このダンジョンに神殺しが居ることは間違っている。 作:みころ(鹿)
・・・
獣は壊れかけの身体で走る。
痛み、感情、憎悪、悲しみ、怒り、そして――目的。
頭の中で渦巻く全てがぐちゃぐちゃに混濁しながらただ蒼く染まっていく。
その先に行けばもう戻れないと知っていた。だがそれを止める『自分自身』がもう獣の中には存在しておらず、例えあったとしても
…夕暮れの街を獣は疾走する。
人気の無い路地を行くことが殆どだったが時折悲鳴のようなものが聞こえた気がした。
しかしそんな事を気にする必要もない、『蒼炎』が優先すべきことはただ一つしかない。
――ただ主人の命令を叶えるために、目的に起因する感情を更に激しく燃やす為に。
『rr…』
化け物は、走る。
・・・
夜が都市を包んでいた。
空には星々が瞬き、負けじと都市光が人々の熱気を帯びながら煌く。
街はまだ眠らない、橙を灯す歓楽街を満月が静かに見下ろしていた。
オラリオ北部。富裕層の邸宅が多いこの区画は豪邸が多いためか人の行き来が少なく、ところどころに設置された魔石灯の明かりだけが道に円く光源を落としている。
そして――都市でも1、2に入る商系ファミリアである『マーニファミリア』の
広い敷地とその中央に造られた大理石の豪邸。どこか荘厳な神殿を思わせる建造物は大きく豪勢で、閉められた窓から明かりが淡く漏れており、月明かりに照らされて白くその身体を闇夜に映し出している。
閉じられた鉄扉から本拠地へと続く手入れの行き届いた庭園には生えた木々がぼんやりとその輪郭を象っており、風に木立が揺れガサガサと静かな音を立てていた。
正面の豪邸、神殿のような巨大な建物の脇に隠れるようにして木造の建造物がひっそりと建っている。
木造の一軒家、正面の本棟と比べれば遥かに見劣りする建物は古く、清楚で落ち着きこそあるが富裕層の邸宅にしては場違いで、屋根には三日月の紋章が掲げられていた。
隣接する二つの建物の一階にかけられた渡し廊下。
木製の通路は外に出ずとも互いに行き来できるように設計されており、屋根こそすれ壁の無い廊下は何の抵抗も無く夜風が吹き抜けていた。
「……」
どこかから犬の遠吠えが聞こえた。
渡り廊下に立った『女神』が立ち止まって夜の静寂を見つめていた。
後ろで一つに結んだ黒い髪、黄色の瞳。身に着けた薄緑とこげ茶色の地味な服、清廉で美しい顔立ちは化粧こそ必要としないがその表情は険しく、笑えば華咲きそうな可憐さも眉に寄った深い皺と鋭い眼光の陰に隠れている。
引き締まった身体には薄緑と焦げ茶色をした極めて地味な服が着られており、健康的な美しさはどこか深森の若鹿を思わせ、同時にその服装は自らの
女神は険しい顔に不安げな色を見せる。その目は豪邸へと続く大理石の美しい継扉に向けられており、きゅっとその白い拳は握りしめられていた。
息を吸う、目を伏せて少し逡巡した女神は夜空をスッと見上げると浮かんだ満月に手をかざした。
月は無機質に地上を見つめている、透明な光は美しい光を丸く描いていた。
いつもと変わらない美しい満月、何年も見上げてきた精緻な月を女神は見つめる。
――月神・マーニ、彼女は権能を封じられた身体で月を仰ぐ。
ため息交じりに肩を落としたマーニは再び大理石の扉に目を向ける、そして新しく作られたファミリアの本拠地にその足を踏み入れた。
・・・
「…」
マーニファミリア団長、ヒューキ・ガルの執務室は広い。
絨毯の引かれた部屋に建ち並んだ幾つもの石柱は高い天井を支えており、至る所に蔦のような装飾が施されている。
置かれた机や椅子は全て最高級の品質のものが揃えられており、良く掃除の行き届いた黄金装飾のされた棚には埃一つ積もっていない。
部屋の主、大商人ヒューキ・ガルは部屋の奥にある黒檀の執務机にゆっくりと腰かけている。
脂の乗った微笑みを浮かべるガルは柔らかな椅子にその肥えた全身をどっぷりと預け、時折満足げな息を漏らしながら自らの顎を撫でていた。
その弛んだ瞳は机の上に理路整然と片づけられた書類の隣、余りに広い机の中心に置かれた小さな檻へと向けられており、かけられた深い色をした赤幕はその中身が見えるように一部分だけはだけられていた。
部屋の中を静寂が包んでいる。薄暗い部屋の中に差し込んだ月灯がシャンデリアに薄い影を落とし、執務机の上に置かれた橙色のスタンドライトだけがぼんやりと辺りを照らしている。腰かけたガルの後ろにはフードを目深に被ったオリオ・シリウスが気配を殺して佇んでおり、その鋭い瞳を閉じながらどこか深刻気に俯いていた。
豪華絢爛な部屋。貴族階級の住まいを思わせる執務室は暗く、静かで――どこか
それはほんの僅かな、常人には全く解らないほど微かな獣臭。
停滞した空気の中に染み付いたその悪臭はどこかあの『地下室』を思わせた。
かけられた絵画にはおぞましい化け物が描かれている。
置かれたベッドには実在するモンスターの顔が彫られ、優雅に見えた部屋中の装飾にも目を凝らせば各所に怪物の姿があり、建てられた石柱にも至る所にモンスターの顔や身体が刻まれていた。
それは――『怪物趣味』と呼ばれた。
人類の敵であるはずの
とてもじゃないが悪趣味としか思えない調度品の数々、言葉の通り怪物趣味の家具に囲まれた部屋は主人を映すかのように醜く、汚れ切っていた。
大商人ヒューキ・ガルの裏の顔、化け物を愛でる狂った本性。
手下である冒険者達にモンスターを捕えさせ、時に怪物を都市外に卸し、時に自らで楽しむ。
しかし容易い道のりでは無かった、自らの欲望を実行するためだけにヒューキ・ガルはここまでマーニファミリアを巨大にし、団長という地位を『利用』して、今ではその歪んだ欲望を素直に吐き出せるようになった。
――それ以前はあの地下室がこの男の欲望を満たすための城だった。
本当のモンスターで遊べるようになる地位と権力を手に入れるまで、隠れ家を使い獣人の奴隷にそのどす黒い欲望をぶつけ、最後は全て『処理』した…したはずだった。
「……フ」
スタンドライトの明かりだけが檻の中に影を落としている。
鉄製の鎧は冷たく暗く、牢獄のように鉄格子を降ろし、その中の『モノ』を閉じ込めていた。
重くのしかかるような影の下で『それ』はぴくりとも動かない、ただその小さな手を鉄板の上につき長い銀髪を渦巻かせながら座っていた。
ガルの手が伸びる。太い指が檻の入り口を掴み、手で開けられる型の鍵をかちゃりと開くと軽い鉄格子を引いた。
白い寝間着の端が暗闇から見えた、下卑た笑みを浮かべたガルはその手を牢の中に緩慢に伸ばすと捕らえられた『少女』の頬へと触れかけた。
「…ヒューキ・ガル!」
その時、バタンと部屋の扉が開け放たれた。
ガルの手がピタリと止まる、開け放たれた扉から女神マーニはその姿を現した。
ちらりと机の上を見たガルは扉側からは赤幕で檻が見えない事を確認すると、椅子から勢いよく立ち上がった。
黒いポニーテール、睨みつけようにマーニはガルを見る。
その視線は自らの眷属を見る視線にしては鋭すぎた、弛んだ身体が跳ね上がるのを見送るとマーニは気丈なハッキリとした歩みを部屋の中心へと進めた。
「これはこれは、遅い時間によくいらっしゃいましたマーニ様!本日はいかがされましたかな?」
「っ…
「これは失礼いたしましたマーニ様。しかしそこまでおっしゃられるのなら、あのようなボロ屋敷いい加減取り壊してこちらの部屋に移動なされてきては?」
「なっ…!?」
マーニファミリアの旧館、それはファミリアがまだ名も無い頃から思い出の場所。
かつてまだ幼い『二人』とマーニが過ごした旧館は、ガルが主神でさえ止められない程の派閥を築いて暫くが経った今では彼女ただ一人が住まう空虚な城になってしまっていた。
その背景には何より――オリオ・シリウス、ファミリア内で一番の実力を持つ彼がガルの下についたのが大きかった。
(何故です、オリオ…!?)
