このダンジョンに神殺しが居ることは間違っている。 作:みころ(鹿)
・・・
――ダンッ!!
強く左で踏みこむ、間合いを大きく詰めると素早く逃げていた兎とついに肉薄する。
体勢を崩されていた白兎は上体を揺らがせたまま瞳孔を開くと、辛そうな顔のまま何とか腕を胸の前に交差させ防御の姿勢をとった。
だがそれは解り易すぎる、まだ踏み込んだだけの俺は『先ほどのように』拳を引きながら
「ッ!?」
大振りのフェイント、再び石畳が揺れる。
白兎の驚いた顔が見えた、すっかり拳に釣られてしまっていた少年は警戒していたはずの脚を見ていなかった。
右足が内側に回る、踏み込んだ勢いが身体を伝う。
構えていた拳は解かれ、振り向いた上半身に合わせて黒いコートが翻り少年の視界を奪った。
一瞬地平線から昇る日の出が視界に映る、一回転した世界で金色と銀色の中で見た俺は吼えるような気迫と共に左足を――ブン回す。
『ゴズンッ!』
「ぐわぁッ!?」
鈍い音と共に俺の放った回し蹴りは
抉るように迫った
蹴り飛ばした俺は「あ、やべ」と足をおろす、いくら『特訓』と言っても怪我させちゃわけねぇ!と慌てて駆け寄る。
「お、おい大丈夫かベル!?」
「…」
声をかけてみるが返事がない。
うつ伏せに倒れている少年の身体を起こしその顔を覗き込むと白目を剥いて気絶していた。見ればあごには痛々しい痕が残っており…まぁ呼吸は安定している、軽い脳震盪ですんだようだ。
良かったと肩を落とした俺は少年の頭を石床の上に横たえる、暫く寝かせておけば復活するだろう。
(…)
息を漏らした俺は立ち上がる、戦い終えた後の暖かい身体に朝早い外気が心地よい。
ふと外壁の上、遠い日の出に照らされ始めたオラリオが美しく彩を輝かせ始めるのを見下ろし、その感嘆たる光景に微かに目を細めると――
――あれ、そもそもどうしてこうなったんだっけ?と思い出しながら、振り返るのだった。
・・・
時刻はほんの僅か1時間程度だが前に戻る、自宅にて俺は隣に座らせた狼人の少女に朝ご飯を食べさせていた。
「ふぁ…」
欠伸を一つ浮かべながら俺は隣に座らせた少女の口に朝食の粥を運ぶ。
微かに湯気を立てるそれは少し薄味だったが食べやすく、特に咀嚼せずとも少女に食べさせることが出来た。
最後の一口を流し込んだ俺は少女の口かられんげを離す、空になった茶碗の中にカランと投げ入れると隣に座らせた少女を撫でる。
「美味いか?」
「…」
声をかける、しかし変わらず少女の視線が俺に向くことは無い、その紅い瞳は机の上の椀に向けられている。
暖かいご飯が喉を落ちても、指で細い銀髪を梳かれても少女は何の反応も示さない…だが別にそれでも構わなかった。
俺は微笑んで少女の綺麗な銀髪から手を離す、再び出てきた欠伸を噛み殺し机の上の椀を二つ持って立ち上がると、のんびり歩いて台所の流しの中にコトリと椀を置いた。
キュッキュッと蛇口を捻り椀に水を溜めるとついた汚れを落とし始めながら…呟く。
「…名前なぁ」
――少女を拾ってから三日目の朝が来た。
昨日の午後は結局少女の名前を考えているうちに夜が来てしまい、買っておいた食材で夕食を作って寝た。
少女を暖かい寝間着に着替えさせ…おねしょを何とか出来ないものかとトイレでお腹を擦ってあげると弛緩したらしく十秒ほど弱々しいアーチを描いた。
…そして今朝も早く起きた、昨晩させたおかげで今日は冷たい感触で起きずに済んだ。
少女を寝かせたままベッドを抜け出し粥を作った俺は、少女をゆり起こして食べやすさ重視の粥を全て食べさせ今に至る。
(一人で考えるのも無理あんのかなぁ…)
とはいえ昨日からの悩み事…少女の名前、部屋の隅を見ればごみ入れの中には少女の名前候補を書いたくしゃくしゃに丸められたメモが溢れんばかりに入っている。
思いついては書き、納得できずに捨てた結果なのだが…名づけというものは本当に難しい、全然思いつかないというか行き詰っている感覚がした。
いやそれ以前に思い付きで決めるというのもいかがなものか、なんて思い始める始末で結局何も成果をあげられていない。
事件は迷宮入りどころか入り口にすら立っていないような感覚で、小さなため息が漏れた。
俺は椀を洗いながら食卓の椅子に座っている少女に目を向ける、名無しの少女に早く名前を付けてあげたいという思いはあるが…
(だけどテキトーな名前もつけられんしなぁ)
…焦っておろそかな名前にすることもできない、深刻視もしていないが出来る限り早い方が少女の自意識にも良いというだけだ。
とはいえ一人にできる限界というものがあるわけで…躊躇うことも無い、こういうことは誰か慣れている人に手伝って貰うのが良いだろう。
俺はじゃばじゃばと二つの椀を洗いながら名前を考えるのを手伝ってくれそうな人を考える。
…身近で言えば、例えばヘスティア様とか――
ドドドドドドドドドッ!
――ドンドンドンドンドンッ!
「…リョナくぅぅぅぅぅぅん!!いるんだろぉぉぉぉぉぉ!!!」
強く地面を揺らすような足音、突然玄関の引き戸が強く叩かれ始め、同時にその向こうから凄く必死な声が聞こえた。
椀を洗い終えた俺は怪訝な視線をやりつつ水道の蛇口を閉じると、あぁ噂をすればか…と濡れた手を拭きながら玄関に近づき、開けた。
…するとそこには息を切らしたヘスティア様の姿があった。
「おはようございますヘスティア様、何の用ですか?」
「お、おぉ!?おはようリョナ君!それがだな――」
朝っぱらから騒がしい女神を見下ろす、昨日住所は教えていたので特定されていることに疑問は無いのだが…こんな早朝から何の用だろうか?
どこか慌てている様子の暖かそうなコートを羽織ったヘスティアは非常に真剣な表情を浮かべており、玄関から出てきた俺の姿に目を見開くとブルンとその乳を揺らし片手を上げて挨拶する。
そして一度家の中をチラリと覗き込んでくると、怒気を孕んだ目で見上げてきた。
「――ベル君こっちに来てないかい!?」
「は?…あぁー」
そういえば昨日の朝ベル君はいつもより早く、それこそヘスティアが起きるより早く本拠地を出ていた。
その理由は解らないが、つまり今日も早く出たということだろう…そしてふといつもより早く目を覚ましたヘスティアがベル君のいない事に
「えっーと…来てないですけど、どうしたんですか?」
「それが今朝僕が珍しく早く起きたらベル君がいなかったんだ!って来てないだと!?じゃあ君何か知らないか、知ってるだろ、知ってるだろうな!!?」
「いや知らないものは知らないですが…」
「何ィ~使えんッ!…じゃあ主神命令を下す!!」
しゅ、主神命令…?
