木枯らし、すら出涸らし。
近海に飛び込まんば氷塊となろう、屋内とて温もりをないがしろにすれば絶対零度が牙を向く。正確な気温は一桁だったか。空気のみならず笑いまでも乾いてしまう。世にはまだ上……いいや下があるというのだから。
「ありえんな、カーディガンが薄布切れのようだ」
「もうちょっとあったかいの着てきなさいよ」
「環境変化に適応するためには、自然そのものに身を委ねるのが手っ取り早い。……そういうお前は大胆不敵な『堕天使』の癖に厚着か? 」
「翼が凍えていて、どうして堕天できるかしら?」
「ふっ……精々ぬくんでいろ」
堕天使と皮肉に笑い合う間にも、指先爪先の鈍化は進む。鼻頭をほんのり紅くする彼女は本当に芯が冷えてやまないのだろう。強情という一種のフィルターも機能停止するほど、大地は冬極まったのだ。
もっとも、冷えるだけで荒む我ではない。他に拍車をかけている要素があるのだ。
「クリスマス? いや、ちょっと用が……」
「そろそろだなー、今年はどこ行く?」
「じゃあさ、集まってパーティーね!」
――暖房効かぬ教室で囁かれる、
「浮ついているな、まったく」
「んー、別にいいんじゃない? 楽しいなら」
本当にやりきれない。堕天使も言葉とは反対に唸って頬杖だ。そうか貴様もなのか。わかるぞ疎外感。
(……いや、クリスマス……か)
思い至った。人々が灯雪の星に魅せられ、共存する聖夜……「いい機会」だ。
半ば衝動、声をかける。
「とはいえだ、堕天使」
顔を向けたヤツは土でも食卓に出てきたみたいな、しけた引きつりスマイルを張り付けていた。同じ立場ながらその不思議な威圧感に完全閉口しそうになるも、我は互いに
「今世紀は生憎、我とてそこの住人。……あえて、あえて興じてやるつもりなのだ、キリストへの崇拝を建前に沸く俗世の聖夜にな。我は赴く。クリスマスだと騒ぐ、馴染みの街へ――貴様は来るか?」
あくまで、処理の難しいやっかみを払うがためだった。一週ついで「通達」をさりげなく完了させらればという考えもあった。我にとっても、ヤツにとってもWIN-WINと、ひとえに軽く。
思惑通り堕天使は便乗。余裕生まれれば早いもので、太陽と月は数回空を巡り、聖夜と名高き日はすぐにやってきたのだが――。
「賑わってるわね……」
「っ……ああ」
「で、どこ行くの?」
「……ああ」
我が拠点からそれなりに近場、沼津駅。
所詮は田舎、行事で人々が集うにしろたかが知れているもの――昔見たうろ覚えの脳内風景からきた侮りは、我にしっぺ返しを喰らわせた。
脱力したまま沼津駅周辺に
……だけならまだいいのだが、質のみならず比率も想像を超えていた。家族友人らで来ている者はいいところ二、三割。他は愛の傀儡がほとんどなのである。
『いいか。街に駆り出し、それらしく集団に溶け込む。マインドを焦がされそうな今の外界に適応する覚悟こそ、虚無の極寒に対する防御なのだ!』
誘った先日にああ謳った我。なかなかどうして決まっていたものだと、到着早々に自惚れるはずがッ!