顔をしかめたマーニはガルの後ろで顔を伏せたまま動かないオリオを哀しみと共に見る。
自分の一番の味方であったはずの
視界を遮るようにガルがこちらに歩んでくる。その立ち振る舞いにはどこか余裕が滲み出しており、実際ファミリア内の影響力の差を考えればその余裕も頷けた。
目の前に立ったガルは仰々しく改めてマーニの事を見下ろす、口髭を弄りながらマーニを見下ろすその瞳は微笑みながらも何か打算的な考えが見え隠れしているようにも見えた。
孤独な女神は歯噛みする、自らの眷属の暴走を止められなかったという後悔がその象徴的ともいえるガルの前で溢れ出した…だが、同じ以上に親としての使命感も強かった。
「とはいえ…まぁそれにつきましては女神様にも何やらお考えがあるご様子、そう急く必要も無いでしょう。それで、今宵はいかがされましたかな?少し遅い時間ではありますがお茶ということでしたらお付き合いしますよ?」
「茶などいりません、今日私はあなたの悪行を正すためにここへ来たのです!」
「…ほう。と、言いますと?」
気丈に言い放ったマーニにガルは首をかしげる。
白々しい態度に月神は更に顔をしかめると、睨みつけるようにマーニの弛んだ顔を見上げた。
「はじめにファミリアの私物化!あなたは私が与えた団長という地位を濫用し、自らの欲望を叶えるためにこのファミリアを堕落させました!そして――」
「お待ちを!言っている意味が解りませんな、ファミリアの財に貢献こそすれ私がいつファミリアを堕落させたと…!?」
「黙りなさい!多くの無垢な子供達を騙し、怪物の売買を行わせていることを堕落と言わず何と言うのですか!何より――あなた自身が、忌まわしい怪物趣味などに手を染めた!!」
「…」
初めてガルが表情を崩した、少し不愉快に瞳を細め僅かに目を逸らすと痛みに耐えるように数瞬を考えた。
そして何か口を開き、閉じるとまたマーニを見下ろすと、
「怪物趣味、ですか。私がそうだという証拠はおありなのですか?」
「それはっ……ありませんが…!」
マーニはガルが怪物趣味だということは知っていたが、詳しく何をしているかまでは知らなかった。隠れて何かをしているということは解っても、主神という立ち場でしかない自分では証拠を集めることさえままならなかった。
自分の無力さを女神は歯噛みする、ここ数年孤軍奮闘してきたがガルを追い詰めるようなことは出来なかった。
マーニはふとガルの執務机の上を見る、綺麗に整頓された机の上には厚ぼったい紺色の布がかけられた四角い何かがあった…が、それが何かまでは解らなかった。
ヒューキ・ガルが呆れたようにため息をつく、やれやれと首を振る大商人はマーニの事を見据えると軽く首を傾け口を開いた。
「ふぅ……一人でお暮しになっているうちに随分と妄想がお得意になられたようですな、マーニ様。そのような根も葉もない戯言をおっしゃられては団員達の風紀に関わるというもの――それこそあなたが『本来の名前』を名乗って頂けるのなら――」
――――……ドォンッ…。
その時、窓の外から何かが爆発するような音と共に振動が伝わってきた。
蒼い光が炸裂する。カーテン越しに明暗が瞬き、まるで何事もなかったかのように消えた。
訝し気な表情を浮かべるガルとマーニが視線を向ける中、窓際のオリオはその氷のような表情を変えぬままカーテンをめくる。
少しの合間窓の外を確認すると、表情を変えぬまま二人の方へ向き直った。
「…どうやら敵襲のようです、庭園に侵入する影が見えました」
「ほう?どこのファミリアの手先か知らないが、敵陣に一人でくるとはなんと愚かな……」
「っ…大丈夫なのですか!?」
「ほっほ、そうご心配なされなくてもご安心を。おおかたうちをただの商系ファミリアと侮っての襲撃でしょうが、うちには優秀な冒険者も充分に多い。…すぐにコトは片付くとは思われますが、万一に備えマーニ様はお隠れになられますようお願いしますよ」
「……解りました。くれぐれも気を付けるよう
頭を下げたガルにマーニはどこか心配げな表情を浮かべちらりとオリオに視線を向け、くるりと振り返ると開け放たれたドアから颯爽と立ち去った。
女神を見送ったガルにオリオが近づく、マーニファミリア最高位冒険者のその
「…いかがなさいますか?」
「ふむ、オリオ君はどう思うね?」
「……可能性は高レベル冒険者による単騎襲撃、ですがそれでは先ほどの爆発は余りにずさん過ぎるかと思われます。あるいは斥候かと」
「なるほど、では全員を召集し正面玄関で迎え撃つことにしましょう。バリケードを設置し、階段の踊り場から魔法と矢を撃てば守り易い。絶対に庭園に討って出てはいけませんよ、それこそ罠の可能性が高い。あと非戦闘員は隠れるように…それともし火をつけられたら非戦闘員を援護しながら規定通り避難するように伝えるのですよ」
「はい、かしこまりました」
「あぁ、それと――」
最後に数言交わした後オリオは会釈してから部屋を出ていった。彼の伝令であればすぐに防衛線は引かれ、マーニファミリアの有能な冒険者達であれば必ず賊も撃退することができるはずだ。
まだ見ぬ襲撃者にため息をついたヒューキ・ガルは肩を落とすと自らの執務机に戻る、どさりと自らの闘いには赴けない肥えた身体を落とすと息を漏らしながら背もたれを押した。
