭する事。なお、水分の摂取については制限しない。
これは命令である、とすれば、君は従ってくれるだろう。
忠実な遂行を望む。以上。
提督からだった。
内容について要約すれば、「身体的疲労を高め、かつ空腹の状態で執務室に来い」という事になる。
意味はわかる。だが、意図が読めない。どうして提督がこんな通知を送ってくるのか? 赤城は考えてみたが、それらしい答えには至れなかった。
まぁそれでもいい。別に遂行不可能な任務という訳ではないのだし。そう結論付けた赤城は、鍛錬の内容を組みなおす。夕食の時刻までの時間はまだ長い。その残り時間の全てを弓の練習に使う必要はないだろう。時間的余裕があるのならば、もっと他の内容に手を付けられる。
基礎的な身体トレーニングも入れておこう。不足はないが、疲労感を高めるならばそちらの方が優れている。
そう結論付けた赤城は、最後に一度だけ弓を射ておこうと考えた。今日の鍛錬の成果を確かめるように、意識して、ゆっくりと矢を番え、放つ。
的を外しはしない。しかし、狙った位置から僅かにずれた位置に突き刺さった。
提督の命令が頭をよぎったからだ。意図不明の不可解な内容。それが赤城の集中を乱し、結果、ほんの僅かな手の揺らぎとして現れた。
実戦において、そこまで精密に矢を放つ必要はない。あくまでカタパルトの代用だし、矢から艦載機へと変換された後は、こちらの意志を汲んだ妖精によって動かされる。およその方角さえ合っていれば勝手に軌道修正してくれるのだから、実際のところ、放てさえすれば何だって構わないのだ。
だが、赤城はこの結果に納得出来なかった。的を外さず、狙った位置に正確に放つなど当たり前で、だからこそ、その当然の結果に至れなかった事実が許せなかったのだ。
今度は意識的に意識を廃し、思考を殺し、肉体に任せて矢を放つ。
またずれる。意識を廃し、また放つ。
それを3度繰り返し、やっと狙った位置に射てた事で、満足して次の工程に移行した。
迷いは邪魔だ。意識など不要だ。
我々"兵器"には心などいらないのだ、そう思いながら。
夕刻。
次第に艦娘たちで溢れ返っていく食堂を素通りして、赤城は命令通りに執務室へ向かう。
普段以上の鍛錬内容をこなし、浴場で身体の汚れを落とし、洗浄済みの衣服に着替えた。命令通りに水しか摂取せず、かつ疲労感は十分にある。しかし必要分の栄養の補給と休息があれば、明日に影響を残す事もないだろう。
残る命令は、執務室への出頭のみ。恐らくそこで、この命令の真意を知る事となる筈だ。
疑問こそあるが、期待はない。命令を遂行する事は当然であり、何かを生み出せど、それは自分には直接的に関係のない場所でであろうから。
人のいない廊下を歩き、執務室前へと到着した。扉を四度叩き、名乗る。執務室からは提督の簡素な応答があり、入室を促された。その声に従い、赤城は扉を押し開ける。
平時の執務室には、およそ不要な物は配置されていない。というよりも、物それ自体が少ない。執務机と執務椅子。提督の私物である書物が収められた本棚。その前には来客用の小さな丸いテーブルと、それを挟むように置かれた簡素な木製の椅子が2つ。時々花瓶に生けられた花があったりもするが、いつもという訳じゃないし、まして誰が置いているのかもわからない。総じて落ち着いた色合いのした、静かな空間である。
が、今回、赤城が目にした様子は少しだけ違った。
執務机が、小さなテーブルが、椅子が、揃って壁際まで押しやられている。それによって出来たスペースには、背の低い丸状の食卓が置かれ、それを囲むように座布団が3つ。うち2つには既に人が座っている。1人は当然、提督だ。赤城を呼び出し、入室許可まで出したのだから、いない筈がない。
もう1つ。そこには意外な事に、加賀が座っていた。顔は正面を向けたまま、横目で赤城の姿を捉えている。
あの命令は私だけに与えられたものではなかったのか? 赤城はそう疑問を持ったが、別にそれは命令の遂行には何の関係もないと早々に思考を止め、提督に示されるままに、残る最後の座布団の上に正座した。
これで赤城の課された命令は遂行された事になる。だがどうも現状から考える限り、提督の狙いは別、どころかその後にこそあるようだ。
現状から考えるに。食卓を囲み座する3人と、空腹感、疲労感。夕食時ともなると、それはつまり。
私は今から、提督と加賀さんと3人揃って食事をする事になる?
意味はわかるが意図が不明だ。
またしても。
何故だ? 食事などいつものように食堂で取れる。わざわざ執務室で、それも上官であるところの提督と、同僚の加賀と顔を突き合わせて行う必要がない。
「疑問も質問もあるだろうが、今は待ってくれ」
知れず眉間に皺を寄せていた赤城へと、提督は釘を刺すかのようにそう言った。
待てば答えは示される。ならば待つべきだろうか。それとも問い質してみるべきか。そう思いこそしたものの、それでは先の提督の指示に反する事になる。なれば、大人しく黙っているしかない。
壁に掛けられた古めかしい時計の時を刻む音だけが、執務室の空気を揺らす。
提督は語らず、加賀は黙し、赤城は問わない。呼吸音すらも聞こえず、窓の外の潮風は穏やかで、硝子を叩く事もない。
提督の指示に則り、待たねばならない。だがこの空間は、この沈黙は、思いの外堪える。まるで身体の内の鼓動音すらもが時計と同じ機械仕掛けに代わっていくようで落ち着かない。
目的も明かされずにただ待たされる事が、こんなにも辛いとは。赤城の焦りと不安は次第に手の指先に現れ始めた。落ち着きもなくかたかたと震える。乱されている。いや、乱してしまっている。それが屈辱に感じて、赤城は己の拳を握り締める。それでも振るえは収まらず、今度は拳が震え始めた。
この時間はいつまで続く?