「四面楚歌!! 逃れられぬ業ァ……ッ」
片膝をつく。所詮形から入るだけでは、真冬を春の零れ陽みたく優しい光と代えて渡り歩く猛者たちに紛れられるはずもなかった――
「ちょっと!聞いてるの?」
肩をぶんぶん揺らされ、完全敗北の余韻から解放される。堕天使が眼前に回り込んできていた。
「ん、ああ……」
「ほら――付いてらっしゃい」
堕天使はぐっと我の腕を持ち立ち上がらせ、引きずりかねない勢いで我を連行する。元の体勢が悪かったおかげで、そのまま互いの腕を組む形になった。外観だけみれば遊びにきた男女――なるほど。どさくさに紛れて堕天使め、あたかも空気に適応したような形態を素早く作り出した。肉を切らせて骨を絶つとはやるではないか。
「ふー……さむっ。動かないと死ぬわよこれ」
「堕天使よ、お前は格差を体現したような人波をものともしないというのか?」
「こんなもんでしょ、クリスマスは」
「たくましいな」
まさにプロフェッショナル、そして「それより」と澄ました顔で、ヤツは見えてきた
――滾る。滾るぞ。
「30――何の数字かわかるか?」
堕天使ははやっていた歩みを止める。
「開戦し、貴様を戦意喪失させるまでの秒数――だ」
「む……!」
彼女の紫に焔がちらつく。堕天使にとってかなり自信のある分野への宣戦布告、ヤツが燃えないはずはない。
「返り討ちにしてやるわ!」
気持ちよいくらいにそうこなくちゃな応答、無事火蓋は切って落とされた。
「速いッ!?」
「ターボはレース(ゲーム)の基本よ、リトルデーモン……!」
「ぬっ」
今日も今日とて、易々と勝たせてはもらえなさそうではあるが。
~~‡~~‡~~‡~~
果てて小一時間。
流れてくるトレンドな楽曲になんとなし耳を傾けながら、露点浮き出たグラスに口をつける。雪崩れ込んできた水は喉を強張らせる……が、すこぶる良い。乾きが季節という垣根を上回ったか、ここに来るまで勝負に熱中していた影響は大きかった。
「ふー、……ふー……」
ヤツはヤツで、ついさっき運ばれてきた
昂りから次の行き場をお互い考えていなかったところ、目につく場所に喫茶店があってよかった。
「せっかく冷ましたと思いきや、今度は取っ手が外れたりしてな」
「本当にそうなったらどうすんのよ」
「はは、冗談だ。さすがにありえな――ううむ、貴様に限っては果たして……」
「どうせならはっきり否定しなさいよ……。こわくなってきたじゃない」
渋って渋って、堕天使は珈琲をあおった。コップにも中身にもこれといった予想外はなかったらしい、いかにもほっとしたような堕天使の深い吐息が教えてくれた。
「う、苦っ!」
「シュガーいるか?」
「……いる」
やれやれ、一息ついて上に視線を移せば木製の天井にいくつか展開する三枚羽のシーリングファン。仄かな暖色の照明が少しかかっていて、とても落ち着く。
と、ちょうど流れていた曲が変わった。某有名女性シンガーのクリスマスソングに。
「元はといえば、今日は聖夜だったな。すっかり失念していたよ」
「あーっ。曲で思い出したでしょ」
「ヨハネアイとやらにはお見通しか」
「ふふん」
シュガーを入れた堕天使が、セルフカットインよろしく誇らしげに指を開閉してみせる。いつ見ても元気なもんだ。しかし、おかげで気兼ねなくあの件を伝えられそうだ。
「なあ。津島善子よ」
「ヨハネ!」
「堕天使ヨハネ――我は」
言いかけ、気付く。空の青さが失せかけていた。
「湧丞?」
「いや、いい。そろそろ行こうか」
「……うん」
一旦話本題を閉じ込めて、とっくに温まった椅子を立ち離れる。ヤツは特に先を促さずして後に続く、しかし一瞬確かに我が纏う空気の変化に勘づいたようだった。
「せっかくだ。帰還する前に拝んでいこうか、アレを」
「アレって――あぁ、知ってたのね」
「聖夜の街へ赴く以上、醍醐味は外すまいて」
参ったもんだ。そんなに神妙な顔をしていただろうか。
~~‡~~‡~~‡~~
「……堕天使よ。この際だ、白状しよう。実は甘酸の爆菜は――我の数少ない弱点のひとつである」
「うっそぉ!? 昼休みはばくばく食べてたじゃない」
「あの日は克服しようと躍起になっていてな」
とりとめもない会話をし、溢れる人の隙間を往く。常日頃してきた、ごく当然な流れも、油断すれば滞ってしまいそうだ。上から紡ぐように飾られたモールとランプの眩しさに焦がされそうなのもまた苦、要するに眩しくある。
……ヤツがこころなしか遠く見える。時折寒そうに白い蒸気を逃がす仕草から、横並びに確認できる彼女のしなやかな歩調まで、惹き付けられてしまう。