開け放たれた鉄格子を見るとその中のモノが身動ぎ一つ動いていない事を確認し、笑みを浮かべた。
だがふとその表情がはたと戻る、怪訝な表情で眉を顰め既に過ぎ去ったと思った可能性を考えた。
とはいえ…まさか追跡は不可能だろう、そう自らの思い付きの鼻で笑うとその視線を窓から見える高い月へと向けたのだった。
・・・
「…おい、そこの机をこっちに持ってきてくれ!」
「おう!」
マーニファミリアの一階、宮殿のような正面玄関では冒険者達によって襲撃者に備えたバリケード建設が急遽行われている。
普段は団員達の交流などが行われている広間には長机が倒され、作業に走る武装した冒険者達が忙しく準備を進められていた。
二股に分けられた階段下、バリケードの設置された広間には完全武装した冒険者が25人。
そしてアーチ描いて合流する階段の『踊り場』には遠距離攻撃あるいは魔法が扱える恩恵を持った冒険者が6人、いつでも支援と攻撃ができるように備えている。
平均レベル3、全員が良く鍛えられたマーニファミリアの冒険者達は強く、連携を得ていた。
「…よしバリケードはそんなもんで良い!下の奴らは装備確認してからそのまま隠れて待機!魔法使い連中はいつでも詠唱できるように準備しとけ!待機っ!!」
「はい!」
大広間を見下ろせる階段の踊り場から全体の指揮していたレベル4冒険者セーグは張り詰めた声をあげる。
スキンヘッドの大男、セーグ。筋骨隆々な身体は盛り上がり、その特殊な戦い方から『
普段はマーニファミリア本舗の店長をしている彼はその特徴的ともいえるエプロンを外し、代わりのチェインメイルとその手には鎖が巻き付けられていた。
(…襲撃者、か)
数分前、オリオの伝令から作られ始めたバリケード。
全員に伝えられた謎の襲撃、敷地入り口からの爆発音は館にいた者になら聞こえており、事態を察知した一部の冒険者は既に交戦する準備を進めていた。
だが当のオリオは伝令を伝えたすぐ後に去ってしまった。それが何故かは知らないが、とはいえこれだけの戦力があればいかな襲撃者の対処も容易いことだろう。
何より敵は一人と聞く、それに例えファミリア最高戦力である奴がいなくともここには自分がいた。
(どこのどいつだか知らねぇが…倒せば一緒だろ)
握りしめたセーグの鎖がギチリと鳴った、まだ見ぬ敵への殺意に血潮が熱く触れた。
――シャンデリアの明かりが消える。
物陰に潜んだ冒険者達の息遣いだけが微かに聞こえる大広間、縦に長い窓は大きく透明な月を遥か闇夜に映し出す。
この中の全員が敵が誰か知らない、しかし自らのファミリアの領域を侵犯する外敵への容赦など存在するはずもなく、その武器を振るうことに何の抵抗も無かった。
静かな闘気が流れた。場を掌握したそれはマーニファミリア全員に一種の連携感を与え、例えどんな強襲であってもはねのけられる確信を持たせた…事実冒険者達の防衛線は堅く、
誰かが武器を握りしめた。大理石で構成された玄関は暗く、広い。
音のしない空間はまるで無人のようであり、何人もの冒険者達が獣のように息を殺してその身を潜めている。
戦いの時は近い。
どこかから僅かに金属の擦れるような音が聞こえた、ドアの外に誰かが立っていると冒険者達が気が付くより速く――
蒼い炎の残滓が窓の外で攪拌した。
真理の蒼、この世のありとあらゆる色を拠り集めても創れない色は濃い。
窓から見える僅かな視界を埋め尽くすかのように舞った火の粉は徐々にその勢いを増していき、やがて激流のように渦巻くと鼓動した。
美しい光景だった。
蒼い散炎で出来た翼、視界を埋め尽くす未知の光。
それは終極の狼煙、驚愕する冒険者達の目前で蒼炎は激しく揺らいでいた。
そして炎はやがて三つの爪の形を象ると天を指し、激しく爪を掻き鳴らすと余った白火が収束した。
――炸裂する、放たれた熱量に扉と壁が歪曲し、膨張すると限界を迎えて弾け飛んだ。
肌に吹き付ける熱波、乾いた圧が空気を揺らす。
たった一度の攻撃で吹き飛んだ壁には巨大な風穴がこじ開けられ、炎によって強引に吹き飛ばされた扉と壁の残骸が燃え尽きながら宙を飛ぶと、鈍い音をたてながら地面を転がった。
煙の臭いが鼻をついた。立ち上った巨大な煙柱は濃く、周囲は蒼炎で広く延焼している。
突如起こった強い爆発に冒険者達は驚愕し、そして爆発を引き起こした『誰か』の姿を探して白煙を睨みつけていた。
そして――――遂に、それは姿を現した。
「…ッ!?」
煙を割りながら現れたのは、廃材の騎士。
狼の兜を抱き、規格外の巨剣を引きずりながら歩むその姿はどこか『苦痛』を思わせる。
纏った蒼炎はこの世に存在するどんな色よりも濃く、沸き立つ火炎は舐めるようにして周囲を熔かしながら揺れていた。
それは人の形をした何か、意志の感じられぬ歩みは止まらない。
外から広間の中に入ってきたその騎士は瓦礫を踏み潰しながら足を引きずっており、よろめきながらただ前へと進むその姿は隙だらけのように見えた。
冒険者達に一瞬の困惑が走った。
謎の襲撃者の存在、それは恩恵すら持たぬ木っ端なのか、あるいは敵対ファミリアに属する冒険者のどちらかだと誰もがそう考えていた。
しかし目の前に確かに存在するソレはまるで、火を纏った化け物を無理やり人間という形に押し込めたような姿であり、何か特殊アビリティを発現させた冒険者というには余りに禍々し過ぎた。
何故、ここにモンスターが?
