このダンジョンに神殺しが居ることは間違っている。 作:みころ(鹿)
・・・
発情期、というものをご存じだろうか。
それは例えば犬や猫、狼などに存在する…所謂生殖によって妊娠が可能、つまり子供が作れる時期のことを言い、あるいは繫殖期という言葉にも言い換えることができる。
故に落ち着きがなくなったり、盛ったり…まぁ見ていておかしいと思うかもしれないが生物の本能的にそれは当然のことであり、子孫を残さねばというのはごく自然というか、推奨されるべきであることでもある。
しかしその点、人間には発情期というものがない。
何故ないか…はこの際置いておいて(いやホント置いといてください説明し始めたら一話分使える)、年がら年中盛っているかというとそういうわけでもない。
とはいえそれが人間が理性を持つものだからと説明したいわけではなく、ここでは「特例」を説明したいのだ。
それは――その「特例」はある瞬間、人――いや「オス」には盛る時が必ず存在する。
…して、その特例とは――
――死にかけたとき、自らの子孫を残そうとオスは立ち上がるのだ。
・・・
目を開けると知らない緑色の壁紙の天井。
ホームで使っていた、町の道具屋で格安で買ったぼろい安ベッドとは違う心地よい感触。
(どこぞ?)
目覚めがいつもの通り良い俺は「ここがどこなのか?」という問いに少し逡巡すると、全くわからず息をつく。
そしてもう一度天井を仰ぎ見て、とりあえず身体を起こせば「解る」と――
「――あ?」
全く身体が動かないことに気が付き、声を上げた。
何かに固定でもされているのか体のどこも頑として動かない。
「ッーー!?」
同時に痛みが走る。言葉を出した瞬間あごと喉周りの筋肉や骨が激しく痛み、俺は悶絶する。
…俺は痛みが治まるのをまつと、嫌な汗を拭いとることもできずに荒い息をした。
(そうだ思いだしてきた、確か俺は――)
そして若干の呼吸に伴う痛みに頭の記憶領域が刺激され、何があったのかを思い出し始めた。
――だがその時、遠くで『ガチャリ』と扉が開く。
「…リョナくーん?起きてるかーい…?」
キー、パタン…というドアの音と共に誰かが入ってくる音と抑えたような声がした。
どこか聞き覚えのあるような声の主はパタパタという足音を立てながら恐らく俺の寝ているベッドに近づいてくる。
そして覗き込んだ。
「ありゃ、今日も起きないか。…全く、君がモンスター騒ぎで大怪我してからはや数日。君のいない日々は退屈で張り合いがないよ」
(あっ、ヘスティア様だ…数日?)
随分と久しぶりに見た主神のロリ顔に俺は驚く。
そしてヘスティアの言葉…「モンスター騒ぎ」という単語に、俺は華に襲われ大怪我を負ったということを思い出した。
しかしここはヘスティアファミリアのホームではない、とはいえヘスティア様もいる。
…ということは何らかの医療施設、またはギルドの一部屋だと推測された。
(つか目開いてたはずなんだが…)
目をかっぴらいて起きているがどこを見て「起きていない」と判断したのだろうか。
…まぁ、何にせよ声をかければ起きているとわかるだろうが。
それに「君のいない日々」と言ったが俺はヘスティアと過ごしたことは無い…そのセリフはどこかわざとらしかった。
「…まぁボクとしてはもう少しベル君と二人っきりの方が――」
「それが理由かアンタ」
「――ひゃッ!!?リョナ君ッ!!?」
思わず痛みも関係なしに声を出していた、痛い。
とはいえやましい事のある表情をして足早に帰ろうとしていたヘスティアは俺の言葉にビクンッと総毛立ち、立ち止まると恐る恐る振り返る。
「わ、わ~!リョ、リョナ君、やっと目が覚めたんだね~!僕は君が目覚めるのをずっと待って…」
「嘘つけ、このままずっと目覚めないならベル君と二人っきりじゃね?とか一瞬は考えたくせに」
「な、ななな何を失礼な!?僕は君の親だぞ!子供が目覚めなければなんて考える親がいるわけないだろう常識的に考えて!」
「神の名に誓って?」
「…神回避ィ!!」
そういって汗をダラダラと流したまま言い逃れするヘスティアにため息をついた俺は、喋ることによって発生する激痛に耐える。
そしてぼんやりと何を言わないといけないかを気が付いた。
「…ヘスティア様、何か迷惑かけたみたいですみません」
「ほんとだよ!帰ってくるなりなんで死にかけてるんだい君は!」
「さーせん」
俺の顔を覗き込みプンプンと怒るヘスティアに俺は視線だけで謝罪する。
軽くないかい?と呟いたヘスティアは、未だ怒った様子で方頬を膨らませたままふんぞり返った。
「…フン、だがまぁ生きて帰ってきたし、実質これはガネーシャたちへの貸しだ。慰謝料とかで君の法外な治療費はまかなえたから――許す!」
「あざー」
そのままプリプリと怒ったままだったヘスティアは俺の顔を暫く見ると、フッと表情を柔らかくする。
「まぁ訊きたいことは山ほどあるだろうがそれはボクじゃなくて当事者である彼女に訊いた方が早いかな…それに君が起きたのを知ったら喜ぶだろうしね!」
「…はぁ、俺としてはこの拘束具何とかしてほしいんすけど」
「まぁまぁそれも彼女がやってくれるだろう…じゃあ僕は呼んでくるから少し待っていてくれたまえ」
そう言ってヘスティアは俺の視界から消える。
彼女というのに心当たりがありすぎる俺はまたもため息をもらし、ため息による痛みに耐え、天井を見ながら待つ。
…意外に早く五分後。
ドアの向こうから走るようなカッカッカッという音と、女の声が聞こえた。
そして――
「リョナさんッ!」
――ドアがバタンと空くとそこにはエイナがいた。
・・・
「馬鹿ですか!!?」
「おう」
第一声はそれだ。
「怒っている」ということぐらい解っている俺は甘んじてその言葉を受け止める。
しかしただその一言だけ言ったエイナはそのあと小さく「馬鹿…」と呟いた後、俯き涙を拭い黙ってしまった。
てっきり三時間くらいは怒鳴られ続けられると思っていた俺は少し驚きつつも、ベッドわきの椅子に短く腰かけたエイナを眺める。
メガネをかけなおしたエイナは俺を見返すと、笑う。
「そうだ、固定具外した方が楽ですよね」
エイナは立ち上がると俺にかけられていた掛け布団に手をかける。
そして傷への配慮か慎重にめくった。
(…思ったよりかは酷くないな)
もっとこう「潰れている」かと思ったが、俺の身体はもう半分以上8割方回復しているように見えた。
折れた骨も結構治っているようだし、臓器についた傷もだいぶ癒えたようだった。
服は脱がされており、全身には包帯が巻かれ…何故かその上からは拘束するための縄がかけられているようだった。
「…てか何で縄?息苦しいんだけど」
「リョナさん寝相悪すぎるんですよ!まだ治ってないのにいきなり立ち上がろうとした時はギルド中大騒ぎで…」
「あーていうかやっぱりギルドなのか」
「え…あぁ、はい。そうです」
頷いたエイナはベッドの下にあるであろう結び目を解きにかかる。
そして解きながらここ数日のことを説明してくれた。
…何でも、怪我をした俺はその場でたまたまアイズヴァレンシュタインの持っていたハイ・ポーションのお世話になったらしい。
そしてそのままアイズとティオナの手によってギルドの怪我人用の空き部屋に移送され、大量のポーションによる治療が始まった。
しかしポーションにも中毒症状というのもあるらしく、俺の回復によって消費される体力も鑑みて数日に湧けた治療をすることになった。
…その間ヘスティアやエイナ、そしてベル君が殆どつきっきりで水や粥と言った食べ物を摂取させてくれていたらしい…感謝だ。
ちなみに今回のことの元凶?であるガネーシャファミリア、というのが主神みずから謝罪に来て医療費全てを負担するという話になったらしい。
…先ほどヘスティアが貸しだとか言っていたのはそういうこと何のだろう。
俺は今は部屋の隅の椅子の上で本を読んでいるヘスティアをちらりと見る。
するとその視線に気が付いたヘスティアもこちらを見て「何だい?」と不思議そうに首を傾げてみせた。
「…はい、解けました」
「おぉ、すまんな」
ベッド脇で立ち上がったエイナの言葉と共に身体を軽く締めていた縄が緩くなる。
俺はさっそく身体を起こそうと――
「ッ!?」
「あっ!まだダメですよ完全には治ってないんですから!」
――力が入らず崩れ落ちた。
すかさずエイナが駆け寄ってきて身体を支えてくれる。
俺は支えを利用し何とか身体を起こすと、あまりの疲労にかいた汗を手の甲で拭いた。
「…ポーションで怪我を直すのにも体力使うんです、今のリョナさんはポーションによって数か月以上かかる傷を数日で直したんですよ。その分体力消費は激しいはずです」
「な、なるほど…」
同時にグッー…と腹が鳴った。疲れたら腹が減る、当たり前のことだ。
身体を支えれる程の近い距離で俺の腹の音を聞いたエイナは頷くと、笑みを見せる。
「おなか空いてるんですね、リョナさんの食べっぷりから考えると少ないかもしれませんがお粥の材料買っておいたんですよ。少し待っててもらえますか?」
そう言うとエイナは俺から身体を離す。
――空気が動き、良い匂いがした。
思えば鼻が異様に良くなっている、その鼻がエイナの匂いを捉える。
花の良い香りもそうだが、その中にエイナ本来の汗の匂いが混ざったものが鼻腔に刺さり、生理的に好ましい匂いだと思った。
そして特に気にもしていなかったエイナのうなじ周りの綺麗な素肌に目がいく。
妙に…色っぽいと思ってしまった。
「あれ、リョナさんその膨らみは何ですか?」
「ッ!!?」
――俺は慌てて突然に盛り上がった股間周りの膨らみにシーツをかけなおす。
こういうのは大人だし、普段は制御できるのだが何故か勝手に立ち上がった。
…流石に恥ずかしいし、自分の身体の異変に恐怖する。
「…リョナさん?大丈夫なんですかそれ…!?」
…エイナは本当に心配した顔で膨らみ見てくる…ベッドに突如として現れた突起物を。
恥ずかしみが深い俺は、なんでコイツこんなマジマジ見てくるんだ…!?と困惑する。
「んー?…ブッフォッ!?」
――だが、遠くにいたヘスティアがふとこちらに視線を向け、吹きだすと慌てて立ち上がり自分よりの長身のエイナの肩を掴んだ。掴んでくれた。
そしてそのまま膝をつかせ耳に口を寄せると、ごにょごにょと何かを呟きはじめた。
…合間合間にヘスティアの呟きが耳に入る。
「…だから…つまりあれは…リョナ君の…!」
「…ッへ!?」
渋い顔をしたヘスティアの言葉に、最初は普通だったエイナの顔がゆでだこよりも赤くなる。そしてもう一度リョナの布団の膨らみを見ると、恥辱の極みといった表情を浮かべ――
――捨て台詞。
「リョナさんのバカァァァァァァッッ!!」
顔を真っ赤にしたエイナは叫びながら、部屋のドアをバタンと開けると逃げ出す。
…残されたのは生娘の反応に静かな視線を向けるヘスティアとリョナ。
振り返ったヘスティアは、まるでゴミでも見るかのような視線を俺に向ける。
「献身的に介護してくれる女の子に欲情とか…流石にドン引きだぜ、リョナ君」
「待てい、不可抗力だ」
「というか君のは大きすぎるんだよ!例え生娘じゃなくても逃げ出すレベルだぜそれ!?」
そう言って顔を赤らめたヘスティアは、ズビシと俺の股間を指さした。
確かに俺のは、通常の人のより遥かにでかいが…とはいえ確かにかけられたシーツの上から解るではなく、むしろ突き上げているレベルだ。
例えるならコーラのペットボトルより少し大きいくらいだろうか、太さは逆に少し細いくらいだが。
…だからこそ何か別の物にも見えなくない、それこそ立ち上がっているのではなく何か物を入れているようにも見えた。
「はぁー…まぁ何にせよエイナ嬢も落ち着いたら粥を持って来てくれるだろう。その時までに何とかそれを鎮めて、謝るんだ。解ったね?」
「イエス、マム!」
「よろしい!では僕はそろそろバイトの時間だ!数日はここでしっかりと休んで、必ず元気になってからホームに戻ってくるんだ!いいね?」
「おぉ、了解しました」
なんやかんややっぱり良い人だ、その向けられた優しさに俺は感心する。
事故で怪我をしたのはそれなりに噂になっているだろうし、それはこっちに来てから関わってきた人たちにそれなりに不安を与えてしまっているだろう。
ホームで不安そうな顔するベル君の表情が目に浮かんだ俺は、早く直さねばとため息を吐く。
そして改めて大きく頷いた俺は、「じゃーねー」と言って扉から出ていくヘスティアに手を振ったのだった。
・・・
(どうなってんだ…!?)
今まで通りじゃない、怪我をした身体はどこか変になってしまっているのだろうか。
俺はいっこうに収まらない自分の「それ」を、焦りと共に見つめる。
…いつも通りであれば自然と収まるか、割と強制的に落ち着かせるぐらいのこと容易いのだが。
「…はぁ…」
俺は大きく、ため息をつく。
そして落ち着けと心を鎮めていく。
(そうだよ、何で全身くったくたなのに、ここだけ元気なんだよ…!)
遺された体力など微塵もないはずなのにここだけやる気満々というのもおかしな話だ。
…いや、逆に疲れているからこそ立ち上がるという事例もある。特に俺の場合は生死のはざまをさまよったからこそなおさらだ。
「…」
それに元々限界は近かったのかもしれない。
性欲が薄いというわけではなかったが大人としての分別として、こっちの世界に来てから(狭いホームの中でそんなこと出来ない)自分で処理するという事はしていなかったし、相手もいなければしている暇も無かった。
つまり溜まっている、今まで抑えつけていたものが身体の弱った隙に付け込んで、放出(いや放出はしていないが)されているというわけだ。
「…うーむ?」
打開策、これは二つある。
一つは自分で処理してしまうこと、しかしエイナも来るであろうこの部屋で致すわけにはいかないし、何より自分でできるだけの体力すら俺には残っていない。現状、腕すら上げるのが苦なのだから。
二つ目、誰かにしてもらう。
これは動かなくて済むし、最悪痕跡なども残さないで済むかもしれない方法。
しかし怪我をした状態でそんなことをすれば悪化は必至だし、一番の問題として相手がいないのだから立ち行かない。電話で一本…などと都合よくないのだこの世界は。
「…うん、無理だわ」
現状思いつくのはその二つの方法しか思いつかない俺は苦笑しつつもあきらめる。
そして自らのものを眺め「自然に収まんねぇかな…」という一縷の希望に望みをかけ、全くもって無為な時間を過ごしたのだった。
――しばらく後、不意にガチャリと扉が開く。
そしてそこから顔を覗かせたエイナはいつも通りの平常な顔で、声だけ恐る恐る喋りかけてきた。
「…リョナさん…?」
「お、おう」
エイナが顔だけ部屋に入れ、俺の様子を覗き込んでくる。
そして先ほどと全く変わっていない体勢、同時に変わらない膨らみを確認したエイナは再び顔を赤くすると、視線を逸らした。
(まぁ…なぁ…)
男性経験のないエイナにとってもはやこれは恐怖の対象だろう、流石にあの歳になって全く見たことがないということはないだろうが…ここまでの大きさのものは絶対にないだろう。
…また逃げ出してしまうかもしれない。
「…んふっ…」
しかし意外なことにエイナは軽く(変な)咳ばらいをした後、部屋の中に入ってくる。
見ればその手には盆があり、盆の上には湯気をあげる鉢が乗っていた。
…エイナはできるだけこちらを見ないようにカニみたく歩いてくると、盆ごとベッドの脇にあった小机に置き、背もたれのない小さな椅子をベッドのそばに移動させた。
そして腰かけると鉢と一緒に盆の上に置いてあったであろうスプーンを取り出し、鉢の中身をかき回し始めた。
「…」
恐らくとても暑い粥を冷ますためにスプーンでかき回しているエイナの顔はいたって真剣で、それは集中しているように見えた。…だがその頬はわずかに上気しており、スプーンで回す手はどこか別のことを考えないためのようにも見えた。
そして――いつもの20割増し美人に見える。
(…!)
