このダンジョンに神殺しが居ることは間違っている。 作:みころ(鹿)
リハビリがてら投稿、新キャラの紹介で乱れたなぁ…
ではほんへ
・・・
昔のことを思い出しながら、俺はいつのまにか眠ってしまっていたらしい。
椅子に腰かけ、布団に突っ伏していた俺は目を開く。柔らかな感触が視界を覆っており、何かに髪を撫でられていた。
冷えた身体を起こすと家の中はまだぼんやりと暗い。痛む肩を回し、目を擦って眠気を払うとベッドに視線を戻した。
そこにはエリアがいつものように微笑み、座っている。
十年前から多少は伸びたとはいえ幼いままの容姿、常人離れした空色の髪をサイドテールに結んでいる。
どうやら頭を撫でていたのは彼女のようだ。儚い印象を受ける妹の姿に俺は思わず姿勢を正す、余裕で満ち溢れたエリアの笑みは以前と何ら変わらない。
「ご機嫌ようお兄様、良い朝ですわね」
「あぁ…おはよう、リップ」
再会は静か過ぎるぐらいだ。
黒いドレスのままベッドに座ったリップは空色の瞳で俺の事を見つめる。
年齢不相応な妖艶さ。その未来予知にも等しい演算能力と引き換えに彼女の肉体は脆く、幼い。一日中寝ていたことを考えれば、心配にもなった。
「身体は大丈夫なのか?」
「あら、ちょっと記憶は飛んでいますけれど身体は健康そのものですわ。むしろ元気なくらいで…ところでお兄様、ここはどこなのかしら?日本には見えないのですけれど」
「あぁ今説明する。ここは――」
それから俺は時間をかけ、今まで起きた全ての事を包み隠さず説明し始めた。
遭難し、気が付けばこの世界にいたこと。この世界には神がいて、ダンジョンがあること。
出会った仲間達、俺の送ってきた日々。自分さえ知らなかった神殺しの力が目覚め、止まっていた運命が再び動き始めたこと。
先日起こった事件とティアマトから聞いた白痴の魔王、そして獣として完成した戦場でエリアを拾ったこと。
同じ『神殺し』である彼女には何も隠す必要が無かった。
喋るうち懐かしさは徐々に薄れ、静かに話を聞いているエリアの実体も明らかになっていた。
腹違いの妹。俺にとって唯一無二の家族。
両橋・エリア・リップアウトは――俺の過去そのものだ。
説明を終えるとエリアはふむと頷く。特に驚きもせず、澄ました表情のまま俺の事を見つめた。
「なるほど異世界転生、大体解りましたわ。幾つか気になる点はありますけれど…」
「お前は何も覚えてないのか?何で18階層にいたのか、とか」
「…私の憶えている限りでは…遭難したお兄様を千里と探しているうちに倒れてしまって、気が付けば身体が大きくなっていたような。それからずっと夢の中のようで…狼に襲われて…」
「…じゃあお前があの巨大骸骨!?」
「まぁお兄様の話を聞く限りそうでしょうね」
倒した位置からもそう考えるのが普通だ。
蒼炎という
ということはあの状態のままずっとダンジョンにいたのだろうか。あれほどの巨体がどこに隠れていたのかは知らないが、きっと俺がこの世界に来てからずっと理性を失ったまま彷徨っていたのだろう。
新しい神殺し、巨大骸骨の正体はエリアだった。お互いの状況を確認し少ない情報を整理した俺達はそう結論付けると頷きあう。
「ところでお兄様?」
「ん?」
「私の右脚に、何かがへばりついているのですけれど」
小首を傾げるエリアの足元、もぞもぞと布団の下で何かが動いている。
一瞬思案を巡らせた俺はあぁと声を漏らすと布団をめくり、眠っていたハティを発掘した。
エリアの足に抱き着いていた銀髪の少女は急速な光に辛そうな表情を浮かべると、エリアの足に顔を埋めた。
「えっ何この可愛い生物は」
「おーいハティ、朝だぞー」
呼びかけ小さな頭を撫でると、ゆっくりとハティの目が開く。
紅い垂れ目がぼんやりと周囲を眺め始める。ベッドに手をつき身体を起こした幼女はくてんと座りこむと、くしくしと手の甲で目を擦って愛らしくも欠伸を浮かべた。
「あらあらあらなんて可愛らしい!銀髪ケモ耳ロリとかマジ尊くないわけないんだよなぁこれには流石のリップちゃんも興奮を禁じ得ないというかいやホント可愛いなうぇへへ…」