ダンジョンにしか存在しないはずの化け物、それが何故地上に現れ自分たちのファミリアを襲撃しているのか。
咄嗟に答えが出てくるはずもない疑問にさしもの歴戦の冒険者達もその動きを止め、この場にいる全ての者が一瞬その炎の騎士に注視し固まった。
「…一番槍は、この俺が頂いた!」
――その一瞬を動いた者がいた。
バリケードの横を走り抜ける三人組、それは偶然にも今マーニファミリアで期待の寄せられるホープであり、勇猛果敢さにかけては他に並び立つものはいない。
「待ッ…!?」
だが今回は何かがおかしい、その勇気は軽率過ぎる。
セーグはレベル3の三人を止めようとするが既に疾走している彼らに届く声は無く、踊り場にいるセーグではその腕を掴むことは出来ない。
先頭を走るのはリーダーである槍使い、整った容姿と鋭く鍛えられた身体はマーニファミリアにおいて中堅の強さを誇っており、そのポテンシャルは順当に育てばオリオにまで並び立つと謳われていた。
そして続くパーティメンバーの二人、一人は盾と短刀を構えた小男、最後には直剣を構えた紫髪の兎人の女が続いた。
若手筆頭、全員がレベル3のパーティ。
その実力は確かであり、今マーニファミリアの中で一番勢いを持っている…だからこそ未知の敵でも臆さず飛び出した。
既に狼騎士との距離は近い、それぞれの武器を構えた三人は鍛え上げた恩恵で走る。
目の前の狼騎士は文字通り隙だらけであり、襲い掛かる冒険者達には油断こそ無かったが余りに急な出来事に誰も支援に入れていなかった。
そして槍を構え、勇士達は襲撃者に飛びかかり――
――今まで、地面ばかりを向いていた狼騎士と眼があった。
「…おおおおおおおおおッ!俺の名前は
余りに容易く巨剣が振るわれた。
剣を握りしめた騎士は刹那その身を翻すと先ほどとは打って変わる俊敏な動きで、迂闊にも間合いの中で名乗りを上げようとしていた男の腹を切り飛ばした。
強い踏み込み、そして放たれた重い斬撃。ひたすらに走っていた男はその一閃を避ける術を持たず、咄嗟に防御しようとした長槍ごと真っ二つに男の身体を斬り裂いた。
刀身が男の肉体にめり込むと鈍い音をたてながらあり得ない方向に折れ曲がった。
鮮血が撒き散らされる。巨剣の描く軌道は赤色に染まり、振り切られた剣先が地面を砕くと、遅れて二つに別たれた身体がぼとりと地面に転がった。
「ッ……がぼぉっ!?」
巨剣から手を離した狼騎士は、肉薄した二人目に素早く鉄その拳を叩き込む。
鎧に覆われた2m近くの身体から放たれる拳は速く、直線的に小男の顔面に突き刺さると炸裂した。
顔面が陥没し、その威力もさることながら放出された炎によって小男の顔面は焼け爛れた…その拳筋は鋭く、たった一撃でレベル3冒険者の硬さを貫く程の威力と熱を持っていた。
「な…えっ……?」
即死し吹き飛んだ小男を避けた兎人の少女は思わず足を止める…仲間二人の余りに早すぎる死に足を
その瞳に映ったものは蒼炎を纏った一匹の獣、廃材で造られた鎧、蒼い炎のマントを翻して地面に突き刺さっていた巨剣を持ち上げた。
そして――自らの死を見た。
「あ…やっ……――――」
最上段に構えられた巨剣、向けられた狼騎士の蒼く燃えた瞳。
その視線は極限までの殺意に満ち、その蒼炎を照らす剣身は濃い鮮血で濡れていた。
死が迫る、生じた刹那に自らを殺す相手を兎人は確かに見る。
それは余りに唐突で、しかし吹き付けてくる熱と殺意は紛れもない現実で、為す術はなく、心の中で祈る時間さえ残されていない。
…無慈悲に巨剣は振り下ろされる。
特大の質量で構成された鉄塊は兎人の女の頭に叩きつけられ、その勢いのまま縦に押し潰した。
それは水風船が破裂するような光景だった。化け物は全身で巨剣を振り下ろし、何の抵抗も出来ずただ茫然と立った兎人を殺した。粉砕され、不快音が木霊し、兎人の中に詰まっていた血液が噴きあがった。
誰もがその早すぎる結末に声を漏らした、その中で返り血にまみれた狼騎士はガコンと巨剣を持ち上げる。するとそこにはかつて兎人の少女だったひしゃげた肉塊が、その原型すらなくミンチのようになって半ば地面に埋まっているのがほんの少しだけ見えた。
「…!」
それは余りに一瞬の出来事、誰もが突如現れた『
迂闊に先行したレベル3冒険者三人はみなただの一撃で一刀両断、あるいは原型すら残らぬほどの哀れな最期を迎え、余りに早く――ただ、殺された。
恐怖、あるいは戦慄が走った。
ある者はファミリアでもそこそこの実力を持っているはずの彼らが瞬殺され、またある者はそれを行った敵の戦闘能力を図って歯を食いしばった。
少なくとも冒険者にしてレベル5以上の実力、加えて謎の火炎を操るその能力は強敵以外の何物でもない。
そして――
『aa…GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』
蒼い獣が咆哮した。
ビリビリと鼓膜と建物が震える。その声は紛れもなく人のそれではなく、聞くもの全てに頭まで鳥肌をたたせた。
しかしその咆哮は憎悪以外にもどこか悲哀や苦悩といった感情がぐちゃぐちゃに入り混じっていた。
纏った蒼炎が炎柱のように燃え上がり、館に移ると煌々とその熱を湛え始めた。
暗闇の中で恐怖を浮かべる冒険者の顔と、巨剣を構えた獣のおぞましい姿が浮かび上がる。
狼騎士の身体にかかっていた返り血が瞬時に蒸発すると、辺りには血煙の臭いが漂った。
まごうことなき化け物の咆哮、人の心に恐怖を植え付ける特大の声は怒りに、憎悪に満ちており、理性など一切感じられなかった。
――同時に冒険者達は理解した、あれはダンジョンに住まうはずの
「うろたえるなッ!」
声を張り上げたセーグは今一度鎖を握りしめる。
突如現れた灰塵の騎士と異界の炎によって冒険者達はかなり混乱してしまっており、蔓延する恐怖と動揺でこのままでは戦線が崩壊しかねない。
(何っだありゃ……深層のモンスター、なのか?…何でこんなとこにっ……!?)
