ワルプルギスの夜を越えて一年。
佐倉杏子は道路工事のアルバイトをしていた。

GLタグはあんこ無関係。

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 お時間のある時にどうぞ。


あんこちゃんは聖女である。

 道端に一〇〇〇円札が落ちていた。

 当然、あたしは拾うだろう。駄菓子屋に行く駄賃が出来たと、そりゃもう喜ぶさ。

 魔法を使わずに、誰からも盗まずに、手に入れられるお金なんて、有り難いに決まっている。

 

 だけど、何時からだろう。

 あたしは変わった。

 財布を拾ったら、中身も見ずに警察署へ届けるようになった。それが良い行いであるとか、胸糞悪いことを言われながらも、やってしまうようになった。

 

 お金ってものに対する価値観が変わったのは、働き始めてからか……。

 

 汗水流して必死に働いて、見習いだから、一日三〇〇〇円。

 賄いの飯がついているから、金額に文句はねえ。

 未成年で住所不定のあたしを雇ってくれているんだ。親方には、それだけで感謝しきれない。

 

 ワルプルギスの夜を越えて、一年。

 あたしは道路工事のアルバイトをしていた。

 

 今日も気ままに穴を掘る。

 スコップ片手に、おっさんが『ドリル持って来い』って言った硬い土を、何の苦も無くぶち抜いて見せる。

 それだけでおっさん達の士気が上がる。『よっしゃ負けてらんねえ』って、ドリルで穴を掘り始める。

 まあ、あたしは魔法少女だし。その力を以ってすれば、先に悲鳴を上げるのは何時もスコップなんだから、余裕綽々。むしろおっさんに張り合って、掘りすぎだって怒られる。それぐらいには、楽しい。

 

「よっしゃあ! あんこぉ! 掘るぞー」

 

 顔の輪郭が隠れちまうような髭面のおっさんが、ドリルを掲げて声を上げる。

 ここは早朝の大通り。とは言っても早朝ばかりは交通量が少ないところらしいけど、やはり通学中の学生とかが、ちらちらと目線をやってくる。その目線から顔を背けて、あたしは唇を尖らせた。

 

「あんこじゃねーし。きょうこだつってんだろ。おっさん」

「おっさんじゃねーし。田中だし。まだ三二だし」

 

 田中のおっさんはそう言って、あたしの真似をする。

 にゃろう……と、あたしは顔を引きつらせた。

 

 またぎっくり腰になるまで張り合わせてやろうか。

 

 そんな事を考えながら、スコップを掴む手に力を籠める。

 とすれば、誰かがあたしの作業着の首根っこを掴んできた。

 

「待て待て。田中も待て。朝礼終わったらすぐに始めろなんて、誰が言ったんだ」

「ああ? 命令されなきゃ出来ねえとか、それでもプロかよ!」

 

 あたしはあたしを否めた相手を振り返る。

 そこにはこの仕事には到底不似合いなイケてる面構えをしたおっさん。眼鏡を掛けた……眼鏡のおっさん。

 

「松山だ。いい加減覚えろ。あんこ」

「だからあんこじゃねえつってんだろぉ!」

 

 何でか知らないが、この職場の奴等は皆してあたしのことを『あんこ』って呼びやがる。

 それもこれも、親方があたしを拉致したその日に、皆に『今日から働かせるあんこちゃんだ』なんて紹介したからだろう。……何であんこ? きょうこと似通った点なんて、『こ』の一文字だけじゃねえか。

 

「これだから幼卒は……」

 

 田中のおっさんが、挑発的に首を振る。

 うっせえ。死ね。

 年いってから布団の中で死ね。

 とりあえず早いところぎっくり腰になれ。

 

 あたしはふうと息をついて、辺りを見渡す。

 目に留まるのは歩道を行き交う学生達。その中にはさやかやほむらが通っている学校の制服も見える。

 ガキのあたしが珍しいのか、時折横目で見てくる奴がいるけど、もう慣れた。気にしてもしゃあない。

 

 そんな事より――。

 と、歩道脇に置かれたカラーコーンに区切られたスペースを改める。

 一車線分を区切った範囲内では、まだ重機すら下ろされちゃいない。あたしにとっちゃ不要だけど、おっさん等はあれが無いと仕事にならない。眼鏡のおっさんの言う通り、作業開始はまだみたいだ。

 

 スコップを地面に立てて、その上に手を組む。

 腰を折って、顎を乗せて、田中のおっさんを睨みつけた。

 

「ちょっとぉ。早くしてくんない? 働かないで金貰うのとか、マジ勘弁なんだけど」

「おーおー、流石社畜のあんこ」

 

 田中のおっさんは大袈裟な声を上げて笑った。

 あたしの隣に佇んだ眼鏡のおっさんも含み笑いをしている。

 

 あたしは怪訝な顔をした。

 

「社畜ぅ? あたしゃ暴れたいから穴掘ってんのさ。それが会社にとっちゃ利益になる。んで、あたしもお金貰えて満足。れっきとしたリガイカンケーとかって奴さ」

 

 得意げにそう言えば、眼鏡が声を上げて笑った。

 

「いやいや、それ社畜の自己陶酔の言い訳だから」

「じことーすい? 何だそれ?」

 

 眼鏡は頭が良いらしい。

 そういやこいつは穴を掘らないで、いっつも資料と睨めっこしている。

 まあ、監督だから、そういう仕事なんだろうけど。

 

 眼鏡のおっさんは溜め息混じりに首を横に。

 後で親方にでもゆっくり教えて貰えと言われて、あたしは唇を尖らせた。

 大体、親方を都合の良いように使うだなんて、こいつそれでも社員か。給料幾らだ。この野郎。

 

「おっ、やってるやってる」

「んあ」

 

 とすれば、不意の声にあたしはハッとする。

 どうにも聞き覚えのあるそれを振り返れば、見知った青髪が居た。

 歩道からガードレールに手をついて、身を乗り出してきている少女、美樹さやかだ。

 

 この現場をやり始めてから、一週間。

 朝礼が終わって、作業が始まるまでの短いタイミングを狙いすましたかのように、さやかはやってくる。

 

 その顔は健康そのもの。

 以前落ち込んでいた時みたいな暗い影は、何処かに忘れてしまったようだ。

 まあ、暗いよりは明るい方が良いんじゃねえの?