随分と横暴なもの言いで見事な三段活用を使いこなすヘスティアに唖然としつつ俺は肩を落とす、玄関先でプリプリと何故か俺に怒っている様子の主神様に苦笑を漏らした。
そして偉そうに踏ん反りがえったヘスティア様はビシリィ!と俺の事を指さすと、主神命令(?)を下す。
「いいか?君は今からベル君を探してくるんだッ!そしてもし誰か悪女にたぶらかされていたら…潰せィ!」
「えぇー…」
グッと親指が下に向けられる、全く笑っていないヘスティアの目に俺は呆れを軽く通り越し笑うと開けた引き戸に軽くもたれかかる。
(…まぁ、俺も気になるっちゃ気になるけど…)
あの真面目を絵にかいたような優しい少年が、親から隠れて朝早くこっそりと抜け出す理由、しかも二日連続。
ヘスティアが心配するのもわかるし、何かやましい事でもあるのかなーと気にはなる。
だが…別にわざわざ探してまで知りたいかと言われると否だ、それにあれはあれで男の子だし何かあるにしても邪魔するのははばかられた。
「…うーん」
「むっ、主神命令だぞ!まさか聞けないっていうんじゃないだろうな!?」
「えぇー…まぁ、いいですけど…」
「よろしい!」
とはいえ渋々承諾する、頷くと強引なヘスティア様は子供のようにニッコリと笑って見せた。
やれやれと首を振るとため息をつきもたれかかった引き戸から身体を離す、軽くこきこきと首を曲げ「まぁ追跡は楽か…」と呟くと鼻を鳴らし、ふと気が付いた。
「あ、そういやヘスティア様」
「ん、なんだい?」
首を傾げるヘスティアを尻目に振り返ると、少女の身体を抱き上げいつもの位置に支え直す。
軽い感触を確かめながら石鹸の匂いのするふさふさの頭を抱きよせるとヘスティアの元に戻って少女の事を掲げて見せた。
「実はこの子の事でちょっと相談があるんですけど…」
「あぁー、あれから何か問題かい?初めての子育てなら戸惑うことも多いだろうし…ふふ、その点僕は経験豊富だからな、大船に乗ったつもりで何でも相談してくれよ!」
「いやというか子育て以前の問題でして…名前のことで少し」
「……あ、そっか。まだ決まってなかったんだっけ」
処女神なのに経験豊富とはこれ如何に、という言葉をグッと飲み込んだ俺は困った感情そのままにヘスティアを見つめる。
まぁ名づけの相談先として、俺の狭い知人内でこの
「うーん昨日から考えてはいるんですが全然思いつかなくて、良い名前を付けてあげたいんですが…何かアドバイスないですか?」
「んー名づけかー…そーだなー…」
ヘスティアは腕を組むと俺の腕に座る
垂れた尻尾からくせの強い銀髪、頭の獣耳に視線を上げていき、俺の胸に預けられた無表情な顔を観察し始めた。
『きっかけ』でもいいのだが、アドバイス。
何か考え方でも教えて貰えれば…と期待の目を向ける。
…しかしヘスティアは暫く少女を観察した後、目を逸らすとがっくりとうなだれてしまった。
「…いや、ごめん。よく考えたら僕家庭の神ではあるけど子供の命名に困った親はだいたいヘラとかの方に流れちゃってぶっちゃけ経験が薄いというか…名づけに関してはあんまり力になれないかもしれない…」
「あぁー名声の差ですか?」
「ぐっ…意外と痛いところついてくるね君!」
まぁ確かヘラは結婚の神みたいな風に記憶している、ヘスティア様も家庭と孤児の神であはあるが名前の
…しかし『こっちの世界』では実際どうなのだろう、名声の差は明らかなようだが。
思えば神話体系自体は同じだ。今まで深く考えてこなかったが、俺の世界の神は全員死んでいるはずだというのに、こちらの世界には知っている神話の神々が生きている…平行世界ということなのだろうか?
少し悔し気に、だが開き直ったヘスティアはフンと鼻を鳴らす。
「ふんっ、これから有名になるからいいさ!というか君が親として接していればいつかは必ず思いつくとも、焦らなくて大丈夫!!」
「まぁ…そうなんですけど」
どうやら怒ってしまったらしい、少し不機嫌になったヘスティアが頷くのに俺は眉を顰める…結局アドバイスは無く地道に候補を絞っていくしかないようだ。
一度少女に視線を落とすと紅い瞳でじっと虚空を見つめていた、いろいろと思うことはあるが、焦らずゆっくりと決めよう。
「じゃあベル君のこと、任せたよ!他の相談にはいつでも乗るからな!」
「あいー」
そして背を向け猛牛のように去っていくヘスティアに軽く手を振りながら俺は家の中を振りかえる、一応直剣だけ腰に差すと腕の中の少女に目を向けた。
…置いていくのは不安が残る、今は少しでも目を離すのが怖いしダンジョンに行くでも無いので朝で肌寒いが少女に世界を見せるための散歩感覚と思えば良い。
(まずは本拠地から行ってみるか)
とりあえず目的地を決めた俺は戸締りを終えると少女を片手に朝のダイダロス通りを歩き始めたのだった。
――数十分後、街道に片膝をついた俺は鼻を鳴らしてベル君の匂いを追跡していた。
「こっちか…」
知った匂いの痕跡がついた道を指先で撫でると、どちらの方向に続いているか確認する。
本拠地から出て本来ならダンジョンに向かうはずの匂いはまだくっきりとその痕を残しており…迷宮の入り口があるはずのバベルとは反対方向に向かっている、やはり何かあるということを伺わせた。
一度大きくスンと息を吸った俺は立ち上がる、少女の事を抱え直すと人気のない早朝の道を見渡し匂いの後をまっすぐにつけていった。
まだかすかに仄暗い道を歩くと朝の冷気が皮膚を差す、胸に抱いた少女は寒そうにはしていないが少し赤くなった肌が見えた。
あまり外気に触れないように抱き直すと、軽くその頬を撫でつつ歩いていく。
そして――
「お、ここか?…って、ここは…」
――見上げる、気が付けば俺はオラリオの外壁付近にまで来ていた。
高い石壁、ぐるりとこの町が囲まれているのは知っていたが近くに来るとその巨大さが良く解る。
ここまでやってきたことの無かった俺は数秒圧倒され少し白み始めた空を背景に高い壁を仰ぐと、今一度匂いを嗅いだ。
(ん…?)
ベル君の匂いは確かに外壁上に登るための尖塔のような場所に続いている、だがそれ以外にも何か知っているような匂いがどこか漂っているような気がする。
影の中で首を傾げた俺は、いったいこんなところで何してんだ?と呟くと尖塔に近づき取り付けられた木のドアの蝶番がガチャリと開くのを確認し中に入る。
…暗い塔の中、手すりのついた螺旋階段が続いているのを見て軽くため息を吐いた。
――意外と早く頂上に到着する。
螺旋階段だったのは最初だけで後は斜めに30段ほど登れば頂上の光がすぐに見えた。
少女を両手で抱いた俺は足元に気を付けながら進むと、どこかから金属の触れ合う音を聞きながら外壁上についたのだった。
「…?」
まだ夜明け前の濃く青い空、強く吹く風に鼻先が冷たくなる。
高所、二段飛ばして石床に足を付けた俺はまだ日の当たらないオラリオの街を見下ろし、同じ方向に少女の髪がたなびくのを見送りながらベルの姿を見渡す。
そして――短く踏まれる足音、何かがぶつかり合うような音に振り返ると目を見開いた。
「あ、アイズ!?…とベル君!!?」
たなびく金髪、振りかぶられる青い細剣、しきりに動く赤い瞳と白髪。
見れば白いライトプレートを装備したベル君と、かのレベル6冒険者のアイズ・ヴァレンシュタインが戦っている。
まだ暗い中でアイズの剣が素早く振られ、それがベルの身体かナイフに当たるたび鈍い音を発していた。
(どういう状況だ…?)
朝抜け出した少年が他ファミリアの一級冒険者と人気のない外壁上で戦っている。
…こんな朝早く、女の子に会いに行っていると言えば正しいが戦う為とはこれいかに。
いやそれ以前に襲われ…るような仲でも無いか、戦う理由が見当たらなかった。
(いや…修行ってことなのか…?)