無意識の内に下唇を噛み締めていた事に気付いた頃に、沈黙を破るノック音が執務室に響き渡った。
「鳳翔です。お待たせしました」
「おっ、ついに来たか。はい、今出ます」
軽空母・鳳翔の声だった。それに答えた提督は、食卓から立ち上がり、入り口へと向かう。提督に続こうとした加賀を手で制しながら、扉を開け、廊下で待っていた鳳翔を招き入れる。
鳳翔は配膳台を押していた。二段ある台の内、上にはカセットコンロに乗せられた土鍋、下にはお櫃といくつかの食器が見えた。
「すみません、お待たせしてしまって」
「いえいえ。無理を言ったのはこちらですから」
「いいんですよ、これくらい」
提督と鳳翔はにこやかに会話を交わしながら、食卓の上に食器をてきぱきと並べられていく。中央にはカセットコンロと土鍋。それぞれが座する座布団の前には箸と小皿。そして鳳翔によって茶碗によそわれた白米が置かれる。提督がコンロに火が付けると、すぐに土鍋から湯気が噴き出し始めた。鳳翔は食卓から少し離れた位置にお櫃を置き、配膳台は出入り口の横の壁に沿うように移動させる。
「それでは、ごゆっくり」
「ありがとうございました。このお礼は後日」
「いえ、そんな。ふふふ」
そんな笑い声と共に、鳳翔は執務室を出て行こうとする。その時、赤城は鳳翔と目が合った。赤城を見るその目は、普段向けられる他者のどんな視線とも違って見えて、一抹の不安を覚える。鳳翔は狙いを知っている。恐らくこの部屋にいる者の中でそれを知らないでいるのは赤城だけだ。
何が為の集い。何が為の鍋。
わからない。
「そろそろかね」
提督はそう言うと、鍋掴みをはめた右手で蓋を持ち上げた。
噴き出し穴から出るばかりだった湯気は、執務室の天井目掛けてもうもうと立ち昇っていく。その流れに巻き上げられるように、鍋特有の、無数の具材によって醸し出された濃密な芳香が、3人の顔を正面から撫で付ける。
くぅ、と小さな音がした。聞き慣れない音だったものだから、赤城の耳には、鍋の沸騰音の中でもよく聞こえた。
赤城は提督の方を見てみるが、当の提督は加賀の方を見ている。視線の先の加賀は深く頭を垂れ、誰とも目を合わせたくないといった風に、耳を真っ赤にして項垂れていた。
そこまで確認して赤城は、先の異音は、加賀が腹を鳴らした音だったのだと理解した。それを恥じて顔を紅潮させたという事も。赤城は普段の澄ました加賀しか知らなかったから、口数が少ないままとはいえ、ここまでわかりやすく調子を崩してみせた姿は新鮮に思えた。
加賀は幾度かの深呼吸の後、すっかり元通りになった顔を上げて、提督を強く睨みつける。
「謝れば気が済むのかね?」
「はい。謝ってください」
「すまなかった」
全く悪びれる様子もなく、いけしゃあしゃあと言ってのける提督と、その言葉にちっとも納得のいっていない加賀。赤城にはそう見えた。
そこでふと、「提督と加賀はこんなに仲が良さそうだっただろうか」とか、「加賀は思っていたよりもずっと感情の変化が読み取りやすいのだな」とか、そんな事が思い浮かぶ。だから、果たして以前からそうであっただろうかと確認する為に、過去の出来事なんかを思い出そうとしてみた。が、それらに関する事柄について、何故だか全く思い浮かばない。
赤城は提督を見る事はあっても、誰かといる提督を見た事がない。加賀を見る事はあっても、何を考えているのだろうかとか、そんな事について思いを巡らす事もない。視界に入っても、それについて感情を抱く事などなかったのだ。
提督がいる。それだけ。
提督より命令が下される。それだけ。
加賀がいる。それだけ。
加賀が話しかけている。答える。
それだけ。
何故だろう。そう疑問に思ってすぐに、「何故そんな事について疑問に思うのだろう」という、別の問いが覆い被さってきた。この問いは私が悩むべき事柄なのだろうか、と。答えはすぐに出た。「その必要はない。迷いなど邪魔にしかならない」、いつかの弓道場でそう思い至った筈だ。
でもそれは、果たしていつの事だっただろうか?
疑問に疑問が重なって、不確か答えが被さって、思考が定まらなくなってくる。こんな事は初めてだ。いや、初めてだっただろうか? 確証を得られない。
今日の私は何だ? どうにも様子がおかしい。正しくは提督からの命令を受信してからになるか。とりとめもない事に揺さぶられる。自分が、その内側の何かが。「酔う」という現象はこういった症状なのだろうか。赤城自身が多分違うと否定する。そういったものではない。この揺れは、震えは、もっと奥底の根元の方から――
「……赤城さん?」
覗き込むように赤城を伺う加賀の顔が視界に映りこんだ事で、思考が肉体へと戻ってきた。
我に返った赤城は、「大丈夫です、何でもありません」とだけ答える。加賀は視線を赤城から提督の方へと向けてみるが、「ほら、腹が減ってるから」と答えた提督に対して、眉間に皺を作る事で否定の念を露にしてみせた。
「腹が減っては何とやら、さ。では、頂こうじゃないか」
そんな加賀の視線を無視して、提督は食事の開始を宣言する。身体の前で両手を合わせ、「頂きます」と言って、軽く頭を下げた。加賀も続いて同じようにするが、赤城はその気になれなかった。確かに空腹感はある。けれどそれよりも先にあるのは、先の命令への疑問だ。それについての問いをまだ得ていない。喉奥にへばり付くようなその感覚は不快だ。早々に取り除いておきたい。
その意思を理解しておきながら、しかし提督の発した言葉は変わらなかった。
「まぁ赤城も、取り敢えず食っておけ。腹が減っては――」
「戦は出来ぬ、ですか? 説明くらいなら出来るのでは?」
「いやいや、空腹状態は良くないよ。焦りが出るし、集中力も欠く。理解力も低下するしな」
「何の為に私にあのような命令を出したのですか? 私を空腹状態に陥らせる事に何の意味が?」
「まーまー、いいから食いなって。具材一通り口に入れちまえ。そうすりゃ話すよ」
赤城は提督の目を見て話しているというのに、提督は鍋から目を離そうともしない。上官だからと言って、話す気がないにしても失礼ではないか。そもそも食事中に会話をする事自体が如何なものかとも思ったが。
加賀へと視線を移した赤城だが、しかし目が合う事はなかった。加賀も提督と同じように鍋を見つめて具材を手元の小皿へと黙々と移している。
