このダンジョンに神殺しが居ることは間違っている。   作:みころ(鹿)

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メリーボッチマス(思いをこの一言に集約)

あ、今回いつもよりちょっち長め。
それと全国の紳士&同士諸君――――待たせたな。




「999」の感情追跡

・・・

 

 

 

「…は?魔法?」

 

「はい!そうなんです!」

 

 

まだ朝靄のかかる冒険者通りと中央広場(セントラルパーク)、そこには所々点在する噴水の縁に座るかなり興奮した様子のベルと、何故か顔に真っ赤な「手形」を作ったリョナの姿があった。

 

まだ人通りも少ない朝のこの時間だが、時折通り過ぎる冒険者の一群がバベルに入っていくのが遠くに見え、二人同様に歓談しながら人を待つパーティもいくつか見受けられた。

…そして仰げば空は晴れ、太陽はまだ低いがそれでも世界に十分な明かりを満たしている。

 

――だがリョナの前に座り、喜ばし気に語る白い少年の笑顔の方が、天に昇った太陽以上に明るいことは確かだった。

 

 

「『ファイアボルト』っていう炎をこうズバッーンって出す魔法なんですけど!」

 

「へぇー良かったねぇ、カッコよさそうだし後で見せてくれ……だけどどうして急にまた?魔法ってそんな急に覚えるもんだっけ」

 

「え!?…えっーと、それは…」

 

 

ベル君が魔法を習得したというのは素直に喜ばしい事だが、余りに急なこと過ぎる。

昨日帰ってきたときは椅子の上で変な姿勢で寝ていただけでそんな話一切無かったわけだし、寝て起きたら魔法が使えるようになっていた…何て、いくら何でも成長期真っ盛りのベル君でもあり得ない話だろう。

 

疑惑の孕んだリョナの視線に、自分の魔法『ファイアボルト』について嬉しそうに語っていたベルの顔は、途端にしどろもどろと言った表情に変わる。

そして視線を慌ただしく動かしながら、必死にひり出すかのように身振り手振り…一言。

 

 

「ぐ、魔導書(グリモア)なんてありませんよっ…!?」

 

「え魔導書、何それ?」

 

「あっ!…いえ、何でも」

 

「ベル君ー」

 

 

墓穴を掘って大量に冷や汗を流しつつ顔を背けたベルの脇の下に、リョナは手を伸ばす。

はっ!?…と気が付いて躱そうとしたベルだったがそこはリーチの差、大した距離も稼げずにリョナに捕まると…くすぐられ始めてしまった。

 

 

「ちょっ…ひっ…やめっ…」

 

「ねーベル君ーグリモアって何ー?ねぇ教えてー!?」

 

「あはっ、あはははは!?」

 

 

執拗に続くリョナの指技の前にベルは身体をくの字に曲げて笑いもがくが、完全に背後をとられたベルに抜け出すことは叶わない。

 

…五分後、たっぷりとくすぐられた後やっと解放されたベルは道にしゃがみ込み、ひっー…ひっー…と笑いすぎてしゃがれてしまった声を力なく漏らしていた。

そして笑いすぎて出た涙を軽く指先で払うと立ち上がり、ニヤニヤと笑うリョナに振り返ると、少し息を漏らし観念したように笑った。

 

 

「解りました…あ、でも他の人には言わないでくださいよ?」

 

「当たり前だ、ベル君は俺が信用できないっていうのかい?」

 

「いやそういうわけじゃないんですけど、神様がリョナさんにも秘密だーって言ってたので」

 

 

またあの女神のせいか、帰ったらとりあえず寝てても裸でも高い高いしよう。子ども扱いされるのが基本的にあの神は嫌いなので、一番効果的だったりする。

 

…と一瞬本気で考えた後、ベルに視線を戻す。

ベルはまた先ほどの位置に座り直すと、昨日「読んだ」事について説明してくれた。

 

しかし…話の突飛さにリョナは眉を顰め、口をへの字に僅かに開けて困惑することになった。

 

 

「豊穣の女主人で借りた本が魔導書で、それを読んだら魔法が手に入った?…えぇ?」

 

「えっと、まぁだいたいそういう感じなんですけど魔導書っていうのは――」

 

 

――魔導書、というのはこの世界において「魔法顕現装置」なのだそうだ。

 

魔法職かあるいはそういうスキルを習得した眷属が書いた魔導書は、読んだものに魔術的な作用を働かせ、その者の元々ある魔法を発露させる。

簡単に言ってしまえばポケ〇ンの秘伝書のようなものだ、対象者に半ば強制的に魔法を覚えさせることが出来る便利な魔具(マジックアイテム)…つまりそれをベル君が使い、魔法を覚醒させたということだった。

 

…そして効果は「一度きり」だとも。

 

 

「え、でも絶対それ高――あ」

 

 

気づいた、豊穣の女主人から借りたと言っていたがそんな使い捨てのもの絶対に高いし貧乏ファミリアであるウチが…というかベル君が賄えるはずが無い。

 

つまり――あの女神、隠蔽しようとした。

 

弁償するのは無理だから、そもそも無かったことにしてしまえば良い。

そうすればそもそも「存在しない」のだから弁償する必要がなくなる。

 

…事実、正しい判断なので否定できないのは癪だが、そのために俺にも情報を遮断し、ベル君にかん口令を敷いたのはミスだ。

俺を仲間はずれ(ボッチ)にした時点で「ヘスティア様公開高い高いの刑」は決まったようなものなのだから。

 

幼稚なヘスティアの行動に多少の頭の痛みを覚えたリョナの口から自然とため息が漏れる。

 

 

「はぁ…それで?」

 

「はい、それでさっき豊穣の女主人に行って謝ったんですけど、けっこうアッサリというか許してもらえました」

 

「そっかー」

 

 

まぁ話を聞く限りどうやら誰かの落とし物のようだし、豊穣の女主人側も問題を起こしたくはないのだろう…というかミア母さんは真摯に謝ればだいたい許してくれる、逆に隠蔽とか嘘とかは嫌いな性格の人だ。

 

――まぁともかく「負債回避!」「ベル君魔法習得!」円く収まれば全て良しだ、というか振り返ってみれば何だか良いことだらけな気さえした。

 

頷き肩を落としたリョナは人のいない中央広場をぼんやりと眺める。

…隣に座ったベルはその呆けたような表情を、いやその未だに「赤くなった頬」を見ていた。

 

 

「あの…ところでリョナさん」

 

「お?」

 

「その…ギルドで何があったんですか?」

 

「あー…エイナに殴られた」

 

「えっ…!?」

 

 

豊穣の女主人に謝りに行っていたころ、頃合いを見たリョナはギルドに行っていた。

 

ぎゅるぎゅる丸を失くしてから色々忙しく(というか現在進行形でそんな暇は無いのだが)暫く顔を見せていなかったのだが、現状を説明すれば何か情報を得られるかもと思い直しエイナに会いに行ったのだ。

 

しかし、結果は――

 

 

「――何か現状説明したらいきなり平手された…」

 

「えー…!?」

 

 

未だヒリヒリと痛そうな頬を撫でるリョナに、というかエイナの行動にベルは驚きの声を上げる。

 

…しかしエイナの行動は至極「ごもっとも」だ。

 

冒険者で、元々危なっかしい人が数日顔を見せない、つまり…「死んだ?」

だがベルからはそんな言葉はなく――それこそ思わず平手をしてしまうぐらい心配していたのだろう。

 

殴られて然るべき、と言えた。

 

 

「そ、それで…どうなったんですか!?」

 

「あー…めっちゃ謝ったら許された、でも何で怒られたか解んねぇー…ベル君解る?」

 

「僕ですか!?…いや、すいません解んないです」

 

 

とはいえそんな女心を本人と少年が解るはずもなく。

うーん…と二人は噴水縁で悩むと、解るはずもなく首をひねり思考停止した。

 

…コポコポという平和な水音のみが流れていた。

 

 

そして――ふとベルは腰のポーチをさわると、「あっ」と声を漏らす。

 

 

「そういえばポーション切らしてたんだった!…えっと、リョナさん僕ちょっと急いで買ってくるので代わりにリリの事待っていてもらえませんか?」

 

「あー俺もそういや前投げたんだった、ベル君の分も出すから俺にも一本買ってきてくれないか?」

 

「な、投げた…?…あ、はいありがとうございます!それじゃあちょっと行ってきますね!」

 

 

リョナから少し多めに1000ヴァリス貰ったベルは頷くと自分の薄い小銭入れの中に入れ座るリョナを残すと、薬店(ミアハファミリア)へ脱兎の如く走り去った。

 

…かなりの速度で走るベルの姿を見送った俺は、ため息を吐く。

 

 

 

「ふー…」

 

 

 

一人残された俺は噴水の溢れるコポコポという音だけを聞きながら、僅かに人通りが出てきた冒険者通りを眺める。

 

…様々な冒険者がバベルに向かって歩みをすすめており、ひとまずその中に大きなバックパックの少女の姿は見えなかった。

 

 

しかし――心は他に、その人の群れに別の物を見つけようとする。

 

 

(…いねぇよな)

 

 

安堵のため息が漏れる。

僅かに増えてきた人の波の中に…無意識に俺は――オッタル(恐怖そのもの)の姿を探していた。

 

「昨日」俺はオラリオ最強の冒険者、猛者オッタルに襲われ何とか命拾いをした。

しかしそのせいで今日は全身打ち身だし…無意識で探してしまうくらいのトラウマを植え付けられたのだった。

 

常に命を狙われているかもしれない…その恐怖は精神の負荷となる。

 

 

「…」

 

 

…そして静かで時間が出来ると人は、得てして考え始めてしまうものだ。

それも…たいてい「良くない」事を。

 

――その例にもれず俺は空に流れる大きな雲の1つを仰ぐと、大きく「焦燥」を吐き出した。

 

(だいぶ()()んなぁ…)

 

吐き気のするような焦り、息が詰まるような喉奥の圧迫感が苦しい。

そう…苛立ちだ、この胸の中には煮えたぎるような恋焦がれるような「ぎゅるぎゅる丸への執着」がある。

 

 

今日で――「五日目」。

 

 

失くしたぎゅるぎゅる丸をどれだけ必死に、幾度も死ぬような思いをしてダンジョン内を駆けずり回って探しても見つからない。

…とてももどかしい、落ち着かないし精神的にくるものがある。

早く手に取り戻さねばならないのに、本来なら今この手に収まっているはずのものが無い。

どうやったって心の隙間は埋まらないし、空いた穴から冷たい焦燥が流れ込んで…苦しい、痛い、叫びたくて、頭がおかしくなりそうだった。

 

表面にこそ出していなかったが、リョナは相当イラつき余裕が無くなっていた。

 

次第に冷静さが失われていくのが自分でも解るし、熱に浮かされたように泥の中をもがいているような感覚が寝ても覚めてもへばりつく。

 

――もし今この瞬間、この数コンマの時間が過ぎていくだけ、ぎゅるぎゅる丸が永遠に失われてしまうのではないか?という考えがどうやったって頭から離れてくれなかった。

 

 

「…はぁ…」

 

 

吐いても気持ち悪さの拭えないため息を出しながら俺は、仰いだ空から地上に視線を戻す。

…見れば、少し中央広場には人気が増してきていた。歩く冒険者のパーティの数は明らかに増えてきており、穏やかな活気満ちつつあった。

 

この程度の時間経過であればベル君はまだ帰ってこれないだろうし、あの少女(サポーター)も視界に入ってこない。

 

…そのせいで腹が立つ、という事は無いが今は「何もせず待つ」ことがたまらなく辛かった。

無意識に動く足を止めることも無く、俺は…だらりと力なくもう一度清涼感を求めて青空を仰ぐ。

 

 

 

 

そして――匂いを嗅いで目を見開いた。

 

 

 

 

姿勢を正し、横を向いた俺は恩恵(ファルナ)によって僅かに強化された視力を、通り脇に小さく生えた木立の中に向ける。

 

…樹木に阻まれ何も見えない、しかしそこからは――「知った匂い」がした。

 

 

「…」

 

 

立ち上がり、もう一度匂いを嗅いでみる。

 

…間違いじゃ無い、増えてきた匂いの中には一つ「お世辞にも良いとは言えない」彼女の臭いが混じっており、それはあの木立から漂ってきていた。

しかし――何も無いただの林だ、何故そんなところからあの犬人(シアンスロープ)の少女の臭いがするのだろう。

 

歩き始め、通りの半分を横切った俺は刈り込まれた低い生け垣前から中を覗き込んでみる。

だが…覗き込むより先に新しい匂い――木の樹液の臭いと、男が複数人。

 

(ホント、何してんだ…?)

