「ふぁ……?」
目覚めの第一声は我ながら間抜けな声だった。目を開いてボーっとしながら光が差し込む部屋の窓を眺める。
「ソアラ?」
ローラは呟き、自分の置かれた状況を思い出す。ここにソアラがいるわけがない。
寝ているベッドの感触が心地よい。不快なことなど何一つなかった。まるで家に戻ったかのような錯覚さえある。
肩の痛みが現実感を呼び起こす。車中から空に飛び出しブラスターで撃たれのだ。
手で肩に触れると包帯があった。きっちりと固定されている。
ここは?
どこかしらん……?
淡い光の情景の中にいるかのようだ。部屋は適度にポカポカ温かい。その中にいるとまた目を閉じてしまいたくなる。
天井では静かに空調のファンの音だけが響いている。
首を動かすと高級なじゅうたんに調度品の家具が目に止まる。
整いすぎた部屋だ。生活感はあまり感じられない。高級ホテルの部屋に見える。
「ここ、どこ……」
半ば体を起こすと銀色の髪が頬にかかる。その乱れっぷりから恐ろしい寝癖になっていることがわかる。
後でブラッシングしないとなぁ……ソアラがいれば全部やらせるのに……
無性に喉が渇く。
ハーゲンダッツのストロベリーが食べたい……
マネーもない一文無しじゃ買えないけど。あー、ホントに一文無しだっけ。
動く方の腕を上げ自分の格好を再確認する。
清潔な寝着は白。シーツも布団も白だ。
改めて部屋の中を確認する。ここはベッドルームに違いない。
もぞもぞと体を動かすと体のあちこちが悲鳴を上げた。
肩の方は今はそれほどでもない。筋肉痛もあるし内蔵に食らったダメージが一番きついことがわかる。
床に足を下ろすと素足では床は冷たかった。
「お目覚めですか?」
開け放たれた隣室に人がいたことに気がつく。部屋の入り口に銀の食器を載せたカートが見える。
エプロンをかけた女がいた。すぐにわかった。ファティマだ。
その美しすぎる存在は言葉で表現することはできない。絶世の美女という月並みな表現でしか言葉にできないくらいに美しい精緻を極めた芸術品。
彼女はカートを押して部屋に入ってくると丁寧に扉を閉める。
わたしは捕まった? 警察に?
その割りに拘束着さえ着せられていない。パラライズ・ワームが効かない体質であることは警察にすでにばれているはずだ。
左腕の手首に巻かれていたワームベルトがないことにようやく気がついてホッとする自分がいた。
あれを付けていると嫌でも自分が犯罪者なのだと自覚させられる。
ローラは黙ったままファティマをじろじろと眺める。
どういう素性のファティマだろうか?
その姿や容姿の雰囲気からきちんとした環境にいるファティマであるのは一目瞭然だ
騎士がいるのだろう……
おそらくは自分を打ち倒した騎士が。その騎士が彼女のマスターである可能性は高い。
それにこの子、かなりの高級品だろうと見当はつけるが、どれほどのものかはわからない。
ファティマの品格は細分化されていて、その最高峰がフローレンスと呼ばれるものだ。品格は宝石みたいなクリアランスが設定されている。
性能と比例することもあるけど、高名なマイトであるほど高い品格で取引されることが多い。
品格はブランド性能と思えばいい。ファティマの能力を示すパワーゲージとはまた別なのだけど、そこら辺はどうでもよいことだ。
星団のファティマ情報を記録したファティマ辞典なんてものもある。そんなのを丸暗記してるのはファティマ・オタクの変態(ロリータ)どもくらいだ。
工場製品(インダストリー)だろうが銘入りだろうが区別はない。それにわたしはファティマは嫌いだ。
ほっそい針金足に贅肉ゼロのウエスト。ナイムネペターン。ちっちゃい顔。
それでいて均整の取れたお人形さんと形容される美しいシルエット。
その華奢な体にデカダンスタイルのスーツと来ればオーソドックスなファティマ・スタイルの定番だ。
巷では一般人にもデカダン風ファッションが人気だが、「本物」に敵うファッション・モデルなど見たことがない。
そして、さらにエプロンのオプションとは破壊力は抜群だ。
自分が成長してもああなるとはさすがの楽観主義のわたしでも不可能だと理解できる。世の女の嫉妬を受ける理由は言うまでもないことだ。
まぁ……元男としてはイロイロ複雑な気分にもなる。ファティマは嫌いだがキレイなものをキレイと言うのを否定しきれない自分がいたりする。
