このダンジョンに神殺しが居ることは間違っている。   作:みころ(鹿)

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 イチニチフツカ4

・・・

 

 

 

――発勁(はっけい)、と言っても様々なものがある。

 

豊穣の女主人でボコボコにされ命からがら逃げかえってきた次の日、いつも通り肌寒い朝の外壁上、構えを取りながら対峙している弟子二人を俺は少女を抱き時折欠伸を浮かべながら眺めていた。

先ほどから二人は同じ構えをしたまま同じ動きを繰り返しており、時折合図しては相手の身体に拳を当て合っていた。

 

(…)

 

ここ数日で二人は、特にベルは目覚ましい成長を遂げている。

意欲があるからなのか、あるいは恩恵のおかげなのか二人は俺の教える技術をスポンジのように吸収し、本来なら数年はかかるような技も実戦レベルとは言い難いが既に幾つか習得しかけており、ステイタス的にも対人術的にも格段に強くなってきていた。

…驚異的である、成長が早いとは聞いていたがこれほどまでとは思わなかった。

 

そして今教えているのは中国武術などに用いられる発勁、なのだが。

これは一つの技名と言うより『効率的な力の運用方法』であって…その、こちらの世界を生きる超天然と少年には理解し難い原理が多数含まれていた、二人のぽかんという表情が記憶に新しい。

体重移動までの説明は良かった、しかしその後運動エネルギーを身体の中で伝播させて放つと言っても全然理解されなかった。深く理解に至れば内臓系に作用したり末端を痺れさせたりと人体にかなり有効なのだが…覚えられないものは仕方がない。

 

(まぁ…)

 

とはいえ例え頭では理解していなくても、身体で覚えることは出来る。

故に俺は限定的な『突き飛ばし』を型まで指定して教えることにした、脱力による拳は普通のそれより重く相手を転ばせやすい。

原理を知らなくとも出せなくないし、実際二人も練習して以前より重い掌底を出せるようになって――

 

 

「あっ」

 

「へっ!?」

 

 

――まぁそのぶん粗削りになるので、アイズに試し撃ちされたベルがここのところ良く吹き飛ばされるのだが。

少年の身体が宙を飛ぶ、全力とまではいかないだろうがアイズの掌は確実にベルの身体を捉え振り抜いていた。

 

 

「うわぁーーーっ!?」

 

「…あ、ごめん」

 

「って、またかああああああっ!だからアイズ、ベル相手には威力抑えろって言ってんだろがぁぁぁっ!?」

 

「う、うん……」

 

 

もう何度目か解らない失敗に流石の俺も怒号をあげる、当の本人は不思議そうな顔を浮かべており…まぁ悪気は無いのだろうがここまで繰り返しベルが吹き飛ばされるとなると怒らざるをえなかった。

 

ここで、そもそもアイズに発勁が必要なのか?という疑問が湧いて出る。

ブルドーザーが発勁を使ったところで人が吹き飛ぶという結果には変わりないし、そもそも本当に発勁が使われているのか判断する術がない、上級者同士の戦いで活かせるかも解らなかった。

 

(うーん…)

 

恐らく構えや体重移動は良いし、同じ動きを繰り返す練習のかいあってか使えているとは思うのだが…まぁそもそも新しい技術を知れただけで彼女は満足みたいだし、ベルの方は確実に強くなっているので無駄ではない。

 

それにそれも『明日』までだったりする。何でも『遠征』なるものにアイズは明日から行くらしく、彼女に対して俺が教えるのもそれまでだったりする、そもそも二人の特訓がそれまでだったらしいので外壁で教えるのは明日が最後だった…ベルと続けるのかどうかはまだ決めていない。

 

 

「リョナ、私のハッケイ?を受けてほしい」

 

「……はっ!?」

 

 

――気が付けば目の前に教えた通りの構えをしたアイズが立っている、その顔はいつもより真剣ではあるが今は真剣なのが一番怖かった。

 

 

「いやいや待て!俺にはこいつがだな!!」

 

「?…問題ない、これを使ってもただ転ぶだけだから、リョナもそう言っていた」

 

「確かに効果としてはそうっつったけど、今ベルのこと数メートルは吹っ飛ばしてただろうが!!?」

 

「大丈夫…次は、うまくいく」

 

 

何その自信どこから来るの、と尋ねる間もなくアイズが動く。

金髪が目の前で揺れ、明らかに大きすぎる勁が動いているのを感じながら俺は少女手放さないように胸に抱くと、腹に当たった掌底から確かに勁が作用しているのを――

 

「ぐはぁーーーっ!?」

 

――解ることも無くただ先ほどのベルのようにふっとばされていた、今日もいつも通りの修業になるようだった。

 

 

 

・・・

 

 

 

「お前を殺して私も死ぬゥゥゥゥッッ!!!」

 

「いいから落ち着けぇぇぇぇぇっ!!!」

 

 

朝修行を終えて二人と別れた後、早速豊穣の女主人に来た俺はヤンデレみたいなセリフを叫ぶイーミンに襲われていた。

髪はボサボサ、二日酔いか顔色は悪く、一応着替えたのかラフな白色の可愛らしい寝間着を纏った赤毛の彼女は寝起きだというのに物凄い激昂しており、その片手にはしっかりと包丁が握りしめられていた。

 

朝から何この修羅場、泣いたような怒ったような、とにかく必死な表情で包丁を突き出してくるイーミンを俺はこれまた必死になって止めながら慌てて座らせた少女を見下ろす。

…大丈夫だ、例え目の前で生死をかけた修羅場が展開されていても少女はぴくりとも動じていなかった、巻き込まれなければ安心である、よかったよかった。

 

(って大丈夫じゃねええええええっ!?)

 

ちらついた刃先が良い感じにギラギラと光っている、それに叫びながら前へ前へと踏み込んでくる赤毛ロリさんは顔こそ涙とかでぐちゃぐちゃだが充分以上の殺気を放っており、かなり本気だという事を伺わせた。

抵抗しなければ有言実行は免れない、力では負けてないが油断するとどうなるか解らなかった…というかこいつ何を必死になっているのだろうか、いや確かに初対面で襲われたこともあるけども。

 

 

「ッ…オラ!」

 

「いっ!…うわぁ!?」

 

 

下手に殴るのもまずい。

グググと力が拮抗していたイーミンの腕を俺は横に流す、手刀で包丁を手から叩き落とし、刃先がカコンと足元に落ちたのを確認すると、体幹の大きく揺らいだイーミンの身体を発勁で緩く突き飛ばし、寝間着をステンと後ろに尻もちをつかせた、痛みはないはずだ。

 

(あぶねー…)

 

こんなことで怪我はしたくない、ヤンデレの無力化に成功した俺は安堵のため息をつくと、襲い掛かってきたイーミンのことを色々な疑惑を込めて見下ろす。

 

 

「…っ」

 

 

…武器を失いぺたんと床に座ったイーミンは驚きの表情で目を見開いていた。激情が激情だったために失敗したというショックはかなり大きかったらしく、相当絶望しているというか、暫く放心状態でいた後――

 

 

「…うっ…へえええええええええええええんっ…」

 

「泣くなよ…」

 

 

――ついには、泣きだしてしまった。

 

子供のように泣きじゃくり始めるイーミンに俺は呆れた表情で立ちつくす、むしろ泣きたいのは臨時バイト先で刺されかける俺の方だと思うのだが。

情けない泣き顔を晒しながら液体を漏らしているイーミンの前に俺はしゃがみこみ視線を合わせると、困ったような表情を浮かべたままとりあえず尋ねてみることにした。

 

 

「…つかそもそも何で斬りかかってきたんだ?」

 

「だってぇぇぇぇぇぇ…昨日あんなごどしたからぁぁぁぁ…もう死にたいんだぁぁぁぁぁ…死んだ方がマシだぁぁぁぁぁ……!」

 

「あー…」

 

 

確かに思い出すと俺もかなり恥ずかしい、いくら酔っていたからといってあんなことするとは思わなんだ、死にたくなるほどではないのだが。

とはいえじゃあ勝手に一人で死ねよ、と切り捨てるのも同僚だし道徳的にも出来ないし、その結果俺に斬りかかってきたのであれば、少しは慰めてやる道理くらいあった。

少し呆れたまま俺は軽く頭を掻き思案を巡らせると同情的な表情でずびずびと鼻を鳴らしているイーミンを見下ろす、身振り手振り動かすとあまり経験は無いが泣き止ませようとポンポンと肩を叩いた。

 

 

「…まぁ、酒のせいだろ?気にする必要ないって」

 

「うっ…ひぐぅっ……ほんと、か…?」

 

「おう、別に俺がお前に腕枕したとか全然たいしたことない……ぶふっ!?いやごめんよく考えたら笑えてきた…ふははははははっ!」

 

「うっ、うわああああああああっ!?やっぱ死ねぇええええええええええええっ!!」

 

 

つい笑ってしまった、昨夜のこともそうだが全て覚えていたイーミンが起きた時にどんな絶望的な顔をしたのか容易に想像できて吹き出してしまった。

再びブチギレ叫びながら立ち上がったイーミンは、今度は大粒の涙を流しながら殴りかかってきた。

 

…その後、暫くして自分の姿が寝間着のままだということに気が付いたイーミンが違う意味で顔を赤くして逃げるまで、涙の追いかけっこは続いたのだった。

 

 

 

・・・

 

 

 

「リョナさん」

 

「おー、おはようございますリューさん」

 

 

コック服に着替え終わり少女を抱えながら廊下に出ると、丁度休憩室からリューさんが出てくるところだった。

既に制服に着替え終えている彼女は先ほどのイーミンとは違い身なりを凛と完璧に整えており、二日酔いなども一切なさそうだった。

 

 

「…来て、くださったのですか?」

 

「はい?」

 

「いえ、実は今日もお手伝いいただけないかリョナさんに相談しようと()()思っていたのですが、私としたことがお伝えし忘れてしまいまして…」

 

「ん…?」

 

 

若干驚いたように目を見開いているリューさんに首を傾げる、昨晩から感じていたことだがどうもおかしい。

 

(もしかするか……?)