俺は沸き上がってくる劣情を抑えるため、一度エイナから視線を外すと窓の外の景色を眺めた。
…目覚めた、と言ってももう夕方近いのかもしれない。
カーテンの開かれた窓から見えるのは恐らくギルド正面玄関の、建物を挟んで反対側の道。
人通りの少ないその道は幾人かの通行人たちに赤い影を落としながら、どこかゆっくりとした時間が流れているように見えた。
非常に穏やかな光景、並大抵ならばこんな景色を見れば静まりそうなものだが――ちらりと自分の物を見た俺は、未だ全く治まらないそれに軽くため息をついた。
「…リョナさん?」
「え、あぁ、おう?」
エイナに呼ばれる。声に反応した俺は慌てつつ(今更かもしれないが)平然を装い振り返る。
そこにはスプーンに粥をすくい、首を傾げたようにして俺を見ていた。
(リンゴとチーズのリゾット?…レベル高いなぁ)
エイナのその仕草が色っぽいとかは今は置いておき、そのスプーンに盛られた粥を見る。
どうやら摩り下ろしたリンゴとチーズを白米と共に煮込んだリゾットらしい、ほのかな甘い匂いとチーズのコクのある匂いがスプーンと鉢から漂ってきた。
…元からお腹は空いていた、とはいえ一時的に勝っていた性欲を凌駕させるほど食欲をかきたてるとは、なかなか美味しそうな皿と言える。
「では…はい」
「あ…おう」
そしてエイナはスプーンを手渡してくる。
まぁさもありなん、俺はそのスプーンを受け取るべく右腕を――怖いくらいにまったく上がらない。
「…」
「え…む…」
そして非常に情けなくなった俺は、非常に惨めな視線をエイナに送る。
捨てられた子犬のような視線を送られたエイナは最初困惑の声を上げたが、同時に今のリョナは腕も上げられないほど衰弱していることを思い出した。
そして「はぁ…」とため息をつき口を一文字に結ぶと――軽く頬を染めると俺の口元にスプーンを向けた。
「…あーん…」
「すまんな…」
俺は口を開けるとエイナのスプーンを口の中に受け入れ、そのまま食べさせてもらう。
同時に気が付くのだがこれ彼氏彼女の関係でもない限りとてつもなくお互い恥ずかしい、エイナは瞬間的に先ほど以上に顔を赤くすると思わず顔を背けて見せた。
――だが俺はそれどころではない、その粥改めリゾットの美味しさに目を見開く。
そして疲れを感じつつも咀嚼し、味わい、飲み込むと――顔を背けていたエイナに勢いよく食ってかかる。
「これエイナが作ったんだよな!?」
「えっ…!?…あぁ、はい。そうですけど…それが何か?」
リョナの食いつきぶりにエイナは驚き頷く。
…ただただ純粋にその味に感心していた俺は、笑顔を見せた。
「いやこれ凄い出来がいいじゃん、めちゃ美味いわ!」
「!…あ、ありがとうございます…」
ぎこちなかったエイナの表情は完全にほぐれ、笑顔で軽く頭を下げた。
そしてどこか嬉しそうにスプーンで再度鉢からリゾットをすくうと、俺の口へ向ける。
「はいあーん…」
かなりの美味に一時的にとはいえ食欲が性欲を凌駕した俺は、何の躊躇いもなくまだ湯気をたてるリゾットの乗ったスプーンにかぶりついた。
「ぁアッツゥッ!!?」
「あぁ!?ごめんなさい!!?」
しかし鉢からすくわれたばかりのリゾットは相当に熱い。
口の中で焼け付きそうなそれをえづきながら飲み込んだ俺は、食道をゆっくりと下っていく熱に身もだえた。…とはいえ喉元過ぎれば熱さを忘れる、とりあえず口内に火傷をしていないことを確認した俺は安どのため息を漏らす。
「うーん…」
熱いままのほうが味は良い、しかしエイナに任せる以上適度に冷ますというのも難しい。
まぁこの際完全に冷ましても摂取できる栄養は変わらないのだからそれでも問題は無いのだが…感情的には味の良いこの一品、このまま食したかった。
――いや打開策自体はあるにはあるのだが俺からそれを提案するというのは非常に難易度が――
「あのっ…い、息をっ…!?」
「!?…おう」
唯一の解決策、所謂「息でふーふー」。もっとも効果的かつ、人体で一番温度の変化が判別しやすいといわれる唇が近づくことで他社に食べさせるにしても適温にすることが可能…!
とはいえその行為の恥ずかしさは状況にもよるが時に「あーん」を超えるッ!
「…でもいいのか?俺は別に完全に冷めてからでも…」
「い、いえ。リョナさんもお腹空いてるでしょうし…」
「う…まぁ確かにそうだが…」
そしてエイナは耳まで赤くしながらスプーンでリゾットをすくい、横髪を耳にかけ、ふーふーと息を吹きかける。
(あ…やばいな)
献身的、かつ若干の恥じらいが垣間見えるその姿は非常に「ぐっ」とくる。
何故ここまで献身的なのかとか考えるべきことより先に生唾を飲み込んだ俺は、エイナから視線を逸らさなければならないという思いとは裏腹に、その一連の動作から目を離せなくなってしまっていた。
「…はいリョナさん、あーん」
「あ、おう…」
そして数にして三回目のスプーン。エイナの吐息によって適度に冷まされたそれは微かに湯気を立て、食べやすそうだった。
俺がまるでひな鳥のように口を開けると、そこにエイナはスプーンを入れ食べさせてくれる。
…非常に食欲をそそる味というのもそうだが、空腹は最高のスパイスであり、疲労は至高の調味料でもある。段々と俺の思考はこれを食べられるなら何でもいいという風に変わっていった。
「熱さ大丈夫ですか?」
「おう、丁度良い」
返すとエイナは少し嬉しそうに微笑み、またスプーンで粥をすくうと息をふーふーと吹きかけ始める。
――そこからは言葉のない繰り返しだった。
エイナがリゾットをすくい、冷まし、俺に食べさせる。
その度に俺の腹は膨れ、空腹は薄れていった。…俺はその間、エイナから目を話す事ができなかった。
そして――
「ふぅ…」
――丁度三十分後、鉢は空になった。
食べ終わった俺は久しぶりに腹に何か入っている感覚に息を吐く。
正直あの鉢一杯では全く満足できないのではと危惧していたが、弱っている身体にはその程度で充分らしく満腹を覚えた。そして軽く眠気を感じながら、エイナに視線を向ける。
「…足りましたか?」
「おう、流石にそんなに食えんからな」
エイナの質問に俺は軽く頷く。
頷いたのを確認したエイナは持っていたスプーンを鉢の中に入れると、座ったまま俺の方に向いた。…どこかその表情には影が差しているように見えた。
そして俺が味について褒めようとする前に――おもむろに頭を下げた。
「あの時は(・)ありがとうございました…!」
「…あの時…?…あぁあの時か」
突然頭を下げたエイナに、俺は驚きつつもエイナの言う「あの時」というのを考える。
そして「あの時」というのがどの時なのか解ると、なんて事は無いという視線を彼女に向けた。
「いや気にすんな…というかむしろ俺のことが心配で走ってきてくれたんだろ?その気持ちは嬉しいし、というかあの時は実際ぶっ倒れそうだったから…まぁその結果自分の身を危険にさらしちゃわけないが」
あの時、というのはつまり俺が「一本目の「華」を倒した後」のことだ。
敵がいなくなって痛みに叫んだ俺の元に心配したエイナが走ってきた。
しかしそこで丁度エイナの足元から華が生えそうになり、俺が突き飛ばさなければあえなくエイナは天空50mへ旅立ってしまうことになっただろう。
…まぁ言ってしまえば命の恩人なわけだが、その前に俺はエイナに命を救われている。
というか何なら俺が抵抗しなければ、エイナが命を危険に晒す必要は無かったまであるのだが…。
「というかあの時力の加減が出来なかったんだが…確か、肩か?跡になってないといいんだが…?」
「…少し」
「そうか…すまん」
今度は俺が頭を下げる、正直俺は身体にどんな跡が残ろうが問題は無いがエイナはそうと限らないだろう…ただでさえ女性なのだから。
「でもこの数日でどんどん小さくなっているので…気にするほどじゃないですよ」
「いやそういう問題じゃ…まぁ、解ったが」
煮え切らない。俺としては殴ったこと、エイナにしては「走って行ってしまった」こと。
それらがどこか心のどこかに引っ掛かり、(二人の性格的には後に引きずるようなものではないが)今この時だけの会話に影を落としていた。
「…」
「…」
俺はすっかり黙り込んでしまったエイナを「どうしたものか」と半ば焦りながら見る。
(というか帰ってくれ(・)…!)
性欲が強くなっている以上、エイナがこの部屋にいるのはお互いに危険だ。
用事というのが「食事」という事だけなのであれば俺は後は眠るだけだし(というか眠いし)、股間に悪いので帰ってもらったほうが好ましい。
とはいえ俺からはとてもそんな事は言えないし、用事がないのであればすぐ様に帰って次あう時にはケロッとお互いしていたい。
(いや待てよ…?)
しかし…ここまで帰らないとなると他に何か用事があるのかもしれない。
それが何なのかは解らないが、場の空気が悪いから切り出し辛いのかもしれなかった。
俺はエイナの悩んでいるような顔を見ると…本当にそんな気がしてくる。
そして俺は、なら空気を変えないと…と早くも寝気が襲い始めたぼんやりとした頭で、何か話題になりそうな事がないかと思考を巡らし始め――記憶を漁り終えた俺はエイナに関して「そういえば」と思いだし呟いた。
後から考えれば…悪い思考が先行した結果の話題作りなどするべきではなかったのかもしれなかった。
「あの時はすまんというかありがとうというか…まぁなんだ、つってもお前も大人だし救命行為だしなー…」
「え…何の話ですか?」
話の趣旨が見せない俺の言葉に困惑気味のエイナは、向けられる嘲笑に眉をひそめて更に困惑する。
そして瞬時に嘲笑をやめた俺は道化のように表情を消しまるで祈るかのように目を閉じると、「あの時」の感触を思い出しながら滔々と語りはじめた。
「いやー美味かったなー…エイナの口移しポーション(・)」
――それはつまりエイナが俺にしたキスの話題。
一瞬、何の話か理解できなかったエイナだったがすぐに自分のしたことを思い出して『ボンッ』と顔を赤くする。そして手をバタバタと振りながら何か釈明しようとするが慌てた様子のエイナは口が回ることは無かった。
…その反応にふっと笑った俺は、続ける。
「最初はほぼ死にかけてたんだが、唇の感触で何とか意識が取り戻せたんだよなぁ。そっからはポーション流し込んでくれてるのに気が付いて、何とか持ちこたえたっていうか…あぁ、そのあと舌入れたんだっけか。」
「ッーー!?」
「いやー…何であれってあんな気持ちいいのか…っと、違うぞ?俺ハ朦朧トシテタンダ」
というかポーションの効果って凄いよな、と続けた俺はしみじみと頷くと、朧気ではあるが舌を入れた時の感触を思い出し思わずにやけた。
そしてエイナが顔から蒸気をあげながら顔を伏せているのを見て――あぁ、初めてだったやろなぁと若干感慨深くなる。
…ちなみに俺は彼女がいたことはあるので既に色々経験済みだが、どの女の子とも長続きしなかった。理由は様々だ、殺したり殺されたり向こうから別れてくれと言われたり。
俺は一度言葉を切ると、顔を伏せたエイナに笑いかける。
「――なんなら責任とるぞ?」
「冗談ですよね!!?」
「おう、冗談だ」
バッッと顔を上げたエイナに俺はくくくと笑う。
するとエイナは、うー…と唸りながら涙目で睨みつけてくる…がもはや言い返すこともできず、黙る。
(ふむ…)
唐突ではない、やはりエイナは美人だ。
例えそれが涙目で顔を真っ赤にしていたとしても造詣の整った顔は美しく、綺麗なその肌は男として汚したいという欲求がむくむくと湧いてくる。
(…)
というか、場を制圧しすぎた。これではエイナも喋り辛いだろう。
ならば場の制圧権をエイナに渡す…つまりここは「下手を打つべき」だ。
――とはいえそこに全くの邪念が無いかと言われればそうではないのだが。
…性欲のままに俺は下手を打って見せる。
「でもキスできたくらいだから下の処理も出来んじゃね?唇にするか違うところにするかだし」
勿論、最低だ。
セクハラもいいところだし、現代でそんな事を言えば捕まってもおかしくないレベルだ。
しかし…まぁ友人?でもあるし、俺の性欲の高ぶりからしてそういった発言になってしまうのは仕方ない…と自分を正当化するぐらいには今の俺は下半身でものを考えていた。
そこにはちゃんとした理由もあったが、少しの希望も確かにあったわけだから許されない。
(で、どうするかだよなぁ)
恐らく、エイナの対応はマジ切れするか、少し怒って拒絶するかのどちらかだ。
もし前者であれば立ち去るだろうから後で謝ればいいし、後者であれば当初の目的である場の空気を掴ませるということに成功するだろう。
俺は突然の下ネタに驚いているエイナに冗談めいた笑みを見せつつ、内部ではその表情を冷静に観察していた。どうやらその様子から察するに言った意味は解ったようだ。
(怒れ)
とはいえ俺は何の期待もせず、ただエイナの反応を待つ。そして若干の眠気とを感じながら、本当にこれで良かったのかをぼんやりと考える。しかし思考は上手く走らず、欲だけが根をはるかのように先行していた。
…そして同時に、現在進行形で沸き上がっている自分の下心に半ば諦めと共に呆れを覚えた。
「――い」
エイナが、声を漏らす。
それはきっと拒絶の言葉だろう、嫌だ、とかいやぁぁぁだとかの当然の反応。
赤くなっていたのはどこへやら、どこか怒っているような冷たい表情に見えるエイナは呟くように少し溜めるようにして言葉を吐く。
そして俺はエイナから来るであろう非難の言葉を待ち――
「――いいですよ」
…。
「…は?」
声が出る。意識に空白が生まれ、慌ててエイナを見た俺は――思わずハッ…と下がりかけていた瞼を見開いた。
――夕暮れに染まる彼女の瞳はどこか濡れている。
その肩は震えており、綺麗な栗色の髪はさらさらと煌きながら揺れていた。
妙に前傾、太ももの合間に挟まれた両手は無意識なのか否か、加えてタキシードのようなギルドの少しきつい制服ではその胸が強調されてしまっていた。
そしてその頬は薄紅に紅潮しており、かつて触れたことのあった唇は先ほどの言葉を吐いたままの形で止まっていた。
…どこか切なげで、艶がある。若い女の色気が匂いのように俺の鼻腔を刺した。
そしてとめどなく溢れ出てくる唾を飲み込むと、「冗談だろ?」と笑おうとする。
「…!」
エイナが立ち上がった。その目にははっきりとした意志が垣間見え、据わっていた。そしてきめ細やかな肌をした右手をベッドわきに置くと、上体をまるで寄り添うかのように俺の身に近づけた。
ぐっ…とエイナの顔が近くなる。
ゆっくりと呼吸をしているためかその唇からは甘い吐息が漏れ、水気を孕んだそれは熱く俺の頬にかかった。さらさらとした髪がおでこに当たり、くすぐったさが伝わる。
――止めるべきだ。
ここから先は冗談では済まない。それが例え一時の迷いであっても後悔しても遅い。
正しく今のエイナがそれだ、少し親しくなった男に命の危険を救われ…吊り橋効果、というやつにあてられている。
…いや、勾引かわした。
冗談で言ったつもりだった、それを受け取る側が曲解した。
…許されるわけがない、言った当人がその気が無くとも受け取る側には冗談か否かは解らないし、「伝われ」というのはただの怠慢であり許されない傲慢なのだから。
(…)
故に今必要なのはたった一言、謝罪すれば誤解は解けるだろう。
――解けてしまう。
(…最低だなー)
据え膳食わぬは男の恥、上は洪水下は大火事。
性欲にまみれた俺の思考は自らの思考を正当化し始め、ありとあらゆる常識をなきものにし始める。
最低だが…男とは雄とは時にこういうものだ。
それにエイナの匂いはあまりにも俺の欲を刺激する。
それは食欲によく似ていた…食べてしまいたいという性欲、喉奥がうずくような「貪りたい」という欲求。
「っはぁ…」
吐息と共に左手が俺の右頬に触れた。…柔らかく、温かくて、気持ちいい。
顔の位置を調整される、ゆっくりと首が倒され俺の口が彼女の唇に向いた。
――ゆっくりと左手が身体を撫でていく、それに合わせエイナの顔も近づいてくる。
指がそれぞれ動き包帯が巻かれただけの胸の上をさすっていく。そしていつの間にかエイナは顔を傾け、頬を染め、目は閉じていた。
そして――「キス」するために唇をわずかに突き出していた。
夕暮れに染まるギルドの一室、白磁のベッドに座り込んだ俺にエイナが身体を寄せて息を漏らす。
その手はまるで快楽を求めるかのように下腹部を目指し、唇は触れ合いを求めるかのようにお互い近寄っていく。
もはや思考停止した俺はただ求めるままに、エイナの唇を――
「エイナーまだ帰んないのー?」
――『ガチャリ』と扉が開いた。
「うおうっ!?」
「ッ…ハッ!!?」
思わず俺は声を出す、するとその声に驚いたのかエイナはビクリと震え身体を離した。
そして振り返ると――そこで初めて扉が開いていることに気が付いたのかベッドから慌てて更に数歩離れた。
「エイナー?」
扉が完全に開かれ、そこにいたのはエイナの同僚のミィシャ。
ピンク色の髪と瞳をもった彼女はいつも着ているギルドの制服ではなく、私服を着ておりその顔には疲れがにじみ出ていた。
そしてあくびをしながら部屋の中に入ってくると、目じりに涙を溜めながらエイナに喋りかける。
「あぁいたいたエイナ、今日帰りご飯食べに行こうって約束忘れたのー?。…ふぁ…外回りの仕事から帰ってきたらエイナいないし運び込まれた怪我人冒険者さんのところにいるって言うからきたけどさー…別にそんなすぐに起きるわけ――起きてるーー!!?」
ミィシャはまるでコントのようにオーバーリアクションで驚き、目を丸くすると身体を起こしている俺に呆れの混じった視線を送った。
「ええー…あの傷を数日って……あ、だからエイナ看病しに来てたってことか」
同時に自分で結論を出し、それに納得する。
(元気な奴だな)
隙あらば笑みを絶やさず、見ているこっちも楽しくなってくる。
それはどこかあのアマゾン娘の雰囲気に似ているものがあった。
(というかエイナは…)
エイナを見る。
(…ゆでだこ?いやこれはパプリカとかトマトに近いな)
今更自分のしようとしていたことを恥じらっているらしい、耳の先まで真っ赤になった彼女は半ば狼狽しながら口元を手で覆い、先ほどまでの行いを思い出しながらこちらをチラチラと恥辱にまみれた視線をこちらに向けていた。
「ん…?」
ミィシャがこちらに視線を向ける。
その視線の先には顔を赤らめたエイナと俺。
「…もしかしてエイナ何かあった――」
「――何もない!」
何か様子がおかしいと感じ取ったミィシャにエイナは慌てて詰め寄る。
そして真っ赤になった顔のままミィシャの手をとると部屋の外に連れ出すため引っ張りはじめた。
「えっちょっとエイナ…!?」
「いいから…!…あっそれとリョナさん」
おもむろにエイナは振り返ると夕焼けに染まった部屋に取り残された俺を見る。
「どうせこれから数日動けないんです、なので前言ったダンジョンの知識を覚えてもらいます!」
「あぁ…そういやそんなのあったな」
祭りの前に彼女と約束したことだ、適当にごまかそうとしていた俺は逃れられないことに気が付くとため息をついた。
「それと――」
「?」
扉に手をかけていたエイナは去り際、もう一度振り返る。
そしてだいぶ赤みの引いた顔で俺にも聞こえるように声を張り上げていった。
「――リョナさんが目覚めたことはそれなりに噂になっていますので、明日からお見舞い(・)に来る人がいると思いますので!それでは!」
バタンと扉が閉じる。
誰もいなくなった部屋で、誰かが来る可能性を待つことになった俺は…恥ずかしながら口惜しさを感じていた。
(…はぁ)
おあずけを食らわせられたような虚無感を覚えつつも俺は、強さを増した眠気にあくびする。
そして――
「ふぁ…」
――転がるようにして寝転がると、その意識を完全に落としたのだった。
・・・
――目が覚めると、そこには象の顔があった。
「俺がガネーシャだッッ!!」
「うおっ!!?」
象の顔が吼えたように見えた俺は本気で驚き、瞳孔を見開く。
するとその声に合わせて象の顔が離れていき、それが男の顔であるという事が解った。
「…」
「俺がガネーシャだ!!」
「いや解ったからうるせぇよ…」
ガネーシャと名乗る男はベッド脇に立つとズビシッと自分を指さしながら大声で名乗りを上げる。…とても大きい声は耳に響き、寝起きの俺には辛いものがあった。
(…というか、ガネーシャ…?)