「出てる、出てる」
「あら失礼」
早口になり涎まで垂らしていたエリアだったが俺の言葉にフッと表情を戻す。
我が妹は俗に言う陰キャである。普段はお嬢様という皮を被っているリップだが、その中身はただのオタクであり興奮すると口調が変わる。
懐かしい掛け合いで声をあげたからか、同じベッドにエリアがいることに気が付いたハティが首を傾げる。昨日は泣きっぱなしで気が付いていなかったようだ。少女は目の前に下見知らぬ相手に目を細めると、緩慢に腕を伸ばし俺の手をポンポンと叩いた。
「だれー…?」
「あぁこいつは俺の妹の両橋・エリア・リップアウトだ」
「…いも?」
「兄妹って言って…まぁ家族だ。そうだな、ハティにとっては叔母さ――」
「お兄様?私、まだ、15歳」
割り込んでくるエリアの笑みには静かな殺意が混じっている。流石にオバさん呼ばわりは嫌だったらしい。
解り辛く怒っている妹はハティに視線を向ける。ニコリといつものように妖艶な笑みを浮かべ、手を伸ばした。
「初めましてハティちゃん、私のことは気軽にリップお姉ちゃんと呼んで?」
「り?…り、り…りぷ…」
「まだちっちゃいツは苦手なんだよな。ほらハティ、リップ姉ちゃんだぞ」
「りぃー…りぷね?」
「おほぉっ」
リップがむせる。妹であり極めて身長も低い彼女が今まで姉扱いされることなどなかった。
ハティの
咳込むエリアに苦笑しているとまだ眠たげなハティがくてんともたれかかってくる。昨日は風呂に入っていないからかその髪はぼさぼさに乱れ、若干汗臭いような気がした。
俺も数日風呂に入っていないし汚れを洗い流したい。それはリップも同じようであり、むせ終わった彼女と目があった。
「オホン。お兄様、私お風呂に入りたいのですけど」
「あぁそうだな、ハティも入ろうか」
「んぅ…」
「…あっハティちゃんがいると私お兄様を誘えないのでは?」
「洗ってやるから黙ってろ」
そういえばコイツ変態だった。
思いだした俺は息を吐きだすとハティを抱き上げ風呂場に向かう。
立ち上がったエリアのドレスが揺れた。容姿の幼さに対して大人びた立ち振る舞い。
天才にして陰キャオタク。常にぶっとんだ変態的なことや、途方も無い無茶ぶりを言って困らせてくるコイツとは絶対不変の腐れ縁であり、一緒に居て飽きることがない。
否応なしに俺の日常は変わるだろう。欠伸を浮かべた俺は僅かな呆れと笑みを滲ませながら風呂場に向かうのだった。
・・・
「マジで?」
「マジですわ」
数時間後、案内がてら街に繰り出した俺は当のリップによって危機に瀕していた。
両手には既にパンパンになった買い物袋が四つ。袋の中には食材や、歯ブラシといった生活必需品が詰め込まれておりかなり重い。
というのもリップが必要以上に物を注文したからだ。特にシャンプーやリンスといった美容品は様々な種類を買い漁っており、自分に合うものを探す必要がある云々言われて押し切られてしまった。まぁ嘘では無さそうだし必要経費なら良いのだが、荷物を持つのは俺なので勘弁してほしい。
そして現在、女性ものを多く取り扱う服屋。
レジに詰まれた山のような服を前に俺は唖然としていた。様々な色の女性服はカラフルに折り重なり、いったいどれほどの数があるかも解らない。
「あー…いくらなんだ?」
「はい!合わせて1万ヴァリスになります!」
「いちまっ!?」
笑顔で告げる女性店員に俺の表情がひきつる。
参考までに挙げると豊穣の女主人で一皿頼むと300ヴァリス程度、円の感覚で言うと20万ぐらいになる。何にせよ1万ヴァリスはそう易々と出せる金額ではない。
胃がひきつる感覚を覚えながら俺はリップを見る。既に財布の中身はその大半が消失しており、ぶっちゃけ足りるかすら解らなかった。
「…ヘイ、マイシスター。一応申し開きを聞こうか?」
「あらマイブラザー、残念ですが正義はこちらにありましてよ」
ハティと手を繋いだリップがニコリと笑う。
似てはいないが年の離れた姉妹に見えなくも無い。何より両手の塞がった俺の代わりに見ていてくれるのは助かる。
