気炎の刃   作:とりてん

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煉獄一家の男は顔がみんなそっくりすぎる。


黒江双葉

 黒江双葉はボーダーの模擬戦ブースのラウンジに腰をかけて、モニターに映る個人ランク戦を適当に眺めながら、待ち人が来るのを待っていた。

 

 黒江は、弱冠13歳にして、ここ界境防衛機関ボーダーのA級隊員だ。

 

 ボーダー……その表向きの歴史は浅く、ことは四年半前、日本の地方都市である三門市に突如として(ゲート)が大量展開し、そこから無数の近界民(ネイバー)が押し寄せた。

 

 何もない虚空から、次々と押し寄せる白の異形ども。当然、自衛隊も出動して事態の収束を試みたが、恐るべきことにその異形ども──のちにトリオン兵と呼ばれるものと判明する──には現代の兵器はほとんど効果を示さなかった。

 

 そこから先は急転直下。

 対抗する術のない突如の襲撃、人々は逃げ惑い、だが逃げ切ることなどできるはずもない。トリオン兵には同じく、トリオンと呼ばれる特殊な生体エネルギーを用いて対抗せねばならない。トリオンの存在すら知らない人間たちなど取るに足らない存在なのだ。

 

 そして黒江もまた、逃げる人々の一人だった。

 

「はっ、 はっ…………はっ……!」

 

 息を切らせて、背後に迫る脅威からひたすらに逃げる。

 当時9歳。そんな彼女が一人で逃げているのには訳があった。というのも元々は山奥の小学校の分校に通っている彼女は、今日はたまたま学校の遠足で街へと降りてきていたのだ。

 

 その日は楽しいはずの遠足、しかしそれは瞬く間に地獄へと様相を変えていた。

 とにかく何も考えず走っているうちに同じ班のメンバーともはぐれてしまったが、それを気にする余裕など欠片もありはしない。

 幸いにして背後のトリオン兵は図体は大きいが動きは遅い──ちなみにこれはバムスターと呼ばれるトリオン兵である。無論当時の黒江が知る由もない──ので、幼い黒江でもどうにか逃げられている。恐ろしいことに変わりはないが、逃げられる程度の相手だと知れたおかげで、少しだけ平静を取り戻せていた。

 

 なんとか、このままいけば逃げ切れる。とわずかに希望が見えてきた。

 

 それはもちろん、先のことを考えていない希望ではあるだろう。逃げたところで背後の異形どもは倒す術がない。放っておけば無制限に被害を撒き散らす。けれどもその時の彼女はまだ子供で、そんなことなんてどうでもよく、ただ逃げ切れるかもしれないというだけで力が湧いてきた。

 

 だからだろう。

 

 横合いから突如現れた別の異形を前に、黒江は一気に絶望へと叩き落とされた。

 

「う……、あ」

 

 新たに現れた異形は、背後のそれに比べれば小型ではあるがそれでも自動車ほどの巨体を持ち、脚には6本のブレードを付けていた──これはモールモッドと呼ばれるトリオン兵で戦力的には背後のバムスターを上回るがこれも黒江には知る由もない。

 

 前も後ろも挟まれて、腰を抜かして黒江が蹲ってしまったのも当然のことと言えるだろう。今まさに希望が見えてきたというところでの、これだ。絶望するなというのが無理な話。ましてや彼女はまだ9歳、ここまで一人で逃げてきただけでも、本来賞賛に値する。

 

 だが、トリオン兵たちはそんなことなど考慮しない。

 

 もともとの命令(オーダー)を機械的に実行するまでだ。

 

 だからその時。

 

 黒江との間に割り込むように上空から舞い降りたその男を認識しても、トリオン兵には微塵の動揺もなかった。

 

 

 

「そこの少女! ここまで一人で逃げてきたのか! 素晴らしい根性だ、あとは任せろ必ず君を守る!」

 

 

 

 瞬く間に空気が変わった。

 

「え……」

 

 わけもわからず、黒江はこちらを振り向いた男を見る。

 

 見開かれた双眸に、明るい黄色の髪の先に赤が入り混じる炎がごとき長髪。特徴的な出で立ちではあれど、ただの人。前と後ろの異形どもからすれば獲物が一匹増えただけ。

 

 のはずだった。

 

 だがしかし、場を支配していた暗闇は、その男の登場により取り払われる。黒の襟詰のうえから炎のような柄の羽織をした偉丈夫は、その場に存在するだけで自身が強者であるということを知らしめていた。すなわち、存在としての格が違う。