確か今回俺が怪我をした原因についてヘスティアはガネーシャファミリアがどうとか言っていたはずだ。そしてガネーシャと名乗るからには――?
(もしかしなくても神か?)
確かにどこかヘスティアのような神気のようなものを感じなくもない。
…とはいえ起き上がらなくては何も始まらないだろうか。
俺はいつのまにかほんの僅かに回復した体力でベッドに右腕をつくと、ゆっくりと上半身を起こす。
そしてベッドの上に座ると、下半身だけにシーツをかけ、上半身は壁に任せた。
「…うおおお!!?」
今度も本気で驚く。
――部屋の中にガネーシャのような象のお面をつけた男たちがずらっーと並んでいた。
同じ格好をした男達が目覚めたら部屋にたくさんいた…軽くホラーだということは確かだ。
とはいえ確認というのは重要で、パニック状態となった俺にはテンプレートな言葉しか言えなかった。
「お前ら…ガネーシャファミリアでいいか?」
「いかにも—―そして、すまなかった!」
「…ガネーシャ様!?」
突然頭を下げるガネーシャに俺が驚き、その行動に並んでいた恐らくガネーシャファミリアの団員達も困惑しているようだった。
しかしこの団員達なかなか出来るようで、自らの主神だけに頭を下げさせているわけにはいかないと全員が頭を下げた。
…ガネーシャが頭を上げると、団員達もそれに倣う。
そしてあっけにとられている俺に言葉をかけた。
「此度のその怪我、もはや死に至るそれだったと聞いている!そしてそれが俺のファミリアの不手際で逃がしてしまったモンスターによるものだとも!」
「あぁ…そうらしいな」
「子供のやってしまったことは全て俺の責任!さぁ、罵るなら俺を罵れぇぇぇ!!」
「いや別にいいよ…」
正直うるさい、それに罵れと言われて罵れる奴は中々いない。
俺はその声量にわずかに眉をひそめると首を振った、そして「あ」と気になっていたことがあったのを思い出すとガネーシャに尋ねる。
「そいや他に怪我したやつとかいなかっただろうな、シルバーバック?っていうゴリラ一匹逃がしたんだが」
「否!君以外の怪我人はいなかった!…しかし自分が怪我しておきながらも群衆を気遣うその器の大きさッ…俺は今とても感動しているッ!!」
そしてガネーシャは(何故か面から涙を流しながら)ぐっと俺に身を寄せ右手を持つと、勝手に握手してくる。
「君はヘスティアファミリアの…名前は?」
「…リョナだが?」
「リョナ!良い名だ!これから困ったときはうちに来いッ!俺たちに出来る事であれば何でも手伝おう!!」
「が、ガネーシャ様…!…そういった事は軽々しく…」
流石に後ろの男たちの中から一人歩み出ると、興奮によってか半ば暴走状態にあるガネーシャを止めようとする。
…が、しかしガネーシャがそんなことで止まるはずもなく――何故か、指さした。
「待てお前らこれを見ろッ!!」
ガネーシャが指さしたのは俺の股間。
どうやら一晩越してもこちらも暴走状態らしい、反り立ったそれは巨大な膨らみをつくっていた。
…男たちの視線が集中する、あまりの大きさに(畏怖的な意味で)唾を飲んだものもいた。
「これこそ真の『益荒男』よッッ!!!!」
「「「おぉ…ッ!!!」」」
そしてガネーシャとともに男たちの尊敬の眼差しが向けられることになり――流石に俺は昨日のエイナのごとく顔を赤くしたのだった。
・・・
「地獄かよ…」
「ははは…ガネーシャ様って熱いお方だから…」
ベッド脇に立ったエイナが笑う。
…ガネーシャファミリア一行をギルドからたたき出したエイナが来る少し前、俺はガネーシャファミリアに朝ご飯をご馳走になっていた。
内容は新鮮な果実を剥いたもので、あっさりとしていて非常に食べやすそうだったのだがその食べさせ方が――
「だけど神自らあーんって…くく」
「言っとくが笑えないぞアレ…」
――ガネーシャファミリア主神ガネーシャ自らの手ずからによる「あーん」。
男同士であーんなどというのは正直気持ち悪いし、どこか興奮した様子のガネーシャは抵抗してもやめてくれなかった。
…結局エイナがやってくるまでそれは続き、「怪我人にやめてください!」という一喝で終了した。
だいぶツボっていた様子のエイナだったが一度笑い終え、今度は俺に微笑みかける。
「でもだいぶ気に入られていたみたいでしたけど、なにか言ったんですか?」
「いやー…別に…?」
そして朝から散々だ、とため息をつくとエイナを見上げる。
…なんて事は無い、いつも通りの彼女だ。まるで昨晩のことなど無かったかのように自然な笑みを浮かべていた。
「ところであそこのとこが治療費もってくれるって聞いたんだが?」
「あぁ、はいそうですね。この部屋の借用代とか治療に使ったハイポーションなんかも全部払って頂きました…まぁヘスティア様はそれ以外にも何かせしめている様子でしたが…」
処女神から貧乏神になりそうな自らの主神の(ケチな)所業に俺は呆れつつも、まぁそれでかけさせてしまった心配が解消されるならとも考える。
「あ、そうだ。これを」
エイナはぽんと手を打つと部屋にあった机の引き出しを開け、その中から青い液体の入った瓶を取り出した。
「はいこれが今日の分のポーションです。一気に飲むと今のリョナさんの身体には負担が大きいですから、少しずつ飲むようしますね」
そう言うとエイナは当然のように俺にポーションを飲ませようとする。
しかしそれは上げられた右手によって阻まれた。
「いやいい、自分で飲むから」
「!…はい、どうぞ」
俺の身体が動くとは思っていなかったのだろうエイナはもう身体を動かせるのかと驚きつつも、俺にポーションの入った瓶を渡した。
…とはいえ少しポーションを渡すとき残念そうな顔をエイナがしたのは気のせいだろう。
「ぷ…はぁ、やっぱ甘いな、これ」
エイナの言う通りゆっくりと喉にポーションを流し込んだ俺は息をつく。
そしてそれを数度繰り返しポーションを空にした。
「?…何見てんだよ」
「いえ別に?…はい」
「ん」
俺がポーションを飲むのに悪戦苦闘しているさまをエイナがどこかニコニコとした様子で見ていた。
そして手を差し出したエイナの手に空になった瓶を渡す。
「♪」
どこか上機嫌のエイナは瓶を腰にひっかけると、俺の顔を見下ろしてくる。
そして少し考こむそぶりを見せた。
「食材は足りてるから良いとして…あとは包帯のまき直しよね。…ところでリョナさん、何か欲しいものってありますか?」
「欲しいものかぁ…」
しいて言うなら女、と本当に言いかけるが喉元に抑えておく。
そして真剣に考え始めると、すっかり忘れていたことを思い出した。
「…そういや俺の服は?それとグローブ」
「あぁー…」
思えば今俺が着ているパンツは恐らくギルド支給のもので自らの服では無い。
頷いたエイナは先ほどのポーションを取り出した机に近づき、開ける。
そして両手で中の物を掴むと、取り出す…出てきたのは俺のグローブ。
「グローブはここに入れてあります。服の方は血まみれで、洗濯したから今乾燥中です」
「あい解った」
頷いた俺にエイナはグローブを机の中に戻すと、引き出しを戻す。
そしてベッド脇を通り越して扉の方へ歩き始めた。
「そうだ、それともう一つ」
「はい?」
エイナがドアを開けたタイミングで俺は呼び止める。
振り返ったエイナは首を傾げてみせた。
「ベル君に会ったらで良いんだがホームから俺の本を持って来てくれるように言ってもらえるか?それで伝わるはずだ」
「へー…読書ですか。確かに暇ですもんね。…どういう本読むんですか?」
「絵本だ」
「…え?」
俺の言葉にエイナの表情がぴしりと固まる。
とはいえなんて事は無い俺は身振り手振り説明する。
「いやほら、俺の世界の文字とこっちの文字って違うからな。もうそろそろ解読が終わりそうなんだ」
「あ、はい解りました…それじゃあ安静で」
「おうまたな」
どこか表情が硬いままエイナは扉を閉じて去っていった。
…そして、まぁ、確かに大の大人が絵本読んでいるというのもある意味ショックなのかなと納得した俺は…納得はしつつも若干傷ついたのだった。
・・・
『ガチャリ』とドアが開く。
ただひたすら暇な時間を過ごしていた俺は、エイナが昼飯を持って来てくれたのかと、視線を窓から入口の方にやった。
…全てのことを世話してもらうというのは中々気恥ずかしいものがあるがそれでも腹は減るし、早くも空腹を覚えていた俺は期待をこめてドアの方にいるはずのエイナを見る。
「…!?」
だが扉を開けてそこにいたのは――猫耳の少女。
若草色の長袖服とこげ茶色のスカートを履いた彼女は、透明感のある茶髪の合間から同じ色をした猫耳を生やし、肩からはそのスカートと同じ色をした小型のショルダーバッグを下げており、くりくりと丸いその瞳をこちらに向けてどこか嬉しそうな笑みを口元に浮かべていた。
――俺はその美少女を見るなり、とりあえず思った事を口にする。
「誰だ?」
「ニャッーーーー!!?」
どこか自慢げなドヤ顔で、まるで自分の服装を見せつけるようにして歩いてきていた美少女は俺の言葉に、叫びながら昭和のノリでづっこける。…異世界であろうが何だろうが鉄則は鉄則らしい。
盛大に受け身をとった彼女は腕をつきよろよろと立ち上がり、修羅と呆れと驚きのハイブリッドのような表情を俺に向けると表情は変えずにギギギと首を傾げて見せた。
「…冗談にゃ?」
「ん、言われてみればどこか見覚えが…ちょっと待て、ここまで来てるんだが…」
尋ねる猫耳少女に俺はトントンと頭をつつきながら、その少女の容姿に記憶を照らし合わせる。
全体のパーツパーツの一つ一つは見覚えがあるのだが、そのパーツが何か「足りない」ような気がした…しかし切り離し可能な部位を持つ人間などいないし、そんな解りやすい大怪我もしていないように見えた。
だが懸命に思いだそうとしている俺に、そもそも覚えてないのがありえないにゃとか呟いた少女は目を見開いて呆れた顔をする。
そして少し逡巡した後何かに気が付いたかのようにあっ…ではなくニャッと声を上げると――
――おもむろに自らのこげ茶色のスカートの紐を緩め始めた。
「!?…は!?ちょっと痴女の知人とかいないんですけど…!?」
「にゃっ!!?違うにゃ!!いいからこれを見るにゃっ!!?」
そして少女はスカートを下す…訳ではなくくるりとその場で一回転すると、お尻をぐいと突き出した。
…今度はこっちがあっけにとられ、驚きで動きがとまる。
しかし固まった視線の先のスカートが突然むくむくと動き始め、膨らむと、まるで中で蛇か何かが這いずるかのようにのたうち回った。
そして出口を求めるかのようにそれは上を向くと――
――ポンッとスカートの隙間から猫のしっぽが飛び出してきた。
「あぁ!お前アーニャか!!」
「はー…やっと解ったかにゃ、お得意様?」
にゃー…とため息(?)をついたアーニャは尻尾をそのままに一度緩めたスカートの紐を結び始める。
彼女は豊穣の女主人の従業員で俺が行く度絡んでくる猫人…キャットピープルという亜人の種族の子だ。あそこでの金払いはいつも良いので殆どの従業員(ミア母さんは変わらない)に好かれているが、特に俺を気に入っているように見えるのがこのアーニャだ…それが営業スマイルか否かは解らないが。
ちなみに何故気づかなかっただが、店以外で会うことが無くいつもは緑色の制服と白いエプロン姿しか見ていなかったため、私服姿の彼女が解らなかったから。
そして――
「…ていうかお得意様、自分でやっといてニャンですけどアーニャの尻尾見て初めて気が付いたかにゃん?」
「あぁおうそうだが…まぁ俺興味以外の事はすぐ忘れちまうからな」
「ってことはあれにゃん!?アーニャは都合の良い尻尾でしかないにゃん!!?」
――彼女の尻尾は見ていて飽きることが無い。
というのもいつも俺は豊穣の女主人にてかなりの頻度で夕食を食べているのだが、同時に酒も飲む。そして酔っぱらうと…たいてい目の前をゆらゆらと歩いていく尻尾に気がひかれて、結局酔いが覚めるころには頭には尻尾が揺れているイメージしか残っていなかった。
…ちなみにミア母さんがブチ切れるので触ることは叶わないのだが。
「都合のいい尻尾っつっても触った事ねぇけどな」
「当たり前にゃん。そうやすやすと触れるものじゃあ…」
「ほい」
「ンニャアアアアアアアア!!?」
とはいえここは店ではないし、ミア母さんもいない。そしてスカートの紐を結ぶためにアーニャは背中を向けていたし、俺の目と鼻の先ではアーニャの尻尾が誘うようにゆらゆらと揺れていた。
…俺が掴まないわけがない。
瞬間触り心地の良い毛並みがさわさわと俺の掌を刺激し、長い間目をつけていた目標を達成したことに快感を覚える。
そして尻尾の根本辺りを掴まれたアーニャは叫び声と共に『ビクンッッ!』と身体をのけぞらせ、全身の毛が逆立ち震えた。
「あー…ええ感触…」
「にゃっ!!?にゃっにゃっ!!?」
犬を飼っていたことはあったが、猫を飼っていたことは無い。これまた違う毛並みの感触に俺は早くも病みつきになりつつ、根本から途中までをしごくように往復して撫でる。
…しかし極めてソフトタッチを心掛けたつもりだったのだが俺の掴んだ手が上下する度アーニャはビクンとのけぞり、鳴き声をあげていた。
そして上下が10を超えた辺りで唐突に振り返る。
「いい加減に~…するニャアアアアアアアア!!!」
アーニャは涙目で思い切りよく殴りつけてくる。怪我人だろうと一切容赦なく。
その拳にいつぞやの「神パンチ」を重ね見た俺は軽く躱す。
「にゃにぃっ!!?」
「へっ可愛い猫のお嬢さんに拳は似合わねぇぜ…?」
「えっにゃにそのカッコイイセリフ、アーニャ的に最高にゃんですけど…じゃにゃくて!」
持ち前のノリの良さでつい俺のボケに乗っかってしまうアーニャだったが、それ以上にご立腹のようでフンスと腕を組むと、不機嫌そうに尻尾を揺らして見せた。
「お得意様は知らにゃいそうですけど、キャットピープルのアーニャみたいな可愛い女の子は尻尾とか耳とか不用意に触らせないにゃ!」
「え…なんで?」
「何でって!例えるなら人間の雌の胸や尻をいきなり鷲掴みにするのと同じにゃ!?」
「ん…待て、では猫人の胸はいきなり揉んでもいい?」
「何でそうなるにゃ!?」
俺の(ひどく)洒落のきいた冗談にアーニャはニャー!と吼え暫くニャーニャー!と怒った後、にゃふ…と疲れたようにベッド脇に座り込むとため息をつく。
そして落ち着きを取り戻したのかいつも通りの表情に戻ると、呆れのこもった視線を俺に向ける。とはいえそれが大好物の俺はにっこりと笑顔で返して見せ、ふいに真顔に戻ると首を傾げた。
「ところでお前何で来たんだ?」
「ん、お見舞いですけどにゃ?」
「…お前一人で?」
「にゃん」
アーニャは頷く。しかし解せない、俺が大怪我したという噂がどこまで広がっているかは解らないが、なぜ一番に来るのがアーニャなのか。
確かに仲は良いがそれでも私服で、仕事の合間にちょっと様子見てくるというわけでもなく、本格的に来るのか。
――いやわざわざお見舞いに来てくれたのにこの物の考え方は物凄く失礼だとは解っているが、それでもアーニャのキャラ的に真っ先に来るというのは非常に違和感があったのだった。
とはいえ――俺はそんなことよりも遥かに重要な事をアーニャに尋ねる。
「…お前一人…?…リューさんは?」
「あー今日夜までシフトにゃ」
「…え、俺の生きる意味は?」
「もー!こんな超絶美少女を前にして他の女の話をするんじゃないにゃー!!」
「うるせー!お前の価値なんて尻尾しか…ぐっ…!?」
リューさんが来ない悲しみがアーニャへの怒りに変化しかけた時胸に痛みが走る。
…まだ傷は完治していないのだ、興奮状態の叫びは流石に傷に障ったようで俺はせき込む。
「ゴホッゴホッ!?」
「あーもう…この際今聞こえた気がする失礼は聞かなかったことにして看病してあげるにゃん!」
そう言ってアーニャは立ち上がると俺の背中をさする。
柔らかい手が俺の背中を行き来し、かなりの痛みを伴う咳は数度続いた後完全に止まった。
「…ふぅ、すまんな」
「まぁ一応お見舞いにゃしにゃ」
アーニャは俺の咳が止まったのを確認すると再び席に腰かける。
そして暫く沈黙し、俺の全身を品定めするように眺めると怪我を確認しようとする。しかしそもそも骨折など内面的な怪我で表面的には解らないし、上半身は所々包帯が巻かれている程度ではあるが、そも下半身にはシーツがかけられているので全体を見るというのは難しい――
「――…ん?」
アーニャの視線が一か所で止まる。
そしてパチクリと瞬きをすると、小首を傾げた。
「お得意様」
「ん?なんだ?」
「えーと…それ何にゃん?」
アーニャの指さした先を見ずとも何か解る。
指さしたのは俺の下腹部、大きく盛り上がったソレをアーニャは不思議そうに見つめた。
…朝から常に「これ」は張っている。
流石に一人になって外の風景でも眺めていれば「これ」も治まるだろうと考えていたが一向に収まる気配は無く臨戦態勢だ。それに感度も高くなってるようで履かされているパンツと少し布擦れするだけでも若干の良さが走っていた。
とはいえ今までも大きかったわけでこれまでアーニャが触れなかったのは気を使っているのだと思っていたのだが、ただ単純に気が付かなかっただけのようだった。
「これは…そうだな…」
「?」
何だかただ単純に「立ち上がっている」というのもプライド的によろしくない。
というかコイツの場合そんなこと言おうものなら「えっまさかアーニャに欲情したにゃん?うわこれはリューに報告しないとにゃ!」という事態になりそうで、今後豊穣の女主人に顔を出しづらくなってしまうだろう。
それにまだ若いしエイナのように耐性が無いかも…いやこの前同僚と思い切り下ネタ言い合っているのを見かけたし知識はあるだろうが。
とはいえ俺は厳かに、エイナの問いに答える。
「…バナナだ」
「…バナナ?」
故にここでの最適解は「隠語」。冗談で済ますのが一番だろう。
――俺の言葉を聞いたアーニャは、首を更に反対側に傾げる。
「まぁ流石にその大きさはチン〇じゃにゃいとは思ってたけど…バナナってなんにゃ?(・)」
(!…しまったぁぁぁぁこの世界にバナナ無かったあぁぁぁぁ!!)