一瞬唖然とそれを見ていた俺だったが、二人の様子を観察すると何となく事情を察する。
そもそもアイズとベル君で殺し合ったところで話にならずに瞬きする間に殺されるだろう、よくよく見るとアイズの剣は鞘がつけられたままだし明らかに手加減しているようだった。
「…」
二人は集中して戦っている、断続的な足捌きが躍るように走り、荒い息がこだまする。
一方的な攻め、アイズは前に進みながら容赦のない剣戟を浴びせかけており、対して既にぼろぼろなベルは守るのに精いっぱいで反撃はおろか時折鋭い一撃を受けては身体を揺らがせ汗を飛ばしていた。
…レベル1とレベル6だったか、圧倒的実力差があるうえでの実戦形式の修業はまぁこういうことになるだろう。
おおかたベルがアイズに頼み込んで朝だけ稽古をつけて貰っているというところか、やましく思ってしまうあたり青春だが。
――まぁつまるところベルはアイズに修行を付けて貰っていたと、非常に健全だがそのままヘスティア様に報告すると角が立ちそうなので、というかそも報告義務はないわけで言わないことにしよう。
一人納得した俺は手を振りながら遠く戦っている少年少女に声をかける。
「おーい」
「…あ、リョナ」
「えッ、リョ、リョナさん!!?」
短い距離を詰めながら声をかけるとアイズの細剣がピタリと正確に止まる、振り返ると汗一つかいていないいつも通りの無表情で俺の事を見上げ、荒い息をつきながらベル君は驚愕の表情を浮かべていた。
…戦いを一度をやめた二人の傍に俺は近づいていく、冷風が強く吹いてくる方向にチラリと目を細めると遠い山の黒い稜線が見えた。
怪我一つないアイズとかすり傷を大量に作ったベルに軽く手を上げながらその合間ぐらいに立つ。
「よぉー二人で修行か?」
「…うん、そんなとこ」
「えっ…あの…!?」
「アイズがベル君に教えてあげてる感じか?」
「う…具体的な事はあんまり…教えるのは得意じゃない…」
「あーだから実戦形式なのか、まぁそれで得られるもんも多いだろ」
「だよね…」
「あの!!」
「「?」」
「…何で、ここに、リョナさんがいるんですか?」
アイズと話していると耐えられなくなったようでベルが声を張る。
…あぁそういえばベルとしてはやましい気持ちが少なからずあるようで、おおかたそれを気にしているのだろう。
少女の事を抱きよせながら俺は外壁の側面に背中を預ける、少女に風があたらないように風上から身体で守れていることを確認すると二人に笑いかけた。
「んー気にすんな、俺はこいつと散歩に来ただけだからな、別に誰かに言うこともねぇよ。…暫く見てても良いよな?」
「…そ、そうなんですか?…僕は別に良いですけど、アイズさんは…」
「…構わない」
「そうかそうか、じゃあ足休めがてらここで暫く見学させてもらうかな…あ、アダルトな予定があるなら帰るけど」
「無いです!」
「…?」
無いらしい、少女に見せる訳にもいかないので安心した俺は外壁の上に腰をおろす。
組んだ足の中に少女を座らせると手持ち無沙汰にその小さな頭の上に掌を置いた。
(少し寒いが…)
まぁ風邪をひくほどのものでもない。
せっかくだし、ベルとアイズの戦っている様子を見ていくのも悪くないだろう…あんまり教育上良くないかもだが、殺し合いというわけでもない。
…視線を上げるとアイズが金色の瞳でこちらを見ている、いや正確には俺の膝に乗った少女を見ているようだった。
「…かわいい」
「お?」
長い銀髪小さなパーツ、白い肌と紅い瞳を見るに…容姿も当社比2倍ほど、
アイズはそういうものに興味がないと思っていたが、流石にそれなりの感性は持っているようだ。
「…」
「ん…」
…アイズのぶれない視線がじっと少女に注がれる、無機質なそれは見られていると少し居心地が悪いくらいで…明らかに少女のことを触りたがっている、ピクリともせずに完全に固まっていた。
まぁこいつも年頃の女だし、少女は可愛いしで触りたがるのも必定か。どこか向けられている目はキラキラとしているように見えるし、軽く居ずまいを正すかのように重心を揺らしては大きく鼻で呼吸しているように感じた。
(まぁ触りたいならいいんだが…)
撫でて壊れるものでもなし、ちょっと怖いが言われれば頭を撫でさせるくらいわけない。
その点アイズは目が物語っているというか、明らかに耳と尻尾を触りたがっているようなのだが…一言も喋らずただ立っている。
(あれなんかデジャブ…)
テコでも動かないこの感じ、こちらが察して何か提案してあげない限りずっと立っていることだろう。
何かアイズに抱かせる理由が欲しい、基本超天然だし自ら理由を思いつくというか提案することがまずない、だが俺がただ抱かせると修行の邪魔をするみたいでベル君に迷惑をかける。
となると…「何か」を探して俺はアイズからベル君に視線を移す、そしてボロボロになった姿と修行という状況に「あ」と、一つ思いついた。
「あーベル君」
「あ、はい、何ですか?」
「いや、アイズとの修業の成果はどうだ?」
「う…正直あんまり実感はなくて…」
確かにあの防戦一方では実感も何もないだろう、レベル6の全力では無いだろうがあの速さを知っておくというだけで経験にはなるのだろうし…反撃への道は遥か遠いだろうが、意識が慣れればいずれ反撃することもできるだろう。
そういって残念気に唇を歪ませるベルに笑いながら俺は座ったばかりだが立ち上がる、アイズに歩いていきながら首を提案した。
「――じゃあ一度俺とやってみないか?」
「…僕とリョナさんが、ですか!?」
「おう、アイズと戦うのも良いが一回同じくらいのステイタスの奴と戦うのも良い経験だと思うしな、今の自分の実力ってのが図りやすいんじゃないか?」
「おぉ…それもそうですね!僕の方からもよろしくお願いします!!」
パッとベル君の顔が明るくなる、とっさの案だったが喜んでくれているようなら何より。
経験になるのは間違いないし、時間の無駄ということにはならないだろう。
「と、いうわけだからちょっとベル君借りるぞアイズ?」
「…え?…そもそもベルは私のものじゃないけど…」
「いやそういう意味で言ったわけじゃないんだが…まぁいいか、それで俺が戦ってるあいだコイツのこと預かってもらえないか?」
「…!」
少女のことを差し出すとアイズの無表情が僅かに変化した、眉が下がると微かに口角が上がる。
…あぁこれ笑っているのだろうか、表情の変化に乏しい彼女だが少女の事を抱きたそうにはしていたしそれなりに嬉しいのだろう。
アイズは少女を両手で受け取ると腕の中の動かない少女を見つめる、軽く抱きしめると笑みを浮かべて頭を撫でた。
「…かわいい」
「はは、そいつは何より…あぁ、だけど怪我させたら承知しないからな?」
「…了解」
頷くと今度はアイズが外壁の手すり壁に寄り掛かり座った、剣姫様は少女に夢中らしく膝の上に乗せた銀色の髪を鼻息荒く弄り始める。
そんな手の離れた娘の様子を微笑み見送りながら俺は先ほどまでアイズの立っていた場所に歩むと、振り返る――ベル君と相対した。
「さてと、ベル君や」
「はい!」
「ちょっとやるか…やらないか?」
「え、なんでそこ言い直したんですか?」
深い意味は無い、と返しつつ、俺は身体を解すためにゆっくりと柔軟しながらベル君を観察する。
全身に白いライトプレート、右手にはヘスティアナイフ、ひどくボロボロで先ほどまで息も絶え絶えだったが、若さか今はもう呼吸も整い元気そうだ。
対して俺は直剣のみ、防具は無いし装備の差は歴然、それに先ほどまで戦っていたのでベル君の身体は暖まっている。
とはいえ最後ステイタスを見た時は確か俺と同じくらいだったはずで、経験と体格の差は圧倒的にある。『
柔軟を終えた俺はブラブラと手首足首回す、一度全身の力を抜くとベル君に笑いかけた。
「…じゃあお互い
「はい!」
ベルが腰を落とす、元気のいい気迫と共に頷くとナイフを構える。
なかなか様になっていると言えた、向けられる視線には僅かではあるが殺気が混ざり我流の構えは上半身をしっかりと守っていた。
前に出る右足が石床を踏み直し、引かれた左足に絞られた弓のような力がこもる。
…闘気は充分、3mほど離れた俺の事を見ながら
「…」
「…」
まるで待ち合わせするがごとく非常に自然体でその場に立った俺は真剣に構えたベル君と、朝風の吹く外壁上にて相対する。
まさに一触即発、冷たい外気が早く流れるのを肌で感じながら乾きそうになる瞳を俺は大きく瞬きした。
――のだが、ベルはナイフを構えたまま「あれ?」と首を傾げる。
構えを一度解くと、解り易い困惑をその目に携えた。
「あの…リョナさん」
「おん、どうした?」
「剣は…抜かないんですか?」
「あ」
そういえば腰に差した直剣を抜いていない、それどころか俺は構えらしい構えを一切取らずに直立していた。
根が優しい少年の事だ、剣を抜いていないどころか構えてすらいない俺を攻撃することは無いだろう。
…別に俺は構わないのだが。
「あー…大丈夫大丈夫、遠慮せずにぶつかってきなさい」
「え…でも…」
「おいおいまさかベル君は背中を向けている敵に挨拶して、剣を抜くのを待ってあげてから攻撃するのか?いやそうじゃなくても、今もし俺が素手のまま殴りにいったらパニクってまともに対応できてないんじゃないか?」
「う、確かにそうかもしれないですね…解りました、今度からは油断しないようにします」
「よろしい、今度から俺の時はそうしなさい」
頷く、さりげなく今度からと言ったが二度目があるのだろうか。
ベルがナイフを構え直す、俺もそれっぽく見えるように軽く両手を上げた。
(怪我はさせられねぇからな…)
首など急所は狙えない、この後があるのだろうし関節なども狙うのは良くない。
まぁそもそも寝技は使う気は無いし、負けるつもりも無いが…戦い方を教えるわけではないし、技術的なことよりも戦うことに意義がある。
…とはいえ経験は俺の方が持っている、『ステイタスが同じ』以上戦闘経験で勝っている俺が負ける道理が無い。
胸を貸すつもりで、体格差と戦闘経験の差のみで戦おう。
一度大きく息を吸い直すと言葉は無いがお互い仕切り直しとする。
瞬きして、先ほどと同じように構えるベルに俺は視線を向けた――
『ダンッッ!!』
「うおおおおおおおおおおおッ!!」
「はッ…!?」
――もう既に目の前に、ナイフが迫っていた。
それは明確な油断だった、純粋な速度で振り切られた疾走はただナイフを突き出すため。
両手で強く握られた短刀はまっすぐに、直線に走って突き出すという単純な動作が俺の胸部を狙っていた。
…白い兎の、本気の表情が見えた。
それは油断である、しかし瞬きの隙間を駆け抜けるに等しい実力があいまって初めて衝ける程の、『短い見落とし』に過ぎなかったはずだ。
(――疾ッ!?)