 

一人でいるのも大概だが、複数人でいるのも異様だ。

 

疑問を抱きつつ俺は大股で生け垣を乗り越えると、とりあえず中の様子をうかがうえそうな手ごろな木の陰に隠れる。

そして一応…コートを片手で払い、万が一の時のために腰にささった直剣を確認すると木の縁から顔を出して奥の様子を確認した。

 

 

「いいから…寄こせっ!」

 

「もう私にはそんなものないッ…ですから!!?」

 

 

…一瞬、唖然とした。

 

 

大の男が三人、鬼のように歪んだ形相で「少女」一人に詰め寄っていた。

 

囲まれるように大きなバッグを持った少女は腕を掴まれ、叫ぶような怒号を耳元で叫ばれながら俯きがちに首を横に振っている。

…恐喝をされている少女の姿はまるでぼろきれのように弱々しく、掴まれている腕はコートに皺がより今にも折れてしまいそうだった。

 

しかし、そんなことより少女に対し恐喝する男どもの「顔」に驚く。

 

 

――少女1人に大人が寄ってたかって、という中々下衆な状況はまだ「()()」。

 

 

この文化レベルならば、子供から巻き上げるような恐喝は存在するだろう。

小遣い稼ぎか何かは知らないが、万全な法治国家でもないこのオラリオのどこかしらで恐喝が発生するのは仕方ないことと言えた。

 

しかし…囲んでいる男たちの「必死」な表情は何だろう、まるでこの少女から金を巻き上げなければ自分たちが死んでしまうかのような必死さ。

まるで洗脳されたような、自然には人が持ちえない感情の見えるその顔に――

 

――俺は、自然と足を一歩踏み出していた。

 

 

「おい」

 

 

声をかける、するとリリの腕を掴み一際顔を歪ませていた男はリリへの恐喝を止めると、瞬時に冷静な表情に切り替え、他二人と共に俺に視線を集中させた。

 

それから…リリの腕を離すと、観察するように僅かに首を傾げて俺に尋ねる。

 

 

「…何のようで?」

 

「…はぁ?」

 

 

何も考えず飛び込んだせいで、尋ねられても空っぽの頭には回答など用意されていない。

思わず間抜けな声を出してしまった俺は男三人、そして――栗色の瞳で見上げてくる少女を見渡した。

 

(…とりあえず助けるか)

 

何も考えていなかった…が、とりあえず今この状況を見れば「助ける」というのが最適なのだろう。

自分より背の低い亜人の男の目を見返すと俺は、軽く口元だけ微笑んで見せた。

 

 

「えっーと、悪いんだがそいつ俺の連れの連れで探してたんだわ、返してくれねぇか?」

 

「……はぁ、そうなんですか。でもすまねぇんですがあっしらとコイツは同じ()()()()()でしてね、少しそっち関係で話さなきゃなんねぇことがあるんですわ。ですから少し待っていただいて…」

 

「…返してくんねぇか?」

 

 

ファミリア関係、というのを強調した男にリョナは「繰り返す」。

頭を軽く下げ朗らかに笑むようにして謝っていた男は、言葉が通じないかのようなリョナのその態度に作り笑いを止めると眉をひそめた。

 

非常識とも言えるそんな態度に見かねてか、黙っていた二人の男のうち一人がダンッと一歩踏み出すと、俺の胸倉を掴まんばかりに詰め寄って――

 

 

「オイてめぇ!いきなり出しゃばってきて調子乗ってんじゃねぇ…ぞ」

 

 

――見上げ、その目を見て尻すぼみに立ち止まった。

 

 

()()()()()()便()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

…殺意の出し入れぐらい心得ている。

実際この三人相手にカウント0の今の俺がどこまでやれるかは解らないが、強めの殺気ならばブラフくらいにはなるし、なった。

 

明らかに委縮した男は無意識的に数歩下がると…最初話した方に男に肩を掴まれた。

肩を掴んだ男はおもむろに笑うと、肩越しに俺の事を見上げる。

 

 

「いやぁ…兄さんにはかないませんなぁ、ファミリアの大事な話し合いだったんですがあっしらは後にさせていただきやす。…おい、行くぞ」

 

 

…冷静すぎて逆に怖いくらいの男は他の二人を付き従えサッサと木立の中から去っていった。

その後ろ姿を見送りながら俺は何だったんだアレは、と眉をひそめ軽く頬を噛んで考える。

 

 

「あの…」

 

「あ?」

 

 

服を後ろからくいと掴まれる。

振り返ると――バックパックを背負った少女が見上げていた。

しかしそのコートは大きくよれており、見れば顔にも殴られたような跡があった。

 

 

「すいません、リリなんかを助けていただいて…」

 

 

俯きがちに、悲し気に明らかに落ち込んだ表情でリリはただ吐き出すように謝罪の言葉を述べて、大きく頭を下げてきた。

助けた、襲われてる少女を助け、然るべき感謝を受ける。

 

しかし――どうでもいい。

 

 

「おい、今のはどういうことだ」

 

「…!」

 

 

明らかに異常な状況、あの男達は男達でおかしな精神状態だったが…それに狙われる、しかも同じ「ファミリア」の構成員。

一概に狙う方が悪いとは言えない、狙われる方にもまた「狙われるだけの理由」が存在するはずだ。

 

詰め寄るように尋ねた俺にリリは完全に俯き、自らの足元を見始める。

 

 

「…」

 

(…チッ…)

 

 

だんまりを決め込むリリに内心舌打ちをする。

そして――

 

 

「…解った、俺には言わなくていい。でもベルが待ってるはずだから、ベルには理由を必ず言えよ」

 

 

――吐き捨て興味を失い振り返ると、苛立ちながら生け垣に向かって歩き始めた。

 

俺とこのサポーターの少女は余り接点がない。最初こそいくつか受け答えはしたが、何せぎゅるぎゅる丸失くしたせいで余裕がないし、余り興味も無かった。

故に俺より、ベルの方が仲が良いし喋りやすいだろう…その情報をもとにそこから何かするというのは今の俺では思いつかないが、最悪ベルに話せば「なぜあんな状況だったのか」を聞くことが出来るだろう。

 

木を幾本か躱し、ため息を吐いた俺は生け垣を乗り越え石造りの道に出る。

…リリも『ガサガサ』と背後で音が鳴らしながら、生け垣を掻き分けてついてきた。

 

 

「さて…とぉ」

 

 

さほど時間は経っていないが、ベルは戻ってきただろうか?

人の流れが出来ていた冒険者通りを見渡した俺は、先ほどの噴水周りに目を向け白い兎の姿を探す。

 

…遠目に見渡してみるが、噴水周りには誰もいない。しかし思ったよりも目の前に、ベルの姿はあった――

 

――目つきの悪い男に絡まれている状態で。

 

 

「あぁ…!?」

 

 

知らない男にベル君は肩を絡まされ、下卑た笑いから漏れた臭い息を嗅がされていた。

…絡まれた少年は心底嫌そうに、男からの言葉を小さく否定の言葉を漏らしながら聞いていた。

 

(…殺すか)

 

ベル君に絡んだ時点で有罪(ギルティ)、どうせ気弱そうなベル(しろうさぎ)を狙って金でもカツアゲしにきたんだろうが…良い度胸だ、お前の方を1ヴァリス金貨サイズ毎にカットしてバラまいてやろう。

 

更に気分の悪くなった俺はためらわず直剣を掴みながらベルの元に歩き出す。

…まぁ、道で斬りつけることはできないが思い切り柄で殴りつければかなり牽制になるだろう。

 

 

「絶対に…嫌だッ…!!」

 

「こんのクソガキがぁッ…!!?」

 

 

しかし辿りつく前にベルの方から男を突き飛ばした。

姿勢を崩された男は一瞬目を見開き、瞬間キレるとベルに「手を伸ばしていた」。

 

 

「ふんッ!」

 

 

一歩踏み込むと空中に伸びた男の腕に詰め寄り、殴りつけて払いのける。

逆関節でもないので特に身体破壊には至らなかったが痛みは充分、横合いから突然腕を殴りつけられた男は元々姿勢が崩れていたせいか尻もちをついた。

 

 

「リョナさん!」

 

「んだっ…テメェ!?」

 

 

ベルの喜ぶような目、尻もちをついた男の見上げる毒々し気な視線。

明確な敵意ある後者を優先、その場でついた足首を回転させた俺は、男のあごに狙いを見定め、蹴り抜いた。

 

…ゴッ、という骨が打ち付けられるような鈍い音が小さく響くと男の目がくるりと剥く。

脳震盪、あごこそ砕いてはいないが思い切り蹴りつけた衝撃そのまま伝えられた脳は振動し意識を失った。

 

 

「はぁ…」

 

 

完全に意識を失い、ドサリと男の身体が倒れる。

今一度男が失神したのを確認した俺はため息をつくと、何だか虚しい気持ちになって肩を落とした。

 

 

「リョナさん!…えっとありがとうございます!」

 

「…いや、すまん。別にベル君一人だけでも対処できただろうに」

 

 

対して強くなかったし、ベル君に掴みかかろうとしたとはいえすぐに殴る必要も無かった。

…言い訳のようだが、こんなところでも判断力が無くなっている。その結果周りの冒険者からは相当目立ってしまったし、奇異の視線が集中するのが痛いくらいに解った。

 

(落ち着け…)

 

そう自分に言い聞かせてみるが、苛立ちと気持ちの悪い虚無感は消えない。

 

…やはりぎゅるぎゅる丸がなければ、ぎゅるぎゅる丸は一体どこに――

 

 

「――リョナさん?」

 

「…おう」

 

 

視線を上げるとベルが心配そうにこちらを見上げていた。

そうだ、絡まれていたのはベルであって心配するのは俺の方だ、決してされる方じゃない。

 

頷くと俺はひとまず男の方を放置し、振り返る。

…そこには大きなバックパックを背負った小さな少女が。

 

 

「リリ!良かった、無事だったんだね!何だか男の人たちに絡まれてるみたいだったから僕心配して…あ、もしかしてリョナさんが?――」

 

「――待った、ベル君」

 

 

嬉し気にリリに喋りかけるベルのことを腕で、そして心配顔で見上げてきた視線に真剣な顔で制した。

俺は壁を作るようにベルの前に立つと、目の前に立った少女の事を、イラつく感情そのままに見下ろす。

 

 

()()()()()()()()()()()()()だ、噴水で待ってろ」

 

 

未だ少し離れた位置の噴水を指さし、少女にそう告げる。

 

…リリは、少し緊張するような顔をした後「…解りました」と一言呟くように顔を伏せたまま噴水の方に歩き始めた。

その驚くほど小さな背中を俺は見送ると――振り返る。

 

 

「…どうしたんですか?」

 

「…見たのか?」

 

 

困惑したようなベルの表情に尋ねる。

更に目に疑問を躍らせたその表情に俺は目立たないように先ほどリリが絡まれていた「木立」の中を指さした。

 

…ベルは「心配」そうな顔をする。

 

 

「さっきリリが木立の中で絡まれてたのですよね?はい、助けに行こうとしたんですけど、この人に絡まれて行けなくなっちゃって…」

 

「…なるほど」

 

「それでもしかしてリョナさんが助けてくれたんですか?」

 

「…あぁ」

 

 

つまり腕を掴まれているのは見えただろうが、あの異常な表情までは見えなかったのだろう。…ただ見えたから、助けようとした、という訳だ。

 

頭を掻いた俺は何だか鉛の詰まったような頭を鈍く使いながら――「丸投げ」する。

 

 

「…じゃあベル君、悪いんだが何で絡まれたのかとか聞いといてくれないか?どうにもあの…リリルカアーデ?だっけ、また襲われる気がしてならないから、理由だけでも聞いといてくれ、判断は任せるから」

 

「…解り、ました」

 

 

実にどうでもいい、ベル君の事は心配だが早いところダンジョンに行ってぎゅるぎゅる丸を探したいという理性の方が強い。

 

俺は無慈悲に感情のまま突き離すと、明らかに落ち込んだベルの表情を見ないように――

 

 

「リョナさん」

 

 

――笑顔だ。

 

向けられた笑みに俺は『ッ…!?』と()()()()()()()()()()()()――目を見開いた。

 

 

 

「だから――だからこそ――」

 

 

 

 

屈託のない笑みを浮かべた少年は救うように笑う。

笑って、それから――

 

 

 

 

 

 

「リョナさんが――――」

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

「…ソーマ?」

 

「はい、例のサポーターの所属しているファミリアなんですが…」

 

 

カウンター越しにエイナが深刻な面持ちで頷いた。

聞き覚えはないその名前に俺は少し逡巡すると、エイナに「それで?」と訊き促す。

 

 

「主神であるソーマは酒造りの神、神威を失った今でも酒を()()()造り続けているそうなんですが、今作った神酒にも強い中毒作用があるらしくて…」

 

「…それ()()()()()ってこと?」

 

「…はい、情報源によると」

 

「へー、ちょっと飲んでみてぇかもな」

 

「冗談じゃないですよ!?なんでもファミリア内でもかなりの額を上納しないと飲めないらしく、そのためにソーマファミリアはかなり強引なやり口で、時には仲間内ですら集金という名の強奪をするらしくて…すべてはお酒のために。…こういってはなんですが、ほぼ麻薬です」

 

 

酒に憑りつかれた眷属、争いあう子供たちを止めずに、酒造り(しゅみ)のために必要な金を受け取るだけの主神。

腐りきった体制と、関わるもの全てに毒をまき散らす――それこそ「麻薬」。

 

…エイナからの説明を聞く度俺は、あの光景の「理由」が解っていった。

 

 

「なるほど…?」

 

「ですからあのサポーター…リリルカ・アーデさん、でしたっけ。…ベル君が関わるのは危険じゃないかなと…なので一度リョナさんの方から声をかけてもらえませんか?」

 

「んー…」

 

 

――「7()()()」。

 

夜、ギルドに来た俺はエイナに「相談」されていた。

話題は…ベルについたサポーター、リリルカ・アーデとそのファミリアについて。

 

エイナの言葉を受けた俺は頬を軽く掻き「あー…」と少し考えると軽く苦笑混じりに首を傾げる

 

 

「危険性は解るが…まぁベル君も馬鹿じゃないし、危険だって解ったら自分で避けれると思う…大丈夫じゃねぇかな」

 

「でも…」

 

