夜空の背景を彩る都会の色合い。はるか地上下で輝く数々のネオンサイン。
その空中を飛び交う流線型のスカイ・ディグが派手にライトを光らせ、クラクションを鳴り響かせ合う。
空の対向車線をものすごい勢いで何台ものディグが駆け抜ける。エア・ラインの彩色豊かな誘導リングは空を飾る遊歩道だ。
その明かりに群がるように仕事帰りの男女や、恋人、若者たちが夜のひと時を楽しむ。
そのとき、上空で一台のディグの扉が乱暴に開かれる。
次に現れたのは小柄な娘の姿だ。その小さな少女の体が一瞬空に舞う。
はためくスカート。両足が空を泳いだ。
少女は──ローラだ。は間一髪で開いた扉にすがりついた。強い風に今にも体がさらわれそうになる。
その恐怖を押さえて車外に身を乗り出したまま震える。身を切るような冷たい風だ。
ローラを捕まえようとする手と止めろと叫ぶ声が入り混じる。
耳元で乱れた銀色の髪がひたすらに暴れていた。
その瞳が自分へ向けられたブラスターを捉える。
次の瞬間、高速で空を飛ぶディグから小さな影が虚空へと飛び出した。高度数百メートルの夜景があっという間に銀色の少女を飲み込んでいく。
「逃げられたっ!?」
「やりやがったなぁ……」
頬に字をつけた警察官がブラスターの引き金に手をかける。
開いたドアから身を乗り出した局員がブラスターを下に向かって構えると、照準を合わせて撃っていた。
「へっへーん。捕まってたまるもんですか! 追いかけてごらんなさいよっ!」
落ちながらローラは上空のスカイ・ディグにアッカンベーをしてみせる。
脱出成功だがこの高さだ。
自慢の銀色の髪が空中に広がって落下スピードを妨げていることに気がつく。
足元から落ちようと不安定な体勢から数回転してみせる。
すぐ真下に傾斜のついた透明なビルが見えた。あれを利用すれば何とかなるかもしれない。
その距離と落下スピードを測る。
「っ!?」
上空から放たれたブラスター光線がローラを掠めるように暗黒の空に消えた。
落下し小さくなっていく姿は当たったのかすら確認できない。
上空で緊急停止した警察車両のディグが赤い光を周囲に放っている。
何度か連続して発砲したが、撃った男はぎらつく目で銃を握ったままだった。
「よせっバカ。まだ子どもじゃないか」
「人殺しに密航、んで逃亡罪の小学生かっ! ほんと狂った血(シバレース)ってのはくそったれだぜ!」
毒付いた同僚の頬には拳の後がくっきりと付いている。ほんの小さな子どもにしてやられたのだ。
シバレースとは、騎士の呪われた血を発現させ、暴力を振りまいた者へ向けられる蔑称であった。そして、畏怖をも込めて呼ばれる呼称でもある。
騎士(ヘッドライナー)=頂点を取る者と呼ばれる魔人の力は人の精神をも変容させる。今はない超帝国が生み出した強力な遺伝子が殺りく兵器としての本能を呼び覚ますのだ。
その力と欲望に負けて犯罪者となる者は後を断たない……
数千年を掛けて騎士の遺伝子は広まってジョーカーの人々の血にも混じった。
騎士の力は弱まり続けているが、一般の民の中から強力な騎士や魔導士(ダイバー)を生み出すことがある。
そして制御されぬ力は悲劇を生み出す。それは決まって血と殺りくを伴うものだった。
やれやれと首を振って操縦者の局員が無線を取った。
「エマージェンシー、エマージェンシー。拘束連行中の被疑者トローラ・ロージンが逃亡中。E2、E5各区域の局員は直ちに向かえ。ホシはパラライズ・ワームをものともしない。繰り返す、ホシは非常に危険な騎士だ。子どもでも油断するなっ!」