可愛らしいものに惹かれるのはどうしようもない。
「アノ、何か?」
じっと見つめたまま葛藤するローラにファティマが問いかける。
「あなた誰ですか?」
「私、ジゼルと言います」
「はぁ??」
ジゼル……ジゼル? それってバランシェ・ファティマだっけ? 製造順ナンバーは確か一〇。バランシェ公初期のファティマだ。
ジゼルというファティマの名前から連想したのは結構有名所だからだ。
クローム・バランシェといえばファティマ・マイトの生き字引だ。
マイトが生涯造り出すオーダーメイド・ファティマは数体から十数体程度だが、バランシェ公が造り出したファティマは四〇を越える。
オーダーメイドで生み出されたファティマの性能はファクトリー生まれのファティマを大きく上回る。市場価格もファクトリ-・ファティマの何倍も、何十倍も価値があった。
そして、バランシェ公が生み出すファティマは性能も格付けも別格の扱いを受けるのだ。
そんなファティマをお眼にかけることなど滅多にあるものでもない。
インダストリー産のファティマでさえこの世界では貴重だと言えば、今、目の前にジゼルがいるのは奇跡に等しいといえる。
FSS(ファイブスター物語)は単行本で何巻か読んでたけど、めんどくなって読むのすら忘れてたから時系列も用語もほとんど覚えていない。
でも、この世界で見聞きしたものは、一度読めば大体頭の中に記憶することができた。父さんの血を色濃く受け継いだせいか記憶力は抜群だ。
正しい知識を仕入れるほど、原作で読んだ知識なんて歴史のほんのワンシーンの切り取りでしかないものだと理解できる。
転生前の原作知識が役に立つなんてありえないと思い切り実感したっけ。特に科学技術が現代日本をぶっちぎってるジョーカーにおいては。
ジゼルの名前でピンときたのは生前知識は関係なかった。ファティマ・マイスターの娘として家にある資料などを見る機会などいくらでもあったからだ。
父さんのカバンの中身を見ることもあって研究内容とかこっそりと見てたりしたし、それが面白くて読みこんじゃったりしたっけ。
父さんの研究内容はエトラムルだった。
エトラムルというのは非常に高価なファティマに対し、機械としての性能さえあれば良いという説を提唱したガリュー・エトラムル博士が生み出した非人間型のファティマだ。
今では非人間型エトラムルはファティマ産業界の一角を占めるまでになっているが、世間の主流は人間型のファティマだ。
「何か召し上がりますか?」
「ううん……減ってるけど、固いものは食べたくない……」
お腹の具合をさすって要望を言う。ひとまず、ここで毒なんて盛られないだろうし。
「カボチャのスープをお持ちしますね」
「へ? うん……」
ジゼルが背を向け、小さなキッチンに消えるのを見送ってだるい体をベッドに倒す。まだ体は万全ではない。どれくらい寝ていたのかもわからない。
聞きたいことはいくらでもあるがこっちのことは喋りたくない。
逃げたいけどお腹もペッたんこでさっきからお腹の奥でギュルギュルと人には聞かれたくない音を出していた。
じきに来たスープを一生懸命お腹に収める。
「……ご馳走様」
皿を下げてため息をついて両目を瞑る。すると、すぐにこみ上げてきたあくびと睡魔に身を任せてしまっていた。
◆
わたしの父親はファティマ・マイスターだ。ファティマ工場勤めの一研究員という立場だった。
高名なバランシェ公になど足元にも及ばない一技師でしかなかったが、経歴からすれば一応はエリートだったように思う。
父はいつも夜遅く、いや下手すると数日間工場から家に帰ってこなかった。
毎日毎日、父の帰りを待ちながら寝てしまったのも一度や二度ではない。
その間、わたしの面倒を見たのはファティマのソアラだった。
ソアラは両親が離婚した原因を作ったファティマで、幼いわたしの面倒を見たのが彼女だ。
実の母と兄デコースの記憶はほんのわずかに過ぎない。わたしにとって母と呼べるのはソアラだったのだ。
幼少期の数年をそれほど都会でもない都市で育った。
その頃、父はファティマの精神チェックをするメディカル・バイザーの仕事を請け負っていた。
田舎の町なので年収はそれほどでもなかった。
もっともマイスターというのはなろうと思ってもなれる仕事ではないので、一般医師よりも高給取りであったことは確かだ。
