このダンジョンに神殺しが居ることは間違っている。   作:みころ(鹿)

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 イチニチフツカ2

 

・・・

 

 

 

「よし、これで終わりっと」

 

 

既に人でぎゅうぎゅうに詰まっているベッドの二段目に手に持っていた店員を投げ入れる、中で身体が折り重なったのを確認した俺は飛び降りるようにしてはしごを降りるとぱんぱんと掌をはたいた。

たいした労働でもない、気絶した被爆者達を運び終えたベッドからはうめき声が何重にも立ち昇っており、かなりの負荷によって木枠は軋んでしまっていた。

 

(…まぁミアさんが寝てた時からこんなんだったし大丈夫か)

 

かなり頑丈な造りの木組みをぽんぽんと触った俺は息をふすーと吐き出す、人間詰めのようになったベッドから俺は一歩離れると足に何か当たった。

 

 

「…こいつまだノビてたのか」

 

 

見下ろすと足元にアーニャがうつぶせに気絶していた、10分ほど前ベッドに激突したまま気絶した猫人はいまだ床の上でぐったりとしており何だかよく解らない液体で水たまりをつくっていた。

…バカだし大丈夫かと思っていたが意外と重症なのかもしれない、少し眉を顰めた俺はアーニャの肩近くに膝をつくと若草色の狭い背中を揺すった。

 

 

「おい、起きろアーニャ」

 

「…」

 

 

反応が無い、ただの猫人のようだ。

 

(困ったな…)

 

まぁ別にこのまま床に転がしておいても良いのだが突っ込み方が突っ込み方だったしいつも明るく元気でタフなアーニャが起きないとなると異常事態だし…そう、ほんの少しだけ心配になる。

軽く唇を噛んだ俺はアーニャの肩を持ち上げると、その顔を覗き込み揺すった。

 

 

「おい、アーニャ…!?」

 

「…うーん…むにゃ…ダメにゃお得意様…そこはダメ…にゃぁん……♡」

 

「オラァ!」

 

尻尾(そこ)もダメにゃあああああああああああああッ!!?」

 

 

心配して損した。

無性にイラッときた俺はただ寝ていただけのアーニャの尻尾を思い切り掴む、ボワッと全身の毛を逆立たせたアーニャは全身をばたつかせると逃げるようにして飛び上がった。

 

 

「いきなりにゃにするにゃお得意様!アーニャの尻尾はでりけーとだっていっつも言ってるにゃっ!」

 

「良い夢見たか?」

 

「あれ、そういやお得意様いつ服着たニャ?」

 

「いつ俺が脱いだことになってんだよ…」

 

 

はぁ…とため息をついた俺は立ち上がる、床に座ったアーニャの手を持ちあげると軽い猫人の身体を立ち上がらせた。

何故か嬉しそうな顔で手を放そうとしないアーニャの手を煩わしく振りほどくと扉の方に振り向いた。

 

 

「気絶しているやつは運び終えた、一回リューさんに報告に行くぞ」

 

「にゃ?…解ったにゃあ」

 

 

鳴き声と共に頷いたアーニャを従えながら休憩室から廊下に出る、未だ掃除をしているはずのリューに会いに行くためフロアに向かって一歩進んだ。

 

(…そういえばあいつら見てないな)

 

運び始める前に襲ってきた二人組…いや襲ってきたのは片方だけだが、とりあえずアレ以降見ていない。

方々で倒れている店員達を休憩室に運ぶために店内を動き回ったのだがどこにもいなかったし、もしかするとまた隠れているかもしれなかった。

…というかもう一度襲われかねないのでは、何が目的か解らないがまたデスフロムアバムされるのは勘弁だった。

 

一応天井を注意しながら廊下を歩く、だが相変わらず暗い廊下には灯りのついていない魔石灯が釣り下がっているだけで誰も張り付いてなどいなかった…考えすぎか。

 

 

「…なっ…本気で言ってるのか…!?」

 

「…っ……」

 

「ん…?」

 

 

進行方向から微かな声が聞こえてきた、微妙に遠いため会話は途切れ途切れにしか入ってこないがどうやらリューとあの赤毛、イーミンが話しているようだった。

普通にいるものだ、警戒を解いた俺は何やら険悪な雰囲気に眉をひそめながら歩くと扉を開けてフロアに足を踏み入れた。

 

 

「…やっぱりどう考えても無理だ!考え直せ、リュー!」

 

「っ…解っています。ですが私はどうしても()()()()()()()のです、イーミン」

 

 

…何だか修羅場っぽいものができている。

掃除の終わった店内、シルの弁当が除去されたことによって店の中は普段を取り戻しており漂っていた悪臭も消え去っていた。

 

そしてテーブルの一つを挟んでリューとイーミンが話し合いをしている、丁度俺が少女の事を座らせたテーブルの両脇に二人は腰かけており、興奮した様子のイーミンが机に身を乗り出す度小さな身体が前後に揺れていた。

 

(まぁあの程度ならいいか…ん?)

