【1話】逃亡者ローラ
遥か遠く──私たちが知る銀河より遥かに遠く。
それは過去、現在、未来に存在するかも定かではない次元、時空の物語……それはおとぎ話で例えられるような伝説の時代のお話。
ジョーカーには人類が住居可能な四つの恒星系があった。
すなわち、イースター(デルタ・ベルン)、ウェスタ(ボォス)、サザンド(ジュノー)、ノウズ(カラミティ)である。
これらを指してジョーカー太陽星団と称した。
そして五つめの星がある。一五〇〇年周期にジョーカー星団に飛来するという不吉なスタント遊星群たち……
ジョーカーの人類は高度に発達した科学技術を持ち、人々の寿命は数百年を数える素晴らしい文明。
だが、その世界も理想郷ではない。王たちは今日も戦争というゲームに明け暮れている。
それらの戦いを一兆馬力を越える人型の超兵器モーターヘッド同士のぶつかり合いで決着を付けていた。
太古に存在したという超帝国より生み出されし魔人、騎士(ヘッドライナー)と、演算コンピューターである、美しい女性型人造ファティマによってのみモーターヘッドは動かすことができた。
この物語は、ファイブスター物語という名で綴られる世界に産み落とされた一人の少女の、長く果てしない物語(ネバーエンディングストーリー)の始まりでもある。
その少女の名は──
◆
わたしの名前はトローラ・ロージン。女の子だよ!
女の子の名前としてはどうかだって?
しかもロージンって老人の間違いだろって?
あーむかつく。この名前のせいでわたしは人生を棒に振ったのさ~。正確には名前だけが原因でないのだけど。
今のわたしはしがない逃亡者だ。こうやって宇宙船に密航してカラミティ星からボォス星に向かってる最中だ。
お腹は減ったし、何日も服を取り替えていないものだから臭い。それにエンジンルームはうるさい。
これはいくら騎士の体が頑丈でも堪える。騎士といってもチビサイズで力のコントロールもまだ怪しい感じ。
向こうに着いたら目指すのはカステポーだ。星団中のならず者が集まる無法地帯で知られるカステポーに何で逃げるのかって?
そこにはわたしのお兄ちゃんがいる。そう、狂乱の貴公子デコース・ワイズメルが!
実はこの兄の記憶は少ししかない。なぜなら赤ん坊であるわたしが物心付く前に両親が離婚してしまったからだ。
父親が腕の良い医師でそれなりに安定した生活だったんだけど、二人が離婚した原因が女だった。相手はよりにもよってファティマである。
医師と呼ばれる人々の中でもエリートと呼んでいいのがマイスターやマイトと呼ばれる人々だ。
特にファティマを扱い、それらを生み出すことができる人々はファティマ・マイトと呼ばれている。
生命そのものの力を操り生み出すことに長けた人々だ。
でも、ファティマに傾向して身を亡ぼす人間もたびたび出てくる。
この界隈ではよくある話だと思ってくれていい。自分が扱い、生み出したファティマに惚れちゃうのがいるんだよね。
何せ理想の女性像をまんま反映できる上に自分には従順。
そういう願望がない男でもファティマを自由に出来る権利があるのであれば、自由に出来る権利を行使したくなる気持ちもわからないでもない。
もっとも、この世界では騎士(ヘッドライナー)でない限りファティマの所有権は最終的に騎士と国。所属する組織のものになるという星団法がある。
芸術品にして戦闘兵器。しかし欠陥があればマイトやマイスターは手許において置けるのだ。
父ちゃんをたぶらかした欠陥品というのがうちの母の捨て台詞だったらしい。
なんだか原作で兄のデコ助がファティマに手を出さない理由の一部がわかった気がするよ。
わたしもファティマは嫌いだ。そりゃ、育ててくれたのは父親と「彼女」だがそのせいで家族をバラバラにされた。
それも今となっては些細なことに過ぎない。本当の理由なんて今はどうでも良くなっていた。
わたしが逃亡者となった事の発端を話そう。
転校した後、クラスにも馴染めないままにわたしは新しい学校で散々に苛められていた。
家庭を崩壊させたファティマ狂いのマイスターの娘として引越し先でも知られてしまったからだ。
普通の家庭でファティマなどお目にかかることなんてまず無い。クラスメイトの奇異の視線は、すぐにお茶の間の父母および縁者に「噂」として広まった。
ちょっとその気になって調べれば家庭の事情などすぐにバレてしまう。
ましてやマイスターは普通の業種ではない。国家の仕事に関わるエリート職というのが一般認識だ。
一つ言わせてもらうと、わたしはすごく我慢してた。学校には比較的お上品な家庭の生徒がいっぱいいたし、その中でやっていくしかなかったのだ。
ある日、マジでかっとなって自分でもわけがわからないうちに手を上げたらとんでもない事件になったのだ。