 

 黒江はその、まるで炎そのもののような男を見つめる。彼は強者であっても脅威ではなかった。見ているだけで、あたたかな炎に包まているかのように安心できた。トリオン兵どもには嚇怒の炎を燃やしつつも、黒江を守るという意思を言葉以上に背中が語っている。

 

 なぜなら彼は煉獄杏寿郎、人々を守る炎の一振り。

 

 トリオン兵などという雑兵ごときにどうこうできる男ではないのだから──

 

「炎の呼吸・壱ノ型──不知火!」

 

 巨大だったはずの脅威を、さらに極大の炎が包み込む。

 

 であれば、どうなるかなど語るまでもなく。

 

 そして、その時の彼がボーダーと呼ばれる対近界民(ネイバー)のための組織の一員で、街を襲ったのがその近界民(ネイバー)と呼ばれるものたちだと黒江が知るのは、その少し後のことだった。

 

 

 

 

 φφφφφ

 

 

 

 

 

「おお、早いな黒江! よもやよもやだ。もしかして俺が遅刻してきたのではと焦ったぞ!」

 

「あ、煉獄さん! おはようございます」

 

 ぼーっと、昔のことを思い出していると、ようやく待っていた人……煉獄杏寿郎が姿を現した。ずいぶん長いこと待っていた黒江だったが、別に煉獄が、遅れてきたというわけではなく、単に黒江が早いうちから待っていたというだけのことだ。

 

 というのも、彼女にとって煉獄との約束は決して遅れてはならないものだった。

 

「うむ、おはよう! ところで、もしかして俺は君を待たせてしまったのかな」

 

「いえ! 師匠を待たせるわけにはいかないので、ちょっとだけ早くきただけです。全然待ってません!」

 

「そうか! ならばよし!」

 

 あいも変わらず、語気を弱めることを知らない特徴的な話し方で頷く煉獄。かつて自分のことを救ってくれたこの男は、ボーダーに入隊した黒江に刀の使い方を教えてくれた師匠であった。

 その関係は今も変わらず、学校も防衛任務もない日には、こうして稽古をつけてもらうのが黒江にとっての習慣である。

 

 もっとも煉獄からはすでに「教えることは全て教えた!」と免許皆伝(?)をもらっており、稽古と言ってもここ最近は実戦形式の模擬戦ばかりではあるのだが。

 

「よし、じゃあ早速だが模擬戦ブースに入ろうか! 勝負は10本で構わないか?」

 

「はい!」

 

 快活に答えて、黒江は模擬戦ブースへと入る。

 

 今日も今日とて模擬戦を行うわけだが、別に煉獄は指導放棄をしているというわけではない。全てを教えたというのはつまり、教えたというだけであって黒江が完全にそれらをモノにしたということではないのだ。守破離で言えば守までは達成した状態といえばわかりやすいだろう。

 黒江は日々の自己鍛錬の中で煉獄の教えをより昇華させ、たまの模擬戦で成果を見せ、そのあとは反省点や評価点を二人で話し合う、そして再び自己鍛錬へ、これがここ最近の二人のスタンダードとなっていた。

 

「では、一本目だ。どこからでも来ていいぞ」

 

 トリオンで形成された仮想空間の市街地エリアにて向き合う二人。すでに模擬戦は始まっているにも関わらず、煉獄は自身が使用するトリガー、日本刀のような形状をした弧月(こげつ)を展開すると、構えもせずにそう言った。

 黒江を侮っている、というのとは少し違う。煉獄は師であり、黒江は徒弟だ。その実力にはまだ天地ほどの差がある。ゆえの余裕、そもそも互角の勝負にはなり得ない、煉獄にとっては教導目的の模擬戦にすぎない。

 黒江もそれはよく知っていたので、相手が構えずとも、彼女は弧月を構えて煉獄を見る。

 打ち込む隙など、当然ない。一見なんの準備もしていない煉獄だが、構えていないだけで気を抜いているわけではない。すなわち無構えの構え、自然体という構えをとっているに過ぎず、その心持ちは泰然としたものだ。構えていないからといって不用意に一撃を狙いにいけば、返す刀でこちらが一撃だろう。

 

 実力差は歴然、だからこそ初手はまず、崩しにかかる。

 

「──韋駄天」

 

 瞬間。

 

 煉獄ですら反応が置いていかれた。

 

 オプショントリガー・韋駄天。トリオン器官と呼ばれる特殊な体内器官より生成される生体エネルギー『トリオン』を応用した『トリガー』。その中でも韋駄天は、戦闘において主武装ではなくそのサポートを行うトリガー。

