悪戯を働いたところを見つかり言葉を失う
「まず降りること。私ならともかく、危ないわ」
「よ、余計なお世話だ」
よく高所に上がってみては悦に浸ることが多い自分を棚にあげた上での、正論であった。咎められるものだと身構えていたものだから、拍子抜けだ。しかし彼女の覇気のないジト目はすぐに真剣な光を取り戻した。
「……何かあったんでしょ? というかまあ、顔に書いてあるけど」
相槌を打つ。もうはぐらかすも、頑なに否定するのもしなかった。堕天使は我の抵抗なき肯定に多少安心したのか、ほっと一息ついて。
「……話してみなさい」
あやすように、我の肩へと手を置いた。
☆
「なるほどねぇ……」
「そういうわけだ」
「口調そのまんまじゃない」
「癖、みたいなものだ。いずれ直る」
吐いてしまえば楽になるとは誠である。かくかくしかじか打ち明け、今は完全にいつものノリというか、刺々しい感じをなしに我と堕天使は会話している。もっとも、堕天使がひた耳を傾けてくれた部分が大きいが。
嗚呼、終わった。黒騎士になるに至った原点が堕天使である点を「憧れた者がいる」とぼかしたこと、千歌姉ちゃんへの情が狂いの根本的原因であることを除き――だいたいを伝えてしまった。胡座を崩し、寝転がって我は言う。
「所詮は真似事、格好つけだ。我は黒騎士でもなんでもない。……わかったら処分がひどくなる前に教室に戻れ」
雑な追っ払いを受けた堕天使は腕を組み、なにやら思考し始めた。内容は推し量り難いが、我をもう認めることはないのだろう。もしくはそうあってほしい。
堕天使は真なる友を求めていた。対し我は彼女の在り方に憧れて半端、刀で例えればなまくらの状態で近付いた。裏切りとまではいかずとも、取り返せまい。
海より少し淡い色をした青空を眺めていると、ヤツが急に立ち上がった。
「ひとつだけいい?」
「よかろう」
「もしかして……憧れた者って私?」
7月直前のむし暑くも穏やかな気候に癒され、大きく息を吸い込もうとし――我はむせた。
「……えっ」
冗談だったらしく、訊いた当人が抜けた反応をしている。せめて安らかな解散へと持ち込もうとしていたのに、堕天使の奴め最後まで計算外だ。
「っ、そうだよ。去年の9月廊下でぶつかったときだ。そこで堕天使、お前を知り……。覚えていないだろうがな」
「……うーん、うん。あの時ねあの時」
「言うな。虚しくなる」
なお覚えてはいないらしい。話を合わせようと尽力するさりげない優しさに、我は諦めて制止した。
「あれっ、待って。憧れ……ってことは……もしかしてヨハネのことを!?」
「ないな」
「ちょっとはたじろぎなさいよ!」
「あくまでまだ見ぬ存在とし抱いた憧れだ。ふふ……まあ確かに魅力的だとは思うぞ?」
「バカにすんなーっ!」
両手をあげたりとややオーバーアクションで怒る堕天使をいなし、気付けば共に笑いあう。よくあることが、今日ばかりは心苦しい。
「……じゃなかった。戻るわよ、リトルデーモン。急がなければ上位存在による迫撃が――」
ふと授業を抜けたことを思い出したのだろう。ヤツが着いてくるよう呼びかけてくる。
「先に行ってろと言ったろう。我はもう少し外気に触れていく」
「ここに来た意味ないじゃない! 連れてかないと私まで怒られるのよ? そんなの嫌よ」
「そうか、やはり抜け出した我の連れ戻しを頼まれたわけだな? ……後日詫びてやる」
「いいから行くっ!」
が、乗らない。乗ることができないのだ津島善子よ。断れど粘れど我を連れ戻そうとする彼女の、くいくいと袖を引く手を軽く払って、我は言い放つ。
「津島善子」
「なに、改まって。あと私はヨハネ!」
「では堕天使ヨハネよ。よく聞け。……もう我をリトルデーモンと呼ぶな。今日限りで契約を取り消させてもらう」
宙に混在する酸素が半分にでもなったのか、などとあり得ない事象を疑うくらい力が抜けた。今になって、唇がだらしなく震えてくる。
堕天使からの引っ張る力が弱まり、なくなる。追及するわけでも、すぐにアクションを起こすわけでもなくただ静かに、深く煌めく紫の瞳で、地面から動かない我を見下ろした。
曇りのなきその光に両の目を合わせられず、視界を閉ざす。ヤツが呆れて無言で去り、気配が遠ざかるのを待つ。……こんな時ばかり、堕天使とやらかした
さらばだ堕天使。学校及びクラスは同じだが。
「…………へー、いい度胸じゃない」
次に冴えた聴覚に響いたのは、ごくリラックスした応答だった。