溜息を抑えられなかった。提督どころか加賀まで同じ真似をするとは。私一人だけ状況を説明しないまま、2人だけで話を進めようとしている。しかし、向こうがその気にならない限り何も答えはしないのだろう。ならば、言った通りにしてやろうではないか。赤城も先の2人と同じように手を合わせ、「頂きます」と言って頭を垂れた。その時に聞いた自分の声が、普段よりもずっと尖って響いた事に自分自身で驚いた。
この感覚は、一体何と言っただろうか。そう疑問を浮かべながらも、手は勝手に動き、持った箸で具材を一通り、小皿へと放っていった。
腹が減ってはなんとやら。先の提督の言葉を思い出す。焦り、集中力を欠き、理解力も低下する。もしかすると今の自分は、まさにその通りなのではないか。ならば提督の指示は正しかった事になる。
何故だか納得する気になれなかった。その理由を考えるよりも先に、口内へと運ばれた豚肉と白菜を奥歯を使って噛み締めた。暫くの咀嚼の後、飲み干す。
………………。
豚肉と白菜だ。
何等かの出汁によって煮られた豚肉と白菜。それ以外の情報が出て来ない。何の事もない、赤城にとってはそれが食事に対するいつも通りの反応だった。
空腹感は確かに薄らいでいく感覚はあったので、取り敢えずはそれを黙らせる為に、小皿の中にある具材を順番に口へと運んでいく。
長ねぎ、大根、人参。水菜に春菊。えのき。豆腐、しらたき、つみれ、白身魚。片っ端から口に入れ、噛み砕き、飲み込む。その具材が胃に収まったという認識だけが浮かぶ。
それだけ。
小皿の中を空にした後、箸置きの上に箸を置く。提督の方を見て、「言われた通りにした、次はそちらの番です」と、無言で訴えかける。その姿を見ていた提督はもしゃもしゃと咀嚼していた口内の具材を喉を鳴らして飲み込んだ後、ついに赤城の欲していた問いの答えを語り出した。
「加賀からお前について相談されたんだよ」
加賀がむせた。盛大に。
口内の具材を吹き出すまいと半ば無理矢理に右腕で押さえつけ、涙を流してえずきながら、鼻で音を立てて呼吸しながらも、なんとかその場を耐え凌いだ。
「おい、どうした。大丈夫か」
そう言いながら提督は、左手で加賀の背中を摩る。加賀が落着きを取り戻し、涙目で睨まれながらその手を払いのけられるまで、提督は背中をさすり続けた。
「……そういう事は、真っ先に言う事ではないと思うのですが」
一呼吸置いた加賀が、威圧的な口調で提督を責める。しかし当の提督は、「事の始まりはお前なのだから、そこから順を追って話していくべきだろう」と返し、取り合おうとはしなかった。赤城は完全に蚊帳の外であるが、その様子を落ち着いた様子で眺め続けた。空腹感が収まったから、なのだろうか。それとも待ってさえいれば答えてくれるところまで来たからなのか。赤城にはよくわからなかった。
「で。話を戻すと、だ。」
提督は加賀から目を逸らし、赤城の方へと向き直る。加賀は見るからに不機嫌そうに口元を拭っているが、目だけは赤城へとしっかりと向けて、事の成り行きに注目していた。
「加賀はお前を心配していた。どうにか出来ないものかと悩み、いろいろと手を打ってこそみたものの、限界を感じ、なんと俺へと助けを求めて来たんだ」
「……どういう事ですか?」
説明としては序盤も序盤。しかし赤城は、もうその段階で新たな疑問にぶち当たった。自分が心配される要因に全く思い当たる節がなかったからだ。
日々を無駄なく過ごし、戦闘で最良な行動を取り続け、自身の機能維持に努める。何一つ問題のない、心配される必要のない生活態度だった筈なのだが。
「そうさなぁ。まずはどっから切り出したものか……」
提督は食卓に右肘をつき、右手の甲に顎を乗せる姿勢で、考える仕草を取った。それが思考中である事は赤城にも理解出来たから、黙って続く言葉を待つ。
が、提督の口から出た言葉は、赤城の予想よりも遥かに遠い位置から始まる事を意味していた。
「艦娘とは何か、という話になってくるかな」
眉をひそめたのは赤城だけではなかった。加賀もである。加賀はてっきり、自分の懸念に提督が同調してくれたから協力してくれたと思っていたので、どうもそこよりも別の何かが気掛かりで今回の行為を仕組んだという思惑を知り、困惑していた。
「『艦娘とは、対深海棲艦戦闘を目的として我が日本国より発案、開発された"兵器"である』、これは上層部の言い分だ。赤城、お前はどう思う?」
「正しいです。我々艦娘は、深海棲艦の撃退、撃滅を目的として生み出された"兵器"です」
そう淀みなく答える赤城を見ていた加賀の表情が僅かに曇る。しかしそれに赤城は気付かない。
「そう。お前たちは訓練生の段階でその認識を教え込まれる。そしてそれに従い、艦娘となった自らを"兵器"であると定義付ける」
提督はまくし立てる事なく、ゆっくりと間を取りながら、赤城の反応を見ながら、言葉を紡いでいく。赤城は頷くなり、黙るなりして肯定を示し、それを理解した提督は再び会話を再会する。
「だが、実際の艦娘はどうだろう。兵器と呼べる仕上がりだっただろうか?」
その問いかけに、赤城は顔をしかめた。同意しない、その表れ。赤城の言い分を無言のままに理解し、提督は頷き、同意する。
「そう。赤城、君は違う。命令に従順で、空母として高いレベルで機能し、機械では依然として不可能な域にある柔軟な発想と即応性を有している。上層部の評価そのままの、まさに"艦娘の理想像"だ。つまりは、まぁ……。艦娘の理想、そこに到達出来ているのは、現状では君だけなんだよ。赤城」
自分だけ。つまり、今ここにいる加賀は含まれていない事になる。だが赤城も加賀も、その表情を変える事はなかった。
わかりきっていた事であったから。
怒る事なく、まして怯える事もなく。決して揺るがぬ心を以てただ冷徹に敵を討つ。そんな"物"になれはしないと加賀は思っていた。この場においては、加賀だけがそう思っていたのだ。
「俺が初めて君たち艦娘と接した時、何を感じたか教えてあげよう。『人間性を残し過ぎている。兵器としては不完全と言わざるを得ない』、だ」
それが不完全な艦娘のみが持つ要素、加賀が持ち合わせている特性であり、つまり赤城が持ち合わせていないものである。だが赤城には、それに何の問題があるのかがわからない。
「上層部の求めた艦娘像は、別に否定するような代物じゃない。命令に従って戦闘する存在。結構じゃないか。まさに兵器だ。兵士のように個々が好き勝手に感情を持ち合わせ、それを戦闘行動に持ち込む事のない、物としての運用方針」