「お言葉ですがお兄様、家に服が少なすぎるんじゃなくて?」
「え」
「先ほどチラッと確認させていただきましたけれど何着かしかありませんでしたもの。おおかたローテーションで服を洗濯して、ハティちゃんにも同じような服ばかり着させているのでは?」
「ウッ…」
着られれば何でも良いと思っていたし、女子のおしゃれというのも良く解らない。結果ハティにはいつも同じようなワンピースばかり着せてしまっていた。
ため息をついたリップがやれやれと首を振る。
「良いですかお兄様、女の子はオシャレをする生き物です。逆を言うとオシャレをしないと死にます」
「…百歩譲ってそうだとしても一万ヴァリスはやり過ぎだと思うが」
「多いにこしたことはありませんもの。それに三人分見繕ったらそのくらい妥当ではなくて?」
「三人?」
見れば服山の中にはハティのものとおぼしき服と、俺のものなのか男性服も幾つか含まれている。どうやら俺のものも選んでくれたらしい。
確かに三人分と考えればありえるのか、今まで買わなかった分だと考えれば1万ヴァリスはむしろ安いぐらいなのかもしれなかった。
とはいえ必要だからといって。ずしんと手荷物を地面に降ろした俺は震える手で財布を掴む、中身を確認するとギリギリ足りることに気が付いた。
「お会計よろしいでしょうかー?」
「くっ…これで…!」
「お買い上げありがとうございましたー!」
ヴァリスが飛んでいく。
これで五袋目、腕に食い込む紐が痛い。まだまだ買い物に付き合わされそうな俺は深くため息をつくと、先を歩き始めるリップとハティの後をよろよろと追い始めた。
・・・
その日の昼食。
買ってきた食材の一部を使い作り上げたオムライスにハティはかなり喜んでくれた。
テーブルについた俺は膝の上に乗せたハティの口元に残ったケチャップを拭う。若干眠たげな少女はボッーとなすがままにされていた。茶色の食卓の上には赤い跡の残る皿が二枚残されており、まだ食べていない俺のオムライスだけがまだ綺麗な黄色の稜線を描いていた。
机の反対側ではリップがナプキンで口元を拭いながら本をパラパラと高速で捲っている。昔から本を読んでいる時だけは真顔だ、いつもの笑みは消え失せ真剣な瞳だけが文字群を小刻みに追っていた。
「んふー」
ぶんぶんと尻尾が首下を叩いている。
数日ぶりの落ち着いた時間に少女は満足げだ。汚れたナプキンを机に投げ置いた俺は腕を回し緩くハティを抱きしめる。腹が空腹を訴えかけているが、それを上回る幸せを体温高めな少女に感じていた。
首だけのけぞったハティが楽し気にこちらを見上げている。自然な笑みを浮かべた俺は視線を合わせると顔を近づけ前髪に息を吹きかけた。
パタンと音をたててリップが本を閉じる。
瞳を閉じた妹は膨大な情報を瞬く間に処理すると、余裕の表情で顔をあげた。
彼女が読んでいたのはこっちの世界の童話。俺が文字研究に使った本の一冊は絵本と違い挿絵が少なく、初心者には読解すること自体難しい。
「解ったのか?」
「えぇ勿論、町の看板でだいたいの法則性は見えていましたし」
僅か数時間足らずだがリップには充分過ぎる時間だったろう。
文字解読程度なら彼女にとって片手間のはずだ。俺が数週間かかったことを考えれば余りに短い、その演算能力があれば文字の習熟は余裕である。
いつものことなので驚きはしないが妹に頭脳で負けるのはどうなのだろうか、とはいえ張り合うだけ無駄だということを俺は知っている。
自分の経験した苦労をいとも容易く越えていく天才に俺は肩を竦める。膝にハティを乗せたまま、とりあえず自分用のオムライスを食べようとスプーンを手に取った。
「こんちわー!リョナくーん、遊びに来たよー!」
「…お邪魔します」
玄関ドアが開くと同時に女子が二人入ってくる。
殆ど押し入りに近い。勢いよく飛び込んできたティオナの後ろを私服のアイズがついてきていた。
遠征前は良くこうして遊びに来たものだ。見慣れた光景ではあるが、あの時からだいぶ環境は変わっている。
「いやぁこの家も全然変わらな…」
膝の上に乗ったハティとリップの姿にティオナの動きが固まる。