 

一瞬ぶちのめす思考が来たが別に直接的な被害が出ていないし許せた、赤い髪を揺らしているイーミンの隣を見ればあのコハルという黒髪おさげ女が身を縮めるようにして座り自らのグラスにちょびちょび口をつけていた。

 

(うーん…)

 

何だか険悪な雰囲気だが、別に俺とは関係なさそうだしここで臆していては何も始まらない。

背中からアーニャが飛び出そうとしてくるのを無視しながら俺は歩き出すと口論している二人に近づく、ため息を吐くとリューの傍に立ちその顔を覗き込んだ。

 

 

「リューさん、死t…気絶している奴らを運び終えたんだが何か他に手伝えることはあるか?」

 

「っ…あぁリョナさん、ありがとうございます。他にお願いできることは…今はありませんね、申し訳ない」

 

「チッ…」

 

 

少し難し気に眉を寄せたリューさんが瞬きをしたと同時に俺の顔を見たイーミンが首を斬るジェスチャーをしながら舌打ちしてきた、殴って良いのだろうか。

 

 

「…ひゅぉ…!?」

 

「ん?」

 

 

思わずイラっときて拳を握りしめイーミンを見ると、何やら風船の抜けたような音がした。

 

(あぁ…なるほど)

 

そのまま視線を横にずらすとコハルが顔を青くしてがくがくと震えながら俺の事を見上げている、その様はなんというか運悪く肉食獣に鉢合わせてしまった草食獣のようで…理解不能だった。

確か男性恐怖症といったか、さっきキャッチした時に気絶してから意識は取り戻せたようだが向こうの席に座ったコハルはそれはもう尋常でない震え方をしており、俺の視線に気が付くとビクンと身体を震わせイーミンの影に飛び込むようにして隠れてしまった。

 

(うーん…)

 

まぁ別に特段仲良くしたいわけでもないしコハルに特別な興味もそこまでないのだが、何もしてないのに怖がられるのはちょっと気になる。

だがまた気絶されても面倒だし、あそこまでの恐怖症だともう手出しのしようが――

 

 

「…なにジロジロ見てるんだ、この変態野郎。もしコハルに手を出そうとしたら容赦しないからな!」

 

「あぁ?」

 

 

気になって見過ぎた、嫌悪感を丸出しにしたイーミンに睨まれ視線を肩をいからせた赤毛に戻すと本気の殺気を出しかけた。

…だが立ち位置的に机の上に座った少女が近すぎる、それに下手をするとリューさんに制圧されかねないし結果的に出さなくてよかった。

 

小さい身体のくせにやけに尊大な態度のイーミンとその狭い背中の後ろでブルブルと震えている目元まで髪で隠れたコハルにため息を吐いた俺は少女に目を向ける。

もうすぐ昼時だ、いつもならばお昼ご飯の時間だしそろそろお粥を食べさせてあげたい。

 

(…)

 

どうせ今は手伝えることがないのなら少し考えがある、しかし協力してくれるかどうか…いや別に一人でも良いのだが。

 

 

「どうしたにゃお得意様?」

 

「ん?あぁ実は――」

 

 

するりと片腕に擦り寄ってきたアーニャに考えていたことを耳打ちする。

身長差に背伸びして頷いていた猫人は一瞬首を傾げると俺の顔を見て笑った。

 

 

「――別に勝手にやってもいいんじゃにゃい?」

 

「いや流石にリューさんに言った方が…」

 

「そうと決まったら行くニャー!」

 

「ちょっ、おまっ」

 

 

こいつ結構力がある、グイグイと引っ張られ始めた俺は話を聞かないアーニャと共に元来た道を戻り始めた。

 

バックヤードの扉に消えた猫人と高い黒コートの背中にイーミンはフンと鼻を鳴らす、不機嫌気に顔をしかめると再び腕をテーブルにつき身を乗り出した。

 

 

「おいリュー、あの男いつまで置いておくつもりなんだ?あんな部外者何するか解らないし、何より()()悪名高いリョナだろう?…私は即刻叩き出して塩でも撒くべきだと思うけどね」

 

「イーミン、リョナさんは決して噂通りの人ではない。あなたの()()()恨みたくなる気持ちも解らなくないし彼に全く責任が無いとは言わないが、彼に悪意があったわけではない…それに現にこうして手助けをしてもらっている、信頼に足る方だと少なくとも私はそう思っていますが」

 

「む…ふん、どうだか」

 

 

まっすぐなリューの視線にイーミンは若干身体を引くとどさりと椅子に座り直す、だがあくまで鼻から息を吐きだすとテーブルの上で指を組んでリューを見た。

 

 

「――まぁ良い話を元に戻そう、リュー。()()()()()()()と言うが…結論から言って、不可能だ」

 

「それは…解っています、しかしミア母さんならば今この状況でも営業を続けると言うはずです」

 

「…まぁミア母さんなら言うだろうね。だが現実的に考えて無理だっていうのはリューにも解っているだろ?」

 

「…」

 

 

イーミンの言葉に俯いたリューが微かに頷く、説得というにはあまりにやり取りが短すぎたが満足げに息をついたイーミンは腕を組むとどっしりと椅子に座り直した。

…が、その肩がちょんちょんとつつかれる。首を傾げたイーミンは振り返ると今まで背中に隠れていたコハルを見た。

 

 

「…ねぇイーミンちゃん、あの男の人行った…?」

 

「うん、行ったよ」

 

「そっかぁ…!…良かったぁ…!」

 

 

イーミンが頷くとコハルはほっと胸を撫でおろす、目元まで隠れたぱっつん髪の下で安堵の笑みを浮かべるとよいしょといった感じで自らの椅子に戻ると長いおさげを垂らした。

そして一度自らのグラスに口をつけたコハルはこくりと喉を鳴らすと、背中を丸め両手に丸いグラスを持ったままイーミンの事を見上げた。

 

 

「…ところでさイーミンちゃん、さっきから不可能不可能言ってたけど、何が不可能なの…?」

 

「え、話聞いてなかったのかい?」

 

「いや…聞いてはいたんだけど、全然…」

 

「そっか。…って言っても別に単純だよ?問題は単純に――『人手が足りない』」

 

 

そう言うとイーミンは両手で2本ずつ指をたてる、テーブルに置いたそれぞれの手を二人で見ながら説明を始めた。

 