「ベル君の事信用しろって、心配なのはわかるけどベル君もあぁ見えてちゃんと男だし、俺達が信じてやらなくてどうするよ」

 

「…」

 

 

ひとえに、エイナは心配なのだ。

しかし一介のギルド受付嬢に出来ることは少なく、故にリョナに頼んでどうにかならないものかと頼んだ。

 

だが…断られてしまった、同時にリョナの言い分に理解もしてしまう。

どこか不満げに、抱いていた心配を顔に出しつつエイナは頷き、息を吐き視線を落とすと俺の腰回りを見て、少し疑問を抱くようにリョナを見上げた。

 

 

「そういえば…その、ぎゅるぎゅる丸は見つかりそうですか?」

 

「む…あぁー…中々難しい」

 

 

――七日、焦がれるには余りに長すぎる時間。

 

遠い目をして、流石に疲れたように笑ったリョナは目を閉じカウンターに肘を立てる。

 

 

「今日は10階層の探索がやっと終わった、霧の中で物探しとかホント地獄でしかない」

 

「…ということは残り9階層…ですか。それは――いえ、何でもありません…」

 

 

口を噤んだエイナだったが、言われなくても続きは解る。

 

――「絶望的」。

 

事実として狭まっていく可能性、残された階層とただただ無為に過ぎていく時間。

イラつきと、狂気にも似た意識の混濁がただただ雫のように満ちていく。

 

それが…大事なものであればあるほど。

 

 

「…じゃあ俺明日も早いから、またなー」

 

「!…はい、頑張ってください」

 

 

――しかし、リョナは笑う。

 

気がふれた訳でもなく、いつも通りの楽し気な笑みを浮かべたリョナはカウンターから身体を離すと、エイナの不安げな目を微笑みを含んだ瞳で見返した。

 

手を振って去っていったリョナの背中をエイナは見送ると、その確かな足取りが剣帯を揺らすのに不安げな表情をいくらか緩和させた。

ベルも、リョナも心配だが二人とも大切な…友人、だ。

 

信じるか信じないかで言えばエイナは信じたい、「信じたかった」。

 

(…でも)

 

やれることはやろう、そう決めたエイナはとりあえず誰にも見えないように冒険者の殆ど消えたギルド内で大きく欠伸をする。

それから今日はもう帰ろうと振り返ると、帰り支度を始めるために歩き出す。

 

 

 

そして――ついに、8日目を迎えたのだった。

 

 

 

・・・

 

 

 

…仰げば、曇天。

 

昨日の夜から小ぶりに降り注いでいた雨は上がり、平たく作られた石材の道を所々黒色に濡らして、一個一個をまるで氷片のように冷やしている。

待ち望んだ太陽は未だ現れず、厚く渦巻く白雲の向こうで鈍く光るばかりでその姿を見せない。

 

 

「…」

 

 

噴水からの静かな水音、遠くから聞こえる冒険者たちの喧騒。

纏ったコートのおかげでこの刺すような空気でもそこまで寒くはないが、鼻や足回りなど露出しているところは痛いくらいに冷たくなっていた。

 

 

しかし――心は「熱い」。

 

 

…否、踊っているというべきか、

 

ついに「8()()()」。

待ち望んだ今日は私が解放される日で、もうひと頑張りする日。

 

午後になればあのおじいさんのツテでオラリオにやってくる豪商と取引し、あの「篭手」を売り払える。それで私はソーマファミリア(あしかせ)から解放され、やっと自由の身になる。

 

――やっとだ、心の内で喜びがむくむくとその鎌首をもたげ始めていた。

 

…これまで持ち主であるあの男には幾度か会って、一度だけ「見られてしまった」こともあったが疑われている様子はない。

それどころか最初こそ必死になってダンジョンで探索をしていたようだったが、最近は…何だか穏やかであり「諦めた」ようにも見受けられた。

 

そして――

 

 

「…あっ、リリ!お待たせ!」

 

「ベル様」

 

 

――もうひと頑張り、ヘファイストスのナイフなど手に入れば最高だ。

 

走って駆け寄ってきた白髪の少年にリリは「いつも通り」の笑顔を見せると、僅かにもたれかかっていた噴水から数歩身体の向きを合わせる。

それから僅かにバックパックの肩ひもを直すと、最大級の営業スマイルを見上げたベルに向け、わざとらしくもあどけない声を作る。

 

 

「おはようございます、ベル様!リリは少しも待っていないですよ、ついさっき来たばかりです!」

 

 

嘘だ、10分は待った。

いつもはベルの方が早く来ているのだが、気がせいたのか今日は私の方が早く来てしまったのだった。

 

軽く肩で息をしながら立ち止まったベルは自然な笑みを浮かべると、背筋を正してリリを見る。

…そして、いつもの通り目の前にそびえたつバベルを見上げ、促した。

 

 

「じゃあ、行こうか!」

 

「あ、いえお待ちくださいベル様。提案なのですがよろしいですか?」

 

「え、提案?…う、うん良いけど…」

 

 

さっそくダンジョンに向おうとしたベルのことをリリは引き留める。

足を止めたベルは振り返ると、僅かに困惑したような表情で見返してきた。

 

そして頷いたベルにリリは、予め「用意しておいた」回答で答える。

 

 

「今日は()()()()まで行ってみませんか?」

 

「えっ…どうして急にそんな…?」

 

「…ベル様、リリの眼はごまかされませんよ。ベル様はとうに10階層を突破できるだけの実力を持ち合わせているはずです」

 

 

半ば、事実だ。

8日間この少年の後ろからずっと眺めていたが実力の「伸び」が他の比じゃない、メキメキと実力をつけていくベルの背中を見ながら――

 

――10階層を「ギリギリ」超えられると判断した。

 

 

「でも…僕ソロだし、10階層って()が出始めるんでしょ?」

 

「確かに私がいるとはいえソロのベル様が、霧の出る10階層に行くのは奇襲などには弱いかもしれません。ですがそれは…いつか超えなければならない壁ではあります」

 

「…」

 

 

力説にベルは少し考えこむ。

半ば本当、半ば虚勢で作られた自分の理論の成果をリリは見上げると「もしこれが折れたら」と不安になった。

 

しかし…うん、と頷いたベルに表の顔も明るくする。

 

 

「そうだね、リリがそういうのなら10階層に行こうか!」

 

「はい、ありがとうございます!それに危険なら逃げてしまえば良いんですからね!」

 

 

そういうことなら頑張っていこう!と張り切り始めたベルにリリは少し顔を伏せ、ほくそ笑む。

容易くリリの言葉に乗ってきた少年はいわば既に術中、この8日間考え続けてきた「ナイフをいかに奪うか」の計画のレール上を走っていた。

 

あとは10階層で隙を伺えば…。

 

 

「…?」

 

 

計画を再確認しつつ見たベルの姿に何か違和感を覚えた。

確かこの時間、ダンジョンに行く際には解れるとはいえ、いつもはもう一人――

 

 

「――ベル様、リョナ様は今朝はどうされたのですか?」

 

「あぁリョナさんはねー…今日は朝早くから出かけちゃったみたいなんだ、理由は解らないんだけど…」

 

 

そう説明したベルにリリは少し驚き、安堵にも似た息を吐きながら「そうですか」と頷いた。

 

…いや、むしろこれで良かった。

どんなに完璧な計画でも不測の事態(アクシデント)はある、今日に限ってあのリョナが同行するなんて言い始める…なんてことがあるかもしれないと僅かではあるが懸念していた。

 

しかし…結果的には、来さえしてない。

 

(ふふ…)

 

つまりあの男は今頃ダンジョン内であの篭手を探している、そう考えると何だか笑いがこみ上げてくる。

 

――ありもしないぎゅるぎゅる丸(たからもの)を必死に探しているというのはなんだか滑稽だった。

 

 

「リリ?」

 

「あ、大丈夫です!」

 

 

『本当に』笑ってしまっていたリリはいつも通りの営業スマイルで応する。

そして改めて計画を再確認し、『できる』と自分を鼓舞してベルの腰についたナイフ(目標)に狙いを見定めた。

 

 

「じゃあ行こうか!」

 

「はい!」

 

 

ベルの言葉に大きく頷くと、連れだって歩き出す。

目指すは10階層、彼にとって初めての階層で、その白い鎧の内に渦巻くのは期待と不安。

 

しかしなんて事は無い、危なくなったら逃げてしまえば良いのだ――

 

 

――勿論、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

・・・

 

 

 

霧の中、目を細めてゆっくりと手に装着したクロスボウの狙いを見定める。

 

ゆっくりと漂う白霧は重く纏わりつくが、ここは「外せない」。

眼下で戦っている少年の背中を目で追いながらリリは、その腰で激しく動く剣帯とウエストバッグに注視する。

 

…そして片手間にコートのポケットをまさぐると「とある物」を探し始めた。

 

 

「――ファイアボルトォ!!」

 

 

相手にしているオーク。3mはある上、生えた樹木で武装していた。

長さのある樹木を振り回せば相当のリーチになり、威力はかなりのものとなる。

 

しかし…その動きは鈍重だ。

 

硬いとはいえ跳ね回る白兎にオークは全く反応することが出来ず、声と共に放たれた稲妻のような白炎に顔を焼かれて今すぐにも倒されてしまいそうだった。

 

 

(…)

 

 

コートの中から袋を1つ取り出す。

片手で袋の紐を僅かに緩めながら眼下で終了してしまいそうな戦闘に僅かに焦る。

 

…ようはタイミングとあの少年の立ち位置が重要だ。

 

クロスボウの照準を常に少年に合わせながらリリは袋の中に手に入れる。そして柔らかいようなブヨブヨとした塊の感触を確かめると眼下の戦闘に集中する。

 

 

そして――少年が足を止めた。

 

 

オークの顔にファイアボルトを当て怯んだ隙を走り、ベルはその肥えた胸に飛び込むと両刃短剣(バゼラート)を突き立てる。

瞬間紫色の血がほとばしり、オークは醜く『ぴぎぃッ!!?』と鳴いた。

 

…抉るようにベルはナイフを更にオークの体内の奥深くへと突き入れていく。

 

 

「ファイアボルト!」

 

 

咆哮と共に魔力が動く。

白く立ち昇った魔力が鈍く光るようにベルの心臓から腕を覆うようにして伝い、やがて掌を輝かせると、その白炎は短剣の刃を輝かせた。

 

そして――体内で爆ぜる。

 

全身を覆った硬皮が殻のようにひび割れ、肉が焼ける匂いと共に白い閃光をまるでランタンか何かのように漏らした。

豚のような鼻から血が噴出し、苦し気な声が弱々しく吐き出される。

 

 

「ファイアボルトッ!ファイアボルトッッ!」

 

 

しかしまだ絶命には至っていなかった、少年は両刃短剣(バゼラート)を持つ手に力を込めると繰り返し自分の魔法の名を叫ぶ。

その度オークの身体は白く輝く炎を内包し、やがて――『ボンッ』と爆発した。

 

…辺りに紫色の血肉が散らばり、地面に散華する前に黒く蒸発する。

 

 

「はっー…はっー…!」

 

 

魔法の連続使用、マインドダウンにこそ至らないが精神を強く消耗したベルは膝に手をついて荒く息をする。

そしてかいた汗を拭うと、近くで待っているはずのリリに――

 

 

――「今」だ。

 

 

「ッこれは!!?」

 

 

草の生えた地面に何個かの丸い紫色をした球体が転がる。

掌大の大きさのブヨブヨとした家畜の肉で出来た球体は幾度か地面を跳ね、その動きを止めるとベルの足元に散らばった。

 

そして…瞬間的にまき散らされる「悪臭」。

 

 

「うっ…確かこれって…!?」

 

 

散らばった球体は、確かモンスターを臭いでおびき出すためのトラップ。

町の雑貨店に安値で取引されているそれは、家畜の肉を丸められて作られており…モンスターを引き寄せるとんでもない悪臭を放つ。

 

耐えられない程では無いが、酷い悪臭にベルは思わず鼻を抑えると口呼吸で周囲を見渡す。

何故急にそんな…困惑しつつ原因を霧の中で必死に探した。

 

 

――ゆらり。

 

 

「えっ…!?」

 

 

霧の中で巨大な影が動く。

その数は四個、白い霧に黒い影を落としながら若干くぐもったような声を漏らしながら近づいていた。

 

 

そして――オークが4体、その姿を見せた。

 

 

「ッ…!」

 

 

一体でも相当苦労したオークが4体こちらにむかってゆっくりと歩んできていた、臭いからと言って鼻を抑えているわけにはいかない。

 

周囲、全方位からやってくるオークの位置を確認したベルは、油断なく両刃短剣(バゼラート)を構えると、逃げることも視野に入れて――

 

 

瞬間、聞こえた風切り音。

 

 

――とすっ…と音もなく、腰につけた剣帯に僅かな衝撃。

 

 

気づき、見やればポーションなどを入れていたポーチに「縄のついた矢」が突き刺さっていた。

 

 

 

(かかった!)