思わず終わるまで瞑っているつもりだった目を開け、起き上がる。映る先には……踵を返して我を通りすぎ、つい先刻まで我がいた
「何を……!?」
我の問いかけに答えず、ヤツは上りきるとポケットを探った。取り出したのは――黒い羽。しかし、既に黒羽はひとひら団子に差している。ますます狙いが読めなくなり困惑していると、ヤツはそれを高く掲げた。
「これ……なんなのかわかる?」
「……いや」
「忘れているというならそれもいいわ――見てなさい」
そして……団子にねじ込んだ。
「羽が……
「今ので堕天使ヨハネは……リトルデーモンからの贈り物を、想いを享受したの」
そこで今朝、羽を渡したことを思い出した。いいや、それよりも――。
「怒ってないのか?」
「ちょっと! いいところなんだから邪魔しないでよね」
「え、うん」
「ったく……よって、今後も堕天使ヨハネに付き従うことを許可します!」
耳を疑った。幾度なく披露されすっかり脳裏に焼きついているあの堕天ポーズをし、ヤツは一言告げたのである。
なおも呆け立ち尽くす我に、堕天使はため息混じりに続ける。
「だいたい、なんで私が怒らなくちゃいけないわけ? 全部そっちの独り善がりじゃない」
「……あっ」
反論できなかった。羞恥とも虚無感とも付かぬ不思議な気持ちの沈みように、焦点を丸ごと空に飛ばす。
「湧丞は湧丞でしょ。
私の目が黒いうちは……契約、破らせないんだから」
そうして堕天使後方にて輝く太陽による、白い熱線の眩しさで半目になりかけた時。彼女の指摘が、我の中に巣食っていた底知れぬ闇のような重みを霧散させたような気がした。
ニヤニヤ面になったと思えば、うんうんとうなずく。偽物な黒騎士をあっさり容認した天使は、お調子者の堕天使に戻っていた。「完全に堕ちてしまったようね」とか「決まった……!」とかぶつぶつと呟いている。
依然我は棒立ちだった。強引さや勢いに押された、否。認識のズレに。
我は自分を見失ったことで堕天使のリトルデーモンではいられなくなるものと考えていたが、そうではないというのか。
「なによ、文句ある?」
「な……い」
歯切れ悪く出る了承の意が、納得するに足りなかったのか。ヤツはいきなりフェンスを降りると、脱力している我の右手を取り、次いで自身の小指と我の小指とを絡ませ連結させた。
「指切りげんまん……というやつか?」
「下等な人間の中でそう称されてはいますが、違います」
「しかしどう見てもこれは――」
「う、うっさい! 他にいいのが思い付かなかったのよ!」
繋がりから堕天使の体温が部分的に伝わる。白く伸びた彼女の指は、美しかった。
「……ゆーびきーりげーんまーん」
促されるまま、少し固く結ばれた指を堕天使に合わせ上下に振る。ヤツはやたら早口だ。提案しておきながら、いざ始まったらこっ恥ずかしくなったやつだろうか。
「うーそついたらはりせんぼんのーます! 指切った!」
リズミカルに約束は紡がれていき、切ったという語尾を最後に互いの指が離れる。ちょうど一限目終了を示す鐘の音が耳に届いてきたが、今更堕天使は気にしないようだった。
「あーあ、あんまり心配かけないでよね」
肩をすくめ、堕天使は屋上出入口へと歩いていく。追いかけようにも躊躇っていると、ヤツは進むままこちらをのぞき、面倒くさげにちょいちょい手招きする。やがて出入り口に激突し、体を大きく反らせた。
「……ははっ」
動けずにいた我の所為だが吹き出してしまう。堕天使はというと痛くも痒くもないと主張したいのか、悶絶するのを耐えてドアの真ん中を人差し指でなぞってみせた。
「かなわないな」
「そうでしょう? 人間風情とは出来がちがっ……あたたた……」
間違いなくヤツは誤解釈しているが、それでいい。悩みやら綻びやらがどうなったかなんて、知ったこっちゃない。
――気が変わったことだけは確かだから、ヤツと教師に灸を据えられにいくことにする。
相変わらず前方不注意な奴だな、と悪態をつきつつ。喉がかわくのもそろそろに、フェンス近くから離れるのだった。
本編より前書きの方が文章熱量あった説。
さて。黒騎士がうだうだする流れ、今回で一区切りです。次回からまた平常運転ですおそらく。ところで今更なんですが言わせてください。終焉の炎ってなんだよ。初回からずっと付けてるけどなんなんだよコレ。書いた後のノリが怖い今日この頃であります。
ではまた――終焉の炎!