前と比べるべくもない、これはいくらステイタスによる補正があるにしても成長が早すぎる。
疾風迅雷が如く、予想の遥か上を行く速度に俺の油断は完全に引きはがされた。
短い距離を一瞬で純粋な速度で駆け抜けてきたベルのナイフの軌道を読む。
幸いフェイントも何もない刺突は、全く身体が反応していないことを除けば解り易く避けやすかった。
だがそれ故に脅威――このままでは純粋な速度でもって振り切られ、胸を刺される。
「くッ…!」
「!?」
何とか手を当てる、突き出される手の甲に掌をぶつけ軌道をずらしながら飛びのいた。
脇の下をナイフが通過していく、切っ先がコート端を僅かに掠めながら空を切ると少年の身体が後ろに流れていった。
…数歩距離をとる、すぐ体勢を立て直した少年の敵意に俺は目を見開くと思わず手を前に出していた。
「――待ったァ!…あ、ほんとに待って、さっきあんなこと言ったけど待って」
「ッ!…え?…あぁ、どうしたんですか」
構わず切りかかろうとしてきた少年に再び制止を促す、すると少年は今度こそ止まり不思議そうにナイフをおろした。
その様子に俺は安堵のため息を漏らしつつ…先ほどの『速度』を思い出す。
(やばいな…)
正直思った以上の早さだ、見切れなくは無いが常時あの動きをされるとなるといつまで躱せるか解らない、せめて
…というか前までステイタスにそれほど差はなかったはずなのに、圧倒的な差がついている。確か『
「……」
「…リョナさん?」
「すまん、ベル君――俺、本気じゃなかった」
「え…?」
油断したとはいえ、何て言えない。
ただ俺は少年の事を下に見ていただけだ、見た目通り前と同じ弱い少年だと。
…だが今見せつけられた速さ、敵意、強さは今の俺が手を抜いていい相手じゃない。
だというのに見誤った、それは例え相手が少年でも失礼というものだ…いや認めたくは無いが現状『身体能力で負けている』。
――この少年は今、俺が全力を出さなければならない相手だ。
ステイタスという差を埋めるための「本気」、あまり使いたくは無かったが使わざるを得ない。
袖をまくりながら少年への認識が誤っていたと息をつく。
一度目を閉じた。
ゆっくりと呼吸する、意識を切り替えていく。
全身の筋肉を確認し、一種の瞑想状態に精神を落とした。
それは回路の接続である、普段あまり使わない『それ』をスイッチを入れるがごとく俺自身に繋げていく。
…収納されていたものが出てくる感触がした。
「…?…ッ!?」
目を開ける、ゆっくりと構えをとる。
それは我流に見えた、拳でなく掴むような平に構え、右半身を前に出すような大幅なスタンス。
だが古流でもあった、それは練り上げられた古武道の複合系であり、重厚かつ丁重で一部の隙も感じさせない。
それは…対人に特化させた、人が人を倒すための「武術」であった。
「だからベル君、いや
息が長く吐き出される、真剣なリョナの眼差しが目の前のベルに向けられる。
圧が発せられた。それは武芸者が持つ特有の、殺気というにはあまりに鋭く磨き上げられた技自体が持つ『人を倒してきた歴史』。
向けられた刃のような敵意に、普段のリョナからは想像も出来ないような拳にハッと息を飲んだベルは自然とナイフを構えていた。
「――これからは
「ッ…はい!」
かくしてお互い本気になった俺とベルは向かい合う。
昔取った杵柄、懐かしい感覚を、自分の「武器」を確かめながら…俺はゆっくりと歩み始めたのだった。
・・・
「――え」
リョナのその歩みがベルには全く見えない。
早いわけではなかった、むしろ普段より遅いその数歩ほどはあまりに自然で、敵意は確かにあるはずなのに警戒が出来ない。どこにどう歩いていくかも解らず、歩き始めたのがいつかも解らなかった。
ただの微かな重心の移動、初動を見せない歩法「浮き身」である。
決して地に足着けることなかれ、バランスを崩しながら歩むその様は棒が倒れかかるように、踏ん張るのではなくまるで寄り掛かるように動く。
その上で軸は崩さない、無拍子で動けても次の攻撃につながらなければ意味が無い。
それは極意だ、水の上を滑るように消える「忍術」をリョナは容易く行使する。
純粋速度による縮地とは違う目の前にいても気が付かれない歩み、ゆっくりとベルとの間合いを詰めたリョナは阻まれずに拳を動かす。
そして――強く、踏んだ。
「…フッ」
「!?」
特徴的なのはその震脚、中国武術の中でも屈指の破壊力を持つ「八極拳」。
石床が踏まれる、だが一切の音はたてないそれは微かに石の地面を割ると同時にリョナの拳が動いた。
鋭く短い
――ドンッ!
「ぐっ…!」
それは極めて短い音、腹に響くような一度きりの衝撃。
だが
強い痛みと衝撃にベルは危険を覚えたのか目を細める、極めて単純な近接特化の拳はただ実用効果のみを追求した簡潔な一撃であり、軽い少年の身体を僅かに浮かせていた。
「…!?」
「すー…」
リョナが
間髪入れず呼吸を止めたまま脇を締め、上体の乱れたベルの腹部に腰を回した拳を叩きこむ。
「がっ…はっ…!」
「空手」、追撃で幾分か軽くなったとはいえ鋭い拳が少年の腹を抉った。
腹から強制的に息が吐きだされる、激しい痛みを覚えながらそれが先ほどとは違う流派であること見たベルは驚きつつも身体をよじる。
石で殴られたかのような痛みに歯を食いしばる、追撃を避けるため逃げるように飛びずさって距離をとった。
「…っ…!」
油断なくベルはナイフを構える、殴られた腹部の強烈な痛みに軽く唇を噛んだ。
今の息を吸ってからの拳、先ほどガードを壊された強い踏み込みと同時に放たれた掌底。
警戒すべきは後者、前者が拳銃だとすれば大砲ほどの威力の差。
ズドンと地を揺らすような踏み込みと圧、そして力場によって凝固した空気を貫くように鋭角的に迫ってきた拳。
それが腕に当たった瞬間に弾かれた…いや弾かなければ壊されていた、あんなものマトモに喰らえば意識を剥がされる、腕なぞ容易く折られていたことだろう。
今でも痺れている腕にベルは力を入れ直す。
背中を向けた黒コートの男が重い数歩で振り返り、息を吐きながら構えをとるのを注意深く見て、その足がまだ動いていない事を確認した。
…雰囲気が鋭い、殺気が立ち昇っているとは違う、その目は肉食獣であらず、ただ緩慢に構えているようだが一切の隙を感じさせない。
普段の飄々としているが人を惹きつけるような雰囲気とも、ダンジョン内で時折見せる濃い殺気とも違う…人を遠ざける冷たさというか、針先が向けられているかのような落ち着きのない不安感。
袖をまくったリョナの構えの中に悪寒を見る、それは相対したくない強者の、一切乱れることのない呼吸だった。
「……!」
ベルは再びリョナの足を見る、先ほどの動きと踏み込んでからの突き、少年にとってそれはどちらも脅威たりえた。
否、浮足に関しては対策どころか何が起きたのかさえ理解していない、震脚さえ見れば拳はガードできるがあの消える移動は…!
ベルは赤い瞳をまだ動いていないリョナに向ける、構えをとったまま確かめるようにリョナは拳を開閉しており今まさに跳びかからんばかりの視線をこちらに油断なく見つめている。
対策が出来ない技を相手が持っているのなら、それを使われる前に攻撃してしまえば良い、そのくらいベルも知っていた。
ナイフを握る手に力がこもる、最後の息をスゥと吸い込むと一歩を踏み出す。
ただ初撃のみを考え、拳を引き、前傾姿勢のまま真っ直ぐに走って――
「ッ…やッ!――って、え?」
――懐に飛び込んだベルのナイフが煌めく、斜めに振られたその腕は…『止められる』。
気が付けば後ろに崩れかかっている自分の身体に困惑しながら軽く足を払われたことに気が付く。
リーチの差はあれど短い剣先はリョナの肩に向かった。しかしガシリと目的を果たすことなく振られていた腕は力強く掴まれる、ぐいと身体が引っ張られると今度は反対側に肩を押し出された。
足が乱れる、身体の軸が崩れるとベルは体勢を立て直すためたたらをふんだ。
「柔術」、初歩の技ではあるが『待っていた』リョナによってベルの体幹はやんわりと押され、崩れる。
後ろに倒れるように離れたベルにリョナは歩む――
――ダンッ!