 

「まず厨房だが、生き残ったのは私とコハルだけだ。今日は団体様の予約はないけど通常営業するにしても二人じゃいつもの注文量を流石に捌ききれない」

 

「うん…ちょっと大変だね…」

 

 

たどたどしくコハルが頷く。

だろ?と苦笑交じりイーミンは返すともう反対の手を振った。

 

 

「で次にフロア。こっちも生き残ったのは二人だけ、ウェイターはリューとアーニャしかいない。…リュー、二人だけでフロアを回すことは可能なのか?」

 

「…いえ、難しいですね、オーダーを受けることから配膳、片づけ、会計など考えると4人…いえ、かなり大変にはなると思いますが何とか3人で――」

 

「――いや、それだけじゃあないだろ?(ドリンク)はどうするんだ?」

 

「カウンター、ですか…」

 

 

誰も立っていないカウンターを見る、ミア母さんの巨躯があったその場所はいつにもましてがらんとしており絶対の存在がいないことにリューは強い虚無感を感じ唇を噛んだ。

視線を上げる、カウンターの背中の棚の中には各種酒が並んでおり綺麗なグラス達の上で極彩色の点がいくつも揺れ動いていた。

 

カウンターの主な仕事は酒の用意、注文にあった酒を棚から出しグラスにいれてウェイターに渡すこと。だが厨房にも直接繋がっているカウンターは料理をウェイターに仲介する役割も担っており、店を回すという点においてまさに心臓部であると言える。

しかしそれができたミア母さんは現在倒れており、激務では無いし特別な技能も必要でこそ無いが…人手が足りない。

 

 

「…最低でも一人は必要ですね」

 

「うん、だから必要なのは4人…いや厨房とはアクセスが早いから兼任できるかもしれないし厨房3人にしておこうか、かなり無理があるけどね」

 

 

頷いたイーミンは両手の指を一本ずつ増やす、合計6本の指を見つめた後背筋を伸ばすとまっすぐにリューを見ながら口を開いた。

 

 

「…つまり()()厨房とフロアに1人ずつたりない。補充するには外からの増援っていう手しかないが、よほど器用か場慣れしている奴でもない限り即日バイトなんて邪魔なだけだ。かといってそんな暇人どこから見つけてくる?」

 

「…」

 

「改めて言うぞリュー、無理だ。人手は足りないし解決策もない、ミア母さんたちが復活するまで店は()()()()()しか…ないんだ」

 

「…」

 

 

リューの瞳が閉じられる、彼女もそのどうしようもない事実を理解していた。

腕を組んだイーミンは困った顔を浮かべると落ち込んだリューを見た。

 

 

「別に私は意地悪を言いたいわけじゃない、これは…仕方ないことだろ。あんなことがあって店を続けるなんて存外無理な話だし、きっとミア母さんも解ってくれるよ」

 

「……そう…ですね。仕方ないですよね…」

 

「うん、なら今日はもう店を閉めて…あの男も、追い返そう――」

 

 

頷いたリューにイーミンは椅子からぴょんと立ち上がる、入り口のかけ札をひっくり返すために足を向けたのだった。

 

 

「――お待たせにゃぁーーーー!」

 

「なっ…!?」

 

 

元気な声と共にアーニャがバンと勢いよく机の上にお盆を乗せる。

一度跳ねた盆の上には陶器でできた丸い器が4つ置かれており、その脇には鉄製の急須が置かれていた。

 

そしてその中身は――銀色の華、丸く綺麗に並べられた銀鱗の付いた肉厚な切り身、薬味に散りばめられた長ネギの緑とまばらな白ゴマ、微かに漂う醬油の香り、そこにはとても美味しそうな『海鮮丼』が乗っていたのだった。

 

 

「はいどーぞにゃあ~」

 

 

アーニャは楽し気に盆上の海鮮丼を座った3人の前に置いていく、それぞれの前に置かれた美しく盛りつけられた丼の中身を覗き込んだ各人はその出来栄えに目を見開く。

バンとイーミンは机を叩いて体勢をたて直すとキッとした視線をアーニャに向ける、鋭いその視線には困惑が混じっていた。

 

 

「あ、アーニャ、これはいったいどういうことだ!?お前じゃこれは…いやこんな出来の良い料理誰だって数分で作れるはずないだろう!?」

 

「んにゃ?あー、にゃんか『作りすぎたからおすそ分け』って言ってたにゃ!…うーん美味しそうにゃぁ~」

 

 

答えながら自分の丼を掴んだアーニャは匂いを嗅ぎながら歩くとリューの隣の席に腰かける、一度丼を置きぱんと手を合わせると「いただきますにゃ!」と能天気な声を漏らしたのち早速箸で食べ始めた。

 

身を乗り出したイーミンはまさかと刹那逡巡すると、続けざまにアーニャに詰めより吼える。

 

 

「誰が!?」

 

「んごふっ…お得意様にゃけど?」

 

「――あ、あいつに厨房を使わせたのかッ!!?」

 

「え、別に減るもんじゃねーしいいにゃん?」

 

「おっ…おまえぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

激昂したイーミンは机の上に飛び乗るとアーニャに跳びかかる、そしてその細い首にチョークスリーパーをかけるがアーニャの丼を食べる手が止まることは無かった。

話を聞いていたリューは海鮮丼に視線を戻す、綺麗な花形に盛り付けられた丼は美しくその出来栄えはかなりの技術があることを思わせ、同時に冷静な彼女であってもその味に興味をそそられた。