 

 あたしは顎下の手を片方振り上げて、小さく振る。

 

「よお」

「今日も勤労なようで。感心、感心」

「ったりめーだ」

 

 さやかの後ろには、鹿目まどかと暁美ほむらの姿も見えた。

 二人もあたしに気が付けば、各々の言葉で挨拶をしてくれる。

 軽い返事で、あたしも挨拶をした。

 

 出会った頃と変わりがあると言えば、ほむらが眼鏡を掛けていること。

 あと、その二人が『女同士』なのに、手を固く握り合っていること。

 

 レズ……ねえ。

 良いんじゃねえの?

 二人が幸せなら。

 

「杏子ちゃん。怪我しないようにね」

「がんば。あんこ」

 

 にこやかに声を掛けてくれたまどかに対し、ほむらは澄まし顔で髪を掻き揚げながら、そう言った。

 成る程。ぶっ飛ばされてえらしい。

 あたしは顔を引きつらせて、スコップを振り上げた。

 

「あんこって言うな。殺すぞ!」

「がんば。あんこ」

「二回も言ってんじゃねえ。さっさとガッコー行きやがれ!」

 

 あたしがスコップを持って歩道へ迫れば、ほむらがまどかの腕を引く。

 こちらを見て、『あっかんべ』をした後、足早に去って行った。まどかが彼女を注意しているけど……あいつは聞いちゃいない。ワルプルギスを越えた日から、随分と吹っ切れた様子で、子供みたいな真似ばっかしているのだから。

 

 見送るさやかも、苦笑している。

 

「なはは……悪いねえ。仕事前に」

 

 ほむらの代わりのつもりか、さやかは謝罪を並べた。

 まあ、あいつの事情は知っているし、さやかも聞いている筈。それを踏まえたら、文句なんてねえ。

 あいつが居なけりゃ、あたしもさやかも、きっと死んじまっていたんだから。

 

 あたしはもやもやする胸の内を我慢して、そっぽを向いた。

 

「べっつにー。前みたいに腹の内を見せねえより、ずっとマシさ」

「あはは。それもそっか……てか、いいの? 仕事中に」

 

 さやかはきょとんとした様子で問い掛けてくる。

 一応肩越しに振り返って確認してみれば、眼鏡のおっさんは重機の確認をしに行って、田中のおっさんは他のおっさん達と煙草を吸っていた。まあ、まだ一〇分ぐらいはかかりそうだ。

 

 あたしはさやかに向き直って、肩を竦めた。

 

「煙草吸ってるより、良いっしょ?」

「はあ!? あんた煙草――」

「ものの例えだよ。美樹さやか」

 

 あたしが揶揄した事に過剰に反応したさやかを止めたのは、明後日から聞こえた声だった。

 びくっと肩を跳ねさせたさやかが、苦々しげな表情になる。改めた足許には、一匹の白い獣。もとい、宇宙人。もとい、いんきゅべーたー。もとい、キュウべえ。

 

「うわっ! いきなり現れないでよ。害獣!」

「……酷い言われ様だね」

 

 言葉とは裏腹に、さやかの辛辣な言葉を全く気にした様子の無いキュウべえ。

 ぴょんと跳ねたかと思えば、その姿は不安定なガードレールの上に着地。更にもう一度跳ねて、あたしの肩に乗ってきた。……まあ、別に良いけど。重く無いし。

 

「何しに来たのさ。キュウべえ」

 

 あたしはげんなりとしながら、横目に認める。

 すると彼は、何を考えているか全く読めない面をそのままに、明後日の方向を見た。その行動に促されて、視線を向ければ……。

 

 もうすぐ冬とは言え、明らかにまだ時期尚早なコート姿の女。

 サングラスとマスクをつけて、ニットの帽子まで被っていた。

 

 何処からどう見ても不審者。

 認めたあたしは深い溜め息。さやかですらぽかーんとしていた。

 

「まあ、有り体に言って、マミに着いてきたら、二人を見かけたからだね」

 

 今更ここにいる理由を答えて貰わなくても良い。

 不審者がそこにいる事実の方が、よっぽど気になる。

 一体何時の間に帰ってきたのか……。

 

 とすれば、不審者がこちらに気付いたらしい。

 ハッとした様子で、慌てて眼鏡、マスク、帽子、コートという、不審者セットを片手に纏めた。

 その下に現れるのは、見慣れない高校の制服姿に、相変わらず変な髪型をした女。巴マミだ。

 

「お早う、美樹さん。佐倉さん」

「お、お早う御座います……」

「うい」

 

 あたしもさやかも、マミの変な格好に突っ込むことはしない。

 理由は分かっているし、それについての理解もしている。むしろ、何で取ったし……。

 こんな街中でとれば――。

 

「ちょ、あれ。巴マミじゃない?」

「嘘っ。ホンモノ!?」

 

 周囲がざわめく。

 あたしは溜め息を吐いて、肩を落とす。

 さやかは苦笑いを浮かべていた。

 キュウべえですら、前足を掲げて、首を横に振っている。

 

 一人うろたえるのは、マミの馬鹿だけ。

 

 こいつは自分が有名人だと分かっているから、変装していたんじゃないのか? それをいくら知人に会ったからって、こんな公衆の面前で取っ払う馬鹿が何処に居るってんだ……。

 まあ、()()()()()()()()()()()()()、画になる奴だ。つまり逆説的に言って、中身は残念。

 人柄は良いし、人情味もある。愛嬌ってやつだと思っておこう。むしろこういうドジをする奴だからこそ、鼻にかけたような態度が許せる時もある。

 

「ごめんなさい。また後で!」

 

 そんな言葉を残して、マミは猛ダッシュで学校へ向かって行った。

 その背中を追いかける面々は、一瞬の内に一〇人を越えている。流石、アイドルだ。

 『恋のティロ・フィナーレ』はどうかと思うけど……。

 

「あはは……マミさん、行っちゃったね」

「馬鹿だろ。あいつ」

 

 苦笑するさやかに、あたしは短く吐き捨てる。

 すると意外にもキュウべえが首を横に振った。

 

「そう言ってあげないでおくれ。あれでマミは優しいからね。ファンが一人、二人なら、懇切丁寧に対応しているんだ。早々に行ってしまったのは、杏子の為さ」

 

