「今帰った」
「遅かったわねぇ、おかえり。あ、もしかして合唱コンクールの居残り練習だった?」
「いいや」
「今年は……歌えそう?」
「ああ、吹っ切れるかもしれぬ」
鉛のような足取りで拠点に入れば、心配をする産みの親。悪気はないのだろうが、放っておいて欲しい。
「ふ~ん。……そうだ、最近善子ちゃんとはどう? ねっ、聞かせて?」
「仲良しこよしだ」
母の勘とは鋭いものだ。目を伏せたら察される、せめて真っ直ぐ会話する。あとは適当に流してとにかく睡眠を――
「一波あった?」
「ぬっ!?」
あっさり看破され、体が固まる。
「お父さんとそっっっくり。あの人ピンチになればなるほど正反対のこと言って隠そうとするから。あと答え方雑になるし」
「さすがだよ。偉大なる母には頭が下がる」
「いいから、話してごらんなさい」
御託は通用しないことを悟らすような、したり顔と腕組み。降参、我は一部始終を語ることにした。
「ふんふん、なるほどね……」
一通りいきさつを聞いた母は、
「アホかーっ!」
「……っ」
案の定、掌を我めがけ振り抜いた。
「いやいや、ダメでしょ……」
「痛いのはたくさんだ」
ひりつく左腕。こういうのは甘んじて受けねばいけないのに、わざわざ防御してしまう己にはつくづく嫌気が差す。
「ガードする元気があんなら行きなさい。夕飯はないと思いなさいね」
「何処へ……行けというんだ」
「わかってるでしょーが、今からいけば挨拶くらいはギリギリできる時間よ」
「断る。もはや資格はない」
母の瞳に激情が滾った。当然だろう。だが、我が駆けつけられるかはまったく別の話だ。
「……寝る」
「何言ってるの、あんた」
頼む、静かにしてくれ。もう考えたくないのだ。
「寝ると言っている。どうか、居間へと去って欲しい」
「湧丞っ!」
眠たい、疲れているんだ。放っておいてくれ。悪かったから。
「湧す――」
「ッぅ!!! わかるもんか! 人並みに歌える者に!!」
燻っていた火種が爆発した。
吐ききって息があがる。やがて静まり返れば、外で奏でられる虫の合唱が目立って忍び込んできた。……綺麗だ。それでいて、本体たちの基準では考えにも及ばない点なのだろう。馬鹿馬鹿しくなってくる。
「形はどうあれ、善子ちゃんは理不尽に拒絶されたのよ。拒絶を恐れてるあんたにね」
「っ……」
狂った時間感覚。秒針はいくら進んだか。我の引きずった叫びを責め立てず、母は事実を述べた。胸に訊かずとも、加速するやるせなさをなおも睡魔に預けることは難しくなっていた。
「外の空気吸ってくる」
「補導だけはされないようにね」
「善処するよ」
「あと、お父さんからも『お話』あるって。帰ったら聞きなさいよ」
「……ああ」
まったくもって後ろめたきよ。我はあても決めず、再び靴に足をかけた。
~~‡~~‡~~‡~~
伏してる布団の一部が濡れてきて、気持ち悪い。
『いっ、行くまでもないからだ』
でも、不快感なんておかまいなしに何度だって聴こえてくる。初めて手を取り合えたと思った人から発された、最後の答えが。
いつからか……変わってる、おかしいって見られるようになっていた私。中学二年生を前にして、ちょっとだけ自信がなくなってきた中で、出会った
馬鹿にしたり不思議がる皆とは、「普通」とは違った。
(思い上がり……だったの?)