アーニャと同じように箸をとったリューは軽く指を動かし持つ、暫し考えるように海鮮丼を見つめると箸先で艶やかで甘そうな米を掻き分けようとした。

 

…が、カウンター横の上に開くタイプのスライドドアがパタンと開かれるとそこから片手に小鉢を持ったリョナが出てきた。

 

 

「…ふー」

 

 

俺は片手に持った少女用のミニ海鮮丼を見る、小さな器に多めに盛ったそれは固形物が少し多いがどれも几帳面に小さく切られており噛まなくても食べられるように作られていた…というか作った。

もう片方の手に自分の大きめの器を持った俺はカウンターから出る、両手にそれぞれ違う重さを感じながら四人の方を見ると器を持ったまま固まっているリューと視線が合った。

 

(うーん…)

 

やっぱり勝手に厨房を使ったのはまずかったろうか、アーニャに流されて色々と使ってしまったがこういう状況にそういう自由行動はよくなかったかもしれない。

四人の方に歩きながら俺は少し目を細める、四人の座った机の隣のテーブルの上に両手に持っていたどんぶりをコトリと置くと四人の近くに数歩で近づいた。

 

 

「あー…その、リューさん」

 

「リョナさん、これはあなたが作ったのですか?」

 

「え、まぁ、はい」

 

 

謝ろうとしたのだが軽く自ら掲げた海鮮丼を指さしたリューに遮られる、まっすぐに見つめてくるサファイア色の瞳に気圧されつつ俺は彼女の持った銀色の切り身魚の海鮮丼をちらりと見ると頷いた。

 

 

「…なるほど、これを。そうですか」

 

「ん、まぁそうなんですがそのために厨房を勝手にお借りしたと言いますか」

 

「はい?…いえ、別にその程度構いませんが」

 

「――いいやっ!構うねっ!!」

 

 

首を傾げたリューに安堵するのも束の間アーニャの首を絞めていたイーミンが再度跳びあがる、敵愾心丸出しで俺の事を睨みつけアーニャのことを踏み台にすると机の上に登りカツカツと俺の方に肩をいからせながら歩いてきた、その様に流石のリューも呆れのため息を漏らし、再び箸をとると自分の海鮮丼を食べ始めた。

 

目の前に立ったイーミンは俺のことをわずかに見下ろす、机の上でふんぞり返るとまるでゴミでも見るかのように目を細め指さしてきた。

 

 

「調子に乗るなよお前、手伝いだかなんだか知らないが私の目の黒いうちは豊穣の女主人での勝手は許さないからな!」

 

「はぁ」

 

 

喚いているイーミンに曖昧に頷きつつ俺は隣の少女を抱き上げると怒り続けている赤毛を無視して振り返ると海鮮丼を置いておいたテーブルの椅子の一つに腰かけ少女を膝の上に横向きで乗せる。

そしていつも通り軽く少女のおでこを押して上にむかせると、箸で掬った小鉢の中の海鮮丼を食べさせ始めた。

 

 

「――ッ話はまだ終わって…!」

 

「…イーミンちゃん、行儀悪いよ…」

 

「…解ってる!」

 

 

見上げたコハルにイーミンは腹立たしげに机から跳び降りると自分の椅子に座り直す、腕を組むとチラリと器の中に入った銀色の刺身を見て眉を顰めた。

 

(……まさか)

 

首を振るともう一度少女にご飯を食べさせている俺の事を睨みつけ、隣に座ったコハルに視線を戻した。

 

 

「って食べてる!?」

 

「へ…え、うん…」

 

 

背中を丸めて静かに箸を動かしていたコハルに絶対食べるものかと思っていたイーミンは愕然と身を引く、てっきり同じ考えだと思っていたぶん驚きは大きく強張らせていた身体から力が抜けた。

 

 

「…おいしいよ?」

 

「そんなこと聞いてない!何で食べちゃうんだよ!?」

 

「ご、ごめん…!?…で、で、でも…美味しそうだなーって…」

 

 

確かにリョナの作った海鮮丼は美味しそうに出来ていた、刺身は実に綺麗に盛り付けられているし微かに漂う醤油の香りなどは非常に食欲を誘う――だからこそイーミンは腹立たしく思っていた。

 

 

「だ、第一だな!あいつは私たちの厨房を勝手に使ったんだぞ!?そんな奴コハルは許せるのか!!?」

 

「…まず厨房はみんなのものだと思うんだけど…それに、美味しそうに出来てるし…多少はいいんじゃないかな…ほら、イーミンちゃんも…」

 

「べ、別に全然たいしたことないし…!」

 

 

ゆっくりとコハルに見せられる椀から目を逸らしたイーミンは俯く、自分でも解るほど怒りという感情が薄れていってしまうのが感じ取れた。

 

(っ…それにあまりに時間が短すぎるじゃないか!)

 

リョナとアーニャが消えてからリューと話していたのは精々5分ほど、その合間にこれほどのものを盛り付けるなどどれほど手際が良ければ可能なのかイーミンには解らなかった。

 

無心で食べていたアーニャがぴたりと止まり尻尾をぴんと固まらせる、どうやら喉にものを詰まらせたらしく自らの胸を叩くと軽く咳払いして息継ぎした。

 

 

「ぷはあ…ホントうめーにゃコレ!店で出したら金とれそーにゃん!」

 

「くっ、魂まで売ったかバカ猫め…!」

 

「にゃん?…よくわかんねーけど文句は食べてから言うにゃ」

 

「むぅっ…!?」

 

 

アーニャの言葉がイーミンの料理人としてのプライドを著しく刺激する。

確かに自分の料理が食べられもせずに否定されるなど考えただけで虫唾が走る、それでリョナに対する嫌悪感が拭われるわけではないがどんぶりは食べてやろうという気になった。