 言わずと分かる。

 ここでファン対応なんてされたら、仕事が出来ねえ。

 

 あたしもさやかと同じように、苦笑して見せた。

 

「まあ、そんじゃ伝えといてよ。今日の晩飯はお礼がてら、うめえもん作ってやるってよ」

「ああ、分かったよ」

 

 たんっと肩を飛び降りて、音も無く着地。

 キュウべえはそのまま振り返ることなく、マミの後を追って行った。

 

 見送ったあたしの隣で、さやかが感心した風な声を漏らす。

 

「あいつって、マミさんの事好きだよねえ」

「んー、そうか? まあ、あたし等に接するより、気は使ってるだろうけど」

「そうなの?」

「ほら、マミってメンタル弱いから……でも、魔法少女の勧誘に対して否定的じゃねえから」

 

 インキュベーターは少女を魔法少女にする。

 魔法少女はやがて魔女になる。

 

 そんな残酷なシステムを司るキュウべえには、感情が無い。

 だけど利害観念はある。

 

 あたし等五人の内じゃあ、マミとあたしだけ、キュウべえの考えを理解した。

 当然、何の説明も無く魔法少女にされたことは未だ赦しちゃいないが、『宇宙の為』と言って、必要悪をする事……それは、人間が肉を食うのと、殆んど同じ原理だろう。

 五人で話し合った時、あたしとマミだけは、その考えで納得した。

 さやか達は、『相手が人間だからダメ』と言っていたが、あたしからすりゃ、人間も動物だ。それは区別じゃなくて差別だ。ひえらるきーとやらの頂点に居るからって、何かの糧にされて文句を言うのは、間違っている。

 

 まあ、マミが納得したのは意外ではあるんだけど……多分、あいつはあいつで、キュウべえと敵対したくなかったのだろう。実際、あいつと顔を合わせたがらないさやかから使用済みのグリーフシードを預かって、キュウべえに渡す仲介をしているし。そういうところで、あいつは姉御肌だったりする。

 

「それより、ガッコー行かなくていいの?」

「あ、ヤバっ」

 

 あたしの忠告で、ハッとするさやか。

 すぐにポケットから携帯電話を出して、時間を確認していた。

 

「早く行きな。遅刻の言い訳にされるのは御免だよ」

 

 さあと顔を青ざめさせるさやかに、あたしは吐き捨てるようにして言ってやった。

 するとすぐに二度、三度と頷いて、とても良い笑顔と共に踵を返す。

 

「また放課後に。晩御飯作るの手伝いに行くよー!」

 

 手を振りながら、笑顔で駆けて行くさやか。

 晩御飯ぐらい一人で作れるけれど、あたしは薄く笑って、了解しておいた。

 

 決してほむらのようなレズっ気じゃあないけど、さやかと話していると心が安らぐ。

 傷の舐めあいだと言われるかもしれないが、知ったこっちゃない。人間は群集生物だ。魔法少女も群れを為しても良いだろう……少なくとも、孤独のままじゃ、やっていけない。自己責任という言葉で強がるのは、もうとっくに卒業した。

 

 見送ったあたしはふうと一息。

 すると後ろから誰かが近付いてくる気配を感じた。

 

「なあ、おい……あんこ」

「きょうこだつってんだろ。おっさん」

 

 げんなりしながら振り返る。

 すると、田中のおっさんが、魚みたいな口をしていた。

 

 おっさんは先程さやか達が走り去った方向を指差して、口をぱくぱく。

 怪訝な風に見返せば、おっさんはさも意外そうに聞いてきた。

 

「お前……巴マミの知り合いなのか?」

 

 ああ、恋のティロ・フィナーレにフィナーレされた奴が、ここにも居た。

 

 

 穴掘りの仕事は悪くねえ。

 身体はしんどいけど、やりきれば達成感がある。それに、身体を動かすことで、ストレスも発散出来る。

 昼飯は何処ぞの弁当を用意してくれるし、スポーツドリンクだって飲み放題だ。至れり尽くせりって奴だろう。

 なまじ体力に自信のあるあたしだ。

 もしかしたら天職ってものかもしれない。

 

 今は――別に一緒に暮らしてねえけど――親方の家業を手伝っているっていう建前で、見習い。一六歳になったら、きちんと雇ってくれるそうだ。そうしたら日当は一二〇〇〇円。

 かー、たまんないねえ。

 

 

 今のあたしを昔のあたしが見たら、『うぜぇ』とか、『だせぇ』って言うのかもしれない。

 だけどあたしは満足している。納得している。

 そんな風にぼやく過去の自分を、微笑ましい気持ちで、『まだ子供なんだな』と思うことが出来る。

 

 だってそうだろう?

 ホームレスなんて、何時まで続ける訳にもいかない。

 住所不定、戸籍も安定しないまま、義務教育すらままならない状態で、この先どうやって生きていくのさ。

 そもそも如何に実家とはいえ、廃屋とまで言われていた教会に住み続ける訳にもいかない。いずれは自分で家を借りて、全うな生活を送らなけりゃいけないに決まっている。

 それこそ、自分の責任なんだから、しっかり自立しなけりゃいけない。今でこそ思うが、自立あってこその『自己責任』だ。まともな生活を送れていない奴が、どうやって『責任』を取るのさ。

 

 そうなれば答えは一つ。

 手に職をつけるしかない。

 

 役所の案件ばかりは詳しい人物――マミ――を頼るしかなかったが、仕事に関しちゃ自分で何とか出来ると思った。流石にマミのようにはいかないけれど、探せば事情を理解してくれる所もあるだろう。

 そんな気持ちで探し始めた仕事……だったけれど。

 

『体力に自信があるって言っても……子供じゃないか』

『んー、法律的に無理だねえ。そもそも孤児ってなると、親戚や施設を頼るものじゃないかい?』

『保護者の印鑑がないと、雇えないよ。すまんね』

 

 大半は信用してくれず、仮に理解してくれても、日本の憲法とやらは優しいようで、優しくなかった。未成年は働くのに保護者の印鑑が必要で、そもそも中学生――あたしは学校に行ってないけど――を雇うことも違法らしい。