強く左足が踏み込まれた、それは先ほどと同じ強力な震脚。
八極拳、また強烈な拳が来ると警戒したベルは動くリョナの上半身に注視する、腕で先ほど殴られた腹部と胸部を守るように交差させた。
だが――二歩目、更に距離が詰められる。
先ほどより強い衝撃が床を砕くと、右足が内側に回る。コートがはためき視界を覆うと、リョナの身体が見事に回転し…ベルはデジャブを見た。
踵がベルのあごに鋭角的に向かう――回し蹴り、ただの脚の回転によりゴヂンと骨同士が触れ合う鈍い音を鳴らすと、その身体を吹っ飛ばしたのだった。
「ぐわぁッ!?」
「あっ…」
本気の手合わせとはいえ頭はまずい、首はもっとまずい。
構えを解いた俺は走ると、日の出を目尻に感じながら少年の身体を起こしに行った。
・・・
「あー…」
回想終了、そういえばそんな感じだった。
足元で白目を剥いて倒れているベルを見る、思った以上の速さだったが動きは何というか単調で、正直戦闘スキルはあんまり感じなかった…まぁここらへんは経験の差か。
視線を上げれば今もアイズが膝の上に乗せた少女を撫でている、戦闘時間的には短いしまだお楽しみのご様子だった。
頭と耳を撫でられている少女を眺め、微かに暖まり始めてきた身体を揺すりながら俺は自らの拳を見る、久しぶりの動きではあったが…腕は鈍っていないようだ。
(…武術なんて使ったのいつぶりだろ)
『神殺しの家系』の性質上最強であることを望まれた俺は幼いころから世界各国、地上に存在する殆どの武術の真髄を分け隔てなく叩きこまれてきた。
その道の極意と言われるもの、構えから殴り方、蹴り方、様々な攻撃法防御法、おおよそ強いと言われる体術は全て身に着け習得したし、加えて様々な流派の日本剣術や拳銃の扱い方、棒術槍術など多くの武器の扱いと対策法、『人が人を殺す法』を覚えさせられてきた。
幾重もの技、歩き方から呼吸法、その道の到達者を下し得てきた技術を組みあわせ、次の瞬間には全く別の流派に変わる戦い方は名前を持たない、故に無形の闘法、故にどんな状況にも即せる技の集合体、両橋の家に生まれたものが習わされる「武芸」という枝分かれした概念そのものの
それが俺の本来の戦い方だ、例え一つで勝てなくとも様々な武術による手数の多さと両橋の肉体を併せ持ったほぼ最強とも言える複合武術。
答えは無く、決まった勝ち筋も無い、一瞬ごとに変化していく技術の編纂。
(だけどなぁ…面白くはないんだよなぁ)
別に使わない理由こそないのだが、俺はこれをただ何となく今まで忌避してきた。
何というか…これは勝って当たり前の闘法なのだ、素手の相手に銃を使うようなもので、まだ何も考えずに力に任せた拳を振るっている方が楽しい。
毎回一撃で終わる戦闘に感慨など無いように、いつしか自分にセーブをかけるようにして無意識に封印してしまっていたというのが正しかった。
…それに幼少期に強引に詰め込まれたというのも嫌悪感の理由だろう、特に修行が辛かったとかではないのだが、如何せん言いなりになっていた事実が頭に残る。
(まぁそんなこと言ってる場合でも無いか…)
強いことは良いことだ、例え自分自身が面白くなくともタメにはなるわけで…まさかこんな事態を想定したわけではないだろうが、教えさせてくれたことを家に感謝しても良いぐらいなのかもしれない。
武道の開放、あまり乗り気とは言い難いがもし素手で戦わざるえない場合これからは両橋の技術を使っていこう。
とはいえモンスター相手に使える技術でも無いし、使い始めたからと言ってレベル6の戦闘力を手に入れる訳でもない、精々ベルぐらいの実力の冒険者を瞬殺できる程度のものなのだ。
…2tを出すロボットアームと腕相撲をするようなものだ、例え両手になったところで勝てる技術ではないということだった。
(あー…でも流石に西洋剣術とかはやんなかったなー…)
元々アジア圏の武術が多かったというのもあるのだろうが、剣道を習いこそすれまさか異世界に来て西洋剣で戦うことになるとは思わないわけで。
腰に差した直剣を見下ろす、手に入れてからそれなりに使っているので愛着はそれなりにあるが、達人のように扱えるわけでもない。
日本刀のように振るえれば鉄でも斬る自信があるのだが、握りの関係上教わってきた剣術の大半は使えない、基本は同じなのだろうが、どうにも。
…この前町を歩いていたら日本刀を売っている店を見つけたし、いつかは太刀とかも買っていいのかもしれない、そっちの方が強い――その前にぎゅるぎゅる丸だが。
「ん…終わった?」
「おう」
アイズが金色の瞳で見上げてくるのに頷く。
どうやら少女を触り満足しているようで、どこか上機嫌に見えるその顔を見下ろし、膝の上に乗っている少女を見て俺も少し微笑んだ。
「というかすまん、ベル沈めた」
「構わない…いつものこと」
「は、いつものこと?」
「うん…」
いまいち要領を得ないがもしかしてことあるごとに気絶させられているのだろうか。
再び獣耳を指先弄り始めるアイズに苦笑しながら俺は絶賛気絶中のベルをチラリと振り返る…強く生きろ少年、そして気絶させたのはスマン。
「なぁアイズ」
「…ん」
「修行ってことだが、ベルには多分経験が足りんだけだ」
「わかってる」
先ほどのナイフの振り方、走り方動き方、はては呼吸の仕方からして単調すぎる。
今まで我流で戦ってきたと言っていたがあれでは俺じゃなくても少し武術の心得のあるものが相手では絶対勝てないだろう。
「駆け引きが足りない…」
「あー確かに、フェイントとか全然噛ましてこなかったしな…動体視力自体は良いからやり方さえ覚えたらだいぶ違うと思うんだが」
「うん」
俯いたアイズが頷く、癖の強い銀髪を抑えようとしてポンと跳ね返されていた。
為されるがままの少女は前に立った俺のスネ辺りを眺めており、アイズの太ももに軽く手をついていた。
俺は屈むと手を伸ばす、少女の両脇に手を差し込むとアイズの膝から持ち上げ抱きしめる。
少しは暖かいだろう、コートの中に少女の冷えた手を入れてあげるとくるむようにして腕の中に抱いた。
見下ろすと…先ほどと一転非常に残念そうな顔をしたアイズがいた。
もはやここまでくると解り易い、八の字を描いた眉の下から少女の事を見つめているアイズに俺は苦笑交じりに手を伸ばす。
「また撫でさせてやるからそんな顔すんな」
「…!」
パッと明るくなる、というには表情の変化が乏しすぎるが微笑を浮かべたアイズは俺の手を取る。
驚くほど軽すぎる身体を引き上げると、金髪が揺らぎ、すっくと鎧姿の美少女は立った。
目の前に一級冒険者が立つ、先ほどまで幼子を可愛がっていた十代の女の子は華やかな微笑みを浮かべており、とても自分より強いとは思えない…というかだいぶ感覚がマヒしてるがこう見るとただの十代の女の子なんだよなぁ…。
「それで、今の戦いのことなんだけど…えっと、リョナの戦い方見たことない」
視線をおろすと真面目な表情になっている、というか少女にお熱で手合わせの事など見ていないと思っていたが案外しっかり見ていたらしい。
(まぁ
そしてその反応を見るにやはりこちらには少なくとも東洋の武術は伝わっていないようだ、初めて見る戦い方にアイズは興味津々を地に真剣な眼差しを俺に向けていた。
…とはいえ、どう説明したものか。
「んー…」
「教えて」
要求は端的だった。
しかし今見せただけでも浮足、八極拳と空手、柔術。別に隠す必要も無いのだが、この場合の教えては理論の説明ではなく習得を指しているわけで…ぶっちゃけ指導となると面倒くさい、特に相手が超の付く天然の場合もっと面倒くさい。
「ぜったい、教えて」
…逃れられないらしい。
ため息を薄く吐いた俺は剣姫に武道を教えるため、少女をベルの上に乗せるのだった。
・・・
「おーい」
活気の満ちてきたバベル前の噴水広場にやけに大きなバックパックを発見する。
手を振った俺は喧噪に消されないように声を張りながら近づいていくと、深くフードを被ったやけに小さなシルエットが振り返った。
「よっ」
「…おはようございます、リョナさん」
影に隠れるように立っていたリリが少し不機嫌な表情でぺこりと頭を下げる。
少女を小脇に抱えた俺は人の流れから抜け出すと、リリのいる人の目が通り辛い木陰を見渡し…軽く崩れかけている塀に腰をおろした、こうしないと目線があわないのである。
「まず端的に用件を伝えようと思う」
「はい」
「ベルが、遅刻している」
「でしょうね」
栗色の瞳は解り易く怒っている。
…結局あの後ベルが起き、何ですかあの動き!?と詰め寄られ、アイズとベルに武道のなんたるやを小一時間程教えることになったのだが、ベル君はどうやら気絶した影響でリリとの待ち合わせがあったことを頭の中からスポーンと忘れてしまっていたらしい。