…そこに興味が一ミリもないのかと言われれば疑問なのだが。

 

 

「は、はんっ!確かに盛り付けは綺麗なようだが、味の方が良いわけがないだろう!どうせ時間通りの手抜きに決まって…!」

 

 

捨て台詞のようなものを吐きながら座り直したイーミンは箸を掴む。自分の器をぐいと引き寄せ一度美しく盛りつけられた海鮮丼を覗き込むとその中に箸先をさし入れ、刺身に米にくるむようにして一口取り上げた。

肉厚な切り身を微かに潤す醤油の香り、灯りに反射する鱗はざらざらとした質感をしており、艶のあるお米は暖かな湯気をたてていた。

 

ごくりと生唾を飲み込んだイーミンは震える手で箸を口に運ぶ、目前の美味しそうな一掴みを睨みつけるように見ると意を決しぱくりと食べた。

 

 

「うッ…!?」

 

「どうにゃ?」

 

 

目を白黒とさせたイーミンにアーニャが尋ねる、一口入れたイーミンはそのまま身体を折り曲げると床を向いて咀嚼した。

して、その味の感想は――!?

 

(う、うまい!…何でここまで美味しくなるんだ…!?)

 

見た目通りの美食、緻密な味わい、丁寧に調理された食材たちが繰り出す味の波動にイーミンは自然な笑みを浮かべる。

不味いわけがなかった、刺身の柔らかで食べ応えのある肉感、舌をぴりぴりと刺す醤油の優しい鼻に後味を残す辛み、粒粒とした米の暖かく甘い味、刻まれたネギが舌の上で確かな存在感を発し、程よいアクセントと調和を全体に生み出していた。

 

美味い、悔しいほどにおいしい。

たった一口に強い敗北感を覚えてしまったイーミンは歯を食いしばりながら箸を握りしめると今一度リョナを見る…少女にご飯を食べさせている男は別になんてことはなさそうで、更にイーミンの感情を逆なでした。

 

(そ、それでも…言うんだ、言ってやるんだ!まずいって…!)

 

あそこまで言っておいて今更美味しいなんて言えない、いくら何でもそれは恥ずかしすぎる。

顔をあげたイーミンは息を浅く吸いこむ、一口だけ食した海鮮丼を見下ろし汗を流しながら『まずい』という形に必死に口を動かした。

 

 

「ま…ま…まぁまぁ、かなっ」

 

 

どうしようもない美味さを感じてしまった舌の最低限の譲歩のようなものだった。

精一杯視線をずらし二口目の誘惑から目を逸らしたイーミンは震える手で箸を机の上に置く。

確かに美味しい、だがそれはまだ我慢ができるレベルで――

 

 

「えーまぁまぁかにゃ?だったら残りアーニャが食べてもいいにゃん?イーミンは好きなの自分で作ればいいにゃ!」

 

「ま、待て!!?…はっ!?」

 

 

アーニャが手を伸ばしたのを見て慌てたイーミンは自らの器を持ち上げ身体ごと逃げる、そして明らかに逃げすぎな自分の姿を鑑みて顔をボッと赤らめるとどんぶりを持ったままアーニャの事を睨みつけ指さした。

 

 

「そっ、そもそもお前まだ半分残ってるじゃないか!?」

 

「んにゃ?あー確かに…じゃあこれ食べきったらそれくれにゃ?」

 

「そういう問題じゃ…!」

 

 

半分になった海鮮丼の器を元気よく見せられるがイーミンは小刻みに首を横に振る。

しかしイーミンの言葉に聞く耳持たず、早速アーニャは残った自分の分を食べ始めようと――

 

 

「――アーニャ、ステイ」

 

「にゃぅ?」

 

 

俺が制止するとアーニャはピタリと動きを止める、俺は立ち上がり少女を一人椅子に座らせたまま少女用の小鉢を持つと四人のテーブルの傍に立った。

…瞬間コハルが顔を逸らしたのが見えた。

 

 

「どうしたにゃお得意様?」

 

「ん、半分なんだろ?今から面白いものを見せてやるよ」

 

 

三人ほどの視線を感じながら俺は未だ盆の上に乗っていた鉄製の『急須』を手に取る、円形の細い持ち手に軽い暖かさを感じながら重いそれを持ち上げると自分の方に引き寄せ、かたりと置いた小鉢の中に少しだけ残ったミニ海鮮丼へ渋い錆色をした注ぎ口を向けた。

 

――ほわりと、ほうじ茶の香ばしい香りが広がる。

 

 

「茶漬けだ」

 

 

湯気を立てる透明なこげ茶色の液体がとぷとぷと注がれる。

心をくすぐられるような匂いを拡散させながらほうじ茶は落ちていくと広げられた刺身の上で踊り染み込んだ、薬味のネギやゴマをさらいながら食べ終えた後の空白に流れ込むと小さな対流を引き起こし、まとまりきらなかったお米が一粒ずつ浮かんでは回りながら光った。

 

数秒後、そこにはほうじ茶に浸った『海鮮茶漬け』があった。

湯気をたて、香りを変えたそれは先ほどまでのどんぶりとは全くの別物であり、一線を画す存在感を発していた。

その場にいた全ての者の鼻腔がくすぐられる、顔を背けていたコハルでさえも半分ほうじ茶に浸った茶漬けに視線をやり目を丸くしていた。

 

 

「ご自由に」

 

 

それだけ告げるとリョナは小鉢を手に帰っていく、再び膝の上に少女を乗せると茶漬けをふーふーと冷ましながら少女を食べさせ始めた。

 

…後に残ったとんでもないものを見せられた四人は静寂を保っていた。

 

 

「…まずは、アーニャが行くニャ」

 

 

まぁそれはとても自然な流れだろう、珍しく緊張の面持ちで猫人はほうじ茶の入った鉄瓶を手に取る。

そしてみなの視線が集中するなか自らの器の中にほうじ茶をこぽこぽと注ぎ込むと、ゆっくりと箸を使って口をつけた。

 

 

「…」

 

「あ、アーニャ?」

 

 

ずずずと無言で器を傾ける猫人にイーミンが恐る恐る声をかける、しかしいつもならバカ元気よく返事を返すはずのアーニャは神妙な面持ちで静かに茶漬けを食しており、その様は借りてきた猫のように黙々と箸を動かしていた。

 

(あのアーニャさえ黙らせるだと…!?)

