~モハメド・アリ~
俺と冴子ちゃんは、毒島邸にある道場で1・5メートルくらいの距離を開けて相対している。
健吾さんはその間くらいにいて、審判をするようだ。俺の両親は横の方で座って、興味深そうに見学している。
冴子ちゃんは胴着、袴と面、小手、胴と竹刀。
俺は上は黒、下は白の胴着。胴巻きタイプのプロテクターと、頭にポリカーボネイトを使ったヘッドギア。竹織りの盾ティンベーと固めのウレタンで作ったローチンのセットだ。
実際は、盾と槍や鉈の二つ揃ってティンベー呼ぶのだが、めんどくさいので俺は盾をティンベー、槍もしくは鉈をローチンと呼んでいる。
「互いに礼・・・始め!」
健吾さんが開始の合図を発する。
後に酔った健吾さんから聞いた話だが、他流なんかとやる場合、合図なんてやらないらしい。
俺と冴子ちゃんが友達同士の、遊び心の試合だからきちんと審判らしい審判をしてくれたらしい。
な、なかなかにえげつない。
まぁ他流試合なんて道場破りくらいしかないらしいので、そんな奴には厳しくてもしょうがないのだろうか・・・?
色々と理屈をこねたりしたが、半ば無理やりの試合とはいえ俺も男だ。
それに、たしかに腕試しにはいい機会だ。
俺に冴子ちゃんほど才能は無いだろうとはいえ、「それなり」にまじめに取り組んできた。
「それなり」の腕はあるというプライドがある。
手加減は、したらすぐバレるだろう。
大人たちの機嫌を少しばかり損ねるのは問題ないが、きっと冴子ちゃんにもわかってしまう。そして冴子ちゃんはソレを許してくれないだろう。
それに冴子ちゃんも健吾さんも、男親と娘の関係とはいえ、武門の真剣な試合で傷くらいを気にするような人たちではない。
つまり真剣にやらない理由はどこにも無い。むしろ真剣になる理由しかない。
となると十歳くらいの女の子にマジでやって負けるのは、流石に・・・ねぇ。
試合が始まると、最初はお互い様子見で無難に何合か打ち合う。
冴子ちゃんが竹刀で打ち込み、俺の突きを弾く。俺は盾で槍と胴を隠し、打ってきたのをひたすら盾でそらしながら槍で突く。
いやそれにしても、今まで剣術とやり合ったことが無いから、間合いが図りにくい!
いつも隣でやってるのを見ているから、どうにかなると思っていたが、中々どうして・・・。
習った武術では、棒術をやる。なのでついつい、その間合いと打ち数を想定してしまうのだが、微妙に全然違う!
珍妙な表現過ぎて、何言ってんだ俺?と自分でも思わないでもないが、言わずにはいられない!
「・・・なんか盾がやりにくい、槍も突きばっかりだしズルくない?」
どうやら冴子ちゃんも、同じくやりにくく思っているようだ。
「ズルって言われても・・・」
あ、そうか。
剣道の試合なんかだと、突きは年齢制限があるから、まだ出来ないんだっけ?
「ずるっこだ・・・!」
「う~ん・・・でも元々こういう武術だから、許して?だって槍持ってて突かないなら、なんのために持ってるのって感じじゃない?」
俺がそういうと、冴子ちゃんはしばらく渋そうな顔をする。
それでも少しふてくされたようではあったが、しぶしぶ頷いてくれた。
いやだけど、理解はできるから一応納得しておこう、というった感じだろうか?
となるとどうやら、槍術にもある程度通じているらしい。
ええ子や・・・そうだはな、武器的に仕方ないとはいえ、禁じ手がオッケーというとんでもない事態だもんね。
使ってる俺も、ちょっと後ろめたいよ。
「じゃあ、盾は?」
「いや、盾がメインなんだけどな、ティンベーは」
「むー・・・やりにくい。間合いもなんか・・・気持ち悪いし」
き、気持ち悪い。
面越しの冴子ちゃんの顔を見つめてみるが、真剣な顔をしている。他意はなさそうだ。
きっと純粋に、間合いに関してなんだろう。
俺自身が言われたではないとはいえ、美少女に口に出して、気持ち悪いと言われるとなんかショックだ・・・。
「ほらほら、二人ともおしゃべりばっかりじゃぁ、いつまでたっても終わらないぞ!」
「はーい」
「・・・はい」
地味にへこんでいると、健吾さんに怒られてしまった。
とりあえず、考え事は後でしよう・・・ヘコむなぁ。
「えいやぁぁ!!」
「なっ!?」
そんなことを思っていたのが悪かったのだろう。
少し意識が逸れたその瞬間、それほど大きくは無いとはいえ、確かに隙が出来てしまった。
そして隙を見せてしまった次の瞬間、冴子ちゃんは竹刀で軽い打ち込みのフェイントとともに、蹴りで盾を弾きに来た。
「そうくる・・・かよ!」
子供同士だから、それほど高度な構えが出来ていないとはいえ、そんな大きな隙じゃなかったはずだ。
それをさえこちゃんは的確に突いてきたのだ!