 結局どこを受けてもダメだった。

 まあ、履歴書すらも用意出来ないんだ。常識も無いんだから、しゃあない。

 冷やかしはいらんって怒鳴られるところが数える程しかなかっただけ、意外だった。

 

 だけども、仕事が決まらないのは困る。

 夕方には途方に暮れて、川で石ころを投げていた。

 

 折角ワルプルギスの夜を撃退したってのに……あんまりだ。

 全てを話したほむら曰く、まどかが魔法少女になっていない事に加え、五人が無事で、尚且つワルプルギスの夜を越えた世界は、天文学的な確率の上にあるらしい。それを踏まえてこんな不幸が待っているとは……神様はよっぽどあたしのことが嫌いらしい。

 

 そんな事を考えていた。

 

 西日が傾いていくのを遠目に見て、遣る瀬無いもどかしさを抱く。

 水面に石を投げて、先の見えない自分の立場を八つ当たりする。

 

 気付けば、時刻も良い頃合。

 もうそろそろ日が沈んで、暗くなってくるだろう。

 

 とすれば、あたしの肩を叩く奴がいた。

 

「おい、嬢ちゃん。子供は家に帰んな」

 

 ハッとして振り返れば、髭面のおっさんがそこに居た。

 肩にタオルをかけて、ランニングでもしていたような姿だった。

 

 途方も無い虚無感に襲われていたあたしは、舌打ちをひとつ。

 

「ほっとけ。他人だろ」

 

 そう返した。

 とすれば、ぐいと肩を引かれて、逸らした顔を無理矢理向き直らされた。

 

 おっさんはにかっと、気持ちの良い笑みを浮かべていた。

 

「家は何処だ。……どれ、おっさんが送っていってやろう。もしも親と喧嘩したんなら、おっさんのハゲ頭を一緒に下げてやろうか?」

「いらねーよ」

 

 変なおっさんだった。

 後で聞いたことだけど、このおっさん(親方)は、子供を亡くしたらしい。それも、自分が叱りつけて、子供が逃げ出した先で、車に轢かれたっていう……後悔してもしきれないような形で。

 そりゃあ、あたしの事を放っておけない訳だ。

 だけど、当時のあたしからすりゃあ、本当に良い迷惑で……。

 

 あたしはしつこく『送っていこう』と言うおっさんに向かって、やがて怒鳴った。

 

「あたしに家なんてねえんだよ! 皆死んじまったんだ! ほっとけつってんだろ!!」

 

 そして、おっさんを突き飛ばす。

 その時、突き飛ばした瞬間に、あたしはハッとした。

 

 目を見開けば、盛大に吹っ飛んでいって……そのまま川にぼちゃんと落っこちるおっさん。

 あたしは激情するあまり、魔力を使ってしまっていた。

 

 やっちまった……。

 まあでも、あのおっさんが悪いし……。

 

 そう思って、舌打ちをひとつ。

 踵を返そうとして……不意に気付く。

 

 川に落ちたおっさん。

 そのケツは水面から出ているのに、ぴくりとも動いてなかった。

 

 おっさんが、浮いてこない。

 

 その事実は、あたしの頬に冷や汗を流させる。

 

「ちょ、ちょい待ってよ。あたし……え? 殺した?」

 

 思わずごくりと喉を鳴らす。

 その間も、おっさんは浮いてこなかった。

 

 ヤバイ。

 これはヤバイ。

 

 さしものあたしも、一般人をこの手にかけた事は無い。

 魔法少女なら何人か殺したかもしれないし、魔女を肥やす為に犠牲を見逃したことはあるけど……一般人を殺すのは、流石に間違っているだろう。犯罪者として逮捕されるのも御免だ。

 

「お、おい! おっさん!」

 

 思わず川へ飛び込んだ。

 服が濡れるのも構わず、自分がぶっ飛ばしたおっさんの下へと急ぐ。

 辿り着いても、おっさんはぴくりと動かなかった。

 

 ごくりと喉を鳴らして、おっさんのズボンを掴む。

 そのまま、何処ぞのゲームのように、引っこ抜いた。

 

 すると……。

 

「げほっ。ごほっ」

 

 盛大に咳き込むおっさん。

 顔中が泥まみれになっていた。

 どうやら顔面が水底についていたらしい。

 

 あたしは思わず深い溜め息を吐いた。

 既に犯罪者ではあるのだが、危うくとんでもない重罪を犯すところだった。

 

「助けてくれてあんがとよ」

「いや……あたしの所為だし」

 

 助けだしたおっさんと肩を並べて、川を望む。

 お互いびしょ濡れの格好で、溜め息を吐いていた。

 

 教会に帰らなきゃ着替えがねえあたしは兎も角。

 さっさと帰って着替えりゃいいのに、何故かおっさんまで膝を抱いていた。

 罰が悪いからとっととどっか行け……とは思うものの、流石に口に出すのは憚られる。それはおっさんが未だに笑っているからか、あたしの虚無感がそうさせるのか、良く分からなかった。

 

「なあ、お前さん」

 

 不意におっさんが話し掛けてくる。

 乱暴な言葉で聞き返せば、おっさんは何処か寂しげな声で問い掛けてきた。

 

「さっき言った家族がいねえってのは、本当か?」

「べっつに。どうだって良いじゃん」

「何でここで黄昏ていたのか……教えてくれたって良いだろう」

 

 如何に実害を被ったからって、図々しいおっさんだ。

 だけど、さしものあたしだって気付く。おっさんはあたしから話を聞くまで帰るつもりが無いんだろうし、そこに悪意もねえんだろう。

 こんな夕暮れ時にランニングしていた様子からして、多分全うに過ごしている人間。それが妬ましいだけで、あたしは自分の身の上を話す事に、何の不快感も持たない。面接じゃあ素直に全部話していたし、面倒臭いだけ。

 まあ、ここに至ってみれば、おっさんに付き纏われることの方が、よっぽど面倒臭い。

 

 あたしは溜め息混じりに首を振った。

 

「何とか他人に迷惑かけねえように生きようと思ってんだけど……あたしゃ神様に嫌われてんだよ。友達と同じ生活は出来そうにねえし、だからと言って、仕事も決まらない。生き辛くって、しょうがないじゃん」

 

