重たい円形のマンホール蓋がゴトリと音を立てた。ずれて落ちて乾いた土埃が立ち上がる。
小さな手が蓋をのけた。開いた穴から頭が赤いツインテールが飛び出す。右よし、左良しだ。
飛び込んできた日差しにローラは片目を瞑って頭上に手をかざす。
眩しい──
暗いところから明るいところへ出たので目が慣れるのを待つ。
わずか数瞬。見上げた空は青い。微かに尾を引いた飛行機雲が見える。
ようやく表の空気を吸えた。周囲を見回すが静かすぎるくらい何の気配も感じない。
鼻がむずむず痒くてくしゃみをする。
埃っぽい場所だ。人っ子一人いない通路。太陽の日差しが大地と土気色の建物を照らして陰影の強い風景を作り出す。
殺風景なまでにシンプルなコンストラストの世界だ。
昔ドキュメントで見た中東の街の一風景を思い出す。いわゆるスラムのイメージ。
「どうだい?」
「誰もいないっす……」
マンホールから顔を出したまますぐ下にいるナイアスに返事を返す。
「まだここは市街だからね。つってもお上品な市民は寄り付かない場所さ」
「はわわっ」
ローラの体が下から持ち上げられる。ローラが上に上がるとマンホールからナイアスが身を乗り出す。
そのすぐ下。地下水路に荷物を抱えたジゼルがいる。
「ジゼル。連中に動きはないね?」
「はい、衛星にハッキングを仕掛けて時間差のある偽映像を流してあります。警察車両が数台拿捕に動いたようです。陽動になればよいですが」
「上出来、上出来。あんぽんたんどもに一泡吹かせられたね」
「ふぅ~」
二人のやり取りを聞きながら髪と服についた埃を払う。バランスを取りながら靴の裏に挟まった泥土をこそぎ落とす。
何となしにも慣れてみれば女の子らしく身の回りのことを気にする癖が身についていた。
可愛らしくなどという芸当をできた試しはない。でも、自分の容貌がある程度整っていることは自覚している。
外で遊ぶたびに女の子らしくしなさいと言われた。
冒険をするのは好きだった。男の子に混じって泥だらけになって帰ることはしょっちゅうだったっけ。
父さんの仕事の関係で引っ越す前は結構おてんばだったのだ。
そういうことに無頓着してたらソアラに躾された。ソアラには教育プログラムが組み込まれていた。
ブラッシングとかもそう。夜、寝る前と学校に行くときは必ずソアラが髪を梳かしたり結ってくれた。
ソアラは花の匂いがした。毎日、庭の温室の花をソアラが面倒を見てたっけ。
父さんが好きな白い百合の花を思い出す。
そんな日々の思い出は今は遠い。遠い場所に来てしまった。今やお尋ね者の浮浪児だ。感傷に浸るのはまだ早い。
「こっから、町のあっち側を周り込んで街道脇に出るのさ。車(ディグ)は手配してある。バスもドーリーも監視しようが無駄さ。こっちにだって手はあるんだ」
ナイアスねーさんがここ数日動いているのは知っていた。気になって聞いてもお楽しみは取っておくもんだとにべもない返事が返ってきた。
そして今日の朝早く。今は使われてない地下水道ルートの説明をされた。
その後、アパートを引き払ってうらぶれた路地裏にある地下行きのマンホールを降りた。
かれこれ暗い通路を数キロ歩いて暗い上にかび臭い場所も辟易した頃、ようやく表に出られたのだ。
公共交通機関はすべて見張られているという。警察だって無能ではない。交通手段と街道さえ押さえられればただの犯罪者は袋のネズミに過ぎなかった。
その目さえくぐり抜ければ自由なのだが、この先は足がなくては辛い。街道からそれた荒野を歩くのは自殺行為だ。
カステポーの野生動物には通常の銃火器が通用しないような生物が存在する。何とかワームとか……
原作でいたけど忘れた。そんなのがうようよいるのがカステポーの生態系である。
恐竜の子孫みたいのが普通に闊歩しているのだ。何もかも地球世界とは常識が違いすぎる。
ナイアスが選んだルートは監視が甘かった。その読みはかなり当たりのようだ。
時刻は正午近くになっている。
警察の目を欺けたのかはわからない。動きを察知されていたならば今ここでお出迎えされてもおかしくないわけで、そうはならなかったので一息つくことはできた。
今いる場所はシティを取り巻く環状線のような場所だ。
いわゆる貧民窟で貧しい人たちが暮らしている。土作りの家はいい方で瓦礫の塊やらなんやらを土で補強して作ったような酷いバラック住宅も多い。
ある意味、犯罪者が潜んでいる雰囲気は満点だ。
彼らは方々から勝手にやってきて住み着いた人たちだ。戦争などで行き場をなくした難民もいるらしい。
存在そのものが違法で一般市民としての権利すら有していない棄民だ。
