世界をダモクレスとフレイヤという誰にも対抗し難い力で征服した悪逆皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアはゼロに叛逆され命を終わらせた。
玉座を模した壇上から転げ落ちきた彼に触れ、その時はじめて私はお兄さまの本当の考えを思い知る。
群衆は自分たちを押さえつけていた恐怖からの解放を喜び、処刑台に拘束されていた人々を救い出すために駆け寄ってきている。
でも、そんなこと私にはどうでもよかった。
「ずるいです……私はお兄さまだけでよかったのに……お兄さまのいない明日なんて……」
止め処なく涙が零れ落ちてくる。
いつもであれば、涙を拭ってくれるお兄さまはもう、私の話を聞いてもくれず、頭を撫でて微笑んでくれることも、優しく抱き締めてくれることも、慰めてもくれない。だって、お兄さまは死んでしまったのだから。
私はお兄さまの遺骸に取りすがって泣き崩れる。
聞かされた情報だけを鵜呑みにして、お兄さまの考えをひとつも理解しようとせず、この世界にたった1人置いていかれた憐れな妹。
それが私、ナナリー・ヴィ・ブリタニア。
何も知らない籠の鳥以下の行いをしてきた私には当然の報い。
私を守るために優しい世界を望んだ、愛するお兄さまを私は自分の手で追い詰めてしまった。
あの時、いやそれよりもずっと前にお兄さまの異変に気付いて声をかけていれば。話を聞いていればこんなことにはならなかったはずなのに。
急に抱きかかえられ血の気が無くなり冷たくなってしまったお兄さまの遺骸から離される。見れば狂気に満ちた瞳の群衆たちが引いていったブリタニア軍が所持していた武器を持って車両の周囲に集まっていた。
私を抱きかかえたのは、ゼロの仮面を身に纏ったスザクさん。彼は私を拘束していた鎖を断ち切ると、その場から離れる。遠ざかる視界の中で武器を持った群衆が向かうのはお兄さまの遺骸がある場所。
「やめてっ!お兄さまをこれ以上、傷つけないでっ!」
私の叫びは届かず、お兄さまの身体は狂気に満ちた集団によって更に傷つけられる。武器の先端に掲げられたお兄さまの首から上の姿を見た私は絶叫を上げる。
「い……いやぁああああああああああ!」
私の意識はそこで暗転し、真っ暗になった。
□
薄らと聞こえてくる音によって覚醒した私。聞き覚えのある柔らかい音、いえ声。
瞼を開こうとするけれども、思うように行かずどうしたものかと思う。
胸あたりで優しく手を何度も上下させているようだった。それは私を眠りから妨げるようなものではなく、反対に安心させるような感覚。
いつか、風邪を引いたときに付きっ切りで看病をしてくれたお兄さまの手の感じに良く似ている。
私はゆっくり重い瞼を押し上げ、安心を与えてくれる人は誰なのかを見る。目を凝らすようにしていると、まず分かったのは輪郭。次に目の色が見えて、ふわふわとした髪が見えた。そして顔全体がはっきりしてきたところで私は目を見開く。
「あら、起しちゃったかしら。ゆっくり寝ていていいのよ、ナナリー」
目の前の人はそう言って微笑むと私の額に口付けをひとつ落とす。私は呆然とするしかない。
お兄さまが死ぬ瞬間を目の当たりにした私がどうしてお母さまの腕の中で眠るような事態になっているのか。
思わず目の前にいるお母さまが本物なのか、触って確かめようとして伸ばした手はこぢんまりした赤ちゃんの手。じっと自分の手を見ていると、その手をお母さまが握ってくれた。
血の気が引いて冷たくなったお兄さまの手と違って、ぽかぽかとした生を感じられる暖かさに私は思わず涙ぐむ。
「ママはここにいるわ、ナナリー」
お母さまは私の手を握って軽く左右に振る。私はお母さまに縋りつくように身を捩り、目を閉じた。
次に気が付いた時、私を興味深そうにじーっと観察する紫の瞳に黒い髪を持つお兄さまらしき人が傍にいた。
私は間髪入れずにそのお兄さまらしき人に向かって手を伸ばした。お兄さまは急に伸びてきた手にびっくりしたようだけれど、人差し指でつんつんと突いてくる。私はタイミングを見計らって、お兄さまの指をぎゅっと握る。
「うあっ……すごい」
その人は少しびっくりした様子だったけれど、空いていた手でそろりそろりと私の頭を撫でてくれた。
たどたどしい手つきだったけれども、お兄さまの純粋に愛おしく思っている心が伝わってきた私は思わず泣いてしまった。
悲しい涙ではない、お兄さまにまた会えた嬉しさの涙だったけれど、泣き声を聞いて飛んできた乳母の人に怒られるお兄さま。
私の所為でごめんなさい。
でも、私のことを嫌いにならないでお兄さま。
お兄さまだと思っていた人が、実はお姉さまだった。
お父さまは神聖ブリタニア帝国第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニア。
お母さまは第5皇妃マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。