 具体的なことをぼやかしながら、あたしは心情を吐露した。

 それは決して、自分を助けて欲しいという訴えではなく。あくまでも愚痴のひとつだった。

 

 すると、おっさんは頷く。

 

「そうかい……嬢ちゃん、飯は?」

「まだ食ってねえ。だけど友達が用意してくれてっから……そろそろ行かねえと」

 

 あたしはそう言って、立ち上がる。

 ここまで言えば、さしものおっさんとて、付き纏ってはこないだろう。

 実際、この後マミが飯を食わせてくれるつってるし、嘘もついてない。

 

 今一度川に突き落としたことだけを詫びると、あたしは踵を返す。

 

「もしも――」

 

 そんな折、おっさんが最後に一言と言わんばかりに、声を上げた。

 いい加減しつこいにも程がある。あたしはげんなりとしながら振り返った。

 

 すると、やはりおっさんはにかっと笑っていた。

 

「もしも仕事が必要なら、明日の朝、この川に来い。きつい仕事だが、簡単な見習いからやらせてやる」

 

 その言葉に、あたしは目を丸くした。

 とてもじゃないが、おっさんは事業主ってやつには見えなかったんだ。

 

 そりゃあ、夕方にランニングしているような奴だけど……さっきまで川でどざえもんしてたんだぜ? いや、まあ、主にあたしの所為だけど……。

 

 しかし、渡りに船とはこの事。

 明日もどうせ飛び込みで面接を受けて回るつもりだったし、朝の一時ぐらいは、騙されたと思っておっさんの口車に乗ってみてもいいかもしんない。

 

「因みにどんな仕事?」

 

 聞いてみれば、おっさんは笑った。

 

「世の為人の為。穴を掘る仕事さ」

 

 

 それから一年ないし。

 ワルプルギスの夜からも一年ぐらい。

 

 あたしはきっと、人並みの幸せを掴み取ったんだろう。

 

 偶には神様も粋な計らいをしてくれる。

 あたしが逃げ出せば手に入らなかった幸運。

 実にあたし向けだ。

 

 

 仕事を終えて、あたしは帰宅する。

 といっても、あたしの家じゃねえけど。

 

 向かったのはあたしからすりゃ立派なマンションの一室。

 預かっている合鍵を使って入れば、そこは家主の趣味が前面に押し出されたような雰囲気だった。

 もう毎日見ているもんだから、改まった感想なんてねえけど……アイドルにしては、質素な暮らしをしているんじゃないだろうか。とはいえ今じゃ都心にも家を持っていて、こっちに帰って来るのは基本的に仕事が無い時だけだが。

 時間に追われるマミの分もグリーフシードを集めてやるのと、この家の現状維持をやってやる代わりに、好きに使って良いと言われている。勝手知ったるあたしは、早速と言わんばかりに上がりこんだ。

 

 帰りにスーパーで買ってきた食材を、可笑しな形のガラステーブルの上に置き、カーペットの上に倒れこむ。

 

「ふぃー。疲れたー」

 

 と、言うのは、様式美ってやつだ。

 大して疲れちゃいない。強いて言うなら、あの後やけにしつこかった田中のおっさんを、ぎっくり腰にしてやる為、何時もよりかは張り切ったぐらい。それでも有り余る体力があるからこそ、魔法少女業と両立出来ているのだから。

 それでも神経は磨り減る。

 不意にズボンのポケットからソウルジェムを取り出せば、深紅の中に僅かな黒が見えた。

 

 まだ、二、三日は持つだろうか。

 グリーフシードのストックも幾つかあるし、問題は無い。

 

 改めれば、それをテーブルの上に置く。

 自分の魂そのものだとはいえ、そう簡単に砕けるものでもないらしいし、扱いは何時も適当だ。とはいえ、流石にぶん投げたりはしないけど。

 

 あたしは短い声を上げながら身体を起こす。

 たった今寝転んだばかりだったが、今日はマミが見滝原にいる。クラスメイトに囲まれているだろうし、帰る時間こそは遅いだろうが……ちゃんと飯を作ってやらなきゃ可哀想だ。

 

 としたところで、インターホンが鳴った。

 ハッとして玄関を改めれば、「やっほー。さやかちゃんでっすよー」と、扉の向こうから間抜けな声が聞こえてきた。

 ああ、そういや今朝、約束してたっけ。

 思い出したあたしは、マミに煩く言われて掛けるようになった鍵を、開けに行く。

 扉を開けば、両手に買い物袋を提げたさやかが居た……ちょ、あたし買い物してきたんだけど。

 

「やあ? 待ったかね。杏子くん」

「待ってねえ」

 

 と、言葉を返す。

 するとさやかは、あたしの言葉なんて気にした風もなく、視線を明後日の方向へ。

 促されるようにして倣えば、視線の先にはブラックとピンクが居た。

 

「ほーら。そこのバカップルも早く来る」

「ば、ばかっぷるって……そんな」

「良いじゃない。否定する程間違ってないわ」

 

 照れたように身を捩るまどか。

 そんな彼女の手を引き寄せて、妖艶な笑みを浮かべる淫乱ほむら。

 

 別に何処でいちゃつこうがそいつの勝手だ。だけど他人からの印象は自己責任ってやつ。

 それを愛しのまどかに強制しているほむらは、割りと自分勝手な奴だと思う。

 ここぞという時に仲間想いな一面はあるけど……ぶっちゃけうぜぇ。

 

 あたしは思わず溜め息を吐いた。

 

「何でほむら達もいんのさ……」

「いやあ、事情を話したら、つい。ね?」

 

 さやかが悪びれなくそう言う。

 

「ご、ごめんね……その、パパには許可貰ってきたから、お手伝いしたいなって」

 

 少しばかり申し訳なさそうに零すまどか。

 ほむらに掴まれていない方の手を胸の前でぎゅっと握っている仕草に、何処か庇護欲と似たものを(くすぐ)られる。

 

 まどかは良い子だ。

 こいつに限っては、単純な善意だろう。

 

「わたしはおまけよ。料理は出来ないから。そのつもりで」

 

 だけどほむら、お前は何の為に来た。

 あたしは飄々とのたまう利己主義代表者に、冷ややかな視線を向けた。

 

「帰れ」

「いやよ」

 