高レベル冒険者による単騎突入、否、突如地上に現れた高位のモンスターによる襲撃。
ダンジョンから出ることが出来ないはずのモンスターが何故ここにいるのか、何故自分たちのファミリアなのか。
セーグとて現状を正しく理解していない。ただ目の前で起こった事だけは事実であり、あの『モンスター』がとてつもない戦闘能力を持っていることは明らかだった。
仲間達の視線が自分に集中していた。
抗戦か、撤退か。みながその指示を待ち、それを考えるのは自分だけ。
彼我の戦力差、しかし人間ならまだしもあの化け物を相手に撤退などしたら、いったい何人の被害者が出るか解らない、それほどまでにあの獣は強大だ。
ならば――ここで、倒すしか無い。
「…レベル3以下の冒険者は全員支援!レベル4以上の奴は一発でも喰らったら終わりと思え!後方部隊はすぐに詠唱開始しろ!――ここで、倒すぞ!!」
「「…はいっ!」」
命令に冒険者達が応えた、辛うじて残った士気を振り絞った彼らはそれぞれ己の武器を握りしめると、狼騎士に立ち向かう。
階段の踊り場からセーグは飛び降りる、ドン!と膝で衝撃を殺すとジャラリと金属音が鳴り響き、鎖とその先に結ばれた檻が鎖帷子の後ろに見えた。
狼騎士が巨剣を握りしめる。
その眼に理性は無く、ただ獣性に満ちた憎悪だけが牙を剥いていた。
微かに息を漏らすとゆらりと前面に倒れこみ、獣の視線を前に向けたまま歩み始めたのだった。
・・・
詠唱終了まで残り60秒。
幾つもの魔法陣が展開された踊り場、バリケードから走り出た冒険者達とそれに相対した狼騎士。
蒼炎に濡れた大広間は咆哮の余波によって至る所が炎上し、存在するありとあらゆるものが陽炎に透かしたように淡くその輪郭を熱と揺らしていた。
孤立した獣に向けられる敵意は鋭く、巨剣を構えた化け物はその蒼い瞳に憎悪を滾らせ巨剣に炎を充填する。
走り出した双方は恨み合う定めに従った人とモンスター、既に戦いの火蓋は切って落とされていた。
『Gaa…!』
狼騎士は熱息を漏らし、自らを取り囲んだ冒険者達を見渡す。
手際の良い連携、即座に包囲された状況、敵委に満ちた邪魔者達の姿に獣は優先順位を変更すると一番手近な冒険者に狙いをつけ、化け物じみた動きで走行を直角に折り曲げた。
『ra……!』
「クソ、俺かよっ!?」
巨剣が振り下ろされる。踏み込み、体重、全てが込められた強烈な一撃は先程兎人の少女を潰したときの一閃と変わらず、鬼気迫る鉄塊は余りに容易く死を運んだ。
まともに触れれば誰であれ即死しかねない、標的に選ばれたレザーアーマーを着た男は恐怖を顔に浮かべると振り下ろされる厚い刃先に注視した。
男の身体の隣を紙一重で巨剣がすり抜けた。
絶死の一撃、その身の丈と変わらない巨剣を軽々と扱う身体能力はかなりの脅威となる。
だが――その人外の動きは極めて単調だった。
何も考えず、ただまっすぐに斬りこんでくる動きはレベル4冒険者にとって読むのは容易く、如何に速かろうと避けるのは簡単だった。
とてつもない威力で振り下ろされた巨剣が大理石の地面にのめりこんだ。
当たれば即死、狼騎士の攻撃をすんでのところで躱した男は砕かれた石片が足にかかるのを見下ろすとその顔を歪めた。
レベル4の動体視力と身体能力を持っていれば狼騎士の巨剣を躱すことはそう難しい事ではない。
しかし肌で感じた威力と熱、先ほど目の前で余りに容易く殺され殴られ潰された仲間三人の事を思えば一切の油断は出来なかった…今の一撃だって、躱せなければ即死していた。
『rr…AAAAッ!!』
「…ッ!?」
巨剣を振り下ろした後、当たらなかったことを悟った狼騎士は化け物じみた反射で落ちていく剣から手を離すと先程のように拳を振りかぶった。
蒼炎で出来たマントがはためく、咆哮と共に狼騎士は左拳を握りしめると最短で男の顔に突き出した…余りに素早く流れる弐撃目に反撃の隙さえ無かった。
「っ…おおッ!!」
男は自らの得物である長い双剣を交差させ拳を防御する。
ガゴンと金属音をたて拳は踏ん張った男の構えた双剣に止められ、それでも殺し切れなかった威力が男の身体を宙に浮かした。
数メートル飛ばされた男は何とかその足を地面につけると踏ん張り耐えた。
高位の化け物の一撃、だが充分耐えられると解った男は恐怖と共に希望を抱く。耐えて耐えて魔法で逆転さえしてしまえば勝機はあると確信――
「……は?」
それより速く、男の構えた双剣が蒼く染まり光り輝いた。
大きく男の顔に光条が差した。一瞬の出来事に男は双剣を手放すことも出来ず、光が最大級を迎えるとその容をどろりと崩した。
――『パァンッ!』
鋳造された双剣が炸裂する。
暴力的な熱量に耐えきれず限界を迎えた蒼鉄は僅かに膨張すると、強い破壊を巻き起こした。
腕、胸、下顎。
火炎と鉄、撒き散らされる破壊は鉄片を撒き散らす榴弾にも似ており、至近距離の男の身体を吹き飛ばした。
恐らく即死、体中に砕けた鉄片が突き刺さった男は虚ろな瞳で後ろにゆっくりと倒れる。両腕と顎を失った男は血を噴き、地面を転がった。
狼騎士の背中に双剣の破片がパチンパチンと反射する。
…僅か、5秒にも満たない死だった。
『GAAA……』
目の前で起こった無惨な最期に再び固まった冒険者達の中で狼騎士は熱い息を吐きながら次の得物へと狙いを定め、剣を振るう。
謎の力、無惨な死を遂げた男の事をセーグは頭の中でぐるぐると困惑しながら冷静に包囲の輪を狭めていった。
『AAAAAAAAA!』
戦い、人と化物の殺し合いは荒れ狂う業火の中で行なわれる。美しい蒼炎は影を落としながら徐々にその勢力を拡大し、天井に吊り下げられたシャンデリアに燃え移ると巨大な篝火となって大広間を蒼く照らした。
巨剣が振るわれるたび血が流れる。
全方位から襲い来る高レベル冒険者達の猛攻を狼騎士は人外の動きで躱し、咆哮を轟かせながら回転した。
強力な破壊と憎悪を乗せた巨剣が冒険者に触れると装備に関わらず、ただそのたがの外れたような力で真っ二つに斬り飛ばされる。
しかしそれだけが脅威ではない。蒼炎、肉体、そして鉄を鋳造する力。狼騎士は自らに迫る武器を掴み、鋳造すると炸裂…いや、『暴発』させた。
破壊を具現したような巨剣、そして拳に触れた鉄が炸裂する異形の能力。ただでさえ疾く力強い狼を、冒険者達は連携し
殺し、殺して巨剣が回る。
獣の歩みは死を引き連れ、纏った蒼炎はその色を更に増していった。
戦闘開始から40秒程が経つ、しかし既に何人もの冒険者が狼騎士によって殺されており、原型を留めていない死体が足元に転がっていた。
状況は一方的なはずだった。