日本とかでの人権主義や常識はこのジョーカーでは通用しない。資源を採掘する植民地民の暮らしぶりを描いたレポートを読んだことがある。
植民地では人の人権はないにも等しい。ここの人たちはまだ自分の自由意思があるけど良い暮らしには程遠いだろう。
シティへの出入りも制限されている。ねーさんに逢わなければここに潜り込んでいたかもしれない。
「ローラ」
「はい?」
「これ、持っておきな」
ナイアスが突き出したのは騎士が持つ専用の携帯だ。一般人が持てるようなものではない。
「えーと?」
「あたしゃもう一個持ってるからいいんだよ。お古だけどちゃんと使えるよ」
「そうじゃなくて、わたしが持ってていいの?」
「いざってときにはぐれたらこいつで連絡を取れる。特権でどこに国の衛星も利用できるからね。あたしのとリンクしてあるから居場所もわかる。電池は太陽光でもディグのジェネレーターからでも引っ張れる。なくすんじゃないよ?」
「う、うん……」
自分の手には少し大きいそれを手に取る。わたしの知ってる携帯よりも大きめだ。
騎士が使うものも今では折りたたみ式もありコンパクトなものも出ている。
これは旧式タイプである。それでも性能はそんじょそこらの端末など問題しないくらい優れている代物だ。
それを知識で知ってはいたが使いこなせるかの自信はいまいちだ。
「使い方は簡単さ。わかんなかったらジゼルに聞きな」
「うん」
携帯の画面を見ながら頷く。すぐ横でジゼルが微笑んでみせた。
やめて、人間みたいに優しく笑わないで──
言葉にできない重たい何かが胸の内に落ちる。
わたしはファティマが嫌いなんだから。
「今から行く場所にあたしの仲間が待ってる。荒くれもんが多いけど気にすんな」
「仲間?」
「まあね。こう見えてもブリュンヒルデ騎士団(ナイツ)の頭なんだよ」
「騎士団!?」
驚きが声に出た。慌てて口に手を当てるが周囲に人はいない。
「ちっさい傭兵団だけどね。食い詰めた連中集めてあちこちで暴れてんのさ。あんたも行く当て外れたら来なよ。楽しいよ、その日暮らしだけどさ」
にいっとナイアスが笑う。
騎士でかなり強い。実力はそんじょそこらの騎士など話しにならないくらい。
金銭感覚いまいちで、ゴシックロリータで、傭兵団の頭とかよくわからない人だ。
国元を追い出されたとか言ってたし何か凄く訳ありっぽい感じ。人にはイロイロな裏事情があるってことなんだろう。
「何で傭兵をやってるの?」
「そりゃあね。強いやつってのは戦場に行かなきゃ会えないだろう? きな臭いとこには腕利きも集まるし、スカウトもできる。趣味と実益を兼ねてるのさ。名前も上げられる」
「ねーさんって強いよね?」
「弱くはないさ。こう見えてもね」
ローラの頭をわしゃわしゃとナイアスの手がかき混ぜる。髪がほつれる。
ナイアスの懐が鳴り携帯を取り出してそれを見る。
「行こう。連中がこっちに気がつく前にとんずらだ。それにここの連中もあまり信用できないしね」
背を向け歩き出す二人。ナイアスは歩幅が広く足早なのでついていくのがやっとだ。ときたま駆け足になる。
建物の陰。陰影のある街路の隅で闖入者を見つめる視線がいくつもあった。
ここは貧しい人たちが暮らすスラム。飢えた子どものぎらっとした目と目が合ってローラは余所見をするのをやめる。
一人になればあっという間に身ぐるみをはがされるかも? そんな危機感も募って背筋がぶるっと奮えた。
早くここから出たい──
そして駆け足に二人を追いかけていた。
◆
「トリックか。してやられたな……」
狭い警察車両の中でノンナ・ストラウスは爪を噛む。
衛星に小細工をするなど誰が考えたのか、いかにも犯罪者がやりそうな手口の一つであるのにすぐに気がつかなかったのだ。
監視衛星を特定し、各地に配置した監視カメラのデータを改竄するなど普通の犯罪者には到底不可能だ。だからこそ盲点になった。
稚拙な手段で詰めは甘い。だが大胆不敵だ。こうもあっさり監視が緩むとは思ってもいなかった。やはりここの警察に任せたのは間違いだ。
たかが少女と甘く見すぎていた。年端の行かない娘が警察の監視の目を欺き衛星にハッキングを仕掛けるなど誰が考えようか。
考えられなければ消去法的な答えを得るのみ。
だが、これでホシには協力者がいることが判明したわけだ。この町に逃げ込んだのも協力者と合流するためだった可能性が高くなった。
手がかりを追っていたのに雲隠れされたのだからね。
ここ数日の停滞は警察の監視能力への疑問となっていた。小娘一人に何を手間取っているのだろうか?