 

昨晩は酔っていて気が付かなかったがもしかする、そういえば昨日のリューさんはどうも受け答えがおかしかった。

 

 

「あのリューさん、奇妙な質問なんですけども」

 

「はい」

 

「…昨日の記憶っていつまであります?」

 

「…」

 

 

そう尋ねるとリューの時間がぴしりと止まる。

大きく首を傾げ考え始めると、彼女にしては珍しく困惑の感情を露わにして眉をかなりひそめた。

 

 

「思えば…皆で乾杯をしたところまでは覚えているのですが、確かにそのあとの記憶が全くと言っていいほどありません。もしかして既に約束をしていた、ということでしょうか…?」

 

「…!」

 

 

つまり、ああいう酔い方だったということか。

記憶に全く残らないタイプ、というかそもそも酔うような人じゃないのだが昨日は極度の疲れで奇跡が起きた。

そして悪酔いの結果俺に対しての言葉も忘れ…あの暴行も忘れている、もう怒っていないというか何が起こったかさえ憶えていないというのはむしろ喜べばいいのかもしれないが、反面俺の頭の中ではやれたやれたとは思えないの大議論が委員会形式で行われていた。

 

 

「うっ…ぉぉぉ…?」

 

「リョナさん?顔色が優れないようですが大丈夫ですか?」

 

 

後悔。いや少女もいたしどうやったってナニもできなかったのだが、例えそれが1パーセント以下だろうが那由他(なゆた)のかなたの可能性でも、そこに据え膳ルートがあったのかもしれないと考えると男として思うところが多々あった、今更考えても後の祭りでしかないのだが。

 

(心頭滅却…おぅ…)

 

心配そうに見つめてくるリューさんの視線が申し訳ない、抱いた少女のことを見おろすと冷静さをとりもどした。

 

 

「ふぅ…復活」

 

「…?」

 

「で、今日は下準備を…する前にコイツを休憩室に置いてこなければ」

 

 

怪訝な顔をされるのを気にせずに休憩室のドアに手を伸ばす、今日も少女は休憩室でお留守番だ…改めて不安だ、せめて下準備が終わるまでは厨房に居させようか…。

 

 

「お待ちを」

 

「うおっ!?」

 

 

ドアノブにかけた手をリューさんにガシリと掴まれる、すべすべだなーとか感想を抱くより先に昨日ぼこぼこにされた記憶が蘇り思わず身体がビクンと驚いた。

 

…嫌だ、後頭部を瞬間十六連打はもう嫌だ、自然に身体と本能が震えた。

 

――静かに、膝をつく。

 

 

「昨日の事でしたら誠に申し訳ございませんでした、今すぐ腹を切りますれば何卒この子だけは…」

 

「?…先ほどから何をおっしゃられているか解りませんが、今休憩室の中は…阿鼻叫喚?…いえ、彼女達が身支度を整えていますので入らないほうがよろしいかと」

 

「あっ」

 

 

危うく土下座し時代劇が始まりかけた俺にリューさんは不思議そうに答えた、自然と声が漏れた。

というかもはやその言い換えだけでなんとなく中の様子が想像できる、今俺が行ったら寝起きの彼女達に襲われ確実に死ぬだろう、むしろリューさんに助けられた。

…そういえば昨日俺は家に帰ったが、他のメンバーは全員休憩室に泊まっていったらしい。まぁみんな疲れていたしこの文化レベルの夜道を女の子だけで歩くのは肉食獣の檻の中に羊をいれるようなものなので泥酔しているいないに関わらず妥当な判断といえた。一部逆に肉食獣を殴り倒すような輩もいるが、そちらの方が安全だろう。

 

(なんか二日酔いに良い朝飯作ってやらんとな…って普通に考えてるあたり…)

 

リューさんは問題なさそうだがイーミンなどはだいぶ辛そうだった、女性陣はもう少し時間がかかりそうだしそれまでに何か…しじみの味噌汁とか作れるだろうか。

 

 

「あ、それじゃあリューさんがこいつのこと置いてきてくれますか?俺は先に厨房の方行ってるので」

 

「えぇ、かしこまりました」

 

 

少女の事をリューさんに手渡す、腕を伸ばしたリューは少女のことを両手で受け取ると逡巡し最終的にお尻の辺りを支えて座らせた。

まだちょっと不安だが、預けるのにこれ以上の相手もいない。リューさんの腕の中に座っている少女に微笑みながら、振り返った俺は二日酔いに効く食材を頭の中に羅列しながら厨房に向かったのだった。

 

 

 

・・・

 

 

 

「――あっ」

 

「ん?…うわぁ」

 

「なんだよその反応ーー!?」

 

 

営業を開始した豊穣の女主人の昼時。

二日酔いに良い朝飯で何とか回復した面々で下準備をこなし、二日目の営業を開始した。

といっても昼時の今はまだそれほど忙しくなく、客層も家族連れであったり休憩中の職人だったりと、昨晩と比べると非常に落ち着いた雰囲気の静かな店内になっていた。

 

…つまり酒の注文など来るはずもない、はずだったのだが暫く厨房で働いていた俺に酒の注文が舞い込んできた。

そしてこんなまっ昼間から酒を頼むとかどこの暇な老人だ、とカウンターに向かった俺の目に入ってきたものは――黒いツインテールの主神様、つまり我らが女神ことヘスティア様のお姿だった。

 

 

「何やってんすかアンタ…」

 

「何ってお客さんさっ!何でもうちの問題児がアルバイトを始めたってベル君に聞いたからちょっと様子を見ようと思ってね!!」

 

「うっわぁ…」

 

「だから何で引いてんの!?」

 

 

あのベルよりによって一番面倒くさい相手に報告しやがった、あとでお仕置きせねば。

カウンターに一人座ってはしゃいでいるヘスティアに冷たい視線を送りながら俺は一枚だけ置かれているオーダーを見る、案の定酒の注文はカウンターから来ていた。

 

昼間から酒とはこれ如何に、それに明らかに働いている俺を見に来る目的で…授業参観?と考えると少し笑えてくるが、出てくるのは疲れと呆れの入り混じった嘲笑だけだった。

肩を落とす。

 

 

「…ははーん、その恰好良く似合ってるじゃないか!」

 

「そりゃどうも」

 

「で、どうだい調子は?人助けってベル君は言ってたけど」

 

「ん、それなりに」

 

 

重いため息を漏らしヘスティアの酒を作り始める、楽し気な女神の視線を受けながらボトルを開けると何か違和感を感じたような気がしたがワインの匂いに意識を目の前のグラスに戻した。

 

ぶどう色の豊潤な液体をグラスに開ける、ワインの揺れる卵型のグラスを回すとカウンター越しにヘスティアに差し出した。

するとヘスティアは飛びつくようにグラスを掴むと、大きく傾ける。

 

 

「うっ…ぐっぐっ…ぷはぁ!」

 

 

…何の躊躇いも無くグラスを掴むと確認もせずに一気に飲み干しやがった、いつもお前が飲んでる安酒とは違うのだが…っではなく、ちゃんと味わってもらえないのは作ったものとして頂けないが、別にオッサン飲みに怒ってなどいなかった。

 

 

「うーん美味しいなぁ!……というかあの子は?留守番させているわけじゃあないんだろ?」

 

「…裏に置いてます、一応店の人が見てくれてるので大丈夫かと」

 

「そっか、それは良かった!」

 

 

ちなみに今朝見に行ったら何人かの気絶者が目覚めていた、といっても完全に毒が抜けているわけではなく会話こそできるが朦朧としていた。

一応クロエあたりに少女のこと見ていてくれるか頼んではみたが、返ってくるのはうめき声ばかりであまり信用できるものとは思えなかった。

 

 

「何なら僕が預かっていても良いんだぜ?アルバイトであんまり時間ないけど、もし僕で良かったら…」

 

「…ハッ、昼間っから酒飲んでる女神様だったら安心だな」

 

「むー!?…確かにそーだねッ!だからおかわり!!」

 

「まだ飲むのかアンタ…」

 

 

開き直ったヘスティアに呆れつつ空になったグラスを受け取る、先ほどのオーダーに追加を書き込みながら同じワインを注ぐとまたヘスティアの元に差し出した。

 

(…ん?)

 

また何か違和感、というか疑問があったような…全然解らんが。

再びぐいとグラスを傾けたヘスティアに呆れつつそれほど人のいない店内を見渡す、今はまだ忙しくないし少し咎めるように通り過ぎていったリューさんに見られていたがちょっとくらい話す程度ならば問題ないだろう、あとでイーミンあたりに怒られそうだが多少は構わないだろう。

 

 

「…次は、リョナ君のオススメ頂戴!」

 

「ん…まぁ構いませんが」

 

 

というかこの人酒の注文しかしないつもりか、流石に頬が赤らんできてはいるがまだまだ飲みそうな雰囲気はあった…時間はあるし、酒しか飲まないのであれば暫く付き合ってやっても良いだろう。

 

グラスを受け取った俺はとりあえず酒の調合を考える、ヘスティアが好きそうなものを考えると珍しく親切心で行動する…しかし、俺は暫くの別居生活でこの女神の姑息さをすっかり忘れていたのだった。

 

 

 

・・・

 

 

 

数時間後、べろんべろんに酔った処女神改め酔いどれ神ことヘスティア様のお姿がそこにはあった。

既に開けた酒は数知れず、真っ赤になった彼女はにこやかな笑みを浮かべたまま俺の出す酒を次々と呷っては幸せそうな息を漏らしていた。

 

 

「うぇ~い…もっろぉ!」

 

「わはは、凄い飲みっぷりじゃのぉこの女神さんは」

 

 

既に夕暮手前、ダンジョン帰りの冒険者たちもちらほらと見え始めた店内は徐々に活気を見せ始めており…主に昼頃からずっと飲み続けているウチの主神様が一番騒がしかった。

 

(俺としたことが…!)