…思えばガネーシャの朝ご飯、この世界の珍しくて美味しい果物を集めたと言っていた。しかしその顔の割には(まぁ勝手なイメージの問題なのだが)バナナは無かった。…食べそうな顔なのにだ。
とはいえこれでは隠語として成立しない、それどころかアーニャは自分の知らない単語に更に興味津々といった視線を俺の「俺」に向けていた。
…あるものが無い衝撃で俺は慌てると、思わずバナナの説明をし始めてしまう。
「そ、そのだなバナナというのは南国のフルーツで、黄色い皮を剥いたら甘い実がある黄色い…」
「えっ何それめっちゃ気になるにゃん!…隠してないで見せるにゃー!!」
「うおっ、ちょっまっ」
だが説明は逆効果だったらしい、更に興味を示したアーニャは目を輝かせると、がばぁっと俺にとびかかってくる。
予想外の行動に俺はとびかかってくるアーニャを片手で止めようとする。
…しかし疲れで動きの鈍った俺の片手をアーニャは予想以上に俊敏な動きで避けると、脚の上に飛びついてくる。足は折れていたはずだがアーニャの体重程度では痛くはなかった。
「んー…何か臭いにゃあ…」
「…!」
そして何の躊躇いもなくアーニャは俺の下半身にかけられたシーツの中に潜り込んでくる。
もぞもぞと足回りで動く蠢く犯罪的な膨らみに思考停止した俺は、一瞬物理的な対処が思いつかず硬直した。
「くんくん…あ、でもこの臭さ嫌いじゃにゃいかも…」
もぞもぞはくぐもった声で何かを喋り続け、熱い息を肌に吹きかけながら俺の脚をペタペタと触りつつ北上し始める…まだ見ぬ「バナナ」を求めて。
「あ…これにゃ!」
「ちょっ…!?」
流石に身体の硬直が解ける。
股間近くに至りそうになっていた彼女の頭と思わしき膨らみを俺は両手で抑えると、力の入らない腕で押し戻そうとする。
しかし割と今の俺の力など幼児並みだし、体力も早くも切れそうになっており、息も切れそうになっていた。
「ぐ…」
「にゃー!独り占めは卑怯にゃー!」
だが意地でもここは死守しなければならない。俺はシーツの中から怒った猫のような声を聞きながら必死の攻防戦を繰り広げる。
…しかし体力差。じりじりと距離を縮めてくるアーニャとは対照に徐々に俺の抑える力は弱まっていく。さながら「攻城兵器」、狭い隙間から無理やり押し込むかのようにアーニャは自らの頭をぐいぐいと押し付けやがて突破し――
『ガチャリ』
――反射的に、アーニャの頭を少しでも起伏が目立たないようにするために、俺は片手で上からアーニャの頭をベッドに押し付けるようにして抑えつけた。
「…んー…!?」
くぐもった声が聞こえるがそれどころではない。慌てつつも俊敏に周囲を見渡し痕跡がないか確認する。
しかし奇跡的にアーニャの全身はシーツで隠れているため、異様に乱れたベッド以外はアーニャの痕跡は見当たらなかった。
全ての確認を終えた俺は加速した思考の中でゆっくりと開こうとしているドアの方を見やる。ゆっくりと開いていくその扉から出てくるのは鬼か蛇か――
「リョナさん!」
「…ベル君じゃねぇか!?」
――否、それは真っ白な兎であった。
・・・
「いやー傷もだいぶ治ったようで良かったです!」
「おう心配かけたようで悪いな」
「いや全然そんな!」
俺は未だ下半身でもごもごと動こうとしているアーニャを片手で抑えつけながら、ベッドわきの椅子にニコニコと笑いながら座っているベル君と言葉を交わす。
…一瞬即発の状況ではあるにもかかわらず押さえつけられたアーニャは息苦しいのか抵抗してくる。
(ばれたらお前もやばいだろこれっ…!?)
珍しく冷や汗を背中に感じながら俺は何とか笑みを浮かべてアーニャの頭をぐぐぐと押していた。
「…えーとそうだな。どうだ、最近良い事あったか?」
まともな思考が出来るはずもない、久しぶりにあった親戚のおじさんみたいな質問を不甲斐なくも俺はする。
しかしベル君は実際嬉しい事があったようで、ぱっと顔を明るくすると腰をまさぐり始めた。そして――ヒエログリフの刻まれたナイフを取り出して見せた。
「これ!どうですか!」
「ほぉ…中々の業物に見えるな!」
ナイフにそれほど詳しいわけではないが、こと刃物に関して言えば鋭さくらいは解る。
ベルの取り出したそのナイフはこの前持っていたナイフとは比べ物にならないぐらいの鋭さを持っていることが見てとれた。
…俺の言葉に嬉しそうにベル君は頷く。
「はい!これはヘスティア様からいただいたものなんです!!」
「へー…うちの財力でそんないいもん…いや、今はそんな事良いか。で、使い心地はどうよ?」
「実はまだダンジョンでは使えてないんですけど…実は街中で襲ってきたモンスターをこれで迎撃して…」
「…あ、もしかしてそれ白いゴリラみたいなやつじゃなかったか?」
「え、何で知っているんですか!?」
「いや実はそいつ俺が逃がしたやつでな…倒せたのか?」
「…はい!何発か貰っちゃいましたけど最後にはきっちり!」
「ならよし!」
そう言って…二人で笑い、久しぶりに再会した二人は喜びを分かち合う。
そして楽し気に二言三言言葉を交わすと、丁度俺の腹がぐーとなった。
「あっそうだこれ!」
ベル君は気が付いたように腰についたポーチから「じゃがまる君」を取り出す。
そしてとびきりの笑顔を見せると、手渡してくる。
「…あー…うめぇ」
必然と懐かしい味、このじゃが丸くんはこちらに来てから飢えて初めてベル君がくれた時のじゃが丸君と同じ味だった。あの後もちょくちょく食べてはいたがベル君からもらうじゃが丸君は格別というか、特別美味しいような気がした。
かっくらった俺はじゃが丸君を下し、息をつくとベル君を見る。
「ふむ美味しかったありがとう。だがもし俺以外に見舞いに行くときは油物より果物とかあっさりしたのが喜ばれるぞ」
「あっ確かに…!すいません気が利かなくて」
「だけど俺の時はじゃが丸君で頼む」
「え…あぁ、はい解りました」
何だか言っていることが矛盾しているように聞こえたであろうベル君は頷く。
…そしてやはりみな気になるのだろうか、ベル君は俺の全身を眺めるようにして怪我の度合いを確認し始める。しかし俺の身体の上にはシーツがあるわけで…以下は略すが、結局下半身の膨らみに気が付いた。
「えっと…リョナさんそれは…」
ベル君は顔を赤くし、俺のそれを指さす。しかし顔を赤くしているあたりそれが何なのかは理解はしているようだった。
ここはひとつ生協…ではなく、まぁ男同士なのだから何もためらうことなどないだろう。
俺はまっすぐにベル君の顔を見ると、いかめしく伝える。
「邪神マーラ…男なら誰しもが持つ悪徳よ…」
「いや…でもなんでそんな大きくなって…!?」
「あー…ベル君も大人になったら解るぜ!」
「は、はい…!?」
子供をだますというのは気が引けるがベル君にはいつまでも清いままでいてもらいたい、何とかごまかせた(?)俺はふー…と一仕事終えた職人がごとくため息をつくと余っていた片手で額の汗を拭った。
――だが事態は急変する、眠っていた獣がその鎌首をもたげる。
「――…少年…!…いますぐ…アーニャを…助け…!」
「…あれ?リョナさん今何か人の声が聞こえませんでしたか?」
「い、いやいやいやぁ!?あー多分あれだわ!俺のマーラがベル君と喋りたがってんだわ!?」
「あはは…」
少しの合間おとなしくなっていたアーニャだったが俺とベルとの会話で自分のいる付近に視線が近づいていることを知ると、また暴れ始めた。
本格的に状況を理解していないアーニャの頭を思い切り押さえつける。
(とはいえどうやってベル君を帰らすか…!?)
もはやこうなっては時間稼ぎでは足りず、帰らせるよりない。
アーニャの頭を抑えつけているのにも限界があり(というか限界超えている)、気が付いていないようだが身体をジタバタとされてはベル君も気が付いてしまうだろう。
であるならば何か帰らせる理由が――!?
「――ッ――…にゃっ…!」
(…っ!?)
アーニャ、最大の抵抗。反動をつけたそれは大きく俺の手を押し返す。
圧倒的パワーが手のひらから伝い、危うく負けそうになる。しかしベル君の手前、そんなショッキングな光景を見せるわけには――
(おおおおおおおおおお!!!)
――必死の覚悟、今持てる最大の力で俺はそれを押しとどめる。
「…な…にゃっ…!?」
激しい攻防、だが所詮首と背筋だけの力。全身を込めて止めようという俺の鉄の意思に負けた抵抗は徐々に力を失っていき、その頭を地に落とし始める。
――崩壊は、ここで留まった…!
(完・全・勝・利!)
女の子に腕力で勝ってうれしいって倫理的にどうなの?というのはさておき、俺は喜びに思わず笑みを漏らす。
そしてアメフトのタッチダウンが如くまた元居た位置に戻――
「…んにゃっ…」
「アフンッ――あっ…!?」
――元居た場所にはならない、少し…位置がずれた。しかしそのずれは先ほどとは意味合いが全く違う。
…声が漏れ、快感が伝う。
絶妙の柔らかさが擦れ、押すでもなく潰すでもなく…頭がおかしくなりそうなほどの刺激が襲った。
(…!)
そこで俺はアーニャの頭がわずかにずれてしまっていたことに気が付く。
しかしアーニャは元々ギリギリまで狙いに近づいていた、ずれによって極限まで「壁」に近づいた頭はぶつかると直角に落ちる。
――つまり棒と玉ッ…!
わずかにずれたアーニャの頭はっ…!…その「玉」の方にっ…!
「リョナさんどうしたんですか?」
「まっ…マーラ様の容態が悪化した…!」
「…むしろ元気みたいですけど…」
ベル君が珍しく下ネタ言った!とか今は気にする余裕がない。
…それにあまりにも直接的な快感に性欲のスイッチが入ってしまったようだ。
顔の表面が急激に熱くなり、息も荒くなる。事が始まったと勘違いした身体は本能のままに濡れる。
みるみるうちに理性が失われていくのを感じ取った俺は、残された思考でベル君に語り掛けた。
「すまんベル君…!…エイナから話聞いたか?」
「え…いや、言っていいよって言われただけですけど…」
頷いた俺は熱い息を吐きだす。
そして何とか思いついた「ベル君を帰らせる方法」を告げる。
「ほら今とかはベル君はいるからいいんだが、いないときは暇で暇で死にそうなんだ?」
「あー…なるほど、動けないですもんね」
「だからホームから俺の本を何冊か持って来てもらいたいんだ?」
「なるほど解りました!任せておいてください!」
よし何の疑問も抱いていないッ!というのも…お見舞いの途中で帰らせるような言動はまず真っ先に避けるべき。しかしそうは言ってはいられない事情が俺にはありわけで、騙すようで悪いが純真なベル君はそれに対し嫌悪感を催さない。
で、あるならば…この場凌ぎさえ出来てしまえばいいこの状況、乗り越えるのはもはや容易い。
(マジで助かれッ…?)
ある意味、もはや手遅れ感は否めない。
しかしアーニャが呼吸をするだけで、少し身をよじるだけで危機感が増していく。
もう一刻の猶予もないこの状況で願うのはアーニャがこれ以上暴れないこと、そしてベル君が早く帰る事、同時に偶然エイナが来ない事。
「それじゃあまたすぐ戻ってきます!」
「ゆっくりでいいぞー」
とはいえ事態は一個の収束に向かう。立ち上がりドアを開けたベルは笑顔で俺に手を振って去っていった。
一見、自分以外誰もいなくなった部屋の中で、嵐(のようなベル君)が去っていったのに安堵しため息をついた。
「はぁ…」
…落ち着く、べきだ。
俺はゆっくりと深呼吸をすると、燃えるような理性を排熱する。
そしてそうなった原因である「元栓」を締めるべく、意を決するとシーツをめくった。
「…」
――言わずもがなと、したい。
そこにアーニャは確かにいたが仰向けのままピクリとも動かず、ただ顔をうずめていた。
「…おい、アーニャ」
とりあえず俺はその名前を呼ぶ。
…しかし彼女は返事はおろか、呼吸すらしていないように見受けられた。
「おい!?」
流石にこれは異常だ、慌てた俺は疲労した腕を伸ばしアーニャの肩を掴む。
そして何の抵抗もないその身体を、俺はゆっくりと転がすと――
「あっ…」
青ざめた顔、剥いた白目、涎の垂れただらしなくも開いた口。
嗚咽が漏れ、異様な汗を流していることはその匂いから察することが出来た。
そして…その全ての情報が一つの結論を俺に示す。
――彼女が失神していることを確認したのだった。
・・・
「…リョナさん?」
「おやすみエイナ」
「いやちょっと待ってください!?何でさっきベル君が豊穣の女主人のところのキャットピープルの女性を運んでいたんですか?」
「あぁ…?…あぁー…何かあれだよ。猫って驚くと死んだふりするらしいじゃん?」
「まぁ確かに今のリョナさんは驚くべき状況にありますけどっ…!?…ってリョナさん眠ろうとしないでください!!?」
「疲れてんだよ…眠らせろよ…」
「そもそも何で疲れてるんですか!?それにダンジョン知識を教えるって約束は…!」
「パスぱすぱーすぅ…ふぁ…おやすみ…」
「ちょっリョナさん待って…あ」
「zzz…」
「…おやすみなさい」
・・・
目が覚めるともう朝だった。喜ばしいことに今朝は目が開くとすぐに象の顔があるという事は無い。
(ん…おぉ)
とりあえず上半身を起こそうとした俺はだいぶ体力が戻っていることに気が付くと、回復しているということに喜びを覚える。
そして喜びのままに立ち上がろうとしてみた。
「フンッ…!」
反動をつけ、起き上がる。容易く起き上がった全身に俺は更に喜びを感じると、ベッドから足を下す。素足にひんやりとした感触がピタリと伝い、久しぶりに背骨への負担を覚える。
(…!)
確か背骨は折れてこそいなかったが(というか折れてたらポーションあっても数年かかってしまうらしい)、負担によってか背骨にわずかな痛みを覚えた。
まだひびが入っているのかは正直レントゲンでもとらない限り解らないが…触ってみた感じ、無理をしなければ問題ないだろう。
「ふぅ…よし」
手をつき、ゆっくりと立ち上がってみる。
めまいのようなふらつきが一瞬頭を襲うが、俺は何とか力を込めると立ち上がる。
「うー…」
…ゆっくりと、伸びをする。
久しく動かされなかった身体が気持ちいいほどに引き延ばされ、全身の何か所かがボキボキと音を経てた。
…どうやら脚も腕も完全に折れているのもどこへやら、問題なく立てるようだ。
「ふぅ…」
伸びをやめ、ため息をつく。
「はぁ…」
そしてもう一度ため息を、視線を下して今度は大きくついた。
(まだ収まんねぇのか…)
全くもって、度し難いほどに大きくなって変わらない。もはや三日間ともなると慣れてきたが、いい加減男としては発散させてしまいたい。
「ふむ…」
とはいえ既に疲れを覚え始めた俺はベッドに座る。
そしてうなだれるようにして自らのそれを見ると、どうやって発散させるかを考える。
…この回復した体力ならば自分で、というのも考えられるが…?