やはりベル君か、と思いつつも俺が気絶させてしまった手前、大幅な遅刻の尻拭いに先に一人外壁を降りてここまで走って来た次第だったのだった。
「…ちなみに、理由をお聞きしても?」
「寝坊だ」
「…新居にお住まいのはずのリョナさんが、ベル様の寝起き事情に精通しておいでなのですね」
「お」
どうやらアイズとの修行はベルにとって秘密らしいし、誤魔化してあげようと思ったのだが意外と鋭い。
お怒りのご様子のリリの瞳がキラリと…というか獰猛な小動物の様相を呈して俺の事を睨みつけている、別に俺は悪くないのになぁ。
「実は寝ぼけて歩き回ったり俺と修行したりしているが何の問題も無い、寝坊だ」
「!」
実際のところ昨日はアイズと二人きりだったろうし、今日も終わりの小一時間だけ修行しただけなのだが嘘は付いていない。
俺の説明にリリは、なるほどだから昨日はあんなにボロボロで…と相変わらず不機嫌ながらも事情を察してくれたらしい。
「…解りました、許します」
「おう、それは何より」
ぜひ本人に言ってもらいたいものだが。
初めて微かに笑ったリリに肩を落とす、少女を抱え直そうと指三本ほどを小脇に入れると持ち上げた。
「よいしょっと」
軽い身体をひょいと持ち上げるとコートの中に入っていた銀髪がバサリと勢いよく解放される、言うなればカンガルーみたいなものだ。
それはさながら髪が溢れ出てくるようなもので、角度によっては服の中から少女を取り出すかの如く恐怖映像になりかねない。
「…そ、その子は…!?」
少なくともリリにはそのように見えたらしい、いや例え誰でも人の胸部から少女が溢れたら驚いてしかるべきだ。
…それが初見ならなおの事、そういえばリリには少女の事を紹介したことが無かった。
「娘だ」
「…」
「ん、新鮮なリアクションはよ」
「…すいません、声が出ません」
フードの下で目をクリクリと見開くリリはしっかり驚いているらしい、俺の膝上に座った可愛らしい少女を観察したまま固まっていた。
…そして渋いというか、だいぶ強めに眉を顰め困惑した目で俺を見上げる。
「…ええと」
「ところでリリよ、ベルはもうすぐ到着するはずだ。今頃こっちに走りながらどう謝ったものか必死に考えているに違いない」
「……聞かれたくない、ということでよろしいですか?」
「具体的に言うとそうなる…いや、別にお前だったら良いのか?いささか事情がこみ入っていて説明が面倒くさいんだが」
とはいえ言いふらすものでもないとも思う、ヘスティア様には説明せざるを得ないが憐みの視線を向けられて欲しいわけでもないのだから。
その点娘という説明は前提であり、これからの少女の行く末を考えるとそれ以外考える必要がない。
目を伏せたリリは少し考える、抜け目ない思考の末にリリは首を振る。
「…いえ、教えていただかなくて結構です」
「おう」
賢明な子だ、賢明にならなくてはならなかった子だ。
膝上少女の頭を撫でながら表から顔を隠すためにフードを深く被っているリリに目を向ける、変身魔法なるものに加えあの騒動で死んだと思われているからまず追手は無いと説明されたが念には念を、追跡対策にちゃんと
…とはいえ、呆れたような表情はどこか明るい。お互い詳しい過去は知らないがここまで明るい表情が出来るのなら及第点なのではなかろうか。
「ですがリョナさんは凄いというかお忙しいかたですね。おかしな魔法を使ったり、数日ぶりにあったと思えば娘さんを連れていたり」
「まぁな」
こちらの世界に来てからと言うべきか。
そういう意味で昨日の午後は随分と久しぶりにゆっくりできた気がする、特段肉体が疲れているとかは無いのだが流石に色々と立て込んでいたせいで結構安らげた。
「…でもお前も大変じゃないか?あれから大丈夫か?」
「えぇ、おかげさまでベル様のサポーターを続けられています。追手もないようですし、このまま姿を隠していれば忘れ去られることでしょうね」
「そうか、それは良かった」
軽く笑う、するとリリは少し不思議そうに少女を撫でる俺を眺めてきた。
ヘスティアファミリアに入っていないらしいリリは本拠地に住んでいない、ベルとはほぼ毎日会っているらしいが無力な彼女が別居しているのは不安ではある。
(まぁ別にそれは良いんだが…)
寄宿先であるノームの質屋というのがダイダロス通りで俺の家から存外近い、最悪こちらに逃げ込んでくることも可能だろうし駆けつけることも出来る訳で…何か遠慮して別居しているのはあまり合理的では無いが構わない、居住スペースの狭さってこともあるのだろうが事件手前居づらいだろう。
しかしあえて文句、というか解せない点があるとすれば…それは「持ち物」の方だった。
「だけどなぁ、やっぱりこれだけでも持っておいた方が良いと思うんだが」
コートをまくった俺は腰ベルトに差しっぱなしになっている短剣を鞘ごと外す。
赤い綺麗な装飾をした鞘を確かめ、宝石のあしらわれた柄をリリの方に差し出すと首を傾げた。
短いそれを見たリリは癖なのだろう軽くバックパックを指でかけ直す、フルフルと首を振ると無理に軽くはにかんだ。
「…それは、盗品ですから」
「ん、お前の気持ちは解らんでもないが…これ強いんだろ?使い捨てっつっても、もしもの時のために持っておいた方が良いんじゃないか?」
――魔剣。
元々リリの持ち物だった魔剣を鞘から引き抜くと空にかざす。
薄いガラス細工のような刀身は赤黒く太陽光を透過させており、キラキラと輝くその様は霊験あらたかな儀礼剣を思わせた。薄氷のように割れてしまいそうなそれは空気に触れさせておくには怖い、鞘にあてがうと音もなく元に戻った。
しかし芸術品のようなこれも、振るえば海さえ焦がすと言われた魔剣…の短刀であるらしく、その破壊力は使い捨てだが一振りだけで劣勢を覆せるなんて話を聞いた。
見た目はただの綺麗な短刀、魔法の力なぞ感じることのできない俺にしてはただそれだけのものであり、正しい使い方を知っているリリに持たせた方が安心だし効率的でもある…のだがリリは受け取ってくれない、言い分も心情も解りはするが…。
「いえ、それでもリョナさんが持っておいてください。リリにはベル様がいますし」
「いや、そうは言うが正直俺が持ってても使い道がないし、そもそも暫くダンジョンに行く予定も無くてだな…やっぱりお前が持ってた方が」
「いえいえ」
「いやいや」
オラリオ広しと言えど、魔剣の押し付け合いという光景はなかなか珍しいのではなかろうか。
人目のない木陰でリリと俺はお互いに魔剣を譲り合う、いっそのこと換金して折半したぐらいの方が後腐れ無いのかもしれない。
(うーん案外強情だな…)
暫く渡そうと試みるが全くこれっぽちも動じない…まったく誰に影響されたのか、あるいは自分に素直になったからか。
流石にここまで断られるとこれ以上推し進めるのも何だか気が引ける、仕方ないとため息を吐いた。
「解った解った、俺が預かっておくから」
「それは リョナさんの ものです !!」
「お前せっかく俺が譲渡をだな!…あーもういい解った、じゃあこれは俺のもんだ。後で言っても返さんからな!?」
「はい♪」
嬉しそうに笑うリリ、座ったまま肩を落として魔剣をベルトに戻す俺…事実上の敗北である。
(まぁ持っててもいいか…)
多分持っていても存在を忘れると思うのだが、忘れたまま使う事もなく無駄に一生を終えると思うのだが。
…とはいえリリが楽しそうでなによりである、自然な笑みを浮かべた小人族の少女を見ながら俺は軽い息を吐き出す。
良いんじゃなかろうか、笑えれば。過去のしがらみに真っ向から立ち向かう必要もない、今の彼女に気負う事など今はないだろう。
――ふと小さい彼女の事を見ていると、聞きたいことがあったのを思い出した。
「あ、そういやお前を見込んで聞きたいことがあったんだった」
「私に、ですか?」
「うむ、実はぎゅるぎゅる丸の事なんだが…補修用の素材を売ってる店かなんか知らないか?」
こちらぎゅるぎゅる丸、最新素材をふんだんに使った贅沢な一品となっております。
…高望みはしない、カーボンファイバーみたいなものなどはないわけだし、型落ちでも何か代替になる素材を使うしかない。
そしてこのリリルカ・アーデさんはこの町に詳しいらしい、完全に丸投げなのだが鉄くずか何かを売っている店を教えて貰えないかと思った次第だった。
「素材ですか…」
「おう、鉄素材を溶かして色々試そうと思っているわけなんだが」
「なるほど」
リリは頷くと頭を捻る、どうやら候補は幾つか上がるらしい。
…理想は合金、こちらにも様々な鉄素材があるようだし型から作ることを考えると量も必要になってくる。
とりあえず素材の特性を見るために品ぞろえの多い店が良いのだが…知っているだろうか?