父が今の職場になり、大きな都市の工場勤めになってからそれまでの平穏な暮らしは崩壊してしまった。
工場勤めをはじめたのは生活のためだったのだろう。でもそれで親子関係は疎遠になっていった。
いつも遅い父を待つのは辛いことだ。
それが俺であった頃のつらい記憶を思い起こさせた。前世の自分のことははっきりと記憶に残っている。
両親は共働きで、俺は小さな妹の面倒を自分で見ていた。冷たいご飯をチンして食べる切なさは今でも思い出せる。
孤独は嫌いだ──
両親の離婚の原因がファティマであることを薄々であるが気がついていた。
そのことについて父さんは語ろうとしなかったし、いなくなってしまった母さんや兄のことはタブーのようになっていた。
唯一家族としてもっとも身近にいたのがファティマのソアラだったのだ。
ローラの家庭環境が学校で知られてしまい、最初は同級生の些細なからかいから始まって、最初は耐えていた。けれど、年々苛めは激しくなっていった。
家族を責められることがこれほど辛いとは思わなかった。ソアラはわたしにとって家族だ。
両親の離婚の原因でも、家族のように側にいた彼女を嫌いたくはなかったのだ。
けれど、わたしは彼女を遠ざけてしまった。わたしの近くにいればソアラは陰口を聞いてしまうかもしれない。
いや、おそらく知っていたのかもしれない。虐めで体にできた痣を隠していたが賢い彼女は知っていたのだろう。
何度言ってはいけない言葉をソアラに投げかけたことか。
虐めは耐えることはできた。ソアラや父は他人なのだと自分に言い聞かせ鉄のカーテンを心に敷いた。
それでも耐えられない限界点を超えてしまったのだ。そして、あの「事件」が起こって、わたしは血みどろの中に立っていた。
きっかけは言葉だ。彼ら、虐めをしていたクラスメイトはあっさりと越えてはならない線を踏みにじってわたしを罵倒した。
わたしの中で眠っていた血が目覚めたのはそのときだ。
遺伝的に騎士の血が発症していると医師から告げられていたが、それまで強力な身体能力の発現はなく、ごく普通の少女の体でしかなかった。
騎士といってもピンキリで、弱い騎士の血であれば、気をつけていれば日常生活に支障はないと言われていた。
それがあのとき吹き荒れる暴風のようにわたしの中で暴れたのだ。理性などどこかに行ってしまった。
まるで知らないもう一人の人格がわたしを乗っ取っているような感覚の中にいた。
それが人殺しの呪われた血(シバレース)の発現だった。
気がつけば血の海の中でわたしは膝をついていた。目の前にはクラスメイトであったものの塊が首を失って倒れていた。
呪われた血がわたしを暴走させ、はじめてこの手で人を殺した。そしてわたしは逃げ出して追われる身になった。
人殺しトローラ・ロージンの誕生だ。
◆
「それであんたのお名前は?」
「ローラ……今年で、は、二〇歳(地球人年齢=七歳)ですぅ……」
蛇に睨まれた蛙の如くローラは目の前のゴスロリフリフリどぎついメイクなフェイスのおねーさんに答える。
いい匂いではあるけど香水はちょっときつい。全身がファッションモデルのような服装もきつい。
テーブルの上には遅い昼食を終えた後の食器が積まれている。ジゼルがやってきてそれを片付けはじめる。
目の前の女がジゼルのマスターだ。一昨日の夜ローラに手出しもさせずに打ち倒した騎士だ。
原作知識なんてさっぱりなんで、ジゼルのマスターが誰であるかの見当など付いていなかった。それと彼女の名前も知らなかった。
ナイアス・ブリュンヒルデ──それがわたしに名乗った彼女の名前だった。
「ふうん……噂の凶状持ち少女が君で間違いないよねえ~ ポリスにゃ散々聞かれたけどね」
「あ、あの。ご迷惑をおかけしました」
ペコリと殊勝に頭を下げる。ぶっちゃけ痛い目にあったけれど警察の追及から庇ってくれたのも目の前にいる人物に違いない。
かなり背が高くて、自分からは見上げるほどだ。
その長身でゴスロリである。美人なので違和感はない。むしろ合いすぎるくらいでモデルでも通用するだろう。
今は椅子に座っているので見下ろされている。
威圧感が半端ないし……これで騎士であるのだからイメージギャップが恐ろしいことになっている。