 ではその効力とはなんなのか。

 

 答えは超高速機動。身体能力で優れるトリオン体ですら実現不可能な速度を出すトリガー。

 

 それによる接近、並みの隊員なら対応出来ずにそのまま弧月の一太刀で緊急脱出(ベイルアウト)となるほどの神速。だが、煉獄杏寿郎は並みではない。

 

 反応の遅れなど、たかが一瞬。煉獄ならばそれでも迎撃が間に合う。

 

 いや、むしろ。

 

 超高速機動を実現する代わりに、決められたコースを通ることしかできない韋駄天に合わせる斬撃は、最悪の必殺(カウンター)足り得る。

 

 先ほども述べた通り、不用意な一撃への後の先。

 

「炎の呼吸・弐ノ型──昇り炎天」

 

 下段から上段へ、円の軌道で弧月が振られる。その斬撃の鋭さ足るや、紛うことなき達人のそれ。振り抜く軌道上に火炎すら見える埒外の剣。

 

 だが、それも当然。煉獄が扱う全集中の呼吸はそもそも、只人が悪鬼に抗うための術、特殊な呼吸法によって骨と筋肉を強化するそれは、もとより人並みはずれたトリオン体の身体能力と合わさり煉獄を修羅へと変える。

 

 直撃すれば、胴が縦に真っ二つ。かつて上弦の参すら退かせた上で腕を斬り裂いた煉獄の昇り炎天は、間違いなく必殺。

 

 それも当たれば、の話だが。

 

「なにっ!?」

 

 息を飲んだのは必殺を放ったはずの煉獄。

 

 韋駄天で目の前まで迫ったはずの黒江は、斬撃が通る前に消えていた。それもやはり神速。トリオン体でも、あそこからの回避はあり得ない。ならばそれは──あらかじめ煉獄の手前で曲がるように韋駄天のコースを設定していたに違いない。

 

 迎撃読みの回避はどんぴしゃり。神速に対応すべく、必殺を撃たされた煉獄の体勢は、弧月を振り切ってまだ崩れている。

 

 そして。

 

 決められたコースを駆け抜け、煉獄の背後というまさしくベストポジションをとった黒江は、韋駄天の使用によってついた慣性を刃に乗せて袈裟懸けに斬り下ろす。

 

「くぅ……っ!」

 

 猶予時間ギリギリ。両断される直前に、煉獄は受け太刀を間に合わせた。刃先が肩を掠め、トリオンが漏出するが瑣末なことだろう。一撃死に比べれば無傷に等しい。そうしてようやく死の危機を乗り越えた煉獄は、一歩跳びのき体勢を整えようと試みる。

 

 だが、黒江はそれすらさせない。

 

 ここからは一転、黒江が完全な攻勢となって攻め立てる。一瞬の間隙もなく振るわれる剣閃の嵐に、煉獄は息つく暇もない。

 

「く、う、おぉおおぉっ……!」

 

 さすがの煉獄も、後退気味に受けざるを得ない。本来ならば斬撃の応酬で師である煉獄が遅れをとることなどないが、これはワケが違う。

 

 韋駄天からの斬撃。崩された上での猛攻。ロクに体勢を整えさせてもらえずの斬り合いとあっては、さしもの煉獄杏寿郎も分が悪い。

 

「…………」

 

 一方。守勢に徹するが精々で、額から冷や汗すら流している煉獄に対し、黒江は全くの平静のまま斬り結ぶ。

 

 先の背後からの袈裟斬り、あれは自分でも惚れ惚れするほどの斬撃だったはずだが、それでも防がれた。もちろん、黒江にとってはそれすら織り込み済みだ、煉獄との実力差はそれほどだと理解している。

 とはいえ、あれだけ完璧に嵌めておいて勝負を決められないのは、黒江にとってもほんの少し残念だったが、()()()()()()()、初手で崩すことには成功した。そして今はそのアドバンテージを保ったまま打ち合っている。

 

(でも、この状態が続けば煉獄さんは少しずつ体勢を立て直す)

 

 斬り合いつつも、冷静に分析する。もしそうなったら逆転だ。両者五分の状態で斬り合えば、黒江は煉獄杏寿郎には敵わない。

 

 ならば必然、早いうちに勝負を決めるしかない。

 

 全速で頭を回し、勝利への道筋を模索する。

 

「どうした黒江! このままでは埒があかないぞ!」

 