旋回し、下降を始めるディグ。スカイ・ディグは真っ直ぐ飛ぶことには定評はあるものの、垂直飛行に適していない難点がある。
軍用のものなら自在な飛行が可能だが地方警察の車両はそういった難点を克服していない。
それを突く形でローラは無謀な脱出をしてのけた。
メンツは丸つぶれ。警察側の不手際と次の日のニュースにならないことを操縦士は祈るのみだった。
「ざ、ざけんな~ あいつ撃ちやがったぁぁぁっ!」
光線が掠めた後、ローラは怒りに任せて叫んだ。
逃亡に至るまでのいきさつはこうだ。
宇宙船で拘束された後、港で警察に引き渡されたときも無抵抗にしおらしくしていたのだ。
地上で警察車両に収容された後、パラライズ・ワームの処置を受けた。
パラライズ・ワームというのは騎士の力を束縛する装置で、これを付けられるとどんなに凶暴な力を持つ騎士でも人並み以下に行動が制限されてしまう。
凶悪な殺人犯やお尋ね者を捕まえるのによく使われている。
生体エネルギーに反応するので、人よりも強い反応を示す騎士を拘束するにはもってこいの品となっている。
腕にワームベルトを付けられたときはもう終わりだと思った。逃げることなど不可能だと絶望したのだが天はわたしに味方したのだ。
何万人かに一人の割合でワームが効かない体質の騎士がいる。
騎士そのものは星団単位で見れば少数だ。その何万分の一かの体質に相当するのは奇跡に近い。
その奇跡にわたしが該当したのだ。
それを付けられた後、何も行動が阻害されないことに気がついた。車の中でどうにか逃げようと大人しくしていた。
バレなかったのは僥倖。それからはぐったり動けない演技をするので必死だった。鼻先が痒いのにかけないとかね。
密航前からの逃亡生活で臭い上に見苦しい格好をしていたので見かねた警察官が風呂と代えの服まで用意してくれる親切さである。服と風呂を世話したのは女警官だった。
風呂に入り、着せてくれる間もわたしは無力な人形を演じ続けた。
要求を通したいから口だけは喋れることにして、食後のプリンアラモードをねだったらちゃんと付いてきたし。
髪飾りはちゃんと返してもらえた。返してもらえるかドキドキしたけど、それは今はわたしの頭にある。
近くのシティに連れて行かれることになっていた。そこの裁判所で手続きをした後にカラミティに送り返される。
本国の……クバルカン法国は騎士の犯罪には特に厳しい。
そこまで行ったらもう終わり。サヨナラ、わたしの短い人生である。
連行されながら脱出のタイミングを見計らい、ついに空へのダイブを敢行したのだ。
見張りについていた警察官は力量的に半人前クラスの騎士だったみたい。操縦士は普通の人間だったので警戒はしなかった。
ワームベルトをつけた少女に安心していたのか油断と隙だらけだった。
余所見をしている瞬間を狙い、脇にいた警官に肘鉄と拳固を食らわせて、全身でドアを蹴破った。
そして現在、絶賛落下中です。
ビュウビュウ風が吹いて落下するローラのスカートを捲り上げる。
目の前を乱雑に建つ高層ビル郡の壁面が高速で過ぎ去る。タイミングを見計らい垂直に近いビルの壁に靴の裏を合わせるように滑っていた。
足の裏でゴムが焼ける感覚。足の裏が熱い。
どうにか勢いが弱まったところで壁面を蹴って跳んだ。
空中の大ダイブだ。その勢いを殺さずに対面のビルの少しなだらかになった壁面を走ってさらに隣のビルの壁面に飛び移る。
できればジグザグに人の目からそれるように。早く早くっ! 捕まってたまるもんですかっ!