 

 

 

ちゃんと狙いを定めたかいがあった。

クロスボウから続く縄の先、ベルの腰についたポーチに射出されたボルトは迷いなくその茶色のなめし皮に突き刺さり、返しの付いた矢じりは確かな感触を伝えている。

 

…そしてこの程度であれば、僅かとはいえステイタスに強化されたリリの腕力でも引きちぎることは容易い。

 

 

「よっ…と!」

 

 

クロスボウをぐいと引っ張る。

するとベルの剣帯が雑に弾け、ポーチだけを引きちぎると空を舞う。

 

霧を切り裂きながら飛んできたポーチをリリは片手で掴むと、眼下を見下ろす。

 

 

…そこには目を見開き、驚いた表情で高台に立った私(こちら)を見上げてくるベルの姿が。

 

 

「リリ!!?…うわっ!?」

 

 

さっそく攻撃してきたオーク一体の攻撃をかわしたベルの事を静かに見下ろしながらリリはぺこりと頭を下げた。

 

 

「ごめんなさいベル様…ですが、ありがとうございます」

 

 

そして顔をあげた時には、()()()()()の微笑みを向ける。

 

 

「これでリリはいくらかお金がもらえます」

 

「待って、リリ!いったい何を言って…!!?」

 

「ですが…ベル様はもう少し人を疑う事を覚えた方がいいと思いますよ?ほんの老婆心ですが、リリからの最後の助言です」

 

 

何だそれは、困惑するように顔をしかめた優しすぎる少年の顔を出来るだけ見ないようにしながらリリはくるりとベルに背中を向ける。

…それから首だけ振り返り、笑うと今は戦闘中のベルにも聞こえるように喋りかけた。

 

 

「それではベル様は隙を見て逃げ出してください、()()()()()()()()()()()()()()()んですから!ベル様さようなら、もう二度と会うことも無いでしょう!」

 

「リリ!リリ、待って!!――あーもう、邪魔だぁぁぁぁ!!!」

 

 

未だ後ろから戦闘音は鳴り響き、私の名前を呼ぶ声が続く。

…それに僅かに、ちくりと胸が痛くなったが、何故痛いかも、その痛みの名前すらもリリは解らなかった。

 

 

(…)

 

 

…何にせよ、ナイフと鞘は手に入ったのだ。

霧を掻き分けながら手に持ったポーチの重みをリリは確かめながら、その中に入っている「目当ての物」に心を躍らせようとする。

 

そして――上の階に上がるころには心を痛ませる声は届かなくなっていた。

 

 

 

・・・

 

 

 

「オラァ!」

 

 

男が吼え、繰り出された蹴りが私の腹部に炸裂する。

 

慣れた痛み、しかし絶対に耐える事の出来ないどうしようもない痛みに、空気が漏れるようなうめき声を漏らすと、身体を折ってその場にうずくまった。

 

 

「アッハッハッハッ!!大当たりだなぁ、糞パルゥム!!ッオラァッ!!!」

 

「ふッ…ぐぁッ…!!?」

 

 

地面に丸くなり防御しようとした私の腕ごと男は、何度も何度も笑いながら踏みつける。

体重の乗った痛みが腕に走り、たまにすり抜けた足が身体を蹴りつける度耐えがたい苦痛が何度も何度も走った。

 

 

「はっー…はっー…よし」

 

 

ふいに、いつ終わるかもわからない苦痛が後を引いて止まる。

…何も出来ず、ただ蹴られるのみとなってうずくまっていた私は痛みに耐え、涙を零していた。

 

荒く息をしていた男は腕を伸ばすと、抵抗のしようのない私の髪を掴むと強制的に立たせた。

…その弾みで背負っていたバックパックが地面に落ち、ドサリと音を立てた。

 

 

「…!」

 

「喰らえ、これが今までのテメェがしてきたぶんの()()だ!」

 

 

男の下卑た笑いが見えた。

 

 

…天罰?あぁそれは…この痛みは――

 

 

――次の瞬間、顔の骨が砕かれんばかりの衝撃と髪が千切れるかのような痛みが走る。

 

 

「ッ…かッ…」

 

 

殴りつけられた私の身体は地面を幾度かバウンドしながら…跳んだ。

地面が擦れる度、胸から息がたたき出され蹴られる以上の痛みと衝撃が全身を襲った。

 

…そして、たらりと頭に暖かいものが垂れるのを感じると顔が濡れていくのを感じた。

 

 

「どうだ、思い知ったかこのコソ泥が!!()を張ってればいつか絶対捕まえれると思ってたぜぇ!」

 

 

7階層に上がったばかりの私はルームに飛び込んだ。

その先ではこの男が待ち受けており…逃げることも出来ずに蹴りを喰らわせられた。

 

――「網」というのはつまり、誰かと共謀して階層の要所を抑えていたということか。

 

並の冒険者であればリリを捉えることなど可能だし、一人ずつ散開しても全く問題が無い。

…まんまと、罠にはまったという訳だ。

 

 

「よぉーし…じゃあそろそろぶっ殺す前の手荷物検査といきますかァ!俺から盗んでった剣以上の落とし前はつけさせてもらわなきゃなんねェしな!!」

 

 

バックパックを引きずりながら男は私の傍に近寄ってくる。

…そして、私の頭を踏みつけグリグリと地面に擦りつけると、身に着けていたコートに手をかけた。

 

それから乱暴にコートを剥がされると、ごろりと地面を転がった。

布の服だけになったリリは…男が自分の装備品を漁り、金品を物色していくのを、潰されそうな痛みに耐えながら見上げることしか出来ない。

 

 

「…おぉ!?すげぇ、金時計に魔石に…それに、魔剣!?こんなものまで貯めこんでやがったのか!!やるじゃねぇか糞パルゥム!!」

 

 

コートの中に潜ませていた盗品をゲドは手に取り、高額なものを見つける度歓喜する。

そしてその嬉しそうな声の度、興奮したゲドの重い脚は私の頭は更に地面に押し付けた。

 

…痛い、しかしそれ以上に――悔しくて、惨めだった。

 

 

「やってますねぇ、ゲドの旦那」

 

 

金品を手に持ち、眺めていたゲドに声がかかる。

踏みつけられながらリリは目を動かし声のした方を見ると、その「知った顔」に驚き、納得していた。

 

…そこにいたのはいつだったか絡んできたソーマファミリアの冒険者の男、白い袋を担いだその男は朗らかな笑みでこちらにゆったりと歩いてきていた。

であればあの時から既に狙われていた、つまり…「協力者」はコイツ()だったというわけか。

 

 

「おー早かったじゃねぇかカヌゥ、聞けよこのクソガキ魔剣何かもってやがって…待てよ、今バックパックの方も探す」

 

「いや、探す必要はありませんぜ」

 

「は?それはどういう…」

 

 

リリの頭から足を離し、投げ出したバックパックの口を開こうとしたゲドにカヌゥは近づく。

そして――ぽん、と今まで手に持っていた白い包みをゲドの足元に投げ捨てた。

 

 

「ッ!?」

 

 

一瞬、理解が追い付かない。

 

無造作に投げ出された白い包みの中からは()()()()()()()()()が覗き出ていた。

 

 

「なぁっ…正気かァッ、テメェぇぇぇぇぇぇ!!?」

 

 

瀕死のキラーアントは仲間を呼ぶ、見るからに弱っている包みにくるまれたキラーアントは弱々しくギィギィと鳴き、人には解らないフェロモンを垂れ流す。

 

――ぽすっ、ぽすっ。

 

しかし、更に加えられる。

いつのまにか近づいてきたカヌゥの仲間、一様に白い包みを担いでいた彼らはカヌゥの投げ捨てた袋のあたり、自らも同様に袋を投げ捨てた。

 

…計3匹、同じように瀕死となったキラーアント達はいったいどれほどの蟲を呼び出すのだろう。

 

 

「いやぁ最初は俺ら全員でかかれば…なんて思ってやしたが確実じゃねぇ。ですんで万が一を排するこーいう方法をとらせていただきやした」

 

「だからって…つまりテメェ!?」

 

「旦那ぁ…金目の物も良いですが、命あっての物種というでしょう。()()()()に殺されたくなけりゃ早く逃げた方がいいですぜ?」

 

「ひっ…!?」

 

 

振り返れば、さっそく集まってきたキラーアントが五匹。

通路から伺うようにルームの中を覗き見て、自らを呼ぶ弱った味方三匹を見つけ怒りの混じった鳴き声を出す。

 

…しかしそれは先駆けだ、五匹でも充分に厄介だがこの数は10倍、20倍に膨れ上がっていく――それは、絶望。

 

 

「くたばれッ、冗談じゃねぇ!!くそっ、クソッタレが!!」

 

 

ゲドはわき目もふらずに、まだ何もいない通路に向って走り始める。

…当然の判断だ、間もなくここは怒りに駆られたキラーアント達で埋め尽くされることになり、その生存率は1コンマ毎に下がっていく。

 

 

そして――通路に消えたゲドの悲痛な悲鳴が響き渡った。

 

 

「ッ!」

 

「あれま、ゲドの旦那は本当に運がわりぃな」

 

 

絶叫に、カヌゥとその仲間達が笑う。

 

…しかし、とてもじゃないが笑う気にはなれない。

びくりと身体を震わせたリリの、注視した通路の先から一様に全身を朱色に染めたキラーアントが三体ほど現れ、ガチガチとその僅かに血肉の付いた口を鳴らし始めた。

 

 

――次に、あの肉片になるのは。

 

 

「おい、だいぶやられたみてぇだが大丈夫か、アーデ?」

 

「ひ…か、カヌゥさん…」

 

 

視線を、未だ先にいるキラーアントから、頭上で笑みから非常に冷静な顔に変えたカヌゥに移す。

包囲されつつあるこの絶体絶命の状況で「そんな顔」ができるのは、この男が自分の命を軽視しているからでなく、命以上に金、その先にある「神酒(ソーマ)」以外重要なものなどないから。

 

…憑りつかれた人間、それは時にキラーアントよりも恐ろしい。

しかし残された理性では、死地に自らを追いやるまでの狂喜は浸食していない…つまりそれは、かなりの高確率でここから逃げ出す術を持ち合わせているという事でもあった。

 

 

「助けに来てやったぜ、こんな危険な場所になぁ…ほれ、見えるか?」

 

「…!」

 

 

怯え、萎縮した私をカヌゥはまるでぼろ雑巾でも掴むかのようにひょいと持ち上げると、それなりに広いルームの全てが見えるようにする。

 

見えたるは増え続けるキラーアント、目の前に広がる絶望にリリは息を飲み、悲鳴を上げると…もがいた。

しかし、太い腕に抱きかかえられ傷付けられた身体は全くと言っていいほど動かない。

 

 

「やべぇよなぁ、こんなところに危険を顧みず…なぁ、アーデ」

 

「ッ…はい…」

 

「言いたいことは解るな?」

 

 

見返りに、金を寄こせ…言われなくても解る。

僅かに強くなった腕の締め付けに「殺される」と思ったリリは、そうでなくとも恐怖すると選択の余地が無い事を悟る。

 

…リリは震える手で首にかけていた「鍵」を取り出し、カヌゥに差し出した。

 

 

「オラリオの東区画にあるノームの貸金庫の鍵です…」

 

「保管庫のことか?…だが、あんなちいせぇ場所に何を入れられる?」

 

「…ノームの宝石に換金してしまってあります」

 

「なるほどな」

 

 

貸金庫は狭いが、ノームの宝石に換金しておけば場所はとらない。

貴重な鉱石であるそれらは、ヘファイストスとまではいわないが信頼にあたるものであり、上手にやれば買った金額よりも高値で売れるときもあった。

 

…カヌゥは受け取った鍵をしげしげと眺め、自らのポケットにしまう。

それだけでかなりの喪失感だが、宝石はまだ盗まれても良い。

 

問題は――

 

 

「…あ、あのカヌゥさん…!」

 

「ん?」

 

「…その中に一つ篭手が入っているんですが、それだけは……その、親の形見なんです!お願いです、どうかそれだけは…!たいしたお金にはなりませんから…!!」

 

「おう…」

 

 

――その貸金庫にはあの『グローブ』も入っているということ。

 

普通の人が見ればただの篭手にしか見えないそれは、換金することは出来ず強引に押し込んだ。

 

…最悪あれさえあれば、ソーマから逃れる事が出来る。

今日の豪商との商談には間に合わないかもしれないが、それでも…あれさえあるならば。

 

 

――だから絶対に、あれだけはカヌゥに奪われてはならない。

 

 

「つってもなぁ…」

 

 

興味なさげに首をかしげるカヌゥを必死な思いで見つめる。

あれはよほど詳しく見なければ高価なものだとは解らないし、ただの篭手のようにしか見えない。

 

咄嗟についた形見という嘘は、金に目のくらんだカヌゥに効果が薄いかもしれないが――ようするに、金にならないと思わせればいいのだ。

 

あご髭を撫でたカヌゥはいかに金が稼げるかを、冷静に計算しているように見える。

しかし…カヌゥは、ふっと残念そうな顔で首を振ると、明らかな失望を顔に表す。

 

 

――その顔が、リリには一番恐ろしかった。

 

 

「アーデ、状況解ってんのか?周りを見て見ろよ。かなりヤバイ状態だぜ?――そんなこと、()()()()()()()

 

「…!」

 

 

周りはもはや一面見渡すほどのキラーアント、それをカヌゥの仲間の二人が何とか押しとどめていた。

 

…もはやこの状況では、私はおろかカヌゥ達も逃げる事はできない。

そういう意味でカヌゥはまだ辛うじて理性が残っていた、グローブの話などしている場合ではなかった。

 

呆れたように尋ねたカヌゥは、それでいてこの状況にありながら自分の死に絶望している様子はない。

そして…下卑た笑みで軽く声を漏らすと、私を両手で()()()

 

 

「なっ、カヌゥさん何をッ!?」

 

「だからよ、囮やってくんねぇかアーデ?俺たちはお前があれの相手をしているうちにあの通路から逃げる、時間さえ稼いでくれれば俺達でも蹴散らせるだろうぜ」

 