だが人の形でありながら獣じみた闘い方の前に冒険者達は一人、また一人と殺されていった。
「くっ…このっ……ぎぁ!?」
「セリア!くそっ、やらせるかぁぁぁぁっ!!」
『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッ!!』
余りに容易く斬り飛ばされた腕が地面に落ちる。血塗れになった腕を抑え、痛みに倒れた仲間のために立ちはだかった冒険者に狼騎士はまた強く咆哮を上げた。
構えられた巨剣が強引な腕力によって物理法則を無視した一閃を繰り返す。絶大な破壊力を持った一撃は誰にも止めることなど出来ず、いくらその剣筋を『読む』ことが出来たとして次第に速くなる巨剣を躱すことは難しくなっていた。
息が切れる。盾を構えた女冒険者は良く耐えていたが、疲労した一瞬の虚をつかれ両脚を中心から斬り飛ばされた。
また炎が大きくなる、重なった絶叫をあげる二つの身体に巨剣を振りおろした狼騎士は淡々と二人に止めをさすと、濃い炎で散らばった血液を死体ごと蒸化した。
もう何度目か。
再び、潰された肉塊が出来上がった。
「おおおおおおおおおおおおおお!」
セーグが走りこんでくる。
一歩踏み出すたびに拳に巻いた鎖がジャラジャラと鳴り響き、そして蒼炎を踏み潰しながら狼騎士へ肉薄するとその拳を振るった。
狼騎士の瞳が緩慢にセーグに向けられる、乱雑な邪魔者達のうちの一人として認識するその瞳は殺意と憎悪に燃えており、獣のようなため息を漏らしながら再び巨剣を持ち上げた。
『AAAッッ!』
「おらぁっ!」
咆哮と共に繰り出された大振りな縦振りをセーグは躱す、振り下ろされた鉄塊が地面を砕く隣を、鎖を引きずりながらセーグは走り抜けると狼騎士の肩に『檻』を叩きつけた。
鎖の先に括りつけられた黒鉄檻、武器としては些か不向きなようにも見える立方体の鉄箱は硬く、狼騎士の身体を強く揺らすとうめき声をあげさせた。
檻を纏った強烈な拳、セーグの放った一撃は狼騎士の身体にかなりのダメージを与えたはずだ。
しかし鎧を纏った獰猛な獣の勢いを止めることなど出来ず、傷ついた身体を強引に振るいながら狼騎士は再び巨剣に力を込めた。
『gaa……a…?』
「
――しかし肩が動かない、まるで何かに『引っ張られる』かのように狼騎士の肩は前に進まず『鎖と檻』で固定されていた。
そこには『檻』があった。いつのまにか肩に埋め込まれた鉄檻、肉体と鎧を貫通して設置された檻は痛み無く狼騎士の肩を固定しており、檻から地面に続く鎖が行動を強く制限していた。
それは今までセーグの握っていた檻だった。殴りつけた際に設置された檻によって狼騎士の動きと思考に一瞬の隙が生まれた。
発展アビリティ『設置』、半ば魔法に近いその力はこと『拘束』することに関しては都市一番かもしれない。
セーグの扱う武器が檻に繋がれた鎖なのもこれが理由である。『固定した』檻で
空間固定、僅かに次元を歪め檻は狼騎士の肩を貫通しているが実際に突き刺さっているわけではない。
故に血は出ていない、ただ狼騎士の右肩はその駆動域を5cmほどに留めており咄嗟に巨剣を振るおうとした狼騎士の動きを鎖で拘束していた。
『GAA…!』
煩わし気に肩に固定された檻を睨みつけた狼騎士は一切の躊躇なく動ける左拳を振りかぶる、自らの身体付近という事をお構いなしに再び鉄を炸裂させようとしているのは明らかだった。
「やらせるかよぉっ!!」
『g…ッ!?』
檻に迫った左拳を阻むようにセーグの二つ目の檻が拘束する。
右肩に辿り着く前に左拳を包み込んだ檻はその勢いを完全に殺すと、鎖の反動で拳を撥ね返した。
少し緩い、しかし確かに拘束した左手は右肩には届かない。
狼騎士は脅威だ、しかしいくら強かろうがその動きを止めてしまえば殺すのは容易い…特に、パーティ戦では数秒の隙は大きい。
「流石ですセーグさん!――
「おうよ!」
踊り場からの声に腰から三つ目の檻を取り出したセーグは狼騎士の足にダメ押しの『設置』を施す。
ガチンと足の甲に叩きつけられた檻は鎖を必要とせず足先を地面と共に拘束すると固まった。
『aaaaa……!』
檻で三つに縫い付けられた狼騎士は低く震えるように唸りながら、蒼い瞳を上に向ける。
階段の踊り場、幾重にも展開された魔法陣の後方には杖を構えた魔術師たちが魔力を乗せた詠唱を繋げ、今まさにその光は最高潮に達しようとしていた。
それを見上げる狼騎士の身体は荒々しく身体を揺する、しかし高出力の一撃を前に身体は動かず――やがて、魔術で編み上げられた砲塔はその身体に向けられた。
――――――――ッッ!!
光が攪拌する、魔力を帯びた粒子は瞬き収束すると力を打ち放つ。
それは光塵の矢、虹色をした魔力は高所からまっすぐに狼騎士に突き刺さると纏っていた蒼炎さえ吹き飛ばし、激流となってクレーターを作り出した。
音が掻き消えた、視界を白い火花が覆いつくした。魔力の放出に合わせ距離をとった冒険者達は傷ついた身体で魔法使い達によって行われた多重詠唱の衝撃に耐え、掌で瞳を隠した。
光が開ける、高出力エネルギーの放出は僅か3秒ほどで消えた。
しかしその短い時間で貯めこまれた全ての魔力は放出され、空間を振動させながら絶大な破壊をもたらした。
強力な魔法威力。いかに高レベルな魔物であったとしても今の一撃を受けて無傷でいられるはずがない。
誰もが狼騎士の死を信じた、破壊光の中では何もかもが崩れ消えていく。あの中で生物が生き残れるはずがない、どれだけあの化け物が強くともあんな魔法をまともに受けて死なないはずがなかった。
煙が晴れる。徐々に見えるようになってきた視界は微かに青みを帯びており、強く鮮やかな光の残像を残して感覚を取り戻した。
捲れ破壊された地面、強力な破壊の中心には未だ稲妻を内包する雷煙がバチバチという激しい音をたてながら渦巻いており、やがて薄れた。
「何だと…!?」
…人影が一つ、見えた。
巨剣を地面に刺し、その影に隠れるようにしゃがみこんだ狼騎士は肩で荒く息をしながら確かに生き残っている。
高威力の一撃、狭められた身体はギリギリ巨剣を扱うには足りたらしく、狼騎士が巨剣を盾として使って魔法を防いだことは明らかだった。しかしあれほどの攻撃、直接触れなかったとはいえさしもの全身鎧と言えどダメージは大きかったらしく、かなり損耗した狼騎士は全身から血を流してその炎も勢いを弱めているように見えた。
そしてその肩と拳、足からは檻が外れていた。直撃ではなかったとはいえあれほどの魔法を耐える程の耐久性はセーグの檻には無く、その残骸だったものが狼騎士の足元には転がっていた。
(あの巨剣を何とかしねぇと…!)