――『ガチャリ』と扉が開く。
「あっリョナさん、起き上がったんですね…って、無理してませんか?」
開けられた扉、そこからいつものようにエイナが顔を出す。
座った状態の俺はその心配そうな顔に首を振って見せた。
「いや結構回復した、立つのは流石にまだ体力的にきついが座ってる分には問題ない」
「そうですか、それは良かったです!」
そう言うとエイナは笑顔を向け、部屋に入ってくる。
そしてベッド脇まで移動すると、手に持っていた盆と湯気を上げる鉢、皿を俺に見せてくれた。
「これ、朝ご飯です!」
「おぉ…お?」
見えたのは前と全く変わらない「リンゴとチーズのリゾット」そして皿の上にはパンとグラス。
(…まさか)
…そのまま前と同じように盆をベッドわきの机の上に置いたエイナの表情にほの暗いものを感じた俺は「もしかして」と問いかける。
「お前それしか作れないとか?」
エイナの身体がビクリと腰のあたりで震える。しかし思い切りよく図星をついたにも関わらずエイナは全く表情を変えずスプーンを手に取ると、リゾットをすくい俺に向け、笑顔を見せた。
…まるで俺の発言などなかったかのように。
「…リョナさんいくら動けるようになったからって疲れているでしょう?食べさせてあげますよ、あーん」
「いやだからそれしか作れないのかって」
「あーん」
「スマンかったから押し付けるのをやめろ、いただきます」
そう言って俺はエイナの強制的なあーんによって朝食を済ませたのだった。
・・・
「…」
――地獄だった。
なるほど、ベル君が地獄と表現するのも解る。
朝食後、エイナは「さて」とばかりにサディスティックな笑みを浮かべると(少なくとも俺の目にはそう見えた)、約束であった「ダンジョン知識の教育」を始めた。
…しかしそれは「教育」というよりも「ねじりこむ」という方が近い。
強制的に、脳にゴリゴリと刷り込むように俺はエイナによって…およそ二時間ほどだろうか、ダンジョン知識を教え込まされていた。
ちなみに具体的な教育方法については…。
(うおう…)
ぶるりと身体が震える、もはやトラウマのようなその記憶を俺は思いださないようにする。
そしてため息をつくと去り際にエイナが置いていったポーションに口をつけた。
「うーん…美味さが薄れてるような…不味いような…」
昨日のように甘くない。前はかなりの美味さに一気飲みまでしたのだが、今日のポーションはどこか薬臭く、とても美味しいと言えるものではなかった。
色とか違いは見かけでは解らないのだが、そもそもポーションの種類が違うのか、それとも怪我の度合いによって味が変わるのか。
「くん…いや、匂いは変わんねぇよな」
薬草の青い匂いは変わらないし、やはり後者かそれ以外の理由なのだろう。
「…ん、ぷは」
とはいえ不味いそれをチビチビと飲みながら俺はただ過ぎていく時間を過ごし…ていたわけではなく、ピラリと片手で膝に置いた本を開く。
可愛らしい絵で描かれた本は恐らく児童向けなのだが、問題はその絵と文字の関係性だ。
(え…い…ゆ…う…は解るとして、書いたときの法則性が独特だなぁ)
この文字列だが完全に横の文字とつながっている。
最初のころはどこからどこまでを一文字として区切ればいいかすらも解らなかったし、同じ絵なのに文字列が全く違うという事態まであって大変困惑した。
しかしその一つ一つを比較し、何とか日本語と当てはめることに成功した。
唯一の救いとして喋る言語が(いやもしかすると何らかの魔術で直されているのかもしれないが)ひとまず俺の耳には日本語に聞こえたので、時折絵の意味をベル君に教えてもらえたので助かった。
「ふむ…『エイナのメガネを○○で○○にして○○したい』」
俺はひとまず練習として机の上に置かれた紙にペンを走らせる。
…達筆なのかどうかすら解らないが、ひとまずこれで意味は通じるだろう。
他に文法などが存在しているかはともかく、これで何かしら簡単な伝言を残すことは出来るわけだ。他の本を読むことなども可能だろうし、そうなればこの世界への理解も深まるはずだ。
――そして理解が深まれば一時的な現世への帰還方法なんかも見つかりやすくなるかもしれない。
流石に妹や従弟に何も言わずに行方不明になってしまったのは気が引けるし…替えの服なども欲しかった。
「あっやべぇこれ消せねぇ…まぁ後で処理しとくか」
とはいえ俺は思わずふざけた内容の事を書いてしまったため、紙に書かれたその文字を消そうとするが、インクペンで書いたためそれだけ消すということは出来ない。
…とはいえこんな紙の一枚や二枚じたいは隠し持っておくことは造作ない。
ひとまず紙を二つに折りベッドの下に投げ入れた俺は、ベッドの暗闇に紙が溶け完全に隠れたことを覗き込んで確認して安堵する。
そして余った紙に向き直ると、何を書いて練習しようかを考えはじめ――
――もう幾度聞いたか解らないが『ガチャリ』と音を立てて部屋の扉が開いた。
「おっ…?」
音が聞こえた瞬間俺は反射的に鼻を使う。エイナやベル、ヘスティアなどの匂いは覚えているので嗅げば大体誰が来たかくらいは解る。
…しかし思わず声を出した俺の鼻に届いたのはそのどれとも当てはまらない匂い…だがそれでいてどこかで嗅いだような匂いだった。
それに――
「リョナくぅぅぅぅん!!!」
…しかし俺が誰かを特定するより先に本人が入ってきてしまう。
勢いよく部屋に入ってきたその少女は、まるでクラウチングスタートでも決めたかのごとく最初からトップスピードで狭い部屋を横切りベッドに突っ込む。
もはや人間砲弾ともいえる高速のそれはその勢いのまま進むと、たまたま座禅を組んでいた(恐らく組んでいなければそのまま足に激突してまた骨を折っていたのではないだろうか)俺の前で、ベッドの足元に『ぼふんッ!』と盛大にダイブすると、ベッドを大きく揺らしながら完全停止した。
そしてその人間弾頭は寝転がったまま、三日前と何一つ変わらない「太陽のような笑み」を俺に見せるとその小麦色の肌の口を開く。
「起きたんだねリョナ君!」
「おぉ…ティオ…ティオ…ティオナ!」
「正解!」
五日前、華が地面から生えてきたときにいたアマゾネスの少女、ティオナがそこにいた。
…一瞬ネかナか解らなかったがどうやら合っていたらしい、ティオナはぐっと親指を立てる。
「来てくれたのかぁー。そういやあの時はティオナも戦ってたよな、お前は怪我しなかったのか?」
「え、私?私が怪我するわけないよぉー…それよりさ、リョナ君の方はどうなの?見た感じ元気っぽいけど」
「んー、立てるようにはなった」
「へぇー良かったねぇー!」
俺は足元のベッドにうつ伏せに寝ころびながらはみ出た足を揺らすティオナと言葉を交わす。まだ知り合ってから時間にして数時間しか接点のない二人だが、やはり一緒に戦った仲だからか、特に何の躊躇いもなく話せていた…それともお互いそういう性分だからかは解らないが。
ティオナの笑みに、つられて笑みを浮かべた俺は軽く肩をすくめる。
「つっても体力がなくてなぁ…」
「あー大量にポーション使った後ってキツイよねー」
「あぁ…」
とはいえ…俺はせっかくお見舞いに来てくれたティオナとの会話に集中できていなかった。
(…誰だ?)
――二人だ。
最初に嗅いだ時、匂いは確かに二つあった。ティオナの匂いの背後に…もう一つ。
ティオナの言葉に生返事しながらも俺はドアの先の廊下を見る。
…しかしそこには誰も見えず、気配も感じられない。
となれば――
(ティオナを尾行してた…?)
ティオナに気が付かれること無くただ匂いだけを残す、何が目的なのかは知らないが闖入者の可能性は捨てきれない。
俺はティオナに眉をひそめ、ティオナに視線を戻す。そして俺の真剣な表情に首を傾げるティオナに尋ねる。
「なぁティオナ、お前一人で来たのか?…他に誰かいないよな?」
「え」
俺の問いかけにエイナは文字通り「え」と驚いた顔をする。
そして振り返ると、先ほどの俺と同じようにドアを見て…笑った。
「あぁなんで入ってきてないんだろ、お-いおいでよ!」
「…」
何だティオナの連れだったのか、と息が漏れた。
(疑り深いか…?)
なんて軽く自己分析をしつつ俺は「じゃあ何で入ってこなかったんだ?」と内心首を傾げ、恐らくティオナが走っていったので入るタイミングを失ったのだと推理する。
…とはいえティオナの連れとは誰だろう。
いや特定は余裕だ。俺にお見舞いにくるのはあの時あの場にいた人物だけ、それかたまたま俺のお見舞いに来ていたリューさんと途中でティオナがたまたま出会って意気投合した場合のリューさんだけだ。
つまり三分の二でエルフ、残りの確率でアマゾネス…予想としてはティオナの連れなのだからティオネだろうか?
ティオナの呼びかけにドアの外にいた「連れ」が反応し、僅かだが足音を立てる。
ベッドに胡坐をかいたままドアに顔を向けた俺は、いったい誰が来るのかと期待して――
「失礼します」
――金色の風が部屋の中に入ってきた。
その片手には茶色のバスケットが提げられ、歩くに伴い揺れた。
私服なのか白い服の裾は静かにたなびき、一見半目のような眼はその奥に光のような意志を見せる。
肌は白く、歩き方は凛としていながらもピクニックに行くような物。
そして――見覚えのある綺麗な金髪を優雅にも流していた。
「っ…お前は…いやお前がっ…!?」
確かこの世界に来て初めて「殺したいと思った女」、その女は綺麗な金髪をしており、五日前の戦いの一番最後の記憶に焼き付き、名前も知っている女。
この世界に来てからのすべての記憶からあ断片的に情報が汲み取られ、パーツが組み合わさっていくように彼女の名前が出来上がっていき、靄が晴れていく代わりに納得感が満たされていく。
俺は「知っていた」その名前を――思わず指さし口にする。
「アイズヴァレンシュタイン!!」
「…?…はい、そうですけど」
そして名前を呼ばれたアイズヴァレンシュタインも、不思議そうに頷いたのだった。
・・・
「そうか…お前が」
「…(こくり」
ベッド脇の椅子に座ったアイズヴァレンシュタインを俺は全身を舐めるようにして見ながら、話に聞いたその人を観察する。
…ただの少女にしか見えない体躯と若さの象徴のような綺麗な肌、そして美しい芸術品のような金髪と容姿。
溢れんばかりの生気と、いい匂い。
(――やっぱ殺してぇえええええ!!?)
うがぁぁぁぁ、と内心悶絶した俺はアイズヴァレンシュタインの破壊衝動をそそる美少女っぷりに圧倒されていた。
性欲も相まってなのかは知らないが滅茶苦茶にしたいという欲求がむらむらと沸き上がってくるのを俺は止めることが出来ない。喉が疼き、手が一人でに動き出す。
(…落ち着けぇ俺?)
しかしこんなところで手を出せるはずもないし、何ならアイズヴァレンシュタインがただの少女だったとしても今の俺では返り討ちにされる可能性もあった。
…俺は性欲やその他もろもろを落ち着かせるため瞳を閉じると大きく息を吐く。
「どうしたの?」
「うおっ!?」
声を上げると、すぐ目と鼻の先にいたティオナもその声に不思議そうに顔を傾げる。
足元にいたはずのティオナがいつのまにか四つん這いの姿勢で近づいてきていた。
目を閉じていたとはいえ全くその動きに、気が付かなかった俺は普通に驚き、胡坐のまま後ずさる。そして思わずむっときたティオナの女の子っぽい匂いに性欲的な危険を感じた。
(まずいか!?)
勿論股間にまずいかという意味だ…もう既に全たちの状態ではあるのだが。
とはいえこのまま先ほどのように突っ込まれても困る、俺はティオナが次にどう動くのかと視線をやり――
「…」
――四つん這いの下面、ひどくまっ平らな胸を目にして…だいぶ落ち着いた。
「…ティオネだったらやばかったな…」
「ん?ティオネがどうかしたの?」
「いや何でもない」
気が抜け思わずあくびをした俺は後退しつつベッドに座りなおす。
そしてティオナと充分な距離を稼げたのを確認すると、その場にあぐらをかいた。
「♪」
すると真似るようにティオナもその場に胡坐をかいてみせる。
何たるやと俺は一瞬苦笑すると、ティオナに向き合う形で座ることになった。
「…」
とはいえすぐに話題は出てこない。そして何か話題提供しようとするより先にティオナから喋りかけられてしまう。
首を傾げたように笑うティオネの声は若干掠れたように「謝った」。
「ごめんねーあの時助けれなくてー」
「ん…?」
そう言ってティオナは笑いつつ、冗談でもいうかのように謝ってくる。
…しかし俺は、若干影のさしたような笑みの意味が解らない。
冗談であるならば謝罪する必要が無い、その上で謝罪するのは後ろ暗いことがあるからだろうか。俺は困惑しつつもティオナのことを観察し、あの時のことを思い出しながら当然のことを当然のように吐く。
「いやあれは事故だろ?誰がいきなり地面から巨大な花が生えて空に打ち出されるって思うよ、あんな馬鹿みたいな事態で助けるのが無理だわ」
「うん…まぁ…そうだよねー!」
何だか煮えくらない様子のティオナは、言葉の途中からいつも通りの笑顔に戻る。
(そんなもんじゃねぇな…)
きっと気休めだったのだろう、独りよがりの救済とそれが為しえなかったことへの謝罪。謝らなければ気が済まないから会いに来た…例え本人から悪くないと説明されても、そもそも理屈ではないのだから納得することは無い。
…かけるべき言葉を間違えた。
空から落下している時に見た彼女の悔しそうな顔を思い出ながら俺は…何だか腹が立つよ、その笑みを張り付けたようなティオナの頭に手を伸ばし――置いた。
「!?…何を?」
「…」
俺の突然の奇行にティオナは笑みをやめ、目を見開く。
…見上げるようにして怯えるようにして尋ねた彼女に、俺は若干イラつきながら返事もせず黙って頭を少し荒々しいくらいに「撫で始めた」。
「ッ…――……」
唐突に撫でられ始めたティオナは困惑し、驚愕し、何か声を出そうとしたが――
「……ぅ」
――俺の目を見る、「お見通しだ」と書いてあるそれにティオナは更に目を見開くと恥ずかし気に僅かに頬を赤くする。
そして諦めると顔を伏せ、次第に黙りただ撫でられるのみとなったのだった。
…ベッドわきの椅子に座ったアイズヴァレンシュタインの方はバスケットからいつのまにか出したのかじゃが丸君をかじりながら二人の様子を見ていた。
――暫く時間が経つ。
あれ、そもそもなんで撫でてたんだっけ?と俺が忘れ始めたころ、ずっと撫でられたままになっていたティオナがついに我慢の限界が来たのかついに爆発した。
「うがああああああああ!!離れろぉぉぉぉ!!」
「おう」
まるで万歳するかのように両腕を振り上げたティオナの頭から手を離す。
ティオナはそのままの勢いで後ろに倒れこむ…が、その顔が真っ赤になっていることを俺は見逃さなかった。
「あー、もう…髪めちゃくちゃじゃん…」
頭を撫でられ続けたせいか、髪がだいぶぼさぼさになってしまっていたティオナは寝転がったまま前髪を弄り始める。その手のせいでその顔は見えないが明らかに赤くなっており…まぁこの年頃の娘になかなか恥ずかしいことをしてしまったのかなと少し思い直す。
というのを一瞥した俺はふと、アイズヴァレンシュタインの方を見る。
…とっくにじゃが丸君を食べ終わっていた様子のアイズヴァレンシュタインは、ベッド脇の椅子に背筋よく座ったままぼんやりと部屋の窓から空を見ていた。
その眠たげな顔を見ていたらふつふつと疑問が湧いてきた俺は思わず喋りかける。
「なぁアイズヴァレンシュタイン…いやなげぇな、アイズで良いか?」
「構わない」
「あぁ…じゃあアイズ。何で来たんだ?確かにお前華倒したときにいたけど特に俺と交流は…」
「ん、疑問があって」
…疑問?
何か疑問に抱かれるような行動をしただろうか。
俺はそれが何かを思い出そうとしつつ…それが何かをアイズに尋ねようと――
「ところでリョナ君ってさー!…あれ?アイズ話してた?」
「うん。でもティオナの後で構わない」
「そっかーありがとー」
――丁度髪を直し終えたのだろう(というかむしろ顔の色を直し終えただろう)ティオナが身体を起こし、俺に喋りかけてきてしまった。
…そのせいで俺はアイズに喋りかける機会を失う。
(…まぁ後で良いか)
薄くため息をついた俺はティオナに視線を戻す。
すると先ほどのように胡坐をかいたティオナは先ほどとの薄っぺらい笑みとは違う、太陽のような自然な笑みを浮かべた。
「で――リョナ君って冒険者なんだよね?」
「おう」
「どこのファミリアなの?」
「…ティオナ」
アイズが少し目を細めて注意するようにティオナの名を呼ぶ。
ティオナはまるで悪事が友達にばれた時のような顔をすると、アイズに人差し指を唇にあてるようなジェスチャーをしてみせた。
…確かファミリア間の交流は避けるべきことだったか、ならば今ティオナのしていることはいけない事なのだろう。何故避けなければいけないのかも知らないので、俺は別に構わないが。
「でー…どこのファミリア?」
「ん、ヘスティアファミリアってとこだ」
「へー…ごめんね、知らないや!」
「あぁ…まぁ弱小だからなー…」
この町で生活していて解ったのだが、廃教会の地下室に居を構えている神などいない。
…それが何故かはわからないが、まさに極貧だという事だけは解る。
弱小、と聞いたティオナはどこか計算するような顔をすると、笑いながら首を傾げた。
傾げながら――
「じゃあさ!ウチに来ない(・)?」
「…!?」
「ティオナ…!?」
――とんでもない事を言いはなつ。
流石のアイズも驚いたのか俺と同じように目を見開く。
そして完全に固まった時間の中で俺は考えもしなかった「移動」の意味を考える。
(というかそもそもファミリア同士って移動できんのか!?)