 挑発するように、煉獄が煽る。もっともな指摘だ。少なくともすでに、煉獄は斬撃を捌く最中に(若干無理はしているのだが)軽口を叩けるくらいには体勢を立て直している。呻き声を出すのが精一杯だった一瞬前とは雲泥だ。

 

 しかし、それに対して黒江は回答もせず斬撃も緩めない。状況の続行するだけだった。

 

 現状維持。しかしそれは黒江にとっては死への一本道、何か手を打たなければジリ貧になるのは必定。

 

 事実、煉獄はほぼ受け手に回りながらも、本人の気分次第で強引に攻勢に回れるほどになっていた。あとはもうタイミング次第。黒江の斬撃の息継ぎを縫って、どうこちらから仕掛けるか。黒江の攻めは苛烈極まるものであれ、多少の合間はある。隙とも呼べぬようなものではあるが、合間は合間。煉獄の技量なら割って入ることなどわけもない。

 

 剣戟が仮装の市街地に響き渡る。絶え間なく、絶え間なく、絶え間なく……

 

 

(──ここだっ!)

 

 

 逆転の目はここにあり、専守の構えから攻勢へと。思考のスイッチが切り替わる。黒江の太刀を受けた刀を即座に返す。反撃に移るための斬撃を、

 

 

 

 ──刹那、叩きつけるような一閃が黒江から放たれた。

 

 

 

 切り替わりを狙い澄ましたかのような一撃。それは今までとは毛色が違う、力でぶつけるような大雑把な一太刀だった。馬鹿正直に受ければ上体が崩れる、否、それ狙いの剣。

 煉獄は瞬時にそれを判断して、弧月で受ける。その衝撃に逆らわず、慣性のまま後ろに飛んで力を流す。

 

 距離が、離れる。虚を衝かれた煉獄だが、形としては悪くない。仕切り直しはむしろ望むところ。なんども言うが条件五分なら勝つのは煉獄。意表をどれだけ突いたところで、こうなれば意味はない。

 

 だから、黒江の手はこれで終わらない。

 

「た、あぁっ!」

 

 振りかぶり、弧月を全力で投擲する。

 

 渾身の一投。狙いは首、トリオン伝達系の切断は即緊急脱出(ベイルアウト)の致命傷。それ狙いの投剣が風を切り裂いて煉獄へ迫る。

 

 脅威は脅威。だが、この程度、反応できればどうということはない。

 

 煉獄の弧月で斬り払われ、黒江の弧月が宙を舞う。

 

 またしても意表を突いたことは間違いなく、されど守の型の奥義である、肆ノ型・盛炎のうねりを出すまでもない。手を離れた刀など恐るるには足らず、こんなものは勝負を決するにはふさわしくない。

 

 それは両者一致の見解であった。故に、ここからが黒江の骨頂。

 

 彼女の切り札は、いつも決まっている。

 

「韋駄天っ!」

 

 二度目となる高速機動、煉獄すら置き去りにできるオプショントリガー。

 だが問題は黒江が武器をもっていないこと。早くても攻撃手段がなければ勝ちようがない。

 

 だが、黒江の引いたコースは煉獄へと一直線に敷かれていた。

 

 最短最速。直球コース。そして、

 

「ごっ、ふぅ……っ!?」

 

 黒江の飛び蹴りが、煉獄の鳩尾に叩き込まれる。

 

 トリオン体なので、打撃で損傷することはないが、かといって衝撃を無効にはできない。韋駄天で最高速に達した蹴りの衝撃は、鍛え抜かれた煉獄さえ大きく後方へと、何度も地面に叩きつけてむちゃくちゃに回転させながら吹き飛ばす。

 

 宙に舞う弧月を手に取り、大きく息を吸い込む。

 

 またしても距離は離れたが、彼女には韋駄天がある。この程度の距離などないも等しい。そして今度こそ、上も下もないほどに煉獄の体勢は崩れ切った。今、この場面以上の好機などないと断言できる。

 

 黒江は再び、大きく息を吸い込む。ヒュゥゥゥゥゥゥ、と普通ではあり得ないような呼吸音とともに、自身の体温が急上昇するのを感じる。

 

 煉獄は剣士としてこの上ないほどの手練れであり、達人と呼ぶに毫ほども差支えがない。初撃の袈裟斬りのとき、あんな、剣を振り切った直後を背後から斬りかかられたような、もう絶体絶命とでも呼ぶべきタイミングからでも受けを間に合わせるほどの、規格外の反応と剣技を持っているのだ。だからこそ黒江は慎重に慎重を重ね、絶対の必殺でもって勝負を臨む。