闇から闇にビルの隙間を飛び移る。屋根のある最下層にまで到達すると飛び込んだ建物の影で荒い息を吐き出す。
心臓が破裂しそうなほどバクバクと言っている。指先までしびれるように熱い。
大成功。自分がこれだけ動けるだなんて思っていなかった。騎士ってやっぱりすごい。
形式的に付けられた手錠の鎖を引きちぎる。手首に巻かれたワームベルトを忌々しく見て軽く舌打ちをする。
無理やり外そうとすると電気ショックが走る代物だ。その入念さが自分が犯罪者であることを自覚させられる。
はがすのに失敗しビリビリ痺れる手を振って周囲の気配を伺う。
頭がズキズキ痛くなっていた。あんな落ち方をしたせいなのかすごく気持ちが悪い。
サイレンの音が頭上で鳴り響く。わたしを探しているのだろうか? 夜空のネオンすべてが敵に見える。
頭上の音が過ぎていくのを見計らってからようやく自分の有り様を確認する。自分でも酷い格好をしていると思った。
靴を見れば足の裏には穴が開いていた。あんな滑り方をしたから穴が開いてしまった。もう履けないのでその場に投げ捨てる。
ここ、どこだろう? 白い息を吐き出し、暗がりを注意深く進む。靴下一枚の足の裏はすごく冷たい。
金持ちのプライベート・テラスの一角であろうスペースにローラは飛び込んでいた。繁みの中に身を隠しながら歩く。
こんなところでぐずぐずしていられない。
あれから空中を飛び交う警察のディグの数が増えていた。引っ切り無しに飛び交う姿が見えることからここが逃げ込んだ先であるとバレていることは明白だった。
お腹が空いた。
お風呂にも入りたい。
それにお金までいる。
カードも密航した船の船長に取られてしまった。
泥棒する以外、この先の状況を切り抜ける術がない。
人を殺して逃げてるんだ。今更、犯罪の一つ──
二の腕を押さえて呻く。ずきずきと肩が痛い。ブラスターで撃たれたのだ。むき出しになった肩は火傷で焼けて血を焼き真っ黒になっていた。
騎士の体でもブラスターの直撃を受ければただでは済まない。掠めたに過ぎなかったが、全力で動いた後もあって体がだるく熱い。
体重い……どうなってんの?
吐き出した吐息も熱い。
思わぬダメージの蓄積に膝が震えてよろめく。額に手を当てると額には汗粒が滲んでいた。
熱があるのか……道理で……
密航生活でまともな寝床などない。寒さに凍えながらコンテナの陰で神経を使いながら何とか寝泊りしていた。体調を崩す要因はいくらでもあった。
でも、逃げなきゃ。連れ戻されてたまるもんですか!
カタリ。その音に反射的に振り向いていた。ローラの怯えた目がガラス戸の向こう、照明のない部屋に月明かりを受けた人のシルエットを見つける。
バレた。逃げないと……
隣の建物の距離を見て走ろうとしたそのときだ。臓腑を揺さぶるような一撃がローラの腹を穿つ。
早っ!?──
弾かれて地に叩きつけられる。ボールのごとく弾んでローラの体は白塗りの壁にぶつかる。
暴風のように発生したその攻撃に脳震とうを起こして立てなかった。
「へえ、ずいぶん可愛らしい侵入者だこと──」
女の人の声。それがわたしを攻撃した人物だと悟る。
内臓を傷つけたのかもしれない。胸元からせり上がってくる熱い感覚にむせる。熱い塊が吐き出されて月夜が照らす白い世界に黒い塊を落とした。
「ご、ごめんなさい……すぐに出て……」
白い地面をポタリポタリと血が汚していく。
鼻と口から血を垂れ流している。無様な姿を晒しながらローラは謝罪と出ることを告げる。でも足は一歩も動かない。
動け、動けっ、動きなさいよ!
「根性ある泥棒だこと」
泥棒じゃ…ない……
一歩歩こうとして膝が笑った。二歩歩こうとしてまた込み上げてきた血を吐き出して床を汚した。三歩目でよろめいてもう頭が真っ白になっていた。