「…安い方がよろしいですよね?」
「ん、まぁな」
手持ちはそれなりにある(はずだ)が、安いにこしたことはない。
キラリと光ったようなリリの眼に肩を竦めた俺は頷く、何だかまた黒い事を考えているようだ。
「でしたらオススメの店が、全品格安ですし時折アダマンタイトさえ安い値で流れていることもあるんです!少しだけ治安が悪いところにはあるんですが、リョナさんなら――」
「――あ、それはダメだ。コイツを連れてけない」
「…そ、それもそうですね、すいません」
少女を掲げるとリリは「あっ」と目を見開き慌てて頭を下げる。
家に置いていくわけにもいかないだろう、いや数時間ほどなら寝かせておいて問題ないだろうが、この後冷やかしに行くつもりなのでいちいち戻るのも面倒くさい。
「だから出来る限り品ぞろえが多くて安心安全なデパートみたいな場所が良い」
「でぱーと?…というのはリリには解りませんが、でしたら良いお店があります」
「ほう」
鉄素材を売っているデパートなぞあるのだろうか、ってそういうことではなく。
普通に微笑むリリはチラリと少女の事を見つつ俺のことをまっすぐ見上げてくる、そして広場を見渡し方向を確認すると一方を指さした。
「『マーニファミリア』という大手商業系ファミリアの店舗なのですが、品ぞろえも豊富ですし
・・・
「いらっしゃいませー!」
「おおぅ…」
リリに教えられたとおりに進むと、といっても街道をまっすぐ歩いてきただけなのだがいかにも盛況そうな店が目に入った。
この町の規格の中で間違いなく最大のその店構えは三階建ての邸宅、質素な木造の外観は白く清潔で入り口もこれまた広かった。
(…うわ広っ!?)
そして店内も広い、陳列された商品は棚毎に綺麗に種別に並べられ、解り易い商品の配置は気持ちいいまでの開放感を感じさせた。
真ん中には巨大なレジがあり、受付に立った店員の女の子たちが大勢いる客を次々と捌いては笑顔で頭を下げている。
明るい居心地の良ささえ感じさせる店内、豊富な品ぞろえに愛想の良い店員たち。
マーニファミリアというのは大手商業系だと聞いたが、なるほど良い店を持っているようだ。
(オラリオでこんな光景を見るとはな…)
それにこの広さでここまで賑わっている店をオラリオで見たことが無い、客層も冒険者から一般人と様々だが見渡す限り店内の至る所を闊歩している。
静かな喧噪が軽く響き、朝だというのに盛況ぶりを伺わせた。
店の入り口で圧倒されていた俺は大きく吸っていた息を吐きだす、勢いよく挨拶をしてきた店員の女の子の可愛らしい制服をチラリと見た後歩き出した。
「少し見て回るか…」
せっかくだから素材探しついでに品揃えを見てみる、棚と棚の間に入ると歩きながら商品を見て広い店内をまわり始めた。
一つの棚に入る…ここはポーションなどを売っている棚らしい、綺麗な瓶の中には様々な薬品が入っており、かなりお手頃価格で販売されている。
(なるほど、だから冒険者も来るのか)
うちは目の前に薬屋があるが、普通の冒険者はこういうところに買いに来るのだろうか。
この時間帯は「あ、やべポーション足りねぇ!」系冒険者で溢れるだろうし、この時間の賑やかさも頷ける。
それに匂い袋のような便利グッズから、一般家庭が使うような石鹸なども売っており…本当にデパート感覚だ、系統ごとに様々な客層が買い物を楽しんでいるようだった。
…ふと棚を見送っていくとひと際輝くような商品を見つけた。
「…え、エリクサァー…!」
とんでもない数の丸が書かれた値札と共に緑色の液体が入った瓶が数個ほど置かれている。
圧倒的存在感(と金額)に押しつぶされそうになった俺は瞬きを数度すると、じっくりと観察してみる。
(現物は初めて見たな…万能薬だったか)
というか現物が置かれている状況、緑色の綺麗な液体はどこかメロンソーダを思わせ少し美味しそうだ…ではなく、こんな馬鹿みたいに高額の商品を良くそのまま置いてあるものだ、それだけ余裕があるということか。
あるいは万引き対策が完璧だとか…もしかするとここだけ重点的に監視されているとか、そう考えると居心地が悪い。
「ほ、他は…」
止めていた足を動かし始める、棚を抜けると鉄素材を探しながら賑やかな店内を歩き始めた。
…様々な目新しい商品が目に留まる度足を止めては見る、これが中々に楽しい。
少女を抱えながら様々な日用品やダンジョン用品、果ては魔法の道具のようなものが売られ、時折手にとっては目新しさに声を漏らしていた。
(――っと、そろそろ探さないとな)
なんて暫くショッピングを純粋に楽しんでしまっていたが、素材探しを忘れかけていた。
本来の目的を思い出した俺は軽く背伸びがちに店内を見渡す、そういえばかなり歩き回ったが目当ての物は見ていなかった。
「…」
な――…いような気がする。
如何せん店内が広いし人も多い、どこに何があるか解り易い棚の配置ではあるが、初見で攻略しきるのは目でも鼻でも難しい。
(…聞いた方が早いか)
よっぽど店員の方が見つけやすい、一番最初に視界に入った陳列作業をしていた制服姿の店員に近づいていく。
「ちょっと聞きたいんだが」
「あ、はい!」
声をかけると兎人の店員が慌てて立ち上がる。
綺麗な紫色の髪をした兎耳の女の子は補充用の商品を入れていた箱を一度置くと、良く練習されている可愛らしい営業スマイルを見せた。
「何でしょう?」
「あー…曖昧で悪いんだが、鉄素材みたいなものを売ってる場所ってあるか?」
「――そういうことでしたら、二階へどうぞ!」
店員は笑顔で店の一角を指し示す。
割と入り口の方に近いその場所には巨大な階段があり…灯台下暗しというほどでは無かったのだが、気が付かなかった。
「また何かございましたらお申しつけください!」
「おう、仕事邪魔して悪かったな」
軽く店員さんに会釈した俺は二階への階段に歩き始める、そこだけ人の少ないように感じる店内を通りながら重厚感のある階段の一歩目に足をかけた。
短い折り返しの階段を登りきると、そこもまた広いフロアが広がっていた。
(…あぁ、三階建てだったしな)
つまり一階が雑貨、二階で素材や武具を売っているということなのだろう。
見れば広いスペース、一階に比べて賑わいは少ない。相変わらず見通しのいい配置だが棚というよりか机の方が多く、その上には質の良さそうな剣や盾、様々な色や形をした素材…らしきもの達が乗っていた。
…半々というところだろうか、右側は剣や防具の置かれたショーウインドーの多いスペース、左側は少し雑多に素材や道具などが売られているらしい。
「…」
流石に朝からこちらに来ている客は少ないようだ、一階の盛況っぷりに比べるともはやがらんどうのように見える店内には作務衣の客が数人いるだけで…売っているものからして、人を選ぶ。
武器や素材しか扱われていないのならば鍛冶師や冒険者しか来ないだろうし、時間帯関係なく一般の客は少ないのだろう。
とはいえ品ぞろえ豊富な店内を歩く、足下から俺は一階の喧騒を感じながら、何故か色々な臭いをさせている素材棚の方に釣られるように歩き始めた。
「おぉ…?」
ここはモンスターのドロップアイテムを売っている場所らしい…っとどこか見覚えのある黒い皮のようなものが机の上の一番目立つ場所に置いてあった。
触れてみるとザラザラとした質感のそれはどこか皮膚のようであり、気のせいだろうか、値札にはゴライアスと書いてある気がする。
(あんな化け物の身体を素材として売ってんのか…確かに加工したら硬いがなんだかなー…)
かつて相対した黒い巨人の姿が頭をよぎる、攻撃を当てすぐに逃げてしまったがぎゅるぎゅる丸を表皮で弾かれたことは覚えている。
カウント1000を超えた今の状況なら倒せるかもしれないが…いや、そういうことではなく一部とはいえあんな化け物が売買されていること自体が少し驚きというか、人間の欲って凄いなとしみじみ実感する。
「こっちはキラーアントの牙か、こう改めて見ると新鮮だな…」
モンスター素材棚、その隣には棘棘としたフォルムの牙が置かれている。
時折コートの端に引っかかってうっとおしいとは思っていたが予想以上に派手な返しの付いた牙は鋭く、それ以外の場所を撫でると非常に虫らしいツルツルとした感触が指で触れた。
(あー面白いなー…ってこれじゃただの二の舞か)
普段相手取っているモンスターたちの素材に少し少年心を躍らせかけたが大量にあるそれらを見ていっては時間が足りない、まずは鉄素材を見ようと決めたはずだ。
再び店員に聞こうと俺は周囲を見渡す――するとそこには何か布で覆われた箱を運んでいる体格の良い制服姿の男がいた。
「ちょっと聞きたいんだが」
「ん?」
何か運搬中だったらしいスキンヘッドの男は足を止める、振り返りながらチラリと手に持った箱を見下ろすと、その強面には似合わないニコニコした営業スマイルで俺の方を向いた。
…筋骨隆々な身体に肩だしエプロンがけっこう様になっている、身体の傷跡が少し威圧感を与えるがどこかその雰囲気は柔和に感じた。
「おはようございますお客様!如何されッ…まし…た…か……?」
――のだがしかし、振り帰り俺を見た瞬間に言葉が詰まる。
一瞬愕然と目を見開き持っていた箱を取り落としかけるが、何とか取り繕うように持ち直しぎこちない笑みを浮かべた。
冷汗が額を垂れ、素早く上唇を舐めるとごくりと喉が上下するのが見えた。
具合でも悪いのだろうか、急に顔色が悪くなったが…とりあえず無視して喋ってみることにする。
「実は鍛冶を試そうとしていてだな、その素材を探しているんだが…この店は鉄か何か売ってないのか?」
「ッ!…あっ…その、少々お待ちを…!!」
「ん?…まぁ構わないが」
男は慌てて走り去っていく、手の中の箱が揺れるとかかっていた布がずれ…「鉄格子」のようなものが見えた。
(んー…トイレかな?)