感情が戦闘にどのような影響をもたらすのか。そんな事など、戦場に身を置く誰もが理解している筈だ。強い感情というものは、総じて冷静な判断を阻害する。激しい怒りは視界を狭め、強い恐れは身を竦ませる。そんな真似をした者がどのような目に合うかなど、それこそ言うまでもない事である筈だ。提督はそれを理解している。だから否定しないのだ。なのに、ならば、一体何が問題になるというのか。黙する赤城の顔から提督は目を離さない。
「だが、現状ほぼ全ての艦娘が有する兵器としての不完全性は、しかし戦力としての評価にさしたる影響は与えない。それは今まで積み上げてきた戦果が証明してくれている。……では、機能におよそ差がないと言うのであれば、一体何が問題になると思う?」
提督が身を乗り出し、赤城へと顔を近付ける。鍋の湯気越しに見えるその顔は、明るい部屋の中だというのに、嫌に不気味に見えた。
「艦娘の素体たる人間。その機能不全を要因とする、戦力としての不安定化だ」
赤城は無言だった。意味が理解出来なかった訳ではない。ただ納得し難い事であったから、自然と目を見開き、拳を握りしめ、提督を見つめていた。
その視線を真向から受けたまま、提督は言葉を続けていく。
「君たち艦娘は先天的に兵器だった訳ではない。人として生まれ育った後、兵器へと加工された。人としての立場を奪われて」
深海棲艦の出現から人類が制海権を奪いつくされるまで、打つべき手は全て出し尽くされた。多国籍軍の総力戦、各国が極秘開発中だった兵器の数々、果ては核攻撃まで。それら全てが水泡と帰し、母なる海への諦めすら抱き始めていた頃に艦娘は生まれた。
深海棲艦と同等の機動性、防御力、攻撃能力を有する、まさに対抗馬たる存在。
だが彼女たちの存在は、制海権の喪失と大災害からの早急な復興、国という機能の回復を急ぐ日本が生み出した、半ば人道も人権も無視した危ういものだった。未熟な少女の記憶まで弄繰り回し、無数の失敗作の果てに生まれた、その場凌ぎの一応の成功作。それが今、各鎮守府に配属されている彼女たち。年端もいかぬ少女たちを兵士へと仕立てあげる所業は、他国のみならず国外からも散々に非難されてきた。それでもなお彼女たちの戦いが終わらないのは、深海棲艦に対抗出来るのは事実彼女たちをおいて他にはいない事。そしてその有用性故に世間が彼女たちへの救済を諦めた事。
あんな化け物共に立ち向かえる彼女たちは最早"兵器"なのだと。"兵器"なのだから良心を痛める必要などないのだと。そんな加害者側の言い訳を鵜呑みにしてしまったから。
「人が人である為に、なんて事は、きっと多くの者は考えもしないだろう。生まれながらに人で、死ぬその瞬間までも人なのだから。だが、人が人でなくなる為に、という事になると話は大きく違ってくる。自分という人を構成する要素、それらを取捨選択する必要に迫られる。人として持ち合わせているべき当たり前のものすらも捨てなければならなくなって、その喪失と摩擦は深い亀裂を生むだろう」
そこまで言って提督は姿勢を崩す。湯気の向こうの顔が遠退き、曖昧な輪郭だけが赤城の視界に映る。
「人とは積み木だと俺は思う。見聞きしたもの、経験した事。それらが積み重なる事で人を形作っていく。だが、今まで当たり前に土台としてきた要素を棄てなければならなくなったとしたら、その上に積み重ねられてきたものはどうなってしまうだろうか。それが加賀の悩み事だったって訳だ」
赤城は加賀の方へと視線を向ける。伏し目がちのその顔には、暗い影が差す。不安の表れ、そしてその深さと強さがありありと見て取れる。
「今の君は未だ戦力として有用だが、しかし確かに棄てて、おまけに崩れ始めている。その崩壊が本格化する前に歯止めをかけたいから、加賀は俺にすら頼ってきた」
加賀や提督にとって、赤城はまさにその積み木に見えていた、という事になる。だが当の積み木側には、そんな覚えは一切なかった。「崩れかけなんて、私は別に――」。そう言った赤城の反論を遮るように、提督は呆れた風に言う。
「自覚がないというのは困り者だな。元から鈍感であった訳でもあるまいに」
鈍感。感じ方や感覚が鈍い。今の赤城はそうであり、元の赤城はそうでなかったらしい。ならば元の私とは、一体どんな風であっただろうか?
思い出せない。
「本来、自分は何者であるかみたいな、そういう根源的なものが脅かされる事はない。言うまでもない事だし、覆る事もないからだ。だが君たちは――艦娘は。覆されてしまった。人である事から兵器である事へ、変わる事を強要されてしまったんだ」
戦力として動かしやすくする為に、良心の呵責に苛まれない為に、彼女たちは人から兵器へと変えられた。
そう、彼女"たち"だ。なれば、それは何も赤城だけじゃない。
「ですが、私は……他の皆だって…………」
「そうだね。存外に上手くやっている」
そう答える提督の声は、素直に感心しているような、しかしやはりどこか呆れているような、そんな含みのある口調だった。
「実に器用に折り合いをつけている。自我の形成に決定的な影響を与えた最低限の過去だけを残し、空いたところに殆ど関係のない昔々の艦艇の記憶を転写されたっていうのに、全く素晴らしい精神的バランス感覚だ。危うい綱渡りに慣れ親しんでしまっている。むしろそれこそが生存の為の適応能力、その表れなのかも知れないね。けれど――」
そこで一度言葉を区切ると、提督の纏わせる空気が明らかに変わる。茶化すようなそれではなく、固く冷たい、鉄のように血の通わない声と眼差しが赤城へと向けられる。そんな視線を見るのは初めてだった。この目は、明らかに人へと向けられるものではない。
物へと、兵器へと向けられる眼差しだ。
「それに君は含まれていないだろう、赤城。完全な兵器性を獲得する要因を持ち得るのは君だけなんだから」
赤城の呼吸が止まった。
突然、無意識にそうなったものだから、慌てて意識的に息を吸おうとする。けれど上手くいかない。肩がわななき、視界が揺らぎ、思考が霞む。
「施術前のデータを見る限り、君のその真面目さは元からだったみたいだね。責任感が強く、望まれた役割を全うする為に柔軟に立ち回れる。けれどその柔軟さは少々度が過ぎていたようだけど」
そんな様子の赤城を気に留める事なく、提督の言葉は続く。その一言一句毎に、赤城を苛む揺れは強くなってゆく。