ぜんぶ、ぜんぶ。
まともに知り合ってすぐ一戦交えて、契約して、病魔にやられたときも助け合って、過去を聞いて……たくさんの時間を過ごしてきたのに。
(……ひょっとして、もう話せなくなったりするのかしら)
今日はずっと、苦虫を噛み潰したような顔をしてた。我慢の限界だったのかな。やっぱり、本当は私に合わせてくれていただけなのかな。部屋は星屑だって映えないほど暗い。風邪を引いて、心細くて泣いたあの日より。
「リトルデーモン、じゃなかったの……?」
コンコン、とドアがノックされる。返事せずにいたらママが入ってきた。
「ご飯食べる?」
「……いらないわ」
お腹は空いたけどとてもそんな気分じゃなくて、ついぶっきらぼうに答えちゃった。ママは困ったようだっけど、黙って戻っていった。魔力を取り戻したら改めて色々と伝えなくちゃ。
……いいわ。取るに足らないこと。休めば、平気。明日からリトルデーモンのいない「いつも」に戻るけれど、むしろ孤高の堕天使として、新たなる輝かしい日々が――
「っ……うっ……」
ほら、味方だと思っていた人だって何処かへ行っちゃった。でも、いいの。滴る泪だって、乾けばおしまい。私は――堕天使ヨハネだもの。やなことなんて慣れっこなの。
~~‡~~‡~~‡~~
見上げれば、堕天使の住みか。
ぶらぶら適当に回って戻るはずだった。思うがまま歩いたつもりが、いつの間にかここへ向かっていたらしい。ヤツのいるであろう部屋に……光は灯っていない。夜更かしが好きなあいつが、まだ寝ているとは考えにくい。未だに外界だろうか。
「……ちっ」
都合が良いものだ、我含め人間というのは。懸念から傷付けておいて、果ては憂慮か。罵倒よろしく階段をかけのぼる。
……やがて嫌でも一致する高低差。数メートル先の窪みあるスイッチを押せば呼び出しだ。来てしまった。
引き返すべきだ、掻き回しておいて何ができようか。頭が警告を促しても、吸い寄せられるように進む我の体は、半ば意思と切り離されていた。無機質なロングトーンが響き初めて身じろげたのだから。
「あなたは……手尾くん!?」
「こ、こんばんは」
扉一枚の隔たりから顔を見せたのが万が一にも津島善子だったら、我はどうなっていただろう。彼女によく似た、というよりまるでまんま成長させた姿のような母親が我を認識した。
「ラッッ! ランニング中でして!!」
「そ、そうなの?」
意味不明な訪問理由に、堕天使母は困ったように同調した。だから闇雲に突入すべきではなかったのだ。いや悔いるも遅しか。
「頭真っ白になりすぎて、家間違えちゃかなー!?」
「いいのよ。あるものね、うんあるある!」
困ったように遠い目をしながらも話を合わせてくれている。面目ない、よかったら惨めな我を赦してくれたら嬉しい。案の定会話は途切れ、互いに中身なき半笑いを交わす。
どうしてやろうか、どうされてやろうかと探る中で、塗り替えがたい気まずさを打ち破らんとしてか、堕天使の母は「そうだ!」と手を重ね合わせた。
「いつも善子ちゃんと仲良くしてくれてありがとうね! あの子時々、話してくれるのよ。リトルデーモン1号が~って」
体温が下がったかのような寒気に襲われる。奇しくも、彼女の話題転換が
「……つかぬことをうかがいますが、彼女は今?」
「う~ん……」
彼女は愛想のいい笑顔を変えずにしつつも、どこか考えるように視線を泳がす。そして、
「実は――ちょっと、元気なくて」
我の愚行に怒り心頭となって、ストレス発散と趣味のゲームにでも打ち込んでいてくれたなら、そちらのずっと良かった。
「ご、ごめんね? 私も何か知ってるわけじゃないのだけど……よかったら、これからも善子ちゃんと仲良く――」
「あの、無礼を承知でお願いがございます」
「え……?」
「……5分ほど。いえ、2分でかまいません。津島さんとお話をさせていただけないでしょうか?」
人は己に甘い、特に我は。腐った性根も、将来直らぬ可能性は大いにあるだろう。
だがいけない。この瞬間を退いては。我みたく
我は鎧を透けば黒騎士どころか一般人にも及ばぬ「卑怯者」だが、行かなくては。
「……どうか、彼女のもとに」
~~‡~~‡~~‡~~
「ん……」
いつの間にか、眠りに堕ちていた。私の意識を呼び戻したのは換気の足りていない部屋の熱じゃなくて、床の摩擦――足音。軽く布団をよけて、体半分を起こす。
「生きているか?」
知っている声。ママのとは違う。ついさっき、もう関わることがなくなると思っていた人の声。あっという間に目が冴える。
「……何しにきたのよ」
気付けば、そう吐き捨てていた。自分でもびっくりするくらい低く。もやもやした感情がどんどん大きくなって、考えるより早く私の口を動かしていく。