 

作ったあっさりめのカクテルをべた褒めされ、ついついアルコールを与えすぎてしまった。具体的に何が悪いとかは無いが、その結果既に出来上がっているというか限界突破している女神に俺は内心頭を抱え、止められなかったことを後悔していたのだった。

 

 

「おーい代理、俺にもあの女神さんと同じのくれよ~」

 

「あ?…おう」

 

 

とはいえその豪快過ぎる飲みっぷりで店の売り上げと雰囲気にも貢献している(?)。

カウンターについた他の冒険者の男に酒を出しながら俺は増えてきたオーダーに眉を顰める、これからは倍々式に忙しさが増していくと思うと、それなりに楽しくもあったがヘスティアの相手はしていられそうもなかった。

 

グラス片手に幸せそうな顔をしているヘスティアを見下ろす、神だからといって酒を飲み過ぎては結局明日辛いことになる、一応二日酔い対策のおつまみなんかもあげたりしたが確実に明日の午前中は地獄を見ることになるだろう。

 

 

「おいヘスティア様、そろそろ帰れ。酒ももうナシだ」

 

「あー?こんらチャンスめったにないんだからぁ~…飲まなきゃそんそん、だって!」

 

「いやチャンスだか何だか知らねぇが、あんま酔いすぎるとベルにも心配されるぞ?」

 

「うっ、それ言われると弱いなぁ僕…」

 

 

弁慶の泣き所をつつかれたヘスティアは顔をしかめる、ことりと飲みかけのグラスを名残惜しそうに俺に手渡し立ち上がった。

やっと帰ってくれるらしい、ふらふらと定まらない女神の視線に俺はやれやれと首を振る。

酔ってはいるが流石に一人でも帰れるかと勘繰ると、にこにこと一緒に飲んでいた冒険者たちに別れを告げている女神を尻目にオーダーを手に取った。

 

 

「はい勘定…――ッ!?」

 

 

チラリと書かれた内容を見下ろすと感じていた疑問が露わになる、注文紙にはヘスティアが今までに飲んだ酒がずらりと書き並べられており、その合計金額はかなりのものになっていた。

出しかけたオーダーを慌てて引いた俺は横に並んだ酒の金額を頭の中で足していく、どう考えてもヘスティアの支払い能力の域を超えている内容に俺は微かに血の気が引いていくのを覚え、目を見開いて視線を上げる。

 

 

「おいヘスティア様、あんたこれどうやって払うつもりで――」

 

「――あ~っと!?僕、財布忘れてきちゃったみたいだぁ~!!」

 

 

わざとらしい演技でヘスティアはパンと腰ポケットを叩く。

例え財布があったとしても彼女の払える金額ではないのだが、たまたま大金を手に入れたとかそういう可能性は消え失せた。

それにわざとらしい演技的にもこの女神が財布をただ忘れたとも考えにくい、ということはこいつ初めから金を持たずに店に来たという事か?…何にせよ、嫌な予感がした。

 

 

「かーっ!僕としたことがこんなにお酒飲んじゃったのに一文も持ってないとはなー!でも払えないんじゃあ仕方ないよな~!」

 

「はっ!?おい、待てあんた支払いはどうするんだよ!!?」

 

 

ふらふらと出口の方に向かうヘスティアを慌てて呼び止める、赤い顔の女神は取っ手に手をかけると振り返り、最高の笑顔で俺に言い放った。

 

 

「うーん…ツケで!」

 

「――通るかッ!んなもんッ!!」

 

「じゃあリョナ君が払っておいてくれたまえ!じゃあねー!」

 

「待てやぁぁぁぁぁぁぁ!クソァァァァァァッッ!!」

 

 

ふざけろ、あの女神そもそも払う気など毛頭なかった。

流石に身内なら代わりに代金を払わないといけない、それにこれからの忙しさを考えると追う事も出来なかった。

利用された、チャンスとか言っていたのはそういうことに他ならない、はなから財布を持ってこないで酒を飲むだけ飲み、支払いだけ俺に押し付けて帰っていった。

 

残ったのは他人が飲んだ高額な酒の代金、まんまと神に嵌められた男の絶叫、それを肴に飲む客達の哀れみと好奇の視線。

 

(俺は…!)

 

どうすればよかったのだろう、それにこのたまの親切心が変容した行き場のない怒りはどこに向ければ良いのだろう

あんの下衆女神絶対許さねぇ…俺の払えない額じゃないが昼頃から飲み続けた酒代はかなりのものになっており、かなりの痛手にまで膨れ上がってしまっていた。

 

しかし他人の酒の代金を俺が払わなければならないという事実が、精神的に重く俺にのしかかる。

 

 

「…リョナァァァッ!いつまでサボってんだ帰ってこいッッ!!…」

 

 

とはいえイーミンの怒鳴り声が厨房から聞こえてくる、正直今すぐカウンターを跳び終えあの女神に制裁を加えたいがそんな事をしている暇もなかった。

絶望と怒りを飲み下す、あとで然るべき復讐をと考えながら俺は厨房に急激な疲れで重くなった足取りで歩き始めた。

 

 

「…リョナさん、後でお話がありますので」

 

「…はい」

 

 

…が、いつのまにか背後に立っていたリューさんに釘を刺される。

多少許してもらえないか期待していた俺はちょっとした脱力感に苛まれ、止められなかった財布へのダメージを背負いながらこれから忙しくなる厨房に足を踏み入れたのだった。

 

 

 

・・・

 

 

 

「――あっ」

 

「ん?…おぉ、ティオナ!」

 

「リョナ君!ホントに働いてたんだねー!」

 

 

徐々に忙しさが尋常じゃなくなってきた夜頃、賑やかな喧噪の聞こえてくるカウンターに出てくるとそこにはティオナが一人で座っていた。

パッと笑顔を花開かせる彼女の前には冷めたスパゲッティが置かれており、いくつかつついたような跡があるが半分ほどしか食べられていなかった。

 

ひとまずオーダーに目を落とした俺は昨日よりも僅かに減った注文を手早く頭の中に入れる、必要なグラスを効率よく並べていくと数を確認し終えた。

実は昨日よりは余裕があったりする、実は今日は昨日の激務を考えた結果作るのに手間のかかるメニューを幾つか減らしており、フロアはともかく俺と厨房の負担はだいぶ軽減されていた。

 

 

「で、今日はなんで来たんだ?お前一人で飯ってのも珍しいと思うんだが」

 

「ふふん!リョナ君のいるところに私あり、だよっ!…まぁホントはアイズからリョナ君がここで働いてるって聞いて見に来たんだけど…」

 

「へーそうか」

 

 

そういえば今朝アイズには俺が豊穣の女主人で働いていることを伝えていた、そこ経由でティオナにも話が伝わっていてもおかしくない、そして興味本位で来店するのも。

 

 

「でも何でここで働いてるの?転職?」

 

「いやまぁ内輪ネタなんだが、シル弁当というものがあってだな――」

 

 

表情豊かに笑うティオナと喋りつつ俺は酒を作り始める、いくら余裕があるとはいえ長話も出来ないが、せっかく来てくれたというのなら何かサービスの一つや二つしないことも無かった。

 

ティオナのテーブルを見る、食べかけの料理のほかには水のグラスが置いてあるだけで酒の注文などはしていなさそうだった。

 

 

「…ところでお前何かドリンクは頼んでないのか?」

 

「え、いや、頼んでないけど?」

 

「……そうか残念だな。お前のためだったら特別丁寧に作ってやろうと思ったんだが…」

 

「ッ!…待って!今すぐ注文するから!!」

 

 

瞳孔を見開きティオナは慌てて俊敏な動きでメニュー表を手に取る、パラパラと真剣にめくり始めた。何故慌てているかは知らないがどうやら飲んでいくらしい、ただの贔屓かもしれないが接客のようなことが出来て少し嬉しくもあった。

 

…が、隣から野太い横やりを入れられる。

 

 

「リョナく~ん♡私にも特別丁寧に作って~♡」

 

「うわぁ…やめろよ…」

 

 

話しかけてきたのはティオナの隣に座っていた常連だという冒険者の男とその後ろで笑うパーティ仲間の二人、ティオナの真似をしているのか赤ら顔で気色悪い声を出してくねくねと身体をよじりながら笑っていた。

名前は知らないが昨日カウンターをしていて知り合った三人組だ、こいつらとは年も近いし陽気だし悪ふざけが過ぎるところがあるが嫌いではなかった。

 

 

「リョナく~ん♡…うぇへぇむせたっ…ゴホォッ!」

 

「そんな喋り方すりゃあそうなりますわ…ちなみに特別丁寧ってのがリョナの本気だったら今俺達が飲んでるのは何なの?普通なの?特別普通なの?」

 

「俺達のはテキトーなのかよー!?」

 

「安心しろ、お前らのは特別テキトーだ」

 

「真面目に作れぃっ」

 

 

カウンター連中と喋りながら酒を作り続ける、大した量でもないしすぐに酒を用意し終えるとカウンターの上にあげた。

…本来ならもう厨房に戻るのだがまだこれからティオナが注文するし少しくらい待っても良いだろう、足を止めるとメニュー表を真剣に覗き込んでいるティオナに再び視線を落とした。

 

 

「でも良かったよなこの嬢ちゃん…というかロキファミリアの人…御方?」

 

「嬢ちゃんでも良いんじゃね?ともあれそうだなぁ、確かに良かったな」

 

「ん?何がだ?」

 

 

しきりに良かったと頷いている男達に首を傾げる、ティオナが良かったとそのまま言葉にすると何か卑猥臭がするがそういう意味ではないだろう。

尋ねると一人が肩を竦める、ちらりとティオナの方を盗み見るとメニューに夢中で話を効いていない事を確認した。

 

 

「…いや実はさっきまでこの嬢ちゃんつっまんなそーな不機嫌顔でメシ食ってたのよ。それがお前が来た瞬間これだ」

 

「そうなのか?」

 

「あぁ…何つーか雰囲気で人を殺しそうなほど暗い顔してたな…」

 

 

ほぼティオナの明るい表情しか見たことが無い俺にはそんな顔をしているところなんて想像も出来ない、精々奇跡的にタックル(あいさつ)を躱せたときにちょっと不貞腐れたような顔をされた程度だ。

とはいえ陽気な彼らが怯えているのも解る、一級冒険者冒険者であらせられるティオナ・ヒュリテ殿がすぐ隣の席で剣呑な表情を浮かべていたら怖いと思うのはレベル1や2の彼らにとって当然のことだった。

 

 

「はー全くこれだからイケメンは…」

 

「リア充爆発しろっ」

 

「でも正直羨ましいとは思わないっ…確かに可愛いけどあの手のアマゾネスとか死ぬまで搾り取られそうだし…」

 

「ヒモでも情夫(イロ)でも強く生きろよっ」

 

「「「末永く、お幸せにーっ!」」」

 

「…あ?何の話だ?」

 

 

息の合った連携で何か三人に言われたが喧騒にかき消され全く何も聞こえなかった、それに言うだけ言ってバッと顔を背けてしまったので答えもされなかった…微妙に腹が立つ。

何だこいつら、と思っているうちにティオナが満面の笑みで顔をあげる。

 

 

「リョナ君リョナ君、決まったよ!」

 

「ん、どれだ?」

 

「このカクテル!」

 

 

そういってティオナが指さしたのは果実系のカクテル、俺の世界で一番近いものといえばカシスオレンジなどが近い。

フルーティな口当たりの初心者向けの酒だ、アルコールも薄いし…正直未成年に飲ませるとか倫理的にどうなの?と思わないこともないがほぼオレンジジュースなので罪悪感も薄かった。

 

 

「ちょっと待ってな」

 