なるほど急な腹痛が来たと考えると納得できる、そういえば学生時代ボコした不良が俺に会うたびあんな顔をしていたが…『面識』はないはずだし、それ以外あの動揺に説明がつかないのではなかろうか。
男が走り去った方向を見送る、そこにも上に続く階段があり…封鎖されていた、エプロン姿の男は張られていたロープを超えるとライトの付いていない暗闇に消えていった。
…どうやら三階は売り場じゃないらしい、あの様子を見るに倉庫かスタッフルームか。
「…」
しかし待てとはこれいかに、なぜ俺がアイツのトイレが終わるまで待たなければならないのだろうか。
他の店員を探しても良いのだろうが…待てと言われれば暫く時間潰し出来るくらいには周りには面白い商品がたくさんある。
一度少女を抱え直した俺はそこらにあるモンスターの身体の一部を見ていく、まだ見ぬモンスターの身体を一部とはいえ見るのは軽いネタバレ感があるが…元々の姿に想い馳せるのもそれはそれで面白かった。
「…ッ…あいつ…も……かして…ここが…!!?」
「……馬鹿な!…だろうな!!」
ふと天井から言い争うような声が聞こえた。
見上げると天井は軽くギシギシと揺れており、途切れ途切れだが片方はさっきの男の声のような気がする。
(…?)
何かきな臭い、嫌な予感というか…いや、物理的にどこかで嗅いだことのあるような。
それはダンジョンの匂いだ、正確にはモンスターの臭いだ。血と混ざった獣の汚臭があの三階からしている…気がする。
一度鼻を鳴らした俺は少女の頭を胸にぎゅっと抱く、ライトのついていない会談への暗闇を見つめると――
「…こっちか?」
「はい、こちらです!」
――階段をおりてきた二人組の男を見る。
片方は先ほどのエプロン男、慌てて階段を駆け下りると張ってあったロープをいそいそと外し…後から来た非常に肥えた男が通りやすいようにする。
深い緑色の貴族服のようなジャケット、皺一つない白いパンツ。
撫でつけられた金髪の先は不機嫌に揺れ、緩慢そうな顔には小さな碧い瞳とちょび髭が乗っていた。
はちきれんばかりの腹の下には短い脚がつき、年齢感としては四十代だろうか、不快感は無いがいかにも高慢そうな見た目をしていた。
(う…)
そしてここからでも解るほどのキツイ香水、どこか鼻に詰まるような臭いは思わずくらりとくるほどで思わず顔をしかめた。
「こちらです、ガル様」
「…!」
しかしこちらに来るようだ、エプロン男の随分とへりくだった案内でその顎の垂れた偉そうな男はこちらに歩いてくる。
指し示された方向にいる俺の姿を見ると軽く眉を上げ、すぐさま自然な笑顔を見せると早足でこちらにやってきた。
「…おはようございます、お客様!私この店のオーナーをしておりますヒューキ・ガルと申します、以後お見知りおきを!」
「お、おう…」
身長が低いヒューキ・ガルと名乗る男は厚ぼったい手を差し出してくる、きつすぎる匂いに辟易しながら俺は一応その手をとると握手をかわした。
(ってオーナー?)
何故そんな人物が出てきたのだろうか、ヒューキ・ガルの後ろでニコニコとした笑顔を浮かべているエプロン男にチラリと視線を向けるが何も解らない。
手を離す、少し湿っていた。
営業スマイルを浮かべるヒューキ・ガルは細めた目で俺の全身を一度じっくりと見る…まぁこの世界では珍しい恰好なのでなれてはいるが。
…そして軽く首を傾げると尋ねてくる。
「――それで、今日は、どういった御用で?」
「ん、鉄素材があれば買いに来たんだが」
「……ハ…それだけ、でしょうか?」
「それだけと言われてもな…あぁ、だがここは良い店だな。買う予定は無いがモンスターの素材とか見ていて楽しかった」
ヒューキ・ガルの顔が一瞬訝し気なそれに変わる、まさかと一瞬口が形作られたような気がするがすぐにまた貼り付けたような笑顔に戻ってしまっていた。
それから傍らにあった先ほどのゴライアスの肌を見おろし…見間違いだろうか、口元に軽く恍惚とした表情を浮かべながらその肥えた掌で撫でると、また元の笑みで俺に視線を戻した。
「そうですかこれは失礼、鉄素材がご入用でございましたか!てっきり私の客人かと思った次第でして…」
「…でも初対面だが?」
「いやはや全くその通りでございます!しかし
「!…はい、大変申し訳ございません」
「あぁ、そういうことか」
顔と名前を覚えておくことの辛さは解る、つい気を抜いてたりすると全く覚えていないこともあるし、知人面されると知っていた気になってしまうのもまた然りだ。
頭を下げるヒューキ・ガルとエプロン男に俺は頷く、それこそ天敵でも来たかのような態度だったがもしかすると誰か注意している人物と勘違いされたのかもしれない…なら別に怒る通りも無いだろう。
「それで鉄素材でしたな、おいセーグ君、ご案内さしあげなさい」
「はい、こちらに」
エプロン男に案内されヒューキ・ガルと共に店内を移動し始める、店の奥まった場所に来るとそこには…様々な金属素材があるようだった、鉱石のままの物や金属の延べ棒、あるいはくず鉄のようながらくたがばら売りされていた。
「おぉ、これこれ」
「…!」
一番下の棚に置かれた金属の延べ棒を手に取りながら俺は少女を一度綺麗な床上に座らせる。
綺麗な鈍色をした鉄は触れていると少し心躍る、冷たい金属を軽く浮かせたりすると並んでいる他の金属にも目を通す。
…ミスリル、リリの言っていたアダマンタイトに、一つだけショーケースに入ったオリハルコン。
徐々に値段の上がっていくそれを見ながらオリハルコンの驚愕の価格に目を見開く、あんなもの買った日には全財産どころか臓器の数個が吹っ飛ぶだろう。
(俺今いくら持ってたっけ…)
ふと気になりコートの中に手を入れる、軽くまさぐっていつも財布をいれている場所を探ると…何もない事に気が付いた。
「あ…やべ…」
朝いきなり出たし、あの時はまだ買い物をする気も無かった。
それにしても財布を忘れるのはどうかと思うがないものは仕方ない、出直そう。
立ち上がった俺は少女の事を拾い上げる、再び少女の顔を胸に向くように抱くと、相変わらず立っていたヒューキ・ガルの方を見た。
「…すまんが持ち合わせが無かった、また来るわ」
「そ、そうでございますか、それは残念です…!」
チラチラとヒューキ・ガルは少女の事を見ている、どこか冷静とは言えない表情に俺は目を細めるが…気のせいだ、と割り切ると一階への階段に向かって歩き始める。
また明日来よう、どちらにせよ鉄を買うとなると少女を置いていかなくてはならないし、ぎゅるぎゅる丸の解体にも着手しなければいけない。
「またのお越しをお待ちしております、
ヒューキ・ガルの肥えた声を背中に受けながら、俺は少女と共に階段をおり始めるのだった――その少女の眼差しが、『
・・・
あいー武術のエキスパートだったと(総まとめ)…ってそろそろリョナ自身について纏めないとアカンな、次回ちょっと両橋について纏めみたいなことするかも。
で、最近ちょっと技法とか考えすぎている節があるんで次回は頭空っぽにして書こうと思います、自分の書きたいものを書くのが一番なんでね。
…というか一年くらい書き溜めしたいまである、やらんけど
ではではァッッ!!