ロリ二人。久しぶりにこの光景を見たアマゾネスにはきっと犯罪的な光景に見えただろう。
「…なるほど!説明次第で私のウルガが火を噴くぞー!」
「あら、どなた?」
「待て、順を追って説明するからその剣を降ろせ」
スプーンを置く。
笑顔のまま殺意を漲らせるティオナを鎮めるため立ち上がる。俺が昼食を食べるのはもう少し先の事になりそうだった。
・・・
数分後、説明を終えた俺はオムライスを女子二人に奪われていた。
幸いケチャップライスは余っていたのでもう一つ作るはめになっている。といた卵をフライパンに流し込みながら、俺は背後の食卓に隣り合って座る二人と話していた。
「なるほろね。娘と…はぐ…妹?」
「ティオナ、喋りながら食べるの汚い…」
何でも昼飯を食べていなかったらしい二人は一つのオムライスを分け合って食べている。タイミング的にたかりにきたことは明白だが暴れられるよりかマシだった。
料理に意識を戻す。熱をあげる卵液が小さな泡を弾けさせる。軽く箸でかき混ぜフライパンを回すと丸く黄色い円が広がった。卵の焼ける匂いがする。頃合いを見計らいケチャップライスを上に乗せると軽く整形し、後は流れで皿の上に巻き置いた。
「…まぁ俺にも色々とあったんだよ」
「ふーん」
手を動かしながら背中越しに答える。
ティオナの座る机の反対側にはハティを膝に乗せたリップが楽し気に会話していた。
基本人見知りしないハティは早速リップに懐き始めており、ぱたぱたと尻尾を振りながら興味津々といった様子でリップの言葉に耳を傾けていた。
「どうもー、私ティオナっていうんだ!よろしく!」
「おー?」
「あらごきげんよう」
スプーンを置いたティオナが二人に元気よく混ざる。
オムライスを乗せた皿を手に俺は机に戻ると、姦しい空間を眺めながら席についた。
食べ始めようとしたところで視線に気が付く。見上げると完食したらしいアイズがスプーン片手にジッと俺のオムライスを見つめていた。
どうやら半分ずつでは足りなかったらしい。俺は深くため息をつくとスプーンで黄色い山を二つに切り分けた。
「…半分やるよ」
「!」
コクコクと頷くアイズにオムライスを半分やる。
花より団子。無邪気に食べ始めるアイズはまだ…子供だ。
(…)
自分の分を食べながら俺はぱくぱくとオムライスを消費していくアイズを眺める。
ほんの数日前僅かだが刃を交えた相手と俺は一緒の食事をとっている。狼騎士として訪れたルーム、今でもあの時向けられた殺意は鮮明に憶えていた。
「…どうかした?」
「いや、何…でも」
増した痛みを堪える。
額に浮かべた汗を隠しながら俺はオムライスを口にすると、暫く黙って咀嚼し始めた。
以前とは味の感じ方も変わってしまっている。味覚を上回った嗅覚が酸味を強く伝えていた。
同時に色覚にも障害が現れているらしい。痛みの波に合わせ視界から色が消え失せ、壊れたテレビのように砂嵐を発生させる。明滅する白黒の世界が消え去るまでにはかなりの時間がかかった。
やっと痛みが抜ける。背中に嫌な汗をかきながら俺は視線をあげると、仲睦まじげにしている女子達を見た。それは朗らかな痛みだ、かけがえのない平和は鮮やかに俺に選択を迫る。
あの日から力に抗う事は激痛を伴い、俺は慢性的に精神をすり減らしていた。
きっとこれから痛みが消えることは無いだろう。慢性的な苦悩は俺の日常の一部になっている。
「あ、それでね!私凄いもの見ちゃって何とあの狼騎士が――」
嬉々として話し始めるティオナの声がどこか遠く聞こえる。
そんな俺の姿を、リップはいつものように見つめていた。
・・・
日の落ちた夜庭で。
魔石灯が照らす縁側に腰かけた俺は半壊した満月を見上げる。
ティオナ達が帰り夜も更けた。見下ろした暗い庭ではハティのつけた線香花火が赤い火花をたてている。
しゃがみこんだ少女の側には水盆が置かれ、鮮やかな色の燃えカスが既に幾つか浮かんでいる。パチパチと小さな音をたてる花火に少女は興味津々であり、先ほどから火をつけては楽しそうに驚きの声を漏らしていた。
穏やかな時間の中で俺はティオナ達から聞いた話を思い出す。