「うん!」

 

 

振り返った俺はタンブラーグラスを用意する、綺麗な氷を中に転がしリキュールと果汁の入ったボトルを取り出した。

どこかそわそわとしているティオナを尻目に栓を開け、リキュールとジュース1対4の割合でビルドし始める…手の感覚で計っているが、割合はベストマッチに出来ただろう。

先にリキュールを注ぎグラスを傾ける、縁から壁を這わせるようにゆっくりと回し注ぐと淡く二層に色が別れた。

 

出来上がった綺麗なオレンジ色のカクテルの出来を確認する、爽やかな酸味のある甘い匂いがぴりぴりと鼻先を刺激し、自分でも満足な出来に美味しそうだった。

カウンター越しにティオナの前にグラスを置くと彼女の目が嬉しそうに輝く。

 

 

「ほら出来たぞ」

 

「おぉー美味しそー!ありがとー!」

 

 

褐色の指がグラスを掴む、回すように綺麗なカクテルのニ色を見ると嬉しそうに微笑み口をつけた。

…まず驚き、次に笑み。目を見開き今一度カクテルを見下ろしたティオナは笑みを浮かべると再び一口カクテルを飲みこんだ。

 

 

「どうだ?」

 

「…うんすっごい美味しい!飲みやすいね、これ!」

 

「そうか、それは良かった」

 

 

笑みが漏れる、やはり自分の作ったものを褒められるのは嬉しいものだ。

楽しそうに酒を飲んでいるティオナを見おろす、年若い友人は良い笑みを浮かべており釣られてこちらも笑っていた。

 

…とはいえそろそろ帰らないとイーミンにどやされる、それなりに楽しい時間ではあったが厨房にもオーダーは来るし戻らなければならなかった。

 

 

「じゃあ俺もう戻るわ、ティオナもゆっくりしていけな」

 

「…えっ戻っちゃうの!?ちょ、ちょっと待ってよ!?」

 

 

軽く手を振りその場を去ろうとすると、愕然とした表情でティオナに呼び止められる。

足を止めた俺は振り返ると軽く腰を浮かせたティオナに眉を顰める、何が用事かは知らないが長居は出来ない、あたふたと視線を泳がせている彼女は「えーと!えーと!」と荒く呟くといつもの二割増し虚勢の笑顔で俺の事をズビシと指さした。

 

 

「私とお喋りする権利をあげよう!住み込み三食ご飯付き!」

 

「……何の話だ?」

 

「あっ今のナシッ!色々願望が混ざったっ!!」

 

 

願望?本当に何の話なのだろうか。

 

(うーん…)

 

一人で店に来て寂しいのは解るし、ティオナが喋り相手を欲しがっているのは一目瞭然ではあるのだが…俺も忙しいし構ってやってる暇も無い。

とはいえこのまま強行して行ってしまうのも可哀想だし(というか後が怖いし)、かといって満足するまで喋っていたらイーミンに殺されるだろう、どうすれば如何に早く切り上げられるだろうか。

 

 

「そのだね!…えっと…この前ヒノキブロ借りに行ったじゃない!?」

 

「おう、だから?」

 

「だから……その、また今度行ってもいい!?」

 

「あぁ?いや、まぁ別に構わんぞ?」

 

「そ、そっか!ありがと!!」

 

 

そう言って嬉しそうに笑うティオナに首を傾げつつ。

そういえばこの前業者が着て檜風呂を作っていった、出来上がった檜風呂はそれはもう素晴らしい仕上がりになっており、ついでに剣で開けた『地下室』への穴を床板ごと補強して閉ざしておいた。

 

(…)

 

で、その後ティオナがやってきたのだが。

風呂に入ると言って全裸を晒してきたり、身体を洗う事を要求してきたり、勝手にベッド上をごろごろしたり、少女を撫でたり夕飯をご馳走したり…あぁ何という暴虐の限りか、楽しかったが何となく妹のことを思い出して頭が痛くなった。

 

 

「で、話がそれだけならもう行っていいか?正直俺も忙しいんだが…」

 

「うぇ!?ちょ、ちょっと待ってよ…!…え、えっとさ…!?」

 

 

無限ループな気がする、これコイツが考えつく限り永遠に続くのだろうか。

いい加減テキトーに流すことを考え始めた俺は小さく息を漏らす、よっぽど俺の事を引き止めたいのか真剣に話題を考えているティオナをカウンターに頬杖ついて見下ろした。

 

暫く苦し気にうんうん悩んでいたティオナだったが何か思いついたらしい、パッと顔をあげ目を見開くとぶんぶんと激しいジェスチャーと共に口を開く。

 

 

「あっそうだ!この前聞いた面白い噂なんだけどね!えっと…確か名前は――神殺しの狼騎士(ウルフェンハザード)、だっけ?」

 

「はいはいうわさな…って、は?お前今なんつった!?」

 

「えっ?…あ、リョナ君興味あるのこの噂!?」

 

 

テキトーに聞き流そうとしていた俺の耳に聞き逃せない単語が入る、細めていた目を見開き思わず声を荒げてティオナを見ると「食いついた!」という顔を浮かべていた。

 

(…まずいな)

 

時間はこの際いい、今の一瞬で優先順位が入れ替わった。

暫く冒険者ギルドにも顔を出していなかったし彼らの間でどんな噂が広まっているのか知る由もなかったが、『神殺しの狼騎士』――つまり俺の事が話にあがっている。

それは逃げ出したあいつらが誰かに話したという事であり…完全に俺のミスだ、あの時は良いかと思っていたが、現状この力の露呈は死を意味する。

とはいえ噂、それに今襲われていない事を鑑みるに認知されているわけではなさそうだが、存在を知られること自体避けたかった。

 

(どこまでだ…?)

 

反射的に蒼い獣の紋章の刻まれた左手を引きながらティオナを見る、早急に噂というのがどれほどの情報を持つのか、真偽は確かなのか確かめなければならない。

だが同時に先ほどのように声を荒げては不審に思われるし、冷静に訊きだすことが重要になってくる。

 

一度呼吸を整えた俺は目を伏せる、改めて頬杖をつくと冷静を装って首を傾げた。

 

 

「…すまんな。で?その噂がなんだって?」

 

「うん!なんかねーえっとねー…!」

 

「うん?」

 

「…何だっけ?」

 

 

頬杖から頭がズリンッと落ちる、目の前でティオナは笑顔で首を傾げていた。

 

(コイツ…)

 

今日はいつにも増して酷い気がする、完全に期待を裏切られた俺はうめき声を漏らしながら上体を起こした。

 

 

「…おいお前ら。まさかあの噂してんのか?」

 

「なにぃ、知っているのか男A!?」

 

「おう知ってるぞ!…男えー?まぁいいか…」

 

 

先ほどの男の一人が喋りかけてくる、良いヤツだ、名前は知らないが。

だいぶ赤い顔でビールを一口飲んだ男はごくりと喉を鳴らすと息を漏らし、改めて俺と座り直したティオナを見て喋り始める。

 

 

「で、だな。その狼騎士っつーのはなんでも新種のモンスターだと」

 

「あっそうだ!それそれー!」

 

 

隣でティオナがしきりに頷いているのを尻目に流しながら、男に目を戻すと少し考えた後唇を舐めて喋り出した。

 

 

「確か…7階層だか4階層に出てきたモンスターだったか。噂によると遭遇したどっかパーティが迎え撃とうとしたんだが即何人か殺されちまって、残りの奴らは命からがら逃げだしたんだと。何でも強さが階層に全然合ってなかったらしいとか」

 

「ほーん…」

 

 

迎え撃とうとした、というのは多少語弊があると思うが大まか『あの時』の状況に合っている。それにモンスター扱いというのも…ある意味好都合かもしれなかった。

 

 

「…それで?」

 

「でよ、こっからが話の肝なんだが、そのモンスターの外見ってのが狼騎士っていうぐらいだから2m以上ある狼面の鎧巨人で全身から炎吹き出してるって話らしいんだがよ…いやそんなモンスターの見た目もありえねぇって話だが、それより何でも――喋るらしい」

 

「あっ私も思いだした!モンスターが喋るわけないじゃんって思ったんだよ聞いた時!」

 

「…まぁ、そりゃな」

 

 

どうも人語を話せる異様なモンスターと思われているようだが、外見の特徴が結構しっかり伝わってしまっている…よろしくはない。

 

 

「でー…いやまぁ、はなっから眉唾な話なんだが、その中でもとびっきりの眉唾がそいつの話した内容ってやつでな。枕詞になってるくらいだから察しはつくと思うが――」

 

「――神殺し、か」

 

 

俺が答えると男は少し顔をしかめて頷く、同時にティオナは呆れとともに鼻で笑っていた。

とびっきりの禁忌、ティオナはそうでもないようだがやはりこの世界においての神は向こうの世界と遥かに重要度が違う、道を歩けば目の前にいるのだから。

 

 

「神様への宣戦布告だと。まぁ噂は噂だし、本当にそんな化け物がいるかどうかも解らんけど、モンスターが神殺しとか…少し不気味じゃないか?」

 

「そうかなぁ、むしろそこが笑い話なんだと思うんだけど!神殺しとか確かに不謹慎なこと言ってるけど、不老不変の神様殺すってそれこそ冗談みたいな話じゃない?御伽噺(アルゴノォト)みたいなもんでしょー!」

 

「かー、一級冒険者様は違うねぇ!…最近ダンジョンも何かおかしいし、変な噂も出てくるし、いったいこれからどうなっちまうのかねぇ…」

 

 

…セーフだ。

危険視どころかいるかいないかもあやふや、それどころか笑い話として扱われているのであれば人の噂も七十五日というしすぐに忘れ去られる事だろう。

 

(良かった…)

 

身体の力が抜ける、元々素性がバレる可能性は低かったが今の俺には少女(アイツ)がいるし決して無理は出来ない。

生死の瀬戸際にはいない事に安堵した俺はゆっくり息を吐きだすと、会話している二人を見下ろし軽い笑みを浮かべてみせた。

 

 

「ふ…ま、おかしなモンスターもいるもんだな。ちなみにそいつについて他の噂とかってあるのか?」

 

「そうだなぁー…あー、聞いた話じゃ実はそいつは幽霊で、塩をまきながら踊ると苦しみながら去っていくとかなんとか」

 

 

なんじゃそりゃ、一気に質の下がった話に俺は眉を顰める、それ他の噂と混ざっていないだろうか。

 

(まぁ気を付けよう…)

 

けっこう詳しいところは詳しく伝わっている節がある、鉄を打つ能力は知られていないようだが逆にそれ以外の情報はかなり知られているようだ。

 

(ん…?)