極長のリーチと破壊力を持つ巨剣、今まで数知れないほどの仲間達の命を奪ってきた。
身体の拘束は外れてしまった、魔法で仕留めきれなかったのは残念だがあの巨剣を縛ることが出来たなら勝機がぐっと近くなる。
息をつき覚悟を決めたセーグは再び狼騎士に走り出す、その手には最後の檻が握りしめられており、蒼炎を鈍く反射していた。
これを巨剣に設置する、鎖で縛り付けてしまえば狼騎士と言えど巨剣を扱えないし、武器さえ奪ってしまえば討伐は楽になる…それが出来るのは自分だけだ、あれを倒せるかどうかはセーグの一撃にかかっていた。
追い詰められた獣にセーグは油断せず距離を詰める、規則的な足音に気が付いた狼騎士がぐりんと蒼い瞳をセーグに向けやはり巨剣を持ち上げた。
狼騎士の動きは単調だ、しかし高速で動かされる巨剣に檻を当てるのは危険、そうでなくとも斬り殺されないようにするのは難しい。
そして強く踏み込んだ、瞬間巨剣が横薙ぎに空間を刈りとった。
『GAAッ!』
「くっ…!」
生じた空気を肌に感じながら潜り込んだセーグの肩を巨剣が掠める、装着した鎖帷子に引っかかった刃先に引っ張られ痛みを感じた後に鎖が弾け飛んだ。二回目の巨剣を何とか避けた。
ひび割れた地面に手をついたセーグは反動をつけながら仰ぎ見ると拳を握りしめた狼騎士が体重を乗せて打ち下ろそうしているのを感じた。
「解んだよっ!」
鋭い拳、しかしもう何度も見たその攻撃をセーグは吼えながら地面を転がる。
蒼炎を纏った篭手が空を切った、再び地面に腕をつき片膝をついたセーグは狼騎士の無防備な巨剣の腹へと檻を叩きつけた。
ガシャンという金属音、巨剣と檻の合間の空間が歪みねじれこむと同化し、蛇のような鎖が強く縛り付けた。
「今だっ、やれっ!」
一番の脅威である巨剣は封じた、この隙に全員でかかれば必ず狼騎士を殺せる。
残された仲間達にセーグは視線を向ける、勝利を確信したセーグはただ巨剣を縛ることだけを考え、事実それだけが冒険者達の勝機だったように感じられた。
しかし…もしも、まだセーグの手元に檻が残っていれば、
「後ろ――」
周囲を囲んだ冒険者の一人がセーグの後方を指さす。
――武器を失った狼騎士の口が開いていた。
それはただの狼兜のはずだった。噛み合わせた牙は硬く閉じられ、無機質な憎悪を象っていたはずだった。
吐息が漏れた、蒼炎が舌先のようにチロチロと揺れ、鋭い牙先がゆっくりと擦れ合う。開けられた鉄の口腔は涎を垂らし、生々しい挙動で狼騎士の声をトレースし、セーグの肩を掴みながら大きく開かれた。
「…がぁああっ!?」
セーグの首に、獣が噛みついた。
鋭い鉄牙は容易く男の首筋に突き刺さり、その口元に血を満たす。
激痛に抵抗するセーグを巨体で抑え込んだ狼は素早く何度も首に噛みつき、貫いた。
セーグは狼の胸を殴り、押し、逃げようとするが化け物の身体は一切揺らがず、やがてその抵抗も血が噴き出す度に弱弱しくなっていった。
狼騎士がセーグを突き倒す。潰すような力にセーグは抵抗することは出来ず、既に落ちかけている意識の中でマウントを取られてことだけが解った。
牙が大動脈を切り裂いた、噴水のように宙を濡らす血の中で狼騎士は何度も何度も肉をブチブチと食いちぎり、その口元には赤黒く染まった肉片がだらりと垂れているのが見えた。
唯一見えるセーグの足が痙攣していた、肉に顔をうずませ喰らう化け物は赤色を撒き散らし、身体を揺すりながらセーグの内臓を牙で貫き潰していた。
血が噴き出る度その場にいる全員が身を震わせた、あれが
全身を朱に染めた狼騎士が立ち上がる。
その身は肉片に塗れ、足元には血肉を引き裂かれたセーグの無惨な死体が転がっていた。
食い散らかされたその身体は血を流し、首元だけでは無く肺や心臓まで食い荒らされていた。
『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAァッッ!!』
炎輪を背負った狼騎士が再度咆哮した。
勢いを増した炎によって全身を覆っていた血潮がブシュゥと消し飛び、空気を揺らがせながら感情を伝播させると周囲の物に燃え移る。
どこかその咆哮は悲哀に満ちており、発狂しそうなほどの苦しさと怒りが混じっているようにも聞こえた。
狼騎士が振り返る。
恐怖に竦んだ冒険者達では阻むことも出来ず、何ら不自由は無く獣は巨剣の元に戻ると縛り付けていた檻を踏み潰し壊した。
誰かが魔法を求めた、しかし既に一度放たれた魔法はまだ詠唱を終えておらず、何より縛られていない狼騎士に当たるとは限らない。
『YAAAAAAATUUUUU…KIIIIIBAAAAAAAAAAAAAAAAAAA……!』
終わりの時は来る。
まるで人間の構えのように巨剣の剣先を後ろに向けた狼騎士は何か呟くと炎の中の白を抽出する。
まるでそれは牙のように、それぞれが噛み合った八つの牙は巨剣の上を火花をたてながら走ると刃先で揺れた。
一呼吸、一歩を踏み出した狼騎士は巨剣を振り上げる。
それで指標の役目はなった、刃先から射出された『八ツ白牙』は宙を舞う。
白い炎、眩しい光の浮遊体は燃え盛りながら未だ生き残っていた冒険者達の胸を貫くとその体内を焼き尽くし風穴を開けて通り抜けた。
そして階段の踊り場、魔術師たちの中心に再収束するとその紋章のとおり噛み合うと斬り裂き、最後に一際強く輝くと――溶かした、炸裂した白炎が全てを消した。
『aa…ga…a……』
皆殺した。
八ツ白牙を撃ち終えた狼騎士は倒れそうになる膝を巨剣に寄りかかって耐える。
既に肉体は死にかけていた。オッタルとの死闘、手強かった冒険者達、魔術師達が繰り出した全身を焼く一撃。