 実に端的な我儘が返って来た。

 理由は……まあ、十中八九まどかが居るからだろう。それ以外の理由は思い浮かばないし、別の理由を挙げられたら逆に怪しい。ほむらはそういう奴だし、だからこそ信用出来る面もある。

 まあ、無理に追い返す必要も無いか……大人数で食卓を囲う方が、マミからしても良いだろう。

 

 あたしは溜め息混じりに中を促した。

 

「って、食材あんじゃん!」

「いや、そりゃあるだろ普通」

 

 ガラステーブルの上に置かれた食料を目にして、さやかは遺憾この上ないと言わんばかりな表情をしていた。

 中を改めて、「じゃがいも、にんじん、玉ねぎ……って、丸被りじゃない!!」と、更なる絶叫。

 どうやら『さやかが来るから』とあたしが気を利かせたのと同じく、さやかもさやかで『大人数だから』と気を利かせたらしい。大人数・イコール・カレーライスの図式は、あたしとさやかじゃなくても被る意見だろう。

 

 あたしは溜め息混じりに首を横に振った。

 

「まあ、あたしもマミもカレー好きだし。良いんじゃね? 二日目のカレーに具材足せる点も、さ」

 

 と、少し哀れに見えるさやかの背中にフォローをかける。

 するとさやかは、がっくりと肩を落とした。

 そんな彼女に向かって、ほむらはまるで見下すように顔を反らしていた。

 

「愚かね。美樹さやか」

「ほむらは黙れ」

「お前は黙っとけ」

「ほむらちゃん。ダメだよ。お手伝いしないのに……」

 

 唐突な大バッシング。

 思わずといった様子で、ほむらは一同から距離を取った。

 そして誰の言葉が一番効いたかは兎も角として、両指を突き合わせて、深く俯いた。……いや、どんなキャラだよ。「ほむぅ……」って、お前は一体何人だ。

 

 流石に可哀想だと思ったのか、まどかが慌てて謝罪して、ほむらの背を撫でる。

 彼女はそれで満足したのか、唇ばっかりは尖らせていたけど、すぐに顔を上げて……まどかに見えない角度でにやにやしていた。うわぁ……。

 

 としたところで、玄関から物音がした。

 ハッとして視線をやれば、今に鍵が開こうとしている。

 どうやら思った以上に早い帰宅のようだ。

 

 扉が開けば、そこに居たマミは目を真ん丸に。

 一同が気が付いて、彼女に各々の言葉で『お帰り』を口にすると、とても嬉しそうに破顔した。

 

「ただいま。皆来てくれたのね」

 

 マミは嬉しそうに笑顔を浮かべる。

 その顔には色濃い疲れが見て取れたが、それでも本心から喜んでいるのだろう。そういう奴だ。

 

 ただまあ、何処か気恥ずかしさもあって、あたしはそっぽを向く。

 

「別に呼んじゃいねえよ。こいつ等が勝手に来ただけさ」

 

 とすれば、マミはくすりと笑った。「はいはい」と返って来る言葉は、まるであたしの心を見透かしたようで。そんなやり取りに目ざとく反応したさやかが、醜悪な笑みを浮かべてくる。

 

「おやぁー? 随分とあっつあつですなぁ?」

「バカッ。ちげえよ。あたしはそこの淫乱ブラックみたいな性癖持ち合わせちゃいねえよ!」

 

 と、あたしはほむらを指差す。

 すると彼女は小首を傾げて、「淫乱? それは心外ね」と、言葉を零す。

 いや、淫乱だろ。

 

「わたしが欲情するのはまどかに対してだけよ」

「ほ、ほむらちゃん!? 何言ってるの!?」

 

 堂々と言い放ったほむらに、流石のまどかも度肝を抜かれたようだ。

 顔を真っ赤にして、珍しく大きな声を上げている姿に、あたしですら嗜虐心が擽られる。

 成る程。ほむらがああして平然と変態染みたことを言うのは、まどかのそういう可愛らしい一面を見たいからかもしれない……その内まどかが慣れるまでの華だな。後には変態のレッテルしか残らねえ。

 

「まあまあ……ところで、今からご飯を作るところかしら?」

 

 拍手ひとつ。

 流石の貫禄で場を収めたマミは、笑顔で問い掛けてくる。

 あたしに代わってさやかが答えれば、まどかが今から作ろうとしていたと補足した。

 

 マミは荷物を降ろして、制服のブレザーを脱ぎ、ポールハンガーに雑に掛ける。

 

「美樹さん、鹿目さん、お家の人には?」

「うちはそういうとこ甘いんで、大丈夫っす」

「大丈夫です。許可貰ってきました」

 

 二人の返事にマミはにっこりと微笑んで了解する。

 まあ、毎度の問答だけど、そういうところに気配りが出来るのはマミの美点だ。

 

「この食材……今日はカレーかい?」

「おう」

「うわっ! いきなり現れんな害獣!」

 

 あたしからすれば慣れたもんだが、何の気配も無く買い物袋に頭を突っ込んでいた白い獣を見て、さやかが今朝と大差ない反応をした。その声に促されるようにして袋から出てきたキュウべえは、さも『やれやれ』と言ったご様子。

 

 とすれば、ジャキリと不吉な音を聞く。

 

「あ、こら! 暁美さん!」

「だ、ダメだよ。ほむらちゃん!」

 

 何時の間にやら拳銃を抜いて、キュウべえに突きつけていたほむら。

 マミが一喝。まどかが腕にしがみついて止めた。

 

「もう! マミさん家壊しちゃダメだよっ!」

 

 と、まどかがほむらを叱る。彼女には敵わないほむらは、「冗談よ」と言って、拳銃を降ろした。

 怒るところはそこだけか? っていうか、ほむらはほむらで、またまどかが見えない角度でにやついてやがる……腕にしがみつかれたからか。絶対狙ってやったな。こいつ。

 

 色々と突っ込みたいところがあるけど……まあいいや。

 あたしは溜め息混じりに、さやかが置いたらしい袋と、あたしが自分で買ってきた袋を取り上げる。そのまま台所に向かおうとすれば、「あっ」と言ってさやかが着いてくる。

 

「手伝うってば!」

「わたしも手伝うよ。マミさんはゆっくりしてて下さい」

 

