蒸れた肌にぬるい隙間風を通しがちな夏服に、ようやく馴染みかけてきた7月下旬。
「えー、いよいよ夏休みですが」
「クックッ……」
津島善子とかいうヤツは、既にライフを想像し始めているらしい。非常にニヤついている。めでたいものだ。
外で辺境の大樹たちがざわついている。熱風か、それとも今季脱皮したての蝉の仕業か。頬杖がてらそれを眺めていると、無性に血が滾るようだ。何故なのだろうか。どうあれ、約束された解放はしばし続く。
さて、如何様に貪ってやろうか。待ちわびた――
~‡~‡~‡~
「夏休みよ!? やっとよ、やっーと」
授業がない分すかすかなバッグを背に、校門を抜けるなり。堕天使はわっと羽を伸ばした。
「来ることなど前々からわかっていた」
「あなたは嬉しくないわけ?」
「愚問」
足取りも軽やかである。1ヶ月もある自由、インドア派といえどアクションの多い彼女からすれば至上のボーナスタイムとみて違いない。
そんな明らかにハイな堕天使と共にだらだらと坂を下っていく。同時帰還はいつしか日課になっていたわけだが、今日をもって長らく機会がなくなるというのは……些か心の空洞を生んだりするのだろうか。
「で、堕天使は課された試練を後回しに安らぎを満喫するのか?」
「まさか。まずはさっさと片付けるに限るわ」
「ほう。期日寸前に発狂するクチではないのか」
「あなたのことじゃなくて?」
「ぐ……」
ぼんやり考える間にも、他愛もない話を肴に歩を進める。堕天使は始まった休暇を満喫したくたまらぬ模様で、家に近づくたび興奮を高めていた。
相槌打ったり、道端で感極まって堕天しだすヤツに便乗したりするうち、体感より随分早く分離地点に辿り着いた。
「じゃあね。節度を守って暴れなさいな、リトルデーモン」
「担任みたいなことを……影響されているのか」
「言葉の綾ってもんよ」
学校で会うなり流れで群れるなりしてきたが、特にもう予定はない。基本騒がしく、時にはしおらしかった
「ん?」
センチな想いがつい顔にでも出ていたのか、堕天使が目を細めた。なんでもないと手振りで伝えると、ヤツは何かをゆらりと間を積めて、これまた憎たらしく肘で我が胸の上を小突いた。
「さては寂しいな?」
「…………」
肯定したつもりではなかったのだが、沈黙を当たりと解釈したらしい堕天使は満足げに我から離れていった。
そういえば挨拶をし損ねたので、代わりにヤツの影がマンションへと消えるまで見守る。ヤツは途中で半身向くと、手を上げるか迷い……結局、ほんの小さく振った。
……我も帰還するとする。帰ったら一服だ、うたた寝でもしようか。
「さらばだ」
車道の新しくもない標識は相変わらず風情がなく、どうしてやろうかと思う去り際だった。
それがどうだ。
「……絞まらないな」
「まったくね」
夏休みが始まり数日。虫騒ぎつつある、道端で向かい合った我らは苦笑いして。
「なんでこうなるのよ!」
「知るか……」
凄まじい気まずさを嘆く羽目となっていた。前回やたら大袈裟に別れた分恥ずかしいのもある。が、それだけではない。
「ね、ホントに行くの?」
「……そのつもりだが」
堕天使がちょうど近くの喫茶店壁にあるポスターを差し、改め問いかけてきた。内容は内浦の夏祭りについての宣伝だ。
要するに。
だらだらし過ぎた挙げ句どこか出掛けてこいと苛立った母に追い出され、たまたま知った夏祭りへ行こうとしたら――遭遇してしまったのである。よりにもよって、ヤツも同じような理由で外に出てきていて。しかも。
「目的地が同じだなんてね……」
堕天使がちょうど代弁してくれた。
そしてご丁寧にもヤツ、浴衣である。得意の黒は珍しくも帯や浴衣生地にある猫といったアクセント程度で、淡い青と純白が映えるラインと
当人いわく装束らしいが、付き添いが居なければ着るのも虚しくないかと突っ込んだところ逆上されたのがさっきの話。
「他にあてはないわけ?」
「貴様こそ」
「着替えてきた意味ないじゃない!」
「話し合いは無駄なようだな」
足向き変え、我は現地の方へ踏み出す。と、ヤツが半歩分前へ出た。
「ふふ……」
「む…………」
……あまり疲れてもなんだ、ほんの僅かに加速してヤツを抜く。すると、彼女はまたそれより若干先に。
これは――沼か?