 

がっつかずに静かに咀嚼しているアーニャにイーミンは目を見開く。食事中であっても、いやいかなる時であっても静かになることのないあの猫人が穏やかな表情を浮かべたまま食事と言うものを楽しんでおり、もはや何か悟ったような雰囲気さえ醸し出していた。

 

 

「では次は私が」

 

 

特に臆することもなくスッと手を伸ばしたリューが急須を手に取る、6割ほど残った自らの器にほうじ茶を注ぎ込むと再び箸を掴み軽く箸先で一口涼し気にすするように食べた。

器が唇から離れる、目を閉じ数度咀嚼したリューはぴんと張った背筋を軽く上下させながら喉をならすと、ほうと暖かい湯気を短く吐きながら微笑みを浮かべて見せた。

 

 

「なるほど…これは…」

 

 

クールの権化のようなリューの笑みなど見ようと思って見れるものではない、微かに口角を持ちあげながら彼女は器を持ち上げ二口目を食べこくりと飲み込むと、がくがくと震えながらこちらを見ているイーミンに視線を向けた。

 

 

「…あなたもいかがですか?」

 

「わ、私はっ…!」

 

 

ゴクリ、とイーミンは涎を飲み込む。

リューに向けた視線を海鮮丼に移し、そしてほうじ茶の入った湯気のたつ急須を瞳孔を開き見ると、抗うようにフルフルと震えた。

 

しかし…芳醇な茶の匂いが唾液腺を緩めさせる、先ほど一口食べた海鮮丼の味が忘れられず、それにあのお茶の味と香りが加わったらと考えるとお腹が締め付けられるような思いだった。

 

 

「う、く…おおおおおおおおおっ!」

 

 

もはや我慢の限界、どうすればいいのかも解らずイーミンはやけになるとリューの前に置いてあった急須を掴み自らの海鮮丼にぶちまけた。

ほうじ茶が器の中に満ちていく、良い薫りと共に薬味が浮かぶと刺身の小島を残して海鮮茶漬けが出来上がった。

 

 

「ッ…!」

 

 

前後不覚に近い渇望に突き動かされイーミンは机の上から奪うように箸を掴み取る、たぷんたぷんと揺れるお茶漬けを器で掴むと、飲み込むようにして大きく一口ずずずとすすった。

 

――口の中で海鮮と香ばしい醤油の塩、濃く甘いほうじ茶の風味が混ざり合う。

 

少し熱めのお茶が舌を覆う、流れる白米が味覚を撫でると後から来た塩気が擦りつけるように細かくはじけた。

刺身の滑らかな感触が歯をくすぐり、噛み締めた米の甘さが解放されると強い多幸感が口内に溢れた。

 

暫くの咀嚼、もごもごと口を動かしていたイーミンは一息にごくりと喉を動かし飲み込むと熱い息を吐きだした。

 

 

「ま、ま、ま…!」

 

 

肩が震えた、深刻な面持ちでイーミンは顔を伏せると箸ごと拳を握る。

微かに口を開きながら声を漏らすと勢いよく立ち上がり、器を持ち上げ、涙目で笑っていた。

 

 

「まっ…まずいわけがないじゃないかああああああああっ!?うまぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」

 

 

優しいまでに美味しい、プライドなどかなぐり捨ててイーミンは美味さに泣く。

食べる前に抱いていた嫌悪感を思わず忘れるほどイーミンはどうしようもない幸せを感じると勢いよく座り二口目をかっ喰らい始めた。

 

端的に言って堕ちたイーミンを尻目にリューは再び茶漬けに口をつける、温かいそれをゆっくりとすすり感嘆の息を漏らすとコトリと器を机に戻し、隣のテーブルで少女を膝上に乗せたリョナに身体を向け直した。

 

 

「…リョナさん」

 

「ん?」

 

 

リューに声をかけられる、少女にご飯を食べさえ終え自分の分に手をつけようかと思っていた俺は振り向くと珍しいことに微笑みを浮かべるリューを見た。

何だろうか、いつも凛とした彼女にしては上機嫌のようだしお褒めの言葉だろうか。

 

 

「もしよろしければなのですが、今日だけでも構いませんので――()()で働いていただけませんか?」

 

「…あ?あー…うん?」

 

 

お前は何を言ってるんだ、働くということはつまり…働くということか。

 

(あー…)

 

そもそも手助けに来たのは人手が足りないのが理由であって、この後も手伝いをすること自体は何らおかしい話ではない。

ただ厨房で働くとなるとかなり予想外だ、別に出来ないとかそういうわけでは無いのだが単純にその可能性を考慮していなかった。

 

(まぁ…別に良いか)

 

厨房で働くということはコックをするということになる、家庭レベルの料理しかしたことはないが知識はあるしレシピさえあれば宮廷料理だろうとなんだろうと作れる自信はあった。