「”人ではなく兵器になれ”と迫られて、『はい、わかりました。頑張ります』なんて答えを心から言えるだなんてね。君の言う皆にはそれが出来なかった……いや、しなかったんだよ。『私は兵器です』って上辺だけで答えて、本心では人であろうとする事を棄てていない。それがどれだけ困難で、苦痛を伴う選択かを理解していたから」
呼吸が乱れ、身体が震え、冷や汗が噴き出る。戦場でも感じた事のない事態を前に思考が全く定まらない。それでも提督は事実を喋る事を止めない。赤城を見ているようで、しかしその内側を覗くかのような目を向けて捲し立てる。最早赤城の事など気にも留めていないといった風に。
「しかし君はしてしまった。出来てしまった。"人から兵器になれ"という無茶苦茶な要求に、真面目に答えようとしてしまった。それが出来ると本気で信じて、どうなってしまうのかもわからぬまま――」
「提督!」
崩れかけた赤城の身体を支えたのは加賀だった。今まで見た事もない程に険しい形相を浮かべて、提督を睨み、怒鳴りつける。その後すぐに赤城の方へと向き直り、左手で優しく背中をさすった。
赤城が落着きを取り戻すまで、何も言わず、ただ傍に寄り添い、支え続けた。
「私は…………」
やっと身体を自分の意思で支えられるようになった頃、赤城は提督へと言葉を投げかける。その口調は、先程までの震えが乗り移ったかのように、平時のそれとはまるで違う、実に弱々しいものだった。
「私は、間違った……という事ですか」
「いや、正否の問題じゃない。どころか必要なものであったさ」
そう答える提督の声は変わらない。赤城が取り乱し、加賀に怒鳴られた後でも、依然として金属のように冷たく、揺るぎない。
「実のところ、俺は君を意図的に見過ごしていた。君だけ明らかに周囲と異なる事を理解しておきならが、野放しにして、様子を見ていたんだよ」
その言葉に、加賀の目の色が変わった。眼に明確な敵意が宿る。それを言葉にも含ませて、加賀は提督へと問いかける。
「何故そんな事を……」
「艦娘のあるべき姿を確かめる為さ」
加賀の言葉と視線を真向から受け止めながら、なお提督は変わらぬ口調で言葉を紡ぐ。しかしどこか弾むように、軽やかに、肩の荷が下りたような、通りの良い声が重苦しい執務室に響く。
「上層部の言う艦娘像、そして今ここにいる艦娘たち。どちらが真にあるべき姿なのか。そしてそれらを運用する上で何が最適なのか……そういった事柄を比較・検討する為にね。赤城は上層部の艦娘の在り方を確かめる為の唯一のモデルケースだったからさ」
「なんて人……」
加賀は下唇を噛み締めて、忌々しそうに吐き捨てる。敵意を通り越したようなどろりとした瞳は、そこに映り込む提督を溶かし消し去らんとするばかりだ。
だが隣に佇む赤城には、そんな憎悪は見られない。いつものような落着きはないが、しかし動揺を見せる事もなく、淡々と聞いて、理解し、そして問う。
「では、それを明かしたのは、もう答えが出たという事ですか?」
「うん。まぁ言うまでもない結果だがね」
提督はそう言うと右手をゆるりと上へと向けた。伸ばされた人差し指は2、3度空中で円を描いたのち、ゆっくりと前へと下された。
選ぶべきはどちらか。言うまでもない結果を指し示す。
赤城ではなく、加賀の方へと。
「上層部の艦娘像は、そもそも適合し得る人材の調達それ時点で既に困難であり、かつ無理に調整を加えようとすると、致命的な機能低下が懸念される。そう遠くない内に必ずぶっ壊れる貴重品よりも、多少手間がかかっても長く使えて数もある程度は望める方を選ぶ、当然の選択だろう? よって、既存の大多数を占める不完全な艦娘を採用し、今まで通りの運用を続ける」
その後、言い忘れた言葉を思い出し、取って付けるようにこう続けた。「兵器ではなく、兵士として。一人の人間として、ね」と。
赤城の在り方は決して間違いなどではなく、必要なものであった。人が兵器として振る舞った際の限界、そして影響を調査し、どちらが運用に適しているかを検証する為の判断材料として。兵器としてではなく、実験道具として必要だったのだ。そう理解した赤城は、力なく提督へと質問する。今後の自分について。使い終わった実験道具の処遇について。
「じゃあ、私は用済みという事ですか」
「いや? お前には引き続き我が艦隊で力を振るってもらう。これは餞別ではないよ。切り替えを促す為のものだ。その為に加賀の頼みに乗ったのさ」
提督のきょとんとした、「何を言っているんだこいつは」とでも言いたげな風に間の抜けた表情を前にして、赤城は予想が外れて困惑するのだが、それを尻目に再び説明を再開する。口調はもう金属のようではなく、穏やかなものに変わっていた。加賀も呆気にとられたように何も言えずに、ただ眺めている事しか出来ない。
「加賀が懸念したのは、兵器としての機能不全ではなくて、人としての方であったのだが……まぁ双方が連鎖的に崩壊するだろうから、俺の目論見とも被る部分はあった。丁度いい機会って事で、理想の艦娘像の結論を出し、お役御免となった君を兵器らしい人から、兵士らしい人へと戻す事にする。人が兵器である為に君は様々なものを棄ててきた。それを取り戻す為の第一歩がこれだった」
「それが何故、鍋なのですか?」
鍋を指し示す提督へと、赤城は積りに積もった疑問をぶつけた。どうして3人で鍋を食す必要があったのか、と。それに提督はふふん、とわざとらしい調子で赤城を見る。
「人の行動を見てみると、実に無駄が多い。しかしそれは裏を返すと、無駄な真似をする事こそが、人である証であるように見えてこないか?」
「……確かに複数で、それもひとつの料理を取り合うのは無駄です。しかし食事は必要な行為です。無駄などでは決してありません」
「そこは否定しない。多人数で取り合うのは無駄で、そして食事は必要不可欠だ。して、食事を楽しむ事もまた、か?」
「楽しむ……?」
うむ、と提督は頷き、含み笑うような表情で続ける。
「君の経過観察から知っているよ。食事風景。ただ必要分のエネルギーを摂取する為に、具材を口に放り込んで噛み潰して飲み下すだけの作業。一切の無駄が見られない、実に機能美溢れたものだった。だからこそ、本来そこにあって然るべき当然の反応って奴を思い出し、かつ楽しんでもらう為の鍋だったのさ」
