コポポと音を立てて気泡が浮かび上がった。ローラは液体の中でチューブに繋がれた自分を認識する。医療用のベッドだ。
その中にローラは全身を委ねている。熱くも寒くもない浮遊する感覚に体は包まれている。
もう少し寝ていたい気分……
水の音を聴きながら誰かの気配を外に感じ取る。
(もう少し寝てなさい。足がくっつくまでまだ二、三日かかるからな)
モラードの声が頭上から響く。差し込む光がゆらゆらと真上で揺れている。液体に身を任せローラはまた目を閉じる。
まだ眠り足りない。すぐに意識は深い所まで沈み込む──
「マスター絶対治ります。モラード先生が元通りにしてくれます」
眠りながらエルカセットの声を遠くに聞いた。その後も入れ替わりで誰かが来ていたような気がする。
覚醒を繰り返しながら肉体が再生していくのを感じ取る。体が受けたダメージが回復するまでまだまだ時間がかかる。
必要なのは睡眠だ。だからローラは眠り続けた。
次に覚醒したのはモラードの声でだった。
(寝坊助娘おきろー)
(先生なあに?)
念で言葉を返す。
(治療の経過を教えておこうと思ってな。体の方は何の問題ない。傷跡もキレイに消せるから心配するな。マロリーも無事だからな)
モラードが近況を報告する。
カイエンが放った技で瀕死の重傷を負った。今はどこも痛くないし傷も塞がってる。心配するようなことは何もない。
彼ならば確実に葬れる間合いだった。剣聖にとってあの攻撃はほんの一撫ででしかなかった。柔らかく包み込むようにこちらの思い上がりを打ち砕いたのだ。
並の騎士であれば死んでいただろう。規格外の力を持つ彼に試され生き残ったという事実。
あのときの感覚を誰かに説明するのは難しい。
最も恐ろしい騎士……その強さや間合いをまったく悟らせなかった。
絶対に剣を向けてはならない相手を知ったこと……剣聖からのテストを生き残った者にしかわからないことだ。
(どうしよう?)
(何がだ?)
(だって剣聖でしょ? この世界で一番強いんだよ。消したらなかったことになっちゃう)
(別になくなったりはしないさ。女の子が……その、不味いだろー、体に傷残しちゃな)
どんな傷でもジョーカーの医療技術なら消すことができる。
あまり名誉な状況ではなかったけれど傷を消すことに抵抗感を覚えた。どうしてかって言われても自分でもよくわからない。
(うん……お腹の傷ってすごい?)
(ああ、すぐに血を止めなかったら死んでたとこだよ。あいつの攻撃食らってピンピンしてるようなのはファルク王くらいだろう)
(死にかけたってとこがポイントかなあ。お腹のは残していいよ)
(見たら卒倒するぞ。後悔しても知らんぞ?)
(お願い)
(マロリーもお前と同じこと言ってたぞ。マイスナー家の許嫁も構わないとさ)
(ふうん)
イェンテ君、将来のお嫁さんへの理解が深い。お互い両思いなのかなあ? いいなあ~
(ほんとーにいいんだな?)