少し前後を考えた俺はリューを見上げる、軽く肩を竦めると少女の事を撫でながら綺麗な瞳を見返した、求められているというのならそれに応えるぐらいの甲斐性はあった。

 

 

「…俺で良ければ?」

 

「っ!…本当ですか、ありがとうございますリョナさん」

 

「なっ…本気かリュー!?」

 

 

笑みを浮かべたリューにイーミンは目を見開く、しっかりとその手には茶漬けが握られており、片手に持った箸でピッと俺の事を指してきた…別に不快とも思わないが行儀が悪い。

 

 

「こんな奴を豊穣の女主人で働かせるなんて!そ、それに――厨房だとっ!?…ありえない、私は反対だっ、大反対だっ!!」

 

「…イーミン、こんな奴とは言いますが今あなたが持っているそれは彼が作ったものです、腕は確かだと思いますが?」

 

「た、確かにこれはそうだが…!」

 

 

椀を持つ手に力がこもる、素晴らしい一杯の巧さは素でイーミンを惹きつけるものがあり、料理時間や味、盛り付けの綺麗さなどからリョナの料理人としての腕が相当であると彼女に知らしめていた。

まごうことなき即戦力、厨房の手伝いを否定するだけの材料をイーミンは持ち合わせていなかった。

 

(なっ、何かないのか…!?)

 

歯噛みしたイーミンは何か考えようと必死になって頭を回す、苦しそうな表情でうんうん唸り始め、何か気が付いたようで目を見開くと指を一本たててみせた。

 

 

「そっそれに!まだ()()()に足りてないじゃないか!!どのみちあと一人フロアにいなければもう今日は店は閉めるしかないだろう!?」

 

「それは、そうですが…」

 

 

最低限必要な人数は6人、もし仮にリョナが加わり百人力だったとしてもそれは厨房にであってフロアの人数不足は変わらない…実は分身の術が使えるなどの夢機能はリョナに備わっていないのだから。

 

今度はリューが顔を伏せた、営業を続けたい彼女にとってリョナが承諾してくれたことは非常にありがたいことではあったが、このまま人数が足りなければそれも無意味に成り下がってしまう。

 

 

「あ、あの…イーミンちゃん…今大丈夫?」

 

「な、なんだコハル?」

 

 

深く考え始めたリューの前、影が薄かったがイーミンのすぐ後にお湯を注ぎ茶漬けにして食べていたコハルがもじもじとイーミンの方を向く。

首を傾げたイーミンにコハルは指の先を擦り合わせながら前髪で隠れた目元の下で視線を上げると小さく口を開けた。

 

 

 

 

 

「…シルちゃんは?」

 

「「あっ」」

 

 

 

 

 

完全に忘れていた二人の声が揃う。

顔を覆ったイーミンと対照的に凛とした顔のまま元気よく立ち上がったリューがコハルの事を指さした。

 

 

「それですコハルよく思い出してくれました!これで6人、イーミンも文句はありませんねっ!?」

 

「もういいよそれで…」

 

「では早速行動を開始します!まずアーニャは食べ終わったらで構いませんのでみんなのぶんの食器を下げてください!」

 

「りょーかいニャ!」

 

「次にイーミンとコハルは罪人(シル)の解放!事情を説明し、その場で逃げようとしたらその時はお任せします!」

 

「「…了解……」」

 

「最後にリョナさん!()()を支給します、私と共に更衣室へ!」

 

「…ぷは。ん、了解」

 

 

最後に指さされた俺は飲みほした茶漬けの器をテーブル上にカタリと戻す、少女の事を抱き上げ立ち上がるとのろのろと立ち上がるイーミンとコハルを尻目に、颯爽と歩き始めるリューの後を追い始めるのだった。

 

 

 

・・・

 

 

 

「ふぅむ…?」

 

 

姿見を見る、そこにはスタンダードなコック服に身を包んだ自分の姿があった。

普段は黒いコートばかり着ているから白い服は多少違和感があるが、まぁ普通の制服だし着心地も悪くない。

 

(まさか俺がこういう手伝いをすることになるとはなぁ…)

 

料理人のアルバイト、しかもテロ(笑)が起きてかなり逆境な豊穣の女主人で。敵対している奴がいたり俺の事を怖がっている奴がいたりとちょっと面倒くさい気もするが、何よりリューさんの頼みだしやらねば。

軽く前髪を弄った俺は振り返る、遮っていたカーテンに手をかけるとシャーと音を鳴らして待っているはずのリューに声をかけた。

 

 

「待たせましたリューさぁ―――…んっ?」

 

「…はっ」

 

 

狭い縦長の更衣室、置かれたベンチには少女が銀髪を広げてちょこんと座っており、その前に膝を曲げてしゃがみこんだリューさんが俯いた少女の顔を覗き込むようにして少女の獣耳をちょんちょんと触っていた。

 

(可愛いかよ…)

 

俺が着替えている合間だけ少女の事をリューさんに預けていたのだが、あのケモ耳は恐らく思わず触りたくなる魔性のようなものを内包している、見ているうちにあのリューさんでさえ触りたくなってしまったのだろう。

 

声をかけられ俺の存在に気がついたリューは短く息を発してぴんと立ち上がる。若干顔を逸らしながら背筋を正し一度コホンと咳払いすると、振り返りいつも通りの凛とした雰囲気で事もなげに俺のことを見上げてきた。

 

 

「着替え終わりましたかリョナさん、サイズは…丁度良いようですね」

 

「おう」

 

 

リューが手を伸ばす、軽く背伸びして俺の肩に撫でるように触れると肩口の位置を直した。

ささやかなボディタッチの後に白く柔らかな掌が離れる、一瞬近くなった顔が離れると微かに果実の甘い匂いが後を引いた。

 