その運動量は人としての限界を超えていた、倒れこみそうな意識が血を吐いた。死にかけていた、その身体を支えるのはただ少女へのひたむきな想いであり――止まるわけにはいかなかった。
獣は前へ進む。
踊り場の爆心地へ跳び乗り、巨剣を引きずりながら瓦礫を踏み潰すと先ほどまで生きていた魔術師の手だけが一階に落ちていく。
ただその胸にある感情を糧に炎が燃えた、身体の痛みが心臓に達し、心の痛みが脳にまで達した。
その感情は愛と呼ばれた、なりふり構わず前へ進む、全ては少女のために。
狼騎士はそれでも蒼い炎を燃やした。
・・・
目につくもの全てに巨剣を振るった。
男も、女も、子供も。逃げようとするものも、立ち向かおうとするものも、泣くものも、叫ぶ者も。巨剣が
肉が裂け、骨が砕ける。子供を殺された母親を潰し、低レベルにも関わらず戦おうと立ち向かってきた男の身体を袈裟に斬り飛ばした。
廊下を走り抜けながら狼騎士は蒼炎のマントを翼のように広げ、怒りに任せた咆哮で雑多な音を掻き消す。
その足が血を踏む反動に鎧の隙間からは血が溢れ、その度蒼炎の熱によって蒸発し空中に霧散した。
そして――遂に、狼騎士は巨大な扉の前に辿り着いた、
『aa…!』
匂いは扉の向こうに続いている、行く手を邪魔する木製の巨大な扉を前に狼騎士は唸り声をあげると巨剣を振り下ろした。
強烈な破壊音、木の張り裂ける異音と共に巨大な扉は砕け散り、吹き飛んだ。
重い足音が響く、燃える風穴を潜り抜けた狼騎士は熱い吐息を漏らすとその蒼い瞳で部屋の中をぐるりと見渡した。
月明かりの差した部屋。貴族階級を模した豪華な部屋の中は暗く、淀んだ空気はどこか臭う。
警戒しながら歩みを進める、暗闇の中でぼんやりと浮いている家具を避けながらカーペットに足を沈めると音が消えた。
『…』
蒼炎が揺れる。焦熱が黒い足跡を残し、火の粉が散りながら周囲を照らしていく。
窓際に置かれた執務机に目を向けた、背を向けた椅子には逆光で顔の見えない男が座っており、肥えた指を机の上で組んでいるのが見えた。
『…gaa……!』
「下の者は…殺され、ましたか。残念です」
狼騎士に巨剣を向けられる、目を伏せたガルは動じることも無く立ち上がると窓から月を見上げゆっくりと息を漏らした。
そして肥えた身体を揺らすと振り返り、狼騎士のことをじっくりと眺めると鼻を膨らませた。
「フン、よもやモンスターが襲撃に来るとは。各所にそういった
ヒューキ・ガルは手を伸ばす。
どこか観察するように狼騎士の事を見据えながらその動きには一切の迷いがなく、執務机の上に置かれていた四角い赤幕を掴むと捲った。
そして丁寧に箱を持ち上げ、その中身を狼騎士の方に見せると瞳の端に笑みを浮かべた。
「――この子、ですか?」
そこに少女はいた。
美しい銀髪をした狼人の少女は細く小さな手を檻の底につき、俯いていた。
炎の勢いが瞬間的に増す、バチバチと形を変える炎は逆巻き、瞳の色が明確に濃くなった。
死力が籠る、更に純化された神殺しの獣は感情を燃やす、衝動的にこみ上げる全てを憎悪にくべた。
『GAAAAAAAAAAAEEEEEEEAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッッ!!!』
その声は何故か――返せ、と言っているように聞こえた。
咆哮は入り混じった感情の全てを乗せ、全てを燃やす。狼騎士を起点に部屋中に炎が燃え移り、暗かった部屋はにわかに蒼光で満ちた。
血で引き絞られた身体が前へ跳ね飛んだ。少女の姿を前に狼騎士は何の躊躇いもなく巨剣を握りしめ、吼えながら一歩でも早く前へと踏み抜いた。
残された鎧と鉛のような身体、そして蒼く染まった魂と自我、取り返しのつかなくなることなどお構いなしにただ、前へと疾走した。
巨剣が感情を灯す、床を斬り裂きながら走る狼騎士に追随すると蒼い火花を跳ね飛ばし、触れるもの全て燃やし壊した。
刃が迫る、それでも一切動かないガルは檻を持ちながら目を細めた。
ガルに戦闘能力は無い、巨剣を避ける素早さも無ければ止める力も無い彼には狼騎士を退けることなど出来ず――
故に、この部屋には「ファミリア最強」が控えていた。
「――やりなさい、オリオ」
鉄同士が触れた。
巨剣を阻んだのは薄く黄色い光を放つ鋭鎌、オリオ・シリウスが握りしめた微かに魔力を放つ鎌は狼騎士の強烈な一撃を確かに止め、高い金属音をたてた。
割り込んできたオリオに狼騎士は憎悪を向ける、どこかで見た顔だったような気がするが敵の区別などいちいち解らない。
狼騎士は炎の出力を上げてオリオを焼き殺そうとする、しかしその前に鎌から手を離したオリオに腹を蹴り飛ばされた。
鎧越しにもかかわらず強烈な威力、弾き飛ばされた狼騎士の身体が数メートル飛んだ。
忌々し気にオリオを睨みつけた狼騎士は炎を滾らせ巨剣を握る、対するオリオは氷のように感情を表に出さぬままローブをはためかせ、先ほどまで『一本だけだったはずの鎌』を交差させるように構えていた。
両雄が向き合う。
かたや灰塵の騎士、かたや銀月の狩人。
巨剣と三日月の鎌、鋭く蒼炎に燃えた部屋の中で鋭い刃先が光塵を反射し互いの瞳を照らした。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッ!!』
「…っ!」
憎悪を吼えた狼騎士の炎は燃え盛り、月の加護を受けた狩人は
そして一呼吸の後に走り出すと――獣と人の闘争は幕を上げたのだった。
・・・
無双ものって良くあるけど結構難しいすね…個々にスポットを当てると長引くし、かといって描写だけだと時間経過させ辛いし残虐さに重みが出ない。研究せねば。
まぁ今回は前回が熱くなり過ぎたんで軽めのクッション回でもある、緩急つけないとな。
果たして次回はどうなることやら、ではでは!