あまり他所のファミリアと関わらないという鉄則と、移籍できるルールというのは状況として稀有だ。
それはあの眠そうな顔をしたアイズの驚愕の表情を見ても解る――
――つまりこの娘、なかなか突拍子もないことを言っている。
…とはいえアイズの方が驚きは少なかったようで、また瞬時にいつものような眠そうな表情に戻ると、ティオナに疑問がありありとわかる視線を向けた。
「…何で?」
「うーん…気に入ったから?」
事もなげにティオナは答える。
…思えば最初からすり寄ってきていた感はあるがまさかそういった思惑があったとは流石に思わなかった。
「でも絶対フィンとかリヴェリアは許さないと…思う」
「あー…確かにここに来るのも大反対だったもんねー…うーんそうなったらロキに直談判かなー」
「ロキなら…気分で許すかも」
「お酒持ってこー!」
何だか楽し気に会話しているが、俺はそこに混じることは叶わない。
ちらりとこちらを見たアイズはすぐにティオナに視線を戻してしまう。
「確かに体格はいいね…」
「そうでしょー?それに顔も良いしー」
「…好きなの?」
「えそれ本人の目の前で訊くー?」
…ここだけ聞くとただの女子同士の恋バナだが、その品定める先が俺だからわけない。
とはいえ二人の話していることは仮定のはずなのだが、その口ぶりは何故か「俺がその申し出を受け入れることを前提に」しているように感じられた。
それが気のせいと思えなかった俺は…僅かに眉を寄せると「そもそも」に気が付くと、会話に混ざる。
「そもそもお前たち…冒険者、なんだよな?」
「え?なんて?」
アイズと楽し気に喋っていたティオナは俺の言葉が聞こえなかったらしく、こちらを向くと訊き返してくる。
(…冒険者だってのは解ってたな)
質問しておいてなんだが冒険者だというのは解っていた、むしろ聞き取られなかったのは僥倖かもしれない。というより、この場合俺が訊きたかったのは――
「――そもそもお前ら、でいいのか。どこのファミリアなんだ?」
「…え?なんて?」
…。
今度はこちらを向いていたのに聞き逃したらしい、俺はまたも訊き直してきたティオナにやれやれと首を傾げた。
そして今度はゆっくりと、アイズとティオナを順番に指さして言い直す。
「だからお前らどこのファミリアだ?」
「えぇー…なんかマジっぽいし…マジで?」
どこか卑屈っぽく笑うティオナに俺は反対側に今回は違う意味で首を傾げると、頷く。
…するとティオナは目を見開き、「マジでッ!?」と叫び四つん這いになると、言葉の度ににじり寄ってくる。
「いや私はともかくとして!アイズは!この町で!一番有名な冒険者だよ!」
「お?そうなのか?」
目と鼻の先まで必死ともとれる表情で迫ってきたティオナに俺は頭を掻いて見せる。
俺が覚えているのは前にアイズと会ったことがあったという記憶と、五日前の情報しかない。
…そういえば、この前エイナが何か言っていただろうか?全く覚えていない。
俺の言葉を聞いたティオナは大きくため息をつきがっくりとうなだれると、また元いた場所に後ずさった。
「あーなるほど確かに、思えばなーんか最初から躊躇いが無いなって思ったんだよねー…そっかー知らなかったからかー…」
「…あぁまぁ確かに興味ない事はとことん興味ないタイプだ」
「はぁ…」
もう一度ため息をついたティオナは今度はなぜかその場に正座する、そしてどこか据わった眼で俺を見ると人差し指で頬を掻いて「んー…どこから」と悩む。
そしてひとしきり悩んだ後、ぽんと掌を打った。
「じゃあ最初から説明しよう!私たちの所属しているファミリアはロキファミリア!この冒険都市オラリオで1,2を争うファミリアなの!そしてここにいるアイズはこの冒険者で知らない人のいない最強の冒険者!二つ名は剣姫!レベル5!」
「へー」
「反応薄っ」
何から何までティオナは説明してくれたようだが、俺としてはそれで?というのが本音だ。
「レベル」というものがどんなものなのかを俺は知らないし、レベル5というのは最初の村付近のスラ〇ムを狩っていれば一瞬で到達できるぐらいの認識しかない。
――オラリオ最強の冒険者、『剣姫・アイズヴァレンシュタイン』
(レベル5で最強…この少女が?)
目の前に座ったアイズを見る。
…剣を振る事も叶わなそうな細腕で、土埃などついたことのないような綺麗な肌だ。
(神の加護…ねぇ?)
恩恵というのはこのような少女でさえも強化する。
それはベル君のような少年でも「その歳では為しえない」動きをしていたことからも実感済みだ。
…最強、というのがベル君と比べどれほどなのかは解らないが。
とはいえ俺の無知に呆れたのか「ふぅー…」とため息をついたティオナはベッドに腕をつく。
そして俺の事を眺めるようにしてだらけた。
「…はー…なんか気が抜けちゃったなー…というかリョナ君そういうのギルド入る時自分の主神なり先輩に教わらなかったの?」
「あー…入るのが急でな、入ってすぐに何か数日間開けるとかで教えてもらう暇も無かったんだ」
「へー…」
だらけた状態のテォオナはそのまま生返事をするとベッドにだらりと溶け崩れると、仰向けに寝転がりながら窓の外をぼんやりと眺め、ベッドからはみ出した足をぶらぶらと揺らし始めた。
自由だなー…、というか親友の家に来て何もせずただだらける奴だこれは。まどろみながら彼女は非常に無気力なオーラを醸し出していた。
「ん?…いや、でも数日間って言っても…あれ?」
――ティオナの足がピタリと動きを止める。
背筋のみで逆再生のように起き上がると、腕を組んで深刻な顔をする
そしてそのままあぐらをかいたティオナは何かブツブツと呟きはじめると、首を傾げた。
…しかし何を悩んでいるのかは知らないがその悩みはどんどんと深まっているらしく、何か呟く度その顔は険しくなっていく。
そして耐えられなくなったのか顔を上げると、その険しい顔のまま俺を見た。
「リョナ君って…何レベル?」
「1」
「ええええええ!!?」
もうコイツ驚きすぎて死ぬんじゃないかという勢いでティオナは驚く。
同時に俺は何に悩んでいたのかを内心納得する。
(何だ、俺のレベルが知りたかったのか)
そして一度のけぞるように離れた後また身を乗り出すように俺に噛みつくがごとく食って掛かる。
「嘘だぁ!?だってあの華をあんな簡単に…レベル1には無理だって!?私てっきりレベル3ぐらいかと…!!」
「いやそもそも…ステータスの更新?ていうのもやったことないんだが」
「…!」
彼女は切り裂き魔の高揚のことを知らない、なので俺が際限なく強くなっていくことを知らない。
もはや嘘にすら聞こえる俺の真実に言葉を失ったティオナはそのまま固ま――
「いや今はいいや!そのへんもろもろウチに来てから全部聞かせてもらうから!それにレベル1だっていうならむしろ興味湧いたよ、ワタシ!」
――るような性格ではなく、あくまで笑顔で言い放って見せる。
…しかしそこが一番「解せない」俺は腕を組む。
「というか何で俺がその…ロキファミリアに行くことになってんだ?」
「え来ないのッ!?」
「おう、断る」
さも当然、という顔をしていたティオナは俺が首を横に振ると、またずいずいと四つん這いで進行してくると焦ったような表情で詰め寄ってくる。
その剣幕に若干押されるように俺は反対にのけぞった。
「だって…来たらいいことづくめだよっ!?強い冒険者とパーティでダンジョン攻略できるよ!!?」
「…だから?」
「だから!安全に、かつ効率よく強くなれるの!それに実入りも良くなる!」
つまりゲーム開始直後にギルドに入ったら自分よりレベル高い人に補助してもらえるようになるということ。しかもダンジョンの特性上経験値や金も稼ぎやすくなる。
…その点確かにベル君は先輩ではあるが俺よりも弱い、知識面は別として戦闘面で教わることなど何もない。
「並みの冒険者なら断るはずないよ!こんなチャンスめったにないもん!」
「あぁ…まぁそれは何となくわかる」
「!…じゃあ?」
解ってくれたか、というふうに期待の目でこちらを見るティオナに、首を振る。
「断る、悪いが俺は移動する気はない」
「えぇっ…!?…何で!!?」
「うーん…簡単に言えば、恩かなぁ…?」
「…恩?」
頷いた俺はあの時、「死にかけていた時の空腹」を思い出しながらティオナを見る。
「拾ってもらった恩だ、俺は命の恩をまだ返せていない」
いつだったかちゃんちゃんと言ったかもしれない、しかし命とあんな程度の事は釣り合わないと俺は思う。感謝の念はいつも忘れていないし、家の中に入れてくれたヘスティアにも感謝をしていた。
…だというのに「あっちの方が金払いがいいからバイバイ」など出来るはずもない。
「…」
理由がある、そう告げられたティオナは少し残念そうに顔を伏せると「そっかぁ…」と呟く。
その様は告白を振られた少女のように暗く、悲しげなものだ。俺は思わず声をかけたくなる衝動に襲われるが、それでは諦めもつけさせてあげられないだろうと止める。
そしてティオナはがっくりとうなだれた姿勢から――
「でも…その恩を返し終わったらいつでもウチに来ていいからね?」
「!?」
――潤んだような蠱惑的な表情で俺を見上げ、震えた声で囁いてくる。
いつもとのギャップ、誘惑するようなその表情に俺は思わず少女の顔に女性的な艶を垣間見て焦る。
(不意打ちやめ)
そして胸の動悸が治まるのを待つと、全くもって股間に悪いとため息をついたのだった。
・・・
数秒後、すぐにやる気の満ちた顔に戻ったティオナは再びいつもの明るさを取り戻すと、立ち上がりガッツポーズを出しながら宣言する。
「うん、私はあきらめないよ!リョナ君の気が変わるまで声をかけ続けるからね!」
…どうやら面倒くさい方向にやる気を出すようになってしまったようだ。
そして「えいえいおー」と一人でかけ声を出しながらティオナは、めらめらと燃えるようなオーラを出しながら、その場で拳をッ天にッラオウし始める。
暑苦しい少女の熱気に顔を焼かれる思いで俺は顔を背けると、思わずアイズの方向を見る。
しかし熱気にあてらながらアイズは全く顔をそむけてはいなかった。
「…ティオナ。話、終わった?」
「あ、終わったよー!…うおおお、わが生涯に――」
ティオナの言葉にこくりと頷いたアイズは今度はその眠そうな顔をこちらに向ける。
そして髪の色と同じ金色の眼で俺の事をじっ…と見つめた。
「…」
「…なんぞ?」
ピクリとも動かないアイズはそのまま黙ってしまいそうだったが、割とすぐにまた口を開いた。
「…」
…口を開いた。
「…」
――口を開いた。
「…」
(何か喋れよ!!?)
アイズは、口を開いたまま喋らない。
何か訊きたいことがあったのではなかったか?と言っていた彼女が「何もしゃべらない」という事態に困惑する俺は思わず呆れた顔をする。
(…何で何喋らない?――!?)
しかしそこで終わらない、アイズは口を開いたまま混乱したのか腕を振って何かを表現するかのように――創作ダンスを始めた(・)。
「…!」
アイズは腕をビュンビュンとしならせるように動かせたり、指をわしわしと動かしたりする。そして何かを思い出すかのように遠い目をしながら、おかしなダンスを繰り返していた。
どこか笑えるその動きではあるのだが、目の前のアイズは至って真剣だ。
俺を見つめるその眼はやはり何か考えつつ、俺に何か伝えようとしているようだった。
(…えぇー…)
その動きに何か意味があるのかと、観察はしてみるが何も意味があるようには見えなかった。
…あえて言うなら蜘蛛がわしゃわしゃと動いた後に宇宙までぶっ飛んでいき、そこで小規模の爆発を起こしているように見えた。
――なんにせよそんな哲学は俺にする質問ではない。
「…ビューン、ギュルギュル」
ついに擬音が。
しかしある意味でそれは彼女の考えがまとまってきているとも言えた。
(…最初からまとめてこいよ、何だこの時間は?)
――天然、なのだろうか?
「…ズバッ…いやズビシュッ…?」
「何だその擬音…ってもしかして攻撃音か?」
「…うん」
どうやら合っていたようだ…ズバッやズビシュッは日常的な擬音ではなかなか使われない。
俺の言葉にアイズは少女のようにこくりと頷くと、ダンスっていた腕を下す。
そして今度は腕は上げずに少し考えると、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「…あなたの武器…グローブ?…見たことがある…」
「…おう」
「気になる」
――俺の武器が気になる。
なるほど確かにあれはこの世界には無い技術が使われているわけだし、こちらの人間からしたら非常に興味を引くだろう。
…思えば初めてベル君に見せた日の夜には使わせてあげたんだったか、あらぬ方向に飛んで壁に穴が開いたのは良い思い出だ。
そしてアイズもどこかで見て興味を抱き、今日そのためにここに来たということだろうか。
全く表情を変えないままアイズは先ほどの動きの一部をもう一度繰り返す。
…「ビューンギュルギュル」、今となればアイズの言っていたことが解る。
つまりそれはグローブから棘が射出され、戻っていく擬音だったのだろう。
最初からグローブと言っていれば万事解決なのでは?というのは天然ということで納得がいく。
――そしてアイズは今度はその美しい腕を伸ばした先で、その中間つまり「腕」を指さし、首を傾げた。
「…糸?」
射出巻取り共にかなり高速なため中々目が良くないと捉えきれないワイヤーだが、ただ一般人にも「何か飛んできている」ぐらいは解る。
しかしそれが「糸」だと言い当てたのは今まで誰一人いない、俺は少し驚きつつも頷いた。
「あぁそうだ。だが見せた方が早いな…ティオナ」
「え?何?」
そして視線をそのまま雷に打たれそうになっていたティオナに送ると、くるりとその場で振り返る。
…その顔が一瞬彫りの深い顔に見えたが、またすぐにいつもの笑顔に戻っていたからきっと気のせいなのだろう。
俺はティオナの後方を指さす。
「そこの机あるだろ?」
「あぁこれ?」
「おう、そこの一段目開けてくれ」
「ほう私をあごで使うとは…」
「また頭でも撫でてやろうか?」
「いらなーい!」
そう笑うとティオナはまるで飛び立つかごとくベッドで反動をつけぴょんとジャンプし、低い天井でもないのにかかわらずくるんと縦に一回転すると着地する。
ぎしりと床を鳴らした彼女はそのまま数歩進み机の前につくと、一段目の棚に手をかけスパンと開け、その中身を見るや否や目を輝かせた。
とはいえそこで遊び始めるのは良くないと思ったのか割とすぐに中身を手に取ると、軽くふみこみまた跳躍。
ティオナの身体はぽんと跳ねると、空中を移動しそのままベッドの上に落ちてきた。
「お待たせー」
「おう」
そしてあぐらの姿勢でぼふんとベッドを揺らしたティオナは、手に持っていたグローブを俺に手渡した。
黒鉄でできたグローブがかちゃりと鳴ると、俺の手の上に慣れ親しんだ重みが乗る…重すぎず、軽すぎない。
手に取ったその感触に俺は落ち着きつつも、早くも覗き込んでくる興味津々といった感じのアイズにもよく見えるように突き出した。
「…全部鉄でできたグローブ?」
「持ってみるか?」
頷いたアイズにグローブを渡す。
チャキリと鉄の触れ合う音とともにアイズの小さな手の平にグローブが置かれ、僅かに重みで彼女の手が下がった。
「…」
アイズはグローブの重みを確かめるように軽く放り、摘まむように下から見たり、眺めるように駆動部を遠ざけて見た。そして第二関節に当たる辺りを折り曲げ――ひび割れた関節の隙間から現れた返しの付いた棘を見て「おぉ」と子供のような純粋な声を上げた。
「私にも見せてー…おぉ」
覗き込んだティオナも同様に声を上げる。
鉄でできたグローブの陰から生えているその鋭い棘はどこか異物であり、奥まったように収納されたそれはこの世界の技術力では想像できないものだっただろう。
アイズは指の部分を伸ばしたり曲げたりすることでその棘が出たり入ったりするのを見て、その眠そうな目を少し輝かせて見せた。
「…」
そのままアイズはガチャガチャとグローブをいじり、ティオナはベッドから興味津々といった様子でそれを眺める。
「ん…」
…どうやらアイズは「糸」を探しているらしい。
全体を眺め、収納されたワイヤーが外からでは見えない事を知ると少し不満そうな顔をした。
「…つけてもいい?」
「あー…先にちゃんと動くか確認していいか?前の戦闘で壊れてるかもしれないしな、グローブ貸してみ」
こくりと頷いたアイズからグローブを受け取ると、久しぶりに指にはめる。
…グローブの中のメッシュの感触がさわさわと伝い、指を一度大きく折り曲げると関節部がガチリと噛み合うような音がした。
内部構造は五つのリールのような器官とそれに巻き付く極細ワイヤー、そして射出と巻取りを兼ね備えた圧縮機が個別に搭載されていた。
射出方法は関節部にある「くぼみ」を軽く押しながら指を曲げるだけ、そうすれば俺が作った圧縮機が急速で圧縮をはじめ、棘が尾のようにワイヤーを引きながら人の目では捉えきれない速度で射出される。
…可能にしたのはひとえに素材だ。極限まで軽くした鉄は良く跳び、硬度もある。
扱うのは難しいが技術さえあれば人の身程度容易く裂ける。しかし棘だけは誰が扱っても鉄程度の硬度であれば突き刺さる。
つまり――あまり子供に持たせていいものではない。
特にどこも壊れていないことを確認した俺はグローブを外しながら、どうやってワイヤーを射出すればいいかを説明する。
「えーと、はめたらくぼみがあると思うからそこに関節を当てて指を曲げれば勝手に射出されるぞ」
「へー…?」
俺が関節のあたりを指さしながら説明すると、感心したようにティオナが声を漏らす。
そしてアイズもこくんと頷いたのを見ると俺はグローブの甲辺りを指さしながら、そこにうっすらと書かれた「ライン」をなぞる。
「ここ解るか?だいたいこのラインに沿って飛んでいく、勿論殺傷能力はあるわけだから絶対に人に向かって撃つなよ?いいな?」
「うん」
若干色が薄いようなそれをアイズは見つけると、指でなぞるように示した。
そして俺から差し出されたグローブを受け取ると、もう一度甲のラインを見つめ、左手の方を膝に置き、右手の方のグローブを――
「…」
――恐る恐ると言った感じにはめた。
「…?」
「ど、どんな感じ?」
「変な感じ…」
少女の右手には黒鉄でできたゴツゴツとしたグローブ。
まるでそれは変生、美しい腕の先だけがまるで鬼の手になってしまったように醜悪だった。
メッシュ素材などこの世界には無いだろう。
さらさらとザラザラを併せ持ったようなその感触に戸惑った顔をしたアイズは、グローブを顔の隣まで持っていき困ったような視線を送る。
…そしてカチャカチャとグローブを回しながらひとしきり観察すると、今度はその視線を俺に送った。
「…」
「あー…」
アイズの意図を理解した俺は、周りを見渡してみる。
そして良い「的」を見つけると、アイズに視線を戻し指をさして教えた。
「あそこ狙ってみ」