 

そういえばあれ以来「催促の悪夢」は時折見るが「あの力」を発動していない、というかそもそもダンジョンにすら行ってすらいない。

であればあの力も自分の一部ではある訳だし本来ならば何回か使って試してみる必要があるのだろう、しかし本能でなんとなく解る節も大きいのも事実だ。

 

特に鉄を打つ能力なんかも感覚だ、よくよく考えれば形を思い浮かべて燃やすだけで鉄が変形するというのも物理法則を無視している。

そして本能が「大きい物や硬すぎるものにはもっと火力(カウント)が必要だ」と教えてくれており、鉄の形状変化のほかに硬くしたり柔らかくすることも可能だということも解っていた。

 

…なのだが今一度自分の能力を考えると何かが引っ掛かった、喧騒の中で大きく首を傾げた俺は暫く長考した後、閃いた。

 

 

「――あっ!?…うわぁ…」

 

 

気が付く、俺の能力で小さい金属なら時間こそかかるがある程度複雑に鋳造できるということを――それこそ機械パーツのような。

 

(ぎゅるぎゅる丸…なんで今まで気がつかなかった!?)

 

今まで普通に鉄を打ってぎゅるぎゅる丸を直すことしか考えていなかったが、よくよく考えると俺の力を使えば一発で解決する話だった、何を難しく考えていたのだろうか。

それに壊れたパーツは一部現代の特殊素材が必要でこちらの世界では修復不可能だったので代用を考えていたのだが、むしろ自分の能力で作れば自由がきく、加工技術も必要なければ何なら素材も特別なものを必要としなかった。

 

…思わず遠い目になる、いくら最近手に入れた力とはいえ普通気がつくだろう普通。それにけっこうぎゅるぎゅる丸で悩んでいたし苦労していたしでこんな身近な解決策が灯台下暗ししていたというのは少しだけショックだった。

 

 

「どうしたのーリョナ君?何か打ちひしがれたみたいな顔してるけど」

 

「いや…自分の愚かさが嫌になってな…」

 

「へーリョナ君にもそんなことあるんだ!…まぁあんま気にしない方が良いんじゃない?何に悩んでるか知らないけど!」

 

「おぅ…」

 

 

ティオナの言う通りあまり気にすることでもない、元より別に急ぐ必要も皆無だったわけだしむしろ全くの手探りで鍛冶を始める前に気が付けて良かった。

それに直せるか解らない不安が消えただけマシだろう、確実に直す手はずがそこにはあった…という元から手の中にあった。

 

(…ふむ)

 

とはいえそのためにはダンジョンに行く必要がある、攻撃回数を稼がなければならないし…まぁ家の中で鎧を纏ったとしても誰に気が付かれることも無いだろうが、もし蒼い炎を見られたらと考えるとリスクが大きすぎた。

 

…となると久しぶりにダンジョンだ、流石に腕がなまっているということは無いだろうがカウント1000稼がないといけないのは変わらないので時間がかかる。

となれば早朝ぎゅるぎゅる丸のパーツを持ってあのマーニファミリアの店に行き、元となる素材を買ってダンジョンに行くことになる。少し身重になるかもしれないが、そこまで深い階層に行く必要も無いので危険もそれほどない。

 

むしろ問題はいつ行くかだが…明日行って良いぐらいだ、どうも問題を抱え込んでいるというのは性に合わなかった。

 

(…よし)

 

――明日ダンジョンに行こう、別に明後日でも明々後日でも構わないがこういうのは早めに終わらせておくのが吉だ。

ベルとの約束もあるし、やはり手慣れた武器を早く手元に戻しておきたい。

 

そう決めた俺はカウンターで一人頷く、カウンターからティオナの疑惑の視線を感じながら明日になったらダンジョンに行こうと自分の中で決めたのだった。

 

 

…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…おい、リョナ」

 

「あ」

 

 

ところで俺の決意と厨房の忙しさに関係があるのだろうか、いやない。

ないのでサボりは正当化されるわけもない、ご立腹の様子のイーミンがいつのまにか隣に立っており、青筋を浮かべながら充血させた目で俺の事を恨むように俺の事を睨みつけており、ストレスでなのか赤い髪を一筋咥えていた。

そして…その手には包丁が。

 

 

「い、イーミンさん?厨房から包丁持ってきちゃったのカナー!?危ないですヨー!?」

 

「…あぁこれか?これはただのサボり魔に刺す棒だよ、既にシルを仕留めてきた」

 

 

いやシルさんは死んでないと思うんですけど。

ただ相変わらずこいつ殺気だけはある、今朝は自暴自棄気味だったため狙いがブレブレだったが、今は的確に腎臓辺りを刺してきそうだった。

 

…深くため息をついたイーミンは肩をおろす、包丁をおろすと浸かれたように殺気を潜め空いた手で俺の胸倉を掴んできた。

 

 

「ふん…戻るぞ!」

 

「うおぉ!?」

 

 

ぐいと上半身を引き下ろされ体勢が崩れる。前のめりにイーミンの肩が近くなると、そのまま襟を引っ張られ前のめりに引きずられ始めた。

…まぁ無傷のお迎えなら上々なのだろう、子供に引きずられるようかの姿のまま包丁を持った彼女のことを間近で見下ろすと俺は若干の気恥ずかしさに眉を顰めた。

 

 

「ちょっとぉ私がリョナ君と喋ってたんだけどー!誰だか知らないけどいきなり連れてこうとしないでよ!!」

 

「む…客か」

 

 

そのまま厨房に戻ろうとしていたイーミンの足が不機嫌気なティオナの声で止められる、お互い不機嫌そうな顔でカウンター越しに視線を交錯させると若干お互いを睨みつけた。

 

(…何だこの殺気?)

 

縄張り争いする天敵同士が遠目から威嚇しあうような。

カウンターという垣根がなければお互い即座に胸倉を掴み合いそうなガンのつけ方だ、恐らく初対面同士だと思うのだがそれとも以前何か不俱戴天的な因縁でもあるのだろうか…まぁ世の中気に入らない奴の一人や二人いるのが人の世でもあるのだが。

 

イーミンに襟を掴まれたまま俺はただならぬ敵意を出している二人を見比べる、このまま喧嘩になったら勝つのは確実に腕力に軍配が上がるティオナの方だが、巻き添えで俺が死ぬ可能性も充分以上にあった。

だがむしろ女の闘いとは純粋な拳より舌と頭の戦いだ…いや俺も詳しくないが、むしろそういう口喧嘩を始めたら年上のイーミンの方に軍配があがるような気がした。

 

一瞬即発…なのか知らないが二人はそのまま無言で睨み合う。

少しはらはらとする俺の前で、意外にも早く視線を逸らしたのはイーミンの方だった。深くため息をついた彼女は目を閉じると、一度俺の襟元をぐいと近づけ呆れた視線をティオナに送り付ける。

 

 

「…こいつの予定はもう私との(というか厨房の)先約で埋まってるんだ。こいつとアンタにどんな関係があるのかは知らないけどな、客の都合でいつまでも拘束されてるとハッキリ言って、迷惑だ」

 

「なっ…!?」

 

 

いやむしろお前の方がはっきり言いすぎなのでは、とはいえ接客慣れしていないイーミンに求めてはいけない。しかしかのティオナ・ヒリュテ一級冒険者様にこの大口を叩けるのは…彼女が一般人だからだろう、知らない相手に抱く訳も無し、冒険者ならば力量差に恐れをなすだろうが、常に不遜なイーミンにはティオナの姿がただの迷惑な客としか映っていなかった。

 

 

「…なんだなんだ喧嘩か!…ってありゃあ片方『大切断(アマゾン)』じゃねぇか!?」

 

「アルファ…!」

 

「俺の目的はアマゾンを一匹残らず潰すことだ」

 

「何お前ら溜まってんの?」

 

 

対立する敵意同士に徐々に喧嘩好きの野次馬根性猛々しい店中の冒険者たちの視線が集まってきた。一部ティオナを見て奇妙な発言をしている輩がいるようだがきっと酒のせいで前後不覚になっているのだろう、可哀想に。

それに女同士というカードも珍しい、片方がこちらの界隈では有名なティオナであれば尚更だった。

 

いとも容易くイーミンに吐き捨てられたティオナはふるふると震えている、いくら冒険者で戦闘面のメンタルは強いといってもこっち方面の精神力はただの十代でしかないためだいぶダメージを受けたようだ…こっち方面というのがどっちの方面なのかは知らないが。

 

(…でも立場的にはイーミン側に立った方が良いんだろうなー)

 

そも俺は厨房に戻らなくてはならなかったわけで、帰るタイミングを作ってくれたイーミンは味方なのだろう、それにお互い何で敵視しているかは知らないが少なくともイーミンは至極真っ当なことを言っている。

 

…ここは後でティオナに殴られることを恐れずにイーミンに助勢するべきなのだろう、ティオナが不機嫌になりかねないが店の事を考えるなら最善だった…肋骨の一本や二本は覚悟するしかない。

 

なんて、俺が迷っているうちにティオナは顔を赤くしながらイーミンに食って掛かっていた。

 

 

「――べ、べ、別に迷惑とかかけてないし!そっちこそ先約とか言ってリョナ君のこと独占しようとしないでよこの泥棒!!」

 

「はぁ?泥棒呼ばわりとは大層だな、別にこいつはお前のものじゃないだろ。それに独占とかくだらんな、お気に入りのおもちゃとられて不機嫌な子供かよ」

 

「なぁっ!?」

 

 

やはり口ではイーミンの方が上か、精神年齢的にも殆ど実力差は拮抗していると思うのだが冷静な分イーミンの方が口回りが良いようだった。

 

(というか止めないとなぁ…)

 

このままだと二人は確実に喧嘩し始める、そうなると俺が巻き込まれるのもそうだが仲裁とか面倒くさすぎて想像を絶する。

だが今もうこの状況が軽く理解を超えているのだから仕方ない、発射された弾丸を弾倉に戻す方法なんてこの世の中にあるのだろうか。

 

どうすれば事態の収拾が出来るかぼんやり考えながら、俺は二人が無意味な闘争を始めるのをただ見送るのだった。

 

 

 

・・・

 

 

 

「…」

 

 

はっきり言おう、そして自分の非を認めよう。

 

――状況は、悪化している。

 