赤城は己の食事風景を回想する。配給される食事にバランス的偏りはなく、ともなれば後は残さず、消化しやすいようによく噛んで飲むだけ。提督の認識は誤りではない。料理それ自体は変われどやる事は変わらない、日々こなすべき必要な作業。そこに楽しみなんて当然ない。無論、入渠においても、戦闘行動においても。
「一通り食べたんだったな。感想は?」
提督に言われるがまま、確かに一通りの具材を小皿に移し、そして食べた。その感想は? などと聞かれても、赤城には答えられる事などありはしない。日々粛々とこなすだけのものに、いちいち感想がある訳がない。
「……特にありません。豚肉は豚肉だし、白菜は白菜です」
「味がどうとか、食感がどうとかについて、考えなくなったのはいつからだ?」
そう聞かれて初めて、そういえばそんなものあったなと思い出した。食事をしたのならばそれらについて感じる事が当然の筈で、食事後に他の艦娘たちがしている会話の内容にも、それらに関連する事が含まれていた筈だ。
それを何故自分が知っている? そんな事について聞く事が、話す機会があっただろうか。ただ言える事があるならば、かつては私もそんな事を話していたのだと、赤城は漠然と理解していた。
「思い出せないくらい前、あるいは……思い出す事すらままならないってところか」
黙り込む赤城を眺め、提督はそう呟く。
赤城は考える。果たしてどっちなのだろう。単に忘れているだけなのか、それとも思い出す事自体が出来ないのか。過去の自分を掘り返そうとしたところで、提督の声がそれを遮る。
「人らしさを取り戻させる為に重要な無駄……それは感情だと思うんだよ。そして、その感情を強く手っ取り早く呼び起こす為の手段として、欲求を利用する事にした」
「欲求?」
「三大欲求は知っているな? 性欲、睡眠欲、そして食欲。これらはいずれも種の維持に欠かせぬ要素であるが故に、極めて強力に作用する」
提督は右手の人差し指、中指、薬指を立てて赤城に示す。
言いたい事はわかった。性欲は種の保存に、睡眠欲は疲労の回復に、食欲は栄養分の補給に。いずれも重要な事であるから、そこに強烈な感情を付与する事で、生物は自主的にそれらを求めるように作られている。
だが、そこから食欲が選ばれた理由がわからなかったから、赤城は率直に尋ねた。
「睡眠欲はまぁ、寝る事自体が意識的なものではないからな。楽しみや喜びとして機能するには少し弱いと思った。性欲については……言うまでもないな? リスクが最も高いし、環境が環境だ。望むべくもない。となれば自ずと残る食欲に収まるって訳だ。日に3度もあるし、多様性がある。個人毎に摂取する内容はある程度制限されているし、日々の運動量から摂取と消費の比率も申し分ないから、リスクの生じる確率も低い」
言っている事が理解出来たから、赤城は黙った。その沈黙の意味を汲み取った提督は、続く疑問である鍋という選択についての説明を始める。
「鍋という料理は、様々な食材がひとつの器の中に主役も脇役もなく収められている。大勢で囲んで食べる事が出来るし、食感や食べ合わせの違いを楽しむのにも最適だ。食の喜びを発見するには実に打って付けの教材という訳さ。あ、それと、複数人で食事をするというのは意外と効果的らしい。俺はいつもひとりで食べてるから実感湧かないんだけどね」
赤城は加賀に「そうなの?」と視線を送ったが、加賀は肩をすくめるだけだった。その反応ではどちらを意味しているのかがわからないのだが。
そこまで言うと、提督は両手を身体の前で打ち合わせ、室内に乾いた音を響かせた。「切り替えろ」を意味しており、赤城や加賀の前でもたまにやる仕草だった。
「さぁて。では赤城。今度は、鍋を楽しんで食してみろ。しっかりと噛み、食感を確かめ、味の違いを理解するんだ。それらを意識して行え。今まで通りの無意識的な行動ではなく、だ。己の意思で以て行動するからこそ価値があり、意味があるのだと心得ろ」
意識的に食事をする。何を食べ、どう感じるのか。今まで私が無視してきた事の数々。それを掘り起こさなくてはならない。私に出来るだろうかと不安になった。しかしそれは本来、かつての私が当たり前にしてきた事であった筈なのだ。出来なければおかしい。
出来て当たり前、そう自身に言い聞かせながら、赤城は右手の箸を鍋へと向かわせ、豚肉と白菜を一切れずつ小皿へと移した。
その時、食材の固さが気になった。箸で挟まれた際の、豚肉と白菜の硬度差。しっかりと押し返してくる豚肉と違って、白菜は力を加えた分だけ箸が食材に沈み込んでいく。それはすなわち食感の違いにも繋がる筈だと赤城は気付いた。
食べなくとも判明する違いはある。思えばそれも当たり前の筈なのに、今までは視認による食材の判別と、それに伴う摂取栄養素のカテゴライズにしか興味を示していなかった。目的が栄養補給ならばそれで構わない。だが、"食事"をするにはそれだけでは足りないのだ。赤城は左手の小皿を顔へと近付けて、ゆっくりと匂いを嗅いでみる。あらゆる具材のエキスが染み込んだ出汁の香り、だがその中でも強烈に主張してくるのは、やはり実際に鼻先にある豚肉と白菜だ。これも当然。無臭の食材など殆どないだろうし、なれば距離が近付いた分だけ匂いは強くなる。
箸で豚肉と白菜を掴み上げ、口内へと運ぶ。体温よりも高いそれらが熱気を放ち、内側をじわりと温める。
一噛み。奥歯で押し潰された白菜が蓄えていた出汁を溢れさせ、口の中を満たす。
二噛み。前歯が豚肉の繊維を千切る感触が伝達される。
三噛み、四噛み。歯によって崩れていく食材が、その都度異なる食感を示す。ごろごろと転がっていたものが、やがてみるみる小さくなって、それだけ細かに混ざり合っていく。
何度も何度も噛み締めては、食感と味の変化を知覚する。舌の上を波打つそれらを、ひと思いに飲み込む。喉を通過する感覚があり、その後は存在感が消え、ただ体内に収まったという認識だけが残った。
これが食事。意識して食べるという事。今さっき胃袋に収まった豚肉と白菜の残留物を口内で転がしながら、赤城は独りでに呟いていた。
「美味しい……」
衝撃だった。五感全てで感じ取る、食事という行為。そしてそこから生み出される感情。何よりも味。味覚に訴えかけられる電流にも似た痺れは、赤城の喉を振るわせて、続く言葉を吐き出させる。これも完全に無意識によるものだった。
「こんな、こんなにも違うだなんて…………」
つい先程、同じものを同じように食べた筈なのだ。一緒に口内に入れ、よく噛み、飲み込む。ただ意識するというだけで、これ程の差が生じるものなのか。