「私に用なんかないでしょ!? どういうつもりよ!! それとも何!? まだ私に不満でもあるって言うの? だいたいうそつきとなんて話したくないの! 帰って!」
いきなり叫んだから、喉がじんと痛む。……他のところも。けど、言ってやったわ。これで湧丞は無理に付き添う必要はなくなるし、私だって自由の身。生意気なリトルデーモンじゃなくて、もっと良いリトルデーモンを探せるんだから。
「……だから消えなさい! とっとと出ていって! ……出ていってよ……」
「…………」
向こうから反応はない。本当に帰るのかな。
ドアの下、僅かにもれる明かりに照らされた影が揺らめく。きっとそこは湧丞のいる場所。つまりは動いたということ。……やっぱり、帰るんだ。
「なにが『憧れた』、よ……」
こみあげてきた熱いものをを堪えようときだった。
「ラ゛~ラララ~ァ゛ァァ」
スカスカで、ひっくり返りっぱなしの音っぽいものがして――。
~~‡~~‡~~‡~~
唖然としたはずだ。
「ひどいだろう?」
「……い、今の何?」
戸惑いすぎて、ヤツが普通に問い返してきたからまず間違いない。たまには不協和音も役に立つ、おかげさまで話はできそうだ。
「我が黒騎士の誇る特殊音波さ」
「歌、声……?」
「そうだ」
「もしかして頑なに行きたがらなかったのって――」
「まあ聞け」
堕天使を制し、続ける。ここからは手尾湧丞として。
「
ごめんね、堕天使さん」
……ドアの向こうから返ってくるものはないけれど、どうやら彼女は聴いてくれている。
「こわかったんだ。また、自分の声で誰かに嫌われるのが。そんで意地張った。でもさ、同時に……堕天使さんを信じきれなかったってことにもなるんだよね。さっき僕を誘ってくれたのは、昔の人達じゃくてあなたなのに」
「正直あんまり頭は冷えてない。でも、あなたに伝えるのは今しかないと思って来たんだ。……善子ちゃん。あわよくば、聴きたい。あなたが歌うところを」
キィと、ゆっくり甲高く擦れて数ミリだけ、隙間が作られる。真っ黒な闇に紛れて、潤んだ紫が廊下の明かりを受け色濃く光った。
「普通にしゃべりなさいよ……」
「いや普通って……まあ、僕たちの間じゃ今の口調は異端かもね」
「……今度は、嘘じゃない?」
「あなたはいつだって純粋無垢だ。堕天使さんの判断に任せるよ」
「堕天使さん……ってのやめて」
今度はさらなる軋みと共に、一枚の板とノブが軽く僕の腕にぶつかる。現れた彼女は制服のままだった。目の下は腫れて、髪の毛がくしゃくしゃだけど、少し怒った顔は見慣れたものだった。
「解けた? 誤解」
「どーかしらね」
「僕さ、打ち首?」
「多くは語らないわ」
――ありがとう。
あえて、卑怯者は尋ねる。
「……んん゛っ。今宵更ければ、休刻の土に皆埋もれる。出し抜く好機だと思うのだが……赴かぬか? 共に響撫の箱庭へ」
「やーよ」
「ふはは、振られたか」
「ただし、ヨハネの歌いっぷりについていけるなら話は別っ!」
堕天使は胸ポケットから黒羽を取り出し突き刺して、腰に手を当てた。すれ違いからの破壊とはいえ、まだ傷は癒えきらぬだろうに。
「あと、罪の分だけチョコを進呈しなさい」
「いくつ望む?」
「10000個くらいは固いわね!」
「ああ、よかろう」
「本当に用意する気!?」
雨降って地固まるとはいかぬかもしれない。しかしヤツと決裂したのは、過去の重石へ少しの踏ん切りをつけさせてくれたのだった。
堕天使とその母に挨拶し、屋城をあとにしたところから時計が一回りした。区切りつくなり腹が空いた効果に煽られ、我はあらゆる始末を済ませた上で食事にありついたのだが。
箸で生ぬるくなったハンバーグをさばかんとし、勢い余っておかしな切れかたになってしまった。
「そういうわけで悪いが――――」
ああそういえば。晴れやかな思いで拠点を跨いだせいか、玄関に靴を脱ぎ散らかしたままだったぞ。後程整えなくては。
まさしく他人事のように、親父による『お話』を別なる考えごとで我は切り捨てる。
「すまん、湧丞」
もとい切り捨てたかった。我が失態につき、大目玉を食らうとばかり思っていた。てっきり。
浮かない顔をする親父よ。例えば了承代わりに味噌汁入ったお碗に口をつけるのは、果たしてクールかね?
合わせだしの深みを舌がなかなか捉えない。では、単に我が満身創痍なのだろう。
色々あったが、明日は堕天使と音色を交わすのだ。チョコも授けねばならぬ。早いところ回復に臨みたい。
切に願う。
津島善子ってピュアですよね。ほんとに天使なんじゃないかとアニメなり漫画なりスクスタなり見てるとよく思います。ではまた。
――終焉の炎!