いや言わずもがなじゃねと、こうなるのは目に見えていたはずで、きっと何かしらの解決手段もあったはずだ、いや無くとも何とかして止めるべきだったのだ。

だが目の前で加速度的に絡まっていく紐を解く方法は困難を極める、止める事の出来なかった事態を前に、俺は湧く冒険者たちの喧騒の中でキャットファイトをしている二人を見ていた。

 

…叩いて被ってジャンケンポンをしている二人に。

 

 

「――この貧乳!」

 

「お前もだろぉぉぉぉぉ!この赤毛チビぃぃ!」

 

「言ってはならない事を言ったな貴様ぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

振りかぶられる丸められた紙束、がごんとそれを弾くお盆、剣と盾の乗せられた小さな机を挟んで罵り合う彼女達は激しい攻防を繰り返しており、殺傷能力の無い紙束にも関わらず互いに真剣なせいか当たったら本当に死にそうな威力を持っているように見えた。

 

ため息が漏れる。最初はただの口喧嘩だったのだが、次に取っ組み合いの喧嘩になり、何故か良い勝負になってしまい、女同士の寝技の応酬という物好きにはたまらない展開になった…泥沼とも言う。

そこでいつまでも終わらないというかそもそも勝利条件のはっきりしない戦いに俺がルールを決め、試しに叩いて被ってジャンケンポンを教えて見たのだが、これでも決着が決まらずかれこれ10分以上やっている。

 

どちらも一歩も譲らない戦い、力量差を考えればティオナが圧倒的なはずの戦いは何故か互角で進んでおり、紙がお盆を叩く激しい攻防が繰り広げられていた。

…何が二人をそこまでかきたてるのか解らないが、絶対に負けられない意地がそこにはある。終わらない闘争に呆れた俺は正座のままもうひとたび、深くため息をついた。

 

 

「リョナさん」

 

「うおっ!?…リューさんか」

 

 

いつのまにか忍者のように背後に立っていたリューにびくんと肩を強張らせる、振り返ると澄ました顔の彼女が立っていた。

俺の身体の端から繰り広げられる激戦を覗き込んだリューは軽く目を細めた後、少し怪訝な視線を俺に向けてきた。

 

 

「これは…一体なぜこのようなことに?」

 

「いや俺にもさっぱり…プロレスが長引いたんでルールを決めたんですけど全然終わらなくて…」

 

「…そうですか、ですが困りましたね…」

 

 

リューが眉を顰める、それもそのはずあの喧嘩のせいで店は営業を続けられていない。

元々ぎりぎりの人数での営業だったのにも関わらず二人サボっている状況、それにただでさえ俺が何人分かの働きをしていたので、現状店は正常な機能は保ててはいなかった。

 

その結果がこのどんちゃん騒ぎでもある、ミア母さんがいなければこんな無礼講とうてい許されなかっただろうしこれを止めるのも俺の役割だったのだが…止められなかった俺の責任もある、そこは単純に申し訳なかった。

 

 

「ふぅ…解りました。では彼女達は私が止めておきますので、リョナさんは厨房に戻っていただけますか。コハルだけでオーダーをこなすことはできませんので…」

 

「あ゛ぁ゛ー…」

 

「…なにか?」

 

 

思わず喉奥から声が漏れ、リューに首を傾げられる。

…恐らくそれが最善の選択だというのは理解しているし、最悪それならば何とか無理すれば店を回せることも知っていたが、同時に俺にはここを動けない理由もあった…居たいわけでは無いのだが。

 

 

「…ちょっとリョナ君こいつ今お手付きしたんだけどぉ!?その場合は即敗北でいいのかなぁ!!?」

 

「はぁー!?今のはどう考えても触ってなかっただろ!どうなんだリョナ!!」

 

「…いや、見てなかったんだが」

 

「「はぁぁぁッ!!?」」

 

 

素直に言うと二人は鬼のような形相を浮かべドンと机を拳で殴る。俊敏にこちらに駆け寄ってくると、ブチ切れた様子で俺に腹パン数発スネ蹴り数回息の合ったコンビネーションでドスドスドスと素早く叩き込み、再び机に戻って再開した。

…どうやら今のはノーカンになったらしい、瞬間的に与えられた俺の痛みは消えないが。

 

 

「ブー!」

 

「ちゃんとジャッジしろよぉー!」

 

 

腹を抑えた俺に周りの冒険者がこぞって親指を下にさげてくる中、リューさんが膝をつきかけた身体を支えてくれた。

 

 

「ぐふぅ…」

 

「大丈夫ですか?…というか今のは?」

 

「いやぁ…何か審判役をやれと……」

 

 

生半可にルールを教えたのが不味かった、ゲームの第一人者としていつのまにか審判役にさせられていた。

そして不備があれば暴力、逃げようとしても暴力、まき散らされるブーイング、道具のように扱われる時間、また暴力。

 

つまり痛みに屈した俺はそんな理由があって動けずにいた…奴隷かな…。

 

 

「…なるほど、なんにせよ先に彼女達の戦いが終わらない限りリョナさんは動けないということですか」

 

「あい…」

 

「…」

 

 

ふらつきながらも何とか立った俺から支えていた手を離したリューは二人が行う高速の戦いを見ながら黙り込む、状況が理解不能過ぎて例えあのリューさんであっても解決策を探りあぐねているようだった。

 

(何で喧嘩してるのか解ればまだ仲裁できるんだがな…)

 

何か問題があるなら合間に割って入れるものをこいつら何で喧嘩しているのかイマイチよく解らない。

それに何故か決着がつかないのも問題だ、ティオナが手加減しているのかイーミンが頑張りすぎているのか知らないが両者とも一進一退の攻防を繰り返しており、激しいドラマが生まれる度冒険者達は湧いていた…むしろ早く決着がつけばいいのだが、両者の実力が拮抗している分だけグダグダと勝負が長続きしてしまっている。

 

絶対に負けられない戦いがそこにはある、しかしそれで他人にかかる迷惑というのも考えてほしかった。

 

 

「はぁ…ん?」

 

 

呆れながらふと見ると、きょろきょろとあたりを見渡す黒髪おさげのコック女が、喧騒に参加せず料理を食べている黒く長いフード付きローブの近く、バックヤードに続く扉から店の中を覗き込んでいた。

 

(あぁ、コハルが出てきたのか)

 

おおかた戻ってこない俺達と溜まっていくオーダーに耐えきれず様子を見に来たのだろう、しかし男性恐怖症である彼女にとって男冒険者達のひしめくフロアは厳しすぎる。

実際長い前髪から店内を覗き込んでいるコハルは大きな体を小動物のように縮こまらせており、警戒するように辺りを見回しながら誰かの声がする度ビクッと肩を震わせていた。

 

(…声をかけるのが良いんだろうが)

 

怯えているコハルが男ひしめく店内を横切ってこちらに来れるとも考えにくい、それに彼女にとってはこの空間にいるだけでストレスになると思うので、出来る限り早く帰してあげた方が良いだろう…気絶されないためにも。

 

ただ問題は声をかけようにも俺がここを動けないという事、動こうとすればまた殴られるし、結局二人の戦いが終わるのを待つしかない。

絶賛じゃんけん中の二人に目を向ける、本気で命のやり取りをしているかのような二人は何故か服がボロボロになっており、体には幾つもの痣を作って…これ叩いて被ってジャンケンポンだよな?と思わず疑ってしまうほど激しく、勇ましかった。

 

――絶対に負けられない戦いがここにある、何が彼女達をここまで必死にさせるのか解らないので共感は出来ないがともかくお互い全力でお盆を叩いたり叩かれたりしていた。

 

 

「「ッ…!」」

 

 

しかしそんな戦いもついに終局を迎える、高速でやりあっていた両雄…訂正、両雌は一度距離をとると睨みつけ合う。

既に双方満身創痍、片や一級冒険者であるティオナでさえ続く連戦に息も絶え絶えになっており、イーミンは…何がお前をそこまで焚きつけるのか知らないが死にそうな表情を浮かべそれでも闘気に満ちた鋭い視線をティオナに送り付けていた。

 

誰かが息を飲む、騒いでいた冒険者達も何かを察知し黙り一瞬のうちに静寂が訪れる。

次で勝負で決まる、示し合わせたように誰もがそれを察知し張り詰めたその場にいる誰もが緊張に肩を強張らせた。

 

そして――ついに、戦いが始まる。

 

 

「「じゃーんけーん…!」」

 

 

二人が動き始める、拳を引き、腰を落とした構えからゆっくりと身体を回す。

集中と、観察。いかに早く相手の頭に紙束を叩きこみお盆でガードするか、そしていかにじゃんけんで勝利する運を引き寄せるか。

 

勝つ、疑わない事だ。迷いは敗北を呼び込み、コンマに生きる彼女たちにとって一瞬の油断が死を招く。

 

既に何十回と戦ってきた相手、互いに次の手を予測し、勝利を欲した。

気持ちでは負けていなかった、例え素の身体能力で圧倒的であったとしてもどちらが勝ってもおかしくなかった――そう、こと叩いて被ってジャンケンポンの世界では。

 

…叩いて被ってジャンケンポンってなんだっけ?

 

 

「「……ぽん!!」」

 

 

ともあれ手が出された、その瞬間。

時間を止めねば解らない程の刹那、二人の手はイーミンがパーに対し――ティオナが、グー。

 

イーミンの勝利、しかし本当の勝負はここから、叩いて被ってジャンケンポンはまだ終わらない。

 

先に手を出したのはイーミン、机の上の紙束をティオナよりも早く寸分たがわぬ動きでつかみ取る。精神的動揺はなかった、何よりここで勝利を引き寄せることを信じていた。

振りかぶる、今までの全ては準備にしか過ぎない、紙束を万力の力で掴みこみ、踏み込み、一瞬でも早く打ち込むためにイーミンは全てをかけていた。

 

反対にティオナは、動揺していた。

負けた自分の手に目を見開き、判断が遅れる。

慌ててお盆を手に取り防御姿勢を構えるが、明らかにイーミンの一撃に耐えられるほどの構え方では無かった。

 

 

「うりゃああああああああああああああっ!!」

 

「くっ…!?」

 

 

ついに勝者が決まるか、紙束が振りかぶられる。

最初こそティオナの圧倒的優勢かと思われた勝負はイーミンの勝利で――

 

 

「あいだぁッ!?」

 

「…はっ!?」

 

 

――イーミンは紙束を横に振り抜いていた。

 

ちなみに俺のシマでは普通に反則である、というかそんな行為が許されるルールなど聞いたことが無い。

身体の軸を回転させイーミンは紙束で思い切りティオナの手の甲をはたく、勢いに乗ったそれは柔くお盆を持っていたティオナの手を強打し離させると、盆を空中に飛ばしていた。

 

(…まずい!?)

