「ありがとうございました~」
店員のやけに明るい声を背にローラは連れと一緒に店を出た。
表に出て最初にしたのは警戒心露に周囲を眺め回すことだった。路地にいた若者からの無遠慮な視線が派手な二人に向けられる。
その視線にローラはたじろぐ。すでに何度かした後悔を内心で上塗りする。何せ、目だって当然の二人だ。
指名手配中なのに堂々と外を歩いているのだからビクビクしてしまう。
隣にいるナイアスねーさんはおそろしく長身で二メートルはある。ローラからすれば見上げるような背の高さだ。
騎士ってのはみんな背が高いのだけど、女騎士の平均身長は一八〇ちょっとくらいらしい。
たぶん騎士としての血が濃いのだろうと思う。
わたしを叩き伏せたときのパワーを思い出せば今でも身震いするほどだ。
ねーさんのフリフリするドレススカートが揺れて、パニエの垣間から見えた下着はショッキングパープルな色彩のガーターベルトだ。
思わず顔を覆って羞恥心を覚えちゃうくらいド派手。
この角度で見えないわけがない。
身長一二〇のわたしと二〇〇オーバーのナイアスねーさんのデコボココンビが並んでたら目立たない方がおかしい。
それに二人の服装は見てくださいといわんばかりに華美に装飾されている。
ねーさんの服装は白を基調にしたドレスで、肩から袖口までの衣装を縁取るのは紅色の蜘蛛の巣の刺繍模様だ。それが見た目のインパクトを増している。
パニエのスカートもフリルをふんだんに使った多重構造。よくもまあ布切れをこれだけデコレーションできるものだと感心することしきりだ。
網の目ストッキングは赤で同色のブーツをさらりと履きこなしど派手メイクに黒髪ツインテール。
スタイルもスレンダーであんよも長い。
トップクラスのモデルにも匹敵しそうなほどであるが、一目見ればどぎつい毒蜘蛛ファッションだ。まさにインパクト勝負だと思う。
そんなわたしの今の服装はねーさんに負けず劣らず超絶ゴシックの極みである。
自慢の銀髪はすぐに落とせるという染料スプレーで赤く染められてねーさんとお揃いのツインテールにされていた。
悪魔っ子メイクのフェイスはどぎつく顔の輪郭を彩る。そのメイクは完璧で完全にトローラ・ロージンという名の少女の素顔を隠していた。
ツインテールにはドクロの髪留めが禍々しく光り輝いて、身を包むのは着慣れないキラキラゴシックのブラックドレス。
しかも過剰なレースをあしらったスカート部分はねーさんに劣らず四段構造で、そこから伸びたあんよは蜂の巣模様タイツに引っかかった蝶が凶悪にデザインされている。
靴もこれまた真っ黒エナメルてかんてかんヒールで装飾されていた。
こんな格好生まれてはじめてするよっ! 女装とかそんなレベルじゃない何かを味わってるよ!
いや……ふつーに見ればバレない気がするけどさ……
うわぁ……まだアノ人たち見てるよ。緊張感でわたしの背筋が鳥肌を立てる。
不味いかも。み、見られてるし、やばいよ~ バレルって絶対っ!