ロキファミリアの見つけた新種のモンスター、狼騎士。蒼い炎を纏う獣は人語を解し、あの都市最強であるオッタルとさえ渡り合ったという。
これで今まで噂程度の存在だった化け物の存在が明らかになってしまった。狂人の戯言であれば誰も信じないが、あのロキファミリアの言葉であれば誰も無下にすることは出来ないだろう。すぐにでも狼騎士の存在は周知の事実になるはずだ、その先に待つものが破滅だという事は俺が一番理解していた。
「ねぇ、お兄様?」
隣に腰かけていたリップが話しかけてくる。
何の違和感も無く少女は隣で微笑み、空色の瞳で俺の事を見つめていた。
気が付けば彼女の指先にはコインが一枚挟みこまれている。リップはかざすようにコインを見せると、悪戯っぽい笑みを浮かべ指の合間でくるりと回して見せた。
もう片方の手には何も持っていない。軽く上に放り投げられたコインを掴むと両手を揃えて握り込み、再び開くとコインは掴んだ反対の手に瞬間移動していた。
「…手品だな、消えたコインはこっちにある」
「あら、お見事」
ドレスの袖を引っ張ると隠されたコインが縁側にチャリンと落ちてきた。
何てことは無い、初めから二つあっただけで器用さがあれば誰でも出来る手品だろう。
ただ眼で終えてはいない、最初から二つあったことには匂いで気がついていた。
「それだけか?」
「勿論これは手品、ではこちらはどうかしら?」
再びコインが投げられる。
思わず硬貨の軌跡を追った俺の視線の先で、夜闇の中を何か茶色い塊が上から落下してきていた。
やがてポスンと軽い音をたててそれは丁度リップの掌に落ちる。彼女の指に収まったそれは羽毛に覆われており、ぴくぴくと痙攣を繰り返していた。
「…雛?」
それは、鳥の雛だった。
見上げた俺はいつのまにか軒下に出来ていた巣を見つける。リップは先に気が付いていたのだろうか。
「カッコウに落とされたのでしょう」
「…」
リップがそう言うからにはきっと正しいのだろう。
だが彼女は一度だって上を見上げていない。時間も位置も解らない雛の落下を反射神経にも頼らず受け止めるなど不可能だろう、だが確かに夜闇の中で雛は彼女の手に収まっていた。
いったいどういう計算をすれば雛がカッコウに落とされるタイミングなど解るのか。俺には到底検討もつかないが、きっと彼女にとってはこの事象も計算済みだったのだろう。未来予知に等しい予測は常人にとって奇跡であり、リップのような天才にとっては当たり前のことでしかない。
「お前は何でも知ってるな」
「あら、何でもは知りませんわ。ただ目に見えるもの全て計算しているだけですもの」
それが凄いんだよ、そう苦笑しながら見下ろした雛は既に死にかけている。
どうやら受け止められる前から弱っていたらしい、曰く托卵にあった巣の子供はカッコウ雛に押しのけられ充分な餌を食べられない事もあるそうだ。小さな雛は彼女の掌の中で息も絶え絶えといった様子であり…瀕死のまま苦しむくらいなら、いっそ楽にしてあげた方が良いのかもしれない。
リップは慈愛に満ちた指先で死にかけの雛の頭を撫でる。到底子供にしか見えない彼女だが、その大人びた仕草と母性には目を見張るものがあった。
「可哀そうな子。産まれた環境を奪われて、羽ばたく前に死んでしまうなんて」
幾らリップの知能が高くても、この雛を救うことは不可能だろう。
人には出来る事と出来ない事がある。リップは本来持つべき身体能力と頑強さを失い、その代わりに絶大なる計算能力と頭脳を手に入れた。
結局のところ、子供は産まれた環境が全てなのだろう。地位や豊かさもそうだが、肉体や知能まで育つ環境に左右される。この雛もまたそうだ、同じ「巣」という環境にカッコウの雛がいなければ死ぬことは無かった。
リップの指の合間で雛は苦悶の声をあげていた。
柔らかな笑みを浮かべた少女は優しく赤子の首に指をかけると息を吹きかける。
その愛情はエゴでしかないのかもしれない。それでも苦しみの中で雛もまた看取られる事を望んでいるような気がした。
「でも大丈夫ですわ、あなたは何も悪くないですもの。