「あ…や…」

 

「それにアーデ、危なかったら()()()()()()()んだぜ?…まぁ逃げれるわけねぇだろうがな!グハハハハハハハハハ!」

 

 

――奇しくも、同じ言葉。

 

最後に笑いながら、投げつけられたリリの身体はいとも容易く宙を舞う。

笑いながら去っていくカヌゥとその仲間達の声を聞きながら、小さすぎる身体は浮遊感を得た。

 

 

 

…世界が、回転しながら目に入る。

 

 

 

一面のアリ、アリ、アリ。

 

死をその牙に、爪に、全てに宿したキラーアント達は、ガチガチと牙を鳴らしながら宙を舞う獲物(少女)の到来を待っていた。

 

それは、望まれている…()()()()には望まれないのに、死に私は激しく渇望されている。

輪のように私を囲み、地面から見上げてくるキラーアントと、巻き上がるような死の気配が地面から手を伸ばしていた。

 

 

 

…それに捕まえられてしまったら――

 

 

 

 

「…あっ……!?」

 

 

 

 

――気づいたときには、地面がこんなにも近く。

 

 

 

僅かばかりの痛みと、『ドサリ』と地面にぶつかった衝撃。

背中から走った鈍い痛みにリリは、どうしようもない強張りと全てが終わってしまった虚無感が伝わるのを感じた。

 

 

そして――真の意味で、力が抜ける。

 

 

とっくに動かなくなっていた腕が垂れた、そういう訳じゃない。

拭うことも無い血が頭から無造作に地面に暖かくも零れた、だから絶望したわけでもない。

 

 

「あぁもう死ぬのなら」幾つもの死に囲まれたこの状況で、私は――生きなくてもいいんだ。

 

 

(…)

 

 

ごろりと転がり、仰向けになる。

見えたのはダンジョンの天井、聞こえるのはガチガチという音とギィギィという鳴き声。

視界の端にはキラーアントの赤い脚が僅かに動き、早くその足を動かたしそうに疼かせていた。

 

…絶望的な状況がそこにはあって、私はそれを余すところなく受け止める。

 

そして、そんな世界を見て――

 

 

――こんなところで、こんな世界で私が生きる必要は無いと思ってしまった。

 

 

何を必死に生きようとしていたのだろう。

何を私は必死に執着していたのだろう。

 

こんなに辛くて、こんなに苦しくても救われない「生」ならば、いらない。

存在するだけで疎まれ、見たくもない現実を見るならば死んでしまいたい。

 

今ここで死んでしまえば、生きなければもう楽に、苦しまずに。

 

 

 

――それにもう見る必要も無い、やけに安らか気持ちで私は瞳を閉じて、呟く。

 

 

 

「…もう、逃げなくてもいいんだ…」

 

 

 

 

呟いたら何だか…穏やかになって、悲しくなった。

 

それに今私がここで死ぬのもきっと「天罰」なのだろう。

これは今までしてきたことの神様からの制裁なのだろう。

 

こんな苦しい状況でも、悲しい状況でも、与えられる「死」は等しい。

 

 

 

…それに、目を閉じれば何も見えなくなって、もう何をしなくてもいいから――

 

 

 

「――違う…ッ!」

 

 

瞼の裏に、少年の笑顔を見た。

その笑みは明るくて、私が何をしても変わらず、いつものような常に笑顔だった。

 

それはまるで――何をしても感謝されるような、「存在するだけ」で愛されるような。

…死んでしまっていいなんて、そんなことないとと否定するような。

 

 

――優しかった、知らなかった。

 

 

今までに出会ったことも無かったその笑みは最初理解できなくて、疎んで…「切り捨ててしまった」。

 

…しかし今となって気が付く、あれは…本当に私の事を想ってくれていた。

 

激しい後悔が身体を冷たくし、それでも…知らなかったと言い訳を、心の中で叫ぶ。

何故そんな優しさを私に向ける?理由が無い、ただ知り合っただけの私にあんな優しさを向けたのか?

思えば最初から、あの時ゲドに襲われた時から…何故助けたのか?

 

 

「ベル様ッ…何故なんですか!?」

 

 

思わず目を開き、空に尋ねた。

余りに単純な事さえも知ることの無かった少女は、何故だか止まらない涙を流し、全てを、存在理由を知りたかった。

 

 

…あの少年に会いたいと願い、私は、私は――

 

 

 

 

「あ…」

 

 

 

 

――私は、キラーアントのかぎ爪を見た。

 

 

 

・・・

 

 

 

「…」

 

 

遠く、腹部を裂かれた少女がいる。

 

無数のキラーアントに群がられたその少女は、ゆっくりと赤い血だまりを身に纏い、小さなその身体を横たえていた。

そしてアリのガチガチとなる牙、鋭い爪が振り下ろされる度、びくりと手足が短く痙攣しているのが見えた。

辺りには血煙が立ち上り、それを嗅いで喜ぶかのように周囲を囲んだキラーアント達がギィギィと鳴いて――

 

 

――胸焼けするような彼女の血の臭いに、俺は今ひとたび一歩を踏み出した。

 

 

『ギィ?…ギィッ!!』

 

 

ルームに入ってきた新たな冒険者(人間)に、最後尾にいたキラーアント達は気が付くと、振り返って鳴き声を上げる。

しかし――「遅れた」俺に、その相手をしている暇は無かった。

 

 

「…邪魔だ」

 

 

()()()()は充分、羽のように軽い身体で俺は見渡す限りのキラーアントの群れに走り始める。

 

そして――噛みつこうとしたキラーアントを純粋な速度だけで振り切ると、跳んだ。

 

 

「…!」

 

 

ルーム中に満ちたキラーアント。

思ったよりも高く跳んだ俺はその全体を見る。

 

…まるで、アリの巣だ。蠢くキラーアント達を空中から見下ろし、徐々に落下していきながら俺は――「1番」アリが群がっている場所を見定める。

 

 

「…ふんッ!」

 

 

緩やかに地面へ近づくと、着地がてら群がっていた二匹の頭を踏みつける。

『ぺしゃり』と卵の殻が割れたような音が鳴りその小さな頭が足の下で潰れる。

そして衝撃を残さないように踏みにじると、そのままの動きで他に群がっていたキラーアント達を蹴り飛ばす。

 

 

「ギィッ!?」

 

「ギィギィッ!!?」

 

 

突然の闖入者に驚いたのかキラーアント達は数歩後退する。

それは仲間の二匹がいとも容易く踏みつぶされたからだろうか、少なくとも周囲を覆うようにしていたキラーアントの中にほんの少しだけ空間が生まれた。

 

俺はそんな蟻たちの視線を一心に受けながら、特に慌てもせずに普段のように立つ。

 

 

そして――見下ろした。

 

 

「…あー」

 

 

解ってはいたが、破損が酷い。

 

全身は打ち付けられたように青あざを作っており、無数の切り傷、特に腹部に大きく穴が空いて、その「中身ごと」食い荒らされていた。

加えて辺りには幾つか肉片が散らばり、中身もいくつか外に出てしまっていて、その全てを濡らすような出血で辺りはもう海のようだし、全身の皮膚は土くれだったように色を失っていた。

 

 

「はぁ…」

 

 

俺は「それ」の脇にしゃがみ込むと、その顔を確認する。

 

そして次に胸に手を当てると――「それ」が動いていない事を確認した。

 

 

「あー?めんどくせぇなぁ…」

 

 

死んでいる、足元に転がった「物」に俺はため息を大きく吐くと、地面に散らばっていた「内臓」の一つを掴む。

 

ぬるぬるとした感触と柔らかい肉で出来たそれを俺は潰さないように持ち上げると、少女の切り裂かれた赤い腹部の中に放り込む。

そして同じように落ちていた幾つかの腸のような内臓や、血液の上に揺蕩っていた細かな肉片を全て摘まむと投げ入れていく。

 

(もし、まだ《大丈夫》なら…)

 

死体の肉を漁っても意味が無い、そんなことで「死人」は生き返らない。

 

…そんなこと百も承知なリョナはコートの胸の中に入れていたポーションを3本ばかり取り出す。

そして全ての口を開けると――その中身を少女の開いた腹部に注ぎ、かけた。

 

 

「…!」

 

 

目まぐるしい変化、というわけでは無かった。

しかし…ポーションのかかった場所は目で解る程度に徐々と「埋まって」いく。

肉が僅かに回復し、その上に皮膚が覆いかぶさるように作られていっていた。

 

それは大きく広がっていくと…やがて、腹の傷は全て修復される。

内部がどうかは知らないが、少なくとも外見は無傷に見える状態に回復した。

 

 

…しかし――「死んでいる」。

 

 

「チッ…」

 

 

舌打ちをして、リリの顔を見る。

 

相変わらずその顔には生気は無く、皮膚は土くれだって血が通っていない。

そして…胸の中のその心臓はピクリとも「動いていなかった」。

 

 

「…まだだ」

 

 

右腕コートの腕をまくると手首を出す。

露出した手首を左手で掴み、そこに流れる自分の拍を測るとそのタイミングを記憶し、リリの心臓がある上部に乗せた。

 

 

そして――ワンプッシュ。

 

 

自らの鼓動に合わせ、胸を強く押す。

タイミングよく、自分の脈に合わせ、こぎみいいリズムで2度3度と続けて、その止まった心臓から全身に血液を送り出すように押し続けた。

 

…血が「死んでいるならば」、もう手遅れだ。

しかし…「生きているならば」――

 

 

「――…ッ…カハッ…ッ!」

 

「!」

 

 

…少女が、せき込む。

 

頭が僅かに地面から浮き、詰まっていた血液が喉のせき込みに合わせてぴしゃりと吐き出された。

全身に回った血液がその肌の色を暖かくしていき、みるみるうちに血色が良くなっていた。

 

つまり…痛みによるショックで心臓が止まっただけだったのだ。

腹部以外に致命傷は無く、そこさえ塞いでしまえればあとは「完全に死んでしまわないかぎり」血液循環を促せば、また「生き返る」。

 

 

そして――やがて、力なく瞼が開かれた。

 

 

「…やっと起きたか」

 

「…ぁ…」

 

 

まだ霞んでいるのか、声をかけても反応が薄い。

それにポーションによる急速回復の疲労のせいで眼球を動かすのも大変だろう。

 

…荒く息をつき、滝のように汗を流しながらリリは視線を声がしたこちらに動かした。

 

そして――はっきりとこちらを見据え、口を慣らすかのように幾度か動かした後――

 

 

 

 

「…殺して、ください……」

 

 

 

 

――呟いた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「…は、何で俺がお前を殺さなきゃいけない?」

 

「…お願い…します……私は…ぐっ…もう…」

 

 

願い、嘆願する。

しかし、しゃがみ込んでこちらを見下ろしてくる(リョナ)は表情を変えず、ただ単純に首を振った。

 

 

「言っておくが、今のお前には()()()()()()()

 

「…私には…もう、()()()()()()()()んです…だから…」

 

 

精一杯に、絞り出すように声を出す。

呆れたように見てくるリョナに、リリは必死の思いで見つめ返す。

 

しかしリョナはため息をつき、目を閉じながら話にならないとばかりに首を振った。

…そして私の顔を覗き込むと、イラついた表情で問いかけてくる。

 

 

「というか、どうでもいい。お前喋れんなら一つだけ教えろ」

 

「…」

 

「お前俺の()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「…!」

 

 

問いかけに、一瞬で頭が冴えた。

 

その質問の意味はつまり――リョナは「私がぎゅるぎゅる丸を盗んだ」と解っている、ということ。

何故気が付かれた、いつ気が付かれた、そんな素振りはなく、何故このタイミングで。

 

質問に舌の根が痙攣する思いでリリは、口を開けたり、閉じたりを繰り返す。

そして…驚きのまま、足らぬ舌で、まるで子供のように問いかけた。

 

 

「…な、ぜ…?」

 

「……もしかして何で俺が気がついたか…ってのを聞きたいのか?」

 

 

やれやれとリョナは首を振る。

そしてまるで思いだすかのように、僅かばかりに遠い目をすると口を開いた。

 

…リョナは鼻を掻き、初めて「苦々しく」笑う。

 

 

「…まぁ、最初はまっったく気がつかなかった。というかダンジョンに落としたっていう考えに凝り固まってた」

 

「…」

 

 

――不意に、リョナは立ち上がる。

 

そしておもむろに剣を抜くと、近づき襲ってきたキラーアントの一匹に斬りつけた。

切り飛ばされたキラーアントは容易く身体が裂けて、二つに別れて地面に紫色の血液をまき散らしながら転がる。

 

 

「それから色々あって、冷静になれて…あぁ、クソッ。単純なことで、馬鹿みたいに簡単なことなんだ、前置きなんていらねぇ」

 

 

襲い来る無数のキラーアントを斬りつけながらリョナは、イラつきながら回答を出す。

…そして隙を見て振り返り、紫色の血の付いた剣を私に向けた。

 

 

――その目には、殺意と冷静さ、そして――

 

 

「お前『犬人(シアンスロープ)』じゃねぇだろ?」

 

「…あ…!」

 

 

思えば殴られたせいで変身(シンダーエラ)は解けてしまっている。

私の頭には既にシアンスロープ特有の犬耳が無くなってしまっていた。

 

しかし…そういう事ではない、変装が解ける以前にリョナは「気が付いていた」はずなのだ。

 

一瞬驚きつつリリは視線を見上げ直す。

 

何か数えるように自らの指を折るリョナは振りかると…馬鹿にするように、嗤った。

 

 

「何で気が付いたって顔してるが、お前()()()?本当に鼻の利く奴だったら自分の臭いが()()()()だったら耐えられない」

 

「…」

 

 

自分の鼻を掻きながら、リョナは笑う。

 

しかし私の鼻では「自分の臭い」など解らない。

 

 

「そっからは順序立てて、いろいろ考えてったらお前だって解った。…なんて、大層なこと言ってるが冷静にお前ら二人を見てみれば一目瞭然だったな」

 

「そう…ですか」

 

 

未だキラーアントと戦うリョナの姿に目を見開いた。

まさかそんなことで、まさか変装のせいで怪しいと思われるなんてそんなこと思いもしなかった。

 

…そう解ると何だか、笑えてきた。

 

 

「…何笑ってんだお前…で?ぎゅるぎゅる丸はどこだ?」

 

 

自然と笑っていたらしい、リョナに言われて初めて気が付いた私は先ほどの事を思い出し、惨めで悔しくて、悲しくなった。

そして…その質問に、目を伏せた。

 

 

「その…さっき鍵を…」

 

「奪われたって感じか、なら――よし、臭いは残ってんな」

 

「…」

 

 

鼻を鳴らしたリョナは初めて「安堵した」ように肩を落とした。

 

しかし…もはやこの状況ではリョナも助からないだろう。

周囲にはキラーアントが溢れ、助けは無く、二人しかいない。

 

…では、何故こんなところに来たのだろう?