 

「似合ってます?」

 

「はい、とても」

 

 

頷いたリューは踵をおろし一歩離れると確かめるように俺の全身を見回し最後に不思議そうに俺の顔を見上げ、大きくひと呼吸ぶん見つめてくる。

そしてもう一度踵を上げトンとすぐに戻すと振り返り、背中を向けてしまった。

 

 

「…では早速厨房へ、お伝えし忘れていましたがこの後すぐに――」

 

「――着替え終わったにゃ?」

 

 

ふとアーニャが更衣室の中を覗き込んでくる、興味津々といった様子で人懐っこい笑みを浮かべると俺の姿に気がつき歩み寄ってきた。

目の前に立ったアーニャは俺の全身を舐めるようにつま先から頭まで眺め、目を輝かせた。

 

 

「…おー、にゃんか新鮮にゃ!お得意様こういう服もよく似合ってるにゃ!!」

 

「ん、まぁ普通にな?」

 

 

そう言ってから抱き着こうとしてくる猫人を弾きつつ。

ぐぐぐと頬を押さえられたままアーニャは俺の白衣を見ると尻尾をくるんと回してリューに視線をやった。

 

 

「でもよく男物のコック服なんかあったにゃね、しかもサイズぴったりにゃ!」

 

「そうですね、私も男性の従業員がいたという話は聞いたことがありません」

 

 

確かに女しかいない豊穣の女主人で男物の制服があるのは異質だ、それに180以上ある俺にサイズが合っているとなると誰用なのか解らなくなる…別に誰のであろうと気にしないが。

 

 

「…ところでアーニャ、イーミンたちは大丈夫でしたか?」

 

「あーお盆片づけた後に見に行ったけど追いかけっこしてたにゃ、たぶんもう捕まえたとは思うにゃ」

 

「…シル」

 

 

呆れながらリューはやれやれと首を振る、どうやらあのテロリスト逃走を図ったらしい。

 

 

「まぁいいリョナさん、早速厨房に向かってください。何をすればいいかはイーミンに聞いていただければ解るかと」

 

「え、アイツですか…?」

 

「彼女も悪気があるわけでは…ない…はずなのですが……」

 

 

敵対されている相手に教えて貰うとか普通に考えてよろしくない。

…のだが極めて人員不足な現状、もう一人は喋るだけで気絶しかねない奴だし、これから一緒に働く以上仲の改善を図るべきだ、ただでさえ何故襲われるのか解らないのだから。

 

 

「…まぁ何とかしますわ」

 

「お手数かけます。では後ほど、アーニャも行きますよ」

 

「解ったにゃ、じゃあお得意様また後でにゃあ~」

 

 

ぺこりと頭をさげたリューと手を振ったアーニャが去っていく、更衣室から二人が出ていくのを俺は見送ると少女の事を抱き上げた。

 

(さて、と…)

 

厨房に行くより先に少女の事をどうするか考えなければならない、恐らく激務だろうしできれば目の届く範囲に置いておきたいが厨房にそんな余裕はないように見えた。

腕の中に抱いた少女を見る、小さく軽い身体を愛おしく撫でながら俺は少し考えると「休憩室に置いておこう」という結論に至った。

 

更衣室から外に出る、暗い廊下に出ると正面に厨房を見ながら俺はすぐ隣の休憩室の扉を開けた。

 

 

「…ここでいいかな」

 

 

端にあったクッション付きの椅子の上に少女を座らせる、目を離すのは怖いが基本動かないしここであれば行方不明になることも無いだろう。

背もたれに少女の背中がおさまったのを確認した俺は背筋を伸ばす、ぽんぽんとその頭を撫でると微笑み少し不安ではあるが休憩室を後にした。

 

 

「ッ…お前!」

 

「…ん?」

 

 

廊下に出ると丁度イーミンと鉢合わせになった…いやよく見るとイーミンの小さな背中の後ろにコハルが隠れるようにしている、二人組がいた。

俺の姿を認識した瞬間に怒気を顔に出したイーミンは目を細めると手を伸ばす、胸倉を掴もうとしたようだが身長差で届かない事に気が付くと服の腹辺りを潰してきた。

 

 

「…まず!…だな…その…」

 

 

少し考えるように忌々し気にイーミンは俺の顔を見上げる、一度顔を背けると悔し気な表情で俺の事を睨みつけ服を掴む手に力を込めた。

 

 

「…さっきの料理は、おいしかった」

 

「あぁ?…あー、そりゃどうも」

 

 

喧嘩を売られると思って身構えていた俺はただの料理の感想に肩の力を抜く、ちょっと拍子抜けと思いながら息を漏らすと若干顔を赤くしている赤毛女のことを見下ろした。

…しかし再びキッと俺の事を見上げると歯を見せ歯噛みするようにしながら吼える。

 

 

「だからお前が厨房に入ることまでは認めてやる!だがな、ちょっと美味しいご飯を作ったからって調子にのるんじゃないぞ!本当なら一緒に働くなんて論外なんだからな、精々こきつかってやるから覚悟しろ!!泣いて謝ってもお前に地獄を見せ続けてやるからな!!」

 

 

最後にハンと鼻を鳴らしたイーミンは厨房の中に入っていく、苦笑を浮かべた俺はイーミンの背中に張り付いているコハルを見ると「ひゅぉぅっ!?」と悲鳴をあげて身を竦める黒髪おさげにため息を吐いた。

そしてこの仕事の大変さを別の意味で再認識したのだった。

 

 

 

・・・

 

 

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