思わず、わたしは目を瞑ってねーさんのフリフリスカートを掴んでいた。
「ば、バレちゃうよ~ 見られてる~ 恥ずかしいよぉ」
呟いて目線を下げる。首筋に冷や汗が出るのを感じる。人通りの多いところから早く立ち去りたかった。黒いタイツ足をもじもじさせる。
本音。マジでビビッてます。心細い声が演技でなく出てしまうほどだ。
慣れない視線といつ正体を暴かれて追われる立場に戻るのか、それだけが脳裏を駆け巡る。
「なんだい? ビビってんのかい?」
「だ、だって見られてるし……」
チラリと何人かの若者を見る素振りをする。
「ああ?」
男どもの視線を一蹴するナイアス。さすがの貫禄で若者らが慌てて目をそらす。
こんな目立ってもう後の祭りかぁ。そんなわたしのハラハラなど気にも留めずに彼女は不機嫌な顔を崩さない。機嫌はあまりよくないようだ。
何で怒っているのか、わたしは店の中でのやり取りを思い出す。
「ったく、カードくれーでケチケチしやがって。何が限度額を超えてますだ」
「そりゃ、あんだけ買えばね……」
ハハ……と笑って見せて、表通りに顔を向ける。
通りに店の警備員がいて、ディグに積まれた荷物を見張っていた。座席とトランクいっぱいに積まれたのは今日のわたしたちの買い物である。
ねーさんが使おうとしたカードが限度額いっぱいで、もう一つもいっぱいで、四枚目のでようやく支払いを済ませたのである。
あんた、どんな生活してんだよ……
その額は……恐ろしいので言えない! 言えませんっ! ねーさんの買い物の無頓着さがやばいよ~
まあ、金持ちなのはよくわかったさ……わたしが小市民なのである。
といっても、ナイアスねーさんは国元から離れてるらしいのでいろいろあるらしいとは何となく悟っていた。
あえて聞かなったけれど。ねーさんもわたしが話さないことは無理には聞いてこない。 お互いの境界線は守るという関係がこの短い付き合いの内に定着していた。
「こんな格好でバレないかな……」
細かいレース模様の付いた手袋をつけた手でナイムネペターンに押し当てる。まだ思春期にもほど遠い胸は女らしさとはまったく無縁である。
先ほどからの心臓のドッキドキはまだ止まりそうにない。むしろ緊張でますます動悸がしそうなほどだ。
わたしってば実はチキンハートなんすね……
「へーきへーき。今のあんたを見て、誰も星団で指名手配中の凶悪犯だなんて思わないさ。ほれ、これが手配中のあんたの写真」
「へ?」
ほっぺに押し当てられた冷たくて硬い感触。その薄くて黒い函体を見比べるねーさん。
そんなもの出回っているのか。
騎士が持てる万能高性能携帯に映るのはわたしの顔だ。なぜかピンボケしてるけど。かなり硬い顔で無表情に整えた顔である。警察で捕獲時に撮られたものだろうと推測する。
見つけたら五〇〇〇フェザーの賞金である。一フェザーは日本円で五〇〇円だ。賞金としてはしけた額だが一応立派な賞金首ってわけだ。
ハハ……笑えない。
せっかくの美少女がぶっちょう面だ。もちっと可愛く笑えばよかったか……
「それに真昼間から買い物してるのが人殺しのシバレースを発症したガキだなんて思わないだろ? あんたは堂々としてた方が怪しまれなくていいんだよ」
「はあ……」
ポンポンとわたしの頭をねーさんが叩く。何気にずしりと来る。
その仕草に緊張していた胸の内が緩んでいく。なぜかホッとしてまだ会って間もないのに昔から知っているような人に思えてきてしまう。
ナイアスねーさんは見た目的な年齢ならまだ十代? なのかしらん?
前世の年齢とローラとしてのわたしの年齢を合わせてもナイアスねーさんに届かないだろう。
足しても五〇超えないし、ジョーカー年齢を地球年齢で換算すると五〇で一五才くらいの換算になる。
この世界の人間の寿命は、地球人が七〇歳くらいなら三〇〇歳は軽く行くのである。
見た目で人の知識や経験を計るのは難しい。学ぶ環境を整えられるなら、その歳月の分だけ知識を蓄えることができる。
寿命が長い分、文化人として洗練される機会はお金が続く限り保障されている。
一般人はそこまで学ぶ環境も資金も整えられないから一辺通りの教育を済ませてお終いなことが多いようだ。
ブルーカラーな層であれば中学出てからすぐに働いてても不思議ではない。この世界で民主主義的な義務教育が当てはまるのは富裕層のみだ。
学生として学べる期間は短い。その間に必要な知識と生きていくための技術を学ぶのだ。
単純に年齢差でナイアス・ブリュンヒルデという存在を形成するに至った年月を同じに見ることは難しかった。
凶状持ちの人殺しのシバレース──
警察に突き出されて当然のことをした。
人を殺し、逃げて、抗って、また逃げて。そんなことを繰り返したわたしがこの世界で生きていくことなんてできるのだろうか?