 

 韋駄天に加えるは師の奥義。全集中の呼吸の中でも主流となる五代流派が一、炎の呼吸。その伍ノ型。小柄な黒江を覆うように、火焔で形作られた虎が牙を剥き咆哮する。無論それはイメージにすぎない。だが、本人はおろか他人すらそこにそれがあると誤認させるほどに真に迫っている。

 

 ならば、それを可能にしている彼女の一太刀の威力はどれほどになるというのか。

 

 そして、黒江は構えを取ると同時に韋駄天を起動させる。やはり再び最短最速の直線コース。瞬きのうちに距離を詰め、生半な防御なら上から切り裂く一閃で仕留める。

 

「炎の呼吸・伍ノ型──炎虎ッ‼︎」

 

 紅蓮の虎が一歩で最高速を叩き出す。

 

 

 

φφφφφ

 

 

 

 

 それを──衝撃に振り回されながらも、眺めていた煉獄は、ああ、と素直に感心していた。

 

 鬼殺の剣士として鬼と戦い、果てに死したのはもう5年前。それと同じだけの歳月がこちらの世界に来て過ぎていた。

 

 死んだはずの自分が、なぜとも、またぞろ夢を見せる鬼かとも思ったが、考えるのはすぐにやめた。鬼だとしてこんなわけのわからない夢を見せる道理がないし、前者の答えは一生出そうもない。いうなれば神の奇跡か悪戯かだと適当に頷いておいて、煉獄は第二の人生を歩み始めた。

 

 日々戦い、それを家業としていた大正育ちの煉獄にとって、『ボーダー』とは天職そのものだった。喜ぶべきことではあるが、驚くほどにこの世界はかつての世に比べれば平和だった。鬼もどうやら影もなく。ボーダーがなければ、彼は確実に職に困っていただろう。もっとも煉獄本人が本音を言うなら、自身が職に困るほどの平和のほうがよかろうと思うし、近界民による侵攻などなければと怒りも覚えるが、しかしこれは堂々巡りというものだろう。

 

 一振りの刀として、人々を守る。やはりこれが、自身にとって最も合っているのだと理解した。そも、第二の人生だからとて、母の教えを破ろうなど考えもしないが。

 

 そうしてボーダーにも慣れた頃、初めてとった弟子が黒江だった。入隊時の対近界民(ネイバー)訓練では11秒を記録した、いわば期待の新人である彼女は入隊するなり弟子入りを申し入れてきた。

 断る理由はもとよりなかったし、まだ幼かった黒江は向こうに残してきた弟を思い出したこともあって、快く弟子として迎え、煉獄杏寿郎として教え得る限りを教えた。

 

 結果として、今まさに、黒江の刀は煉獄を捉えようとしている。

 

 ちなみに煉獄はいままで一度も、黒江に負けてやったことはない。何戦したかは覚えてないが、とりあえずはまだ負け無しだ。

 そんなわけで、黒江の成長を喜んで、この斬撃を受けてやるのも吝かではないのだが、しかし。

 

 彼女にはまだまだ、伸び代がある。ここで甘えなど、それを妨げるだけにしかなり得ない。

 

 素直に、煉獄はそう思った。だから、まだ負けてはあげられそうもない。

 

 視界も方向も定まらぬ中、煉獄もまた秘奥の剣でもって返答とする。

 

 

「──壱ノ型・不知火()()

 

 

 ところで、オプショントリガー韋駄天には、実を言えば致命的な欠点が存在する。

 

 先ほども述べたことではあるが、韋駄天は先にコースを設定し、その軌道上でのみ人外の神速を実現できる変則トリガーだ。逆に言えば、発動してしまえばそのコースを絶対に通らなければならない。だから軌道上にブレードの一つでも設置してしまえば、必然的にそこに自ら突っ込む羽目になる。

 

 しかし、明確な弱点といってもそのコースを読めていることありきの置き技が精々だ。それにコースがわかっていても、目で追えないほどの高速機動。当然普通のスナイプは当たらないし、弾丸を適当に撒き散らした程度でもまず当たるまい。

 

 だから。

 

 その韋駄天で移動する最中の黒江を、中距離への斬撃を可能とする代わりにシビアなタイミングでの発動を余儀なくされるオプショントリガー、旋空でもって捉えるなど人間技ではないし。

 

 まして一振りで首を落とすとなれば、それはもはや神業と呼ぶ他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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