剣相手だから、体術はこないだろうと油断していた・・・。
なんという効果的な捨て身技!腕が弾かれて体を開けてしまった!
一瞬の隙をついた、見事な蹴りだ。
『今』の母に育てられた、良い子の『ボク』だったらここで諦めただろう。
ここ数年のあいだ、『俺』と「俺を思い出すまでの『ボク』」はうまく合致できていなかった。結果、心の中の『俺』と、対外的な『良い子のボク』の二つの人格を持つ状態に、立花洋介はあった。
そのうちに自然と合致するだろう。
しかしそのタイミングが中々に掴めなかった。
子供は急に大人にはなれない。
大人は子供には簡単に戻れない。
くだらない意地。しかし後々考えると、これが一番最初に『俺』と『ボク』が『僕』になった最初のきっかけだったのかもしれない。
あるいは、この瞬間から僕の名前は「立花洋介」になったのかもしれない。
でも流石に、油断して盾を弾かれてはい、終わり。そんなんじゃあ、まったくもって恰好がつかない。
なけなしのプライドが許さない!
「意地があるんだよ、男の子にはさぁ・・・!!」
頑張って耐えて、槍を前腕に沿うように持って竹刀をそらす。
押し出すような前蹴りからの、蹴り足を使った降りおろし。
ゆえに年齢にしてはえらい腰が入っているが、そこは化勁で回すようにして力を、なんとか真正面から受けないようにする。
形としては、逆にして腕に沿わせるようにしたローチンで受け、体の外側にそらすのではなく、内側に巻き込むようにしてそらす。
膝を曲げ足を逃がしながら体を屈むように曲げて、その場から抜けるように、ローチンで竹刀を斜め下に叩き落とす!
ここさえしのぎきれば冴子ちゃんの体勢が崩れて・・・よし、崩れた!これで体制を戻すのに数瞬かかるだろう。
だがそれは、弾かれた盾を持った腕と、竹刀を叩き落とすためにローチンを振り下ろした俺も同じ。
数分の一秒という、ほんのわずかに俺の方が体勢を戻すのが早い、くらいでしかない。
そして今の俺の腕では、そこから下がってパパッと巻き返せはしない。
このまま離れられては、仕切り直しになってしまう。だから、前に出る!
俺は振り下ろしたローチンの先を冴子ちゃんに向け、拳を胸に抱くようにして構え、そのまま半歩前に出る。
「む、あの技は・・・」
「あら。知っているの、あなた?」
「うん。あれは最近になって、古武術研究家たちの間で、見直されつつある技の一つなんだ。流派によっては『抱え』と呼ばれる技術で、切り替えしを省いたりするために使われたりするものだよ。主に刀に使う技術だね。竹刀の普及によって廃れたものなんだけど・・・」
「あら、どうして?」
「うん、竹刀は軽いからね。振る側が容易にコントロールでき過ぎて、本物の刀より振りのテンポが早くなり過ぎたせいなんだ。今の剣道の試合は、打ちの強さによって有効打であるかどうかが決まる。つまり「甲冑を着た上での戦い」を想定しているわけなんだけれど・・・刀も鎧も軽すぎて動きが素早い。それ故に振った際の隙が、現実離れして無くなってしまったんだ。」
「というと?」
「そうだねぇ、どう考えても相内な「コンマ数秒の戦い」とかがいい例だね。あんなのどう見ても、実刀だったら両方とも死んでいる。じゃあなんでそんなことになってるか?それで判断しないと全部相内になってしまうんだ。それじゃあスポーツにならない、そういうスポーツ化の時代の波を乗り越えた結果として多くの「剣術」の技術が消え去ったんだよ。事実あまりにスポーツ化を果たしてしまった影響で、現代剣道においては十分に固くて武器になる『甲冑格闘』などの武術的要素が無くなってしまった」
「そうだったのね・・・それじゃあ、洋ちゃんの今やったのは、そういう無くなっちゃった技の一つなの?」
「そうだね、銃剣術なんかにおいては実践されてるみたいだけど、少なくとも剣においては消えていったモノの一つだね。今まで説明したように動作から見ても剣術の技なんだけれど・・・なるほど、あれだけ短いと槍でも活用できるみたいだね。見ててご覧、あの最後の一歩と、体勢を戻そうとする冴子ちゃんの動作が合わさると・・・」
「そこまで!」
俺の短槍の穂先が、冴子ちゃんの胸元に突き付けられている。盾は戻す動作と一緒に振られ、冴子ちゃんの頭の真横にある。
たとえ本物の甲冑を着ていようと、喉への一撃と、盾の殴撃による脳震盪は免れない。致命打だ。
冴子ちゃんの被る面越しにでも、悔しそうな顔が確認できる距離。
その距離で大人げなくも、「俺」と『ボク』は勝利の味を噛みしめた。
・・・後々冷静になってから、あまりのバカっぷりに、転げまわった『僕』がいた事は内緒だ。
二話連続です。