そして動いたと思えばブラフを仕掛けての逃亡劇。ある意味素人が使うような陽動の手口だ。
衛星にハッキングするなど素人の範疇を遥かに超えているし、ことを荒立てしすぎている。犯人はかなり大雑把な性格であると推測できる。
小ざかしい犯罪者であればもっと上手く立ち回る。そんな相手であったならばとっくに逃亡しているだろう。
そうでなかったことは失態の言い訳にはならない。
間違いない。ここに逃亡者はまだ潜んでいる。が、時間は切迫している。時が立てば逃げられる。その算段をつけての行動に違いない。
だが、未だこちらの網にかかっていないことが判断を鈍らせる。焦りは隙間を生み出す。ノンナはいったん思考を切り替えようと目を閉じる。
「どこかのスパイか……あの少女に目をつけた連中がいるとすれば厄介だ」
逃すわけには行かない。ノンナの任務は「持ち出された機密情報」の確保にある。持ち出された情報はすでに誰かの手に渡ったのか。それともどこか隠してあるのか。
当人の身体検査は十分なほど警察になされていたが、それらしいものがあったという報告は受けていない。
偽の報告がされている可能性も検証したが確証など何もない。
「衛星にハッキングし、警察の監視システムに干渉するなど並みのハッカーでは無理です。あのレベルの衛星セキュリティを破るには最低限ファティマクラスの能力が必要ですね。それもA級の」
騎士のハルマーがノンナの前にコーヒーの入ったカップを置く。ハルマーはクバルカンから連れて来たノンナの部下である。
半ばノンナのお目付け役という役目を帯びていたが使える手駒は少ない。仕方ないので雑用的なことを押し付けていた。
「ファティマに騎士……この町にいる騎士のデータを洗い直す。ここ数日の出入り状況は?」
直接的な関係性を確証できなくて集めたはいいが放ってあったデータを調べだす。
すでにハルマーがピックアップしてしていたものを抜き出した。それ以外は過去のデータだ。
やることなすことが後手に回っている。ノンナは唇をかんでコーヒーを口に含んだ。
データベースに落とした視線が止まる。シティの騎士滞在者リストに気になる名前が一つあった。
ナイアス・ブリュンヒルデだと?
逡巡する。記憶にある情報は少し血生臭いものだ。
「ハルマー。この女の所在を探れ。緊急にだっ!」
ハルマーが振り向いて身を乗り出す。
「はい。あれ、この人って……」
「ちょっとした有名人だぞ。バキン・ラカンの天位授与式で狼藉を働いたフリフリ女さ。あろうことか聖帝のお膝元で騎士三人を切り殺したキチガイだ。フィルモアからは除籍されているようだが……」
「そりゃ、ここらだと大物ですね。ですが今回の件に関わりがあるんでしょうか?」
「ハルマー」
静かなノンナの声が響く。
「追ってみます。パートナーはジゼル? うへえ、バランシェ・ファティマじゃないですか。見つけたかなハッキング犯人」
くさい。ノンナの嗅覚が動いていた。
今の状況と動き。人斬り騎士にファティマと逃亡少女。結びつきそうで結ばれない曖昧な線。
「瑠璃(ラピス)を降ろす。ファティマにはファティマだ。カステポー方面を監視させる」
立ち上がりノンナは狭い車両を出る。表の空気を吸って思考をクリアにする。
高層ビルを見上げた後、シティ外に出る外壁を望んだ。人手が足りずスラム方面には手が回らないでいた。
「ナイアス・ブリュンヒルデか」
ノンナの勘がターゲットを捕捉する。個人であれば関わることのない前科者だ。しかし、今回の件に結びつきそうなモヤモヤがあった。
所在が割れれば無罪。不明なら灰色有罪だ。我ながら理不尽で正当な理論だ。
「ノンナ様っ! ナイアスは今日の午前一〇時にアパート・グランメゾールをチェックアウトしています。記録とカメラを照合。三人連れ。イン時のものはファティマと二人。アウト時に一人子どもを連れています!」
「ビンゴだな。ナイアス・ブリュンヒルデを緊急指名手配しろっ!」
「了解っ!」
敬礼しハルマーが車内に引っ込む。
ギリギリか? ノンナの直感に間違いはなかった。獲物は逃げた。だが足跡は残っている。
逃がしはしない。目を細めたノンナが空の飛行機雲を追っていた。
◆
あれから一時間後──ローラは荒野にぽつんとある倉庫に足を踏み入れていた。
「これに乗るの……」
「ボロっちく見えるけど、中身はイレーザーで最新式。こいつがあればすぐにカステポーさね」
ナイアスが倉庫から引っ張り出してきたのはずいぶん古いシャトルバスだ。
塗装は禿げて赤茶色の染みのようになっている。手配していたのはこれだったのだろう。
古いなあ……
エンジンを二度ほど吹かすと回り始めたイレーザーが独特のエンジン音を出す。
「乗りな。グズグズしてらんないしね」
「うん」
三人が乗り込むとバスはゴタゴタ言う道を走りだす。街道に出た方が早いが直ぐにバレる。街道から一〇キロほど離れた道無き道を爆走中だ。
携帯のGPSを見るとドラゴンロードまで三〇キロ地点に迫っていた。ドラゴンロードに入ればそこはもうカステポー。新天地だ。
少しだけうきうきした気分になる。
運転席にナイアス。助手席がジゼルだ。ジゼルはコンピューターにアクセスしている。ヘッドクリスタルから直接繋いでいるのだ。
「マスター──」
「何?」
「捕捉されました。上からです!」
「ローラ、しっかり掴まりな!」
「へ? うごおっ!?」
何事かを知る前にローラの体は投げ出されそうになる。いきなりの超加速だった。
ホワッツ!?