耐えがたかったのはわたし個人のことではない。家族を侮蔑されたのだ。
騎士の血が発現したわたしのパワーで同級生の頭は吹っ飛び、そのままわたしは逃げ出した。
そんなことをした騎士の子どもが辿る道は悲惨な道しかない。何せ庇ってくれるような後ろ盾などないのだから。
死刑が求刑されるのを待つつもりはなかった。家から親のカードを持ち出し現金を引き出して宇宙港に侵入しボォス星行きの船にコンテナに紛れ込んで密航したのだ。
行き当たりばったりで当然パスポート無し。捕まったら強制送還の上に獄門間違いなし。家がどうなるのかはあまり考えたくなかった。
我ながらとんでもない行動力だけど、もう今さら心配しても自分がしたことはどうしようもなかった。
◆
さて、なぜ物心付く前に別れた兄の知識やカステポーに行けば何とかなるかもなんて考えたのは、わたしには前世の記憶があるのだ。
ここがファイブスター物語の世界だと自覚するまで数年かかった。最初は自分を個として認識するまでは普通の子どもとして過ごしていた。
前世のことはたまに見る夢のようなものだと思っていた。
記憶らしきものがはっきりと自分のものだったと自覚するにつれ、今の自分の名前や兄の名前から察するにほぼ間違いないと自覚していた。
そんなわたしの前世の名前は緒方涼。日本人で男。二五才。容姿は普通のアルバイター。
就職戦争に敗れ、その日暮らしのアルバイト生活を送っていたいわば負け組みであった。
この頃は自分のことは俺と言ってたが、今では女の子であるので周りに合わせていたら、今はわたしで定着している。
その俺であった涼が死んだのは病気でだ。
病名は癌。バイト生活でイロイロと体に負担がかかっていることは自覚してたんだけど、バイト先で倒れて病院に運び込まれ癌であることが発覚した。
なし崩し的に闘病生活を送る羽目になり、俺の体のあちこちに癌が転移していて治療が厳しい状況に。
それでも両親に希望を与えようと俺は手術と治療を医師に訴えた。
ちなみに発覚した時点でステージスリーの癌でした。手術は一か八かの賭けみたいなもの。
手術は麻酔だけなんで耐えるだけでよかった。投薬治療は死にたくなるほどきつくて長丁場になるほど精神的に辛かった。
それでも俺は最後まで笑って過ごそうと決めていた。妹がいたから。
「お兄ちゃん、頑張って」
そう言って俺の手を握る妹に辛い顔を見せたくなかった。だから歯を食いしばってその生活に耐えた。
手術をしても余命が一年未満から二年に延びただけだった。
二度目の手術となったとき糸が切れてしまったのは両親の方だった。苦しい思いを息子にさせて俺達はいつまで耐えればいい? 親父が叫んだ一言だ。
母さんも泣いた。
俺の体はボロボロだった。自分でもわかっていたさ。もう長くないってな。
だから俺はもういいって言ったんだ。
親父とお袋。今までありがとう。俺、最後は笑って死にたいんだよ。
そう告げて最後の闘病に入ったんだ。
何もかもが変わってしまった俺の人生。死に際がベッドの上なんて冗談ではない、が、どうしようもない。
過ぎ去る歳月は容赦なく体を蝕んで本当に最後を迎えたのだ。
「みんな、笑って送ってほしい」
親父がいてお袋と妹が泣き笑いで引きつった顔でいたのを覚えている。
体なんていうことを聞かない。かつては太かった腕も骨と皮状態。
そしてお迎えがやってきた。最後に見たのは光だった。俺は──その光に包まれていった。
◆
薄暗い世界に意識が引き戻される。ローラは寒いと体を抱いて冷たくなった細い二の腕を擦った。ほの暗い照明はここまで細い光を届かせるのみだ。
何だかすごい昔の夢を見た。今の自分になる前の夢の中の自分の話……
バッグを抱きしめる。数少ない自分の持ち物だ。とりわけ気にしたのは髪飾りだ。これは何があっても死守だ。
一見、何の変哲もない髪飾りにすぎないけどわたしには重要なものだ。
唯一、自分が自分らしく幸せで平和だったときのことを思い出せるものだった。
密航してから寝床は転々としていた。身を潜め、コンテナの隙間で夜を過ごし、食べ物はリュックに入れた乾パンを齧って飢えをしのぐ。
貨物船なので客はいない。運送会社の社員や乗員がいるだけで、たまに見回りにやってくる警備員をやり過ごすだけだった。
ところが──
「ガキっ! 大人しくしろ!」
「いったい、どこに隠れてやがった?」
「いったーいっ!! 離してってば!」
捕まってた。ごついあんちゃん二人組みに。
警備員に騎士が二人もいたのは計算外。うまくまけるかと思ったのが運のつきで、見つかって散々追いかけっこした後、捕まえられて船長の前に連れて来られていた。
おかげでこの小さな密航少女の存在は全乗組員に知られてしまっている有り様。密航者の運命はいかに?