…まさか、たったそれだけの事を訊くためだけに?

 

 

「う…!」

 

 

立ち上がろうとする。

しかし疲労で指はピクリとも動かず、筋肉の一本一本が凍り付いたかのように痛んだ。

 

声を漏らし、汗を流した私にリョナは振り返ると呆れたように見下ろしてきた。

…やはり状況は変わらない、それに「盗まれた側」であるリョナがいるというのは更に状況が悪くなったという見方が出来る。

 

 

――しかし、私はどうせ死ぬ。そう考えたら変わらない。

むしろ…「天罰」というのであれば、物を盗まれ私を恨むリョナが殺すというのであれば「妥当」と言えた。

 

 

「あ…リョナ…様」

 

「あ?」

 

「私は…」

 

 

見上げ、何とか考える。

言葉を紡ぐと、波のように寄ってくる吐き気を抑えながら語り掛ける。

 

キラーアントの声を聞きながら私は何だか悲しくて穏やかで…それでいて「慌てていた」。

 

 

「私は……ベル様から…」

 

「…」

 

「いえ、それだけじゃなくて…私は、今までたくさんの人から物を盗んで…だからこれは…天罰、なんです…」

 

 

時折向かってくるキラーアントと渡り合っているせいでリョナはこちらを見ていない。

しかし…もはやこれは独白に近い、熱病に侵されたように「自分の罪」を吐くリリにはもはや相手が聞いていなくても構わなかった。

 

 

「…それに、ベル様を私は…」

 

 

オーク4体に囲まれたベルの姿を思い出す。

それに…4体だけじゃない、ここほどではないがベルの実力ではきっと…死んでしまっている。

 

――向けられた優しさを、仇で返した。

 

無い話じゃなかった、この世界には優しさなんて無いと思っていたから仇で返しても良いと思っていた。

しかし…あった、あの少年だけは優しさを持っていた。

だというのに、知らなかったから、知らなかったから…!

 

 

 

「私は…殺して…()()()()()()()()()()…っ!!」

 

 

 

言葉にすると、深い後悔が涙を流した。

 

知らなかった、そんなことではすまない。

どちらも死ぬのだからもう謝ることも出来ず、謝っていいのかすら解らない。

 

 

えずきながらリリは…残った力を振り絞り、泣きながら――叫んでいた。

 

 

 

「そうじゃなくても…私は…逃げることもできない愚図で、弱くて…もう何もする資格すらないからっ…!死んで、天罰を受けて許されるしかないからっ……!!」

 

「――よっしゃぁ!カウント()()()到達っとぉッ!!」

 

 

 

目を見開き、眼球を僅かに動かしてリョナの姿を見る。

 

――笑っていた。

直剣をキラーアントの腹部に突き刺し、紫色の鮮血をその傷口から噴き出させながら蹴りつけ直剣から抜いていた。

 

…暫く見えていなかったうちにその身体はだいぶ汚れていた。

返り血、それと牙によってつけられた噛み傷や、爪によってできた切り傷が至る所にあり、地面を転がったせいかジーンズは土で茶色に染まっていた。

 

 

(999…?)

 

 

それが何を意味するかは解らない。

しかし…思えば、この人も私のせいで死んでしまうのではないだろうか。

そう考えると、申し訳なくて、胸が締め付けられるような思いだった。

 

 

「あ…の…」

 

「――ふー、初めてこんなところまで来たが…で、何だっけ。殺してくれだっけ?」

 

 

ごめんなさい、そう自然に言おうとしていた。

しかし…くるりと振り返り、剣を肩にかけながらスタスタと歩んできたリョナの顔を見ると何だか言葉に詰まってしまった。

 

…しゃがみ、私の顔にかかった髪を少し払ったリョナは私の顔を観察してくる。

 

 

そして――心底嫌そうな顔で諦めたように、ため息を吐き気怠そうに口を開いた。

 

 

「…まぁ、なんつーか俺はお前の事情は全く知らん。だが、俺のぎゅるぎゅる丸を盗んだ時点で死刑確定、俺の全力をもってできるだけ苦しむように殺してやるつもりだった」

 

「なら…」

 

「だが――」

 

 

恨まれて、然るべき。

しかしリョナは首を振る、そして頭を掻くと首を軽く振った。

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…え…?」

 

「ったくあの少年は…俺に余裕が無いってのにいきなり約束で縛りやがって…まぁそのおかげで冷静になれたんだが…」

 

 

 

 

 

 

――「三日前」の事だ。

 

 

 

 

 

 

余裕の無かった俺に、少年はずるいくらいに優しく笑う。

 

 

 

「――だから、僕がいない合間はリョナさんがリリの事を守ってくれませんか?」

 

「…それは…もし、お前が何か面倒に巻き込まれてもか?」

 

「はい、僕はどうなってもいいですから」

 

「…!」

 

 

一瞬、何を言っているか解らなかった。

狼狽した俺は目の前でなおも笑うベルに、目を見開いて詰め寄っていた。

 

 

「な、何でだ!?それはおかしいだろベル君、お前は…何で他人にそこまで!!?」

 

「え、何で、ですか!?そ、それは――お、女の子だから?」

 

「はぁ!?」

 

 

聞いてみたが、更に困惑した。

…もしかするとこの少年とんでもない馬鹿なのかもしれない、そう思ってしまうぐらいには。

 

 

――しかし、呆れた故に落ち着きが戻ってくるのを感じた。

 

 

そして気が付いた。

どっちが馬鹿だ、「人に優しくする」方が本来()()()()なのだ。

現世、異世界関わらず人が人としての当たり前を、持ち合わせていないから時に人は勘違いするだけなのだと。

 

…気が付かされた俺は、そうですよね…と笑う少年の顔を驚きと共に見つめる。

 

 

――大きく、頷いた。笑って、頷くしかなかった。

 

 

「…解った、ベル君のお願いだ。例えベル君が死んだとしても俺はあのリリを守ろう」

 

「いや何もそこまでは――」

 

 

 

――そうして、二人で笑いあって…「約束」したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「だから俺は――お前を『守り』に来た」

 

「…ッ…ぁ…!」

 

 

――そんなやりとりがあったのか。

 

リリはとめどなく溢れてくる涙を拭うことも出来ず、ただ嗚咽を漏らす。

 

あの少年は…本当に…優しくて、だからこそ私は許されなくて。

 

 

「ああああ…あぁぁ…ふ…ぁぁ…!」

 

 

ただ、泣く。

その優しさが悲しくて、謝る事ができないのが悔しくて、弱い自分が恨めしい。

喉が鳴って、熱い雫が頬を垂れ、私は――

 

 

「ああ…私はッ…わたしをっ…殺してくださいっ…私は、ベル様に謝ることさえできないっ…!死ななきゃいけないんですっ…!」

 

 

――許しを懇願した。

 

思い出すように笑っていたリョナに私の嘆願を聞くと、「優しい笑み」を浮かべる。

その微笑みは…どこか、ベルの暖かさを、真似たような。

 

 

「だから、殺せねぇんだって。…てかお前謝る事が()()()()っつったが、何でだ?」

 

「…それは…」

 

 

子に語り掛けるように、リョナは疑問を問いかける。

リリは濡れた瞼を細めると、とめどない涙に視界を霞ませながら「ずっと思っていたこと」をただ叫ぶ。

 

 

「…私が、弱いからっ…弱いと何もできないからっっ…!!」

 

「…」

 

 

言い訳のように、答えた私にリョナは苦笑を浮かべる。

そして少し真剣な表情になると――「頷いた」。

 

 

 

「あぁ、確かにお前は弱い」

 

「っ!……は…い…」

 

 

 

リリは少し顔を暗くする。

それは事実だった、しかし…悲しい事実だ。今までずっと苛んできた現実だった。

 

 

だから…リリはリリが嫌いだった、弱いから――「仕方が無かった」。

 

 

 

「だけどそれが関係あるか?()()()()()()だろ?」

 

「…えっ…?」

 

「あー…何つーか、弱くてもいいんだ。確かに世の中理不尽な事で溢れてて、強者が弱者を虐げることは多い。だけどそこで諦めたら終わりっつーか…」

 

 

 

しかし――いとも容易く、打ち砕く。

 

目を見開き、リョナの困惑したような顔を見やった。

それは…言われたことの無い言葉。

 

『弱くても良い』何て、聞いたことも考えたことも無い。

知らない言葉、知らない概念、全くの新世界を見たかのような気がして私は、ただその言葉を呆けたように聞くしかなかった。

 

見下ろし悩んでいるように見えたリョナは何か決めたように目を見開くと、真剣な顔で見つめ返して…一個一個、踏みしめるように言い放つ。

 

 

 

「――だから!お前は、謝ってもいい!会ってもいい!逃げてもいい!立ち向かってもいい!弱くたっていいし、言い訳したっていい!それから――」

 

 

 

その言葉に、嗚咽さえ漏れないのに涙だけが零れていた。

 

その一言一言に救われる、ずっと募らせていた思いが解けていく。

 

その『肯定』を、私は知らなくて、今まで出会ったことも無くて。

 

 

 

 

「――お前は今()()()()()()()()()()()()()!弱くても、自分のしたい事をしてもいいんだ、解ったか!!!?」

 

 

 

 

…声にならない声が漏れた。

 

理屈は解らない、理由も解らない。

だが今肯定されることがこんなにも心地よくて、泣きそうで、今までの悪い事全てが無くなったようで。

 

(何だ…私は――死ななくてもいいんだ)

 

いとも容易く、私は救われる。

 

否定されてきた、世界から否定されていると思って、自分で自分を否定していた。

今まで肯定などされたことが無かった、だけど肯定されて…たったそれだけと思っていたことがこんなにも「暖かい」。

 

肯定してくれる人がいる、きっとベルも今までずっと存在を肯定してくれていたのだろう。

それを否定したのは…きっと許されないことだ。

 

 

だけど――

 

会っていいのなら、謝ってもいい。

 

謝っていいのなら、許されてもいい。

 

許されていいのなら、生きてもいい。

 

――存在(じぶん)を、肯定できたなら。

 

 

「あ…」

 

「あ?」

 

「…あ、ありがとう…ございます…!」

 

 

泣きながら、感謝の言葉を述べた。

何とか笑おうとしたが、ぐしゃぐしゃに崩れた顔では上手く笑えているかは解らなかった。

 

感謝の言葉を受けたリョナは驚いたように目を見開いて、笑って、頷いたのだった。

 

 

 

…しかし――状況は変わらない。

 

 

 

「です…が…この状況…は…!?」

 

「あー…」

 

 

 

ルームは変わらずキラーアントに満ちている。

この部屋において二人だけの生者である二人を取り囲むようにキラーアント達はガチガチと牙を鳴らし、爪を地面に引っ掛けていた。

 

生きてもいい、しかし――生きれない。

 

状況は「必死」、肯定しなければ少女は生きれなかったが、このままでは二人とも殺されてしまう。

 

 

「…結局、この状況は罰当たりなリリが招いた天罰なんじゃ…」

 

「はっ…かもな、だが生憎とこっちには()()()()()()()がある」

 

 

リリは本当の意味で、焦る。生への執着を抱き、産まれて初めて死にたくないと思った。

それに…私だけじゃない、このままでは自分の天罰に関係のないリョナまで巻き込んでしまう…それは何だか嫌だった。

 

しかし――リョナは立ち上がると、笑い飛ばす。

 

この人は何で笑っていられるんだろう?