そして着弾と爆発だ。何かが車体を激しく打つ音がする。
「どっからだいっ!?」
「衛星軌道上からです! これはファティマ・コントロールによるものですっ!」
そう言ってる間にも車体をかすめたレーザーが地面を爆散させクレーターを作る。すさまじい振動にローラは舌を噛まないようにするので精一杯だ。
「こっちは丸腰も同然だってーの!」
ナイアスにできるのは思い切り加速するだけだ。それを急かすように上空数十キロの軌道上から正確なビームが放たれる。
「誘導ですね。我々を街道に引っ張り出したいようです」
「わざわざありがとさんだよ、くそったれっ!」
バスが追い立てられながら街道が見える位置にまで付けていた。
そしてこちらと並走するようにもう一台のディグが走る。その車内に男女の二人連れが見える。
追手だ──ローラの背筋に冷や汗が走る。
「ラピス、奴らを止めろ」
『了解しました』
並走する車内で追う側のノンナがファティマ・ラピスに指示を下していた。
衛星軌道上からの砲台レーザーの照準がピンポイントに合わされて発射される。
「ローラさん、跳びますっ!」
ジゼルがドアを開け放つ。高速で黄色い地面が過ぎ去っていく。
その疾さにローラは躊躇する。ジゼルは躊躇うことなくローラを抱いて跳ぶ。
狙い澄ました一撃がシャトルバスを破壊する。その爆破音を聞きながら転倒した車体が猛スピードで地面を転がっていくのが見えた。
次の瞬間、激しい振動がローラの臓腑を揺さぶってジゼルともども地面に投げ出されていた。
タッチダウン──
「ゲホ、はあはあ……」
ローラは全身を打って体がすぐに動かない。足音の気配が耳元で聞こえた。すぐ側に立っているようだ。
「ずいぶんと手間を掛けさせてくれたものだ。ラピス、連中が逃亡しない限り手は出さなくていい」
『イエス、マスター』
ラピス? ナイアスねーさんじゃない誰?
ローラは薄く目を開くとショートカットの女が目に入る。ジゼルの姿は寝たままでは見えなかった。
長身の女はやはり騎士だろう。隣の男もスパッドを腰に下げている。女はローラを観察するように見下ろしている。
「ハルマー拘束しろ。ファティマも任せたぞ」
「はい」
「ざっけんなあっ!」
そのときだ、ナイアスの叫び声と一緒に金属の扉が破壊される音が響く。
倒れた車両の扉を蹴っ飛ばしてゴチックナイアスが地面に降り立つとこちらに向かって走ってくる。
「やってくれたなこのクソ女っ!」
「いつぞやのお礼だブサイク女」
ナイアスにノンナが向き直って返事を返すとスパッドを構える。
あれ、知り合いなの?? ローラはうかつに動けないまま疑念に首を傾げる。
「お前…誰だっけ?」
ナイアスがノンナを見て眉をしかめる。
「忘れたとは言わさんぞ。バキン・ラカンでよくもうちをコケにしてくれたな。クバルカンが受けた屈辱は貴様は忘れても私は忘れん!」
「ああ~、思い出した、あのときのおチビか!」
「誰がチビだごらぁっ!」
その瞬間、超速で光剣が振るわれるのをナイアスもまた神速居合の疾さの光剣で受け止める。
そして始まるのは剣戟合戦と二人による罵詈雑言の罵り合いであった。