 

衝撃の結末、まさかのイーミン反則負け。最後の最後で動揺したか知らないが行われる明らかなルール無視に誰もが息を飲み幕切れにため息をつき戦いは終了の予感を見せた。

 

のだが、むしろ問題は弾き飛ばされた鉄製のお盆の方だ。

ティオナの手から離れたお盆はかなりの勢いでフリスビーよろしく空を飛び、鉄製のお盆が誰かに当たれば怪我をしかねない

だが幸いなことに普通に食べていた冒険者達の机に突っ込み、テーブル上のものを弾き飛ばしながら何とか止まった。

 

しかし奇跡とは得てして起こるものである、少なくとも鉄製のお盆で怪我する物はないと安堵した刹那机の上に置いてあったどんな因果かワインボトルが宙を飛んだ。

某ピタゴラなんとかを彷彿とさせるテコの原理が作用する、ガコンッと挟まりこんだお盆はグググと力をため込むと、吹き飛ばされた力をそのまま勢いよく返した。

 

そして――その先には、コハルがいた。

 

綺麗な放物線を描くワインボトルの先にいるコハルは長い前髪のせいで自分に危険が迫っていると気が付けてさえいない、それに周りの人間もまた言い争いを始めた二人を見ていてリューさんも気が付いていないようだった。

解っているのは俺だけだ、ガラス製のボトルは勢いよく飛んでいるしまだコルクが閉まったままなので中身も詰まっている。あの重さのものが当たるのはどこだろうと怪我は必至だし、ただの一般人である彼女にとって当たり所が悪ければ最悪本当に死にかねない、叩いて被ってジャンケンポンなど比較にならない危険がそこにはあった。

 

 

「――ッ…!」

 

 

また一歩何も考えずに走り始める、既に空中にあるボトルを止めることは出来ない。

 

(間に合えっ…!)

 

置いてあった椅子を蹴るように踏み台にする、次に出した足で机を踏みつけ大きく跳んだ。

飛び越えた足元から全ての冒険者とティオナとイーミンたちの驚きの声があがるのを無視し、置いてある机たちを短距離走よろしく踏んでいくと幾つかグラスを倒して水が撥ねた。

 

速度を計算する。ボトルは緩やかに、だがかなりの速度で放物線を描き、回転し、コハルの頭部を目指している。

掴むのはきっとリューさんでも無理だ、それだけの速さと足場の不安定さがあるし、何より向かってくるボトルを掴むのと、飛んでいくボトルを追って掴むとなるとまた話は別となる。

故に選択肢は二つ、片方は彼女を突き飛ばすか合間に入るか、どちらか、何も考えずに飛び出した俺には決めあぐねていた。

 

 

「えっ…!?」

 

「コハルッ!」

 

 

机を渡り飛んでくる俺にコハルは前髪の下で目を見開く、そして同時にその上でこちらに飛んでくるボトルの赤紫色に気がつき困惑した表情を浮かべた。

まぁ一種の恐怖映像でもある、例え男性恐怖症でなくても大の男の必死な全力疾走の矛先が自分というのは恐ろしいものだし机の上を跳んでいるとなると尚更だ。

 

だが体面を気にして何も守れないのは真の愚か者だ、例えカッコ悪く立って迷惑かけたって、結局守れたか守れなかったかの違いでしかない。

 

最後に黒いローブの冒険者のいる机の端を踏み床に降り立った俺は全身全霊で前に進む、困惑と驚きと恐怖を口元に浮かべたコハルを目前に俺は床板を軋め、後先の事など考えず――

 

 

「ッ…!?」

 

 

――跳びつき、抱きしめた。

柔らかな感触など考えず全身を守れるように身体を近づけると、飛んでくるであろうグラスに対し覚悟を決める。痛いは痛いだろうが恩恵の与えられた俺の身体ならば怪我をすることは無いだろうし、彼女の脆い身体が怪我をするのに比べればまだマシだった。

 

(…!)

 

身体を強張らせ、背中に意識を集中させ痛みに耐えることだけを考える。

大きく重いボトルは果たしてどれだけの破壊力を持っているのだろうか、今まで避けたことはあってもまともに受けたことが無い痛みはもしかして大したことも無いかもしれないが、万が一怪我することも頭に浮かんで消えた。

 

息を大きく吸い、大きく吐く。覚悟完了している俺は背中に当たるボトルを待った。

 

 

「…?」

 

 

いつまでたっても来ないボトルに俺が疑念を抱いたころ、サクリという微かな音が耳に届く。

いや正確にはデジャブのように疑念を抱く少し前にその音は届いていた、しかし余りに小さく軽快な音は何か判断するにはあまりに微かで解らなかった。

 

(何が…?)

 

音を確かめるためにコハルを抱いたままゆっくりと振り返る、いつまで経っても当たらないワインボトルを見ようとするとそこには――

 

――黒ローブの冒険者が立っていた。

 

 

「…!?」

 

 

視線を遮った全身を覆う黒いローブ、後ろからはその顔も見えずただ片腕を持ち上げていることだけ解った。

こいつがボトルを止めてくれたのか?目を開いた俺は視線を上げ、ふとなぞるように伸びた腕先を見るとその手には一般的なフォーク、そして信じられないことに三つに分かれた刃先に『ワインボトルのコルク』は深々と突き刺さっていた。

 

()()()()()()ッ!!?んなアホなッ!?)

 

飛んでくるボトルにフォークをぶつけるのはそう難しくない、それにコルクにフォークを突き刺すのも簡単だ。

だが空中で回転するボトル、その先端についたコルクにフォークを突き刺すのはとんと難行になる、たった簡単な事を二つくっつけただけで遥かに難しくなるのだから人間の能力は(ひとえ)だ。

 

見ていなかったため解らないがそれは神業だったのだろう。回転するボトルの部位で一番速い先端に狙いを定め、重いボトルを細いフォークで支え刺す。それは常人が起こせば奇跡に並び数えられるほどの行為であり――この神のいる世界では話の種にもなりえない、きっとこいつにとってこの英雄譚は道端の石を蹴飛ばすより簡単だったのだろう。

 

瞬時に理解する、目の前にいる黒ローブが凡百の冒険者ではなくティオナやアイズに属する『高レベル冒険者』なのだと。

 

 

「…なぁあんた、助かった。ありがとう」

 

 

同時に助けてくれた相手だ、誰なのかは知らないがその背中に感謝の言葉を述べた。例え格上であろうとも助けてくれた事実は変わらないし、恐怖を抱く必要もない。

それでも少し動揺しつつもごく自然に出てきた言葉に黒ローブはぴくりとも反応せずただ静かに腕をおろし、フォークからボトルに手を持ち替えた。

 

(…?)

 

沈黙している黒ローブに眉を顰める、顔すら見えない冒険者は助けてくれたわけだし悪いヤツではないと思うのだがなぜか目の前に立っている恩人は黙りこくっていた。

別に特段顔を見たいとかそういう訳ではないのだが少し不自然である、自分が助けた相手から感謝を受けてなんの反応も示さないどころか顔も向けないなんてことがあるのだろうか。

 

 

「…あの?」

 

「…」

 

 

再び声をかける、すると今度は肩をぴくりと反応させたそいつはゆっくりと振り返ると俺の方を見た。

 

(っ!…イケメンだな)

 

金髪と碧い瞳、そして細く整った容姿。

黒いフードで顔しか見えないその男は控えめに言って美しい、少し眉を顰めたように冷ややかで鋭い視線を俺に向け、極めて冷静な氷のような表情で俺の事を見据えていた。

 

ある意味特徴のない中世的な顔ともいえるが整い方は綺麗であり、放たれた矢の鋭さを思わせる雰囲気は男らしさを思わせた。

 

 

「お…あぁ、誰だか知らんが助かった。ありがとう」

 

「…」

 

 

改めて感謝を口にすると男は何も言わずに頷く、静かな動きでフォーク付きのボトルを掴むと元居た机の上に置いた。

 

(…てか誰だコイツ?)

 

客の一人なのは間違いない、そして高レベル冒険者であるというのも予測できる。

しかし辛うじて都市最強(オッタル)は知っていてもそれ以外の人間の顔と名前などいちいち記憶していない…二つ名とか覚えづらいモノばかりで覚える気すらしなかった。

かなりの美形だし、恐らく有名なのだと思うのだが…。

 

 

「リョナさん、大丈夫ですか?」

 

「お、リューさん」

 

 

ごったがえした客の集団を迂回してリューさんが正規ルートを歩いてくる。心配気な表情を浮かべたその顔は少し不安げなそれが混ざっており、どうも反応に遅れたことを少し悔いているようだった。

ツカツカとこちらに歩んでくる彼女はふと視線を横に向ける、そこに立った黒ローブの男を見ると少し驚いたような表情を浮かべた。

 

 

「あなたは…!」

 

「…!」

 

 

黒ローブの男は目を険しくする、どうも知った風なリューから顔を隠すようにして振り返ると、躊躇いなく歩き始めてしまった。

足早に出口へ向かう男の背中をリューと共に見送りながら半ば困惑すると、カランコロンと音を鳴らして外に出ていってしまった後に肩をおろした。

 

 

「ってアンタ勘定は!?…っと」

 

 

慌てて見ると、今まであいつの居た机の上に幾つか金貨が置いてある。

 

(几帳面と言うか…)

 

無駄以上にかっこいい、つまり無駄じゃなく格好いい。

明らかに大きな釣りが来る程の金額に食い逃げじゃない事に安堵した俺はため息をつく、出口に目を向けたままのリューに視線を戻すと彼女にしては珍しくかなり驚いている様子で眉を大きく上げていた。

 

 

「で、リューさん。あれは誰なんです、知ってるイケメン?」

 

「…知らないのですか?あれは――レベル5冒険者のオリオ・シリウス、二つ名を『閃輪(サイス)』」

 

「…オリオ・シリウス…?」

 

「ここ数年姿を見せなかった彼が何故このようなところに…?」

 

 

口の中でリューに教えて貰った名前を呟く、どうもそれがあの男の名前らしい。

閃輪という二つ名はともかくレベル5、ティオナと同じレベルで、リューよりも一つ高い強さ、そしてレベル1の俺と比べれば4も違う、それは天と地ほどもの差があった。

 

机の上のコルクに刺さったフォークを見る、前衛的な芸術作品のようにも見えないことも無かった。

だが親切なことは確かだろう、助けてくれたしきっと良いヤツだ。少しリューさんが深刻気な表情を浮かべているのが気になったが、別に俺とは無関係な話なのだろう。

 