口を開けたまま瞬きもしない赤城を見て、提督はふふん、と自慢げに鼻を鳴らす。
「だろう? 鳳翔さんの協力の元、丁寧な下ごしらえの施された上質な鍋だ。今日の為に仕込んでおいたんだ、美味くない筈がない」
「あなたは何かしたんですか?」
「食材の厳選と調達」
加賀の「あなたが自慢するような事じゃないでしょ」という意味の問いは、しかし「ちゃんとやる事やりました」という得意げな返答によって打ち消された。憎らし気に顔を歪める加賀と、依然としてしたり顔の提督。
未だ驚愕を隠せない赤城へ、そして睨み付け続ける加賀も含めて、提督はにやりと笑う。
「長話はここまでだ。聞きたい事は聞いただろう。言うべき事はもう言った。なれば後は、食事に戻ろう。最後の一口まで楽しんで、な」
全員が一斉にゆらりと箸を構えた。目線はもう完全に他者の方を向いてはおらず、今なおもうもうと湯気をあげる鍋へと釘付けになっている。
加減は一切無用。全員が満たされるまで続く、仁義なき食材の奪い合い。
そんな物騒なものではないと、赤城は自分の思い浮かべた今後の展開を思って、自然と頬が緩んでいた。
「ご馳走様でした」
両手を合わせ、3人が口を揃えて言う。鍋は出汁まで尽き果て、底がはっきりと見えている。
食事の再開から数十分が経過した今現在。用意されていた食材のストックも、どころかお櫃までも残さず平らげて、全員の腹が窮屈そうに張り出していた。
「はぁ……」
腹部の圧迫感と、それ以上の充実感から、赤城は溜息を漏らす。普段の食事量は調整されているから満腹になるまで食べる事はない。何よりも、こんなにも満たされた思いを感じる事などなかった。息苦しさすらもが喜ばしいなどと感じる日が来ようとは。
「満足してくれたようで何よりだ」
そんな赤城の様子を見て提督が言う。その声は心なしか苦しそうに聞こえて、つまりは提督も満たされたのだろうと赤城は思った。
「これで君が人に戻るべき最初の足がかりは果たされた。それでお終い、後は頑張って――というのは投げっぱなしで薄情だろう。そこで俺からは、今後君が取るべき行動について教えておくとしよう。まぁ特に特別な事でもないんだが。当たり前にやってきた事をなぞり直すだけだ。ただ意識的に行う事、そこに注意するだけさ」
「意識的に……」
「食事だけじゃない、あらゆる事にだ。五感で感じる全てに意識を向けるのさ。けどまぁ、そんな一遍にじゃなくていい。少しずつ確実に取り戻していけ。今まで無理に抑圧してきた分、反動は確実にあると考えろ。こういうものは押さえつけたからと言って素直に消えてくれるようなものじゃないんだからな」
提督は右手の親指と人差し指の腹同士をぐっとくっつけた後、弾かれたように双方を離す仕草をした。その様子はバネを押し潰した際の反応に似ていた。それが感情というものの特性なのだろうと赤城は認識する。潰したって消えない。込められた力の分だけ、いつか必ず反発する。押さえつけていたもの諸共吹き飛ばして。
私の内でそれが起ころうとしていた。それを懸念した加賀さんと提督によって、その抑圧が緩まりつつある。そういう事で間違いはないだろう。そこまで考えて、赤城は自分の内側の奥深くに何か引っかかる感じがした。どちらに転ぼうともどうでもいい事である筈なのだが、何故だか無性に気になって、思わず言葉に出していた。
「提督が私を棄てなかったのは、戦力として失うには惜しかったからですか?」
「ふむ? 何だか意味有り気な問いかけじゃないか」
そう言って興味深そうに覗き込んでくる提督の瞳を、赤城は真正面から合わせ返した。「冗談無用」、そう目で伝えるつもりで。
その事が伝わったのかどうなのか、提督は顔を少しだけ離して、顎に手を当て、視線を逸らした。作戦会議の時なんかでよく見る、考える時の仕草だ。
「それもある。けれど、だけじゃあない」
そう言った提督の声は、茶化すような口調ではない。聞く者に冷静であれと示す時の、落ち着いた低く冷たい声色。
「もし君が真に孤独であったのならば、俺は君を棄てただろう。完全に切り離された存在を失ったところで、周囲には何の影響も及ぼさないからな。だが君は、孤独ではなかった。心配する者がおり、去る事を惜しむ者が確かにいた」
そう言いながら、視線を加賀の方へと向けた。その者が誰であるかを示したのだ。だが赤城には、今の赤城には、その事についてわざわざ教えて貰わなくても理解出来ていた。
「故に。棄てない理由なんて、それくらいで十分さ。不満かね?」
「いいえ、納得がいきました」
「そうか」
提督が右手を素早く挙げる。注意を促す仕草。場の落着きを求める際にやる仕草。動きとしては小さなものなのに、その効果と影響は驚く程に高い。いつもの癖からなのか、赤城も加賀も姿勢を正し、提督へと焦点を合わせる。
「忠告しておくが、棄ててきたものを生み出し直すこれからは、思っているよりもずっと辛い日々になるぞ。仮にもそうして生きてきた今までの重みを確かに君は背負っている。無視してきたものを受け止め直すという事は、そこから更にその分だけの重みを上乗せするって事だからな。崩れかけの積み木を支えながら、空いた歪な隙間に新しい足場を差し込む事になる。想像に難くないだろう」
提督の眼差しが赤城の瞳へと向けられる。この視線の含む意味について赤城は考えてみようとしたが、流石にまだそれは難しい。
「適度に休み、適度に励め。何事においても重要なのはバランスだ。その勘を取り戻していけ」
「わかりました。……けれど、ひとりでは厳しいかもしれません」
赤城の発した弱気な発言に、提督も加賀も揃って目を丸くした。今の今まで後ろ向きな発言をした事などなかったからだ。いつも「はい」か「いいえ」か。「難しそう」だとか「駄目かもしれない」なんて言葉を使った事など一度もない。赤城の曖昧な応答はそれだけ新鮮、と言うよりも不安を煽るものだった。
「加賀さん、お願いがあります」
心配したくなるような返答の後だが、しかし赤城の表情に曇りはない。加賀の目を見据えて、その瞳に確かな意思を宿している。危ぶむ者と危ぶまれる者、その関係ではなく、信頼し合う者同士として。
「私の事を、助けてくれますか?」
「……えぇ」
短い返答だった。
だが、2人の間にはそれだけで十分だ。両者の微笑がそれを表している。今の2人にはこれでいい。もっと気の利いた言葉が交わせるようになるのは、もう少しだけ後の事だろうから。