(うん、お腹の傷は残して。で、足は消していいよ)
お腹は別に誰にも見せなくてもいいけどオシャレに足は必須です。
(わかったよ。キレイに取ってやる。次に起きたときは新品同様だ)
(はーい)
そしてわたしはまた目を覚ました。肉体のダメージはほぼ癒えている。
久方ぶりの地上の空気を吸い込んで深呼吸する。そこは普通のベッドの上だった。調度品や家具を見てここがバランシェ邸だと思い出す。
居心地よい場所にいすぎたせいか肌に感じる空気は違和感を覚える。
部屋は良く温まっていて寒さは感じないけど窓の外は白い。外は雪も積もってるかもしれない。
人の気配を感じて見ればアリアがいた。
「モラード先生、患者さんが目を覚ましました!」
看護師スタイルのアリアがパタパタと音を立てて隣の部屋に消える。
「寝る子は育つっていうが、お前さんはあと三年くらい平気で寝るだろ?」
「大変、お婆ちゃんになっちゃうね」
顔を出したモラードをローラは出迎える。モラードがベッドに腰掛ける。
「なあ、あのさあ~ 何かおじさんさあ、こんな感じのシーンに慣れつつあるよなあ。世話焼き女房的なやつ? 世間の親父ってやつはいつもこんなハラハラしてんのかねえ~? バランシェといいお前といい問題だらけの弟子を持つとつらいぜ」
軽く触診するのに身を任せて最後にぺんぺんとオデコを小突かれる。
「あはは……」
これで二度目ですよね……もっとあるか? 誰かに吹っ飛ばされて寝起きはベッドってナイアスねーさんとの出会いを思い出す。
あのときは星団のお尋ね者だったよね。
自分の足はちゃんとくっついてる。細胞組成の密度からくっついてから五日ほどと計算する。
お腹の傷はまだ見てないけど自分に開いた穴を確認するのはちょっと怖い。ぺったんこのお腹をさする。もう穴は開いていない。
食欲は……臓器は覚醒したばかりだ。
「足はどうだ?」
「大丈夫、全部くっついてるよ」
「神経とか血管足りない分はコークスがお前の細胞から作り直したがな。走ったりするなよー、まだくっついたばかりだからな」
「うん」
ベッドから降りて足の感触を確かめる。うん、全然問題ない。足踏みして確認。
「よしよし」
「飲み物持ってきました」
アリアが二人にマグカップを差し出す。ホカホカの湯気を吸い込んで口を付ける。
「じゃあ、一つずつ問題解決するとしようか。棚上げにしてるアリアのこととかもあるしな」
◆
「ホントにホントに申し訳ありませんでしたぁ~~ ほら、マスターも頭下げるぅぅ~~! モラード先生の大事な大事なお弟子さんキズモノにしたんですから、ちゃんと謝るの!」
「だから謝ってるだろーが」
すね顔に抵抗感を示すカイエンの首根っこをアウクソーが押さえ二人が頭を下げた。
「ちゃんと頭を下げるの! ああ、もうホントに恥ずかしい……プンスカ!」
「アウクソー叩くんじゃねえっ!」
土下座カイエンの頭とアウクソーが格闘する。それを少し呆れ気味にローラとモラードたちが観戦する。
何でこんなシーンが展開されてるかと言いますと、向こうから謝罪したいとのことでそれを受け入れたから。
カイエンを土下座させられるファティマは天下広しといえど彼女しかいません。
剣聖を御すことができる存在なんて他にいませんから、アウクソーは星団最強のファティマの一人と言っても過言ではないでしょう。
すっごい苦労してると思うけど、二人のやりとりを見ると笑うしかない。
「もうへーきですからお構いなく……」
「だよな!」
「ガルル!」
「まー、アウクソーもそれくらいでいいさ。カイエンも反省したし、うちの弟子も無事。お前さんにやられた傷は消さずに勲章にするって言ってるくらいだ。パンツの被害はこっちで補償するから問題ないよな、アリア?」
「あはは、はいー」
アリアがモラードに返し場を収めた。
「そんじゃあ、カイエンさんよ、あんたも手ぶらで帰るのもなんだ。ガキンチョに手を出したなんて話が世に出るよりは美談の方がいいだろう?」
「はい?」
「狸親父、何が言いたいんだ?」
「マスター、モラード先生に失礼ですよ」
アウクソーが袖を引っ張り、カイエンは苦虫食ったみたいな顔をする。
「そうだなあ……じゃあ」
モラード先生ってば何言ってるの? ていうかその顔は企みのいたずらフェイスじゃないですかぁ……
「天位くれ!」
何という爆弾発言!