 まどかの言葉に、マミはお礼をひとつ。

 自分も台所に立つと言わないだけ、自分が多忙な身である自覚をしてくれているようだ。

 以前は家事も含めてきちんとこなしていたが、外でも家でも気を張りっぱなしだと疲れるのか、盛大に体調を崩したことがある。その一件以降、あたしは料理の勉強をする事にしたし、マミもマミで誰かを頼ることを覚えたようだ。

 

 まあ、ワルプルギスの夜の前と後じゃあ、随分と変わっちまった気もするけど、こういう変化を成長って言うんだろう。

 今じゃ玉ねぎを切って泣くことも無くなったし、食材の代わりに指を切っちまうことも無くなった。砂糖と塩、酒とみりんの違いだってばっちりだ。

 教えてくれたさやかやマミが上手だと言ってくれるぐらいには、上達しているんだろうし。あたしだって成長した気がする。

 

「杏子ぉ、ルーどっち使うー?」

 

 あたしが食材を水で洗っていれば、後ろで買い物袋を漁っていたさやかが問い掛けてくる。

 料理はあたしよりさやかやまどかの方がずっと上手だが、この家の主はマミ。そして彼女の好みは二人よりもあたしの方が詳しい。

 あたしはさやかが提示したカレーを一瞥して、その両方を指差した。

 

「混ぜちまえば良いじゃん。マミがカレー作る時はそうしてるぜ?」

「あ、うちのパパもそうしてる。その方が味に深みが出るんだって」

「じゃあさ、蜂蜜とか珈琲も足してみるってのどう? この前テレビでやってたから、入れるタイミングもばっちりだよ」

 

 あたしの返答からどう解釈したのか、二人は凝った味付けにしたいようだ。

 まあ、マミの場合、味よりも思い遣りってやつを大事にしたがるだろう。二人が皆を喜ばせようとすることを、無下に扱う筈もない。

 

 あたしはこくりと頷いた。

 

「オッケー。じゃあそれでいこうぜ」

 

 そうして調理に取り掛かる。

 

 といっても、カレーは数ある料理の内でも、初歩的な料理だ。

 焦がして失敗しまえばとても無残だが、この場に三人も居て失敗する訳が無い。

 まあ、その分奥深い料理ではあるのだろうけど、あたしやさやか達中学生が作れるものなんてたかが知れている。

 

 特別なことなんて何ひとつ無く、それでも何時もよりずっと賑やかに、料理をした。

 それが胸に与える温かさだけが、少し特別だったぐらいだろう。

 

 

 五人と一匹分の「いただきます」が交わされて、出来上がったカレーを食す。

 キュウべえ以外の皆でガラステーブルを囲うこの時が、――態々口にしたりはしないけど――堪らなく微笑ましい。一同を見渡しながら、あたしもカレーを口に運んだ。

 

「あら、すっごく美味しい。一日目のカレーなのに、とろみもちゃんと出てるわ」

 

 何処ぞの評論家みたいな感想を述べるマミ。

 テレビの影響か、はたまた実際にそういう仕事があったのか。

 凄く自然な風に気取る彼女へ、さやかが苦笑する。

 

「なはは、マミさんが普段食べてるものに比べたら、敵わないんじゃないかって心配になりました」

 

 と言う彼女。

 多分何て返されるかは分かっているのだろうし、嫌味でもなければ、単なるお世辞か様式美だろう。

 マミもそう思ったのか、唇を尖らせた。

 

「もう、意地悪言わないでよ。わたしの中じゃ、どんな高級な料理より、皆で囲う食卓の方がずっと楽しいし、美味しく感じるわ。気も張らなくて済むしね?」

「はっ。嫌味に嫌味の応酬かよ」

 

 思わずあたしが横から茶化す。

 無論、どっちの発言も嫌味だとは思っていない。しかしあたしがそう言ってみせれば、マミは「もう、佐倉さんまで」と言って苦笑するし、さやかは「こりゃ一本取られた」なんて言って笑う。

 

 とすれば、丁度マミを囲うさやかとあたしの隣で……。

 

「あ、もう。ほむらちゃん。ちゃんと噛んで食べた? ダメだよ。煮込んでる時間は少ないんだから、喉に詰まっちゃうよ」

「ごめんなさい。ちゃんと噛んで食べるわ」

 

 何をやっているんだろう。

 このバカップルは。

 

 あたしがふと目をやれば、甲斐甲斐しくほむらの世話を焼くまどか。そのまどかからは見えないところでほくそ笑んでいる淫乱ブラック。

 見ているだけでカレーが甘くなる。

 同じく目に留めたさやかも、何処か溜め息混じりだった。

 

 唯一微笑ましげなのは、マミだ。

 

「鹿目さんと暁美さんも、相変わらずね」

「あっ、はい。ごめんなさい。こんな所でも……」

「変わりある訳ないじゃない。わたしとまどかは何時もあつあつよ」

 

 自覚があるらしいまどかと、開き直るほむら。

 ほんと、ワルプルギスの夜以前とはえらい違いだ。

 まあ、それだけまどかを救う事に情熱を注いでいたって事だろう。ワルプルギスの夜を越えてからはその情熱の行き処が無くって、自分のやりたい事を、我慢してきた事を、全力で取り組んでいる……分からないでもない。それこそ、ワルプルギスの夜以前のこいつより、よっぽど生き生きしているとは思うし。

 うぜぇけど。

 

 まあ、まどかが割りと常識ある奴なのが救いか……。

 

「そういえばマミ、杏子、貴女達、仕事はどうなの?」

 

 不意に思い至ったように、ほむらがあたし達へ向き直る。

 思わず「へ?」と問い返せば、マミも予想外と言わんばかりに目を丸くしていた。

 

「いや、どうも何も……相変わらず穴掘りは楽しいけど」

「そう」

「暁美さんがわたし達の事を気にするなんて、珍しいじゃない?」

 

 あたしが言い淀んだことを、はっきりと言うマミ。

 デリカシーに欠けるとか言われそうだけど、それだけ気が置けない仲って事だろう。あたしが言い淀んだのは、こいつとはマミよりも懇意にしているから、逆に言い辛かっただけだ。

 

 とすれば、あたしの気なんざ知ったこっちゃないように、ほむらは長い黒髪を思い切り掻き揚げ――。

 