少女の力であっても、死にかけの雛を殺す事はそう難しくなかった。
首を手折られた雛がリップの手の中で脱力する。無力な赤子は空を知らぬまま息絶え、その残酷な一生を終えた。
瞳を閉じたリップは死骸を緩やかに握りしめている。悲しんでいるのだろうか、隣に座る妹の顔を覗きこむと顔を伏せた彼女は確かに楽し気な微笑みを浮かべていた
「おい…!」
「――いいえお兄様、まだこれからですわ」
目を見開いたリップの手の中で変化が起こる。
首の折れた雛の死体が蠢きだす。触れた少女の手から瞬く間に黒い泥濘が溢れ出し、雛の身体を包み込む。
呆気にとられる俺の前で少女は愛おしそうに掌の黒泥を見下ろしている。溢れ出す魔力によって空色の髪が揺れていた、異常な能力の行使は空間を虹色に染め上げると収束し始める。
それは刹那ほどの時間。拡散した光が逆再生のように全て泥の中心に巻き戻り、リップの手の中で容を成し始める。それはかつて雛の死骸だったもの、困惑する俺の目前で泥の塊は小さな球体となり――やがてゆっくりと、その羽を伸ばした。
「…!?」
少女の手中で小鳥が羽ばたく。
翠のような羽。死骸から産み落とされた小さな鳥は首を傾げ、新しく出来た瞳で世界を不思議そうに見つめていた。
妖しく微笑んだリップは小鳥の頭を撫でる。そこにあったはずの雛は消え去り、まるで生き返ったかのように別の生物がいる。
手品なんて生易しいものじゃない、これは本当の魔法。不可思議な現象そのものに俺は驚愕するほかなく、当の本人はただ楽し気に視線をなげかけてきていた。
「私の権能は
今まさに見せつけられたそれこそが彼女のスキル。
産みなおし。彼女曰く殺さなければ能力は発動しない…ということは死者蘇生ほどの能力では無いらしい。
瀕死だった雛は彼女自身の手によって殺された。肉体を再構築された雛は確かに生きている、今まさに自らを殺したリップの手に小鳥はじゃれつきピヨピヨと甲高い声をあげた。
死と生の円環。胎に入れず生命としての在り方を変質させる魔術。
俺が鉄を憎悪したように、彼女は何を恨んだのだろうか?
「お兄様は鉄の鋳造でしたわよね、ではハティちゃんは?」
「あぁ気がついてたか、ハティは…多分幻覚か何かだと思う、詳しいことは解らない」
視線を送るとハティの垂らした線香花火が闇の中でぱちぱちと火花を散らしている。
神殺しの獣、抱く蒼炎とその力。これから迫るであろう包囲の中で、俺達は命を狙われることになる。
神殺しの獣であるリップ、炎を分け与えたハティ。どちらもかけがえのない家族だ、俺が絶対に守らなければならない。
「…ねぇお兄様」
「なんだ?」
「白痴の魔王、のことですけれど」
曰くリップもまた夢を見ていたらしい。
それは原初を辿る獣の夢。少年が母親を殺したあの部屋でリップもまたティアマト・イフ・ニグラスに出会った。そして俺と同じように白痴の魔王の存在を告げられたという。
世界を終わらせる異界の神、神殺しである俺達の存在意義。
「…お前はどう思うんだ」
「さあ?この目で見てみないことには何も」
その神がどこにいるのか。ティアマトは全ての神を殺せば現れるとそう言った。
だがその道のりには血が待っている。殺し合いの中で俺は俺でいられるのか、何より彼らと戦う必要があった。
「ですが何も捨てずに何かを得ることは難しいですわよ、お兄様」
「…解ってるよ、そんなこと」
彼女はどこまで解っているのだろうか。
縁側に腰かけた俺は月を仰ぐ。静かな夜風が抱えた膝に吹きつけていた。
リップの手の上で小鳥は自らを作り直した新しい親にじゃれついている。
選択は穏やかに迫る。花火をする少女の背中が闇の中で白く浮かぶ、手にした赤い閃光が空中をゆっくりと落下していた。
俺の日常は変わる事だろう、空色の少女がもたらす波紋はいったい何色になるのか。
――屍肉聖杯、両橋・エリア・リップアウトは笑っていた。
・・・
次回は早めに、というか日本から四季が消え去ればもっと早くなります。まぁプロット書いてたみたいなところあるし是非もないよネ!
んではではー