このダンジョンに神殺しが居ることは間違っている。 作:みころ(鹿)
あと一話の初めにちょっとだけ書き足しました。
・・・
産まれ落ちる寸前。
自らの身体が作り変えられていく感覚、胎児のように身体を丸めた獣は銑鉄の中で夢を見る。徐々に現実と悪夢の境界が薄れていった。自分の身体が人なのか狼なのか判別がつかなくなってきた。
暗闇が視界を覆う。獣は目を細め警戒すると歩き出した、やがて幻覚の中で獣は蒼い女神に出会う。
『…あら、ここはバックヤードなのだけれど』
微笑みを浮かべる女神は獣にとって悪夢そのもの。
蒼く海原のような髪は見る度に輝きを変え、微笑みを浮かべた瞳は妖しくも獣を見つめる。
全ての化け物を産みだした「海」という名の母神。初めて良く見えたその顔は何故か懐かしい。
向かい合った全ての元凶に獣は牙を剥く。
今までとは違い身体は水圧の中でも自由に動いた。
『Grr…』
『まぁ怖い顔、夏目ったらお母さんに唸るなんて…やっぱり反抗期なのかしら?』
やれやれと首を振るその表情からは微笑みが絶えない。
深海の主神。その身は蒼白なれど多彩、まるで海のように移り変わる心は一切捉えることが出来ない。
――その目的は何だ。
かつてこの女神は自らの子供に殺された。
しかしその魂は血の中に生き続け、今なおこうして俺の目の前に現れる。
無意味とは思えない。自らを殺させてまで抱いた神代の妄執にはいったいどれほどの価値がある。
『A…Ga…お前…は…!』
『あら、もう喋れるようになったの?…良い兆候ね、お母さん嬉しいわ』
『黙れ…お前は、何者なんだ…!?』
水圧に加え、狼の身体では人語を話すことさえ難しい。
それでも何とか尋ねると、女神は微笑みを浮かばせたまま少し視線を流した。
もしかするとこの空間に俺がいる事自体が予想外なのかもしれない。彼女の思い描く本来のシナリオを俺は大きく乱しているような、そんな気がした。
『そうね、せっかくここまで来たんだもの。ご褒美に教えてあげてもいいかしら』
息をつくと女神は海中に腰を下ろす。
唸り警戒したままの狼は女神が口を開くのを待った。
その瞳が柔らかく獣の事を見つめていた。
『私の名前はティアマト・イフ・ニグラス。夏目、あなたのお母さんよ』
化け物を育む海洋の龍神。
神殺しの獣はこの女神によって生み出された。
蒼い幻覚が笑う、狼はティアマトと対峙していた。
・・・
『…ティア、マト』
呟いたその名に聞き覚えは無い。
確かバビロニアにおける最古の神だったはずだがそれ以上の事は詳しくない、こんなことならもう少し学んでおくべきだったが今更だ。
母親を名乗る女神。しかしこいつが俺の母親であるはずがない。
何故なら既に俺の母親は――
『あら、これ以上にもっと自己紹介が必要?それとも夏目はママ呼びの方が好きかしら。良いのよ、ママでも母さんでも自由に呼んでちょうだい』
『…お前の、目的は何だ』
『あら無視だなんてお母さん泣いちゃいそう。せっかく喋れるようになったんですもの、もっとお喋りして親子の愛を確かめましょう?』
楽し気に手を打ったティアマトの姿が消える。
嫌な予感に任せその場から飛びのくと、元いた空間に現れたティアマトが腕を広げ残念そうな表情で首を傾げていた。
この空間の絶対権は彼女にある。瞬間移動も何でもござれだ、抱き着こうとしてきた女神に俺は唸る。
『あら残念』
『ふざけるな、お前は俺の母親じゃない…!』
『全ての生物は元を辿れば私の子供だもの。実質母親だわ、あなた達の血統は特にね。それに――』
『御託は良い、お前の目的は一体何だ?俺達神殺しの存在理由は何なんだ!?』
言葉を遮られ息をついたティアマトは立ち上がる。
やれやれと首を振るとその笑んだ瞳で俺の事を見つめ、わざとらしく首を傾けた。
『存在理由…あなたがもっと素直でいてくれれば話す必要も無かったのだけれど。やっぱりあなたは特別なようだし、この際教えてあげた方が踏ん切りがつくかしら?』
『…』
揺蕩う女神は指先で水圧を撫でる。すると海中の力が拠り集まり、眼下に巨大な箱庭が生み出された。中身はかつて俺が追憶した親殺しの一室、その再現。見下ろした家の中では今まさに少年が女神の背を刺そうとしている。その瞬間だけがゆっくりと再生され続けていた。