考えるまでもない。存在は抹消されてトローラ・ロージンという少女はこの世界から消えるのだ。
無理だとはわかりきっていた。それでも抗うことをやめたくないのは悔しいからだ。
どうせ死ぬなら意味のある死でありたかった。笑って死にたかった。生きてきて生まれてありがとうと言いたかった。誰かに望まれる人生でありたかった。
父さんとソアラ。顔も知らない母さんと知ってるけどまだ知らない兄さん──
この人は何で、無条件にわたしを信じて、匿って、こんなにしてくれるんだろう?
ディグに乗り込んで、横目でナイアスねーさんを見ると、彼女は口元を歪めて笑い返した。
肩身が狭いとはこのことだ。
「腹減ってないか、ローラ?」
「あ、いや。それほど空いてないかな?」
緊張が続いたせいかあまりお腹は空いていなかった。
「んー、あたしは腹減ったなぁ。帰ったらジゼルにナポリタン作らせて、食後はカプチーノでしめるっさ。作戦は帰って腹を満たして練るさね」
能天気に言い放ったねーさんがサングラスをかける。そしてディグを高級住宅街へと走らせていた。
今のわたしたちのアジトがそこにある。そう言うと犯罪チックなんだけど、ねーさんはノリノリだし、ジゼルは言うまでもなくファティマだし止める大人は皆無だ。
途中で警察車両とすれ違う。身をすくめて窓から身を隠す。
「ふう……」
「大丈夫だったろ?」
「え、うん……」
『カステポー ドラゴンロード この先一五〇キロ』
道すがらその看板がちらりと見えた。ハイウェイの向こう側には荒野が拡がっている。町を一歩出れば無人の荒地などいくらでもあった。
その先にわたしの兄さんであるデコース・ワイズメルがいる。ちょっといかれてる人で滅茶苦茶強い。
今のわたしが星団法から逃れて身を隠すのにもってこいなのがカステポーである。
いかなる国家もここでは中立地帯であるから追っ手を差し向けられても何とかなると思っていた。
兄さんの存在に関係なくそうするつもりだったし、デコースを捜すというのは本当は建前でしかない。ついでに探して会えればそれでよかった。
もし会えればラッキー。だからそうなったら、わたしは兄さんに自分を売り込むつもりだ。役に立つ妹だとしめそう。
ナイアスねーさんをいつまでも頼ることはできないし、わたしを匿ったことで犯罪者として生きてほしくない。
それに恩も返したいと思う。いつか、わたしができる形でだけど。
後、原作みたいにソープとラキシスに出会って一刀両断にはされたくないから予防策も考えとこう。ユーバーなんて変態も会いたくないし。
この人に頼って本当に大丈夫なのだろうか?
そんな心配を飲み込む。
わたしはカステポーまでねーさんを頼りにすると決めたんだ。だから最後までわたしはこの人を信じなくちゃいけない。
裏表なくねーさんはわたしに接してくれる。こんな人は他にいない。人殺しの逃亡者に関わりたい人など普通はいないのだから。
人を頼るのは逃亡してから初めてのことで大人など誰も頼りにならないと思っていた。自分だけの力で逃げ切ってみせると思っていた。
それがどんなに甘い考えであるのかは、今では嫌というほど思い知っていた。
◆
「それで、君たちの失敗で手配犯を逃したわけだ」
ナイトポリスの詰め所──その一室で局員の言い訳を耳に流しながら、ショートカットにシェードミラーの女がサングラスを外し警察官を一瞥する。
「町を出ている気配はありません。現状、全力を持って街道を封鎖。公共交通機関には手配写真と覆面捜査員を配置しています」
「ふうん……」
興味なさげに指名手配犯の顔写真が載ったチラシを手に取ってノンナ・ストラウスはそれを眺める。
「私がクバルカンからわざわざ出張ってきたのはちんけな犯罪者を捕まえるためじゃない。この娘は我がクバルカンが保有するある機密を所持している可能性が高いからだ。クバルカンが動くということの意味をお分かりか? 法を守るが我らの務め。貴殿らの情報は頼りがない。このノンナ・ストラウスは独自に捜査するが構わないな?」