私はナナリー・ヴィ・ブリタニア。
私の3歳年上の家族の名前はルルーシェ・ヴィ・ブリタニア。ルルーシュではなくルルーシェ。
私はこれが自分に科せられた罰だと思った。お姉さまはお兄さまと同じように私を純粋に可愛がってくれる。むしろ同性になったことで寝るのもお風呂も一緒だ。
だけど、私が本当に会いたかったお兄さまには一生会えないのだと思ったら悲しくて、気に掛けて声を掛けてくれたお姉さまに八つ当たりしてしまった。
お姉さまは悲しい表情を浮かべ、過ちに気付いた私が手を伸ばす前に走り去ってしまった。そんなつもりじゃなかった、ただ私はお兄さまに一言謝りたい。ただそれだけだったのに。
それから暫くの間、お姉さまは私から距離を置くようになってしまった。居住している場所は同じだから、姿を見かけることはあるのだけれど、彼女は私を見つけるとすぐに踵を返して姿を晦ませてしまう。お姉さまは体力がないのですぐに見つかると思っていたけれど、隠れるのが上手過ぎて八つ当たりしてしまったことを謝れない日々が過ぎていく。
そんなある日、お姉さまがテロの標的となり病院に運ばれたという驚愕のニュースが舞い込んできた。
お母さまに連れられて訪れた病院のベッドに横たわるお姉さまを見た瞬間、私は駆け出しベッドに飛び乗って彼女に縋りついた。『死なないで!私を置いていかないで!』、そう言ってお姉さまの胸にすがり付いていると、ポコンと頭を優しくだが叩かれた。顔を上げると、呻き声を上げるお姉さまの姿があった。
お姉さまの身体には傷ひとつなかった。
たまたま居合わせた貴族の次男の少年、『ライ』が自分の身を挺して守ってくれたらしく、お姉さまの目は完全に恋する乙女になっていた。
口を開けば『ライがね、ライはね、ライってね』と自分を守ってくれた銀髪碧眼の貴族の次男の名前が出てくる。
まぁ、分からないでもないけれど、何だか面白くないと思う自分もいることに私は気付いた。それとなく八つ当たりしてしまった件をお姉さまに謝ると、彼女は『自分も大人気なかったね』と許してくれた。
□
「……(お兄さま)」
心臓が『ドキッドキッ』と高鳴る。姿形は違うけれど、纏う空気や息遣い、立ち振る舞いに到るまで全てがお兄さまの面影を残していた。
ライヴェルト・ローウェンクルス。
神聖ブリタニア帝国の礎を築いた【優しき王】リュグナー・S・ブリタリアの騎士であった男性の血を引き、当主が男性であれば極東の島国の女性を娶る慣例のあるローウェンクルス伯爵家の次男。
お姉さまを爆弾の脅威から身を挺して守り、襲い掛かってきた刺客を退けたと聞いた時は『あれっ?』と首を傾げた。
お姉さまがライヴェルトさんのお見舞いに出かける度に一緒に連れて行ってと言いたかったけれど、完全にライヴェルトさんに惚れているお姉さまの邪魔はしてはいけないと察し、彼と接触できる機会をただひたすら待った。
そうして、ようやく訪れた機会の日は、お姉さまの誕生日パーティだった。歳相応の女の子を演じながら、その時を今か今かと待ちわびる。
私と追いかけっこをしていた今日の主役であるお姉さまが盛り上がっていた土に足を取られ躓いた。ライヴェルトさんに見せるために特注したドレスを着ていたこともあって、その一瞬で涙目になるお姉さま。
踵を返し、お姉さまを支えようとした私よりも先にライヴェルトさんがお姫さま抱っこして救った。周囲の人々の視線に気付いたお姉さまは顔を真っ赤にして宮殿の中に逃げて行ってしまう。
私は得られたチャンスを逃しはしないとライヴェルトさんに近づいた。すると私の接近に気付いたライヴェルトさんは視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
所々が跳ねた銀髪、エメラルドを思わせる瞳。首筋から見えたのはしっかりと鍛えられた肉体。
そのどれもがお兄さまとは似つかない特徴だけれど、その微笑の仕方、頭を撫でる強弱の癖、話しかけるタイミング、何を考えているか読み解かせる気が無い幾つにも分裂した思考。
間違いない、この人は私のお兄さまだ。
しかも、あの日、失ってしまった“私”のお兄さまで間違いない。
その後はお母さまの乱入で言葉を交わすことも、匂いをクンカクンカすることも、抱き締めてもらうことも出来なかった。
パーティが始まるとお姉さまがぴったりくっついているし、コーネリアお姉さまも気掛けているようだったし。私は何故かユフィ姉さまにぬいぐるみよろしく抱き締められるし。仕方がないので、ユフィ姉さまの膝の上で、どうやったらお兄さまと一緒にいられるかを考えていると話しかけられた。
「ねぇ、ナナリー。彼ってルルーシュですわよね?」
「はい。間違いなく私のお兄さまです。……えっ!?」
思わず顔を見上げるとユフィ姉さまはにっこりと笑みを浮かべながら、その目はお姉さまと戯れるライヴェルトさんをロックオンしていた。