いくら強いと言ってもレベル1、足手まといなリリを守りながら孤軍奮闘で生き残れるわけがない。

逃げることも出来ず、殺されるのを待つしかないこの状況で笑う事なんてとてもじゃないが出来なかった。

 

 

「それにな、天罰っていうなら――」

 

 

振り返り、リョナは背を向ける。

呟くようにリリへの言葉を空に吐くと、アリたちの巣くう方に数歩大きく歩む。

 

そして…呆けたようにゆらりと視線を伏せたリリへと戻した。

 

 

――見上げた、その瞳は。

 

 

 

 

 

「――俺がその天罰ごと()()()()()()()

 

 

 

 

 

何を、と尋ねる間もなくリョナが剣を構える。

 

しかし――見たことの無い構え。

 

左手で自らの直剣の根元を掴み耳元へ、まるでそれはヴァイオリンを奏でるかのように。

コートが揺れ、その向こう側では幾千ものキラーアント達がギィギィと鳴いて、まるで「それ」が始まるのを心待ちにするかのように、その目を輝かせていた。

 

黒いコートを纏ったその広い背中、土で汚れた黒い群青のジーンズ。

高い身長に、広い肩幅、そして…その身体には、確かに「神を殺しえる可能性」が流れていた。

 

 

 

――左手から剣を、引き抜く。

 

 

 

…その刃に撫ぜられた左手から血が迸った。

 

真横一文字、掌に赤く深く溝が出来た。

空中に新鮮な血液がまき散らされ、まるで噴水のように噴き出た。

濃い赤が無に溶け、ぼたりぼたりと地面に落ちた。

ルーム中に鼻を衝くような血の臭いが巻き上がり、それに喜ぶかのようにキラーアント達もギィギィと鳴いた。

 

 

…突然の自傷行為は、リリからも見えていた。

 

 

赤く、強く切り裂かれた掌から鮮血がまき散らされ、切り裂いた剣は最大円を抱きながら弧を描いていた。

理解出来ない行動、しかし…その噴き出た鮮血と輝いた刃は、光景はどこか美しかった。

 

その左手に注視する。

切り裂かれた肉、まき散らされた血液。

振り抜かれた剣についた紅は僅かに撥ねて、空中を舞っていた。

 

…やけにそれがゆっくりと見えた。

 

剣が弧を描いている。

腕が振り下ろされていき、剣先が「蒼く」――

 

 

 

――剣が、地面を打った。

 

 

 

『ガキィィン』と、鈍い金属音が不快音をまき散らす。

それは空間ごと揺らし…打っているように思えた。

 

鼓膜が揺れ、まるで魂が震えるような、背中が熱くなるような「不安」。

 

それは――「眷属」だから持ち合わせる、()()()()()()()()()()()()()()という恐怖。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――青い爆炎が、左手から噴き出した。

 

――巻き上がるコート、空中で蒸発する赤血、とてつもない量の熱量が、「白痴蒼炎(はくちそうえん)」が立ち昇る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空間(ルーム)が青く、白く照らされた。

 

目を開けていられない程の熱風に目を閉じていたリリは、僅かに目を開け焦げるような空気の中で「青い火柱」がそびえたっているのが見えた。

 

 

 

――「綺麗」だった。

 

 

 

激しく踊る青い炎、時に白く交わり、縁取るように蒼炎が暴れる。

空気を焼き、ダンジョンを焼き、その炎に怯えるようにキラーアント達は数歩後退した。

核となる蒼い炎は色濃く、外につれて薄まって、時折稲妻のように白炎が走りいつしか泡沫(うたかた)のように溶け消える。

 

 

そして――そこは先ほどまでリョナが立っていた場所だった。

 

 

「いったい…何が…?」

 

 

渦巻く炎を眺めながらリリはただただ困惑し、リョナの姿を探す。

しかし…目に入るのは青くて、白い炎ばかりで黒いコートなどどこにもない。

 

 

――火柱を見る。

 

 

蒼く、白い。

美しく、激しい。

 

それは神を殺す炎、それは子供の抱いた愚かな幻想の末路。

 

 

見やれば白痴蒼炎の中、影が1つ「ゆらり」と揺らめいて――

 

 

吹き上がる蒼い炎、渦巻く白い篝火。

 

その一切合切を切り裂き、その火柱を塵芥とふき飛ばして、余りに大きすぎる巨剣(見たことも無い剣)が火炎ごと真っ二つに裂き、振り抜く。

 

そして「人影」、二つに薙いだ炎の中に何も無い空間が産まれ…更に濃く、蒼くて白い鬼炎(おにび)が沸き上がる。

 

熱風によってはためいた髪が耳元で鳴り、どこかから()()()()()()()()()()()()()音を聞いた気がした。

 

 

――全身を鉄で打ち、狼を象った鉄兜(フルヘルム)全身装甲(プレートアーマー)を身にまとう『騎士』が現れたのだった。

 

 

 

・・・

 

 

 

――これは?

 

蒼い炎が視界を覆った、白い(ほむら)が全身を焼いた。

痛い、肉が焼け爛れ、脳髄が焦熱で沸騰する音を聞いた。

あらゆるもの、自分を構成するもの全てを蒼い炎が侵食し、まるでそれはとってかわられるような気持ち悪さを覚えながら、やがて微睡むように意識さえも燃え解けていった。

 

 

…全身の痛みに俺は、身体が溶けるように錯覚しながら倒れこみ、その場に丸くなる。

 

 

全身を包みこんだ蒼い炎は、伏した俺を激しく燃やしてまるで染み込むかのように内側に逆巻いた。

 

 

――。

 

 

肉体が溶けていく、意識が溶けていく。

自分を構成するあらゆるものが蒼と白に変色し、焼け消えて萎んでいくのが手にとるように解った。

やけに眠くて、解けてバラバラになった意識では何も考えることが出来ず、思考が成り立たない。

 

…そして、ふいに「意識」にすら蒼と白が混ざった。

 

それはまるで周囲から俺の精神の中心に向かって根を張るように、黒色に蒼と白を垂らして侵食するかのような。

俺の意識に、精神の中に「何か別の物」が入ってくる感覚に俺は気づかない。

 

 

もはや俺は…「俺」ではなくなっていた。

 

 

――あ…れ…?

 

 

気が付けば、炎が晴れていた。

身体を焼いていた炎は消え、痛みすら残っていない。

溶けて霧散したはずの意識の穴を埋めた「何か別の物」に思考が走り…目が開いた。

 

 

――ここ…は…どこ…だ……?

 

 

知らない場所、知らない壁。

 

どこかに寝かされているのだろうか、緩やかに灯されたロウソクが枕元に立ち、ベージュ色のベッドは柔らかくて、同じ色をした掛け布団は暖かかった。

視界一杯にそびえたつ壁面は土で作られ、立ったロウソクが暖かく光臨を作り上げて、どこかから漂ってくる干し草の臭いが鼻を衝く。

 

…何だか、それは懐かしい場所だった。

 

やけに落ち着く、壁もこのベッドも匂いも空気も涙が出る程懐かしい。

身体が勝手に動く、まるで求めるかのように掛け布団を払いのけ手を出すと、土づくりの壁に手を伸ばして掌で触れた。

 

 

――…あれ、これは…いったい…?

 

 

ザラザラとした感触が掌を伝う、しかし…その感触は余りに「狭い」。

というのも見れば…「細い」、「小さくて」「狭い」。

 

 

 

 

 

それは――『()()()()』だった。

 

 

 

 

 

白く、綺麗な肌をした小さな子供の腕が俺の視界の中伸びて土で出来た壁を撫でていた。

…触る度、撫でる度ザラザラとした感触が伝う、それはつまり…「自分のもの」だということ。

 

 

――あぁ…だけど、これが「僕」の腕か。

 

 

しかしそれが自分の腕だ、()()()()()()()()()()()

違和感を覚える気も無く僕は、掌をそのまま柔らかな手触りのするベッドにおろした。

余りにも小さなこの腕と、掌で掛け布団を掴むと小さく皺が寄るのが見えた。

 

 

 

「ん…う…」

 

「…!」

 

 

 

突然に――背中から、女性の声が淡く漏れる。

 

今までいるかどうかも解らなかったが、背後から気配がしており、柔らかな感触が確かにしていた。

これは…抱き着かれている?横になった身体には腕がかけられ、僅かな重みと理解不能なまでの安心感を覚える。

 

声に合わせ、もぞりと女性の身体が動いた。

 

背中から腕を回され、漏れた吐息がゆっくりと首筋にかかる。

良い匂いがして、柔らかなその身体は暖かく触れていた。

 

 

――あぁ…落ち着く。

 

 

深い充足感と微睡み。

暖かくて、安心して、あるべきところにいる感覚。

 

これは…「――(知らなかったもの)」?いや、あるいは「――(知らないもの)」なのだろうか。

何にせよ子供が抱かれるのは自然なことで、つまりこの「女の人」は――

 

 

「…ふ、ふふ」

 

 

軽やかに、ふわりとした笑い声が聞こえた。

幸せそうな喜色の満ちたその鮮やかな微笑みに、何だかこちらまで嬉しくなる。

 

それに…笑い声はこちらに向いていた。顔は見えずとも嬉しくなる、嬉しくなった。

抱きしめられ、微笑まれる。それだけで幸せで、心が躍るようだった。

 

 

しかし――不意に、その暖かさが離れる。

 

 

抱きしめられていた腕が解かれ、がさりと掛け布団が一部剥がれた。

背中に触れていた柔らかな暖かさが離れ、代わりに凍えるような肌寒さが背中を撫でる。

 

…突然の事態に驚き、思わず振り返ろうとした。

その暖かさが離れてしまうことが…とてつもなく恐ろしくて、寂しかった。

 

 

――あ…僕は…

 

 

細い腕で掛け布団を払った。

そして露わになる白くて、細い子供の身体。白い薄布一枚纏ったその肉体に違和感(いつも通り)と感じた僕は、寒くて思わず全身を強張らせる。

小さな身体を温めるように掌で撫でると、寝起きで重い瞼を幾度か瞬かせた。

 

…首だけ、振り返る。

 

 

――狭い部屋だった。

 

 

土で作られた狭い一部屋、煤で薄汚れた小さな机とその傍に置かれた火の付いていない竈、壁には小さな窓があるがこの身長では低すぎて外は見えなかった。

自分のいる木製のベッドの上には柔らかな藁が敷かれ、その上には白い雑布が二枚乗っており、それに挟み込まれるように横たえられていた。

枕元には小さな木箱があり、その上にはロウソクが立てられ部屋をぼんやりと照らしていた。

 

…狭くて、落ち着いて、居心地がいい、自分の家。

 

 

 

そして――「見渡す限りの()」。

 

 

 

形容、そこには深い青色をした髪が輝いていた。

そして次には残酷なまでの漆黒をして荒々しく揺れていた、次には空色を反射し穏やかに垂れていた、次には白く泡立ち吸い込むように巻き込んだ、虹色に輝き陽の光を反射してキラキラと輝いていた。

 

それは――全て海、瞬間的に変容し表情を変え続ける海色の髪。

 

吸い込まれるような藍が、蒼が、青が毛先を伝って撥ねていた。

輝き、纏い、全てを包み込んで揺れ、その神威を何の惜しみも無くまき散らす。

 

…地面にまで垂れ長く揺れるそれは遠く、胸のすかれるような思いを抱く。

時折自ずから波を描くように編みこまれていくその髪はきめ細やかで、毎秒毎に「色」を「形」を変えていっていた。

 

――美しいその後ろ姿に涙が伝う。

 

僕は()()()見たその姿にただただ感動していた。

熱を持った愛が溢れ、自分の存在がこのためにあったのだと確信した。

 

 

それを…「神」と言わずして、何とする。

 

 

自らの愛するもの、自らを捧げるもの、彼女のためなら死んでもいいし、永遠にその存在に抱かれ続けたいと切に願った。

 

()()()()()時既に抱いていたその愛情に胸が熱くなるようで、その姿に絶大の安心感を抱かざるを得ない。

 

そして――打たれた少年に、気が付いたその人(神様)は、ふと向かっていたこの部屋唯一の机から首だけ振り返ったのだった。

 

 

 

「――あ」

 

 

 

髪が揺らいだ。

振り返ったその薄く微笑んだ口元、微睡むような垂れた紅の瞳。

 

 

 

 

 

 

美しいその顔は正しく神様で、僕はそれを愛していて――

 

 

 

 

 

 

「――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

――気がつくと、叫んでいた。

 

 

意識が黒く塗りつぶされていく、自分の思考がぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、自分が自分は自分で自分じゃなくなっていた。

 

見渡し、枕元を見る。

 

たてられたロウソクの陰になった場所に鈍く輝く「鉄製のナイフ」があった。

 

 

―――待て、やめろ。

 

 

無我夢中でそのナイフを掴む。

ほんのりと温かい金属製の握りの、つるりとした感触を強く握りしめるとベッドから跳ね上がった。

 

 

――だめだ、それだけはダメだ!