「じゃあ、お嬢ちゃん、名前は?」
口ひげの濃い船長が尋ねる。声は穏やかだが、この小さな密航者に対する態度を決めあぐねている。
「……ろ、ローラ」
トは抜く。家ではローラって呼ばれていたので名乗りは嘘ではない。
「君のおうちはどこだい?」
「……」
ノーコメント。黙秘権を行使する。
「このカードは君のお父さんのものかい?」
船長が一枚のカードを見せる。わたしが家から持ち出したものだ。頭を振って否定する。
「じゃあ、君はこれをどこで手に入れたんだい?」
現金とカード。否定しようが肯定しようが窃盗をした証拠である。
地球人年齢で言うと七、八才の子どもが密航して大量の現金とカードを所有しているなど常識的に考えれば不審以外の何者でもない。
何かを言っても自分のことを語らねばならず、何も言わなくても立場は不味くなるのみの四面楚歌状態。
ローラは沈黙を選ぶ。
無言で沈黙を保つと船長がため息を吐き出した。
「向こうに着いたら強制送還の手続きをするよ。だんまりしててもダメだからね」
「お、お母さんが病気でどうしてもカステポーに行きたいんです!」
ダメ元で訴えかけてみる。事実としては母親の消息などまったく知らない。兄の居場所も不明です。
「さて、じゃあ、君はトローラ・ロージンで間違いないようだ。あっちの当局が君を探しているという情報がある。向こうに着き次第警察に引き渡す手続きをする」
「っ!?」
自分でも顔面が蒼白になるのがわかった。全部もうバレているのだ。
送り返されて裁判になれば一生をベッドの上か死刑である。逃亡したことからも罪を上塗りしたせいで減刑は望めないかもしれない。
騎士は戦争の暴力装置だ。その血が発現すれば、騎士は騎士公社と国家の管理下に置かれる決まりになっている。
どこにも所属しない騎士が暴力で一般人を傷つけるとかなり重い罪に問われることは一般常識であった。
死罪か、罪一等を減じても騎士としての力をそぐために一生廃人にされるかしかない。とにかく脳裏によぎったのは重罪犯の末路だ。
わたしを捕まえた二人の騎士が両脇を固めている。抵抗すれば容赦なく鉄拳が飛んでくる。
大人の騎士二人に抗うには体格でも力でも劣る自分では抗しきることは不可能だった。
どうしよう……逃げなくちゃ……こんなところで終るのは嫌だ。
「連れて行け。監視を怠るな」
「はい」
二人の騎士がわたしの両腕を掴む。
ここはまだ航海の途中。ここで暴れて逃げられても脱出する手段はない。騎士に引っ張られながらどうやって逃げ出すかそれだけを考えていた。
「ここで大人しくしてろ」
「俺たちの仕事を増やすんじゃねえぞ?」
割り当てられた部屋は狭かったがコンテナの中でないだけマシだ。資材がいくつも置かれ、入り口は頑丈な扉が閉じられている。
与えられた毛布に包まると久しぶりの温もりに包まれた気分になった。
薄汚れた自分の体。
血に濡れた自分の手。
殺してしまった少年の顔──
そして耐えようもなく泣きたくなって毛布の中に頭を埋めていた。