バックヤード、というのはつまりこの映像を追体験させる場所ということなのだろう。
ふと視線をあげれば女神の笑みに何かが混じり始めている。
それは復讐心か。彼女の抱く感情は今まで見た中でもっとも蒼く、暗い。
神威というには余りに感情的なオーラ、女神の憎悪はもはや呪いに等しく、触れただけで引きずり込まれかねない。
恐怖したじろぐ獣の前で、映像をバックにしたティアマトは――語り始める。
『私の目的は「とある神」を殺す事。その神の名前は「白痴の魔王」』
『白痴の…魔王?』
『…私みたいな原始の神を除いて、殆どの神々は白痴の魔王の眷属、あるいは創作物でしかないわ。本人たちに自覚は無いでしょうけど、彼ら一人一人が夢の中から現世を感知する「根」の役割を果たしている。末端組織を全て壊さないと白痴の魔王は実体を持ちすらしない』
『いきなり何を言って…!?』
『ラスボスの出現条件みたいなもの、と言ったら解りやすいかしら。一定周期で目覚める白痴の魔王は地球を再構築する。その過程で地表の生物は存在すらなかったことにされるわ…事実上の世界の終焉ね、もしそうなったら強制的に神代の世界へ逆戻りよ』
『…!』
『私は何十回、何百回もその輪廻が繰り返されるのを見た。奴が起きる度に私の子供達は分解されて…世界はまた繰り返される』
世界の終わりを思い出したのだろうか、遠い目をしたティアマトの表情から初めて笑みが途絶え絶望が残った。どうすることもできずただ我が子が殺される光景、それはもはや獣には想像することさえ出来ない。
スイッチを押したように女神はまた余裕に満ちた微笑みに戻る、柔らかな視線で俺の事を見つめた。その復讐は狂気に憑りつかれている。目に見える狂気ではないが目的を果たす為ならばきっとこの女神は手段を選ばない。
『これで解ったかしら?あなた達は奴を殺すための特異点。奴が目覚める前に倒さないとまた地球が作り変えられることになる。そのためには神々を全員殺さなければ奴は現れない。どうしましょう、夏目が守ってくれないとお母さん身体の中までレイプされちゃう!』
規模が大きすぎてすぐには理解が出来なかった。
天地開闢、地球の輪廻。白痴の魔王という存在によって何回も作り変えられてきた世界と、そこに元々住んでいた女神。
ならば神とは何だただの偶像なのか、実在する生物なのか。そもそも本当の話なのか、だがティアマトが嘘をついているようには何故か見えない。
混乱する獣はとりあえず焦点を絞る、今俺が聞きたいことは何かを考える。
疑問は尽きない。とにかく小さい事から見つめた。
『じゃあ…アンタはその目的のために、自らを捧げたって言うのか?』
『あら気が付いた?白痴の魔王を倒すには神殺しの力は必要不可欠、私を生贄にするしかただの化け物を神殺しになんか出来なかったわ。だから私は』
『自分を殺させるように仕組んだ…!』
あの追憶の中で俺は何故枕元にナイフが置かれていたのか疑問でしかなかった。
だがそれは初めから自分自身を殺させるためのものだった、愛していたのに親殺しをするように仕向けた。
子供を利用してまで女神は復讐を遂げようとしている。
わざと俺達を苦しませ、憎悪の感情をあおり、成長させて神々を殺させる為に。
『お前ッ…俺達がどれだけ苦しんだか解ってるのか!?』
『…確かに私はあなた達に過酷な運命を課した、でもそうでもしなければ世界は輪廻から抜け出せないもの。仕方ないことでしょう?それとも今いる世界の人間全てが死んでも良いのかしら?』
『…!』
ティアマトの言う事が確かであるならば、俺が地上にいる神々を全員殺さなければ今の世界が終わり新世界に移行してしまう。
女神が虚空に手を伸ばす。すると眼下の箱庭の様子が変わった。
そこに映し出されたものはなんと豊穣の女主人の休憩室、見下ろした狭い一室では少女が泣いており、その周囲では見知った顔が慌てふためいている。
『ハティ…!』
『そう、ハティちゃん。可愛いわよね、でもあなたがこのままずっと抵抗を続けたままでいると…こうなってしまうかもしれない』