 

 

目の前には髪を大きくたなびかせ、美しく姿勢を伸ばし首だけ振り返る女神。

微笑みかけ、海色の髪を纏い、紅色の瞳はまっすぐこちらを捉えていた。

 

柔らかな肌が見えた、穏やかな笑みが見えた。

それだけで幸せで、それだけが僕の存在理由で――

 

 

 

 

 

――だから、殺さなくてはならない(殺してはいけない)と、そう思った。

 

 

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァッッ!!」

 

 

 

 

 

叫びながら床を踏む。

ナイフを構え、走ると神様への距離は一瞬だった。

 

 

そして――気持ちの悪い手の感触、一瞬何が起こったのか解らなかった。

 

 

()()()()

 

 

何か聞こえた気がしたが、僕に見えたのは『赤』だけ。

 

 

見れば…その背中にはナイフが深く突き刺さっていた。

 

 

染み出した紅が纏った純白の絹を濡らしていき、やけにはっきりとそれが色彩をなしていた。

肉を裂くその感触が生々しくて、恐ろしくて僕は何も考えれずに数歩後退する。しかし強く握ったナイフは掌から離れることは無く、そのままナイフを引き抜いた。

 

――『ドサリ』。

 

支えを失い、容易く女神の身体が落ちた。

その姿に熱が引く、突然の衝動はまるで最初から無かったように霧散していった。

 

身体が震えた、両手に掴んだナイフ…その先に見下ろす。

 

 

…そこにあったのは――「死」。

 

 

口元から垂れる一筋の血。

熱の失われていく瞳。

弛緩した全身から色が失われていき、その海色をした神は急速に死んでいた。

 

 

「――あ…あ゛あ、何で僕が…俺が…」

 

 

何故?――自然と声が漏れていた。

その声は自分の声であったが少年の声と本来の俺の声が混じり、どこか飛び飛びで…悲しみに満ちていた。

 

複数の「人格」が混濁した頭に統一された疑問が一つ浮かび上がった。

 

 

――何が生きてもいい、だ。

 

――それだけはしてはいけない、何があったって許されない。

 

――許せなくて、何より自分が許さない。

 

――ありえない、許容できない、そんなことがあってはならない。何より自分は僕は私は俺は()()()彼女の事を――

 

 

 

「俺がッ…僕がぁッ…貴方をぉッ……なんでぇッ…」

 

 

 

殺す必要が無い。

殺したくない、何故殺さなくてはならない。

 

――なのに、自分は殺していた。

 

肉を裂いた感触が忘れられない、最期に見た彼女の微笑みが頭から離れない。

足元で横たわった熱の失われていく彼女の身体は、いとも容易く死を告げる。

 

疑問が噴き出た、感情が脳髄を貫いた。

吐き気のするような「憎悪」をそのまま言霊にして、吐き出していた。

 

 

それは彼女の事を愛していたから。愛していた彼女が――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なんでッ……僕がぁッ…『お母さん(かみさま)』を殺さなくちゃいけないんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァッッ!!!!!!!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空虚な、引きちぎれるような叫びに従い蒼き炎が沸き上がる。

 

自分を中心に巻き上がった炎は(ごう)と焼き払うと、この狭い部屋にあるもの全てを蒼く染めた。

机も、ベッドも、壁も、天井も、母さん(かみさま)も、全てを焼いて、焼き尽くす。

 

愛していたはずの全てが燃えた。

「在る」のは自分と、手の中に納まった「ナイフ」だけ。

 

 

…許されない二つだけ、焼かれない。

 

 

 

 

――ああ、全てが憎い(お母さんが死んだ)

 

 

 

 

それは白痴蒼炎、愚かな憎悪の炎。()()()()()()に任せるまま、蒼色に染まった思考で吼える。

憎悪、憎悪、憎悪、全ての感情、一切合切の憎悪を燃やした。

 

それは――ひとえに、「世界」への憎悪。

 

 

――なぜ僕が母さんを殺さなくてはいけなかった。

 

 

それはきっと自分のせい、他人のせい、愛したもの愛さなかったもの全てのせい。

関係ない、母さんがいなくなった。

 

母さんのいない世界が憎い。そんな世界に価値は無い。

だから全て殺す、全て壊す、全て燃やす、全て、全て全て全て全て全て全て――

 

 

 

――この世界の全てを憎悪しよう。

 

 

 

…そして、自分の中の憎悪が炎になった。

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ…つまり…ただの()()()()()()だってのか」

 

 

 

 

 

 

 

――気が付けば、俺に戻っていた。

 

切り離された感情(じんかく)は蒼くて白い炎の中に溶けていった。

掌の中には相変わらず鉄製のナイフがあり、少年の身体ではやけに大きかったそれは片手に収まる程度で、先ほどまで付いていた血はいつのまにか蒸発していた。

 

 

俺は…蒼い炎の中に立ち、先ほどまで見ていた光景の意味を考える。

 

 

「あれは――つまり、原初の記憶?言い伝え通り…ってわけでも無かったな」

 

 

俺の先祖が犯した「原罪」。

 

自らの(おや)を殺し、神殺しの称号と異形の権能を手に入れた結果全ての神々から憎悪され、逆に殺し返した『英雄譚』。

 

 

しかし――今見たのが「一番最初の記憶」だというのなら、最初に憎悪したのはこちら側だ。

 

 

八つ当たりに近い、子供の癇癪。

しかし信じ込んだその憎悪だけは本物で――「神」さえ殺す。

 

狂気に堕ち、怒りに満ちた先祖(しょうねん)は文字通り「全て」を恨んだ。

この世界を構成するあらゆるもの、例え一切の正当性が無くても、「自分がやってしまった」事でも、その責任を世界に向けた。

 

 

 

誰かを恨まなければ――あまりに悲しくて、苦しかったから。

 

 

 

「…解るよ。悲しいよな、苦しかったよな」

 

 

 

記憶の追体験。

 

――カウント1000。

 

神殺しの血の中に何かが「見える」。

その結果、()()()()()()()()()そのまま味合わされた俺は、半ば強制的にその感情を理解させられることになった。

 

 

「…はぁ」

 

 

しかし…余りに強すぎる憎悪。

全てを恨む、そんなもの人が持ち得ることは「不可能」だ。

 

人の脆い器では全てを認識することも、狂気に沈んだとはいえそれを恨むことも出来ない。

…持ちうるには異形の権能、あるいは「選択」すれば。

 

 

――問題は先祖の残した憎悪が俺の一部になりつつあること。

 

 

人が持ちえないのに、血の中の記憶はそんな光景を見せてきた。

これでは否応なし炎が噴き上げ、憎悪に身体が侵される。

確かにこの炎が手に入れば神を殺せる、しかし今現状これほどの憎悪を持ち合わせることは俺には出来ない…そんな「矛盾」が生じていた。

 

…その憎悪を「継承させる」つもりでは、ないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――では、貴様は何を恨む?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!…」

 

 

突然に、唐突に「炎」が尋ねてきた。

 

この炎は「最初」の創り出した憎悪…つまり、あの少年の全てへの憎悪の炎だと思っていた。

 

しかし…見やれば炎の気配は、複数。

重なってはいるが、複数どころではない。まるでこれは今までの家系、神殺しの種族(俺の先祖)全員が募ったような。

 

 

 

――全ては未だ不可能だ…しかし今、貴様が抱くその憎悪は『()()』である。それはやがて全てを焼き尽くす業火となり、「次」へと繋がる。

 

 

 

幾代も繰り返し、神々を狩ってきた。

しかしたった「1」では足りない、例えそれが100年後でも1000年後でも我々は数を増し、憎悪を募らせ、炎を絶やさないように繋ぐ。

 

その在り方が、その在り方こそが「俺」自身で、いつしか作り上げてきた我々のスキル(募らせ方)だった。

 

 

(…そういうことか…)

 

 

理解した。俺の幾代か前に、俺の世界の神々は既に死んでいた。

故に理解する必要が無く、こちらの世界に来て回数を重ね初めて自分の過去を知った。

親から伝承を聞かされたことはあっても、システムを知らない親が「血の憎悪継承」について説明されたことは無かったのだ。

 

しかし結果的に説明など不用だ――自動的に、憎悪は継承される。

 

 

 

――して、我々の末席よ。遥か彼方へ繋いだ我らが子孫よ。貴様はこの世界の何を恨む?それを我らが憎悪の(かたち)とし、それへの憎悪を核として、残りの()()()()()を引き渡そう。して…貴様は、何を恨んだのだ?

 

「…」

 

 

 

炎が尋ねてくる。

様々な歳、老若男女関係なく複数重なったような声が頭に直接響き渡った。

 

余りに大きすぎる世界への憎悪。

その中の一つだけを選択し、ひとまずその「火種」だけを受け取る。

 

それはやがて燃える、神への、全てへの憎悪となり、やがて来る終焉まで力となって血に受け継がれていく。

回数を重ね、憎悪を募らせれば募らせるだけ鋭さは増していく。

 

 

1で殺せなければ100、100で殺せなければ999と自らの1を足して――カウント1000。面々と受け継がれた「募らせた憎悪(999)」に、今自らの「憎悪()」を加える。

 

 

しかし…俺は、何を恨めば(火種にすれば)良いんだろう?

 

 

憎悪の全容を見て、何を恨めばいいか解らなくなった。

自分、状況、世界、恨むものが多すぎて何を選択すればいいか解らなくなってしまったのだ。

 

蒼い火を眺め、目を細めた俺は…『尋ねる』。

 

 

 

「…なあ、ご先祖様」

 

――。

 

「俺は…別に憎悪したいわけじゃないんだ」

 

――…何だと、貴様我らの(憎悪)を否定する気か。

 

「いや…そういうわけじゃない。確かに神を殺すにはその憎悪は不可欠だ、アンタらが練り上げてきた炎がなければ神を殺すのは難しい。だが俺自身が誰かを殺したいって思ったことは…あんまりない」

 

――…ほう

 

 

 

理解したように炎が揺らぐ。

 

俺は今までだって()()()()()()()殺したまで、純粋な憎悪で人を殺すなんてしたことがない。

一族の悲願、募らせてきた想いを理解こそすれ、今はその全てを理解することは出来なかったのだった。

 

…果たして恨んでいいものか、と。

 

 

(…だが)

 

 

しかし――その上で、一つだけ疑問はあった。

 

先ほどの情景、先ほどの記憶の中で見つけた理不尽(不可解)が掌の中から離れない。

それは憎悪に満ちないのかもしれない、狂気でもなく憤怒でもなく、ただ理解が至らない。

 

 

そもそもそれが――「原罪の一部」なのだから。

 

 

蒼い憎悪の炎を見つめ、俺はその腕を振り上げると思いだす。

疑問をそのままに、理不尽を恨み、自分勝手に憎悪する。

 

そして――見下ろしてくる蒼い炎(ご先祖様)に自らの殺意を乗せて、手に持っていた「鉄ナイフ(母さんを殺したもの)」を衝き向けた。

 

 

 

 

「その上で、あえて憎悪と言うのなら――」

 

 

 

 

手に持ったナイフが蒼く、白色の炎に反射する。

鉄で出来たそれは美しく、余りにも愚かで自分自身を投影したかのような。

 

許せない、しかし――それ以上に何よりも。

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

――…では、如何にする?しかと言霊にするがよい。

 

 

 

 

 

 

 

「俺は――『()()()()』。こんなものさえなければ母さんは…母さんは死なずにすんだァッッ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

涙が零れ、蒸発した。

 

そうだ、何故あんな場所にこんなものがあった?

こんなものさえなければ、こんなものさえなければ母さんはきっと俺に殺される事なんて無かったはずだ…!

 

 

 

…掌に収まったナイフはやけに冷たくて、この熱く燃え盛る憎悪の中で唯一「1つ」だった。

 

 

つまり――これは俺だけの憎悪、俺が初めて抱いた――「カウント1」。

 

 

 

 

返答を受け、炎が様々に、叫ぶ。

 

 

 

 

――了解した。鉄、それが貴様の憎悪。それを核とし、異形の権能を与える。やがて募らせた憎悪は血に刻まれ、我らが炎の色を増すだろう。滾らせよ、滾らせよ我が末裔よ、恨めば恨むだけ貴様の刃は研がれ、その力を、疾さを増していく。それこそが我らが悲願、我らが宿業であり、貴様の望んだ憎悪そのものの形であるとしれッ!!

 

 

 

炎を見つめた。

蒼い火は荒々しく逆巻き、その勢いを増していく。

 

その炎の募らせた一族の憎悪、その全てを見て俺は「理解」を、「肯定」してしまう。

自分の憎悪が自らの中で核となっていき、己を構成する全てに蒼炎が灯されていくのが解った。

 

火は変容する、叫び、泣き、怒り、様々な憎悪を抱えたまま、俺を囲み――尋ねる。

 

 

 

 

 

 

――確認だ、我らが末席。その血に刻まれた一族の原罪、それは世界への恨みを募らせる事でしか晴れぬ、許されぬ。では、如何にする?では?では?では?神のいない世界でしか生きられぬ我々は如何にする…!?

 

 

「――()()()()…!!」

 

 

 

 

 

 

解り切った問いに、答える。

 

するとその答えに炎達は満足したかのように「――然り!然り!然り!」と騒ぎ立て、狂喜に踊った。

 

 

そして、やがて…「収束」する。

 

 

俺を中心に渦巻くように炎が凝縮され、吸収されていく。

 

炎達は吸い込まれながら、俺に使役されながら、大音声で叫ぶように笑いながら吐き捨てた。

 

 

 

――宣言せり!!今ここに『999』の我らが憎悪、そして貴様の抱いた『1』の疑問を集約し、統括し、合わせ砕いて、総じて焼灼(もや)し、新たな憎悪の火種を成す!!!…これを持って――――

 

 

 

 

鉄が、打たれた。

 

 

手に持ったナイフが憎悪の炎によって打たれる。

掌の中で溶け、液体のように蒼く熱せられた溶銑が指の隙間から零れ落ち、伝わっていく。

 

蒼く赤熱した鉄は限界まで白くなり地に触れると――まるで泡のように膨張し、俺の全身を「包み込む」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――これを持って、ここに「神を殺す刃」はなった!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…視界が、()()()()()()

 

 

 

・・・

 

 




待たせた割にはグロ表現が足りねぇッ!!とは思いつつこの文字数でしょ?

あと主人公覚醒!・・・みたいな?
それと勘の良いガキは嫌い(ツンデレ)だけどお母さんの描写で誰か、解る人は解るかもしれない・・・マイナーかつ動機はオリジナルだけど・・・まぁ多少はね。

ではでは良いお年をー!!!!!
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