その訳が堕天使風聖夜仕様の服装だとか、実は本当に上界から身を落とされた天使のようだからとかだったら、まだよかっただろうに。
なんというか。
「これほど可憐だったか、堕天使って」
つい飛び出した率直な感想が雑踏に消えたのは幸いだった。
さっきからやたらすれ違う者多くから視線が刺さってくるが、だいたいはヤツの方へ向かっている。興味、羨望、色は様々。よく行動を共にするせいで鈍感になっていたが、そもそもヤツはとてつもなく映えるのだ。容姿も、強烈な個性も、節々に現れる愛嬌も。
「リトルデーモンは想像以上に多いようだぞ」
「えぇー……だったらもっと世間の風当たりいいと思うんだけど」
「自信を持て」
腑に落ちなかったか堕天使は軽く唸った。保証すると肩をぽんと叩いたら、ヤツはまだまだ怪しみの果て。ほんとだって、煽りじゃないって。
ちょうど話題もなくなってきたころ、目的の場に着いた。街道を抜け、普段はのどかな沼津の中央公園内。そこに聖夜ということで設けられた大木だ。
来るには若干早かったか、歩いてきた場所とは違ってまだ人は疎ら。ライトアップは今かららしい。まだ緑は堂々と目立っている。
近付くと、なんとなく眠りたくなるような薫りが鼻孔から頭へ抜けた。森を想起させる、あの薫り。……人によって好き放題飾り付けられようとも、在り方までもは明け渡していないようだ。
「始まるわよ」
堕天使に上着を引かれ、感傷から冷める。我が何か答える前にヤツはもうツリーに集中していた。堕天使と名乗る彼女とてこの手のものは好きらしい。
秒針を刻むこと数回、ちょうど17時。点灯した光が循環するように流れて彩りを変えた。歓声と歓喜が交じった幸福のうねりが、少なからず周りからあがる。
「綺麗ね……!」
「だな」
強いフラッシュに頭から爪先まで照らされる眩しさをものともせず、むしろ半歩ほど詰める堕天使。彼女が釘付けになるのも納得、クリスマスツリーには根本から天辺の星を除き淡くも強い瞬きが迸っている。しかも周りの木々は雪をイメージさせる単色のイルミネーションで景色を作って、一際主役の幹を立てているときた。事実圧巻なのだ。
「まさに地獄絵図」
「どこがよ」
「ある意味、さ。悶え殺されそうだったもので」
「ふふ。まぁ一理あるかもね」
なんと心を蕩けさせてくれることか。もっと前から眺めにきたって、よかったではないか。毎回やっているとは恐れ入る、年に一度のとんでもプレゼントだ。クリスマスツリー、貴様はサンタクロースもどきなのか。
「……えっと」
もうひとたびツリーへ向き直ると、ヤツは急に真面目な顔になった。……堕天使ヨハネとして総括でもするのだろう。感想を振られたら詰まってしまうぞ、我は軽い気持ちで彼女の言葉を待つ。
「来年も――見れるかしら」
全身消し飛ぶかと思った。耳が心臓に当たる部分だったら、死んでいる。今の我を現実に還すのは容易すぎた。
「は、はっ。胸打たれたなら、貴様自身が来年も堕天すれば――」
「そうじゃなくて」
「ッ!!」
「い、一緒に。一緒によ!」
彼女一人ならと、もっともらしい筋は断ち切られた。素直さをさらけ出した堕天使は、少し紅い。我の聞き間違いや勘違いなんてことは、ない。
どう答えるべきか。ヤツは、まだ津島善子は知らないのだ。堕天使と仲直りしたあの日の夜、父から告げられた決定事項。覆せぬ運命。
「では素晴らしいリトルデーモンと共にか。…………いいな」
――
「素晴らしいリトルデーモン」に、我は含まれていない。もはや来年、我の姿はない。
「っ、わかったらもう少し前に出るわよ。人間が増えてきたわ」
返事を聞いた堕天使は早めに、誤魔化すように名目を並べ立て、いつもよりもっと強引に我を先導する。ヤツの照れ隠しだとしたらくすぐったいな。口には出さぬが、少なくとも我はとても照れている。
だが、どうしても、はっきり形にせねばならないこともある。
「堕天使」
ゆえに今日、出掛けるタイミングをもって打ち明けるつもりでいたのに、またもや出鼻を挫かれてしまった。でも、今回ばかりはしかと伝える。
「ん?」
堕天使が振り向く。陽炎みたいに勢いでヤツの髪が揺れ、じきにしだれ落ち着いた。きょとんとする彼女を見れるのは、おそらく今回まで。
ここ1ヶ月、伝えるに伝えられなかったが。残酷なり、色々臆病な我と友人関係を築いてくれた堕天使よ。
「さよならだ」
声に、あまり力がこもらなかった。
――ちょうど雪でも降ってきたなら、まだ絵になったのだろうか。
番外編足したらもう20話いくんですね。この作品をどれくらいの方が覚えておいでかわかりませんが、おかげさんでなんとか続いてます。だから絶対完走します。たぶん! ……たぶんね。
――終焉の炎!