(うーん…まぁいいか)

 

何か頭に引っ掛かった気がしたが気にしないことにした、何より全て事態は終わったわけだし、そんな事を考えている暇があるならば後を処理しなくてはならなかった。

 

例えば腕に抱いた男性恐怖症の女の子、とか――

 

 

「ひゅぅ…!?」

 

「あっ!す、すまん!」

 

 

――すっかり忘れていたコハルは俺の腕の中でブルブルと震えながら俺の事を前髪の隙間から見上げていた、仕方がなかったこととはいえ男性恐怖症の彼女には刺激が強すぎた。

慌てて腕を離すと数歩下がる、密着していた柔らかな身体は締め付けていた俺の腕から解放された今でも恐怖に震えており、その顔は青ざめて俯いていた。

 

 

「…すまん」

 

「あ…うぇ…」

 

 

改めて頭を下げる、守る為だったとはいえ考えなしの行動だ。

男性恐怖症の彼女にはかなりの恐怖だったと思うし、傷つけてしまったかもしれない。

 

(辛い…)

 

そう思う程度には。

 

真剣に頭を下げた俺にコハルは少し動揺したようにあたふたと手を動かす、きょろきょろと周囲を見渡しリューの事を見つけるとぱたぱたと駆け寄りその手を掴んだ。

 

 

「ふむ?…なるほど。リョナさん」

 

「…はい?」

 

「彼女からの伝言です…ありがとう、と」

 

 

顔をあげた俺はリューの言葉に目を見開く、全くもって予想外な言葉に虚をつかれた。

てっきり更に嫌われたものと思ったが、思えば抱きしめて気絶しなかったし一日二日のことではあるが好感度は感謝されるまでに上がっていたらしい。

 

(良かった…)

 

報われた、ただそれだけのことで嬉しい。

思わず軽い笑みを浮かべてコハルの事を見ると茹で上がるように顔を真っ赤にさせてリューの陰に隠れてしまった。新しい反応だ、悲鳴をあげて逃げられるよりも全然マシだった。

 

 

「なんですコハル?…解りました、では私もついていきます。リョナさんも二人の戦いが終わったのですから早く厨房に戻ってください」

 

「ん、解りました。すぐ行きます」

 

 

恥ずかし気なコハルに急かされリューは目を細め俺に軽く会釈した後コハルと共に、すぐそばのバックヤードへと続く扉に消えた。

それをいい気分のまま俺は見送ると、安堵のため息をゆっくりとつき一度喧噪で騒がしい店内に目を向けたのだった。

 

 

「リョナ君!大丈夫だった?」

 

「リョナ!コハルは!?」

 

 

今度は喧嘩をしていた二人が小走りに俺のところまで来た、ティオナはそれほどでもないがイーミンはかなり必死な表情を浮かべており、既にいないコハルを探してぶんぶんとあたりを見渡し始めた。

…それもそうか、自分のせいであんなことが起きた訳だし責任を感じてもおかしくない。

 

 

「おいリョナ答えろコハルはいったいどこに…!?」

 

「ん、コハルなら先に戻ったぞ?」

 

「そ、そうか!それは良かった…!」

 

 

良かった?安堵している様子のイーミンに少し「それは少し違うんじゃないか」と疑問に思う。

いくら悪気が無かったとはいえ、怪我をしなかったとはいえ、その手前までは行ったわけだし…少しは申し訳なく思って然るべきなのではなかろうか。それにコイツには色々言いたいことがある、何で店が忙しいタイミングで喧嘩しなくてはならなかったのかとか問いたださなくてはならない点が多々あった

 

 

「おいイーミン、そもそもお前があんなめちゃくちゃな振り方しなけりゃあんな事故も起きかねなかったんだ、解るか?」

 

「うっ…確かにそうだがお盆でボトルが飛ぶなんて予想できるわけないだろ!?あの時は夢中で…!」

 

「確かにな、だがそもそも何でお前客と喧嘩してるんだよ。そこで夢中になるのがおかしい」

 

「むぅ…!」

 

 

未だに何故コイツラが喧嘩し始めたのか解らない、目と目が合ったら勝負とかそういうことなのだろうか。

少し苛立たせた言葉でイーミンを責める、ガチの説教にイーミンは顔を伏せ悔しさを滲ませると拳を握っていた。幾つか問題点を丁寧に説明し、反省点を述べていくとイーミンも理解してくれたようでゆっくりと頷いた。

 

 

「やーい!怒られてやんのー!」

 

「なっ…!?」

 

 

あぁもうまたそういう煽り方するから…。

せっかく落ち着きかけたイーミンがまた怒りの表情でティオナを見る、止める間もなくまた睨み合いを始めるとそのまま第二ラウンドに突入しそうな勢いだった。

 

 

「こいつ…!」

 

「ふふっ!悔しかったらここまでおい――でぇッ!!?」

 

 

追いかけるイーミンと逃げるティオナ、だったのだがティオナの頭ががくんと揺れる。

あまりに唐突な出来事に俺とイーミンは立ちつくすと、ゆっくりと崩れ落ちていくティオナの背後から現れた悪魔のような形相の女に震えを覚える。

 

――ティオナの姉であるレベル5冒険者、怒れるティオネに。

 

崩れ落ちている妹の胸倉を掴んだ姉は怒髪天の如き表情で吼える。

 

 

「ティオナぁッ!あんたまだ明日の遠征の準備終わってないのにどこほっつき歩いてんのよ!!」

 

「…」

 

「…ったく!男っ気が出来てもこれだから!…いっそくっつけた方が早いか…?」

 

 

じろりと睨みつけるような視線が俺に向く、肉食獣のような目に俺はブルリと震えるとティオネが脱力したティオナの事を抱えるのを何もできずに見送っていた。

 

 

「はいこれ勘定、お釣りはいらないから…足りるわよね?」

 

「え、あぁ」

 

「じゃ」

 

 

片手間に金貨を何枚か手渡され頷くしかない俺は、ティオネが肩に抱えたティオナを米俵のように運んでいくのをただ見送った。

 

そして――残されたイーミンと二人、暫くして俺はぽつりと呟いた。

 

 

「…あいつが今日の客の中で一番男らしいな…」

 

「…何の話だ?」

 

「いや、こっちの話だ」

 

 

潔いというサッパリしている、ティオナの回収という至極解り易い目的で、恐らくこの店に来てから5分と経たずに帰っている。

カッコイイとかそういうのとは違うと思うが、迫力といい何といい一番男らしいように感じた…いや漢らしいと感じた、重要な事だ。

 

 

「…」

 

「…」

 

 

また沈黙に戻る、何というか動くのも億劫で、惨状の跡をまるで作り上げた工作の完成を見るかのようにその全てを二人でしげしげと眺めていた。

治安が悪化し騒がしすぎる冒険者達、喧嘩と先ほどの机渡りで倒れたグラスや割れた皿、溜まっているオーダー、普段とはちょっぴりかけ離れた豊穣の女主人。

 

 

「今日は色んなことがあったな…」

 

「…そうだな」

 

「特に朝イチ」

 

「あれは…忘れろっ」

 

 

軽く横腹を殴りつけられる、にやけながら見れば彼女もまた堪えきれないように笑っていた。

何が楽しいのか解らないが、自分でも何で笑っているのか解らなかった。

 

 

「…ふっ」

 

「ふふっ」

 

「「フーハハハハハッ!!」」

 

 

お互い良い大人なはずなのだがさながら青春の一ページを飾るように笑う、いったい何が楽しいのか解らないが二人で高笑いを始めると止まらなかった。

喧噪に負けないように、人は理解できないことが続くと何故だか笑えてしまうものだ、もはや仲の良い二人はただ笑っていた。

 

夜はふける、これから現場の処理も残っているが跡それももう少しだけの話のようだ。

しかし楽しい、今日はあと数時間の営業を残して二人は理解も無く、今はもう少しだけ笑い続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…が、話はここで終わらない。

 

 

「「はっはっはっ!…ハッ!?」」

 

 

笑っていた二人はバッとバックヤードへと続く扉へと振り返る。

楽しかったという感情は一瞬のうちに消えゆき、ただ生存本能を震えさせるような事態が直接「近づいてくる」ということに目を見開いた。

 

ドシンドシンと床を震わす足音、思えばあの事件より一日と半分ほどの時間が経っている。

果たしてロクな看病をしていなかったとはいえ、例えその人が巨体だったとはいえ毒は抜け起きてくる可能性も充分にあった。

 

そして――ヤツがこの惨状を目にしたら。

 

 

「お、おい扉を押さえつけろリョナ!」

 

「…無理だっ!時間が足りないっ!!」

 

 

対処法が思い浮かぶことも無く。

 

――無情にも、重い足音が扉を開ける。

 

そこに立っていたのは巨体、いつも通りの不機嫌な…いやそれ以上のブチ切れ顔、漲る四肢、迸る圧。

 

…鬼、そこには、復活した「ミア母さん」が立っていた。

 

 

「「…!」」

 

「…」

 

 

冬眠から目覚めた熊のようにミア母さんは店内を見渡す、その目に映ったものは治安の悪い店内とところどころ割れた食器類、そして最後に先ほどまで高笑いしていた、ここにいるはずのない厨房のイーミンと、何故かコック服を着た常連だった。

 

――誰が悪いのか。

 

そもそも何故営業しているのかという疑問はすっとばされる、起き抜けのミアの思考には目の前で行われている店の異常事態と、恐らく事の発端なのだろう罪人しか見えていなかった。

 

…さぁ、目覚めの体操が始まる。

 

 

「とりあえず…アンタら、覚悟しな」

 

「「うっ…うわあああああああああああッッ!!?」」

 

 

鬼を前に、二人は絶叫を上げる。例え起きたてだろうとこの人に勝てるわけがないと2人は知っていた、まるで悪戯書きをした子供のように避けることのできない親のお叱りを甘んじて受けることになった。

 

 

「あっミア母さん!死んだんじゃなかったのか…!?」

 

「馬鹿野郎ミア母さんが何があったって死ぬわけねぇだろ!…っていうか俺達やばくね?武力制圧されね?」

 

「に、逃げるか…?」

 

「逃げたきゃ逃げろ!これからは俺達も参加するんだよッ!!」

 

「ヒャッハーッ!第2R(ラウンド)の始まりだぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」

 

 

…こうして乱れた豊穣の女主人は治安を取り戻し、俺の豊穣の女主人コックアルバイトは終わったのだった。

 

 

 

・・・

 

 

 

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