「将来性ある若者たちに剣聖がひよこの選別したってんなら世間的に対面立つだろ? 下着ドロなんてけちくさいこと天下のダグラス・カイエンがするわけないしな」
「脅しかよ!」
「いんやあ、正当な取引ってやつさ。お互いにWIN-WINってやつだ。うちのローラとお前の妹弟子に箔がつきゃあんたも大腕振って歩けるってもんさ」
「やっぱ狸じゃねーか。天位なんざ何の役にも立たねーもんよく欲しがるな。欲しけりゃやるよ……面倒ごとがあってもオレは知らんぞ」
「おお言ってみるもんだな! 取引成立だ」
不承不承なカイエンにモラードは意地悪に笑って返す。
「ちょっと先生~? わたしたちの承諾なしー?」
「あっても困るもんでもないだろ?」
「まあ、そうですけど……」
天位って言われてもじぇんじぇん実感わきません。マロリーさんくらいならわかるんですけど。
「帰る!」
「お騒がせしましたぁ~~」
カイエンを追いかけアウクソーが退出するのだった。
◆
剣聖が去ってエルカセットの給仕でローラは遅いお昼ご飯を胃に収める。まだ本調子じゃないので塩だけのお粥だけどね。
扉が叩かれ返事を返すと久しぶりのマロリーが顔を出した。まだ包帯を巻いてて松葉杖を持っている。
瀕死の大怪我したわりには元気そう。まあ、わたしも一緒だけどね。
「何だ、ピンピンしてるじゃん」
「お互い様にね。剣聖来た? どうだった?」
「来たよ。べつにふつーさ……」
カートに食器を戻してマロリーを迎える。モンスーンは扉の向こうだ。
「お下げしますね」
「お願い」
エルカセットが部屋から出て行ってマロリーと二人きりになる。
兄弟子とどんなやり取りしたのかはわからないけど、すぐに用件を切り出さないのでこちらから質問する。
「聞いてもいい?」
「ああ」
「アレがダグラス・カイエンだって知ってた? 自分の兄弟子だーって」
「……うん、知ってた」
やっぱりね……
ずっと疑問に感じてたんだ。泥棒への対応としていきなり殴りかかるなんてマロリーでもらしくないと思ったんだ。
わたしも釣られて手を出してしまったけれど、あそこは足を止めたら誰何して正体を確かめてから盗まれたものを取り返すところだろう。
下着ドロでも穏便に事を済ませたい。
でもそうしなかった。マロリーも足を止める程度だと思ってたから飛燕剣で攻撃をして驚いた。
推測として、追いかける相手が誰であるかをはじめから知っていた、上でその全力ですら潰されるのかも理解していたということだ。
前に無手を実演して見せた彼女の腕前は国家騎士団の師範級に匹敵するだろう。それだけの実力を持つ彼女がうかつな攻撃で相手を殺しかねない行動をするのか?
その疑問はマロリーが質問に答えたことで解消された。後は理由を聞くだけだ。
「そっか……びっくりした。あんなことするんだもの」
「悪かったよ、巻き込んだみたいでさ……」
マロリーがベッドの端に腰掛けてズルズルと座り込んだ。その背中をローラは見つめる。
「じゃあ、前から顔とか知ってたの?」
「話には聞いてたよ。写真とかもあったし、どんだけ強いのかとかね。兄弟子からよく聞かされてたし」
「兄弟子?」
もう一人兄弟子がいるの? はて? 剣聖の弟子でマロリーの兄弟子にあたる人って……
いたいた。A.K.Dのデモンズ・タワーでクスリきめまくってる人だっけ?
「シャフトの兄貴、バーグル・デ・ライツァーっていや天下の大悪人さ。知らないやつはいないくらい超有名人だぞ」
「ああ、そうだった」
「テキトー言ってる?」
「いや……お名前はかねがね?」
前世でちらっとだけです。ラキシスのミラーで屈服したシーンは覚えてる。ただのイカレ騎士じゃない。天位持ちの一流の騎士。
「あたしさ、養子なんだ。ガキの頃に家を飛び出したらハイアラキのおじきが拾ってくれてさ。本当に親父って呼べる人はあの人だけだった」
「何でルースの家を出たの?」
「あたしには兄貴がいる。知ってるよな?」
「うん。大統領さんだ」
「そうだよ。自分の力で成り上がったんだ。家とか騎士とか関係なくね」
マロリーの言葉に自慢げな響きがある。兄妹喧嘩しても実の兄を慕っていることがわかる。