「もう! お食事中に行儀悪いよ! ほむらちゃん」

 

 と、まどかに怒られていた。

 ハッとしたほむらは俯く。

 いや、だから、「ほむぅ……」って何だよ。

 

 そんなやり取りをした後で、ほむらは溜め息混じりに改まる。

 肩を竦めて、薄らと微笑んでいた。

 

「嫌味とは取らないでね?」

 

 そしてそんな口火の切り方をする。

 スプーンを皿の端っこに置いて、彼女はまどかとさやかを一瞥。

 

「わたしも、まどかも、さやかも……皆家族が居るわ。でも、貴女達は天涯孤独の身」

 

 少しばかり言い辛そうに。

 それでもはっきりと言った。

 確かに、ほむらは一人暮らしをしているものの、親は健在。

 さやかとまどかは言わずもがな。特にまどかの家なんて、羨ましい程の円満家庭だ。

 

 対するあたしとマミは、両親とは既に死別している。

 あたしは親父が教会を破門にされた一件で、親戚とは疎遠だし、マミもマミで、両親の遺産の管理をして貰っているらしいが、その関係は中学生の頃から一人暮らしをしている状態が表す限りだ。

 

 あたしとマミは目線を交わし、頷く。

 嫌味ではないと前置いた理由を察して、ほむらに向き直った。

 彼女はこくりと頷いて続ける。

 

「心配ではあったのよ……。ワルプルギスの夜を越えて、その先。貴女達がどう歩んでいくのか」

 

 そりゃあそうだろう。

 ほむらは同じ時間を何度もやり直した都合上、その実最年長のマミよりも、精神年齢はずっと上の筈。

 不幸な身の上のあたし等の先行きを案じる母性があったとて、何ら可笑しな話じゃ無い。

 

 ほむらは苦笑して、マミに向き直った。

 

「だからまあ、半ば冗談ではあったのだけど……マミにアイドル業を勧めたり、ね?」

「ふふ、そうね。でも、わたしは歌手よ?」

「大差ないわ」

 

 そういえば、マミがアイドルを目指した切っ掛けは、ほむらの助言だった。と、あたしも聞いたことがある。

 初耳だったらしいさやかやまどかは驚いていたが……ほむらは何だかんだ言いつつ、この面子の誰よりも、一人一人を理解している。それこそ、彼女からすれば、この誰もが旧知の仲だろう。

 

 ほむらは続けた。

 

「でも、マミも杏子も……ちゃんと自分の力で生きている。生きようとしている。特に杏子なんて、わたしですら尊敬の念を覚えるわ?」

「そりゃどーも」

 

 滅多に労わない奴が、突然労ってくるんだから、歯が浮きそうだった。

 あたしはそっぽを向いて、唇を尖らせる。

 

 お構いなしにほむらは続けた。

 

「まだまだ人生は長い……魔法少女である以上、何時まで生きていられるかは分からないけど」

 

 続く真面目な言葉に、あたしはほむらを振り返る。

 すると彼女は、まどかにしか見せないような笑顔を浮かべていた。

 

 その美しさに、大人っぽさに、思わず目を奪われる。

 やがて彼女の唇が小さく動いて。

 

「ワルプルギスの夜を越えて、良かったと思うわ」

 

 

 槍を多節棍に切り替えて、横薙ぎに振るう。

 四方八方から跳びかかってきていた使い魔達を蹴散らし、あたしは跳躍する。

 

 巨大な目を模したような魔女に跳びかかれば、その目がカッと光った。

 

 あたしを貫く光線。

 しかし、それは幻影。

 

「おいおい。何処見てんのさ?」

 

 あたしはにやりと笑って、明後日の方向を見ている魔女に、とっておきの一撃をくれてやる。

 巨大化させた槍をぶん投げてやれば、巨大な眼球の中央にぶっ刺さった。再度の跳躍から、その柄を掴み直して、力任せに引き裂く。

 

 奇怪な声を上げて、魔女は消滅した。

 後に残るのは、ちっぽけな宝物。

 魂の種。グリーフシード。

 

 そいつを拾い上げれば、ふと視界の端に留まるものがあった。

 それ――と、言ってはいけないもの。

 でも、もう『それ』と呼称して良いもの。

 

 人であったもの。

 魔法少女であったもの。

 

 まだ、変異してすぐだったのだろう……あたしは目を細めて、同胞のなれの果てへと歩み寄る。

 

 もう変わることはない表情に残る恐怖と絶望。

 その象徴としてか、開きっぱなしになっている目と口。

 とても哀れで、しかし他人事ではない。

 

「……お前の魂、ちゃんと使わせて貰うからさ。一緒に居てやるからさ。安心して逝きな」

 

 腰を降ろし、少女の瞼を閉じてやる。

 唇も同じように閉じてやった。

 

 それだけで、随分と安らかな表情にも見える。

 

 胸の前で十字を切って、両手を組んで祈ってやる。

 どうか、次に生まれてくる時は、奇跡に頼らなくても良い環境に……。

 

 暫くして、あたしは彼女の身体を抱き上げると、崩れ行く結界の出口へと向かった。

 閉じる入り口を背にして、魔法少女の装備を解除。ソウルジェムを介して、さやかに連絡をした。

 

「魔法少女の遺体があった……救急車呼んどいてくれ。場所は――」

 

 

 救いようのない世界。

 残酷で冷酷な世界。

 

 だけどそんな世界には、奇跡も魔法もある。

 

 あたしはそれを信じている。

 信じ続けている。

 

 叶わなくても良い。

 報われなくても良い。

 

 

 それがあたしの贖罪。

 

 赦される時を信じて、生きる。

 生き続ける。

 

 

 これで良いんだろう?

 お父さん、お母さん、モモ。

 

 

 何時かきっと、終わりを迎えるその日まで。

 あたしは目一杯の幸せを掴みとる。

 




読了感謝です。
本当に幸せなあんこを書きたかっただけなので、内容が無くて申し訳無いです。

やさしい世界ではないけれど、その中で人並みな幸せを手に入れて欲しい。
そんな考えがあったので、敢えてハードモードにしました。まあ、その中で奇跡的な出会いがあって、それを尊んで生きていそうだなぁと。

そんな感じの妄想の果てがこれです。
楽しんで頂けたなら幸いです。


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