『こちら開発室! 敵遠征艇の捕捉に成功しました!!』
『でかしたぁ!!』
司令室で忍田と天羽も緊急回線を聞いていた。
天羽は響く歓声に少しだけ気を取られたが、表情は変わらず意識をモニターへ戻す。
今のところ彼だけが知覚できる個性を顕す"色"たちを観ながら、八神の"色"を思い浮かべて天羽はほんの僅かに目を細めた。彼にとって八神は"面倒な色"である。
一見すると八神は天羽の足元にも及ばない雑魚だ。ボーダー組織には彼女程度の"
しかし、それだけならば天羽も"面倒な色"とは言わなかった。
天羽が視る"色"は常に一定ではなく、その時々によって細かな変化を示す。
それは個人の技量という単純な枠に留まらず、その時点のコンディションや武器の相性、環境など様々な要素によって左右されるものだからだ。
されど個人の能力での振り幅などたかが知れている。
大きく変化するのはやはり複数になった時。特にモニターに映るトリオン兵のように計算された連携の取れるチームだ。
戦力の足し算や掛け算という言葉が集団戦にある。加減乗除はその場その場で捉え方が変わってくるため一概には言えないが、天羽の視る色もその要素を併せ持っていた。
加減乗除の例を挙げると、"個+個"はチームだが2人とも違う場所や互いの戦闘へ直接的に干渉しない。"個-個"は簡単に云えば互いの足を引っ張るなど。"個*個"は互いの弱点を補い得意分野をより伸ばし、また互いが在ることで新たな手段を得る。"個/隊"または"隊/個"などはあまり聞かないが、ボーダーの場合はオペレーターによる支援の恩恵、もしくは隊長や司令塔からの指示だろうか。
状況によるものが多いとはいえ、天羽は"色"の変化をそう捉えていた。頭脳戦についてはそういった場になかなか居合わせず、彼自身も興味がないので理解をしていない。
八神の本領は複数戦でこそ発揮されるものだ。
複数戦において八神は誰かと組めばその相手に合わせて"色"を変えていく。そして天羽にしか知り得ない驚くべき事象が発生し、ブーストでもつけたかのように"組んだ相手の色"へ影響を与えるのだ。
勿論ボーダーは部隊を組む為、個人の実力と隊での実力に違いが出ることはどの人間にも当てはまる。隊を率いる立場の隊長も八神と似たような色合いを持ち、中には乗法と除法を使いこなすような部隊も在る。
ただ八神の変化はその中でも極端だった。
天羽は作戦中に観ていた"色"を思い浮かべる。
今回、八神の"色"は大きく変化することはなかった。変わったのは───。
「……」
隣に佇む忍田を横目に見やり、それからすぐに視線をモニターへ戻した。既に見飽きてきたトリオン兵の"色"を満月の瞳に映す。
彼のサイドエフェクトはしっかりと変革を視ていた。
それでも天羽は胸中で「つまんない」と呟いて一蹴した。ほんの少しだけ期待を寄せながら。
一方、天羽の視線が向けられたことを忍田は気づいていた。忍田も朗報を聞いて思わず頬を緩めた1人だったが、指揮官として緊張の糸までは緩めていない。
それでも掴み所が難しい天羽の意図は読めなかったが、状況の確認のためにも、彼にしか判らないことを忍田は尋ねた。
「トリオン兵やエース機に変化はないか?」
「トリオン兵の色は変わらない……あ、色がなくなった」
「なに?」
「エース機のどっちも他の奴らとおんなじ色になった。新しいのは……画面内にはいないよ」
モニターにウロウロと視線を滑らせながら天羽は答えを返す。
「手を引いた、か」
忍田は腕を組み、右手を顎に当てる。
敵は仲間が迅に捕えられたことで不利と見て撤退したのか、それとも撤退と見せかけてまだ策があるのか。
だが想定をしていたとはいえ、相手は易々と本部基地内へ侵入してきた敵なのだ。防衛スロープでの落下トラップに怯んだ様子は最初だけで、後は柔軟に対応してみせた切り替えの早さも侮れない。ラービットが大量投入されることは状況的に鑑みても無いだろうが、風刃との相性は悪くとも隊員を捕らえる機能はそのままの筈。