「我はありのままに赴くのみよ」
「ふん、言ってなさい」
歩幅、徐々に大きく。足左右の転換、しだいに疾く。
「ついてこないでよ!」
「どっちがだこの!」
互い顔合わせず吐き捨て、なおも景色の流れは次第にホップしていって。
ああいかん、これは――
「ふぅう……ぜぇええ……」
「は……っ……はーっ…………」
宵を彩る星のような提灯が、規則的に並ぶ光景。最終的に
「……とうとう……退かなかったなあ……っ」
「っふー……ヨハネが降り立つのは……定められていたもの」
「……もう付いてしまってはご託もくだらぬ」
「まあ……ね」
人々が横を抜けるなかで息絶え絶え会話する二人組はきっとアウェイにして滑稽。だが並みの者にはわかるまい、密かなつばぜりあいがあったことなど。もっとも、直ちに考えなければいけないのは成り行きからの双方到着にどう結末を付けるかなのだが。
堕天使の横顔を覗く。静かに呼吸を整える彼女は別人のようだった。黙っていると雰囲気がまるで違う。
「おい」
「……まだ息、あがってるから。できればゆっくりお願いできるかしら」
「いや、いい」
話しかけたはいいものの、こちらも少し息苦しい。仕切り直す。深い呼吸と荒めの動悸を繰り返したのち、やっと互いに前屈みを崩すことができた。
「
「ああ」
ヤツの第一声は個人行動の提案、我は即時に了承した。まさに実行に移そうとしていたことだったから。今更足並み揃えるのにはヤツとてむず痒いものがあるらしい。
「先に行くわ」
「好きにしろ」
現地に着いてしまった今、何もせず帰還するにも勿体無い。しかしこの膠着状態を打破する最も簡潔な案が満場一致、WIN-WINだ。
我は消失点の先まで立ち並ぶ屋台に目を凝らす。予定は狂ったがついに勝負所だ。立ち食いルートを決めねばならぬ。
手前の屋台には、熱気に炙られる麺。斜め右に甘汁滴る丸々果実な半端飴、さらに奥では油殻に封じられし肉塊。果ては鮫釣り……こいつはどうでもいいか。なんにしても、隙のない布陣が賑わいの傍らにて奮っている。
堕天使がそそくさと簡易な入り口を横切った。ヤツが人混みに消えたら、我もいよいよ久方ぶりの祭りを堪能すべす駆り出し――
――ぷちっ。
不意に淡白な響きが、妄想をクリアにした。
小さくも近くで立ったものであるのは間違いない。雑踏でもなければ、品を創る過程の摩擦でもない。例えるなら……縄が切れるような音。
「あー……」
イメージが膨らんだとき、既にどこかで心当たりはあって。喉を締めた低い息が抜けたのは、何歩分が先で一人止まる堕天使の後ろ姿を捉えてすぐだった。
「か、代わりとかって……持ってたりしない?」
「ない」
半泣き、半笑い。慎重に足を引き摺りこちらに戻った堕天使は、どちらともつかない無念にまみれていた。下駄の鼻緒が真っ二つ、あえて口にはせずにおくのがせめてもの情けか。
向こうから太鼓の連打が届いては、耳に重く残るのだった。
祭りの中までいくつもりがまず入れなかったっていう。後半は考えてるけど一応オチついたしボツでよろしいですかな、うむ。
ほんでもって――終焉の炎!