ティアマトが手で薙ぐと幻影が消える。
残ったものは暗黒のみ。再び深海の中で俺はティアマトと向かい合う。
しかし牙を剥くことは無い。どうすればいいか解らなくなってしまった。
俺がこの世界に来た理由。
世界の破滅を回避しなければハティやベルと言った仲間達が抹消される。
そのためには全ての神を殺す必要がある。だが全ての神を殺すという事は…その中には当然ヘスティアも含まれている。
狼は苦悩する。
天秤は余りに重く、量ることすら考えられない。
頭を下げた狼はただジッと深海を見つめている。悩んだまま動こうとしない狼にティアマトは目を細める、その微笑みが僅かに嗜虐的なものに変化した。
『――それとも、出来損ないのあなたでは力不足かしら?』
『…出来…損ない?』
『そもそも能力からして未熟よね、何故か解らないけれど一日でカウントがリセットされるなんてセーフティがついている。こんな半端な能力じゃまるで白痴の魔王を倒すのには足りないわ』
『…』
『それに神殺しの力も不十分。そのせいで理性が残っているって言えば聞こえは良いけれど、つまり神殺しの獣になりきれてないってことよね。中身は化け物なのに、みんなを騙して人間のふりをし続けてる』
『…』
『そして今はあろうことかただの道具でしかない神と世界を天秤にかけている。出来損ないの不適合者でもない限り迷う必要なんか無い。神殺しの獣にも人間にもなれない半端者、それが今のあなた。あなたなんか産まれなければ良かったわ』
『…黙れ』
『あぁ、でもあなたは悪くないものね。そもそも悪いのは出来損ないのあなたを産んだ――』
『黙れぇッ!!』
『――出来損ないの、死んだ、母親だもの』
――両橋夏目に母親はいない。
彼が産まれた時に死んだという、結局彼女は神殺しの血を受け入れられない程弱い母体だった。
たったそれだけのことだ。
たったそれだけのことだった。
初めからいないものをどうやって求めれば良いのだろう。
ただ去来するのは
柔らかく暖かな胸に抱かれた獣は目を見開く。
『でもね夏目、出来損ないでも良いの。あなたが私の子供で、愛していることに変わりはないわ。あの子にそう求めたみたいに、私があなたのことを愛してあげるから…ね。お母さんに全て任せて?』
あぁ、つまりこの充足感はずっと俺が求めてきたものだったのか。
抱きしめられた瞬間胸が詰まるような感覚に襲われ、獣は思わず喉を震わせる。
懐かしい匂いだ。知らないはずの柔らかさは居心地が良い。母に抱かれたことのない俺にはきっとその誘惑は強烈過ぎた――何もかも手放したくなるような、獣の微睡みに。
『ッ…あら、離れちゃうの?』
『俺は…!』
名残惜しくなる前に身体を離す。
半端者、出来損ない。その言葉が深く脳内で回っている。
泣き出しそうなほどの痛みに耐えながら、譲れないものを咆哮した。
『俺は…選べるかッ…そんなもんッ…!』
そう言うと狼はバックヤードから逃げるように出ていった。天秤にかけたものにどれほどの価値があるのか知らないが、どうやらあの子には迷うだけの理由があるらしい。
後に残されたティアマトは暗闇の中で再びため息をつき、笑みを浮かべると一人呟く。
『やっぱり半端ね、そこもまた可愛いところではあるけれど…そもそも私を拒絶する時点で…』
出来損ないと言ったが血が薄い訳じゃない。
ただその一日限定というピーキーな能力と、本来なら絶対権を持つティアマトという誘惑を払いのける何かがあの子にはある。これは本来の神殺しならばありえない事態だし、やはり何かが欠如していると考えるのが妥当だ。
『まぁ良いわ。どうせ手は打っているもの、あの子もすぐに決心してくれるはず…よね?』
深淵にて女神は笑う。
例え今逃げたとしてもどうせこの力は逃れられない。いつかあの子も自分の運命に向き合う日が来るはずだ、それが神殺しの血の定めなのだから。
ティアマト・イフ・ニグラス。美しい異形の女神は暗闇の中に溶けて消えていった。
・・・
何言ってんだこいつ…ってなった人は白痴の魔王で調べたら何か出るよ。まぁモチーフにした何かなんですが
次回更新はすぐだと思われ。
ではではー