ここで判断を誤り、作戦の第二段階に影響を及ぼす被害を受けるわけにはいかない。
そこまで忍田が考えたところで、彼は己が前提としているものに思い至って僅かに眉根を寄せた。
作戦は迅と八神が組んだもの。しかしついさっき、彼等は作戦外の行動を起こしたばかりではないか。
何故、何の疑いも持たずに作戦を続行しようと考えたのだ。
「……いや、そうか」
忍田は気づく。
迅と八神は本部へ混乱を齎したが、決して作戦の本筋からは逸脱していないということに。
目的は
第一段階の目的とは『敵遠征艇を捕捉』し、第二段階へ向けた『敵の兵数とトリガーの性能確認』である。加えて戦闘員たちには『敵戦力の消耗・縮小』も目的に課している。
初動は予測通りに進み、内部への侵入を許したものの、もともと予測の一つであったおかげで動揺は少なかった。地上の戦場予測も幾つか無駄となったが、範囲内で納まっている。
また、八神がエース機と対峙した際にも驚きはあっても「八神ならば
忍田は事前会議での記憶を呼び起こす。
会議にて当初からヒュースを餌にすることを八神は提案していた。
説明されたヒュースの役割は、訓練用トリガーを所持したまま敵遠征艇に入ること。
迅の予知と八神がまとめた情報を合わせて順序立てられたそれに、忍田たちは必要性と想定される効果を理解し、きちんと全員が受け入れていた。
「情報源をみすみす敵に渡すのか?」
中にはそういった反論を含んだ疑問の言葉も会議に出てきた。しかし、やはり心得ていたのだろう。
「
「おい迅。捕虜が支部内を自由にしてる、のは流石に玉狛支部は緩すぎるんじゃね?」
「言っておくけど、俺たちだって情報管理は徹底してるよ。それに
自信を露わにして宣言した迅に、誰もが呆れと苦笑を零し、結局は納得した。
思い返せばあの時点ではまだ全員に『迅が言うのならば根拠を訊かずとも大丈夫だろう』という認識が生きていた。だからこそ八神も詳しい説明を省いて話を進めたのかもしれない。迅自身もその流れを当たり前としていた為、今回八神から出し抜かれたようだが。
迅の能力は便利だ。
便利過ぎるが故に、その反面を組織側がきちんと理解していなかった証明だった。
「しかし、そもそもの疑問になるが捕虜は侵攻の際に本当に脱走するのか? それに勘繰られるわけにはいかないから、脱走時は玉狛の隊員が接触してタイミング良く訓練用トリガーを持たせられないだろう。だからと言って訓練用でも日頃から持たせていることは危険だ」
情報の開示不足を東が指摘した。
聡い彼でも材料がなければ組み立てられない。しかし話が進めば、東は自ら解を得ていたはずだ。それでも発言をしたのは、己と場全体の作戦理解を一致させるため。会議を円滑に進めるため。
すると素早く沢村が反応し、己の管轄分を全体へ向けて発する。
彼女もまた、東と同じく組織のために心得ていた。
「最初の質問については私が答えるわ。開発室よりエネドラから『機会があれば帰国を狙っている』『下っ端だが外回りでそこそこ優秀だったヒュースには小細工トリガーがある』と情報を出してきました。生身のトリガー
従属国ならばそう簡単に帰国を望む宗主国の者を拒絶することは出来ず、むしろ恩を売るために動くとエネドラは答えた。ボーダー側もエネドラの言葉を全て信じているわけではないが、少なくとも空閑の立ち会いの元に行われた問答である。
「玉狛としては
迅がさらりと玉狛支部に意図は無いと主張する。
小細工トリガーはエネドラのトリガー角には着いていなかったが、これは兵士の役割や所属する"家"の方針による違いと見解された。
八神は先の補足に頷き、東が口にした問いの後半への答えを続けた。
「"玉狛支部内を捕虜が自由にしている"のを利用します。トリガーの保管場所をわざと把握させ、自発的に訓練用トリガーを持たせます。