俺が指さしたのは部屋の天井の一角。文字通り部屋の隅のそこは若干影になっており、少しくらい穴が開いても目立たなさそうだ。
…少しずれても問題がなさそうなくらいには。
「…」
俺の言葉に頷いたアイズは関節のあたりを俺の指さした部屋の隅に向ける。
目が細まり、ゆっくりと狙いを定めるかのように黒い鉄のはまった指の先がゆっくりと動いていった。
そして人差し指がガチリと曲がり――
『ギューンッ!ガツッ!!』
「ッ!…はずれた」
「いや初めてにしては上出来だ」
――射出された棘はワイヤーを引きながらまっすぐに天井の角に向かっていった。
しかし途中で重力の影響で棘の先端は僅かに下を向き、軌道がずれる。そしてそのずれはやがて大きいものになり、角のかなり下の方に突き刺さった。
「そこから指をまっすぐにして、もう一度曲げると巻き取れるぞ。だが先に棘を引き抜いてからの方が効率が良いな」
「うん」
…とはいえまずはワイヤーの方が気になるらしい。
アイズは自らの指から生えたようなワイヤーを不思議そうに見つめると、光にかざしてみたり目を細めて見たりと観察する。
「…これ、触ってもいい?」
「ん…気をつけないと指ぐらいなら簡単に切れるからやめておいた方がいいぞ…爪なら弾けるかもしれんが」
そう言ってやるとアイズはさっそく自らの爪をワイヤーに引っ掛けてみる。張り詰めたワイヤーはまるで弦のようになっており、アイズがつま弾くと僅かに揺れた。
「…硬い」
それで解るものなのかと言いたくはなるが、この世界毛糸はあっても鉄の糸は無いのだから比較すればそういう感想になるだろう。
「鉄の糸…」
…とはいえひとまず観察し終えたのかアイズは呟くとぐいと腕ごと棘を引く抜く。返しがあるので結構な腕力が必要なはずだが、アイズは容易くぽんと棘を引き抜きそれに合わせるようにして指を曲げワイヤーを巻き取る。
…まさに「ギューン、ギュルギュル」高速で巻き取られたワイヤーは中のリールに、棘はガチンと内部機構にはまりその頭部が見えるだけとなった。
ちなみに肉体に棘が刺さった状態で巻き取ると激痛が走り、肉ごと抉る構造になっているのだが、天井の壁の方は小さな穴が開いた程度で済んだようだ。
――そして俺の注意がそちらに逸れたタイミングで今まで黙っていたティオナの我慢が限界に達する。
「…私もやるー!」
…と、ティオナはアイズの膝にのせてあった左手用のグローブを手に取る(というか奪う)と、自らの手に装着する。
そして俺の抑制も間に合わず、構えると同じように天井の一角を狙い思い切り指を引いた――
『ギューンギューンギューンギューンギューン!』
「あっ…」
「ちょっ!?」
――指五本全部。
全部の指から射出された棘はそれぞれの方向に飛んでいき、部屋の中の様々なところに穴を穿つ。
蜘蛛の巣のように張ったワイヤーはどこか芸術作品のようにベッドに座ったティオナから張っていた。
「えへへ…ごめんごめんついつい握りしめちゃった…すぐ戻すから!」
「ごめんで済むか…ってオイ!待て!」
「え」
照れくさそうに笑ったティオナが棘を抜くために腕を「ぐい」と引く。
しかしそのやり方では棘に抜ける力がまっすぐかからない、例えばアイズのように棘が一本だけならばワイヤーから垂直に力がかかるので言うなれば正しく抜ける。
だがワイヤーが五本で、棘も五本となると正しく力が加わらずに斜めの力が加わってしまう棘が必ず存在してしまう。
そしてなまじ返しが付いているぶん――
『べりりっ!』
――棘と共に壁紙が少なからず引き裂かれ、更に大きな穴が開いた。
「…」
「…」
「…ってへ」
流石に俺も頭を抱える。ここは借りている部屋だというのに、こんな傷をつけてしまったらエイナがどこまで怒るか…想像もしたくない。
ティオナは慌てたように棘全てを巻き取ると、その全ての棘をガチンとグローブの中に戻す。
その衝撃で棘の先についていた木片が完全に落ちたのを確認したティオナは助けを求めるようにアイズの方に向く。
しかしアイズの方も呆れた視線をティオナに送っており、その眉は咎めるように八の字を描いていた。
…もはや救いもなく、どうすればいいかも思いつかないティオナは俺の方を恐る恐る見てくる。
――怒りの視線を送り返した。
「お゛ぉ゛い゛ティオナぁ…」
「ひゃいっ!?」
「とりあえず返せ」
ぶんぶんと首を縦に振りながらティオナは慌ててグローブを外し、手渡してくる。
俺は片手だけのそれを受け取ると、返し手で――『ゴツン』と拳骨をいれる。
「いったぁい!」
「反省しろ!」
ティオナが頭頂部を抑えてうずくまる。
昭和的拳骨はアマゾネスにも効果的だったらしく、うぅー…と唸るのみとなった。
(…しかしどうしたもんか…いやこれどうすることも出来ないですねぇ、怒られるしかないっぴ…)
俺は部屋の惨状を眺める、そしてもはや修復は不可能だと知った。
…逃げることもできなければ、抗うことも出来ない。もはや鬼神エイナの召喚条件はそろってしまっていた。
「はぁ…」
「うぅ…ほんとごめんねリョナ君」
思わずため息をつくとティオナは涙目のまま謝ってくる、ガサツな性格少女は本当に反省したようでいつもは笑みを絶やさない顔を俯きがちにしゅんとさせていた。
――とはいえそれも一瞬で、またすぐに笑顔に戻る。
俺の持っているグローブをちょいちょいと撫でるように人差し指で触ると、何か気になるのか首を傾げた。
そしてずいずいとあぐらをかいたまま擦り寄ってくると、見上げてくる。
「ねぇねぇリョナ君!」
一転攻勢、というかあまりに急な雰囲気の変わりように俺は本当に反省したのかと疑いの目を向ける。
そしてその視線に気が付いたのかティオナは流石に「たはは」と気まずそうに頬を掻きながら笑うと…そのままの指でグローブを指さした。
「このグローブってさ、なんて名前なの(・)?」
「――は…名前?」
「うん、まぁそもそもこれがグローブなのかはさておき。ただグローブって呼ぶ以上の愛着はあると思うんだ!」
名前。
それは時に愛着ある道具や生物につける言霊で、ものを識別するためにも使う。俺の中でグローブといえば「これ」だったので特に意識していなかったが、愛着ならば確かにあった。
それにかの名刀村正やゲイボルグとか、考えたこともなかったが名前がある武器というのは少しカッコイイかもしれない。
「でぇー…名前は?」
「…ねぇな」
「えー!?もったいないよー!つけようよー!」
「まぁ…それもいいかもしれんな」
…吾輩はグローブである、名前はまだない。なぜならばつける必要が無かったから。
とはいえつけるからにはどんな名前をつけたのものか…名づけの経験など無いし、どう考えたらいいかもわからない。
「じゃあ私も一緒に考えてあげるね?」
「ん…まぁいいか。頼む」
「わーい」
戦力が加わる分には良いだろう、俺は元気よく手を上げたティオナを一瞥すると腕を組んで考え始める。
「…んー…何も思いつかん」
五分ぐらい経っただろうか…なかなか思いつかずただただ時間だけが過ぎているような気がする。
気分転換がてら俺は目の前で同じように考えている様子のティオナに視線をやる。
俺の視線に気が付いたティオナは真似なのか腕を組み「んー」と悩むように声を漏らすと、顔を上げて目を見て提案してきた。
「ん、黒王号とかどう」
「いや馬じゃないし…」
「え何の話?」
そういって本当に不思議そうな顔をするティオナを見た俺は「いやいい…」と呟く。
「良いと思ったんだけどなー」と呟き顔を伏せるティオナに俺はもう何も期待しないことに決めてまた考え始める。
そして幾分間頭に思い浮かんでくるフレーズを組み合わせ、ティオナに提案してみた。
「血吸篭手…いや血吸い蝙蝠じゃないし…全テ切リ裂キ貫ク妖手なんてどうだ?」
「うん、クソださい!」
「そっかー」
…まぁ多少自覚はあったのだがダサかっただろうか?もう半分くらいはカッコイイと思っていたのだが。
「…っつってもどうすっかな…」
「あ、サウザーとか」
「なしで」
とはいえ何も思いつかない。
…名前をつけるのがこれほどまでに難しいとは思わなかった。
(特徴…特長なぁ)
例えば炎の出る剣ならば焔、とか紫炎だとかは俺でも思いつく。
しかし棘を飛ばすグローブを表現する言葉など存在するわけもなく、そう簡単に易々と表現することもできない。
「…うーん」
「…うーん」
「…ん?」
その時、今まで会話に混ざらず自らの手についていたグローブを見ていたアイズは俺とティオナの二人が悩んでいる様子であるのを見ると、何事かといったふうに首を傾げる。
すると悩み腕を組んでいたティオナは「あ」と呟き、腕を解くとベッドについて身体を支えるとアイズに笑いかけた。
「アイズならさー、どんな名前つけるー?」
「…なにに?」
「話聞いてなかったの?それだよそれそれ!」
ティオナがグローブを指さすと、アイズは自らの手にはまったそれを天にかざすようにして眺めはじめた。
…一応考えてくれているようだ。
「ぎゅーん…」
「!?」
――そしてアイズは見上げたグローブを見ながら唐突にそんな単語を口にする。
(…なんだ、嫌な予感が…!?)
たったそれだけの単語にかかわらず、それが耳に入った俺は背筋が固まるような不安感を抱く。理由の解らないそれに俺は、アイズは天然で何を言い出すか解らないというのが恐怖心を煽っているだけだと自分に言い聞かせると落ち着こうとする。
しかし――
「ぎゅるぎゅる…ぎゅるぎゅる…?」
「!?」
――追い打ちのように擬音が追加される。
更に増した俺の不安感はもはや留まるところを知らず、冷や汗が垂れる。
もはや何故自分がここまで狼狽しているのか解らない俺は、その少女を止めなければという思いにすら駆られた。
…しかしそんな心の叫びなどつゆ知らず、アイズは暫く何度かその言葉を繰り返すと、「ポン」と掌を叩いた。
何か思いついたらしく、彼女にしては珍しく微笑んで。
「『ぎゅるぎゅる丸』はどう?」
「!?」
「あーいいじゃーん、可愛いー」
「!?」
――ぎゅるぎゅる…丸?
擬音を名前に使うというのは新しいとは思うが、あまりカッコイイ名前とは思えない。
それを聞いたティオナは目を輝かせ「可愛い」なんて言っているが、大の大人が持っているグローブの名前がぎゅるぎゅる丸というのはなかなか気恥しいものがある。
…それに愛着があるからこそ、もっとましな名前は無いものかと。
「いやぁ…男でそれは…」
「えー…でも他になんかあるの?」
「む…それは…」
確かに他に何か代案があるわけでもない。
それにある意味このグローブを表現する言葉を(擬音ではあるが)取り入れているわけで…。
「じゃあ決定ね!異論は認めない!」
「えぇ…」
俺が結論を出す前にティオナに強引に決められてしまう。
その目には「いいでしょ?」と書いているようであり、その性格強引な性格は俺も別に嫌いではない。
…まぁもう少し良い名前でも良いと思うが。
(ぎゅるぎゅる丸…か)
突如としてつけられた自分の武器への名前を俺は口の中で反芻する。
そして――諦めと共に自分の中でも決定すると、晴れてぎゅるぎゅる丸はぎゅるぎゅる丸となったのだった。
・・・
「…でも、これ、どうやって斬ったの?」
「あ?どういう意味だ?」
アイズは右手から外し、膝の上に置いた、ぎゅるぎゅる丸を見ながら俺に尋ねてくる。
「糸で斬る…?」
「あー…なるほど貸してみ」
糸で斬る、これは別にこの世界じゃなくても理解が追い付かないときがあるだろう。
俺はアイズから差し出された右手のぎゅるぎゅる丸を受け取ると、はめる。
そして左手も同様にはめると、馴染ませるように指を動かした。
「…何か切るもの…ティオナ」
「え!?私斬るの!?」
「いやそういう意味じゃなくてだな、何か無いか?」
「あぁそういうこと…なら」
勘違いの溶けたティオナは、アイズの持って来ていたバスケットの中身を漁ると中からリンゴを取り出す。
「これでいい?」
「あぁそれでいい」
いつだったかエイナにも同じようにリンゴで説明したんだったか、真っ赤なリンゴを受け取った俺はしみじみとそれをベッドの上にのせる。
そして右手第二関節の棘を摘まむと引っ張り、ワイヤーを引っぱりだすとリンゴに当ててすっぱりと切った。
素手で触れば返しで怪我する棘だが、グローブでなら触ることも出来るし引っ張り出したワイヤーを包丁代わりにも最悪できる。
「見ての通りこのワイヤー自体でもかなりの切れ味はある、だが一直線に飛んでいく棘ではこのワイヤーを当てることは出来ない…そういう質問だよな?」
「うん」
直線で進むなら相手に棘が刺さるだけ、しかしこの前のリョナは棘を刺すわけではなく最初から切断していた。
しかしそれは――針が直線でしか進まないのならばの話だ。
俺はふー…とため息をつくと半分になったリンゴを左手で放り投げる。
「ふッ!」
そして解りやすいように、右手でワイヤーを射出するといつもより大きめに腕を振った。
「!」
勿論そんなことをすれば針はまっすぐに飛んでいかない。
途中で軌道を変えた針は曲線を抱き――
「!?」
――その曲線がリンゴを真っ二つに切り裂いた。
「どういうこと…?」
「あぁー…その前にティオナ、悪いんだが落ちたリンゴ拾ってくれないか?」
「えぇー…解ったけど」
四分の一となったリンゴの切れ端二つは空中で弾き飛ばされ、一つは遠くへ、もう一つはベッドの下の方へ転がっていってしまっていった
俺が笑いかけるとティオナは渋々と言った感じで落ちたリンゴを拾いに行ってくれた。
それを確認した俺は改めてアイズに向き直ると、説明を始める。
「つまりわざと軌道をずらしてんだ」
「わざと…?」
――直線を放物線にする、と言えばわかるだろうか。
わざと軌道をずらし、たゆませることで途中の線をたゆませることで擦るように目標物に触れさせる。しかしその際勢いはあるので接着面は切断できる。
詳しくは無いが鞭に基本的なところは近いだろうか、ただこちらの場合は射出機があるので勢いがつくので完全な放物線にはならずに確実にワイヤーが目的のものに擦れるようになってはいるが。
「…?」
「あー…」
とはいったもののアイズがそれで理解するはずもない。
俺はもっとかみ砕いて説明できないものかと考える。
「…こう…こうだ」
「こう…?」
「いやもっと…こうっつーか」
言葉ではなかなか伝えづらいので腕で説明を始める。
腕をまず直線に伸ばしていき、その途中で曲げてみると、アイズも同じように腕を動かす。
…天然のアイズにはこちらの方が伝わりやすいだろう、と思ったのだが。
「こう?」
「あぁー!そうそうそれそれ!」
実際伝わったらしくアイズは腕をギューンと伸ばす。
そして「なるほど…」といった感じに頷く。
「これで疑問は解消されたか?」
「あ…うん。…そういえば、前ベートの縄を切ったのもそれ?」
「べーと?…いやスマン、解らん」
べーと、というのが何なのかは解らないが、ともかくアイズの疑問は解消されたらしい。
どこか満足したような顔をしたアイズはムフーとため息をつくと、ふと眠そうな目で俺を見る。
「…ちょっと欲しいかも」
「マジでかッ!くくく…笑える…」
「…本気」
アイズは少しむっとした表情で俺を見つめてきた。
しかしどう考えても冗談としか考えられない俺は、笑いながら真面目に応対してあげる。
「うーんそもそも扱いが難しい…てのは練習すれば何とかなるが、すまんが今の俺にはこれをもう一回作れるだけの設備と素材が無いんだ、諦めろん」
「…解った」
どこか不機嫌な様子のアイズは、渋々うなずく。
しかしそもそもこれは――
「――というか剣との両立はなかなか難しいと思うんだが」
「…まぁ、確かに」
純粋に射出する棘として使うのならばまだしも、剣を振るいながらワイヤーを制御するには――鉄を操るでもしない限り、不可能だろう。
「…ま、そんなことできんが」
魔法なんてものがこの世界にはあるらしいがそれを使えばワンチャンあるが、今のところ俺には発現していない。
呟いた俺はぼんやりとぎゅんぎゅん丸の改善を考える。
(腹減ったなぁ…)
そういえば昼頃だ、『グルル』と腹が鳴ると空腹を覚える。
やはり体が治ってきているからか…空腹感も増している、腹の騒音もそれにつられてか大きくなっていた。…ちなみに性欲はわずかに後退しただろうか、息子のほうはあいかわらずだが身体の火照りは会話に集中していたからか治まってきていた。
(…こいつらいつ帰るんだろ)
暇なのでいてくれる分には問題は無いが、用事はもう済んだように思える。
俺はアイズの虚空を眺めるようなぼっーとした表情をちらりと盗み見た。
…と、腹が再び『ぐー』と鳴った。
ひと際大きいその音はまるで魔物の唸り声のように、低く俺の空っぽな胃袋で響いた。
一瞬アイズがこちらを見たが腹の音だと解ると興味を失ったようにまた呆け始めた。
(あぁそういやリンゴあったな)
俺は足元で転がっていたリンゴを軽く掴むと放り投げ、まるごと口で受け止めた。
――『ゴチンッ!』
足の下から鈍い音が響く、そういえばリンゴの片割れの片割れがベッドの下に転がっていったのだった。つまりそれを拾いに行ったティオナは今ベッドの下に潜り込んでいるという事なのだろう。
…その鈍い音がなんなのかは知らないが。
「…ん?」
次いでゴロゴロと何かが転がる音がベッド下から聞こえた。
本格的に何をしているか訝しんだ俺は、ポンポンとベッドを叩く。
そして暫くごそごそという音が続いた後、「いたぁぁぁぁい!!」とベッド脇からティオナが立ちあがった。
「というか今ここにモンスターいなかった!?」
「あぁそれは俺の腹の音だ」
「でかすぎッ!頭打ったじゃん!」
たんこぶのできたティオナは不機嫌な顔でむくーと膨れると、腰に手を当てて怒って見せる。…その右手には片割れの片割れが二つ握られている辺り、しっかりとリンゴは回収してくれたらしい。
「リンゴくれ」
「え、いいけど…落ちたやつだよ?」
「三秒ルールって知ってるか?」
「知らないけど三秒以上は経ってることは…あっ」
ティオナから差し出されたリンゴを受け取った俺は軽く汚れを払うとためらわず口にする。
…みずみずしい果実はシャクシャクと甘みを含み、果汁を滴らせて俺の喉ごと潤していった。
「もー!お腹壊しても知らないよー?」
そう言ってティオナは可愛らしくも怒る。
そういえばてっきり(発育的に)ティオネの方が姉と思っていたが、どこかティオナのこの世話を焼くのに慣れている雰囲気は姉に近いものがある。
…つまり合間をとって双子――
「ティオナそろそろ帰ろう…その紙どうしたの?」
「あぁ何かベッドの下に落ちててつい拾っちゃった」
――ティオナが左手に握っていた紙切れをアイズは見つける。
笑いながらティオナは軽く見せびらかすようにその二つに折りたたまれた紙切れを振って見せる。
「んっ…?」
思わずつられるようにして、何故か俺も笑ってしまう。
ティオナの持っているその紙はベッドの下にあったにも関わらず綺麗な白色をしていて、その真っ二つに折られたその紙片からして中に何か「書かれている」ことを伺わせた。
(あれーどこか見覚えがあるゾー…?)