「兄さんは実家に縛り付けられてた。騎士の血が出なかっただけで兄さんはいつも肩身が狭い思いをさせられてたよ。剣聖の家系だから騎士の血は出て当然だってね。周りは当然期待してた。母親は兄さんに騎士の血が出ないことを家の恥だと言っていつも苛めてた。騎士の血が出た後も変わらなかった。あいつは兄さんを憎んでる」
「酷いね……」
家族に罵倒され恥だと言われたら……それが愛情を向けてくれる唯一の母親からだったら余計に辛い。
「あたしはあいつが嫌いで嫌いで仕方なかった。いつも兄さんをのけ者にして家族じゃないように振舞ってさ。あたしは兄さんが好きだった。優しくて、家柄とかそういうの気にしなくて、いつも笑ってた。気にすんなって」
「うん……」
「尊い血の家系とか剣聖とかどうでもいい。あたしは耐えられなくなって家を出た。ハイアラキの親父のとこに行ってから実家にはもう戻らないって決めた。とことん強くなっていつかは剣聖の親父を超えてみせるってね。あいつが言う剣聖ってやつをぶっ飛ばすくらい強くなって家系なんて知ったことかって言ってやろうと思ってね。でも、その親父も死んじまった……」
「目標がなくなった?」
「シャフトの兄貴がいた。修行に出たのは兄貴を倒すためさ。天下の剣士一〇〇人を目標にあちこち回ったよ。強い奴には何回か会った。でも足りない。もっと、もっと、あたしは強くならないといけないから」
そしてカイエンと出会った。
兄弟子に挑むことで、引きずった剣聖の血、ルースの家、そういったしがらみを乗り越えたかったのだろうか?
ミッション・ルースが乗り越えたように。
敵わないと知っていただろうに。
わたしは彼女を責める気にはなれなかった。しでかしたことは不始末だけど、その代償は心と体に刻んだ。
「あたし……悔しい。剣聖に指先一本も届かなかった。それでこの様さ」
マロリーが膝を抱えて顔を埋める。その肩にローラは片手を置く。
「剣聖だもんね……わたしもぶっ飛ばされたし」
「ごめん……」
「黒騎士にも勝たないといけないしね。泣いてる暇なんかないよ?」
「泣いてねえ」
「うん、その程度でマロリー・ハイアラキはくじけない」
「んだよ、ガキのくせに、わかったようなこと言うなよ。黒騎士なんてすぐ追い越してやる」
マロリーの強がりの台詞を後ろで見ながら彼女は指で目元を拭った。ローラは見なかった振りをする。
そして自分自身のことを考えた。騎士としてのトローラ・ロージンはあまりにも中途半端すぎる。その甘さが剣聖の力を見誤らせたのだ。
天位の名に相応しい人間になりたい。遥か先には剣聖の背中。天の頂きまで待ち受けるは試練の連続。その頂上を目指す。
「わたし、もう負けたくない。相手が誰とか関係ない。うちのねーさんにも、黒騎士にも剣聖にも……強くなりたい」
成長も足りない。このちっこい体では騎士のパワーを十分に使いこなせないのだ。必然的に出せる力は限られる。
足りないものは技でカバーするしかない。もっと修行して自分の技を磨き上げたい。
「だから戦い方を教えてほしい。ハイアラキの技も」
「そんな必要あんのかよ? モラード・カーバイトの弟子ならマイトになればいいじゃん。騎士の義務はねーんだぞ?」
「マロリーさん、お願い! わたし、どうしても強くなりたい」
ベッドから降りて懇願し膝をついて頭を下げる。
「弟子入りするってことか?」
「うん、じゃない……はいっ! マロリー先生!」
「先生……あー、妹弟子じゃなくてあたしが師匠……ああ、ふふん。悪くない」
土下座ローラにマロリーが皮算用して笑う。
「今日からあたしがあんたの先生。師匠って呼ぶんだぞ」
「はい、師匠」
ぱっとローラが顔を上げて返事を返す。
「新しい技があるんだ。お前にも教えてやる」
「すごい、師匠のオリジナルですか?」
「紙もってこい紙」
「はい」
二人頭を突き合わせて図面と睨めっこする。それは夜中になるまで続いたのです。
「お夜食、持って参りましたぁ~」
「し~」
「はい?」
食事を載せたカートを押すエルカセットを止めたのはモンスーンとアリアだ。
三人がこっそり部屋を覗き込むと少女たちは寝息を立てて眠っていたのでした(まる)
武狭小説ドラマの影響が強い展開
次回最終話「みちしるべ」……一人の男が逝き、受け継ぐ者たちが新たな道を歩み出す