言いおいてチラシを机に戻す。
「は、はぁ……」
「では、時間が惜しい。失礼させていただく」
「ノンナ様っ」
ノンナに従う騎士が局員に頭を下げて後に続いた。
立ち去る騎士二人の後姿を鬱憤に顔をしかめた局員の一人が睨みつける。
「何すかあの小娘は? えっらそうに。何がクバルカンだよ。法を守るなら余所者がでかい顔するんじゃねえ。ここは俺らのシマなんだからよ」
「俺らじゃダメなんだとよ。それに国家が出てくるなんて大事さ。よっぽどの大物なんだろうよ」
「どう見ても可愛い女の子にしか見えねーのにな。シバレースってのは本当に呪われた血なのかねぇ……」
指名手配:トローラ・ロージン
賞金:五〇〇〇フェザー
罪状:殺人罪 傷害罪 器物破損罪 密航罪
見つけ次第、当局までご連絡ください。
机の上の発行された手配書にはそう書かれてあった。
◆
「ノンナ様」
追う騎士の声を聞きながら彼女は足を止めない。
先を歩くノンナに騎士がようやく追いつく。二人は警察署を出てロータリーを見上げる位置で立ち止まった。
「ノンナ様、あまり彼らを刺激しないでください。彼らは協力者なんですから」
ここはカステポーだ。本国のクバルカンのような振る舞いは歓迎されない。実際、あまり協力的でないのはこちらの態度にも非があった。
「犯罪者を捕縛しておきながら逃げられる失態を犯す連中に同情するつもりはない。それに彼らには荷が勝ちすぎるのではないこと? 例の少女、パラライズ・ワームを無効化する体質らしいし、もしかしたら魔導騎士(バイア)である可能性もある。失態を重ねられるくらいならこちらで片をつけるのが一番いいことだと思わない? もちろん、情報はこちらでちゃんと受け取るけど。問題あるか?」
「ストラウス公に怒られますよ。お父上が角を生やします」
「父上を引き合いに出すな。関係がないだろう。私は法と徳を守るクバルカンの騎士としてここに来たのだ。今回のことは私の実績として、またルーン騎士団貢献の証となるのだ。法王様が女である私をルーン騎士に置くのに尽力してくださったのだからな」
厳格な戒律に縛られたクバルカンのルーン騎士団が女騎士を入団させたことは世間では知られていないことだ。
法と徳の守護者であるスパンダ法王が自ら弁をふるって、一介の騎士としてノンナ・ストラウスをルーン騎士団に編入させたのは近年の騎士団の男偏重の構成が生み出した一つのひずみを解消せんという意志の現れであった。
それはルーン騎士団の活性化という名目のためだ。
ルーン騎士団は女人禁制とうたいながらもファティマは女型である。真に厳正であるならファティマも男型か無機ファティマであるエトラムルでその位置を占めるしかない。
それこそがひずみだ。
無論、女騎士団も存在するが、その立ち位置からノンナを編入させたところにスパンダの強い意志がある。
それに石頭の坊やが少しは女慣れしてくれないと、次代の法王候補が頭でっかちな堅物のままになってしまうだろうという懸念が彼女の背景にあった。
スパンダ法王の意図をノンナは理解しているつもりだった。
その次期法王候補は今期に枢機卿として選任されたばかりだ。
手間のかかる坊やを成長させるにはもっと刺激的で野蛮な方法じゃないとダメだね──
我が弟のミューズがどこまで伸びるか、柔軟な頭になってくれなければクバルカンはこの先立ち行くまいよ。
だからこそ、ルーン騎士としてクバルカンの手本を示さねばならない。騎士団の問題や弟のこと。法王の願いがノンナを今の立場に繋ぎ止めていた。
スパンダ法王からの密約の任が解ければ、ノンナは本来の立ち位置に戻る約定がなされている。
今は脱走した少女を捕まえることに集中しなければ。
「各街道に出るステーションを軸に情報のデータリンクを張る。蟻一つ見逃さずに徹底的に監視を強化する。カステポー方面を特に注意しろ。あちらに逃げ込まれたら対処が難しくなる」
「では、そのようにいたします」
カステポーからの風が吹いてノンナはサングラスをかけなおしていた。