「ん。ではこれにてお開きだ。今度は2人で甘いものでも食ってこい」
「今からですか?」
「いや違うよ。流石にそれは無理だろうに」
受けを狙った訳ではない赤城の素の反応に、思わず提督も素で返してしまう。加賀の口角が右側だけ僅かに上がったのを見て、何故だか提督はばつが悪そうに顔を背けた。
「提督はご一緒しないんですか?」
「ん? 俺は……いいよ」
また3人で食事がしたいという赤城の提案だったのだが、提督は明確に断る。加賀の表情が僅かに変化した事を知りながらも、それでも方針を変えなかった。
「俺の役目は、きっとここまでさ」
気取った風にそう言った。けれどそれは確かに気取った"風"であり、どこか乗り切れていないと感じさせられる。掴みかねている赤城とは違い、加賀は呆れたように小さな溜息をついた。
それからは提督の忠告通り、今までよりもずっと辛い毎日を送る事となった。
当たり前に見逃してきた物、聞き流してきた音、匂いも風味も手触りも。それら全てが意味を持って私の内側へと送り込まれてくる。その全てに逐一別々の事を思って、考えて、それが言動に反映されていく。きっと誰もが行っている筈の行為、それがこんなにも大変だとは。脳内を満たす外部情報の波に溺れそうになる。
事実、2、3度倒れた。
その時の周囲の表情は暫くは忘れられそうにない。あんなにありありと驚愕を、どころか恐れまで浮かべなくてもいいじゃないか。でももしかしたら、かつての私もそんな表情を浮かべていたのだろうか。そして今ならば、また同じ顔が出来るのかもしれない。そうなりそうな出来事といったら果たしてどんなものになるか、そんな事を考えてみたけれど、流石にまだ上手く纏まらない。
そんな日々の中での楽しみは、やっぱり食事となった。
いつも異なる料理が出てきては、それに一喜一憂している。いや、一憂はまだなかったかな。好き嫌いはないと思っていたが、どうもそこに変化はないようだ。甘みも辛みも苦みも渋みも、それはそれで異なる味わいがあって興味深い。決して食べれないものではない範囲に上手く収める技術と知識には感服する。その事について以前、鳳翔さんと話してみたのだが、あれは果たしてちゃんと伝わっていたのだろうか。思えば表情が芳しくなかったような……文章として纏めた後、今度改めて訪問するとしよう。
それと、楽しみは別に食事だけじゃない。会話も楽しい事だと理解出来てきた。
言葉の端々から相手が何を考えているのかを読み取る事に意識的に挑戦するようにしている。その事に注目してみると、皆、思っている以上に変化の幅が広い。加賀さんとばかり話しているから、つい比較してしまうからだろうか。幅が狭いだけでしっかりと変化しているのだが、その事に気付いている人は存外少ないみたいだ。
戦闘は依然激しく、それだけ私の精神を揺さぶる。爆風で波打つ海面が、そのまま心に叩きつけられるかのようだ。こんなにも恐ろしいものであったかと、今更ながら震えてしまった。そこばかりは本心から「感情さえなければいいのに」と思ってしまう。
それでも誰もが逃げずに立ち向かっている。"国を建て直す"といった大義に寄り掛かる者など誰もいない、ただ日々を生きて、明日に笑う為に戦っているのだ。その姿が今の私にはとても頼もしく見えて、そしてかつての自分、ただ言われた事を為すだけで何の思いもありはしなかった自分が、無性に恥ずべき存在であるように思えた。
私が赤城になるに至った記憶についても、あれこれと思いを巡らせてみる。過去について少しずつ思い出せるようになった頃、ふと掘り起こしてみる気になった。
栄光と誇り、敗北と後悔。これ程の強烈な感情によくも今の今まで蓋を出来ていたものだなと、我ながら感心してしまうくらいだ。
私に書き写された、屈辱と、死の記憶。身を切り刻まれるような思いを味わいながらも、それでも無視してはならないものだと理解出来たから、見つめ直す事が今ならば出来る。己を戒め、そして奮い立たせる為に、決して忘れてはならないもの。
私が赤城である為に、棄ててはならないものだから。
視界に映る全てに色がある。当然の事なのだが、それについて意識する事などなかった。赤色の中の、他とは違う赤色。そんな適当な判別で済ませていたから、各々が持つ異なる色合いに見惚れる日が来ようとは思いもしなかった。
晴れの日と雨の日の空色が違うのは当たり前だ。けれど気にした事などなかった。朝日と夕日では輝きが異なる。幾度となく見てきた筈なのに、どうして気付かなかったのだろうか。
沈む夕日、輝く星々、照らされる夜の海。それらに感動し、剰え涙を流す事になろうとは。どうして心とはこんなにも面倒で、それなのに愛おしいのだろう。鼓動が速さを増す度に、そんな事を思うようになっていった。
ある時、加賀さんにちょっとした提案をした。やっと目を合わせて話してくれるくらいには関係が回復した皆と、一緒に食事が取りたい、と。加賀さんは承諾してくれた。話はこちらで通しておくと、口元に笑みを浮かべながら。
加賀さんは存外にわかりやすい。表情の変化には乏しいけれど、それ以外に感情が出る。そして別に笑っている事も表情からわからないって訳じゃない。ただ人よりも少しだけ、いや大分、口角の上がり方が小さいだけだ。それと眉間は口より物を言う。不満があればすぐに深々と皺が浮き出てくるから。
加賀さんの根回しは予想よりも遥かに速く、私の目論見は数日の内に実行へ移される事となった。あの日の任務を終えて以来、加賀さんには世話になってばかりだ。いや、どころかずっと前からか。改めてお礼を言わなければ。それは当日のお楽しみにしようかな。
私の目論見。名付けて、『正規空母の会』。
メニューは勿論、鍋料理。
すっかり食いしん坊キャラが板に付いてしまった正規空母・赤城についてでした。
ただの食いしん坊じゃ面白くないなと思ったので、そうなるに至った出来事を考えた結果がコレです。
台詞から"戦闘マシーン感ある"と称される事もあったのでそこを極端に取り入れつつ、かつそんな赤城がどうして食べるの大好きになったのかをなるたけ物語っぽく書いてみようと。
赤城が出るならば当然加賀も。そして提督も。何ならいっそ謎の「正規空母の会」も出してみようと。鍋を登場させたのはそこからです。
底なし食欲オバケってのも可愛げないからね、という持論の為でした。