「誘導はそれだけでいいのか?」
「相手は遠征部隊に選ばれるくらいのエリートです。あまりやり過ぎると逆にこちらの狙いに気づかれるでしょう。一応挑発はしておきましたから保険はそれくらいで十分と結論しました」
あっさりとした誘導方法に嵐山が首を傾げるが、八神は堅い口調のまま軽く首を横に振った。
その後も会議は続き、ヒュースがボーダー側の情報を敵に譲渡することについても八神は説明する。
ヒュースが玉狛支部で知り得るのはほんの一部であり、支部隊員の情報が敵に渡ったとしても、それは作戦の仕上げとなる第二段階での話だ。作戦の足掛かりである最も重要な第一段階では関係ない。第二段階では逆に情報によって警戒してくれた方が作戦上は都合が良く、たとえヒュースが話さなければそれはそれで良い。何の問題もない、と立案者たちは断言した。
開発室に集ったエンジニアたちが、敵に迎え入れられたヒュースの反応を追って敵遠征艇を見つける。
言葉にすれば簡単だが、エンジニアたちの負担は下手すれば戦闘員たちよりも大きなものだ。
第二次大規模侵攻の際も、エンジニアと中央オペレーターたちが必死に広大な
隊員のキューブ化、敵の侵入による人員の負傷、機材の破壊などで作業は大幅に遅れ、最終的に犠牲の上でアフトクラトルを退けた。
あの時は現場の機転に助けられただけ。人命に関わることだけに、同じ過ちを繰り返すことは許されない。
今回はボーダーの訓練用トリガー反応を追うことで、実質的には難易度が下がっていた。だが、中央オペレーターたちはスパイダーの操作と現場との連携を担っているため、捜索作業はエンジニアに一任されることとなったのだ。
余談であるが、何かしらの要因で敵遠征艇に乗る前に訓練用トリガーを破壊されることを危惧して、衣服にトリガー技術とは関係のない発信機と盗聴器──ボーダー側でオンオフが可能──を仕込んであり、ふとした好奇心でヒュースと陽太郎の会話を聞いた人間が胸をほんわかさせたことはまったくの些末事であろう。
ヒュースが迎え入れられない、という可能性を八神たちの誘導で考えられなかった忍田たちだったが、結局は事が予定通り進んでいるのだから目くじらを立てるほどでもない。
呼び起こした記憶をどれだけ探ろうとも、結論は最初から決まっていた。
忍田は通信を起動し、迷いのない声音で命令を告げる。
「こちら忍田。敵性
『前線指揮の諏訪、了解』
『屋上指揮の当真りょーかい』
臨時で前線部隊の指揮を担っている諏訪と、前線部隊に合流した木崎の代わりに当真が反応する。どちらも余裕を滲ませる声音だ。
忍田はそれに小さく頷くと、今度は中央へ向けて指示を飛ばす。
「中央、第二段階の内容を中央会議室で一度確認する。八神隊員を喚べ」
『了解しました』
『し、しかし、忍田本部長! 八神隊員の作戦をこのまま続けては、先の件もあって危険ではないですか!?』
頼もしい補佐官の返事が届いたと同時に、戸惑いが声音からでも伝わってくる根付の通信が入った。彼の言葉は周囲の混乱を的確に代弁しているだろう。
しかし、既に忍田の中で結論の出ていた問いかけである。
「根付さん、我々は代案の用意をしていない。
そして八神隊員は
屹然とした態度で忍田は続けた。
「混乱を落ち着けるためにも我々こそが本人へ確認すべきだろう。鬼怒田さんは開発室の状況をみてから参加していただきたい」
『わかっとる! 既に大概のものは精査済みだ。10分後には向かえるわい』
開発室総括として本領を発揮し始めた鬼怒田は、挙がってくる数々の報告を捌きながら忍田へ返事を入れた。
「天羽隊員は引き続き監視を。変化があれば沢村補佐官に伝えるんだ」
「うん、了解」
真面目とは言えない軽い返事に、忍田はポンと天羽の頭に手を置いてから、足早に扉へ向かった。
天羽の副作用は原作でまだはっきりと明言されていないので拙作の独自設定です。