というか、見覚えしかない。
あれは――間違いなく、俺がふざけた内容の練習をした封印指定の紙切れだった。
「あれ?中になんか文字書いてるよ?」
「ちょーーーっと待っ…ゴホッゴホッ!!?」
勿論のごとくティオナはその紙を開こうとする。俺は慌ててそれを止めようした…が、肺に障ったようで痛みが走り、せき込んだ。
「わ、リョナ君大丈夫?…大丈夫っぽいねー!えー何々―…?」
俺はせき込みながら止めようと腕を伸ばす、しかし伸ばした先のティオナがそのたった一行を見るなどという至極簡単な出来事を邪魔することなど叶わない。
「待っ…ゴホッゴホッ!?」
ティオナがゆっくりと紙を開いていくのが見える。
もはや万事休すか、読まれてしまったならしらばっくれるしか――
『バタンッ!』
――勢いよく扉が開いた。
三人の視線が否応なしにそちらに向き、僅かに殺気すら放つ。
その場所に立っていたのは――ツインテールロリ女神ヘスティア。
扉を開け放ったままの姿勢で、どこか神威すら漂わせたような彼女は雰囲気からして明らかに憤怒していた。
「リョナ君!聞けば君エイナ嬢に大変な無礼…を…?」
どこで聞いたかは知らないが(というかアイツ吹聴…してるわけないか)ヘスティア様は、どうやら俺がエイナにしたことに対してお怒りらしい。そして怒りそのまま俺の部屋に直行して叱りつけようとしたのだろう。
――しかし入ってくるなりの怒号は尻すぼみするかのように縮んでいき、憤怒の表情は驚愕と唖然といった感情に塗り替えられていった。
「き、君は…アイズヴァレンシュタイ何某!?」
その理由は部屋の中にいたアイズ。…いやアイズヴァレンシュタイまで言ったのならわざわざ何某をつける必要はあるのだろうか、意地だろうか?
一度見たら見間違えることのない金髪美少女を前にヘスティアは、まるで天敵でも見つけたように臨戦態勢をとる。それに対してアイズはキシャ―と威嚇する神様に不思議そうな眠そうな視線を送っていた。
「それにロキファミリアの…!?リョナ君!一体これはどういうことだい!?」
「お見舞いに来てくれたんすよ」
「お見舞い!!?」
お見舞いという単語にまるで世界の終りでも見るがごとく驚嘆するヘスティアはオーマイゴッド!と天を仰ぐ。…仰ぐ必要があるかは疑問だが。
ヘスティアは大いに嘆いた後、再び憤怒の視線で部屋を見回し、俺の事を見据えると本来の目的を思い出したがごとくツカツカと歩み寄ってくる。
そして胸倉を掴まん勢いでベッド脇に立つと、致命的な欠陥を発見したかのような「問題視」をしてきた。
「…リョナ君、君には常識が足りない」
「いやお見舞いのシステム解ります?別に俺が呼んだわけじゃ…」
「うるさいよ!そもそも君は最初からだな!」
何の因縁があるのかは知らないがどうやらヘスティア様はアイズのことが嫌いらしい、あからさまに彼女のことをみてから不機嫌そうなむくれた顔をしていた。
そしてその不機嫌な感情は八つ当たりのように俺に向いており、もともとの説教魂に火をつけてしまったらしい。
「あー…長くなりそう。邪魔しちゃ悪いしそろそろ帰ろっか、アイズ」
「うん」
「あっお前ッ…!?」
明らかに面倒くさそうなヘスティアにティオナは逃げるようにたははと笑うと、頷き立ち上がったアイズとともに部屋の出口に向かう。
しかし先ほどの紙の件が片ずいない、慌てて俺は歩き去るティオナを止めようとする。
「ん?…あぁじゃあ明々後日ぐらい豊穣の女主人とかで食べようよ、待ってるからー。じゃあねー!」
――『キー、パタン』。
無情にも笑顔でティオナは、開け放たれていた扉を閉めて帰ってしまう。
別にご飯食べようと言っていたのに具体的な約束をしていなかったので引き止めたかったわけじゃない俺は、そもそも明々後日とかテキトーだなと内心突っ込む。…まぁその頃には立ち歩けるぐらいまでは回復しているだろうが。
(…どうだか)
最後に紙を持っている様子はなかったのだが、もうこうなると運に任せるよりなくなる。
忘れていてくれないものかとため息をついた俺は、彼女の去った後の扉を祈るようにして眺めた。
「おいリョナ君…何でご飯の約束なんてしてるんだろうね、怪我人の君が」
――すっかり忘れていた、荒ぶる神がすぐ隣に立っていたのだった。
もはや阿修羅のような、怒りに沸ききったヘスティアはメラメラと燃えるように、視線だけで人を殺すかのように俺を見てくる。
…ところで子供が怒っていて恐怖する大人はいるだろうか?まぁいるのかもしれないが、俺は全く恐ろしいと感じない。
とはいえ「とても」怒った様子のヘスティア様は、その情熱のまま俺の肩をガシリと掴む。
そして笑いかけるようにして…子供に語り掛けるように「諭して」きた。
「いいかい、リョナ君。だいたい神同士ってのは不干渉ぐらいが丁度良いんだ、すぐトラブルになるからね。故にその子供たちもなるべく縁を持たない方が、火種を作り作らないためにも最善なんだ」
「へーい」
「だから他のファミリアの子とご飯なんてもってのほか!それに特にあそこのファミリアの主神はたちが悪い!どうせアレはお局とかでお金巻きあげられるのがオチだ!」
「いやウチと違ってお金に困ってないでしょうからそんな事する意味ないのでは?」
「ええいうるさい!いいから禁止!神様権限で禁止だ!」
最初は諭すようだったのに段々見かけ通りの怒り方になっていく。
(まぁ落ち着いたあたりで説明すりゃ治まるかな)
流石に怪我をした時に助けてくれたのがあの二人なのだと説明すればヘスティアも考えを改めるだろう。
…現状は何を言っても聞いてくれなさそうだが。
「…ん?」
――相変わらずベッドに座る俺の、張ったテントがヘスティアの目に留まった。
…それが「油」になったのか、「火」はさらに大きく燃え上がる。
「そういえば!君エイナ嬢にとても失礼なことをしたらしいじゃないか!!?」
「あー…」
これに関して「だけ」は完全に俺に非がある。
あの時の事を思い出して軽く頭痛すら覚える俺は、大きくため息を吐く。
非常に、打って変わって落ち込んで見せた俺の様子に、どこか得意げになったヘスティアはふふんと鼻で軽く笑ってみせた。
…が、また怒りを露わにしてみせる。
「性欲に任せて、あんなことを臆面もなく言うなんて!大人として恥ずかしくないのかい!?」
「うっ…」
「それに彼女の気持ちを考えもせず!突然に!こと女の子は繊細なんだ、エイナ嬢は表には出さないけども恐らく多分きっと絶対内心傷ついているに違いない!!」
「うぅっ…」
ズバリ俺の後ろ暗いところを突いてくる。
物理的に心臓の痛くなってきた俺は、ヘスティアの湧いて出てくるような攻め言葉に言い返すことも出来ずに顔を伏せた。
…とはいえ全く、というのも心傷的にもよろしくない。
「第一僕は言ったよな?あの時ソレを抑えるようにって!どうして抑えなかったんだい!」
「は、いや全くその通りで。ですがこういうのって中々自分でではですね…というか少し異常と言いますか…」
「へっ言い訳なんか聞きたかないね!」
うぜぇ…全く反論できないのが更に腹立たしい。
「――後で謝っておきます」
「うむ、それが正しい」
腹立たしいが、完全敗北であることに変わりない。
完全に言葉によって打ちのめされた俺は得意げな顔でふんぞり返るヘスティア様を見下ろすと、極めて苦い苦笑をする。
そしてもしかしてこのネタで暫く弄ばれるのではと考えると、割と本気で震えが来た。
「む、どうしたリョナ君。風邪かい?」
あんたのせいだ、という言葉を俺はぐっと飲み込むと首を振る。
するとヘスティアは少しだけ笑みを見せると、安心したように頷いた。そしてふと怒りの感情が霧散したかのようにコロリと優しい表情を見せる。
「ところでリョナ君、怪我の具合はどうだい?」
飴と鞭だろうか?なるほど落差で人を落とすのは非常に効果的だ、そういうところは知性が蓄積された神様っぽい。せめて身長と艶やかさが欲しいところだが。
「立てるようにはなった、明日明後日ぐらいには帰れますかね」
「ほう、そいつは僥倖」
そういってヘスティアは頷くと、俺の上半身を眺める。鍛えられた身体は今も包帯が巻かれてこそいるが目立った外傷はなく、血色も良い。
内部の事を言い始めればいくつかの骨にほんの僅かなひびが入っているようだが、それもポーションを飲めばすぐにくっつくだろう…前よりも固くなって。
「ふむ、ステータスの更新も思えば一度もしたことが無かったな」
「…今ここで?」
「いやそれは君が帰ってからにしよう。…言っておくけど君帰ってきたら暫くダンジョンに行かせないからな。本来じゃなくとも君の場合教えなきゃいけない常識がごまんとある」
講義は完全にエイナで懲りていた俺は今から震えがくるとともに、どうやって逃げるかを計画する。
…いや必要だとは自分でも思うのだが、完治した場合ダンジョンに行かなければその日の食費代がまかなえず死ぬという可能性があった。今はまだ大丈夫な域だが…身体が治ればその分食欲も増すだろう。
「とはいえそれも怪我が治ってからだ。ちゃんと完治させてから帰ってくるんだぞ、僕とベル君に元気な姿を見せてくれ」
「あーい…あ、でも明々後日の夜は予定あるんでご飯一緒に出来ないです!」
「懲りてないな君は!!?」
予め伝えておけば問題ないよね!?然とした俺にヘスティアはため息を吐く。
吐き終えると頬を膨らませぷいと振り返り、そのまま歩み去っていってしまう。
その小さな背中を僅かに驚きながら眺める視線の先で、ドアを開けたヘスティアはくるりと回転した。
そして非常に不機嫌そうな、でもどこか嬉しそうにも見える表情で吐き捨てる。
「いいから、早く戻っておいで!待っているからな!」
――母性を垣間見る。
その表情には母の優しさが、向ける腕には包容力が、こちらを見つめる眼には子を想う暖かさが。その少女の容姿であるにも関わらず、端々から滲むように母性が伝う。
(マジかー、これは神様っぽいわー)
その見かけ道理の年齢ならば持ちえぬ深み、それに処女神だというのだから笑い話だ。
しかし幾星霜もの歳月を生きていたのであれば、この程度の母性を持ち合わせる事は容易なのだろう。
(…)
多々、思うところのある俺はなんだかふざけることも出来ずにただ軽く手を振った。
手を振られたヘスティアはニッ…と笑うと、手を振り返してくれる。
「じゃあね!」
そして何だかそれだけのことで少し嬉しく思ってしまった視線の先で、ヘスティアは「パタン」と扉を閉めたのだった。
…一人残される。
先ほどまでの喧騒のぶん静かになってしまった部屋は、どこかがらんとしているように見える。…それは空腹と相まって尚更。
空虚さに胸が(というか腹が)すくような思いに苛まれた俺は、エイナはまだかと扉に視線を向ける。
(…)
向けつつ「先ほどの例の紙」が落ちてないかを一応確認する。
しかしそこにはうっすらと埃が積もるばかりで紙の一片すら残っていなかった。
「はぁ…」
来客も来客で疲れるものだ、それにはしゃぎすぎた感はある。
少し身体に重さを感じた俺はゆっくりと壁に背を預けると、疲れのままにベッドを深く沈めた。
眠気もあるが、それよりほんの僅かに食欲が勝る。そしてそれ以上に精神的な倦怠感が覆っていた。それに加えて流石に同じ種類の食事がこう立て続けると、どんなに美味しい料理だろうと飽きてしまうものだ。
「ふぁ…」
間延びしたあくびが出る。本当に今日は色々な事があった。
ぼんやりと見舞いに来てくれた数少ない知人たちのことを思い出しながら俺は、ぼんやりと部屋の扉を眺めながら、スンと鼻を鳴らした。
――怒りの匂いがする。
いや具体的に言うとこれは先ほど嗅いだ荒ぶる神様の――!?
『バタンッッ!!?』
「リョナ君!!」
なんと本日二度目。
激怒したヘスティアは「ズガガガッ!!」と掘削音のような走行で急速接近すると、そのまま扉を先ほどのように「バンッ!」と開けた。
そして何故帰ってきたし?と思うより先に――彼女の手に握られた「一枚の紙切れ」を見て全てを察したのだった。
「君はああぁぁぁぁぁ!!!」
つまりあのアマゾネス、廊下に落としていきやがった。
それをたまたま拾った神様は赤面、そしてその後にこれを書いたのが俺だという事に気が付くと急いで戻ってきたのだろう。
…もし書いたのが俺じゃなかったらとばっちりだが、書いたのは俺だから仕方ない。
そして奇声を上げながらヘスティアがとった構えは――「神パンチ」。
踏み込み、右ひじは曲げられた上に最大まで引かれ、拳は固く引き締められる。
闘気は満ち蒸気のごとく立ち上り、その眼は目前の敵を打ち砕かんとカッと見開かれ、歯を食いしばって拳を放つまでの「溜め」を耐え抜こうとしていた。
「馬鹿何だなぁぁぁぁっぁぁぁァ!!!!」
――「咆哮」。
もはやそれは殺意、圧倒的な拳圧とともに放たれた神パンチは俺に向かって振りぬかれる。
怒りを乗せたそれは一切合切の撃滅、そして躾を目指して進む…のだが。
(腕だけパンチだこれ…)
悲しいほどの腰が入っていない、素人丸出しの腕を突き出すだけのパンチ。
というかもはやそれはツッパリと言っても差し支えなく、まっすぐに進む拳は見切るのが非常に容易い。
(どうするかなぁ…)
先ほどの匂いと音で完全に目を覚ましていた俺は、考える。
当たったら当たったで怪我に障るし、当たらなかったら確実にお説教コースだ。
…前者は一回で済むがヘスティア様は心残りに思うかもしれないし、後者は疲れで死んでしまうかもしれない。
……当たるべきか当たらざるべきか?
(うん避けよう)
痛いのは嫌だし、説教なら聞き流せば良い。
それにこの程度の避けれないと思われるのも何だか癪だった。
…このままの軌道だと、俺の頬を直撃するだろうか。
それを確認した俺は避けるために、ベッドに腕をつくと――
「ッ!?」
――思い切り滑った。
元々疲労の蓄積していた腕は上手く力が入らず、ベッドの皺の部分に引っ掛かる事無く滑りずれる。
…身体全体がガクンと落ちた。
頭が落ち、胸が落ち、滑った下半身は僅かに下に…そして「あご」も。
――滑り落ちつつ、拳が見えた。
直進する拳は何のためらいもなく進み、全く軌道を変えていない。
…そして力が抜けた俺は既に抗うこともできずにただするりと身体を落とし――
――吸い込まれるようにあごに、拳がさく裂した。
「…ぐ」
あごへの振動は例え軽微な力でも、隙間を埋める大体の「水」を揺らす。
そして土台である水が揺れれば、「脳」も揺れる。
…いともたやすく俺は視界が狭まっていくのを感じて、いとも簡単に意識を手放したのだった。
・・・
「え、リョナ君?突然白目向いて…!!?」
神パンチとはいえ神威を奪われた僕に一撃で大の男を失神させる力はないはずだ。
しかし僕の拳を受けたリョナ君はくたりとその身体を脱力させ、白目をむいていた。
「ちょっとリョナ君!…あぁ揺らすのは良くないんだっけか」
慌てて彼の身体を肩を掴んで揺らす、しかし確かこういう時は揺らさない方がいいというのを本でいつか読んだのでピタリとやめた。
そして少し考えると、寝かせた方がいいという判断に至る。
「よっと…!」
重い体を何とか持ち上げ、ベッドに寝かす。細いように見えて意外と筋骨隆々なその身体は重く、なかなかに重労働だったが何とかこなして見せる。
それから掛け布団をかけなおすと「はて?」と首を傾げた。
「もしかしてボク、やっちゃった?」
親ともあろうものが子供に手を上げ、気絶させるなど言語道断。
ほんのおふざけのつもりだったのだが…思えば怪我人にそういった類の冗談は配慮が足らないのではなかろうか。
「息は…してるか」
一定間隔で呼吸は繰り返されている、死んではいないようだ。
白目をむいていることを除けば安眠しているように見える、それにどこか安らかなようにも…見えそうだった。
とはいえ起こすのも可哀想だ。
…願わくばこのまま目を覚ましたころに記憶を失わんことを。
「…?」
数歩そそくさと帰るために歩き、振り返った僕は白いベッドに横たえ安眠したリョナ君の全身を眺める。
ほんの確認のつもりだったのだが、ふとその姿に「違和感」を覚えた僕は立ち止まると首を傾げた。
「…??」
何か違う気がする、しかし具体的に何が違うのかいまいち解らない。
ボクは頭の先から眺めるように、つま先までゆっくりと視線を流していく。
「あ」
気づいた――「突起」がない。
あそこまで主張していたリョナの腰に合ったふくらみが嘘のように消えていた。
なるほど流石に気絶すればそちらの元気はなくなるのか、と僕は頑固な油汚れがやっと落ちた時のような達成感を何故か覚える。
しかしある意味ではリョナ君も自らの性欲に悩んでいたのだし、霧散したのなら、救ったのでは?(と都合よく自己解釈する)。
(うん、ならリョナ君はボクに感謝してしかるべきだよね!)
――意気揚々と自分勝手に上機嫌になった僕はリョナに手を振り、家路についたのだった。
・・・
…ちなみに数日後、普通に覚えていたリョナから報復があったことはヘスティアファミリアの中でだけの話。
・・・