「そーそー子どもってのは素直が一番さ。でもね、あんたヤバイよ? 指名手配リストにもう載ってるし、このまま表に出て行けばあっという間にお縄さ」
「すいません……」
申し訳なくなって俯く。騎士の血がなければ人に迷惑などかけることもなかったのだ。
ローラが頭をふっ飛ばした同級生は周囲では有力貴族にもコネがある家の子どもだった。
それを傘に上から目線だったのだが、トローラ・ロージンをいじめの対象にしたことが彼の人生の終わりとなった。
「で、どうするつもりさ?」
「す、すぐに出て行きます。おねーさんのことは誰にも言いません!」
顔を上げて迷惑をかけることはもうないと訴える。
そう、すぐに出て行ってどうにでもなるだろう。捕まったらきっと死刑だ。こんなにイロイロやらかしているのだから。
星団法により騎士による犯罪への法律適用は恐ろしく厳しかった。騎士叙勲を受けていなくてもその血が発現していれば星団法が適用される。
幼い子どもだからといって加減されるものでもない。極刑を免れることは不可能に近い。
追ってくるやつがいたら逃げて逃げて逃げてやるんだ──
「当てはあるのかい? こっちに身寄りでもいるの?」
「その……兄がカステポーにいるらしくて。たぶん、行けば消息くらいはわかるかもって……」
「どこにいるかわからない? 正気の選択じゃないさね。金もないだろう? かたぎなのかい?」
「わかりません……」
実家から持ち出したカードと現金は警察に取り上げられている。
どうやってカステポーにいけるのか? また密航みたいなことができるのかわからない。けれどやってみる価値はあった。
デコースがわたしを受け入れてくれる保証はない。会えなければ、会えなければ生涯不法者だ。
「フン……」
首の付け根をかいてナイアスさんは不機嫌そうに吐き出す。なんだかますます申し訳なくなる。あまりにも無計画すぎるかも?
「お前……ぶぁっかでしょー! ちっこい癖に人に迷惑はかけませんだぁっ!? こちとらねとっくに迷惑かけられまくりなのさっ! いいかガキっ! 子どもってのは素直に大人の言うこと聞くもんさねっ! そうだろうジゼルよぉっ!」
「はぁ……そうですね。マスター」
「は、はい~?」
ジゼルが食後の飲み物の入ったグラスを二つテーブルに置く。
「ローラさんどうぞ」
「ど、どうも……」
グラスには甘そうなピンク色の液体が入っている。口元に運ぶと酸味のある味と甘ったるさが口の中に広がる。
「ローラ、あんたその年で大人に甘えること放棄するんじゃないよ。あたしゃねケーサツとかダイッキライさ。でも舐めんなよ。あんたが町を出る前に連中はあんたを捕まえてるさ。だから、その辺はあたしに任せりゃいいんだよっ!」
「へ?」
「仕方ありません。緊急手段ですね。マスター」
「と、止めないの……」
ナニ言ってるんだこの人らは? 罪人匿った上に逃亡を手伝うなんてしたらこの人だってただでは済まないはずだ。ファティマさん止めないのかよ!
「賢い面して迷惑をかけませんなんてあたしにゃ通用しないわよ? 助けて下さいおねーさんって言いなさいよぉっ!」
「いだだっ!」
「あら柔らかい。どこまで伸びるのか耐久テストしてやろうかぁ~ あ~?」
ローラの両ほっぺをナイアスさんが引っ張って離さない。いたいっつーのぉ!?
「フヒヒヒっ。次はくすぐってやろうかぁ~ ジゼル、押さえろ」
「はい、マスター」
鼻息が荒いし! ちょっ、やめてジゼルさん! おねーさんを止めてくだしあっ! って一緒になってる~?
「いやぁぁぁっ! ごめんなさい。助けてくださいっ! ナイアスおねーさん!!」
ローラの絶叫が響き渡ってくすぐっていた二人の動きがやっと止まる。
「いいさね。あんたはこのナイアス・ブリュンヒルデの名前にかけてカステポーまで連れて行ってやる。いいかい、ローラ、あんたは今日から妹分だ。妹の面倒を見るのは姉の役割なんだよ。わかったかい?」
「はひ……」
耳元で囁かれた言葉にローラは息も絶え絶えになって答える。
わたしに手を差し伸べてくれる人がいるなんて思っていなかった。ここをすぐに出て行くつもりだったのだ。
カステポーまで行ける当ては密航以外になかったが成功するなんて奇跡だと思っていた。何でこの人達はこんなに親切なんだろう?
それがローラが終生のねーさんと呼ぶことになるナイアス・ブリュンヒルデとの出会いだった。